『DUEL TRIANGLE』
第四章 黒の蝶
恭也はブラックパピヨンの姿を求め、学園中を走り回る。
その行く先々で、小さな出来事を起こしているらしく、その場、その場で様々な悲鳴じみた声が聞こえてくる。
途中、セルと出会った恭也は、簡単に説明をすると、手伝うと申し出たセルに礼を言い、二手に別れて捜索をする。
校舎を出て、外を探していた恭也は、召喚の塔でふと足を止める。
「普段、人が来ない所なら、隠れるには最適だな」
恭也は少しだけ考えると、召喚の塔へと入って行く。
中へと入り、自分たちが召喚された部屋へと通じる扉の前で、恭也は中の気配を探る。
(……いた)
中から気配を感じ取り、恭也はそっと扉に手を掛けると、出来るだけ静かにその扉を開ける。
いきなり入ったりせず、少しだけ開けた隙間から中の様子を窺う。
中では、何やら人影がゴソゴソと動き回っており、その人物の所までははっきりと明りが届いていない。
恭也は意を決し、そっと中へと踏み入ると、ようやく薄暗がりに慣れた目が、その人物を認識する。
「リコ……?」
「恭也さん?」
お互いに相手がここにいる事に対して不思議そうな顔をして、名前を呼ぶ。
その状態から、先に動いたのは恭也だった。
「こんな所で、何をしてるんだ?」
「掃除…」
「掃除?」
リコの言葉に聞き返しつつ、恭也は周りに視線を這わす。
よく見ると、床には恭也たちが始めに見たのと同じ魔法陣があり、それ意外にも何やら殴り書きされた後が見えた。
まだ消えていないソレを、恭也は声に出して読む。
「何々……。『夜の蝶、ブラックパピヨン参上!!』
……ブラックパピヨンか」
「はい」
恭也の言葉に頷くと、リコは床に這いつくばった姿勢で、床に書かれたその落書きを懸命に雑巾で擦り、何とか消そうとする。
それを見て、恭也は無言で、リコから少し離れたところに置かれたバケツにあったもう一枚の雑巾を手にすると、
そのまま何も言わずに、リコの隣に屈み込んで、床の落書きを消し始める。
「恭也さん?」
「一人でやるよりも、二人の方が早いだろう」
それだけを言うと、恭也はまた落書きを落とす作業へと戻る。
少しの間、そんな恭也を茫然といった感じで見つめていたリコだったが、小さく呟くように礼を言うと、また作業へと戻る。
そんなリコに、恭也は微笑を浮かべると、黙々と手を動かすのだった。
ようやく落書きも消し終えた恭也は、立ち上がると軽く伸びをして、腰をトントンと叩く。
そんな恭也へと向かって、リコが口を開く。
「ありがとう……。片付けは私がしておくから……。恭也さんは、ご自身の用事に戻って……」
「そうか? それじゃあ、悪いがお願いするよ」
恭也の言葉にコクリと一つ頷くリコに別れの言葉を告げると、恭也は召喚の塔を後にする。
その背中に向かって、またしてもリコの消え入りそうな小さな声が届く。
「……さっきの事件」
微かに聞こえた声に、恭也は足を止めて顔だけ振り返る。
その先では、リコが一生懸命に声を出そうとしていた。
ようやくといった感じで、リコは続きを口にする。
「恭也さんじゃないって、信じてますから……」
それだけを言うと、顔を赤くして俯く。
恥ずかしがりやのリコにとっては、これを言うだけでも大変な事なのだろう。
恭也はリコの言葉に礼を言うと、改めて召喚の塔を後にするのだった。
その後も、恭也は地下室に森、闘技場や図書館など、調べれる限りの場所へと赴くが、
ブラックパピヨンの姿はおろか、影すら見つけることが出来ずに、部屋へと戻って来る。
「闇雲に探しても無駄のようだな…」
ベッドへと腰掛け、どうしたもんかと思案していた恭也の元へと、セルがやって来る。
「セル、そっちはどうだった?」
「全く駄目だ。逃げるブラックパピヨンを見たという目撃者は何人かいたけれど、肝心のブラックパピヨンの姿は全く」
頭を振りながらそう告げるセルに、恭也は短く返事して返すと、再び、思考の渦へと飲み込まれていこうとした時、
セルが言葉を投げる。
「拙いぜ、恭也。ブラックパピヨンが盗んだパンティーをばらまいている所を見た者はいない。
つまり、お前の身の潔白を晴らすのは難しいって事だ」
「だな。しかし、やらない訳にもいくまい。下手をしたら、このまま放校だからな」
「それだけは、何とかして防がなきゃな」
「セル…」
恭也がセルとの友情に感謝していると、セルはそんな恭也の様子にも気付かず、言葉を続けていた。
「恭也が放校という事になったら、美由希さんまで一緒に付いて行きかねないからな」
「……まあ、お前がそういう奴だという事は、初日で充分に理解していたつもりだったがな」
「じょ、冗談だって、恭也。ちゃんと、恭也の心配もしてるぞ」
「まあ、一応、礼は言っておこう」
「おう! と、それはそうと、これからどうする?」
「とりあえず、明日になってからだが、学園内を徹底的に周るつもりだ」
「学園内を?」
「ああ。今日、あちこちを周ったり、人から話を聞いた限りでは、ブラックパピヨンは学園内に居る事が分かったからな。
今までの目撃談からしても、誰もブラックパピヨンが学園の門や壁を越えるのを見ていないんだ。
これだけ、目撃者が居るにも関わらずな。
つまり、ブラックパピヨンは盗んだ物や、あの衣装なんかを何処かに隠しているはずだからな」
「確かに、あんな衣装を着たまま過ごしていたら、すぐに正体がばれるからな」
「ああ。だから、奴の隠れ家みたいなものを見つけ出し、その場で捕らえる。
もしくは、盗みの現場に出くわしたら、その時の証拠写真を取る」
「写真?」
「ん、ああ。えっと、こっちでいう所の幻影石だな」
「成る程。じゃあ、とりあえずは、明日という事か」
「ああ、そうなるな。見ていろよ、ブラックパピヨン。
絶対に、濡れ衣は晴らしてみせるからな!」
「頑張れ〜」
「…人事みたいに言うな。お前も手伝うんだろう?」
「えっ!? 俺も!?」
「何だ、違うのか?」
「いや、手伝うけどよ…」
「だったら、驚くなよ」
「まあ、そこは何となくノリだよ、ノリ」
「どんなノリなんだか……」
セルの言葉に、恭也は呆れたように呟くのだった。
§ §
翌朝、恭也の部屋へとセルが訪れてくる。
「恭也、起きてるか?」
「ああ、起きてる。それじゃあ、早速、行動開始だな」
「所で、俺は何をすれば?」
「ああ、セルには、昨日も言ったように、盗みの現場を幻影石で撮ってくれ。
その為にも、ブラックパピヨンが次に犯行を起こしそうな場所を選定して、待ち伏せするんだ。
俺は、隠れ家みたいなものが無いか探すから」
「了解〜」
「よし、それじゃあ、始めるぞ」
「おう! ブラックパピヨン包囲捕縛作戦、開始!!」
「…包囲と言う割には、俺とセルの二人だけだがな」
「何だよ、俺の付けた作戦名に何か文句でもあるのか?」
「文句というよりも、遊びじゃないんだが…」
「当たり前だ!」
「いや、分かっているなら良いんだ。それよりも、急ごう。
時間との勝負だからな」
「おう!」
二人はそれぞれの役割を果たすべく、部屋を飛び出すのだった。
部屋を出た恭也が最初に向かったのは、濡れ衣を着せられた校舎内の廊下だった。
ここから、昨日、ブラックパピヨンが逃げ去った方向へとまずは向かってみようと考えたのだ。
しかし、実際に現場に着くと、現状では恭也が最も会いたくないと思っている人物と出くわしてしまう。
向こうもこちらに気付いたようで、怒りに肩を振るわせつつ、恭也の元へとやって来る。
何と声を掛けたら良いのか迷いつつも、とりあえずは無実を主張しようと恭也が口を開くよりも先に、向こうから声を掛けてくる。
「変態っ!」
「……開口一番、それか」
リリィの言葉に、流石に多少、辟易しつつも、恭也は反論する。
「変態じゃない。それに、あれは濡れ衣だと言っているだろうが。
もう少し、人の話を聞くようにした方が良いと思うぞ」
「何を偉そうに! あんたに言われたくはないわよ!
大体、女性の下着なんか盗んで、何をするつもりだったのよ!
はっ! も、もしかして、そのまま、自分ではくつもりだったのね!」
「何でそうなる! というか、アレは俺じゃないと言っているだろうが」
リリィの態度に、さしもの恭也も少しきつく言い返してしまう。
しかし、それに怯む事無く、それどころか、益々加熱したように恭也へと食って掛かる。
「どうだか。もしかしたら、今も盗んだ女の子の下着をはいているんじゃないの?」
「そんな訳あるか! それじゃあ、まるで俺が変態みたいだろうが!」
「だから、変態でしょうが、あんたは! 女の子の下着を盗む時点で、変態なのよ!
今更、何を言ってるの」
「だから、違うと言っているだろうが。全く、本当に人の話を聞かない奴だな。
本当に、人の意見をもう少し聞くようにならないと、困る事になるぞ」
「何よ、変態のくせに、この私に説経する気?」
「別にそんなつもりはないが…」
「だったら、黙ってなさいよ、この変態が!」
「……何度も違うと言っているだろうが!」
今までに無い強い口調に、さしものリリィも一瞬だけたじろいだようだったが、
すぐさま、そんな自分の反応を誤魔化すかのように、恭也へと言い返す。
「そこまで言うのなら、証拠を見せなさいよ!」
「それは今、探している所だ。だが、必ず見つけて見せるからな」
「ふふふ。本当にそんなのがあるのなら、楽しみに待っているわ」
リリィはそう言い捨てると、マントを翻して去って行く。
その背中を憮然と眺めつつ、恭也もすぐにブラックパピヨン探索に戻るのだった。
廊下から、ブラックパピヨンが去った方向へと歩いてみたものの、何の成果もなく、
恭也はそのまま校舎を出て、中庭へと場所を移し、辺りを見渡す。
人がそれなりにいる上に、ここはそれなりに人目も付くので、ここには隠していないだろうと次の場所を思案し始める。
そんな恭也の目に、少し離れた所にある建物の一部が目に入る。
「図書館か…。本棚などによって死角が多い上に、人目の付き難い場所もあるからな。
案外、隠し扉とかがあったりとかするかもな」
そう一人ごちると、恭也は図書館へと入って行く。
奥から探索しようと、奥へと歩いて行く途中で、恭也は見知った顔を見つける。
「あれは、リコか?」
恭也の視線の先、一つの本棚の前でリコが背伸びをして、手を上へと伸ばしていた。
んしょ、んしょ、という小さな呟きを聞き、恭也はリコが上の方にある本を取ろうとしていると理解すると、
その背後に立ち、リコが伸ばしていた手の先にある本を取って、リコへと差し出す。
「これで良いのか?」
「あ…」
「ん? ひょっとして、これと違ったのか? だったら、どれだ?」
「…いえ、それで合ってます」
「そうか」
「…りがとう」
「ああ、どういたしまして」
消え入りそうな声で礼を言いながら本を受け取るリコに、恭也はどういたしましてと返すと、何と無しにその本を見る。
「休日まで勉強とは、偉いな」
「…調べもの……」
「ああ、なるほど」
リコの言葉に頷いた後、恭也はふと気付き、それをリコへと尋ねる。
「リコは、この図書館には詳しいんだったよな」
恭也の言葉に、無言で頷いたのを見て、そのまま続ける。
「なら、この図書館の中に、あまり人が来ないような場所とかはないかな?
その上、更衣室とか倉庫代わりになりそうな」
「…………無いこともないです」
「本当に!?」
「…はい」
「それは、何処?」
「…下です」
「下? つまり、地下って事か?」
リコが再び頷くのを見ながら、恭也は考えを巡らせる。
(確かに、地下があるのなら……)
「所で、その地下は誰でも入れるのか?」
「…違います」
「じゃあ、教師なら入れる?」
「……それも無理です」
「誰なら入れるんだ」
「ミュリエル先生なら……」
「ミュリエル……、学園長か」
「…はい」
「だとすれば、ブラックパピヨンが隠れ家にする事は無理か」
「お役に立……て、……ません」
「いや、リコが気にすることじゃないから。それじゃあ、俺は他の所を回ってみるから。
邪魔をしたな」
恭也はリコにそう言うと、図書館を後にする。
恭也を見送ると、リコも自分の作業へと戻る。
次に恭也が来たのは、礼拝堂だった。
中へと入ると、そこにはベリオが居た。
恭也に気付いたベリオが、傍にやって来る。
「恭也くん? 恭也くんもお祈りですか?」
「いや、違う。ちょっと違う用件でな」
「違う用件?」
礼拝堂に祈る以外の事をするために来たという恭也の言葉に、ベリオが首を傾げる。
そんなベリオに、恭也は簡単に説明をする。
「実は、ブラックパピヨンを捕まえようと思ってな」
「…昨日の事件の無実を証明するためですか?」
「ああ、そうだ。って、ベリオも知っていたのか」
「ええ。学園中で、かなり噂になってますから」
「が、学園中で……。あ、俺はやってないぞ」
ベリオの言葉に気が遠くなる思いをしつつ、自分の無実を分かってもらおうとそう口にする。
それに対し、ベリオは笑みを見せると、
「ええ、分かってますよ」
「…信じてくれるのか」
「ええ。私が今まで見てきた恭也くんは、そんな事をするような人ではないですから」
「そうか。あありがとう、ベリオ」
「い、いえ。あなたの日頃の行いのお陰ですよ」
笑みさえ見せて告げる恭也に、ベリオは少しだけ慌ててそう言う。
その言葉に、恭也はそっと溜め息を吐き出す。
「はぁ〜。これで、救世主クラスで、信じてもらえないのは、リリィだけか。
俺は、何かリリィを怒らせるような事をしたか?」
「…リリィも悪気はないんですよ。ただ、ちょっとむきになっているというか…」
「まあ、それは今は良いとして…」
「そういえば、ブラックパピヨンを捕まえるというのは分かりますけれど、どうして、ここに?」
「ああ。色々と考えてみたんだが、恐らくブラックパピヨンは校内に居るはずなんだ」
そのセルにも説明した理由をベリオへと聞かせ、ベリオが納得した所で続ける。
「という事は、この学園内の何処かに、やつの隠れ家みたいなものがあるはずなんだ」
「確かに、盗んだものを持ったまま、ましてや、話に聞く限りの格好では、自分の部屋にすら戻れませんからね」
「ああ。だから、今、隠れ家みたいなものが無いか探している所なんだ」
「それでここに?」
「そういう事だ」
「そうでしたか。でも、残念ながら、ここは違うと思いますよ。
毎日、掃除してますけれど、それらしいものは無いですから」
「そうか。人気のないここなら可能性はあるかとも思ったんだがな」
恭也はそう呟くと、ベリオに背を向ける。
「それじゃあ、俺はこれで。邪魔したみたいな形になって申し訳なかった」
「あ、待って下さい」
言って立ち去ろうとした恭也を、ベリオが引き止める。
恭也が振り返るなり、ベリオは何かを決意したような顔で告げる。
「私も一緒に行きます」
「いや、しかし、何かしてたんでは…」
「丁度、終わった所でしたから。
それに、ブラックパピヨンを捕まえる事が出来たのなら、その悪事をきちんと悔い改めて頂かなければ…。
人の物を盗むなんて、絶対に駄目です!」
いつになく真剣な顔つきに強い口調で告げるベリオに、多少驚きつつも、
恭也としては断わる理由もないため、一緒に探す事にする。
その後、恭也とベリオは、あちこちを探し回るものの、全く成果はなかった。
そのうち、二人は森へと来ていた。
「ここはブラックパピヨンの目撃が一番、多い所だったな」
「ええ。ですが、何処から調べたらいいか…」
あまりにも広い場所に、ベリオが戸惑ったような声を上げる。
それに対し、恭也は的確に指示を出す。
「木のうろや、岩と岩の隙間だな」
恭也の言葉に頷くと、ベリオは早速、探索を始める。
恭也もベリオとは違う方向から探索をしていく。
どのぐらい探しただろうか、ベリオの呼吸も乱れ始めた頃、
「はぁ、はぁ…。何もありませんね」
「ああ。一体、どこにあるんだろうな。いくら広いと入っても、手入れなんかもされている森だ。
そう隠せる場所もないはずなんだがな…」
恭也の呟きを聞きながら、考え事をしていたベリオが顔を上げる。
「ねえ、恭也くん。私たち、ひょっとしたら、考え違いをしていたんじゃ…」
「どういう事だ?」
「この森での目撃例が多いのは、ここに隠れ家があるからじゃなくて、ここから何処かへと行っているという事は…」
「成る程。ここに戻って来ているんではなく、ここが通り道だという事か」
「ええ。よく考えてみれば、ここも全く人気の無い場所とは言えませんから」
「確かに、さっきから白衣を来た学生たちがいるな」
「はい。薬学や自然科学の授業なんかがある時には、結構、人が訪れるんですよ。
ですから、この場所に隠れ家というのも…」
「確かにな。だとすると……」
諦めるか尋ねようとしたベリオだったが、恭也の横顔を見て、その言葉を飲み込む。
考え事に集中している恭也の目は、決して諦めていなかったかただ。
ベリオは言葉を飲み込んだまま、そっと恭也の考えが纏まるのを待つ。
やがて、恭也はベリオへと視線を向けると、その口を開く。
「そう言えば、まだ行っていない場所があったんだ」
「行っていない場所ですか?」
「ああ。そこなら、誰も訪れないしな。隠れ家があるとすれば、もうそこだけだろう」
「どうして、最初にその場所を探さなかったんですか?」
「いや、探せなかったと言うか…」
その言葉を聞き、ベリオの脳裏にも一つの場所が浮ぶ。
それを確かめるように、ベリオは恐々といった感じで恭也へと尋ねる。
「ま、まさかとは思うんですが、その場所って……」
「多分、ベリオが思っている所だと思うが、あの地下室だ」
「や、やっぱり……」
「ひょっとして、怖いのか?」
「ま、まさか」
震えた声で言ってくるベリオに説得力はなく、恭也は落ち着かせるように静かに告げる。
「とりあえず、もうあそこぐらいしか残っていないんだ。
後は、俺一人でも大丈夫だから、ベリオは戻っているといい」
「い、いえ、行きます!」
「本当に良いのか?」
「はい! 乗り掛かった船ですから。ちゃんと最後まで見届けないと、落ち着きませんし」
そういって微かに笑みを見せるベリオに、恭也は礼を述べると、件の地下室へと向かうのだった。
隠れるようにひっそりと存在している地下へと続く階段を降り、少し進むと、目の前に鉄製の扉が姿を見せる。
扉には、閂がしたあり、大きくて頑丈な南京錠で施錠されていた。
「ブラックパピヨンは怪盗だからな。これぐらいの錠を開けるぐらいの事はやってみせるかもしれない」
言いながら、恭也はその手にルインを呼び出す。
軽く息を吸い、慎重に狙いを澄ませると、ルインを一閃させる。
音を立て、南京錠が地面へと落ちるのを見届けると、恭也はその重たい閂を外し、扉に手を掛ける。
そこで一旦、動きを止めると、恭也の少し後ろで立っているベリオへと声を掛ける。
「本当に付いてくるのか? ここからは、俺一人でも構わないんだぞ」
「い、行きます」
震える足を必死に押さえ、ベリオは恭也の傍へとやって来る。
その決意を秘めた目を見て、恭也はもう何も言わず、扉へと掛けた手に力を込めて、ゆっくりと扉を開く。
中へと足を踏み入れ、持っていたランプを前方へと掲げて、周囲を見渡す。
その中は、地下室と呼べるようなものではなく、まるで何かの遺跡が昔、ここにあったかのように、剥き出しの地面に、
石像や石碑が配置されており、通路が奥へと伸びていた。
その光景を見て、ベリオが知らず呟く。
「学園の地下に、こんな場所があるなんて……」
「……ここが、ブラックパピヨンの隠れ家か?」
「ですが、人のいるような気配は…」
「ああ、全くないな。おまけに、この石像もかなり古そうだし…」
恭也とベリオは辺りをランプで照らしながら、少し歩いてみる。
ふと立ち止まった恭也は、しゃがみ込むと、地面に手を触れる。
指先に触れる感触を何度か確かめると、ベリオへと話し掛ける。
「ここに来て思った事なんだが、この学園の敷地は、ほとんどが人の手によって整備されているよな」
「ええ。王室が管理している学園ですから…」
「だよな。だとすれば、ここは何だと思う?
カビ臭く荒れた地面に、年季の入った石像。ましてや、これらを覆い隠すように建てられた学園…。
つまり、この場所は、学園が出来る前からここにあったという事じゃないかな?」
「……確かに、そう考える事もできますね。でも、恭也くんの言う通りだとして、誰が何のために?」
「さあな。そこまでは分からないが……」
そこで口を噤むと、恭也はここ以外にも、そういった場所があったなと思い返す。
(確か、図書館にも地下があると言ってたな。しかも、学園長以外は立ち入り禁止だという話だし…。
どうやら、千年続いていると言われるこの学園には、それなりに相応しい秘密を抱えているのかもな。
まあ、この事はベリオに話す必要もないだろうから、言わなくても良いか)
下手に言って、余計に怖がらせる事もないだろうと判断した恭也は、自分の考えを口には出さず、胸の内に仕舞い込む。
黙っている恭也に対し、ベリオが不安そうに聞いてくる。
「こ、ここは、ブラックパピヨンと関係ないみたいですよね」
「…いや、そうとも言えないな。逆に、この場所を知っている奴がいれば、格好の隠れ場所になるからな」
「で、で、でも、こんな場所を好んで隠れ場所にするなんて」
「別に好んでかどうかは分からないが、隠れ住むって訳じゃないんだから。
あくまでも、盗んだ物や、あのコスチュームを隠す場所として、だからな」
「そ、それはそうですけれど…」
どうも怖がっているようなベリオに、恭也は何気なく尋ねる。
「ひょっとして、幽霊とかが怖いのか?」
「だ、だだだ、誰が、そんな…」
「だよな。逆に、僧侶なら、そういった類のものを成仏させる立場だもんな」
「え、ええ、そうですよ」
「だとしたら、暗闇が苦手なのか」
「違います」
「だったら、何を怖がっているんだ?」
本当に不思議そうに聞いてくる恭也に、ベリオは怒ったような口調で言う。
「別に何も怖くありません! さ、さあ、さっさと調べましょう」
そう言うと、ベリオはブラックパピヨンの手掛かりを探すために動き出す。
それを見送り、気のせいだったかと納得すると、恭也はベリオとは違う場所を探索する。
一応のために、声の届く範囲で、あまり離れすぎないようにしながら。
それからどれぐらいの時間を探索に費やしただろうか。
結構な時間が経った頃、ベリオから声を掛けられる。
「何か見つかりましたか?」
「いや、全く。そっち……もなかったんだな」
「はい」
とりあえず、二人は一旦合流すると、まだ探していない場所の探索へと再び、別れて取り掛かる。
今度は、先程よりも離れずに作業をしているため、暇つぶしに会話をしながら、探索していく。
「どうやら、この石碑みたいなのは、墓石みたいだな。
つまり、ここは墓地だったんだな」
「ぼ、墓地?」
「ああ。まあ、あくまでも予想だけどな。ただ、そんなには外れていないだろう」
ごくりと喉を鳴る音が静かな地下に、思ったよりも大きく聞こえる。
そこである事に気付いた恭也が、ベリオへと質問を投げる。
「そう言えば、この世界では死体はどうしてるんだ?」
「こ、この世界では私の居た世界とは違って、そのままお墓に埋めます」
「成る程、土葬というやつか。ベリオの世界は違うのか」
「は、はい。私の世界では、船に火をつけて沖に流します」
「水葬か。なら、墓にはその亡くなった方の記念の品などを埋めるだけか」
「はい。きょ、恭也くんの所では?」
「俺たちの所では、火葬した後に土に埋めたり、この世界みたいにそのまま埋めたりと色々だな」
「そ、そうなんですか。と、所で、ここが墓地で、この世界は、ど、土葬という事は…、今もこの下には、そ、その、し、し…」
「ああ、死体があるんだろうな」
「き……、きゃあああああぁぁぁぁぁ!!」
恭也の言葉を聞き、ベリオは悲鳴を上げつつ、その足をどけようとする。
しかし、恐怖からか、震えていたベリオの足は大して力が入らず、そのままバランスを崩して尻餅をついてしまう。
「大丈夫か、ベリオ」
「きょ、きょ、恭也くん、は、早く、お、起こして」
今、自分が尻餅をついて座っている場所の下に死体があるかと思うと、すぐさまそこを退きたいのだろうが、
腰でも抜けたのか、自分では起き上がれずに、恭也へと助けを求める。
ベリオが尻餅をついた時点で、ベリオの元へと向かっていた恭也は、少しだけ早足で近づく。
「お化けいやぁ〜、早く助けて〜」
「何だ、お化けが苦手だったのか」
ようやく納得がいったとばかりに言う恭也へ、ベリオが更に声を掛ける。
「お願い〜、早く〜」
「大丈夫ですか?」
ベリオの言葉に恭也が答えるよりも早く、別の声が気遣わしげにベリオへと問い掛ける。
それに対し、ベリオは殆ど反射的に答えていた。
「もう、あなたのせいでしょう」
「…それは、ごめんなさいですの〜」
「え?」
この時になってようやく、ベリオは今の声の主が何処にも居ない事に気付く。
「大丈夫ですか〜?」
そう言いながら、靄のようなモノがベリオに纏わり付く。
途端、ベリオは声の限りに悲鳴を上げる。
「きゃああああああぁぁぁぁぁ!!」
そのベリオの悲鳴に驚き、靄からも同じように悲鳴の声が上がる。
「きゃああぁぁぁですの〜!」
靄は悲鳴を上げると、そのままベリオから離れて、何処へと飛び去ってしまう。
一方、ベリオの悲鳴を聞いた恭也が、急いでベリオの元へと駆けつけてみると、
そこには地面に大の字になって気絶しているベリオの姿があった。
「どうしたベリオ! 何があったんだ!」
恭也はベリオを抱き起こすと、外傷がない事を確認する。
その時、石像の陰で何かが動いたのを見つける。
「まさか、ブラックパピヨンか!?」
恭也はすぐさまルインを呼び出すと、そちらへと駆け出す。
それに驚いたのか、その何かは通路の奥へと走り出した。
奥は無数の石像が立ち並び、まるで迷路を思わせるような空間だった。
そんな中、恭也は影の後を追う。
恭也の足をもってしても、巧みに石像の間をすり抜けて行く影には追いつくことが出来なかった、
それどころか、徐々にその差が開いて行く。
何とか追いかけていた恭也だったが、ついにはその姿を見失ってしまう。
悔しそうに歯噛みしつつも、これでブラックパピヨンの隠れ家は突き止めたと、とりあえずは地上へと戻る事にする。
残してきたベリオの事もあり、早足で元の場所へと戻った恭也だったが、そこにはベリオの姿がなかった。
「ベリオ? ベリオ!」
叫ぶ恭也の声のみが地下に響き、ベリオからは何の反応も返って来なかった。
恭也は自分の失態に毒づきつつも、人手を増やすべく地上へと一旦、戻るために階段を駆け上る。
(くそっ! どうして、ベリオをあそこに置いて来たんだ)
悔やんでも時間が戻らないと分かっていつつも、恭也はそう思わずに居られなかった。
もっと早く、もっと早くと自分の足に向かって念じつつ、階段を一気に駆け上ると、そのまま校舎へと向かう。
中庭へと差し掛かった時、そこで倒れている者を見つける。
急いでいたが、見捨てる訳にも行かず、そちらへと向かおうとして、その人物がベリオである事に気付く。
「ベリオ!」
すぐさま駆け寄ると、その身体を揺すり、同時に外傷の確認も行う。
どうやら、外傷はなく、ただ気絶しているだけのようだった。
ほっと胸を撫で下ろしつつ、ベリオの名を呼ぶ。
暫らくすると、目を開けたベリオが、茫然とした感じで目の前の恭也を見詰める。
「……あ、恭也くん?」
「ああ。ベリオ、無事で良かった」
「あれ? 私……」
と、喜びと安堵の余り、抱き付いて来た恭也によって、ベリオの思考が一時的に止まる。
「きょ、きょきょきょ、恭也くん!? あ、あの、わ、わわ、私…」
「良かった。本当に無事で」
「…………」
恭也の言葉を聞き、ようやく思い出したのか、ベリオも落ち着く。
そんなベリオへと、恭也が未だにその腕の中にベリオを納めたまま言葉を掛ける。
「ブラックパピヨンに襲われたんだ」
「ブラックパピヨンに? でも、あれは……」
何か言いかけたベリオだったが、恭也はベリオの言葉が耳に入っていないのか、まだ続ける。
「本当に良かったよ、ベリオが無事で。何かあったら、俺の責任だからな」
「そんな事は」
「いや、ある。俺のブラックパピヨン探しに付き合せたんだからな。
本当に、万が一の事がなくて良かった。こんな所で会えるなんて…」
恭也の言葉に、改めて周りを見渡したベリオは、素朴な疑問を恭也へとぶつける。
「どうして、私はここに?」
「分からん。多分、ブラックパピヨンがベリオを攫ったんだとは思うが、何故、ここに置いていったのかまでは」
「あ!」
「どうした、何か分かったのか」
「う、ううん。そ、そうじゃなくて…。
あの、恭也くん、そろそろ離してくれると…」
「あ、ああ、すまない」
ベリオの言葉に、恭也は自分がベリオを抱きしめて居た事に気付き、真っ赤になりながらもすぐさま離れる。
ベリオも赤くなった顔を隠すように、手で顔を仰ぎつつ、恭也の方をチラリと見詰める。
照れている恭也を見て、思わず可愛いと思い、そんな自分の考えに、またしても顔を熱くさせ、手を激しく動かして風を送る。
と、そこへ美由希の声が届く。
「あ、恭ちゃん。こんな所に居たんだね」
「美由希か。どうかしたのか?」
「どうかしたのか、じゃないよ、全く。肝心な時に居ないんだから」
少し怒ったように言う美由希に、恭也は事情の説明を求める。
「今、学園内にブラックパピヨンが出たんだよ」
「何!?」
「それで、学園中に女の子の下着を盗んでばらまいたり、男の子を薬で動けなくして、身包み剥がしたりしてて……。
と、兎に角、大暴れなのよ!」
「何て素早い奴だ。さっきまで、俺から逃げていたというのに…」
恭也の呟きを聞きつつ、美由希も用件を伝える。
「それで、流石に放っておけなくなったからって、学園を上げてブラックパピヨンを探す事にしたらしいの。
だから、学生たちは安全の為に、寮に戻りなさいって」
「全員か?」
「うん」
「しかし、それだと俺の濡れ衣が…」
「多分、大丈夫じゃないかしら」
恭也の言葉に対し、それまで黙っていたベリオが口を挟む。
恭也と美由希の視線が向かう中、ベリオは自分の考えを口にする。
「恭也くんの無実は証明できたと思いますよ」
「どうして?」
「だって、今、美由希さんがブラックパピヨンが女の子の下着を盗んでばらまいているって」
「成る程。ブラックパピヨン自らが、俺にかけられていた容疑を実行しているから…」
ほっと胸を撫で下ろす恭也と、仲良さそうに話すベリオを見遣りつつ、美由希が二人の会話に割って入る。
「それだけじゃないよ。もう、恭ちゃんの容疑は晴れたんだから」
「どういう事だ?」
「さっき、ブラックパピヨン自身が、下着をばらまきながら、今度は一箇所だけでなく、
学園中にばらまいてみせるって言ってたから」
「そうか。これで濡れ衣は晴れたか」
「良かったわね、恭也くん」
「ああ。ベリオもすまなかったな。色々と付き合わせて」
「私の事は気にしなくても良いわよ」
その言葉に、美由希はすぐさま反応する。
「今まで、二人は一緒だったの」
「ああ、ベリオには色々と手伝ってもらってな」
「結局、お役には立ちませんでしたけれど」
「そんな事はないさ」
「む〜。言ってくれれば、私だって手伝ったのに〜」
「何を拗ねているんだ」
「別に拗ねてないもん。それよりも、早く部屋に戻ろうよ!」
美由希は恭也の腕を掴むと、強引に寮へと引っ張って行く。
そんな二人を見遣りながら、ベリオが声を掛ける。
「それじゃあ、私は地下室の件を学園長に報告してきますので…」
「ああ、それだったら、俺も行った方が」
「いえ、大丈夫ですから。ありがとう。それじゃあ…」
「ああ、また明日だな」
ベリオと挨拶を交わすと、恭也は寮へと歩き出す。
振りほどかれた腕をじっと見詰めながら、その背中を追うように歩いていた美由希は、ボソリと小さく呟くのだった。
「恭ちゃんの馬鹿……」
その小さな呟きは、恭也の耳に届く事無く、静かに消えていった。
それから、学園内には外出禁止令が出され、学園側の徹底的な捜査が行われた。
しかし、ブラックパピヨンを見つける事は、結局、出来なった。
つづく
<あとがき>
予定して話とは違ってしまった……。
美姫 「恭也との対決がなかったわね」
そこまで、進まなかった……。
美姫 「この馬鹿は!」
がぁ! ぐ、ぐぐぅぅぅ。こ、今回ばかりは、反論の余地も御座いません。
しかし、しかし、次回、次回こそは、必ずや!
美姫 「本当に?」
…………僕はもう駄目だよ。
美姫 「この馬鹿、馬鹿、馬鹿!」
がぁっ!
チャント、ジカイハタイケツマデモッテイクヨ!
美姫 「分かれば良いのよ」
はい……。
美姫 「それじゃあ、次回、第五章 闇夜に舞うブラックパピヨンで」
今度こそ、本当に。
美姫 「本当に?」
……うん。