『DUEL TRIANGLE』






第五章 闇夜に舞うブラックパピヨン





風呂に入った恭也は部屋へと戻ると、そのままベッドへと直行する。
一日中、学園内を動き回った所為か、程よい疲労感に身を委ね、ゆっくりと瞼を閉じて行く。
と、閉じかけた目を見開き、ベッドから跳ね起きるように降りると、じっと扉の方を見遣る。

「誰だ!」

勘違いではないと確信した恭也は、扉の前に居るであろう人物へと言葉を投げる。
すると、その人物は突然の恭也の誰何の声に驚いたのか、転んだような物音を立てる。

「い、痛いですの〜」

物音に続き聞こえてきた声に、恭也は眉を顰める。

「女の子の声? おい、大丈夫か」

とりあえず、恭也は気遣うような言葉を投げる。
それに対し、表に居るであろう少女は、極普通に返事を返してくる。

「は、はい、大丈夫ですの。優しいんですのね〜」

「いや、そんな事は…、って、その前に、貴女は誰ですか」

「ああ〜! ごめんなさいですの〜。
 夜分遅くに恐れ入りますが、ここは救世主候補の高町恭也さんのお部屋でよろしかったでしょうか? ですの〜」

「あ、ああ、そうだが」

「やっと、やっと見つけたですの〜」

嬉しそうな声を上げる少女へと、恭也は問い掛ける。

「一体、何の用ですか」

「あ、そうでしたの。実は、私、あなたの事が好きになってしまったんですの〜」

「はい?!」

驚き変な声を上げる恭也を気にも掛けず、少女はどこか夢心地のような声で言葉を紡ぐ。

「あなたの〜、その凛々しいお姿を拝見してから、こう胸がきゅーんって締め付けられるように〜」

「……」

「それで、私の事をお嫁さんにしてくれたら良いな〜って思って、こうして来ちゃいました〜」

「よ、嫁?」

「はぁい、ですの〜」

少女の言葉に、恭也は呆けたように動きを止め、今の話の内容をもう一度繰り返す。
そして、手を一つ叩くと、

「そうか、これは夢だな。何だ、思ってた以上に疲れていたらしいな」

「夢じゃないですの〜」

「いや、夢でなければ、こんな出来事があるはずがない。
 俺を好きになる女の子が現実にいるとは思えないからな」

「本当に夢じゃないですの〜。嘘じゃないですの〜。
 だったら、中へと入れてくださいですの〜。そうすれば、本当だって分かるんですの〜」

「……本当に夢じゃないみたいだな」

少女の言葉を聞きながら、恭也は自らの頬を抓っていた。

「そうですの〜。兎に角、中へと入れて欲しいですの〜」

「いや、夢でないと分かったから、今日は部屋に戻るんだ。
 夜中に男性の部屋に無闇に来るもんじゃない」

そう諭す恭也へと、少女は無邪気に言う。

「私、ダーリンにだったら良いですの〜。あ、でもでも、初めてだから、優しくして欲しいですの〜」

「いや、だから、人の話を聞いてくれ」

「もう〜。中に入れてくださいですの〜。……あれ? 鍵が掛かってないですの〜。
 じゃあ、このままお邪魔しますの〜」

中々、扉を開けようとしない恭也に痺れを切らし、少女が扉のノブに手を掛けると、すんなりと扉が開いた。
恭也は、鍵を掛けていなかった事を思い出し、慌てて扉を閉めようとするが、それよりも早く少女が部屋へと入って来る。

「やっと中に入れたですの〜」

目の前に可愛い顔立ちをした女性が立ち、恭也の部屋をキョロキョロと見渡していた。
そんな少女を茫然と見詰めていた恭也の視線に気付き、少女は身体をくねらせる。

「いやん、そんなに見詰められたら、恥ずかしいですの〜」

「あ、ああ、すまいない。って、そうじゃなくて、早く部屋に戻るんだ」

恭也はそう言うと、少女の腕を掴み、部屋の外へと連れ出そうとする。

「あん。ダーリンったら、意外と強引ですの〜」

「違う!」

「でもでも、そんなに引っ張ったら、腕が取れちゃいますの〜」

「馬鹿な事を言ってないで、ほら。
 こんな事で腕が取れるなら、実戦形式の授業じゃ死んでしまうぞ」

「あ、それは大丈夫ですの〜。だって、私は死体なんですもの〜」

「ああ、そうか、そうか。それは大変だな」

「そうでもないですの〜。慣れれば、快適ですの〜。
 それに、これからはダーリンと二人一緒に、あのお墓の下で眠るんですの〜。
 とっても楽しみですの〜」

「はいはい。とりあえず、夜遅くに男性の部屋に来るのはあまり感心できない事だからな。
 次からは、ちゃんと気を付けるんだぞ」

恭也はそう言うと、少しだけ強く少女の腕を引き、外へと連れ出そうとする。
途端、急に握っていた腕が軽くなり、恭也は勢い余って部屋の外へと飛び出る。

「なっ。どうやって、抜け出た……」

少女が自分の腕を振り解いたのかと思って振り返るが、恭也の手はしっかりと少女の腕を握っていた。
しかし、肝心の少女の姿は、まだ部屋の中、扉付近にあった。
恭也は自分の手の中にあるものと、少女の姿を交互に眺める。

「腕が取れた……?」

「いや〜ん。やっぱり、強く引っ張るから、もげちゃったですの〜」

「お、おい、大丈夫なのか。痛みとかは」

「全然、大丈夫ですの〜。私は死体ですから〜」

「本当に死体なのか?」

「だから〜、さっきからそう言ってるんですの〜」

「……俺はここで悲鳴を上げて逃げた方が良いのか?」

「逃げるんですの?」

「いや。とりあえず、混乱はしているが…」

本当に混乱しているのか分からないぐらい、表面上はいつもと変わらない様子で淡々と受け答えする恭也だった。

「さあ、ダーリン、一緒にあの墓へと行きましょう」

「あの墓? ひょっとして、地下の…」

「早く、早くですの〜」

「いや、誰も行くとは言ってないだろう」

「そんな〜」

恭也は目の前の少女を眺めつつ、一人考え始める。

(この子はゾンビみたいなもんか。だとしたら、ベリオに頼んで成仏させてあげる方が良いのかもな)

「よし。ちょっとここで待ってろ」

恭也はそう言うと、少女の返答も待たずに駆け出す。
そんな恭也を見送った後、少女はすぐさまその後を追う。

「ダーリン、待ってくださいですの〜。おいて行かないでくださいですの〜」

恭也が駆け出しながら、こんな夜中に部屋を訪れるのもまずいなと思い直し、速度を落とすが、同時に、
もしかしたら、教会に居るかもしれないと考え、教会へと向かう。
もし、居ないようだったら、明日に頼もうと考えながら、恭也は教会の扉を潜る。
果たして、恭也の考えた通り、ベリオは教会に居た。

「ベリオ、こんな時間に何をしているんだ? 外出禁止だろ?」

「ええ。でも、途中までやりかけだった仕事があったから…」

「そうか。俺に付き合わせた所為で、終わらなかったんだな」

「あ、いえ。それは私が決めたことですから」

「いや、俺の所為なのは確かなんだから、手伝おう」

「そんな、良いですよ。それに、たった今、終ったところですし」

「そうか。もっと早くに知っていれば、手伝ったのに」

「いえ、本当に良いですよ。その気持ちだけで嬉しいですから」

「そうか」

「ええ。それよりも、どうかしたの?」

「ああ、そうだった。会いに来たんだ」

「えっ!?」

恭也の言葉に、ベリオは微かに頬を朱に染めて俯くと、早口に何か呟く。

「そ、そんな、外出禁止令が出てるっていうのに、わざわざ会いにだなんて…」

「それはそうなんだが、どうしても用事があったから」

「そ、そうですか。それで、その用事というのは…」

ベリオがそう尋ねた瞬間、教会内に大きな声が響く。

「ダ〜リ〜ン〜♪」

さっきの少女が、ベリオの背後から抱き付く。
途端、少女の声よりも大きく甲高いベリオの悲鳴が教会内へと響き渡る。

「きゃああああああぁぁぁぁ!」

「てへへ、間違えちゃったですの。それじゃあ、改めて、ダーリン〜」

「待ってろって言っただろう」

「待てなかったんですの〜。置いてけぼりは嫌ですの〜」

少女が恭也にそう言っている間に、ベリオは気を失いそのまま倒れる。
慌てて恭也はベリオを抱きとめる。

「ベリオ! ベリオ、大丈夫か。しっかりしろ」

「あ〜、ダーリン! 私の目の前で他の女の子と抱き合うなんて〜」

「馬鹿、そんな事を言っている場合か」

腕に絡み付いてくる少女をあしらいつつ、恭也がベリオの様子を窺おうとした瞬間、その手に抱いていた感触が軽くなる。

「…で、誰がアンタのダーリンだって? このゾンビ女!」

「……はぁ?」

突然、聞こえてきた声に恭也は辺りを見渡す。

「この男には、アタシが初めから唾をつけてるんだよ!
 それを、後からしゃしゃり出てきて、なに本妻ヅラしてるんだい!」

「ど、何処だ?」

ドスの効いた声に、恭也は辺りを見渡すが、やはり誰も居ない。
声の聞こえてきた場所を辿り、恭也は意外と近くから声がしている事に気付く。
まさかとは思いつつ、恐る恐る視線を下へと落とすと、そこには気絶したはずのベリオが目を開いて見詰め返してきていた。
ベリオは恭也と視線が合うと、普段のベリオからは似つかわしくないニヤリといった感じの笑みを見せると、立ち上がる。

「アタシだよ、ア・タ・シ♪」

「アタシ? ベリオ、だよな」

「ベリオ? まあ、確かにベリオでもあるかな。
 フフフ。アタシとしては、一応、久し振りかね」

「久し振りって……。いや、その言葉遣いに、その声……。
 ま、まさか……」

「そうだよ。アタシの名前は、闇に羽ばたく虹色の蝶、ブラックパピヨンさ!」

ベリオ、もとい、ブラックパピヨンはそう言うと、紺色のローブをフワァと投げ捨てる。
ローブの下から、申し訳程度にその細い体を包み込んだ漆黒の皮の衣装が姿を見せる。
肌の殆どを露出させ、たわわな胸を強調するようにその下で腕を組んだ態勢で、
その見事な肢体を惜しみなく恭也の目の前へと晒しながら、目だけは鋭く少女を睨み付ける。
その姿を見て、恭也は思わず声を上げる。

「ブラックパピヨン!」

「そうだよ。よっと、アタシの名前を呼んでくれたね、恭也」

妖艶さを思わせる笑みを浮かべ、恭也へと向き直るブラックパピヨンへと、少女が口を挟む。

「ちょっと待つですの!」

「はん? 何だいゾンビの嬢ちゃん」

「ダーリンは、私のダーリンですの。だから、関係のない人は、引っ込んでいてくださいですの〜」

「関係ない? はん、何を言ってるんだい。
 こっちは、コイツがこの世界に来た時から目をつけていたんだよ。
 アレコレと世話を焼いて、いざこれからって時に、どこぞのゾンビ女にかっさらわれる訳にはいかないんだよ!」

「世話? ベリオになら兎も角、ブラックパピヨンには、どちらかと言えば、迷惑を掛けられた記憶しか…」

そんな恭也の呟きも聞こえていないのか、ブラックパピヨンはいつの間にか手に鞭を握り、しなやかに動く。

「ふにゃぁぁ〜〜ん。リ、リボンが〜」

少女の言葉に少女の方を見ると、少女の頭上に付けられていた兎の耳のようなリボンが、あさっての方向へと折れ曲がっていた。
そのブラックパピヨンの早業に、恭也は思わず息を飲む。
そんな恭也の見ている前で、ブラックパピヨンは鞭を数度振るい、少女へと叩き付ける。

「痛いの、痛いですの〜。痛いのは、嫌ですの〜」

叩かれた少女は、泣きながら走り去る。
それを茫然と眺めやると、恭也はブラックパピヨンへと改めて向き直る。
そんな恭也には気付かず、ブラックパピヨンは立ち去った少女の背中へと言葉を投げつけていた。

「はん! これに懲りたら、人様のものに手を出すんじゃないよ、この泥棒猫が!
 二度とシャバに顔を出すんじゃないよ!」

「誰がいつ、誰のものになった。と言うか、人のものに手を出しているのは、怪盗のお前だろうが」

そんな恭也の呟きも聞こえていないのか、ブラックパピヨンは恭也へと向き直ると、少し相好を崩す。

「さて、大丈夫だったかい、恭也。それにしても、あんたももの好きだね、あんなゾンビ女相手に」

「誤解しているようだが…、いや、それは良い。それよりも、一つ良いか」

「なにさ?」

「ベリオがブラックパピヨンという事なのか」

「そうよ」

「どうして、こんなこと…」

「……それに付いては、ちょっと場所を変えようか」

「ああ、分かった」

「じゃあ、付いてきな」

恭也はブラックパピヨンの後に付いて、森へとやって来る。

「この辺でいいだろう」

森のかなり奥まった所まで来ると、先を歩いていたブラックパピヨンは足を止めて振り返る。
それに併せて足を止めると、恭也は静かにブラックパピヨンへと問い掛ける。

「何で、騙したんだ?」

「騙す?」

「ああ。ブラックパピヨンを探すのを手伝う振りをしていただろう」

「ああ、アレは別に騙していた訳じゃないのよ。
 だって、この娘、ベリオは知らないんだもの」

「知らない?」

「そう。アタシはこの娘の影にして、この娘の隠された本質の一部」

「まさか……」

「この娘の意識が眠っている時にだけ、アタシは現われる事が出来る、もう一人のアタシ。
 多分、アンタが思っているような事よ」

「…多重人格」

「そうね。だから、アタシがこうして出てきている時は、この娘は眠っているって訳さ。
 そして、そこで何が起こっているのかは知らない」

ブラックパピヨンの言葉に、恭也は言葉を繋げる。

「しかし、お前の方は、全部知っているようだが」

「勿論よ。アタシはこの娘の自我の一部だもの。
 当然、この娘が見聞きした事は知っているに決まっているでしょう」

「だったら、何故、ベリオはお前のことを知らないんだ?」

「それは、この娘がアタシを否定しているから」

黙って聞き入る恭也へと、ブラックパピヨンは静かに続ける。

「アタシはこの娘が否定して、切り捨てた自我の固まりなのさ。
 無視して、出来れば忘れたい存在だから、記憶にも残さない。
 つまりは、そういう訳さ」

「…切り捨てたというのは」

「…それを聞いたら、アタシから離れなくなるわよ。それでもいい?
 さあ、どうする?」

ブラックパピヨンの言葉に、恭也はほんの少しだけ考え込んだ後、すぐに答える。

「聞こう」

「へえ」

「多分、お前が存在するという事は、精神的に何か尋常ではない負荷がかかったんだろうと思う。
 そして、それを聞くという事は、お前の言う通り、離れなくなるのかもしれない。
 それでも、ベリオにはここに来てから、色々と世話になっているからな。
 それに、大事な仲間だ」

恭也の言葉に、ブラックパピヨンは可笑しそうに笑いながら言う。

「仲間? お互いに救世主を目指すライバルじゃないの?」

「確かに、そうだが、それは試験なんかの時だけだ。
 それ以外では、大事な仲間だ。だから、話してくれ」

「……分かったわ」

ブラックパピヨンは、ベリオと同一人物とは思えないような低くドスの効いた声、全く違う喋り方で話し始める。

「アタシは、父親と兄貴と三人で暮らしていたのよ。
 アタシの生まれた町は、かなり大きくて、人や物が行き交う賑やかな所で、住人も沢山いたわ。
 だけど、そんな町だからこそ、貧富の差も歴然としていてね…。
 貧民地区では、子供は皆学校なんかには行かずに働いていて、父親は日雇いの労夫に、
 母親は街灯で娼婦なんてのも珍しくはなかったわ」

ブラックパピヨンの言葉を、しんみりと聞いていた恭也だったが、次の瞬間には肩を落とす事となる。

「まあ、アタシには関係のない話だったけれどね。
 アタシたちが住んでいたのは、高級住宅街だったしね」

「…えっと、だったら、何で泥棒なんて。てっきり、そういった過去のつらい経験からとか思ったんだが」

「それはお生憎様ね。
 だって、アタシは町一番の高級住宅街で大勢の使用人に囲まれて、何一つ不自由なく可愛がられて育ったんだから」

「いや、まあ、それは分かったから良い。それじゃあ、どうして泥棒なんて」

「簡単よ。親が泥棒だったからよ」

「世襲制なのか? いや、町一番の豪邸に住む金持ちだったんだろう。
 だったら、泥棒なんてしなくても…」

「違うわよ。親が町一番…、ううん、国一番有名な大泥棒だったのよ。
 当然、豪邸を建てたお金は盗んだ物よ。おまけに、そのお金も後できっちりと回収したみたいだしね」

「……な、なるほど」

少し呆れたように呟いた恭也へ、ブラックパピヨンは続ける。

「だから、アタシが泥棒なのは、遺伝なのよ」

「遺伝って、そんな…」

「驚くのも分かるけれど、本当よ。
 現に兄貴がそうだもの」

「そう言えば、兄も居たんだったな。その言葉からすると、兄も泥棒なんだな」

「ええ、そうよ。ただし、あいつはもっとタチが悪いけれどね」

「タチが悪い?」

「ええ、そうよ。ウチの家系は、代々人様の何かを奪う事に執着するような性癖があるのよ。
 で、父親は人様の財産を奪う事に、兄貴は人様の命を奪う事に、それぞれ執着していたわ」

「つまり、お前も何か……って、ちょっと待て! 命だと」

「ええ、そうよ。兄貴は、殺人快楽症よ」

ブラックパピヨンの言葉に、恭也は言葉を無くす。
そんな恭也へと、ブラックパピヨンはまだ話し続ける。

「何よりも命を奪う事に無情の喜びを感じるの。
 そして、そんな兄貴と父親が組んでからは、兄貴が殺した相手の財産を父が根こそぎ奪うという方法を取るようになったわ。
 そうして、ウチの資産は膨大に膨れ上がっていったわ」

「警察とか、警備隊のような組織は何もしなかったのか」

「したわよ。犯人に懸賞金も掛けたし、スラムの一斉捜査も何度もしたわ。
 でも、まさか地位も名誉もある町一番の資産家が犯人だなんて、誰も思わなかったのよ」

「…確かにな」

「はは。でも、たった一人だけ、その正体を知っている人物もいたのよ」

「…お前か」

「ええ、その通りよ」

恭也の言葉に、ブラックパピヨンは淡々と、ベリオともブラックパピヨンともらしからない口調で、
ただ本当に淡々と語って行く。
そんなブラックパピヨンの話を、恭也はただ静かに聞いているしか出来なかった。

「父親と兄貴は、母親のいない幼いアタシをとっても愛してくれていたわ。
 アタシが欲しいと言えば、何でもすぐに与えてくれたし、嫌だという事は、絶対に無理強いはしなかった。
 それこそ、蝶よ花よって感じで育てられたアタシは、外の世界で繰り広げられる血なまぐさい事も、
 貧民地区では、どんな生活がされているのかも知らないまま。
 そんなある日、アタシは年に一度のお祭りの日に、それまでは、遠くからその賑わいを眺めているだけだったアタシは、
 どうしてもその祭りに行ってみたいって、二人に泣きついたの。
 それまで、アタシの言う事は何でも聞いてくれていた二人が、珍しく、ううん、初めて、猛反対したのよ。
 それでも、結局は、アタシの我が侭に折れる形で三人で出掛ける事になって……。
 最初は、とても嬉かったわ。それまで、アタシは屋敷の外へと出た事がなかったからね。
 でも、そんな浮かれた気分はすぐにしぼんだわ。最悪な形でね」

皮肉な笑みを浮かべて見せるブラックパピヨンに、恭也はもしかしてという思いを持ってブラックパピヨンを見る。
その恭也の思いを知り、ブラックパピヨンは頷く。

「そう、そのまさかよ。父親と兄貴はアタシを連れて行った祭りの最中でも仕事を始めたわけ」

「なっ…」

「違うわね。祭りの最中だからこそ、だわね。
 人々が大勢繰り出して賑わう祭りの期間なんて、絶好の書き入れ時じゃない」

そんなブラックパピヨンへと恭也が何かを言いかけるが、それを察して、ブラックパピヨンは先に言う。

「警官なんかにばれて捕まるようなタマじゃないわよ、二人共。
 それでも、アタシは大事にしてくれてたわ。多分、家族愛だけは持っていたのね。
 だから、アタシに何かあるといけないからって、必ずどちらか一人がアタシの傍に居たわ。
 そして、もう一人が目の前で仕事をしていたのよ」

「…つまり、目の前で人を殺したり、盗みをしたり……」

「ええ、そういう事よ。これじゃあ、気付けと言っているようなものじゃない。
 逆に、これで気付かなければ、アタシはただの馬鹿よ。
 自分が着ている豪華なドレスや、ぬいぐるみなんかが、どうやって来たのかなんてね。
 で、気が付いたら父親の手を振りほどき、祭りで浮かれる人々の間を夢中で駆けていたわ。
 それから数時間後、教会に続く橋の下で泣いている所を、祭りのお祈りの為に、その町に来ていた司教様に拾われたのよ」

そこまで話すと、ブラックパピヨンはふぅっと息を吐き出し、顔を上げると何処か遠くを見るような目になる。
暫らくそうしていたが、やがて、そっと続きを語り始める。

「それで、そのまま家には帰らず、大寺院のある町の孤児院で僧侶の修行をして暮らすようになったの。
 父親や兄貴に殺され、破滅させられた人たちの為に、『私』は我が身を持って償おうとしたのよ。
 それが、私が私に科した使命」

「ひょっとして、ベリオが救世主を目指すのも…」

「そういう事よ。けれど、私の中にも、やっぱりあの二人の血を引くアタシがいた。
 私が否定しても、私の中にはアタシがいるんだよ。
 そうして、否定しきれない血の性が、時々、私の意識がない時に、アタシとして表に出る。
 それが……」

「ブラックパピヨンという訳か。
 それじゃあ、お前が学園で泥棒をしているのは…」

「アタシは、他人のプライドを奪う事に快感を得る。
 お高く止まったエリートや、男の沽券に拘る奴、生娘の恥じらい…。
 そいつらが取られたら一番困るものを取られた時の顔を見るのが、アタシにはたまらないのよ」

「……俺を嵌めたのは何故だ? 別にエリートでもないし、沽券にも拘ってないが…」

「アンタは、存在そのものかな。史上初の男性救世主。
 その存在そのものを地に落とす事で、アンタのプライドをぐちゃぐちゃに踏みにじってやりたかったのさ」

「俺のプライド?」

「そうさ。アンタがアタシの前で羞恥にあえぐ顔を見てイキたかったの。
 でも、この娘のおかげで失敗したわ」

「ベリオの?」

「そうよ。だって、この娘…な〜んかねぇ」

ベリオの言葉に、恭也はただ黙って続きを待つ。
恐らく何も分かっていないだろう恭也へ、ブラックパピヨンは微かな笑みを零すと、

「アンタの事、随分と気になっているみたいなんだもの」

「つまり、こっちの世界に来たばかりの俺たちを心配しているって事か」

「はぁ〜。いや、この娘の中で見てたから分かっていたけれど、相当よね、アンタ」

「む? それは褒めてないよな」

「さあね。兎も角、この娘の所為で、アタシも何となくアンタを責めきれなかったの。
 アンタの困った顔を見ると、こう、何て言うかな、胸がきゅぅんとしちゃうんだよね。
 な〜んか調子狂うんだよね〜」

ブラックパピヨンはこれで話はお終いとばかりに口を閉ざすと、恭也へとしな垂れかかる。
それに驚く恭也へと、ブラックパピヨンは囁くように告げる。

「でさ〜、アタシも、アンタに興味が出てきたんだよ…」

「はっ?」

「だってさぁ、アタシの中の私が、こんなにも気にしてるんだ。
 ちょっと摘んでみたいと思うじゃない」

「摘む?」

「という訳で、取引といかない?」

「取引だと」

「そう。アンタは、アタシの事を警備にも学園にも知らせずに黙っている。
 その代わり、アタシの体を自由にしても良いわよ〜」

「な、何を言ってるんだ」

「だ・か・ら〜、アタシを抱いてみたくない?」

「そ、それは…」

「それは?」

言いながら、ブラックパピヨンは恭也の首へと腕を回すと、その耳元へと唇を近づける。

「ほら、黙っててくれるなら、好きにして良いんだよ」

恭也はブラックパピヨンの肩を掴むと、その手に力を込める。

「ふふふ。話が早いじゃないか。そういう男は嫌いじゃないよ」

しかし、恭也はブラックパピヨンを抱き寄せず、引き離すと、そのまま真正面からブラックパピヨンを見詰めて言う。

「別に、こんな事をしなくても黙っているさ。ベリオの為にもな」

「そうかい。だったら、契約の印に……」

魅惑的な笑みを浮かべ、顔を近づけてくるブラックパピヨンを手で制する恭也を不思議そうに見返す。
そんなブラックパピヨンに向かって、

「別に、こんな事をする必要はない。その代わり、盗みはこれっきりにするんだ」

「…なんだって?」

恭也のその言葉に、ブラックパピヨンは笑みを消し去ると目付きも鋭く睨み付ける。

「俺からも、ベリオにあまり自分を押さえ込まないように言って聞かせる。
 だから、お前ももう、ものを盗んで人を苦しめるような事はするな」

「はん、何を甘い事を言ってるんだい。
 この世の中、強い者が勝って、弱い者を従えるんだよ」

「そんな事を、ベリオが望むと思うか」

「そんなの関係ないね。アタシはアタシさ」

「ブラックパピヨン! いや、ベリオ!」

「五月蝿いよ、アンタ。弱い者は強い者に、自分の一番大事なものを差し出しす代わりに生かしてもらうのさ。
 それが、世界のルールってもんだろう」

「違う! 強いとか弱いとかだけじゃない。
 お前の言い分なら、負けてプライドを傷付けられる代わりに生かしてもらえるって事なんだろう。
 だけど、例えプライドを傷付けられても、大事な者を守れるのなら、それは負けじゃない。
 ベリオなら、それが分かるはずだ! それが分からないと言うのなら、お前はベリオの中にいる資格はない」

「はん、言ってくれるね。資格が無いなら、どうしようってんだい?」

「お前にとって、一番大事なものを失う悲しみというのを味わせる必要があるな。
 ただ、お前の一番大事なものが何かは分からないがな」

「はん、それこそ簡単な事だよ。アタシを地に叩き伏せてみな!
 もし、アタシが負けたら、一番大事なものを差し出してやるよ。
 そして、私のプライドを奪う方法を教えてやるさ」

「……結局、こうなるのか。
 とりあえず、お前を地に叩き伏せて、皆のプライドを踏みにじった様に、お前のプライドを落とすしかなさそうだな」

「出来るもんなら、やってみな。甘ちゃん救世主!」

「その時に、ベリオがどうして自身の身を捧げてまで、肉親の罪を贖罪しようとしていたのか、それが分かる事を祈ってるよ」

「はん、無駄だと思うけどね。何せ、地に伏しているのは、アンタの方だからね」

恭也がルインを呼び出すと、対するブラックパピヨンも鞭を取り出し、恭也との距離を開ける。
静かに睨み合う二人の間を、一陣の風が舞う。
動き出したのは二人同時。
ただし、攻撃を仕掛けたのは、間合いの広いブラックパピヨンの方が先だった。
ブラックパピヨンの鞭が空を裂いて恭也へと向かう。
恭也はそれをルインで弾くと、そのままブラックパピヨンの元へと走る。
それに対し、ブラックパピヨンは後ろへと飛び退きながら、牽制するように小さな物体を投げる。
数個飛来したそれを、恭也はこれまたルインで弾き飛ばすと、一気にブラックパピヨンの懐へと潜り込む。
恭也が振るうルインを、ブラックパピヨンは引き戻した鞭を束ねて受け止めると、そのまま膝を突き出す。
それを同じく膝で受け止めると、恭也は一旦距離を開けるために後ろへと下がる。
そこへ、ブラックパピヨンの鞭が再び唸りを上げて向かって来るが、ルインでそれを防ぐ。
所が、鞭はそのままルインへと絡みつくように巻きつく。

「どうした、救世主候補の力はこんなもんかい?
 さっさと本気を出さないと、アタシには勝てないよ」

ブラックパピヨンはそう言うや否や、またしても小さなモノを投げ付ける。
それを恭也はもう一刀呼び出したルインで弾くと、鞭に絡まったルインを手放し、ブラックパピヨンへと迫る。

「確かに手加減して勝てる相手ではなさそうだな。
 少し傷つけるかもしれないが、許せ」

「はん、何を言ってるのかね」

ブラックパピヨンはルインから鞭を放すと、そのまま恭也へと振り下ろす。
背後から迫る鞭を、恭也は気配だけで躱す。
微かに肩に掠るが、対したダメージもなく、恭也はそのままブラックパピヨンとの距離を詰めながら、後ろへと腕を振る。
と、恭也の腕から放たれた鋼糸が、地に落ちたルインを絡めとり、恭也の手に収まる。
ニ刀を手にした恭也は、そのままニ刀を縦横無尽に振るう。
虎乱と呼ばれる御神の乱撃技で、ブラックパピヨンを追い詰める。
ブラックパピヨンは、最初のうちこそ防いでいたものの、次第に防ぎきれなくなっていき、遂には鞭を弾き飛ばされる。
武器を無くしたブラックパピヨンは、一旦、恭也との距離を開けようと大きく後ろへと跳び退るが、
恭也はそれ以上に大きく前へと跳び、そのままブラックパピヨンの手首を押さえて、そのまま地面へと組み伏せる。
倒れたブラックパピヨンの両腕をブラックパピヨンの頭上で押さえつけながら、残るもう一方の手で握ったルインを、
その喉元へと突き付ける。

「俺の勝ちだな」

静かに勝利宣言をする恭也へと、ブラックパピヨンは悔しそうに告げる。

「うぅ、こ、殺せ!」

「…殺しはしない。その方が、お前のプライドも傷付くだろうからな」

そう言いながらも、恭也の顔は嬉しそうではなかった。
それに気付いたブラックパピヨンが、不思議そうに言う。

「アンタ、何て顔をしているんだい。もっと喜びなよ。
 アンタの望みどおり、アタシはこうして地に伏せてるんだからね」

「…別に嬉しくなんてない」

「…本当に変わった奴だね。でも、そういう所が、あの娘には…」

「とりあえず、お前の大事なものを奪う」

「好きにしな」

「で、それは何だ。どうすれば、プライドを奪える」

恭也の言葉に、ブラックパピヨンはにやりと笑うと、その耳元に囁く。
途端、恭也は顔を真っ赤にする。

「くっくっく。ほら、どうした? 奪うんじゃなかったのか」

「……いや、それは」

途端にしどろもどろになる恭也を、ブラックパピヨンは面白そうに見詰める。

「ほら、どうしたんだ?」

「……代わりのものを奪う事にする」

「へえ、それは何だい」

「金輪際、盗みをするな。お前の盗みによる快楽を奪う」

「それは聞けないね。でも、アンタ次第で聞いても良いかもね…」

そう言うと、ブラックパピヨンは恭也の唇を奪う様に塞ぐのだった。



恭也の膝に頭を乗せ、ブラックパピヨンはゆっくりと話し始める。

「……まさか、焦らされて、盗みをしないなんて約束をさせられるなんてね…。
 本当に、私のプライドはずたずたじゃないか」

「…すまん」

「ふふ、本当におかしな男だね。謝るんなら、最初からしなければ良いのにさ。
 でも、そんなに嫌じゃなかったし、気持ち良かったから、許してあげるよ」

「それはどうも。……ところで、約束の方は」

「わ、分かってるわよ、もう。全く、人が余韻に浸っているって時に、野暮なんだから。
 それにしても、本当に悔しいわね。バトルで負けた上に焦らされて、あんなに感じさせられて…。
 おまけに、そんな約束までさせられるなんて。
 人は見掛けによらないというか、ベリオが見てきたアンタとさっきのアンタが同じ人物とはね〜」

「うっ、す、すまん」

ブラックパピヨンの言葉に、恭也は顔を赤くしつつ申し訳なさそうな顔を再び浮かべる。

「いや、まあ、アンタが鬼畜じゃなくて良かったよ、うん。
 だから、そんなに落ち込まないで。それに、アタシ自身が言った事なんだし…。
 って、どうして負けたアタシが勝者のアンタを慰めてんだよ。
 全く、本当に変な奴だよ」

ブラックパピヨンの慰めに、恭也は一つ頷くと、

「ベリオには、俺からもあまり自分を抑えないように言っておくから、本当に盗みはもう止めるんだ。
 ベリオのためにも、そして、おまえ自身のためにも…」

「アタシ自身のため…?」

「ああ、そうだ。今回の事で、少しは懲りただろう」

「ああ……」

「だったら、少しは他人の痛みも考えてみろ」

「うん……」

「それに、結局のところはベリオもブラックパピヨンも同じベリオなんだから…」

「……うん」

徐々に声に力が無くなっていくブラックパピヨンを恭也が覗き込むと、うつらうつらと舟をこぎ始めていた。
そんなブラックパピヨンへと、恭也は静かに語り掛ける。

「もう少し、自分を好きになっても良いんじゃないのか」

「…ありがとう、……恭也くん」

「えっ、あ、ベ、ベリオか?」

「うん…」

「あ、これは、その、何だ…」

ブラックパピヨンからではなくベリオから返答があり、驚く恭也へと、ベリオは身体を起こして笑みを見せながら言う。

「分かっているわ。ううん、分かったって言うべきかしらね。
 途中からね、聞こえていたから。あの子と私の心が重なって、それで分かったの…。
 さっきの言葉、私にも当てはまるから」

「ベリオ…」

ベリオは、恭也の呼びかけにもう一度軽く笑みを見せると、自分にも聞かせるように語り出す。

「私も、もう少しあの子の事を考えてあげれば良かったわね。
 私はただ、それまでの幸せが他人の幸せを奪って与えられたものだって思えて、
 それで、それまでの私自身の全てを否定して、神の世界へと逃げ込んだの。
 だけど、それまでの私も、今の私も同じ私なのよね。
 私はそれを否定して、忘れ去ろうとしていた。
 ブラックパピヨンは、そんなアタシの私に対する仕返しだったのかもしれないわ」

恭也はただ静かにベリオの話を聞いていた。
そんな恭也へと、全てを語り終えたのか、ベリオは改めて頭を下げる。

「ありがとう、恭也くん。なんだか、すっきりしました」

「そうか」

「はい」

「それじゃあ、ベリオ、もう遅いし帰ろうか」

「そうね」

恭也は立ち上がると、ごく自然に手を差し出す。
ベリオはその手を取ると、立ち上がり、ローブをその身に付ける。
二人して歩き出そうとした矢先、ベリオが口を開く。

「あ、そうそう。当分の間は、アタシも悪さはしないと思うけれど、また何か起こしそうになったら、恭也くんが止めてね」

「俺がか?」

「ええ、そうよ。だって、この事を知っているのは、今の所は恭也くんだけなんですもの。
 それに、アタシの初めての男になったんでしょう。だったら、それぐらいの責任は取ってあげてください」

「うっ。そ、その記憶もあるのか…。
 ま、まあ、それに関しては吝かではないから、任せておけ」

「ふふ、ありがとう。それじゃあ、先生に見つかって叱られないうちに、早く帰りましょう」

「ああ」

恭也とベリオは、今度こそ連れ立って寮へと戻るのだった。



この後、一週間に渡る学園のブラックパピヨン捜索にも関わらず、その正体はおろか隠れ家も見つかることはなかった。





つづく




<あとがき>

やっとブラックパピヨンと対決が…。
美姫 「そして、その正体が明らかに!」
さて、ブラックパピヨンの件は片が付いたことだし、次回は…。
美姫 「救世主候補に新たな仲間が?」
次回、第六章 『新入りは……』、新入りは……。
美姫 「どうしたのよ、早く言いなさいよね」
実は、タイトルは、まだ未定だったり…。
美姫 「ちっ、使えない男ね」
ぐさっ! シクシク……。
美姫 「え〜い、鬱陶しいわよ。それじゃあ、また次回でね〜」
ではでは。(シクシク〜)





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