『涼宮ハルヒの挑戦、高町恭也の消失』






番外編 朝比奈みくるの恩返し



放課後のSOS団部室、もとい正確に言い表すのなら文芸部の部室で、
俺たちはいつものようにだらだらとした時間を過ごしていた。
長門はいつもの如くハードカバーの本を黙々と読み耽り、ハルヒの奴はパソコンでネット三昧。
で、俺の方も相変わらず古泉を相手にゲーム、今回はチェスなんぞをしているのだが。
はてさて、その駒の動きに意味があるとは思えないんだが。
まあ、良い。それなら、俺はお前のナイトを同じナイトで頂くとしよう。
いやー、てっきり取られるかと思っていただけに助かったぜ。
まあ、何か考えがあって放置されたのかもしれないが、こっちとしては目先で助かった事をとりあえずは喜ぶとしよう。
って何故、そんな驚いた顔をするんだ、こいつは。
まさかとは思うが、気付いていなかったのか。
呆れ半分で古泉へと次はお前の番だと促してやれば、腕を組んで考え込み始めた。
その間にという訳でもないが、残る部員にして我がSOS団が誇るマスコット、癒しの天使である朝比奈さんは……。
どうやらお茶のお代わりを配っているみたいだ。ああ、どうもありがとうございます。

「いえいえ。恭也さんもお代わりどうですか?」

朝比奈さんは俺たちにお茶のお代わりを渡すと、この部室に居る最後の一人、SOS団団員ではないが、
色々と複雑な事情があって現在、行動を共にして頂いている高町さんへと声を掛ける。

「ありがとうございます」

礼を言って朝比奈さんからお茶を受け取る高町さん。
全員に新しいお茶を渡し終えた朝比奈さんは、ようやく一息といった感じで椅子へと腰を下ろすと、
特にする事もないのか、にこにこした笑みのまま座られている。
と、俺の番か。悪かったな。で、お前は何処に駒を動かしたんだ。
……因みに聞くが、これも何か意味あるのか?

「作戦ですから、手の内を自らばらすような事はしませんよ」

言って怪しげな笑みを見せる古泉だが、
その作戦とやらには少し前に動かしたきり放置しているルークも関係しているのか。

「さあ、どうでしょう」

両手を上へと向けて肩を竦めて見せるが、その顔が僅かに引き攣ったのを見逃しはしないぜ。
にしても、迂闊だな古泉。自らの作戦を優先する余りに回りを見てなさ過ぎだ。
さっき、お前のナイトを取った俺のナイトの位置を失念していたのか。
という訳で、この意味ありげなルークもありがたく頂くぜ。
また長考に入った古泉を置いて、俺は目の保養をすべく怪しまれない程度に朝比奈さんのメイド姿を視界に収める。
うん? 何か違和感が。いや、違和感と言うほどのものではないんだが、何と言うか。
ほら、あるだろう。いつもと同じように見えて、何か違うような感じがする感覚っていうやつ。
あれを感じたんだが。うーん、別段、朝比奈さんに何か変わった様子はないようだが。
今もぼうっと何処かへと視線を飛ばして、小さく溜め息を吐いている。
まあ、溜め息ぐらいは珍しくもないよな。
ハルヒの奴に振り回される我がSOS団団員にとって、溜め息はこれからも長く付き合っていくであろうお友達だ。
まあ、長門には無縁かもしれないが。
だが、今は別段ハルヒの機嫌が悪くなっていたり、無理難題が持ち上がっている訳でもないよな。
なのに、溜め息。まあ、吐きたくなる時もあるか。何て思っている間に、また溜め息一つ。
何か悩み事であるんでしょうか。良ければ相談に乗りますよ。
何て事は口が裂けてもここでは言えない。
それを聞いたハルヒが事態を可笑しな方向に360度ぐらい捻ってぐるりと回しかねないからな。
後でこっそりと聞いてみるか。
この時の判断が後に騒動を起こすことになるなんて、この時は全く思いもしなかった。
とは言え、振り返って考えるに、ここで尋ねたとしてもあまり変わらなかったかもしれないのだが。
けれど、多少はましであったのは間違いなかっただろうね。
後悔先に立たず。昔の偉い人はよく言ったもんだよ。いや、本当に。



長門が読んでいた本を閉じるのが、部活終了の合図ともなっている我らがSOS団。
今日もそれは同様で、長門が本を閉じるなり皆が皆帰り支度を始めるのである。
かく言う俺も鞄を手にしてばっちり帰り支度完成である。
まだここに来たばかりに高町さんも既に慣れた様子で、長門が本を閉じると椅子から立ち上がり廊下へと出て行く。
その後に続くように、俺や古泉といった男性陣はそろって出て行く。
朝比奈さんがこれからメイド服から制服に着替える為だ。
流石にこの場に残るなんて阿呆で命知らずな行動を取るなんてしない。
そうこうして廊下で待つ俺たちであったが、今日はハルヒの奴がまた朝比奈さんにちょっかいを掛けているのか、

「す、涼宮さん、や、やめてください。そ、そこは……も、揉まないで〜」

そんなあられもない悲鳴が聞こえてきて、俺は思わず扉から顔を逸らしてしまう。
気付けば、高町さんや古泉の奴は部室からさりげなく離れており、俺も慌ててそれに倣うように部室から離れる。
いつもより時間が掛かって現れた朝比奈さんは、何処か疲れたような表情をしていた。
本当にご苦労様です。その後はこれまたいつものように全員で揃って帰宅した訳だが、
ちょっと違っていたのは皆と分かれてからである。
行き成り携帯が鳴り、例によって何かあったのかと少し警戒しながら表示された名前を見て、
俺は更に嫌な予感を覚えたね。はっきりとディスプレイに表示されていた名前は間違えようも無く、
涼宮ハルヒとなってやがる。さて、どうしたもんか。見なかったことに、何て出来ないだろうな。
面倒な事が起きませんようにと祈りながら、渋々と電話に出た俺に対し、

「ちょっと遅いわよ、キョン!」

何ともありがたい第一声を大声でのたまってくれやがりましたよ。
お前な、もし間違って掛けていたらどうするつもりだ。まずは相手を確認してからだな……。

「ああ、もうごちゃごちゃ煩いわね。アンタに掛けたんだから間違うはずないでしょうが。
 つまらない事を言っている暇があるのなら、すぐにいつもの所に集合だからね!
 遅れたら死刑よ!」

言うだけ言って電話を切りやがった。
遅れるも何も、集合時間の指定もしてないぞハルヒよ。
尤もそんな当たり前の反論なんて受け付けるような奴じゃないってのはよく理解している。
という訳で、俺に出来るのは二つだ。
一つめに明日、怒鳴られるのを覚悟でこのまま帰宅する。
二つめは素直に集合場所へと急ぎ向かう。
なんて二択を用意してみたが、選択なんてあってないものだよな。
という訳で俺は急ぎ集合場所へと向かうのだった。
ったく、一体何の用だってんだ。
ハルヒを前にしては言えないであろう文句を胸中で散々並べ立て、ようやく集合場所へと来てみれば、
俺だけじゃなく古泉や朝比奈さんの姿もあった。

「後は長門や高町さんだけか」

恐らくは全員に集合を掛けたんだろうが、それだったら帰宅している途中に言ってくれ。
それともまた何か唐突に思いついたのか。
とりあえずは高町さんを待つのかと思いきや、

「有希は呼んでないわよ。勘違いしないでよ、別に仲間はずれにしようとかそういうんじゃないんだからね」

それは分かってるさ。何だかんだと言いながらハルヒは団員の事を考えているからな。
理由もなしに仲間はずれなんてしないだろうさ。
しかし、長門を呼んでいないって事は高町さんもか。
身体能力や戦闘力云々を別にすれば、このメンバーで最も良識のある人だけに居てくれる方が心安らぐんだがね。
で、何故長門や高町さんは呼ばないんだ。

「恭也くんに聞かれると困る話だからよ。
 有希だけ呼び出すのは変に思われるかもしれないでしょう。
 そうじゃなければ、有希の意見も聞きたかったわよ。多分、一番詳しいはずだし」

はてさて、未だに話が見えてこないんだが。
一体、何がしたいんだお前は。俺と同じ意見を抱いているのか、朝比奈さんや古泉も似たり寄ったりの顔をしている。

「もう鈍いわね。まあ、アンタが気付くとは思っていなかったけれど、小泉くんはちょっと意外だったわ」

だから、一体何なんだ。早く言えっての。

「仕方ないわね。それじゃあ、これより第一回みくるちゃん、恭也くんを落とすわよ作戦会議を始めるわよ!」

「ああ、その為に集合したんですね。確かにそんな会議をするのなら、恭也さんを呼べませんものね。
 私が恭也さんを……って、ふぇぇぇぇぇっ!」

いや、朝比奈さん。幾らなんでも反応が遅すぎます。
と言うか、突然何を言い出すんだハルヒ。

「何って今言った通りじゃない。
 みくるちゃんが私たちや鶴屋さん以外で親しく喋っているのって初めて見たもの。
 それに今日だってずっと恭也くんの事を見て溜め息吐いてじゃない。
 これはずばり恋したって事でしょう。ね、ね」

かつて恋愛など気の迷いだと断じていた奴が、今は顔を輝かんばかりにして朝比奈さんへと詰め寄っている。
それにしても、まさか本当に?
思わず俺もハルヒに倣うように朝比奈さんを注視してしまう。
すると朝比奈さんは顔を少し赤くしたまま力いっぱい首を振る。

「ち、ちちち違いますよ! 私はただ助けてもらったお礼をどうしようかなって」

助けて? ああ、そういう事ですか。
納得する俺たちとは違い、一人事情を知らないハルヒはその事に面白くなさそうな顔を見せる。

「どういう事よ、助けたって。それにどうしてキョンが知っているのかしら?」

とりあえず落ち着け、ハルヒ。俺たちが知っているのは朝比奈さんから聞いたからであって。
って、見ていないでお前からも説明しろ古泉。

「彼の言うとおりですよ。
 何でも、高町さんがこちらに来た最初の日に朝比奈さんがしつこくナンパをされていたらしくて、
 それを追い払ったそうです。確かそうでしたよね」

「ふぇ? あ、は、はい、そうなんです!」

古泉のフォローにきょとんとした顔をされたが、すぐに察して力いっぱい肯定する。
ハルヒはまだじっと俺たちを見渡していたが、やがて納得したのか一人で何度も頷くと、顔を上げて拳を突き上げる。

「それなら、第一回、みくるちゃん恩返し会議を始めるわよ!」

……あっさりと解散になんて事にはならないんだよな、うん。分かってたさ。
諦めたような俺と、機嫌を損ねないためにも付き合うしかない古泉。
殆どハルヒの強引な意見に流される朝比奈さん。最早反対する奴はいない。
とか思ったのだが、意外にも朝比奈さんが珍しく反対していた。

「あ、あの、これは私がお世話になった事ですから、私が自分でしないと……」

ご尤もな意見ですよ、朝比奈さん。
ですが、悲しいかな。相手はそんな理屈などお構いなし、ゴーイングマイウェイハルヒ。
俺の想像通り、朝比奈さんの言葉に何の感銘も納得もせず、

「そうは言うけれど、今まで散々悩んでいてまだ何をするのかも決まってないんでしょう。
 だったら私たちの意見を聞くだけ聞いてみるのも良いんじゃないかしら」

そのままいつもの様に強引に押し切りやがった。
本当に聞くだけで済めば良いがな。絶対にそれだけで済みそうもないだろうな。
そんなこんなで俺たちはいつもの喫茶店へと場所を移し、
殆どハルヒ一人による意見の交換とやらを結構長くしたのだった。



 § §



みくるがハルヒによって策を半ば無理矢理授けられた翌日の昼休み。
いつものようにみくるは部室へと恭也の昼食を持って姿を見せる。

「恭也さん、お待たせしちゃいましたか」

「いえ、全然そんな事はないですよ。
 それよりも毎日ありがとうございます」

「いえ、そんな。それで、ですね」

みくるは少しだけ恥ずかしそうに照れながら、包みをそっと机の上に置いて恭也の方へと差し出す。

「今日は私がお弁当を作ってきたんですけれど……。
 あ、やっぱり購買で何か買ってきた方が良いですよね。私、すぐに行って来ますから」

恭也の返事も待たずに踵を返して部室から出て行こうとするみくるを恭也が引き止める。

「充分過ぎるぐらいですよ。ありがたく頂きます」

「あ、そうですか。良かった」

その言葉にほっと胸を撫で下ろし、みくるはお茶を淹れる。
恭也と自分の分二人分のお茶を用意すると、恭也の向かい側に座り自分の弁当を開く。
それを待って恭也も弁当箱を開け、恭也は素直に感嘆の声を漏らす。
緊張した面持ちで恭也の一挙手一投足をじっと見詰めるみくるの前で、恭也はおかずを口に運ぶ。
じっと見てくるみくるに思わず微笑を浮かべ、安心させるように感想を口にする。

「美味しいですよ」

「よ、良かった〜」

心底ほっと胸を撫で下ろすと、ようやくみくるは自分も昼食を取る。
時折会話を挟みながら、穏やかに昼食が過ぎていく。

「ごちそうさま」

「おそまつでした」

食べ終えた二人分の弁当箱を片付け、みくるは綺麗に食べた恭也に笑顔で返す。
新しいお茶を淹れ、恭也に差し出すと途端に挙動不審となり、もじもじと指を弄ったり、
視線をあちこちに彷徨わせる。その様子に気付き、恭也がみくるへと声を掛ける。

「どうかしましたか」

「い、いえ、何でもないです、はい!」

と言った後、少し後悔したような顔で小さく呟く。
時折、こんなんじゃ駄目、だとか、涼宮さんにばれたら、などという単語が漏れているのだが、
幸か不幸か恭也の耳には届いていない。やがて、みくるは何かを決心したように胸の前で手をぐっと握り、
小さくガッツポーズして気合を入れると、

「き、恭也さん、隣失礼しますね」

尋ねてからでは行動に移れないと行動しながら断りを入れる。
恭也の隣の椅子に座ると、みくるは棒読みで、

「わ、わー、恭也さん、少し耳が汚れているみたいですよ。
 ぐ、偶然こんな所に耳掻きがあるので、お掃除してあげますね」

言って顔を赤くしながら恭也の頭を抱えて膝の上に置く。
あまりの棒読みに呆然となり、その間にされるがままになってしまった恭也であったが、
柔らかな感触に慌てて身体を起こそうとして、真剣で鋭い声が届く。

「今、動いたら危ないですよ」

見る事は出来ないが、どうやら耳の穴に耳掻きが突っ込まれている状態だったらしく、
みくるの言葉に助かったと素直に礼を言う。
対するみくるは少し申し訳なさそうな表情を見せており、それで恭也は大体の事情を悟る。

「涼宮さんですか」

「はい、本当にすみません。色々とあって、助けてもらったお礼をする話になって……」

「そういうことですか。まあ、別に変な事をされる訳でもないみたいですし、構いませんよ。
 もしかして、お弁当もそれで?」

「いえ、あれは私が自分で。やっぱり迷惑でしたか」

「そんな事はありませんよ。本当に美味しかったですから。
 また食べたいぐらいですよ」

「そ、そうですか」

恭也の言葉に嬉しそうな笑みを零すと、みくるはおっかなびっくりといった様子で恭也の耳掃除を始める。

「えっと、これぐらいの強さで良いですか」

「ええ、とても気持ち良いです」

「良かった。初めてだから上手く出来るか不安だったんですけれど」

「とっても上手ですよ。出来れば、もう少し奥まで」

「分かりました、頑張ってみます」

「お願いします。ああ、でもあまり無理はしないで」

「は、はい。んんっ、こんな感じですか」

「ええ。あ、そこはもう少し強くお願いできますか」

「分かりました。こうでしょか」

「ええ、気持ち良いです。もう少し上下に動かす感じで」

「んしょ、んん。どうですか」

「とても良い感じです」

「あ、手から落ちそうになっちゃいました」

「もう少し強く掴んで」

「はい。わぁ、何か出てきましたよ」

「そうですか。じゃあ、それは掬って……」

「くすくす。何か可愛いですね」

「可愛いですか?」

「えっと、これの事じゃなくて恭也さんの顔が……」

「そうですか?」

「はい。本当に気持ち良さそうで。何か見てたらもっと頑張ろうって思えてきます」

「それじゃあ、続きをしてもらっても良いですか」

「はい、頑張りますね。だから、遠慮しないでたくさん出してくださいね」

「自分でコントロールできるものじゃないですって」

「それもそうでしたね」

楽しそうに話をしながら、みくるは恭也の耳掃除をしていく。
気持ち良さそうにしてくれるのが更に嬉しくなり、みくるはどんどん集中するように手を動かす。
恭也は途中で部室の前に誰かが居る気配を感じたが、入ってくる様子も無いのでそのまま放置し、
暫くはこの心地良さを素直に味わおうと身体から力を抜くのだった。
結果として、途中で眠ってしまいみくるは五時間目の授業に出る事が出来なくなるのだが、
必死に謝る恭也の前で、みくるはとても幸せそうな顔をしていた。



 § §



昼休みの途中で珍しく戻ってきたハルヒであったが、無言のまま自分の席、つまりは俺の後ろの席に座ると、
頬杖をついて窓の外を眺める。特に何がある訳ではないのだが、じっと一点を見詰めるハルヒ。
それはそうと、なぁ、ハルヒ。

「何よ」

機嫌が悪いのか、少し不機嫌そうな声が返ってくるも話しかけた以上は、
このまま黙っていると余計に機嫌を損ねてしまいかねない。
故に恐る恐るではあるが言おうとしていた事を口にする。

「顔が真っ赤だが何かあったのか?」

「っ! な、ななな何もないわよ! このバカキョン、スケベ、エッチ!」

おいおい、幾らなんでもその言いがかりは酷くないか。
見ろよ、教室に居る奴らがこっちを見ているじゃないか。
まあ、発言したのがハルヒだったのが幸いしたのか、すぐに興味をなくしたんか、
関わり合うのを恐れたのか、すぐにそっぽを向いてくれたが。
やれやれ、人が心配してやったってのに、何て言い草だか。

「…………やるわね、みくるちゃん。まさか部室であそこまでやるとは思わなかったわ」

何かハルヒが言ったような気がするが、どうせ俺に言ったんじゃなくて独り言だろうな。
ハルヒの機嫌が直るまでは大人しく前を見ているとしよう。



 § §



部室へとやって来たキョンとハルヒはいつもの席に着き、途中でハルヒは足を止めるとみくるの背中から抱き付く。

「ひゃ、なな何ですか、涼宮さん」

「んふふふ。みくるちゃんも中々やるじゃない」

「何がですか〜?」

脈略もないハルヒの行動に全員が首を傾げる中、ハルヒは一人分かっているとばかりにうんうんと頷き、
手をみくるの胸に持っていく。

「や、やめてください〜」

「ほらほら、この胸を恭也くんにお礼と言って触らせてあげたらどうよ」

「ひゃ、や、や……」

そのまま恭也の前までみくるを連れて行くと、恭也の腕をがしっと掴み、みくるの胸に持っていく。

「ふぇっ!?」

「っ!?」

「ほらほら、どう気持ち良いでしょう」

言葉をなくして硬直する二人に構わず、ハルヒは恭也の腕を動かし、ようやく恭也が我に返ってハルヒの手を振り払う。

「す、すみません、みくるさん」

「ふぇぇ」

自分が悪いわけでもないのに必死に頭を下げる恭也と、胸を両手で隠すように抱き涙目で座り込むみくる。
流石に悪乗りし過ぎだとキョンが注意するも、ハルヒは意にも返さずみくるを見下ろし、

「今更何を恥ずかしがってるのよ。
 これぐらい平気でしょう」

まるで普段からやっているかのような言い方にみくるは本当に泣きそうな顔になり、
キョンは前のコピ研の事を言っているにしても、あれもハルヒが無理矢理やらせたんだろうと口にする。
だが言われたハルヒは既にその事件は記憶の遥か深くに眠っていたのか、言われて思い出したと言わんばかりである。

「お前な、幾らなんでも今回のは酷すぎるぞ。
 大体、こんな事を平気でするような人じゃないだろう」

キョンが尚もハルヒへと文句を並べると、それが面白くないのかハルヒが叫ぶ。

「うるさいわね! 良いのよ、問題なんてないんだから!
 こんな事よりも、もっと恥ずかしい事を昼にここでしてたでしょう!
 神聖な部室でまったく何を考えているんだか」

「ひ、酷いです。あんまりですよ、涼宮さん。
 わ、私は涼宮さんが昨日言った通りに耳掻きしただけなのに……」

「へっ!? 耳掻き?」

みくるの言葉に驚きの表情を浮かべた後、何か言おうとするもそれよりも早く背中を向け、涙目で走り去るみくる。
その背中を呆然と見送り、さしものハルヒも反省しだす。
事情が分からず何も言えない一同の中、恭也はハルヒに断り、キョンに後の事を頼むとみくるを追って部室を出て行く。
二人の出て行った部室の扉をじっと見ていたハルヒの顔が一瞬だけ泣きそうに歪むも、
すぐに何ともなかったような顔を見せ、足音も荒く団長席に腰を下ろす。
だが、いつものような覇気はそこにはなく、全身からは落ち込んでいますと言わんばかりのオーラを発する。
そんなハルヒを一度だけ見遣り、一樹は何とかしてくださいと懇願するような顔でキョンを眺め、
次に有希の方へと顔を向ける。有希は視線を上げてちらりと一樹の方を見るなり本を閉じて立ち上がる。

「ちょっと小用を思い出した。すぐに戻って来る」

「おっと、僕は電話が入ったみたいなので少し失礼しますね」

マナーモードにしているのか、音の鳴らない携帯電話をポケットから取り出すと、
一樹も有希の後に続いて部室から出て行く。



 § §



あー、あからさまに俺に丸投げして行きやがったなあいつら。
そもそも古泉、お前の携帯電話はマナーモード時には震える事さえしないのか。
しかも、何処から掛かってきたのか確認さえしなかったよな。
長門よ、小用ってのは何だ。お前がうっかり忘れていたなんて本当に珍しい事だな。
何て文句を今言っても意味がないどころか事態が好転する事がないなんて俺にだって分かってるさ。
そもそも、こんなに落ち込んだこいつを見ていると何か可笑しな気分になるしな。
まあ、本人に言えば絶対に全力で否定するだろうけれどな。
さて、それじゃあとりあえずは古泉が苦労しない程度にはハルヒの機嫌を何とかしますか。
にしても、本当に今回はやり過ぎだな。
朝比奈さんまで泣かせて。

「……」

全く何を勘違いしたのかはしれないけれど、自分が悪いってのは分かってるんだろう。

「ああ、もう煩いわね。ちょっとは黙りなさいよね」

はいはい。まあ、朝比奈さんは高町さんが連れ戻してくれるだろう。
だからそう落ち込むな。元気のないお前ってのも静かで良いもんだが、流石にちょっと気持ち悪いぞ。

「ちょっと、それはどういう意味よ」

ようやく顔を上げて半眼で睨んでくるハルヒ。
まだ完全とは言えないでも、俺に反論してくるぐらいには元気出たか。

「別に落ち込んでなんかないわよ」

言ってまた顔を机の上に置いた両腕へと埋める。
そのまま眠る気か。まあ、だとしたらそれはそれで構わないが、これだけは言っておくぞ。
確かにやり過ぎたかもしれないが、きっと朝比奈さんだってちゃんと謝れば許してくれるさ。
またしても顔を上げるハルヒ。だが、先程とは違い完全に上げるのではなく、下半分はまだ腕に埋もれたままだが。
目だけで俺の言葉に嘘がないか探るように見てくるハルヒから目を逸らさずに真っ直ぐに見詰め返してやる。
大丈夫だから安心しろ。

「…………」

ああ、多分大丈夫だと思うぞ。ほら、あの人にも色々とあるけれど、楽しんでいるのは間違いないし。
えっと……。いや、いかんな。段々と自信が……。
ああ、ハルヒの視線がどんどん冷たくなっていく。
えっと、こういう場合は……ああ、駄目だ焦って余計に何も浮かんでこない。
えっと……そ、そうだ。ほら、俺は最後まで付き合ってやるからって、違うそうじゃなくて。
って、お前もそんな鳩が豆鉄砲でも食らったような顔するな。
かと思いきや、急にこいつらしい笑みを突如浮かべやがった。

「当たり前でしょう! アンタはこのSOS団の雑用係なんだからね。
 そう簡単に辞めれる訳ないでしょうが。それにしても、あたしとした事が何をやってるのかしらね。
 まだかキョンごときに慰められるなんて、団長失格だわ」

ごときって、お前流石にそれは言い過ぎだろう。
確かに元気になるように励まそうとはしたさ。
けれど、やはりもう少しはしおらしい方が良かったと思うのは果たして俺の我侭かね。
それどころか、こいつは俺の取った言動を評価し始め、最後にはこんな事を言いやがった。

「キョン、もっと自信を持ちなさいよね。じゃないと、何を言っても信用されないわよ。
 まあ、あんたにしては上出来だったかもしれないけれどね」

呆れたような顔で、哀れむような目で見られるってのは、流石に理不尽じゃないだろうか。
それに最後の言葉だけを考えれば、こいつにしてはそれなりに評価してくれたって所だろうか。
まあ、少しは友好的かつ前向きにそう考えても罰は当たらないよな。
それに、すっかりといつものこいつらしくなった事だし、それだけでも良しとしておくか。

「まあ、一応礼は言っておくわ」

だから、少し小さな声でそう付け加えられた時は思わず聞き間違いかと思ってハルヒの顔を凝視してしまったね。
当の本人は言うだけ言うとそっぽを向いていたが、その頬が少し赤く見えたのはきっと見間違いじゃないだろう。
互いに照れ臭さを感じたのか、黙り込んでしまう。あー、何だ。
ほら、いつまでそうやってむくれているんじゃないぞ。

「っ、別にそんなんじゃないわよ」

見当違いだってのは分かっているが、そう言ってこの空気を無理矢理打ち壊す。
それに対してそっけなく返ってきたハルヒの答えに、ついでだからと念を押すように真剣な声で告げる。

「朝比奈さんが戻って来たらちゃんと謝っておけよ」

俺の言葉に特に何も言わなかったけれど、こいつはこいつで今回は珍しく反省しているみたいだし大丈夫だろう。
それから居ない朝比奈さんの代わりにお茶を淹れ、ハルヒに不味いだの、下手だの言われながら他の団員を待つ。
最初に戻ってきたのは古泉と長門の二人で、これはまあ予想通りだな。
後は朝比奈さんと高町さんを待つとするか。
って、ハルヒ、散々文句を言ったんだから、お茶のお代わりは自分で淹れろよ。

「私は団長よ。あんたは平で雑用でしょうが。つべこべ言わずに淹れれば良いのよ」

はいはい、分かりましたよ。
逆らうだけ無駄だと分かりきっているからな。俺は大人しくお茶を淹れる事にするのであったとさ。
はぁ、やれやれ。



 § §



みくるを追い掛けて部室を出た恭也は、廊下の端でその背中を見つける。
消えて行く背中を追って行けば、そこには階段があり、上と下に続く階段をそれぞれ見比べ一つを選んで進む。
屋上へと続く階段を登り、恭也は屋上へと出る。
扉の正面、屋上の端に恭也に背中を見せる形でみくるは俯いたまま立っていた。
扉の開く音で恭也のの存在には気付いているであろうが、足音を立てて近づく。
後数歩といった所で足を止めると、みくるはゆっくりと振り返る。
若干目が赤い気もするが、何とか笑みを見せてくる。

「えへへ、行き成り部室を飛び出しちゃって、皆に迷惑掛けちゃいましたね。
 すぐに戻ってお茶の用意をしないといけませんね」

「えっと、先程はすみません」

何と言って良いのか分からず、恭也はとりあえず頭を下げる。
逆にこれにはみくるの方が驚き、慌てた様子で恭也に頭を上げるようにお願いする。

「恭也さんは悪くないですよ。私の方こそご迷惑を……。
 えっと、その、つまらないものを」

「あ、いえ決してそのような事は……」

お互いに何を口にしているのか気付き、真っ赤になった顔を俯けたまま沈黙してしまう。
どれぐらいそうしていたか、みくるがぽつりぽつりと話し出す。

「私ってばドジだから、いつもキョンくんにも迷惑を掛けてばかりなんですよ。
 今回だって本当にお礼をするつもりだったのに、涼宮さんの言う事を真に受けてしまって。
 涼宮さんは単に私をからかっただけなんでしょうけれど、それに気付かなかった私が悪いんです」

「そんな事はないですよ。その、お礼は純粋に嬉しかったですし。
 恐らくですが、涼宮さんも何か勘違いされているのかもしれませんよ。
 今回の件で俺が知る限りではみくるさんには何も落ち度はないですから。
 寧ろ、咄嗟に反応できなかった俺の方にこそ非が……」

言ってまた顔を赤くする恭也につられるようにみくるも顔を赤くする。
またしても黙り込んでしまう二人であったが、今度は先程よりも早い時間で恭也が話し出す。

「とりあえず、戻りましょう。きっと皆さんも心配されていると思いますよ」

「でも、私涼宮さんに酷い事を言ってしまったし」

戻り辛いと言うみくるに恭也は小さく笑みを見せる。

「あれぐらいでどうこうするような人には思いませんよ。
 大丈夫ですって。いざという時は俺も一緒謝りますから。ほら、行きましょう」

言って差し出してくる手をおずおずと握り、みくるは恭也の横に並ぶ。
まだ不安そうな顔で恭也を見上げ、

「ほ、本当に大丈夫でしょうか」

「多分、キョンが何とかしてるでしょう」

予想と確信半々でそう返すと、恭也は少しだけみくると引っ張るように腕に力を入れ、

「早く部室に戻ってみくるさんのお茶を飲ませてください」

そう言って微笑む。
何を言われたのかは分からずにきょとんとした顔を見せるも、みくるもすぐに満面の笑みを見せると力強く頷く。

「はい、任せて下さい。とびっきり美味しいお茶を淹れますね」

こうして部室へと戻ったみくるは、ハルヒへと謝ろうとして先に謝られる。
慌ててみくるも謝るも、ハルヒは逆に何で謝られたのか分からないという顔をし、理由を聞いて笑い飛ばす。
こうして無事にいつもの光景に戻った部室で、恭也とキョンは期せずして同時に胸を撫で下ろすのだった。



因みに、その日以降もお礼としてお昼にお弁当を作るのだけは続いたのだが、
これは恭也とみくるだけしか知らない事である。





おわり




<あとがき>

おまけ的な話をちょこっとだけ。
美姫 「既に完結しているから、番外編という形でお届けね」
おうともさ。さて、特に何もないし短いけれどこの辺でおさらばするか。
美姫 「それでは、これにて失礼しますね」
ではでは。




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