『DUEL TRIANGLE』






第五十二章 回顧想





破滅軍の撤退を受けて王国軍たちも引き上げていく。
騎士たちの顔には、破滅を少ない被害で退けたという事実による明るさが見える。
だが、そんな軍の中にあって生気の無い顔をした者たちもいた。
それが主力たる救世主候補たちなのだから、ミュリエルは心中複雑であった。
民や兵たちにそれが伝わらないように上手く隠しながら、ミュリエルたちは王城ではなく学園へと戻ってくる。
重傷の恭也や足を痛めつけられている美由希などは自力で歩く事が出来ないため、
救護班によって保健室へと運び込まれる。
だが、外見の傷以上に恭也や美由希の心中はボロボロとなっており、放心した状態でベッドへと横たわる。
治療を終え、暫くは動かない事を注意すると医師が出て行く。
部屋に残ったのはミュリエルと救世主クラスの者たちだけとなる。

「恭也くん、美由希さん、二人とも今はゆっくりと休みなさい。
 色々と思うところ、考えるところはあるでしょうが、まずは身体を休める事です。
 リリィ、あなたたちもよ」

ミュリエルの言葉に頷くものの、立ち去りづらそうに二人の様子を窺っているリリィたちに、
ミュリエルは小さく嘆息する。

「立ち去るのが嫌だというのなら、無理に出て行かなくても良いわ。
 でも、身体はしっかりと休めるのよ。そこに予備のシーツとかあるから、それを床にでも引きなさい。
 私は学園長室に戻って、報告を纏めるから」

言って立ち去るミュリエルの背中にリリィが遠慮がちに声を掛ける。

「お義母さま、カオリっていうのは…。それに、恭也が言った母さんって」

リリィの言葉に、ミュリエルはそっと溜め息を吐き出してゆっくりと振り返る。
全員の視線が自分へと向かっているのを見て、ミュリエルは告げるべきかどうか悩む。
当事者である恭也の様子を伺ってみれば、やはり傷が深かったのか既に眠りについていた。
眠っていても常に周囲を警戒する恭也が、今は完全に深い眠りについている。
それだけ心身共に疲れているのもあるが、周りの者を信頼しているのもあるのだろう。
それが分かったのか、美由希は小さく嬉しそうに笑みを見せる。
しかし、同時に当事者であろう恭也が寝ている状態で、このまま聞いても良いのかどうか悩む。
そんな一同の心中に気付いたのか、ミュリエルは椅子を引っ張り出してきて腰掛ける。

「恭也くんには後で伝えるつもりだったけれど、貴女たちには先に話しておいた方が良さそうね。
 じゃないと、気になって身体を休めれないようだしね」

言って小さく笑みを見せると、息を吸って一呼吸開ける。
それから静かに語り出す。

「まず、最初に言っておくけれど、私は恭也くんの母親ではないわ」

何か言おうとしたリリィを制し、ミュリエルは続ける。

「よく思い出して。士郎はカオリと言った後に、ミュリエルと言ったでしょう。
 見間違えたのね、カオリと。いいえ、正確にはカオリの面影を重ねたって所かしらね」

「どういう事、お義母さま」

「カオリというのは、私の双子の妹よ。
 召喚士としての能力で言えば、私以上だったわ」

そこまで話すと、ミュリエルは静かに席を立つ。

「それじゃあ、私は学園長室に戻るわ。
 あなた達もゆっくりと休みなさい」

言って立ち去ろうとリリィと擦れ違いざま、小さな声でリリィへと囁く。

「恭也くんと義理とはいえ、兄妹でなくて安心した?」

「っ! お、お義母さま! わ、私は別に…」

顔を赤くしてミュリエルへと振り返るが、ミュリエルは既に半分ほど廊下へと出ており、
僅かに振り返って意味ありげに笑う。
その笑みを受けてリリィは言葉を飲み込むと、誤魔化すように顔を伏せる。
そんな二人の様子を訳も分からずに見ていた美由希たちだったが、
流石に疲れたのか、誰とも無く横になりだす。
数分後、静かな寝息だけが部屋の中にはあった。



学園長室へと戻り、報告書を纏めながらミュリエルは窓の外へと視線を移す。
既に暮れ始めた空を見上げながら、ミュリエルは去っていく士郎の背中を思い返す。

「一体、どうしたというの。何があったの、士郎…」

憂いを帯びた顔を伏せるように、組んだ手に額を乗せて瞳を閉じる。





 § §





屋敷の庭で、よく似た顔立ちの少女二人が一つの丸テーブルに向かい合って座っている。

「カオリ、あなた第二種魔法技術の課程を修了したんだって?」

「そうよ、姉さん」

「うーん、やっぱり召喚士としてはカオリの方が上か。
 姉としての立場が無いわ」

「何を言ってるのよ。攻撃に関しては姉さんの方が上じゃない。
 それに、姉と言っても私たち双子じゃない」

「そうなんだけれどねー」

「あ、そうそう。私も聞いたわよ。
 上級生を打ち倒したんだって?」

カオリの言葉に姉であるミュリエルはどこかバツが悪そうな顔をすると、やや口篭もる。

「あ、あれは私のせいじゃないわよ。
 向こうがちゃんと防御できなかったからで…」

「ふーん」

ニヤニヤと笑いながらミュリエルをじっと見詰める。
その視線に耐えかねたように、ミュリエルはカップを手に持つと顔を隠すように傾ける。

「……何が言いたいのよ」

「別に何でもないですわよ」

「嘘ばっかり。それに、何なのよ、その可笑しな言葉使いは。
 止めなさいって言っているでしょう」

「そんなに可笑しな言葉使いではないのですわよ」

カオリの言葉にミュリエルは肩を竦め、そんな姉を見てカオリは笑みを浮かべる。
二人の様子を見れば、何だかんだと言いつつも、こんなやり取りを楽しんでいる事が分かる。
仲の良い姉妹の一時は今しばらく続くのだった。





 § §





その日、ミュリエルとカオリは屋敷の庭に大きな円を描いていた。
円の中に小さな円を描き、内側の円の外周と外側の円の内円に文字を描いていく。
複雑に絡み合う記号のような文字がびっしりと書かれると、次は内側の円の中に幾何学的な紋様を描いていく。

「カオリ、ここはこれで良いの」

「あ、ちょっと待て。……うん、それで良いわ」

ミュリエルはカオリの指示に従って地面へとなにやら書き込んでいく。

「でも、こんな大掛かりな魔法陣で何をするの。
 いえ、召喚をしようとしているのは分かっているわよ」

「んー、召喚って一口で言っても色々とあるでしょう。
 魔物や隕石の召喚とかね。でも、殆どはこの世界の何処かから呼び出しているのよね。
 でも、上級召喚士になると異世界から召喚をするの」

「まさか、あなた」

「へへっ。この地下で見つけた魔導書によると、この魔法陣で異世界からの召喚ができるはずよ」

「危険よ。何が呼び出されるのか分からないわ」

「だから、その為の魔法陣よ。
 これは、召喚の補助をすると共に、呼び出したものを外に出さないための防御陣も兼ねているのよ」

カオリは心配するミュリエルを余所に、魔法陣を完成させていく。
何か言おうとしたミュリエルだったが、自分もまた興味があったので黙って魔法陣を描く作業に戻る。

「よし、完成♪ じゃあ、姉さんやるわよ」

「ええ」

二人は描き上げたばかりの魔法陣から外へと出ると、静かに呼吸する。

「呪文は私が唱えるから、姉さんは魔力の補助をお願い」

「分かったわ」

召喚に関してはカオリの方が上なので、その提案に文句もなくミュリエルは頷く。
魔力は二人とも天才と称される程のものを持っており、双子故か互いの補助も上手い。
天才と呼ばれる二人の膨大な魔力が魔法陣へと流れ込み、淡い光を周囲に放ち始める。
一際高くカオリの声が響き、瞬間、光の奔流が魔法陣から流れる。
全てが収まり、二人はゆっくりと目を開く。
魔法陣の中を期待に満ちた眼差しで見詰めるカオリ。
ミュリエルもまた、期待を胸に抱き魔法陣の中心を見詰める。
そこには…。

「ててて。……何だ、ここは」

そこに居たのは一人の男だった。
男は状況が分かっていないのか、周囲をきょろきょろと見渡して二人を見つける。

「ちょっとすいません。ここは…」

話し掛けてきた男に思わずびくつきながらも、ミュリエルはカオリを見る。

「カオリ。彼は異世界から来たの」

「わ、分からないわ。でも、人間の召喚なんて…」

「理論的には可能のはずよ」

「そうだけれど…」

こそこそと話す二人を怪訝に思いつつ、このままでは埒があかないと考えて男は立ち上がると、
とりあえず周囲を散策しようと歩き出す。
しかし、数歩といかないうちに見えない壁にぶつかったかのように、それ以上先に行けなくなる。

「お、おいおい。何だ、これは。壁か?」

魔法陣の外には出れないらしく、男は目の前にある見えない壁に手で触れる。
額の所が少し赤くなっているのは、見えない壁にぶつかった所為であろう。
ようやく二人もコソコソ話すのを止めて、男の様子に気付く。

「ごめんなさい。そこには結界があるのよ」

「結界?」

「その前に、私はカオリ・S・シアフィールドよ。こっちが…」

「ミュリエル・A・シアフィールドです」

「ああ、これはどうもご丁寧に。俺…、私は不破士郎です。
 えっと、出来ればこの状況の説明をして頂けると嬉しいんだが…」

困惑気味に尋ねる士郎に、ミュリエルはまあ仕方ない事だと思う。
同時に、困惑しているのは確かだが、この状況下でもあくまでも表面上は冷静に見せるこの男に興味を覚える。
よく見れば、かなり整った顔立ちをしており、年は自分たちよりも上だろうか。
ふと横を見れば、妹も同じように興味深そうに男を見ている。
とりあえず、ミュリエルとカオリの二人は、事ここに至るまでの経緯を簡単に説明する。

「はぁー、異世界ね。まあ、行き成りこんな所に呼び出されれば信じるしかないのか。
 ちょっと周囲を見たりとかは出来ませんか」

「うーん、その魔法陣から出すことは出来ますけれど…」

「けど?」

「私たちに危害を加えたりはしませんよね」

「大丈夫ですよ。そんな美しいお嬢さん方に危害を加えるだなんて」

士郎の言葉に頬を若干染めつつ、二人は相談する。
見たところ、悪い人には見えないし、大丈夫だろうと判断する。
カオリが何やら唱える。

「これで大丈夫ですよ」

「ああ、ありがとう。えっと、外を見てみたいんだけれど」

「うーん、それは良いけれど」

「ここが異世界って言うのなら、いい土産話になるしな」

士郎の何気ない言葉に、カオリは動きを止める。
その頬に汗が一粒流れ出たのをミュリエルは見逃さなかった。
そして、そこからもしかしてという可能性に思いつく。

「カオリ、まさかとは思うけれど帰還の方法は分かっているのよね」

「……えへ」

舌を出して笑うカオリを、士郎とミュリエルが冷ややかに見遣る。

「だ、だって、まさか人が来るなんて思ってなかったんだもの。
 生き物じゃなくて、無機物を召喚する予定だったし…。それに、この魔導書には帰還に付いては…」

「書かれていないのね」

「うん」

二人のやり取りを聞いていた士郎は、存分に嫌な予感を肝心がら恐る恐る尋ねる。

「えっと、もしかして俺って帰れない状況に置かれている、とか?」

「ごめんなさい、士郎さん。どうやら、そうみたい」

「……あ、あはははは」

「だ、大丈夫よ! 多分、これと対になる魔導書が地下にあるはずだから。
 そこに帰し方が乗っているわ! ……多分」

カオリの言葉に、士郎は仕方ないと思う。
と言うよりも、思うしかない。
逆に、地下から魔導書を探すと聞いてミュリエルは冷や汗を流す。

「あそこから、何処にあるのか分からないものを探さないといけないのね」

「ごめんね、姉さん」

「はぁ、まあ貴女の尻拭いはこれが初めてという訳ではないし。
 このままでは士郎さんに迷惑が掛かるから仕方ないわね」

二人の様子から、士郎は自分も探し出す事に協力を申し出る。
それを遠慮して断ろうとする二人に、士郎は自分の事だからと言うのだが、
ミュリエルたちは自分たちのミスだと譲ろうとしない。
それでも、結局は士郎に根負けして手伝ってもらう事になった。
その代わり、こっちの世界に居る間の衣食住の世話を頼む。
これをカオリたちもすんなりと受け入れる。
こうして、可笑しな異世界人を交えた生活が幕を開ける。



両親が仕事で不在と知り、当初は遠慮していた士郎だったが、
二人の姉妹に押し切られて屋敷で生活するようになって、はや一ヶ月が経とうとしていた。
今日も夕方から士郎たち三人は地下に潜っていた。

「ふー。一月掛けて探して、ようやく半分か」

本を数冊纏めて床に降ろして額の汗を拭う士郎に、ミュリエルが申し訳なさそうな顔を見せる。

「えっと、……実はまだ下があるんです」

「…下って地下二階って事か!?」

「ええ」

「おいおい。まさか、更にその下にも階があるなんて言わないよな」

士郎の冗談めいた言葉に、しかしミュリエルは申し訳なさそうな顔を見せる。

「まじか…」

げんなりとした顔を見せる士郎の背中に、カオリが飛び付く。

「まあまあ、それだけ私たちと長く居られるって事じゃない」

楽しそうに告げるカオリを背中から降ろしつつ、士郎は笑う。
既にこの一ヶ月の間に、二人はとはかなり仲良くなっていた。

「まあ、それはそうなんだがな。だが、長く居れば居た分だけ、離れがたくなるしな」

「じゃあ、一層の事こっちの世界で暮らせば?」

「それも良いかもな」

何処までが本気か分からない口調で答えると、士郎はまだ整理していない本棚の本を手に取る。
それを手伝うべくミュリエルが横に並ぶ。

「にしても、地下三階まであるとは、かなり広い家だな」

外見だけでもそれなりの広さを持っているが、それ以上に地下三階という事実に士郎は感心したように言う。
それを聞き、ミュリエルとカオリは揃って不思議そうな首を傾げてみせる。

「おいおい……」

そこに何を感じたのか、思わず後退る士郎にカオリが笑みを見せる。

「誰も三階までとは言ってないわよ。ねえ、姉さま」

「ええ」

「あー、ここって地下は何階まであるんだ」

「十階よ」

「嘘っ!?」

「カオリ、嘘は駄目よ」

「な、何だびっくりした、で、実際は何階なんだ?」

「五階よ」

「五階って。それだけでも充分だよ。一体、どれぐらいの書物があるのやら」

「お父様だけでなく、ご先祖様が集めていた書籍などもあるからね。
 随分昔のでもういらないものや、既にその理論が間違っていると証明された頃のまであるからね」

「捨てようにも、お父様たちも忙しい方ですから中々整理できず。
 いらないものなどは下へと移動させるようにしていたのですが…」

「その所為か、四階よりも下は増築に次ぐ増築で迷路みたいになってるのよ♪」

「いや、そんなに楽しそうに言われてもな」

カオリの言葉に士郎はただただ苦笑するだけだった。
増築していると言う事は、少なくとも四階よりも下はここよりも広いという事になり、
それはつまり、その分物が入っているという事である。

「大丈夫よ。三階までにあるはずだから」

あまりあてにはならない事を言うカオリに対し、ミュリエルはそっと溜め息を吐く。
まあ、慌てても仕方ないと考えて、士郎はそれ以上は何も言わずにおく。
少なくとも、このペースでいけば、最悪一年は掛かるだろうが、
それぐらいで元の世界へと戻る手掛かりが見つかるだろうと考えて。

「そう言えば、腹が減ったな」

「そうですね。今日はここまでにしておきましょうか」

「そうだな。すまないな、二人とも学校から帰ってきたばかりで疲れているだろうに」

「いえ、元はと言えば私たちの所為ですし」

「そうそう。それより、私はまた士郎の世界の料理を食べたいかな。
 明日休みだから、教えてよ〜」

「おう、良いぜ。うーん、じゃあ、明日は何を作るかな。
 あ、ミュリエルはどうする」

「良いのですか」

「ああ、別に構わないぜ。二人に教えるのも一人でも大して変わらないしな」

「それなら、私もお願いします」

休みの日だからといって、一日中地下に篭もるつもりはさらさらないのか、
士郎はカオリのお願いをあっさりと受け入れる。
何だかんだと言いつつも、士郎もすっかりこの二人との生活を楽しんでいるようだった。



更に月日は流れていく。
今日も今日とて地下室で魔導書を探す三人。
だが、その作業の合間も何かと話を交わしながら、楽しそうな声や笑い声が響く。

「んんっ、んー」

流石にずっと屈んでいて腰が痛くなったのか、士郎は一旦立ち上がると背筋を伸ばす。
同じように腰に手を当てて小さく伸びをするミュリエルと、
その横で両手を上に広げて背伸びをするカオリ。
そんな仲の良い姉妹を見ながら、士郎は知らず口元を綻ばせる。
と、その視線がミュリエルの髪に止まる。

「ああ、ミュリエル、ちょっと動くなよ」

言って士郎はミュリエルの正面に立つと、そっと手を伸ばす。
突然の事に驚きつつも、言われたとおりじっと動きを止める。
両手を胸の前で合わせ、赤くなる顔を隠そうとやや俯き加減になる。
そんなミュリエルの髪に手を伸ばし、士郎は何かを掴み取るとそっと離れる。

「ほれ。埃がついてたぞ」

「あ、ありがとう」

ミュリエルの髪に付いた埃を取った士郎は、再び作業に戻る。
ミュリエルも赤くなった顔を誤魔化すように士郎に背を向けて作業に没頭する振りをしつつ、
チラチラと背後の士郎の様子を窺う。
そんな様子も面白くなさそうにカオリは見ていたが、何かを思いついたように行き成り作業に戻ると、
本棚に頭を突っ込む。
頭上から本が数冊落ちてきて、思わず悲鳴を上げたカオリの元に士郎とミュリエルが駆けつける。

「おいおい、何をやってるんだ」

「うぅぅ。とんだ誤算だよ。と言うか、痛い」

「大丈夫、カオリ」

「うん、大丈夫だよ、姉さん」

言って立ち上がるカオリは、確かに何処か怪我をしたという様子もなく士郎たちはほっとする。
と、立ち上がったカオリは自分の状態を見て、笑みを浮かべる。

「士郎、私の髪にも埃が。取って、取って」

「あ、ああ。って言うか、髪どころか、全身埃だらけだぞ。
 風呂に入って来い」

「ええー、取ってよ〜」

「ほら、馬鹿言ってないで、さっさと行け」

「むー、士郎のケチー!」

そう捨て台詞を残すとカオリは地下から出て行く。
その後姿を二人は疲れたように見送るのだった。



士郎がこの世界へとやって来てニ年近く経過していた。
今、士郎たちが何処にいるかと言えば、いつものように地下、ではなく屋敷の廊下にいた。
そこで士郎はさっきからあっちへ行き、こっちへ行きと落ち着きなくうろうろしていた。

「士郎、いい加減に落ち着いてください」

「そうは言うがな…」

忙しなく歩き回る士郎にミュリエルは溜め息を吐きつつ、じっと目の前の扉を見詰める。
その向こうに居るであろうカオリを応援するかのように。
やがて、扉の向こうから元気な赤子の鳴き声が届く。
士郎ははやる気持ちを懸命に堪え、扉が開くのを今か今かと待つ。
やがて、向こう側から扉が開けるなり、士郎は中へと入る。

「カオリ! よく頑張ったな!
 で、何処だ。俺とお前の子供は」

嬉しくて仕方がないという顔で士郎はキョロキョロと辺りを見渡そうとするが、
すぐにカオリに抱かれている一人の赤子を見つける。

「この子よ、士郎」

「そうか。本当にお疲れさま」

「ええ、本当に疲れたわ」

憔悴した顔の中に笑みを見せるカオリへと、士郎は口付ける。
突然の事に驚く間もなく、カオリは目を閉じてもう一度とねだる。
それに応えてもう一度キスする士郎。
そこへ、ミュリエルの咳払いが入る。

「そろそろ良いかしら、二人とも。私も二人の赤ちゃんを見たいのだけれど」

「おう。えっと、抱いても大丈夫か」

「ええ、大丈夫ですよ。ここをしっかりと支えるようにして…、そうです」

医師がカオリの手から士郎の手へと赤ん坊を渡す。
それを受け取りながら、士郎は相好を崩す。

「男か、女か?」

「男の子よ」

「そうか。よし、なら剣を教えてやるぞ。大事なものを守るための力をな。
 だから早く大きくなれ。そして、俺さえも追い越す剣士になれ」

「士郎、気が早すぎるわよ。それに、その子が剣をやるかどうかはその子が決める事よ」

「お、おお、そうだったな。いや、つい嬉しくてな」

嬉しくて仕方がないとはしゃぐ士郎へと、ミュリエルが声を掛ける。

「士郎、私も抱いても」

「ああ」

ミュリエルへと慎重に赤ん坊を渡しながら、今更のように士郎は名前をどうするか思いつく。
それをカオリへと告げると、カオリは小さく笑う。

「実はもう考えているの。士郎の世界の言葉を勉強したでしょう。
 その子の名前は士郎の世界の言葉で付けようと思って」

「そうか。で、何て名前なんだ」

「恭也よ」

「恭也か。うん、いい名だな。お前の名前だぞ、恭也」

その名を士郎はミュリエルの腕で眠る赤ん坊へと伝えようと覗き込みながら言う。
それに応えるように、眠る赤ん坊の顔が笑ったような気がした。

「姉さん、私にも抱かせて」

「そうね」

ミュリエルは再び恭也をカオリへと渡す。

「ふふ。さっきまであんなに泣いてたのに、もうぐっすりと寝てるわ。
 この子、かなりの魔力を秘めているみたいだし、ひょっとしたら剣士よりも魔導師になるかもね」

「どっちでも良いさ。いや、それ以外の道もあるしな。
 どの道を選ぼうとも、俺たちが守ってやるよ。なあ、恭也」

「そうね。だから、元気に育ってね」

その様子をミュリエルはただ静かに邪魔しないように見守っていた。



恭也が生まれてから二月ほど経った頃、それは不意に見つかる。
今まで探していた帰還に関して記されている魔導書が。
たまたま地下へと降りたミュリエルが、自身が探していた書物の横にあったのだ。
だが、既に士郎に帰る意志はなく、その事を告げるとカオリは嬉しそうな顔を見せる。
本来なら、これでお終いとなるはずだったのだが、運命は過酷な未来を用意していた。
魔導書が見つかって数日後、ミュリエルは何となしにその魔導書を開き読み進めていくうちに、
驚くべき事柄が書かれている事に気付く。
慌てて部屋を飛び出し、キッチンへと向かう。
そこではカオリが士郎が来て二年目の今日を祝ってケーキを焼いている。
士郎も恭也と一緒にそこに居るだろうと思い駆け込むが、そこにはカオリしか居なかった。
行き成り顔色を変えて駆け込んできたミュリエルに最初は驚きつつも、カオリはすぐに笑みを浮かべる。

「どうしたの、姉さん。姉さんがそんなに慌てるなんて珍しいわね」

「カオリ、士郎と恭也はどこ!?」

「二人なら庭にいるわよ。どうかしたの」

いつになく緊張したミュリエルの様子からただ事ではないと感じたカオリは、
料理を中断してエプロンを外すとミュリエルの傍に寄る。
ミュリエルは庭へとカオリを連れて行きながら、魔導書のさっきまで見ていたページを開いて見せる。

「そこを読んで頂戴」

ミュリエルに言われたページを読むに連れ、カオリも顔を青くする。

「そんな」

「嘆くのは後よ。今は二人を探しましょう。
 何とかしないと」

「う、うん」

二人は魔導書を放り出し、庭へと急ぐ。
誰もいない廊下に残された魔導書の開かれたページには、

『対となる魔導書による召喚に関する事項』

という文字が書かれていた。
幾つかの注意めいた事項の最後に、召喚したものが生物だった場合の項目があった。
即ち、帰還方法である。
それは二つあり、一つはこの書に記載されている魔法陣と帰還魔法で送り返す場合。
そして、もう一つ。
こちらは呼び出したものが凶悪なものだった場合にも対処できるようになっている。
いや、正確には召喚そのものがこの特性を備えていると言った所か。
召喚したものに近づかなくてもいい方法。そして、絶対に送り返せる方法。
それは、特に何かをする必要がなく、単に……。



庭へと出た二人は士郎の姿を見つけて声を掛けようとする。
しかし、それよりも早く士郎の身体が光に包まれる。
突然の出来事に驚く士郎へとカオリが駆け寄るも、一定の距離へは近づけない。
どうやら、かなり強固な結界が発動しているらしく、ミュリエルが解除を試みるも出来ないでいる。

「おい、カオリ、これは何だ」

「それは帰還魔法よ! さっき分かったの。
 あの召喚魔法は期限付きだったのよ! それも二年。
 何で二年なのかは分からないけれど」

「多分、異世界からの召喚だから大きな魔法陣が必要だったのよ。
 そして、それだけの魔法陣なら当然、魔法もそれなりのものとなるわ。
 だから、期限が二年もあったのね。
 危険なものを召喚した際の対処というのなら、もっと短い期間にするはずだもの」

「ミュリエルっ! どうしてそんなに冷静にっ!」

「ちっとも冷静なんかじゃないわよ! でも、慌てたって仕方ないでしょう。
 今、必死で結界を解こうとしているの!」

ミュリエルの言葉にはっとなり、カオリも結界を破壊しようとする。
しかし、二人掛りでも結界はびくともしない。
士郎は魔法に関しては素人故に何も出来ず、唇を噛み締める。
そうしている間にも、帰還用の魔法が完成しつつある。

「駄目だわっ! カオリ! 何をしているの!
 早く魔法を」

「もう駄目よ、姉さん」

諦めたように魔法を止めたカオリに言葉を投げようとするが、その顔を見て言葉を飲み込む。
今、一番辛いのはカオリと士郎だろう。
ミュリエルはそれを悟り、少しでも魔法の発動を遅らせようと魔力を込める。

「士郎、ごめんなさい。勝手に召喚したのに、帰りは強制だなんてね」

「くっ! 本当に手はないのか!?」

「ええ、かなり強固な結界みたい。
 だから、ごめんね」

「……そうか」

カオリの言葉に士郎は力なく返す。

「恭也もごめんね。傍に居てあげたいのに、離れたくないのに…」

目から涙を流して恭也へと手を伸ばすが、結界に阻まれて触れることも出来ない。
士郎はせめてと、恭也の顔をカオリへと向ける。

「士郎、あなたとも離れたくない」

「それは俺もだ」

「…………せめて、その子には最後に」

言ってカオリは呪文を唱える。
結界を破壊できないが、それは恭也へと届く。

「何をしたんだ」

「士郎の世界では魔法がないんでしょう。
 だったら、その子の魔力がもし、制御できなくて暴走でもしたら大変だもの。
 だから、その子の魔力を封じたわ。私にはもう、これぐらいの事しかしてあげられないから」

士郎の腕で安らかな寝息を立てる恭也をじっと見詰めると、カオリは士郎を見詰める。
そっと手を伸ばし、応えるように士郎も手を伸ばす。
結界越しに手を合わせる。

「あなたと一緒にいれて幸せだったわ」

「ああ、俺も」

「その子の事をお願い」

「ああ」

「愛してます、士郎」

「俺もあ…」

士郎が言い終わる前に、二人の姿がその場から消える。
何もなかったかのように静けさを取り戻した庭に蹲り、カオリは静かに泣く。
ミュリエルはそんなカオリをじっと見詰め、何も出来なかった自分を悔やむ。
やがて、日が傾き始めた頃、ゆっくりとした動作でカオリは立ち上がる。
ふらつきかけたその身体をミュリエルが慌てて支える。

「大丈夫」

「ええ」

泣きはらして張れた目で、しかし、しっかりとミュリエルを見詰める。
この目だ。さっき、自分が言葉を飲み込んだ時もこんな目をしていたと。
諦めた目ではなく、何かを決意した目。
そして、そのミュリエルの考えは正しく、カオリはミュリエルを真っ直ぐ見詰める。

「こっちから召喚できたって事は、私を向こうへと送る事も可能のはず」

「カオリ、まさか」

「ええ。次元を渡るための手段をいつか見つけてみせる。
 かならずあるはずよ。理論的には逆召喚と変わらないはずだもの。
 何年掛かっても、絶対に見つけてみせるわ。そのためにも、あの二つの魔導書を調べないとね」

そう言うカオリの横顔を、ミュリエルは美しいと、そして強くなったと思う。
カオリに肩を貸しながら、ミュリエルはだからこそ、自分もいつも通りにカオリへと言葉を投げる。

「じゃあ、私はその手伝いね。カオリ一人だと、また何をやらかすか」

「酷いな、姉さん」

言って笑う。いつもみたいに笑顔ではなく、力のない笑顔ではあったが。
それでも、笑えないよりはましだと、ミュリエルはカオリと共に屋敷へと戻って行く。





 § §





元の世界へと戻った士郎は、まだ数ヶ月しか経っていないことに驚き、一瞬だけ夢だったのかと思う。
しかし、腕にしっかりと抱いた恭也を見て、その考えを打ち消す。
静かに眠る恭也の顔を見て、

「こんな時にまで呑気に寝てるとはな。よっぽどの大物か、とんでもない怠け者になるんじゃないのか」

悲しみを誤魔化すように呟くと、天を見上げる。
こみ上げてくるものを堪えつつ、恭也が大きくなって母親の事を聞いてきたらどうしようか考える。

「まあ、とりあえずカオリってのはこっちの世界でも通じる名前だしな。
 …本名ぐらいは教えても問題ないか。カオリ……うん、夏織なんてのが良いな。どう思う?
 もし嫌だってんなら、さっさと目の前に現れて否定しやがれ…」

最後の方は掠れつつ呟いた言葉に、しかし、返って来る声はない。





 § §





士郎が去って半年ほどが経った。
二人は既に魔法全般においては右に出るものなしと言われるまでになっており、
特に召喚に関しては群を抜いていた。
そんな二人の、いや、ミュリエルの前にある日、一冊の書が姿を見せる。
書から語られる破滅や、根の国アヴァターの事を教えられ、ミュリエルは一つの決心をする。

(異世界へと渡る法をこの身で経験するチャンス。
 それに、救世主になれば、異世界を渡る力が手に入るかもしれない。
 もし駄目でも、全ての根源たる世界だと言うのなら、きっと異世界を渡る法もあるはず。
 この世界よりも、その確率は高いわ)

カオリのためにミュリエルは決心すると、ゆっくりと書へと言葉を投げる。

「良いわ。私を連れて行って、そのアヴァターへ。
 救世主でも何でもなってあげるわ」

こうしてミュリエルはアヴァター行きを決意する。
しかし、運命の悪戯か、今まさに旅立とうとしたミュリエルの元へとカオリが姿を見せる。
カオリはその光景を見て、ミュリエルが何処かに連れて行かれると思い、咄嗟に魔法を展開する。
それは、ずっと研究していた次元を開く魔法であった。
まだ完成していないが、今まさに次元を超えようとしているミュリエルに対して使えば、
こっちの世界へと呼び戻せるはずのものだった。
しかし、ミュリエルを呼んだ力はカオリの力以上で、尚且つ、カオリの魔法を弾き返す。
結果、ミュリエルはアヴァターへと無事に召喚される。
しかし、ミュリエルは自分が召喚される瞬間の光景を信じられずに首を振る。
ミュリエルが消えるのと同時か半瞬早く、カオリの姿が消えたなどという光景だけは。
その後、アヴァターで出会った仲間たちと共に旅をし、
破滅と戦ううちにミュリエルは破滅を倒さないといけないと強く思うようになる。
同時に、救世主を誕生させてもいけないと。
自分の世界へと戻らされたミュリエルは、その為にもう一度アヴァターへと戻ろうと考えていた。
その頃には、自力での次元跳躍を可能としていたのだ。
その前にその事をカオリに教えようとしたのだが、カオリの姿は何処にもなく、
やはりあの時見た光景が事実である事を知る。
アヴァターへと戻る過程で、カオリを探すミュリエルだったが結局は見つけることが出来なかった。
最悪の場合は消滅している可能性もある。
その考えを否定するように、次から次へと世界を渡る。
しかし、遂にカオリを見つけられないまま、アヴァターへと戻ってきてしまうのだった。





 § §





ミュリエルはいつの間にか寝ていたのか、机に突っ伏していた上体をゆっくり起こすと頭を軽く振る。

「懐かしい夢を見たわね…」

何処か気だるげに楽しくも悲しい夢を思い返す。
しかし、すぐに顔を学園長としてのものに変えると、書き終えた報告書の束を纏めて部屋を出て行く。
何故、士郎が破滅に組しているのか。
その事実を教えると士郎は言った。
ならば、自分はカオリのためにも、カオリの代わりに聞き出さなければならない。
例え、そこにどんな残酷な真実が待っていたとしても。





つづく




<あとがき>

まずはごめんなさい。
美姫 「ちょっと、次回予告したのが全然出てないじゃない!」
あ、あははは。
思ったよりもミュリエルの過去で長くなったな。
えっと、よし、次回予告を消そう。
美姫 「このバカ!」
ぶべらっ!
ぐぐ。
と、所で、何人がミュリエル=夏織だと思ったかな。
美姫 「いや、あれだと殆どの人がそう思うんじゃ」
ふっ。
これで、恭也の魔力が大きい理由も、今まで感知できなかった理由も明らかになったな。
しかし、本当は士郎とカオリやミュリエルの関係が進展する話をもっとやりたかった。
二人の女性、しかも仲の良い姉妹が一人の男性を! というやつを。
美姫 「何でやらなかったの?」
DUELではなく、ただのラブコメになってしまうではないか!
美姫 「別に良いんじゃないの。脈略のない事なんて、しょっちゅうじゃない」
……確かに。って、違う、違う。
美姫 「まあ、時間の問題もあったって所かしら」
そういう事だ! 話数が増えるぞ、そんな事をしたら。
美姫 「まあ、別に構わないんだけれどね私は」
いやいや、俺が疲れるだろう。
美姫 「……はぁー。そんな理由なのね。まあ、そうじゃないかと思っていたけれど」
あ、あはははは。
え、えっと、それじゃあ、また次回で!
美姫 「クスクス。またね♪」
えっと、襟首を離して欲しいかな〜。
美姫 「クスクス。駄目よ。今からお仕置きだから♪」




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