『黒に染まる赤』






破滅との戦いも終盤を迎え、さしもの救世主クラスたちも緊張を隠せずに、
まるで何かに憑りつかれたかのように鍛錬を続ける日々が続く。
そんな中、鍛錬をする事もなく、まるで何か腑抜けたかのように日々を呆然と過ごす者がいた。
実際には呆然という訳でもなく、彼は彼なりに苦悩をしていたのだが。
いや、今までにないぐらいに苦悩し、己を責め、やり場のない怒りや虚脱感に苛まれていた。
彼、当真大河はひたすら部屋に篭もり、ただ時間を過ごしていた。
その脳裏に浮かぶのは、数日前の破滅の侵攻に際して、その絶大なる力を振るった妹、未亜のこと。
一旦、退却したものの、破滅と戦うということは、再び未亜と会うということである。
勿論、未亜に会いたくないという訳ではない。
会いたいに決まっている。何よりも大事な妹、いや、女性なのだから。
だが、破滅側にいる未亜に会って、自分はどうするのだろうか。
刃を向けるのか。それとも、戻ってくるように説得するのか。
恐らく、未亜はもう戻ってくるつもりはないのだろうと、何故か大河にはそれが分かった。
そして、大河は恭也の言葉を思い返す。
あそこまで未亜を追い詰めたのは自分だ。
なら、自分はどうすれば良いのか。未亜を説得したいという思いは勿論ある。
だが、それと同じぐらい、未亜になら殺されても良いと考えている自分がいるのだ。
未亜を殺すぐらいならと。
だが、それを躊躇わせるのはリコから聞いた救世主の末路。
あれこれと考えながら、最終的に大河は未亜をどうすれば良いのか答えを出せず、
ただ、こうなった事の原因である自分を責めるのであった。



大河と同じく、鍛錬をする事もなく部屋に篭もっているのはもう一人いた。
それが彼女、赤の書でもあるリコ・リスであった。
リコは大河が思い悩んでいるのを知っている。
その理由も。
だが、それに関しては自分ではどうする事もできないということも、嫌だというほどに分かっているのだ。
自分は無力だと嘆きつつも、リコは苦笑めいた笑みを浮かべる。
リコにはあまり似つかわしくない笑みは、自分を自嘲するもの。
マスターである大河の心配をしている振りをしながら、自分の悩みの大半、いや、殆どを占めているのは、
大河ではなく、別の青年なのだから。
物静かで優しく、自分を一人の少女として見てくれた人。
勿論、大河もそうなのだが、やはりリコにとっては彼の方が大きい。
破滅に組する恭也という青年。
何度となく立ち塞がる恭也の姿に、リコは他の救世主クラスの者たちよりも大きな衝撃を受けていた。
千年前と同じ立ち位置。
けれども、どちらも望んでなどいなかった。
リコの願いはささやかなもの。ただ、恭也の傍に居たいという、ただそれだけ。
けれども、それは叶う事のない願い。
こんなに苦しむのなら、心なんかいらないと何度思った事か。
何度、恭也との思い出を忘れたいと思ったか。
だが、それと同じぐらい、いや、それ以上に、恭也と過ごした時間を捨てる事など出来ない。
この気持ちを何と呼ぶのかは、千年前の時より分かっている。
そして、その気持ちが今も尚、薄れていないという事も。
それは新たなマスターを得た今も同じ。
だからこそ、リコは悩む。
最後の決戦において、彼は必ず出てくる。
当たり前だ。最強の駒を使わない訳がないのだから。
戦いたくない。その気持ちが、恭也を前にしたら止めれるかどうか。
リコは一人、明りも点けない薄暗い部屋の中で思い悩む。





 § §





いよいよ破滅軍の侵攻が始まるかという緊張感が高まる中、遂に王国はこちらから討って出る事を決める。
亡きクレアの弔い合戦と士気の上がる王国軍に対し、大河とリコは顔にこそ出さないまでも、
複雑な気持ちを胸に抱く。
そんな翌日に出撃を控えた大河とリコの部屋を、それぞれ訪問する者たちがいた。



ノックされる音に、うたた寝してしまっていた大河は気だるそうに身体を起こす。
しかし、出るのも面倒なのか、すぐにベッドに倒れ込むとそのまま目を閉じる。
放っておけば、寝ていると思って帰るだろうと。
訪ねて来たのはリリィたちかもしれない。だが、大河は誰とも会う気になれず、ノックを無視する。
だが、そんな大河を急かすように、もう一度扉がノックされる。
どうやら、向こうも諦めるつもりはないのか、出ない大河を根気良く待つように、
定期的にノックを繰り返す。
仕方なく、大河はベッドを降りて部屋の扉を開け、そこで動きを止めてしまう。
呼吸すらも忘れたのではないかと思うぐらい、身体はピクリとも動かず、
何か話そうとするも、喉はカラカラに渇いて言葉が出てこない。

「……お兄ちゃん」

そんな大河を前にして、目の前に現れた少女は小さくそう呟くと、その胸へと飛び込む。

「お兄ちゃんっ! お兄ちゃんっ! 会いたかった、会いたかったよ…」

「未亜……」

飛び込んできた未亜を受け止め、両手を所在無く空にさ迷わせていた大河は、
自分の胸の中で涙を流す未亜に、そっと腕をその背中に回す。

「未亜っ!」

力強く抱きしめてくる大河に未亜は笑みを零しつつ、その胸の温もりを噛み締める。



一人悩みつづけるリコの部屋をノックする音が聞こえる。
こんな時間に誰が自分などを訪ねて来たのだろう。
その疑問を抱きつつ、リコは扉を開け、目を見開いて固まる。

「久しぶりだな、リコ。こうして二人だけで話すとなると、どれぐらいぶりか」

「きょうや……さん?」

目の前のものが信じられないと言うように呟くリコに、恭也は苦笑を見せながらリコの後ろ、部屋の中を指差す。

「こんな時間に女性の部屋を訪れて言う台詞ではないんだが、良ければ中に入れてもらえるか。
 流石にこんな所を目撃されるとな。女子寮に男が居るのもまずいだろうし」

変わらない恭也の言葉に自然と笑みが零れ、リコは本来なら敵である恭也を警戒する事もなく部屋に通す。
その気ならば、物音一つ立てず動く恭也がこうして正面から来たという事は、
少なくとも、すぐにどうこうするつもりはないと分かったからだ。
という建前を頭の中で展開しながら、リコは恭也を招き入れる。

「それで、今日はどういったご用件で。
 もしかして、こちらにつく気に…」

「残念だが、それはない。ロベリアとイムニティがそうすると言うのなら話は別だがな」

「また、あの二人ですか」

思わず口をついて出た、嫉妬めいた言葉にリコは慌てたように口を噤む。
そんなリコの頭を無意識だろうか、軽く撫でると、照れるリコを前に真剣な顔付きに変わる。

「真実を話しに来た。お前の知らないであろう、救世主に関する秘密と俺たちの目的をな」

恭也の言葉にリコも顔付きを変え、静かに見詰め返す。

「それはどういう…」

「それを今から説明する。少し長くなるから、座ったらどうだ」

恭也の言葉に頷くと、リコはベッドに腰掛ける。
その前に移動して立ったままの恭也の手を引き、自分の隣に座らせると、

「それでは、話してください」

「ああ。まず、救世主に関してだが…」



恭也とリコが話をしている時、大河と未亜もまた部屋の中へと場所を移していた。
ベッドに腰掛け、未亜は大河に甘えるようにその胸にしなだれかかる。

「ねえ、お兄ちゃん。こうしていると、あの時の事を思い出すよね」

「あの時?」

「そう。お兄ちゃんが未亜を一人の女として見てくれて、ここで…」

「あ、あのな。あれは…」

「あれは、なに?」

慌てて言い繕おうとした大河を見上げ、やけに色っぽい目付きで見上げる。

「うっ…。な、何でもない」

「そう。でもね、私知っているんだよ。お兄ちゃんが私以外の人と…。
 だって、お兄ちゃんからあの女の匂いがするんだもの」

「未亜、それは…」

「ううん、別にお兄ちゃんを責めているんじゃないよ。
 でもね、やっぱり許せないよ。始めはお兄ちゃんの事をバカにしてたのに。
 …なのに、未亜のお兄ちゃんを奪おうとするなんて!」

大声を出す未亜を抱きしめ、大河は落ち着かせるように抱きしめて何度も話し掛ける。

「落ち着け、未亜。あいつとは何でもないから」

何でもなくはないのだが、大河はただ未亜を落ち着かせようと言葉を紡ぐ。

「嘘だよ、そんなの! だったら、どうしてお兄ちゃんは私の元じゃなくて、あの女の元にいるの!」

「それは、当たり前だろう。俺たちは救世主なんだから」

「お兄ちゃんと一緒にいられないのなら、私は救世主なんかならなくて良いのに…」

「そんな訳にいかないだろう。このままだと破滅が…」

「そうか、お兄ちゃんは何も知らないんだものね。良いよ、全部教えてあげる。
 そう、全部」

こうして大河も真実を知る事となる。



「嘘だろう」

「嘘じゃないと思うよ。恭也さんたちは、その為に色々と準備をして来たって言ってた」

「仮に本当だとして、あいつはそんなものに勝つつもりなのか」

「ロベリアさんとイムニティのためなら、って言ってたよ。
 お兄ちゃんは?」

「は?」

「だから、お兄ちゃんは未亜の為にそこまではしてくれないの?
 そりゃあ、無茶かもしれない。そのためだけに、世界中の色んな人たちを敵にも回している。
 でもね、そこまで自分の為に愛した人がやってくれるって言うのは、同時に嬉しい事なんだよ」

「俺だって、お前のためになら…」

「それは、妹だから?」

じっと見詰めてくる未亜。
大河も未亜の尋ねている意味が分からないはずがない。
そして、曖昧な返事はあの時と、あの未亜を崖下へと見捨てた時と同じになるという事も。
大河は目を閉じて考える。
浮かぶのは、こちらの世界に来てから知り合った者たちの顔。
次いで目を開け、不安げに揺れる瞳で見詰めてくる未亜を見詰める。
どちらか一方しか選べない。ならば、俺は……。
大河は静かに未亜の肩に手を置くと、その身体を自分から引き離す。
それが大河の答えかと塞ぎ込む未亜を、そのままベッドへと押し倒す。

「お兄ちゃん…?」

「今更、何を悩んでいるんだ、俺は。
 お前が居なくなってから、どんな気持ちだったか。まるで、身体の半身をなくしたようで。
 だから、それを埋めるように、あいつの身体を求めて、でも、心は満たされなくて…。
 もう会えないって、そう思っていたお前が俺の前にこうして居るんだよな」

「それって…」

その意味を尋ねようとした未亜の唇を大河は塞ぐ。
大河の身体の下で、未亜はその身を委ねながら無上の喜びを噛み締めていた。





 § §





恭也の言葉を聞き終えたリコは、半分呆然とした面持ちで恭也を見詰める。

「……それは本当なんですか」

「ああ。ああ、信じるか信じないかは任せる。俺が信じられないと言うのなら、仕方ない」

「そ、その言い方はずるいです」

真顔で言われ、リコは少しどもりつつ返す。
だが、これで納得できる部分もあるのだ。
いや、それは言い訳だろうとリコは自信の気持ちを分析する。
ようは、これで恭也の元へと行く口実が出来たのだと本心は思っているのだ。
だが、そう簡単にはいかない。
そんなリコの葛藤を見抜いたのか、恭也が口を開く。

「大河の事なら、多分大丈夫だと思うがな」

「どういう…」

「未亜が直に会っているはずだ」

恭也の言葉に声を無くして驚きつつも、リコは小さく嘆息する。

「そうですか。それで、恭也はこの後どうするのですか」

「勿論、未亜を回収して帰る」

「それだけなのですか」

「そうだな、大河の説得に成功していれば、奴も連れて行くことになるな」

わざとなのか、それとも本当に分かっていないのか、
リコは少し膨れた顔付きで恭也の服の裾をクイクイと引っ張る。

「何だ?」

「その……、わ、私は…」

「それはリコが決める事だろう。着いて来るのなら止めはしない」

「……まだ迷ってます」

「そうか…。だが、もう時間はないぞ」

言って立ち上がった恭也の服の裾を掴んだまま、リコは少し涙目で見上げる。

「強引に連れて行ってください」

「いや、あくまでもリコの意思で決めて欲しいのだが…」

「……本当に分からないのですか」

「…………」

「…………」

「…………?」

「…………」

本気で分からないと首を傾げる恭也へ、リコは無言でじっと訴えつづける。
と、ようやく理解したのか、恭也は苦笑を浮かべるとリコを抱き上げる。

「なっ! きょ、恭也さん!?」

すぐ近くに恭也の顔を見ながら、真っ赤になって慌てるリコへ恭也は笑みを見せる。
それに更に真っ赤になるリコに構わず、恭也は口を開く。

「強引に攫うんだから、リコが自分で歩くのは可笑しいだろう。
 だから、嫌だろうが少しの間我慢してくれ」

「……嫌ではないです」

小さく呟くとリコは恭也の腕の中で大人しくなる。
こうして、未亜と大河をも加えた恭也は、その日のうちに誰にも知られる事なくその場から姿を消す。
ガルガンチュアへと帰って恭也を待っていたのは、ロベリア、イムニティ、なのはからの冷たい視線だった。

「何故だ」

「そりゃあ、リコさんを抱いているからじゃ……」

「くそっ、恭也だけなんて美味しい……いてててっ」

「もう、お兄ちゃん! お兄ちゃんには未亜が居るでしょう」

「お兄ちゃん……。はぁ〜、リコさんまで加わるなんて」

「リコ! さっさと私の恭也から離れろ!」

「ロベリア、貴女の恭也じゃないわよ」

「嫌です。私は恭也さんに強引に攫われて来たんですから、もう少しこのままです。
 捕虜に自由はありませんから」

これから命をかけた最終決戦に臨むというのに、何故かほのぼのと、
いや、一部は殺伐をした空気がガルガンチュアの一室に漂うのだった。





おわり




<あとがき>

という事で、またしてもアハトさんの堕ち鴉から。
美姫 「テーマは、リコに愛の手をよね」
ああ。
美姫 「その割には、出番が少ないような…」
あ、あははは、では、また!
美姫 「って、はやっ!」







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