『incomprehensible ex libris』
第四章
9月20日(水)
AM 7:00
──高町家──
『いただきまーす』
高町家のリビングにそんな声が響く。
皆がいつも通りに朝食を食べ始め、しばらくした頃、桃子が恭也に話し掛ける。
「そういえば、恭也。あんた今日、病院に行く日でしょ」
「む。判っている」
「本当に?まあ、前と違って、ちゃんと行ってるみたいだからいいけど」
「ふふふ、ああ見えてフィリスは怒ると結構、怖いしね。恭也も、それは身に染みてわかってるもんね」
「別にそういう訳ではない。それに前からちゃんと行っていた」
「それは嘘だよ。ちゃんと行ってたら、私や桃子がここまで苦労しないよ」
「う、そ、それは」
フィアッセの台詞に言葉を詰まらせる恭也。
実際、恭也は自ら進んで病院に行くことがなく、
フィアッセや桃子たちにしつこく言われて、やっと渋々ながら行くといった感じであった。
それは多分、自分の右膝がもう治らないと思っていたせいでもあるだろう。
しかし、この春に恭也の担当医になったフィリスが言うには、時間はかかるが恭也の右膝は治るということらしい。
その為、恭也は最近ではちゃんと通院をするようにしている。
そして、今日はその通院の日であった。
「でも、良かったね恭也」
「ああ」
「ホント、恭ちゃん最近は右膝の調子も良いみたいだしね」
「確かに、右膝の調子はかなりいいな」
「でも、だからって無理したりしたら駄目よ恭也」
「判ってるよ、母さん」
「師匠はこれから病院でしたよね」
「ああ、何でもフィリス先生は、昼から用事があるらしい。だから、今日は朝に診察してもらう事になっている」
「そんならお師匠は、全校集会に出んでもいいんですね。ちょっと、うらやましいです」
「全校集会?今日はそんな物があったのか」
「え、恭ちゃん知らなかったの」
「海中と風校の生徒全員を体育館に集めて、校長先生から話があるそうですよ」
「昨日のHRで言われませんでしたか?お師匠」
「言っていた様な気もしないでもないが」
「はぁ、恭ちゃんまた、寝てたの?」
「また、とは失礼な。そんなにいつも寝ている訳ではない。昨日はたまたまだ」
「でも、昨日は寝てて聞いてなかったんでしょ」
「・・・その通りだ。所で、なぜ急に全校集会を?」
「その事なんですが・・・。
うちもひなこから聞いたんで詳しくは知らんのですが、なんでも今日以降の授業内容に少し変更があるとかいうんを言ってましたが」
「それ、私も初耳」
「授業内容の変更?レン、雛村さんはその話をどこから聞いたんだ?」
「ああ、それは文芸部の先輩がたまたま職員室の前でそんな話を聞いたらしいです。
授業内容というより、生徒を早く下校させるとか、なんとかいう話やったらしいですが」
「じゃあ、今日の全校集会はその件ってことですかね師匠」
「多分な」
晶に返事をしながらも、恭也は別の事を考えていた。
(まさかリスティさんの言ってた話と何か関係があるのか。後で確認してみるか)
「恭ちゃん、どうしたの?」
「いや、なんでもない。それより皆、時間はいいのか」
「「「あっ」」」
言われて時計を見て時間を確認すると、三人は慌しく動き出す。
「あかん、話し込み過ぎた」
「ったく、ミドリガメが朝から余計な事を言うから」
「なんやと。なにが余計な事やねん、このおさるが」
「ちょっと二人とも、そんな事してる場合じゃないよ。早く行かないと」
「あっと、そうだった。命拾いしたな」
「それはこっちの台詞や」
「もう、先に行くからね」
「「あ、待って、美由希ちゃん」」
美由紀たちはバタバタと慌しく家を飛び出していく。
すでに年長の二人と最年少の少女は、いつもの時間に家を出ていて、この家に今いるのは恭也だけとなる。
「さて、俺も準備をして出かけるか」
ゆっくりとお茶を飲み干し、自分の部屋へと歩いて行く。
そして、準備を済ますと家を出て、病院へと向かった。
◇ ◇ ◇
──海鳴大学病院──
部屋にノックの音がして、ドアが開く。その開いたドアから恭也が部屋の中へと入ってくる。
「・・・おはようございます、フィリス先生」
「はい、おはようございます恭也くん。今日はごめんなさい。
私の都合で、診察が午前中になってしまって」
「その事でしたらお気になさらないでください。別に問題ないですから」
「でも・・・」
「本当に大丈夫ですから」
「そうですか。ありがとうございます、恭也くん。では早速、診てみましょうか」
「はい、お願いします」
フィリスは恭也を座らせ、恭也の右膝の診察を始める。
「うーん・・・大分、良くなってきてますね」
「そうですか、ありがとうございます。確かに最近は結構、調子がいいです」
「それは良かったです。でも、だからと言って油断したら駄目ですからね。
鍛練をするのはいいですけど、ちゃんとその後ケアをして、定期的に通院してくださいね」
「・・・判っています」
「本当に判っていますか?」
「信用ないんですね」
「ええ、ことこの件に関する限りでは信用できませんね。
恭也くんの周りの人たちから色々聞いてますし、実際に私が担当になってからも何度かありましたから」
「・・・・・・すいません」
居心地が悪そうに椅子に座りなおしながら謝る恭也を見て、フィリスの口元に笑みが浮かぶ。
「冗談ですよ。最近はちゃんと来てますしね」
「はい」
「じゃあ、整体の方もしておきましょう」
「整体もですか・・・」
「ええ、少し左足に負担が掛かっているので、それを治しておきましょう」
恭也は渋々といった感じでうつ伏せに横たわる。
それからの数分間、この部屋からときどき、呻き声が聞こえたという・・・。
◇ ◇ ◇
「ふぅー。なんか少しだけ体が軽くなった感じがするな」
診察を終えた恭也は今、病院の廊下を歩いている。
恭也の歩いて行く先──ロビーから恭也の知っている人物が現れる。
「Hi、恭也。診察かい?」
「あ、リスティさん。おはようございます。所で、リスティさんはどうしたんですか」
「ああ、別に大した事じゃないよ。ちょっとね」
「そうですか。そうだ、ちょうど良かったです。リスティさんに聞きたい事があったんです」
「聞きたい事?」
「ええ」
「OK。じゃあ、恭也の学校に行く道すがらにでも聞こうか。これから行くんだろ?」
「ええ。でも、リスティさんの用事は」
「ああ、もう終わった。じゃあ、行こうか」
「はい」
恭也とリスティは並んで病院から外へと出る。そして、しばらく無言のまま歩く。
「さて恭也、聞きたい事があるんだったね」
「はい、そうです」
「安心しな、恋人ならいないよ。だから告白なら、いつでもOKだよ」
「ち、違います。そんな事を聞きたいんじゃないです」
「そんなに力一杯、否定されるとそれはそれで傷つくな」
「あ、すいません」
「冗談だ。前にも言ったと思うけど恭也は堅すぎるよ。もう少し楽に生きないと」
「俺も前に言ったと思いますが、今のままで充分です」
「はぁー。まあいいや。で、聞きたい事ってのは?」
「はい。昨日聞いた失踪事件の件なんですが、あれはマスコミには伏せているんですよね」
「一応、今のところは漏れていないと思うよ。もっとも、時間の問題だと思うけどね。
あれだけの事件だ、隠し通す事なんてできないだろうな。それが?」
「いえ、今日うちの学校で全校集会が行われるんですが、その内容がちょっと気になって」
「ふーん。例えば、時間割が変更されて生徒たちを早めに帰宅させる、とかかい」
「なぜ、それを?」
「昨日のうちに言っておけば良かったな。とりあえず、全国の小中学校と高校には昨日付けでそういう指示が出ているんだ」
「どういうことですか?」
勢い込んで聞く恭也を片手で制しながら、残るもう一方の手で懐を探りタバコを取り出す。
タバコに火をつけ、それをゆっくりと吸う。そして、一度紫煙を吐き出してから再び、話し出す。
「簡単なことさ。St−01、これのせいだよ」
「St−01?」
「ああ、昨日話した失踪事件の事さ。僕らの間ではSt−01と呼んでる。strange──妙な、普通でない事件ってことさ。
今のところ全くと言っていいほど捜査に進展もないしね。だから、再び起こる事を防ぐことを最優先としたって訳さ。
そして、このSt−01事件の起こる状態ってのを推測したらしい」
「ちょっと待って下さい、リスティさん。推測したって事は他にも何件か同じ様な事が起こったんですか」
しまったという顔をして目をそらすリスティを、恭也が更に問い詰める。
「リスティさん」
「はぁー。判った、教えてあげるよ。ただし、これは完全に部外秘の情報だからね。
まあ、恭也はあながち無関係でもないのかもしれないし」
リスティの言葉に無言で頷く。
(例の本の件もあるけど、それ以外にもね。まあ、こっちはまだ調査中だから伏せておくか)
「このSt−01は現時点で4件確認されている。
一番最初に起こった事件は、9月17日の午後3時頃で、長野県にある工場内の人が全て失踪した。
これは日曜だったこともあって、そんなに大人数じゃなかったが、その代わり、気付いたのが次の日の月曜になってしまった。
次が同日の午後11時半過ぎ。埼玉県にある研究所で、夜勤の研究員と警備員が揃って全員失踪。
3件目が9月18日の午前9時半に群馬県の病院で、医者、患者を含め病院内にいた全ての人が失踪。
そして、4件目が昨日話した9月18日午後3時、東京のオフィスビル。
場所や建物、犯行時刻全てがバラバラで、全く関連性が見えない。
そもそも、これらが同一犯だと判断されたのは一昨日の事件以降だ」
そこまで話してリスティは、短くなったタバコを携帯灰皿に押し付ける。
それから再び、口を開く。
「ただ、この4件共に共通していると思われる事があってね。
それが、ある程度閉鎖された空間内に大人数がいる事。そして尚且つ、人の出入りが少ない所って訳さ。
ま、飽く迄、推論だけどね。ただ、平日でも今の条件を満たしている所って言ったら、何処だと思う?」
「・・・・・・それが、学校ですか」
「そういうことさ。だから、昨日の昼頃に全国の学校へ連絡がされたのさ。
もっとも、事件の事は隠して連絡されてるから、どういう風に伝達されたかまでは知らないけどね」
「そういう事ですか」
「流石に捜査しながら、全国の学校の警備って訳にもいかないしね。で、そっちはどう?美沙斗と連絡はついたかい」
「いえ、あと2、3日は無理みたいです」
「はぁー、まあ仕方がないか。そっちは気長に待つことにするよ。
後、例の本の入出だけど、多分なんとかなりそうだよ」
「本当ですか」
「ああ、事件には直接関係ないみたいだからね。こっちも2、3日したら届くはずだ。届いたら連絡するよ」
「ありがとうございます」
「いいって、気にするな。それに今回の事件、また恭也の力を借りることになるかもしれないし」
「ええ、手伝える事があれば、遠慮せずに言ってください」
「お言葉に甘えさせてもらうよ。さて、おしゃべりもここまでだな。ちょうど学校に到着したし」
リスティはそう言って足を止め、それにつられるように恭也も足を止める。
「で、恭也はどうするんだい?あの様子だとまだ、全校集会をやってるみたいだけど。全校生徒の前に遅れて登場するかい?」
「・・・・・・屋上で時間を潰しますよ」
「堂々と入っていけば良いのに。まあ、恭也にそれを期待するのは無理か」
「俺でなくても無理だと思いますよ。では、これで」
「ああ、じゃあまた。くれぐれもSt−01の件は内密にな」
「はい、判っています」
「まあ、犯人の奴らがこの学校を狙って来た方が、話は早いんだけどね。そしたら、恭也が全員を捕まえてくれるだろうし」
「・・・犯人がどんな人物か判らない以上、そう簡単にはいかないと思いますけど。
大体、短時間の間に大人数の人を攫う奴らを相手に、そんなに簡単に済むとは思いませんし」
「ははは、冗談だよ。それぐらいは判ってるって。恭也はもう少し楽に考えないと」
恭也はため息を一つつくと、リスティに向かって口を開く。
「「俺は今のままで充分です」」
自分の台詞を同じ様に言われ、思わず顔を顰める。リスティはそんな恭也に向かって、少し自慢気に笑う。
「じゃあね、恭也。屋上で寝過ごさないようにしなよ」
「判っていますよ」
少し憮然と答え、校舎へと入っていく恭也。
その背中を見送って、リスティは懐からタバコを取り出し、火を点けながら今来た道を引き返す。
この時は二人とも、冗談が本当になろうとは思ってもいなかった・・・・・・。
<to be continued.>
<あとがき>
第4話終了ーーーー。
美姫「ねえ、浩。早速だけど質問が来てるわ」
なになに?
美姫「全ルート通過後の話なのに、この時期にフィアッセが海鳴にいるのはなぜ?」
それは、説明してなかったかな。
つまり、コンサートは現在、行われていません。理由は後に本編で出てきます。
コンサート自体は無くなった訳ではなくて、9月10日から少しの間は休暇という形になってるんです。
その休暇を利用してフィアッセは海鳴に戻って来ているという訳。OK?
美姫「ちょっと無理があるような気もするけど」
それは言わないで。だって全ルート通過がすでに無理。
美姫「確かにそうなんだけど」
まあまあ、とりあえず次は第5話。
美姫「次は美由希ちゃんがメインだっけ」
いや、そうでもないかも・・・。と、とにかく、それは読んでのお楽しみということで。
美姫「はいはい。では、また次回作で」