『マリアさまはとらいあんぐる』
第5話 「山百合会の優雅(?)な放課後」
HRが終わるやいなや、生徒たちが恭也を囲み途中まで一緒に下校しようと誘い始める。
恭也はそれらを用事があると言って断わると、祥子と連れ立って薔薇の館へと向った。
薔薇の館には既に全員が揃っており、恭也たちが来るのを待っていた。
「さて、本日の主役も来た事だし、行きますか」
聖の言葉に全員が頷くと席を立つ。
「さて、まずはどこから行きますか」
「外を一通り案内してから校舎内で良いんじゃない」
蓉子の言葉に従い、まず外から見ていくことにする。
「まず、ここが武道館になります」
先導する三薔薇たちの後ろを歩きながら、志摩子が恭也の横で説明をする。
「私やお姉さまが所属している剣道部はここで部活動してるわ」
「まだ始まってないみたいだけどね」
「中は、良いわよね。じゃあ、次に行きましょう」
祥子の言葉を切っ掛けに再び歩き始める。
その後、第一、第ニ体育館、温室と案内されていく。
「そして、ここが聖堂になります」
「聖堂……ですか」
「はい。後、週一回、お聖堂朝拝というのがあります」
恭也は微かに顔を顰めるが、本当に微かな変化だったため、誰も気付かなかった。
「後、今日はやっていないかもしれないけど、放送朝拝があるから」
志摩子の言葉に続けるように言った祥子の言葉に、はっきりとした変化ではなかったが再び顔を顰める。
それに気付いた聖が声を掛ける。
「大丈夫だって。そんなに堅苦しいものじゃないから」
「そうですか」
どこか安心したような顔を見せる恭也を面白そうな顔で見る聖。
「神様なんて信じない?」
「はい、いえ、そうじゃなくてですね」
「ははは、気にしない気にしない」
そう言って聖は恭也の肩を叩く。
それに対し、恭也は何ともいえない顔をして曖昧な返事をする。
「は、はあ」
「あ、あの、お姉さま。恭也さんが困っていらっしゃるみたいなので…」
「ふ〜ん」
聖は意味ありげな笑みを浮かべると、志摩子から顔を逸らし俯く。
「うぅぅ。姉妹の絆も男の前には無力なのね」
「お、お姉さま!な、何を…」
普段の志摩子からは考えられない程の大声と慌て様に、聖は志摩子には見えないようにこっそりと笑みを浮かべる。
そして、そのまま芝居掛かった仕草に祐巳に抱きつく。
「祐巳ちゃ〜ん、妹に振られた可哀相な私を優しく慰めて〜」
「ロ、白薔薇さま!は、離してください」
「いや」
「そ、そんな〜」
「ん〜、祐巳ちゃんの抱き心地は最高ね〜」
「白薔薇さま、いい加減にしてください。抱きつくならご自分の妹にでもなさってください」
「だって、志摩子はさせてくれないもん」
「お姉さまがお望みでしたら、どうぞ」
聖と祐巳のやり取りを見ているうちに、落ち着きを取り戻したのか志摩子はいつもの様に微笑みながら言う。
「ほら、白薔薇さま。志摩子もああ仰っていますわよ」
「だって、反応が面白くないしー。それに……」
聖は志摩子を一度見て、再び笑みを浮かべると、
「私よりも他の人に抱きつかれる方が、志摩子も嬉しいでしょ」
そう言って意味ありげに恭也を見る。
「お、お姉さま!」
聖の言葉に志摩子は顔を赤くすると、また慌てだす。
それらを首を傾げながら見ていた恭也は、祐巳を助けるべきかどうか悩んでいた。
(うーん。どうもただのコミュニケーションみたいだし、放っておくか)
結局、放っておく事にした恭也は事態を何となしに見詰める。
「白薔薇さま!いい加減に祐巳を離してください」
「祥子が怖〜い」
そう言って更に祐巳に抱きつく聖。
それに対し、眦を上げる祥子を見て祐巳は助けを求めるように周りを見る。
(志摩子さん。ご自分のお姉さまを何とかして〜)
悲鳴にも似た叫びを心の内で上げながら志摩子を見るが、肝心の志摩子は赤くなった頬を押さえ、こちらの現状には気付いていない。
(なら、同じ薔薇さまの……)
次いで見た黄薔薇さまは面白そうに事態を眺めている。
(だ、駄目だ〜。黄薔薇様がこんな面白そうな事を自分から止めるはずがないし…)
その祐巳の心の声が聞こえたのか、江利子は祐巳と視線が合うと楽しそうに笑う。
(あ〜、やっぱり。は、早く何とかしないと、お姉さまが……)
このままの状態が続き、祥子の怒りが限界まで達した時の事を思い祐巳は顔を青くさせる。
そして、期待を込めて令と由乃を見るが、二人は手を合わせて謝る仕草をする。
(ごめんね、祐巳さん。私も助けてあげたいんだけどね)
(う、嘘だ。あれは絶対に面白がってる〜)
殆どパニックになりかけながら、何とか自力で抜け出そうと試みるが、思いのほか強い力で拘束されており、
祐巳の力では抜け出せそうもなかった。
(あ〜〜〜)
そうこうしている内に、祥子の怒りが頂点へと向って行く。
それを感じながら祐巳は絶望感に包まれる。
(あれは怒り出す前の前兆……。
祥子さまの色んな事が分かるようになって来たのは嬉しいけど、こんなのは分かりたくないよ〜)
実際、よく怒られてばかりいた祐巳は祥子の不機嫌な時や怒り出す前兆みたいなものの方がよく分かるようになっていた。
それが良い事なのかどうかは別として。
「ほら、いい加減にしなさい聖。まだ学園の案内も終ってないんだからね」
「分かったわよ、蓉子」
突然掛けられた蓉子の声に、聖は素直に従うとあっさりと祐巳を開放する。
「ふぇっ?」
あまりにも簡単だったため、祐巳は思わず変な奇声を上げる。
それに眉を顰めながらも、何も言わずに祥子は祐巳の目の前に来るとそっと手を上げる。
思わず目を閉じる祐巳だったが、祥子の手は祐巳のタイを掴むと、そっと歪みを直す。
「はい、これで良いわ」
そう言って微笑みを浮かべる祥子の顔を、祐巳はどこかむず痒いものを感じながらも嬉しそうに見詰める。
「う〜ん。もし祐巳ちゃんに尻尾があったら、きっとパタパタと振ってるわね」
「ふふふ。そうかもね。でも、悪戯が過ぎるわよ聖」
「いやいや、私はこうなる事を見越して抱きついたんだよ。
ほら、見なよ。あの祐巳ちゃんの嬉しそうな顔を。ね」
「何、無理矢理綺麗にまとめようとしてるのよ。全然、説得力がないわよ」
「ああ〜、悲しいわ。私のいう事を信じてくれないのね。私はこんなにも蓉子の事を愛してるというのに」
「はいはい。私も聖の事を愛してるわ。だから、さっさと次に行きましょう」
「了解。じゃあ、次はどこかな?」
「次は、校舎内ね」
聖と蓉子のやり取りに江利子が加わる。
「そうね。じゃあ、行きましょうか」
蓉子が纏めるように言うと、三人は校舎へと向って歩き始める。
それを見ながら祐巳は改めて、色んな意味で薔薇さまたちは凄いと認識するのだった。
校舎の上から下へと案内して行く。
2階の案内をしている所で恭也は、自分たちを陰からみている者がいる事に気付く。
(殺意はないみたいだし、放っておくか)
恭也は先程から案内される先々で多くの生徒から好奇の視線を向けられており、今度もそれだろうと考え放置する事にする。
だが、一応の用心は怠らず、何かあればすぐに動けるようにする。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもありませんよ」
志摩子の問い掛けに恭也はそう答える。
「そうですか。では、次の場所へ」
「と言っても、ここも上の階と大して違わないけどね。各教室と特別教室があるぐらいだし」
「確かに令の言う通り、大した違いはないわね」
令の言葉に相槌を打ちながら祥子も言う。
「そうですね。では、特別教室だけ教えてもらえますか」
「はい、こちらになります」
恭也の言葉に志摩子は恭也を連れて歩き出す。
「それにしても……」
どこか呆れたような口調で何か言いたそうな聖の言葉を由乃が続ける。
「どこからわいて来たんだか」
「よ、由乃さん。わいて来たってそんな」
「だって、事実じゃない」
由乃と祐巳は周りには聞こえないように声を押さえて話す。
「確かに、これは凄いわね」
「ええ。でも、あまり面白い事は起こりそうもないわね〜」
蓉子の言葉に江利子は残念そうに呟くと、改めて周りを見る。
そこには、恭也たちを遠巻きに囲むように人だかりが出来ていた。
「何故、こんなにも人が来るのよ」
人込みのあまり好きでない祥子が吐き捨てるように言う。
「お、お姉さま、落ち着いてください」
「私は充分落ち着いているわよ。ええ、落ち着いていますとも」
「すいません、恭也さん。他の生徒たちが…」
志摩子がそっと謝るのを恭也は制し、
「いえ、気にしないで下さい。志摩子さんの所為ではありませんし。
それに、それだけ皆さんの人気があるという事なのですから」
恭也は事前にリスティより聞いていたリリアンの山百合会の事を思い出し、そう告げる。
曰く、山百合会のメンバーは全校生徒の憧れの存在である、という奴を。
その恭也の言葉に、山百合会の面々は祐巳も含め、呆れ混じりの溜め息を吐く。
「ここまで鈍感だと、ある意味凄いわね」
面白そうに言う聖に他の面々も頷く。
「でも、その方が面白いじゃない」
「確かに黄薔薇さまの言う通りですけど…」
「由乃」
江利子の言葉に同意する由乃を令が軽く窘める。
が、それが気に喰わなかったのか、由乃は令に喰ってかかる。
「何よ。先に言ったのは黄薔薇さまでしょ。何で私だけ注意するの」
「よ、由乃、落ち着いて」
何とか宥めようとする令の横で、祥子はもう一つ溜め息を吐くと、恭也へと話し掛ける。
「恭也さん、この人たちは皆、貴方を見に来てらっしゃるのよ」
「はい?自分がですか?」
「ええ」
「まあ、確かに女子校に男がいるのは珍しいから仕方がないですけど……」
「別に珍しいからだけじゃないと思いますけど」
恭也の言葉に祐巳が珍しく鋭い事を言う。
その言葉に首を傾げ、恭也は真面目な顔で山百合会の面々に尋ねる。
「そんなに危害を加えそうに見えるんですかね?
…やはり、昼の新聞部の部長……三奈子さん、でしたっけ。
彼女を怖がらせた件が広がってしまったんでしょうか」
その恭也の言葉に全員が一瞬惚けたような顔になり、揃って溜め息を吐く。
「どうかされましたか?」
「いえ、別に」
「ただ感心してただけよ」
蓉子は苦笑しながらもそう答え、聖は心底、感心した様子で告げる。
それらを見ながら江利子はただ笑っているだけだった。
「祐巳さん、薔薇さまたち楽しそうね」
「ええ。何か企んでなければ良いんですが」
「それよりも、私は恭也さんのあの鈍感さに感心するわ」
「令の言う通りね。何でも、妹さんたちからも同じ様に言われてたみたいよ。
最も、本人は全く自覚ないみたいだけど」
「でも、そこがまた素敵な所なんですよ、きっと」
「ほうほう、惚れた弱みと申しましょうか、痘痕もえくぼとはよく言ったもんね」
「よ、由乃さん」
何やら騒ぎ始める祥子たちに恭也は声を掛ける。
「あの、そろそろ次の場所へ……」
「そ、そうですね。では、次はこちらです」
恭也の言葉に志摩子は真っ先に反応すると、恭也に並んで歩き出す。
それから一通り校舎内を案内し終えると、恭也たちは薔薇の館へと向かう。
他の生徒たちもそこまでは付いて来ようとはせず、薔薇の館へと続く道を恭也たちだけで歩く。
「今日はありがとうございました」
改めて礼を述べる恭也。
と、後ろから声が掛けられる。
「やっほー、祐巳さん」
「蔦子さん、どうしたの?」
「うん、ちょっと噂の転入生を見ようかなー、って」
「いつもみたいに写真に撮らなかったの?」
「私が撮るのは女子高生よ。最もその最高の瞬間を収めるときには、相手も一緒に撮るけどね。
それはその時にならないと分からないわ。
でも、志摩子さんのいい表情には何度かシャッターを切ったけどね。勿論、いつもの様に祐巳さんにもお世話になったけど」
「ええっ、と、撮ったの」
「と、撮られたんですか?」
期せずして、祐巳と志摩子の声が重なる。
それに対し、蔦子は笑みを浮かべ、
「もうばっちり……と、言いたいんだけど。はぁ〜」
そう言うと蔦子は恭也をちらりと見る。
(志摩子さん個人だけのは何枚か撮れたんだけど、こっちの転入生とのツーショットがねー)
いざツーショットを撮ろうとすると、計ったかのように恭也の姿がフレームの外へ行ったり、完全に背を向ける形になる。
お陰で、恭也の顔が写った写真は一枚もない。
これは恭也が何となく視線に気付き、動いていたためなのだが、蔦子にそれを知る由もなく、ただ項垂れる。
「あ、あの蔦子さん、後でその写真…」
「ん?ああ、大丈夫よ。ちゃんと見せるから」
志摩子の言いたい事を察してそう答える。
そんな蔦子に由乃が声を掛ける。
「何か落ち込んでるみたいだけど、どうかしたの?」
「そうなのよね〜。それが……」
蔦子は恭也と山百合会メンバーのツーショット写真が撮れなかった事を悔やんでいる事を言う。
「確かにシャッターチャンスだと思ったんだけど、結果は全部駄目。
何か、撮る直前に恭也さん、だっけ?に気づかれて、避けられているような錯覚に陥ったくらいよ」
「じゃあ、恭也さんの写真はないんですか……」
残念そうな声で告げる志摩子に蔦子の目がキラリと輝いたように見えたのは、祐巳の気のせいだったのだろうか。
蔦子は志摩子の耳元に顔を近づけると、
「ほうほう、恭也さんの写真が欲しいとな」
「べ、別にそんな事は……」
「まあまあ。落ち着いて」
志摩子にそう言うと、今度は恭也の方に向きなおり、
「私は武嶋蔦子よ。宜しくね。一応、写真部なの」
そう言って右手を差し出す。
恭也は一瞬だけ躊躇うが、断わる訳にもいかず、その手を取ると、
「俺は高町恭也です。宜しく」
挨拶を返す。
「ありがとう。で、相談なんだけど、写真を撮らせてくれないかな」
「俺の写真なんか撮ってどうするんですか?」
「大丈夫よ。誰かに無断であげたりとかはしないから。まあ、記念だと思って」
蔦子の言葉を証明するように、祐巳や由乃が恭也にも蔦子の事を説明する。
蔦子は被写体の許可なく、その写真を公開する事はしないと。
それでも躊躇している恭也に蔦子が声をさらに話し掛ける。
「ほら、山百合会の人たちに対する今日のお礼と思ってさ」
こう言われると恭也も断わる事が出来ず、黙って頷く。
(やっぱり義理堅い人だったか)
案内されている恭也をずっと見ていて感じた事を再認識すると蔦子は、それをおくびにも出さずカメラを構える。
「じゃあ、始めは集合写真という事で、皆さん薔薇の館をバックに…」
その後の蔦子は、水を得た魚のようにシャッターをきっていく。
恭也とのツーショットに始まり、姉妹揃ってや、三薔薇さまの写真と、あらゆるパターンで撮っていく。
「あら、もうフィルムがないわ」
予備に持っていたフィルムも使い切った所で、蔦子は残り1枚となったカメラを見る。
「じゃあ、最後に恭也さん一人で……」
全てのフィルムを使いきり、本当に良い笑顔を浮かべる蔦子とは対照的に、どこか疲れたような表情の祥子たちだった。
「何か、恭也さんをダシに上手い事騙された気分だわ」
「祥子さま、それは誤解ですよ」
「本当かしらね」
「紅薔薇さままで。とりあえず、今日の写真は明日にでもお持ちしますので。では、失礼致します」
そう言うと蔦子は、部室へと向って少し早足で歩いて行った。
それを見送りながら、恭也は一言零す。
「疲れた」
簡単な一言だが、この場にいる誰もが思っている事だった。
その後、薔薇の館へと入り、それぞれが帰宅に着いたのだった。
こうして、概ね平和に恭也の転校初日は幕を降ろしたのだった。
写真部部室。
今、ここで蔦子が先程撮った写真の現像をしている。
「ほい、出来たっと。後は……」
蔦子は出来上がった写真を水をよく切って、フィルムクリップに付けて吊していく。
「後は乾かすだけね」
最後の一枚を吊るした所で、蔦子の手が止まる。
その目はたった今、吊るしたばかりの写真
その写真に写っていたのは恭也一人だった。
「はぁー、確かに美形ね」
写真の中の恭也に思わず見惚れる。
が、蔦子がその写真に見惚れたのは何も恭也の外見だけではなかった。
(恭也さん、だったけ。凄い人ね。心の奥に何か人とは違うものを持っている。
それはとても強くて大きなもの。そして、きっ優しいもの。
私の今の腕では恭也さんの全ての時間を切り取る事はきっとできないわね)
そう思うと、知らず笑みが浮かんでくる。
「ふふふ。久しぶりだわ。祐巳さん以外にこんなにも写真にを撮ってみたいなんて思う被写体は……。
しかも、相手は女子高生じゃないってのにね。ふ、ふふふふふふふ」
光の射さない暗室で、蔦子は一人怪しげな笑みを浮かべ続けていた。
つづく
<あとがき>
と、言う訳で学校案内編。
美姫 「これで、全校生徒の殆どに恭也の存在が知れ渡ったわね」
そうだね。護衛に影響が出なければ良いけど。
美姫 「でも、薔薇さまたちがあまり活躍してないような……」
まあ、転校初日だし。
美姫 「最後までこのままだったりして…」
ふふふ。それはどうかな?
裏でこそこそ暗躍をするはず……。(多分)
美姫 「へぇ〜。一応、考えてはいるんだ」
当たり前ですよー。(多分)
美姫 「さっきから微妙に言葉の最後辺りに違和感を感じるんだけど」
気のせい、気のせい(多分)
美姫 「怪しいわね」
はいはい、ではでは。
美姫 「ちょ、何強引に締めてるのよ」
ご機嫌麗しゅう〜。
美姫 「あ、こら〜。待ちなさい!」