『海鳴極上生徒会』
第13話 「プレイボール」
野球の試合当日。
宮神学園のグランドにて生徒会のメンバーが絢爛野球部を持っていた。
約束の時間丁度に現れた野球部と試合前に挨拶を交わそうと奈々穂が進み出るも、その前に一つの影が立ち塞がる。
野球部員の合間を縫うようにして現れたその人物は、右手の甲を口元に当てると軽く胸を反らし、
「お〜〜ほっほほほ〜。よく逃げ出さなかったですわね。
まずは誉めて差し上げますわ」
高らかな笑い声を響かせる。
「何であの縦ロール姉ちゃんは上から目線なんだ?」
プッチャンの言葉にりのが首を傾げる中、奈々穂は目の前の人物――絢爛学園生徒会長、竜王院令華へと食って掛かる。
「行き成り何なんだ、おまえは」
「おまえ、だなんて野蛮ね。私はただ、今日の試合を見学しに来ただけですのに。
神宮寺奏が、我が前に膝まつく瞬間を見るためにね。お〜ほっほほほほ」
「まだ試合もしていないのに、随分と自信たっぷりだな。
しかも、あの縦ロール姉ちゃんは試合にでないのに」
「いつもの事だからね〜。気にしたら負け、ローズ、お終い、ってなもんだよ」
「それよりも早く試合始まらないかな」
呆れたような顔を付き合わせるれいんとプッチャンの間で、りのは楽しそうにそんな事を言う。
本当に楽しみだという表情を見せるりのに対し、香は真剣な表情で暢気な事を言うりのを叱る。
「あのねぇ、私たちが負けたら奏会長が悪く言われるんだからね。もっとやる気を見せなさい!」
「酷いですよ、香さん。こんなにもやる気を出しているじゃないですか」
言ってムンムンと力瘤を作る真似をしてみせる。
言うだけ無駄だと悟ったのか、香は頭を抑えつつ軽く首を振り、自らに活を入れる。
好き勝手にそんな事が繰り広げられている間に、久遠と野球部の部長との間で先攻後攻が決めれる。
神宮寺学園が後攻となり、絢爛の生徒が軽く身体を動かしながら練習に入る。
それを見遣りながら、久遠は未だに睨み合っている奈々穂へと声を掛けようとして止め、恭也へと話し掛ける。
「恭也さん、申し訳ないですが奈々穂さんを呼び戻してください。
私よりも恭也さんの言う事の方が素直に従うでしょうから」
令華に関わり合いたくないというのもあるが、令華が居る以上は恭也に話をさせる方が早いという判断である。
その辺りの事について分かっていない恭也は頷くと、未だに言い合いする二人に近づく。
と、奈々穂の背後から近づいてくる恭也に真っ先に令華が気付き、奈々穂を押し退けるようにして恭也の前に出る。
「ごきげんよう、恭也様。本日はお日柄も良く、我が学園の野球部との練習試合を設けて頂いた事を感謝致します。
本日は胸をお借りさせて頂きます」
打って変わって丁寧な物腰で挨拶をする令華に奈々穂が呆れたように肩を竦めるも、恭也もまた丁寧に頭を下げる。
「こちらこそ、宜しくお願いします。
そろそろ試合の方が始まりますので、楽しくお話をしている所申し訳ないのですが、奈々穂を――」
「ええ、みなまで言わないでください、恭也様。
私とした事が気付きませんで、本当に申し訳ございません。
こちらのお話も一区切りつきましたので、どうぞお戻りください奈々穂さん。
私も自軍へと戻りますから。それでは、また後ほど。ごきげんよう」
優雅に再びお辞儀をすると、令華は自軍のベンチに引き上げる。
その背中に向かって舌を出す奈々穂に苦笑しつつ、恭也は奈々穂にも戻るように促す。
ベンチに戻った奈々穂は改めて絢爛野球部の練習の様子を見る。
流石に野球部だけあってその動きはとても上手いと言える。
改めて不安要素の事が頭に浮かぶも振り払い、練習を終えた絢爛野球部が引き上げるのに合わせて立ち上がる。
いよいよ試合が始まるとあり、流石にわずかな緊張を抱きつつ挨拶のために整列をする。
互いに一列に並び、礼を交し合うと奈々穂たちは守備位置へと着いていく。
全員が位置につき、軽くキャッチボールで身体を解し終えると、先頭打者がバッターボックスに立ちバットを構える。
審判が手を上げ、プレイボールを高らかに告げると奈々穂は振り被り、第一球を投げる。
真っ直ぐに速いストレートが美由希の構えるキャッチャーミットへと吸い込まれて音を上げる。
「ストライクっ!」
予想以上に速い奈々穂の球に驚く先頭打者に対し、奈々穂は続けざまにストレートを投げ続けて三振を取る。
二番打者はバットを短く構えて当てにくるが、それでも振り遅れてしまいボールはショートへと転がる。
振り遅れた事が幸いしたのか、転がった打球は勢いもなく内安打かと思わせる。
懸命に走る二番打者だったが、ショートの香が良いスタートダッシュを切っており、
ボールを捕まえるとすぐさま一塁へと送球。
「アウト!」
走者がベースを踏むよりも早く、ボールがファーストのミットへと収まり審判の声が上がる。
「ナイスプレイだ、香」
「はい! 奏会長のためにも絶対に負けれませんから!」
奈々穂の声に気合が充分乗った声で返し、再び守備位置につく。
三人目も一人目と同じように三振にすると、スリーアウトでチェンジとなる。
今度はこちらの攻撃となり、香がバッターボックスに入る。
バットの手で持つ部分、グリップの真中ほどを持って構える。
相手ピッチャーが投げた初球のストレートを捉え、レフト前に飛ばす。
先頭打者が一塁に出た事にりのが大喜びする中、不適な笑みを見せて、
次のバッターであるれいんがバッターボックスに立つ。
「なあ、副会長さん、あれは何をしてるんだ?」
プッチャンは指差す先を見て、奈々穂は言うなとばかりに頭を抱える。
その指の先、バッターボックスに立ったれいんはバットをゆっくりと持ち上げて外野、
いや、その後ろのスタンドをバットの先で指して不適な笑みを深める。
「ここは送りバントとかじゃないのか、普通は。
何故、お子さま先輩は予告ホームランなんてしてるんだ?」
「私に分かる訳ないだろう」
疲れきった顔を見せる奈々穂へと、れいんの幼馴染である小百合が説明するように口を開く。
「れいんはギャンブラーだから」
「おいおい、それをここで発揮するか普通。
……いや、するからこそギャンブラーなのか?」
一人首を傾げるプッチャンであったが、奈々穂は既に諦めたのか好きにさせておけと深く吐息を漏らす。
その間に振り被った相手ピッチャーが投げた初球は見送ってボール。
続く二球目を渾身の力を込めて大振りするも見事に空振りする。
三球目はこれまた見送ってボールにし、続く四球目も空振りになる。
2−2の状態になってもれいんは笑みを浮かべたままバットを構え、
五球目をピッチャーが投げるなり香が走り出す。
それを見てれいんは更に笑みを深めると、バットを横に寝かせてボールに当てると勢いを殺すように前に転がす。
サード方向に転がったボールを、スタートが遅れたサードではなくピッチャーが処理して一塁に送る。
「セーフ!」
一塁を駆け抜けるれいんの方が速く、判定はセーフとなる。
ファーストのベースを踏みながら、れいんは奈々穂たちに向かってブイサインを見せる。
「予告ホームランと大振りで守備陣を下がらせてからのバントか」
「ツーストライクからランナーを走らせてって言うのは、確かにギャンブラーだな」
恭也とプッチャンが感心したように感想を述べる中、奈々穂は心臓に悪いと言いながらも次の打席の準備を始める。
三番として忍がバッターボックスに立ち、奈々穂がネクストサークルへと向かう。
野球部ではないからと少し油断していた野球部たちも、ここに来て顔付きが変わる。
三番である忍への初球にカーブを投げる。
が、忍はそれに軽くタイミングを合わせて打ち、センターの頭上を打球が超える。
返球が良く香しか戻れなかったが、打った忍は二塁に。
ノーアウト、二三塁というチャンスで四番の奈々穂が打席に立つ。
「おお、チャンスじゃないか。これで一発出れば、三点追加で一気に四点だぜ殿」
「ふむ、そう上手くいくと言いがな」
恭也が言い終わると殆ど同じタイミングで相手チームのキャッチャーが立ち上がる。
敬遠される奈々穂を見ながら、久遠はやっぱりという顔をする。
「やはり奈々穂さんは警戒されてますね。ピッチャーとして力を見せた事もあるのでしょうが……」
呟き久遠は相手ベンチで指示を出したであろう令華を見遣ると、
敬遠も立派な策だから仕方ないと恭也と共に肩を竦める。
悔しそうに歯軋りをするプッチャンであったが、すぐに気を取り直すと明るい声を出す。
「よく考えてみれば、ノーアウトで満塁じゃないか。
しかも、次のバッターはみゆみゆだろう。運動神経なら問題ないし、大丈夫だって!」
「まあ、運動神経は悪くないだろうが……」
「祈るしかないですわね」
言い淀む恭也と沈痛な面持ちを見せる久遠に首を傾げつつ、試合へと視線を戻す。
1−1からの三球目、内角への鋭いストレートを美由希は綺麗にセンターへと打ち返す。
れいんが楽々にホームへと帰還し、忍が三塁を蹴ってホーム目掛けて走り、センターからセカンドへとボールが返る。
奈々穂はセカンドにストップをし、セカンドの選手はバックホームしようとして忍の予想以上の足の速さに諦める。
が、すぐに何かに気付いてファーストへと投げる。
「アウト!」
「う、うぅぅ、痛い……」
見れば、ホームのすぐ傍でありえないだろうと突っ込みたくなるような具合で、
自ら放り投げたバットと足を絡ませて転げている美由希の姿が。
「はぁぁ、センター前ヒット、しかもランナーを二人も返す当たりなのに……」
「打った本人がアウトなんて普通はあり得ませんわ。
流石は美由希さんと申し上げた方が良いかもしれませんわ」
「あー、そう言えばみゆみゆはドジっ娘属性だったな。
すっかり忘れてたぜ。でも、まあ追加点も入った事だし良しとしようじゃないか」
相手チームのキャッチャーに手伝ってもらって、
何とかバットと足を離して立ち上がった美由希は照れくさそうに礼を述べて戻ってくる。
それを無言で迎える恭也に美由希は小さく縮こまるが、奏が美由希に労いの言葉を掛ける。
「お疲れさま、美由希さん。これでうちは三点ね」
「うぅぅ、奏会長だけです。私を慰めてくれるのは。
恭ちゃんなんて、恭ちゃんなんて、私を苛めて……」
「失礼な、俺は何も言ってないではないか。
確かに、今回はとても信じられないぐらい馬鹿な事をしたみたいだが、それでも一応はチームに貢献したんだ。
一言も責めた覚えはないぞ。自分で放り捨てたバットに足を取られ、ただ転ぶだけでなく、器用に足を絡めた上、
バットを取ろうともがいた挙句、まさか自分で解けなくなるなんて素晴らしい技まで見せてくれたんだ。
そんな可愛い妹に向かって、思った事をそのまま口にするような残酷な事は、流石の俺も言えん」
「言えんって、つまり酷い事を思ったのは否定しないんだね。
しかも、何気に馬鹿にされているような気がするし……」
いじける美由希を完全に放置する恭也に、奏が苦笑しながら注意する。
「ほら、恭也もそんな事ばっかり言ってないで、少しは誉めてあげたら」
「ちゃんと誉めたじゃないか。素晴らしいこけっぷりだったぞ、美由希」
「良かったわね、美由希さん。恭也が誉めてくれたわよ」
「う、うぅぅ」
本当に悪意のない奏の言葉に更に深く落ち込む美由希に、奏は本気で首を傾げるのであった。
「おい、みゆみゆ。落ち込むのはそれぐらいにして、さっさと守備に着こうぜ」
プッチャンの言葉に美由希がグランドに視線を戻せば、相手チームがベンチに引き上げている所であった。
「あれ、どうなったの?」
「次の侍姉ちゃんがショートゴロ、続く外国姉ちゃんが見逃しの三振でスリーアウトだよ」
プッチャンの言葉を聞きながら、美由希はキャッチャーが身に付けるプロテクターを急ぎ付けていく。
再び守備に戻る美由希たちを見送りながら、まずまずの出だしだと恭也は胸を撫で下ろすのであった。
「おいおい、りの〜。止めてくれ、目が、目が回る〜〜」
「うぅぅ〜、私も回るよ〜」
次の回、先頭打者のまゆらが三振で倒れた後、りのの打席となったのだが……。
プッチャンを着けたままバットを振り、結果プッチャンも同じように振られる形となる。
なので、プッチャンの台詞は分かるのだが……。
「何で、あいつまで回転しているんだ」
「勢い良く振りすぎたんだろう」
「ふふふ、りのったら楽しそうね」
奈々穂の言葉に恭也が返すも、奏だけはずれた事を口にする。
奏らしいと言えばらしい台詞に奈々穂もどこか気を抜かれた様子で三振して戻ってきたりのを迎える。
攻守が再び変わり、相手のバッターが打ったボールがサードに転がる。
「忍、真面目に頼むぞ!」
「失礼ね、私はいつだって真面目よ!
たぁぁっ、十字キーの右プラスAボタン!」
意味不明の台詞を口にしながら一塁へと送球し、アウトをちゃんと取る。
「普通に投げる事はできないのか」
呆れたような顔を見せつつも、思ったよりも皆の動きが良くて満足そうに奈々穂はボールを握る。
次のバッターに対し、初球を振り被り投げる。
センターに上がったボールはれいんが危なげもなくしっかりと確保する。
これでツーアウト。次のバッターは速球のみを投げ込みセカンドフライに打ち取る。
こうして、この回も三人で抑えてチェンジとなる。
対し、こちらの攻撃は変化球などに上手くタイミングが合わず、フライや内野ゴロに抑えられる。
それにも対応して忍は打ったのだが、奈々穂は敬遠される。
続き美由希が粘ってフォアボールで満塁とするも、小百合がピッチャーゴロに倒れダブルプレーでチェンジとなる。
その後も奈々穂の力投は続き、三振や内野ゴロなどで相手チームを打ち取っていく。
逆に向こうも変化球や守備の上手さ、敬遠策を使ってランナーこそ許すものの、追加点を許さない。
0対3のまま試合は進み、七回に進む頃には流石に奈々穂にも多少の疲れが見え出す。
この回、最初の打者に二塁打を許してしまい、ノーアウトでランナー二塁となる。
更に送りバントを決められ、一アウト三塁となる。
ランナーを気にしつつ投げたボールがすっぽ抜けたのか、ボールが緩やかな山を描いてストライクゾーンへと。
相手もその甘い球を見逃す事なくバットを振り、大きな当たりがライトのりのへと飛ぶ。
「りの!」
振り返って球を追いながらりのの名を呼ぶ。
「オーライ、オーライ」
りのはよたよたとした足取りでボールに追い付き、グローブをはめた手を持ち上げる。
そこへプッチャンの鋭い声が飛ぶ。
「りの、右だ右。ああ、行き過ぎだ!
左。右右、左左。後ろ、後ろ、前!
よし、そこだ!」
プッチャンの指示に従いグローブを伸ばし、見事にキャッチするりの。
りのが捕球するなり、三塁ランナーはホームに向かってスタートを切る。
それに構わず、ボールを捕った事で喜んでいるりのへと奈々穂が鋭い声を飛ばす。
「りの、バックホーム!」
「えっ、えぇっ?」
意味が分からずに混乱するりのに、奈々穂がボールを投げるように指示するよりも早く、
グローブからプッチャンがボールを取り、振り被る。
「喰らえ! 今、必殺のプッチャンシュート、バックホームヴァージョン、そう言えばあの日の夏は暑かった!」
黄金の輝きを発しながらプッチャンが投げたボールは、その輝きが乗り移ったかのように淡く光を発しながら、
物凄い勢いで真っ直ぐにホーム目掛けて飛んでいく。
その速さと威力に中継しようとしたまゆらはおろか、奈々穂でさえもボールを躱す。
が、その必要もないと思わせるぐらい、ボールは勢いを衰えさせず、
中継するよりも遥かに速い速度でライトからホームへと戻ってくる。
「って、これを私が受けるのっっ!」
思わず腰が引けそうになるも、キャッチャーミットを構える美由希。
逃げない所は流石と言うべきか。
真っ直ぐに向かってきたボールをミットで受け止め、
未だにミットの中で回転を続けるボールを落とさないように逆の手を添えて、
その勢いのままに滑り込んできたランナーにタッチする。
判定を求めて美由希とランナーの二人が主審を見上げれば、その腕が大きく持ち上げられ、
「アウト!」
主審の声にりのがプッチャンの頭をグローブで撫でる。
「凄いよ、プッチャン! かっこよかったよ」
「はっはっはっは。俺様に掛かればこんなもんよ」
意気揚々と引き上げてくるりのとプッチャンの二人を誉め、奈々穂は疲れたようにベンチに座る。
「思ったよりも疲れるわ」
「ご苦労さま、奈々穂」
奏がそんな奈々穂に労いの声を掛ける間も試合は続いていく。
「球数が既に百を超えてますわね。
とは言え、他にピッチャーは居ませんし」
「ああ、大丈夫、大丈夫。後二回ぐらいなんとかなるって」
スコアボードを見ながら漏らした久遠の言葉に、奈々穂は手を振りながら答える。
そのスコアボードを後ろから覗き込み、恭也は感嘆したような声を漏らす。
「忍は今の所、全打席ヒットを撃っているな」
「ええ。けれど、その後の奈々穂さんが全て敬遠されている所為で、点数には繋がってませんわ」
流石に全打席敬遠するとは思っていなかった久遠がやや呆れの混じった声を漏らす中、忍は胸を反らしてふんぞり返る。
「ふふん、少しは忍ちゃんを見直した?」
「ああ、大したもんだ。ただ守備でのエラーもだんとつで一番多いがな」
「あうっ。そ、それは言わない約束だよ、おとっさん」
そんな冗談を交わしている間に、この回の攻撃は終了となったらしく奈々穂たちは再びグランドへと出て行く。
その後を追って忍もグローブを手にグランドへと走っていく。
こうして八回表の攻撃が始まる。
最初のバッターは行き成りバントの構えを見せる。
それに構わず奈々穂はボールを投げ、投げ終えるなり走る。
だが、バッターはバットを引っ込めるとボールを見送る。
「ストライク!」
審判の声が上がる中、マウンドに戻った奈々穂が投球態勢に入ると、またしてもバントの構えを見せる。
しかし、今回もまた見送ってストライクとなる。
三度目も同じ事をし、今度はボール。四度目も同様に構え、今度はストライクとなり見逃しの三振となる。
続く二人目も同じようにバントの構えを見せる。
こちらも見逃しの三振となり、三人目がバッターボックスに立つ。
まさかと思いつつ投球態勢に入った奈々穂に対し、そのまさかのバントの構えを見せる。
何度もバントの構えを見せられ、その度に投げた後走っていた奈々穂は流石に呼吸も荒くなっている。
それでもまた走るが、やはりバットを引く。
カウント2−1で投げたボールに対し、またバントの構え。
だが、とうとう奈々穂のスタートが遅れる。
まるでそれを待っていたかのように、今度のバッターはバントを決める。
舌打ちしたいのを堪え、疲れた身体に力を入れる奈々穂の横を別の誰かが走り追い抜く。
「はいはい、奈々穂は少し休んでなさい。忍ちゃんが処理してあげるから」
言いながらもボールに追い付き、グローブで一度捕球していては間に合わないと判断し、
素手でボールを掴むと前倒しになりながらも身体を捻って一塁へと投げる。
その判断は正しく、間一髪の所でアウトとなる。
「ナイスプレイだ、忍」
「あははは、忍ちゃんに任せなさいっての」
奈々穂に笑顔で返しながら、忍はベンチに引き上げる。
そこには恭也が待っていた。
「あら、出迎えてくれるなんて忍ちゃん、感激かも」
「はぁ、冗談は良いから、ちょっと右足を見せろ」
「えっと、何で?」
「気付かないと思ったか。投げる時にに足を捻っていただろう」
恭也の言葉に奈々穂が忍の顔を見れば、ばつが悪そうな顔で視線を外す。
そんな忍をやや強引に座らせ、足に触れれば痛みに顔を顰める。
「骨とかに異常もないし、軽い捻挫だな。二、三日で治るだろう。
だが、試合は流石にさせれないな」
何か言いかける忍を恭也だけでなく、奈々穂も制する。
二人から止められ、忍は素直にその言葉に従う。
「ごめんね、奈々穂」
「謝る事じゃないだろう。むしろ、忍はよくやってくれたよ。
後は私たちに任せてゆっくりと休んでいるんだな」
「ほうほう、そこまで言った以上は何がなんでも勝ってもらいますからね」
「勿論、勝つに決まっているだろう。
それで恭也、誰を代わりに出すんだ」
「久遠、頼めるか」
恭也が久遠の方を見ると、久遠は髪を掻き上げて背中へとやりつつ小さく笑う。
「仕方ありませんわね。忍さんの代わりに入りますわ」
交代するメンバーが決まると同時に、りのが内野ゴロで戻ってくる。
「うぅぅ、アウトになっちゃいました」
「という訳で、チェンジだぜ殿。次を守りきったら、俺たちの勝ちだな」
プッチャンの言葉に頷き、恭也は交代を告げるべく審判の元へと向かう。
サードに忍の代わりに久遠が入り、最後の守備が始まる。
後三人で終わるという油断など抱いてはいなかったが、現状はノーアウトで一二塁である。
疲れて球威も落ちてきているとは言え、ここに来てクリーンヒットを連続して打たれている。
流れ出る汗を拭い、奈々穂がこの回三人目となるバッターにボールを投げる。
真っ直ぐに投げられたボールは綺麗に打ち返され、レフト前に落ちる。
これでノーアウト満塁となる。
その様子をベンチで見ていた忍が、目を覆うような仕草を見せながら漏らす。
「あちゃー、やっぱり」
「やっぱり?」
忍の漏らした言葉に恭也がどういう事か尋ねれば、
「まさかとは思ったけれど、リズムを読まれてるわ。
幾ら速くても、あれじゃあ駄目ね。流石は野球部ってことかしら。
多分、前の回のバントもそれを見極めるためのものだったのね」
「リズム? どういう事なの、忍さん」
同じく忍の話を聞いていた奏が首を傾げれば、忍はよく聞いてくれたとばかりに指を立てて説明モードに入る。
まるで、新しい発明を発表する時のようになる忍に突っ込みたいのを堪え、恭也も大人しく聞きに回る。
「奈々穂の球は確かに速いんだけれど、ワンテンポなのよ。
だからそのタイミングを掴んでしまえば、それに合わせて振れば良いって訳。
それに加え、疲れだけじゃなくてさっきのバント攻撃や敬遠なんかでイライラしているしね。
次は四番か。一旦、落ち着かせる為にもタイムをかけた方が良いかも」
そんな風に忍が説明している頃、久遠も同じ事に気付いたらしくタイムをかけようとする。
だが、それよりも早く奈々穂がピッチング態勢に入ってしまう。
バッターはタイミングを計るように待ち構え、球威の落ちたボールを打ち返す。
それは大きくサードの頭上を超え、レフトさえも越えてフェンスの向こうに落ちる。
満塁ホームラン。これで4対3となり逆転される。
「あちゃー、ちょっと遅かったか」
忍がしまったという表情になる中、久遠がタイムを掛けて奈々穂の元へと行く。
自然と全員がマウンドに集まると、久遠はまず忍が思いついたのと同じ事を口にする。
「だったら、何故もっと早く――」
「教えるためにタイムを掛けようとしたけれど、先に奈々穂さんが投球フォームに入ってしまったんですもの。
どうしようもないじゃありませんか。それよりも、これからどうするのかですわ」
ランナーがなくなったとは言え、まだノーアウト。
しかも、久遠の言葉通りならまた打たれる可能性が大きいのである。
「変化球は投げれないのよね」
「ああ。だから、練習でもストレートのみだった。
その所為で、皆変化球には上手く対処もできなかったんだな」
「奈々穂さん、反省は後にしてください。
ストレートだけなら、それだけでも抑えれるようにすれば良いだけですわ」
行き成り反省し始める奈々穂を叱咤し、久遠は不適に笑う。
その後、幾つかの説明を全員に聞かせ、それぞれを守備に戻す。
が、久遠はそのまま美由希と一緒にホームへと歩き、主審に何かを告げる。
それを受けて主審が頷き、美由希がプロテクターを外す。
守備の交代である。
久遠がキャッチャーにつき、美由希がセンターに。
センターにいたれいんがサードに着く。
だが、ただ入れ替わっただけではなく、美由希はかなりライト側に寄り、更にはかなり前へと。
セカンドのまゆらがその分これまた前に出て、やや一塁側に寄る。
逆にサードのれいんは後ろの方に下がり、ショート寄りの守備に付き、ショートはセカンド寄りに。
かなり変わった位置に陣取り、試合を再開させる。
一球目、ゆっくりなボールが投げられ、予想外だったのかタイミングが合わずにキャッチャーフライになる。
それを久遠が楽に処理をして一アウト。
二人目のバッターに対し、久遠は外へのボールを要求する。
相手もこれは見送ってボールとなり、次に内側を要求する。
奈々穂が投げると同時にれいんがサード側に戻るように動き、香も同じように動く。
打たれた球は三塁線ぎりぎりに飛ぶも、打つよりも早く移動していたれいんが横飛びで打球を受け止める。
が、その状態では投げれない。
しかし、れいんの前には香が居て、れいんからグローブトスでボールを受け取ると一塁へと送球する。
これでツーアウト。
「ふふふ、今までの試合のデータを見る限り、さっきの彼女は内角を引っ張るのが得意みたいでしたからね。
わざと三塁線を開けておけば、必ず引っ張ると思いました」
バッターボックスに立つ次の打者に向かって聞こえるように小さく呟く。
そこで終わらず、
「そして、貴方は逆に外側の球が好きみたいですね。
それを流してライト方面に飛ばすのが得意みたいですわね。
なので、ライト側に守備を固めてみましたけれど、どうでしょう」
楽しそうにそう言うと座り、ミットを構えて奈々穂にサインを出す。
最初の球は外側でストライク。次も外側にこれはボール。
「あら、外側は嫌いでしたか?」
奈々穂にボールを返す為に立ち上がりながら、久遠は優雅に首を傾げて見せる。
何も答えない相手に構わず、久遠は座り、
「外側で攻めてあげているのに、そんなにライトに飛ばすのが怖いですか?」
久遠の言葉に打者のバットを握る手に力が篭り、足が僅かに開いて外側を向く。
同時に久遠はサインを送り、それに奈々穂が頷く。
頷いたのを受けて尚、久遠は更にサインを送る。
奈々穂が久遠の要求どおりに外側へと投げると同時に、久遠のサインを受けた美由希がセンターに走る。
打たれた打球は久遠の読み通りに誰もいないセンターに飛ぶ。
「思った通り、挑発に乗って流さずに少し引っ張りましたね。
それもレフトではなくセンターを狙って。
抜ければランニングホームランの可能性もあるのだから、その選択は正しいですわ。
ただ、それさえも私の思惑通りですけれど。
そして、普通なら間に合わないかもしれませんが、あそこを守備するのは遊撃と隠密両方に席を置く者ですわ。
なら、結果は言うまでもありませんわね」
既にベンチに向かって歩いている久遠が呟くように、
美由希はセンターに飛んだ打球に追い付いてしっかりとキャッチする。
これでスリーアウトでチェンジとなる。
言葉で惑わし、守備位置で惑わし、打つ場所を誘導する。
思った通りにいって久遠は満足げな顔でベンチに戻ってくるのであった。
最終回、一点差で一番から。
「私があれだけしたのだから、奈々穂さんまで回せば、逆転できますわよね」
「当たり前だ。ただ、また敬遠されうかもしれないが」
「でしたら、決して敬遠できない状態にすれば良いのです」
久遠はそう言うと、香に何か告げる。
頷いてバッターボックスに向かう香を見送り、次にれいんにも何か耳打ちする。
香は一球目、二球目には一切手を出さず、三球目のストレートをまるで狙い済ましたかのようにレフト前に運ぶ。
続くれいんは初球のカーブを一二塁間を破ってこれまたヒットを打つ。
久遠は優雅な笑みを奈々穂に向け、
「これで私が塁に出れば全て埋まるわ。
流石にその状態では敬遠はないでしょう」
そう言ってバッターボックスに立つと、バットを短く構える。
初球、ピッチャーが投げた球をバットを振ってカットしファールにする。
その後、投げてくるボール球には一切手を出さず、ストライクは何か待っている球でもあるのか、
それ以外は全てファールにする。十球を超え、2−3になっても久遠はひたすらボールをカットし続ける。
十三球目に投げられたど真ん中よりやや下に来たストレートに対し、久遠は笑みを見せる。
それをキャッチャーマスク越しに見た相手キャッチャーも同時に笑みを浮かべる。
待っていたのがこのコースの球ならば、勝ったと。
だが、意に反して久遠はバットを振らなかった。
しかし、ボールはそのままストライクゾーンには行かず途中で落ちる。
「ボール」
フォアボールとなって久遠はゆっくりと一塁に向かう。
「私は奈々穂さんと違って野蛮ではないので、初めからこうして歩かせてもらうのを待っていたんですよ。
ああ、そうそう。最後の決め球はフォークになるだろうと思ってましたわ」
完全にバッテリーを手玉に取り、久遠は悠々と一塁ベースを踏む。
そのまま一塁に立ち、後は任せたとばかりにそこから動く気配さえ見せない久遠に奈々穂は苦笑を見せ、
バッターボックスに立つ。
「まあ、ここまでされたらちゃんと点を取らないと何を言われるか分かったもんじゃない」
そうぼやきつつもどこか嬉しそうにそう言うと、投球態勢に入ったピッチャーを見据えるのだった。
4対7で神宮寺学園の逆転勝利。
それが試合の結果である。
あの後、奈々穂はホームランという形でしっかりと役目を果たしたのである。
そして、久遠に礼を言おうとしたのだが、
「奈々穂さんがもうちょっと頭を使っていれば、私まで疲れるような事をしなくても済みましたのに」
「あれぐらいで疲れるなんて、何て軟弱な奴だ」
「まあ、随分な言いようじゃありませんか」
などと喧嘩を始める始末である。
それを微笑ましく見守る恭也と奏とは違い、他の面々は呆れたように見つめる。
「まったく仲が良いのか悪いのか分からない二人だな」
プッチャンでさえも呆れて二人を見つめる中、二人の言い合いはまだまだ終わりそうもなかった。
続く
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