『マリアさまはとらいあんぐる』
第18話 「前夜」
深夜、小笠原邸の庭。
今この時間、ここに二つの人影があった。
片方はその場に立ったまま、残るもう片方の影は座りこそしていないものの、膝に手を付き呼吸を整えていた。
「はー、はー。ふー」
片方の呼吸が整ったのを見て、もう片方が声を掛ける。
「よし、今日の鍛練はここまでにしておくか」
「うん。師範代、ありがとうございました」
月の光が射す中、先程まで呼吸を整えていた人物──美由希が、恭也へと頭を下げる。
それが済むと、美由希はその場に腰を降ろす。
それに倣うかのように、恭也も腰を降ろすと空を見上げる。
「はー、恭ちゃんとの鍛練は久し振りだったから、ちょっと普段よりハードになっちゃったね。
膝、大丈夫?」
「ああ、問題ない。それよりも、ちゃんとメニューはこなしているか」
「うん。オーバーワークにならないように気をつけながら、ちゃんとしてるよ。
だから、恭ちゃんも気にしないで、仕事の方に集中して」
「ああ、分かっている」
暫らく無言でお互いに星を見るとはなしに見詰める。
その静寂を美由希が破る。
「小笠原さんを狙っている人たちって、何が目的なんだろうね」
「さあな。ああいった奴らの考えなんて、考えてみた所で分からないさ」
「うん…。でも、直接本人を狙うのもあれだけど、それをせずに近くの最も弱いものを狙うなんて、許せないよ」
美由希の少し怒りを顕わにした言葉に、恭也は無言で答える。
恭也とて美由希と同じ思いではある。だが、戦術において、敵の弱い所をつくのは間違いではない。
そんな事を頭の片隅で思いつつ、恭也はゆっくりと、だがしっかりとした口調で答える。
「その為に、俺たちがいるんだ。そいつらの好きにはさせないさ。
絶対に守ってみせる。俺たちの刃はその為のものなんだからな」
「…うん」
恭也の言葉に、美由希は頷く。
それを気配で感じながら、恭也は美由希へと話し掛ける。
「で、明日は俺の代わりに頼むぞ」
「うん、任せてよ。だから、恭ちゃんも楽しんでおいでよ」
「楽しむも何も、たまたまゲームの結果そうなっただけだからな。
まあ、あの二人の邪魔をしないようにしてるさ」
真顔で言う恭也を見ながら、美由希は盛大な溜め息を零す。
「はあ〜。
女子校という周りを女性に囲まれた状況で、かれこれ二週間も過ごしたというのに、我が兄の鈍感さはあいも変わらずですか。
ううん、寧ろ前より悪化してる?」
「なかなか失礼な事を言うじゃないか。どうやら、久し振りの鍛練があれぐらいでは足りないらしいな」
恭也は指を鳴らしながら、美由希へと視線を向ける。
それを見て、美由希は激しく首を振る。
「い、いいよ〜。これ以上やったら、オーバーワークになって、フィリス先生に何を言われるか」
フィリスの名前が出た所で、恭也の動きが一瞬止まる。
そして、脳裏に外見からは想像も出来ないほどの力を使い、笑顔でマッサージをしてくる姿が浮ぶ。
「今回は許してやろう」
「あ、あははは。た、助かった〜」
乾いた笑みを浮かべつつ、安堵の息を洩らすという、なかなか器用な事をしながら、美由希は言う。
そんな美由希に、
「で、美由希たちは明日はどうするんだ?」
「うん、私たちは午前中は家にいて、午後から街を周る予定だよ」
美由希の言葉に頷く。それを眺めながら、美由希は話を続ける。
「祥子さん以外にも、蓉子さんや祐巳さんも一緒みたい」
「祐巳さんか。なのはは彼女にやたらと懐いていたようだが」
「うん。なのは、祐巳さんを気に入ったみたいだね」
「そうか。それよりも、しっかり頼むぞ」
「任せてよ」
「ああ、護衛の件に関しては安心してる。落ち着いてやれば、そこらの奴が相手なら大丈夫だろうからな。
ただ、それ以外の事が少し不安でな」
「それ以外って?」
恭也の言葉に、首を傾げながら尋ねる。
そんな美由希を見ながら、恭也は真顔で言う。
「くれぐれも、迷子などになって、祥子たちに迷惑をかけないようにな」
「う、うぅぅ。だ、大丈夫だよ」
「そうか、それなら良いが」
微笑を浮かべながら頷く恭也を見て、美由希は口の中でもごもごと何事かを呟く。
微かに漏れ聞こえる言葉から察するに、恭ちゃんってば、意地悪なんだから、とか、そういったような事を言っているらしい。
それを聞こえてない振りをしつつ、真顔になると、
「何かあれば、すぐに連絡を入れろ」
美由希に幾つか注意を促がす。
それに頷きを返す美由希を満足げに見ながら、最後の質問をする。
「お前たちは夕方頃、そのまま帰るのか?」
「うん、そのつもりだよ。元々、荷物は持ってこなかったから、街を周った後、そのまま駅から家に帰るよ」
「そうか。大体何時ごろだ?」
「えっと、5時頃かな?」
「そうか。行けたら、行く」
恭也の言葉に、美由希は頷く。
これで話は終わりだと、恭也は立ち上がる。
それに見て、美由希も立ち上がると、玄関へと向う。
その途中、恭也は何かに気付き立ち止まると、美由希に言葉を投げかける。
「そうそう。一つ言い忘れていた」
「なに?」
振り返った恭也に、美由希は聞き返す。
それを聞きながら、一つ間を開けると、
「俺は今、高二だ。そして、お前は俺の妹なんだから、年や学年を聞かれたら……」
「あ、うん。分かった。じゃあ、なのはにも言っておかないと」
「いや、なのはは問題ないだろ。元々、離れてるんだし。それが少しぐらい縮んだ所で、どうという事はない。
ただ、お前の場合は、本当の学年を言ってしまうとな」
「ははは。確かにね。うん、分かったよ。大丈夫」
恭也は妙な自信を見せる美由希に、不安を覚えつつもとりあえずは納得すると、再び歩みを進める。
その横に並びながら、美由希は前方の闇を見詰め、そっと呟く。
「このまま何事も起こらないで、事件が解決すれば良いのにね」
その言葉に、恭也はただ無言で頷くのだった。
◇ ◇ ◇
「明日の天気は晴れ。着ていくものもちゃんと用意したし。目覚しもセットしたわ」
志摩子は自室で、明日に備えて色々と準備したものの確認をしていた。
もっとも、かれこれ何度目になるのかは分からないぐらいだが。
「何か、緊張してきたわ」
志摩子は自分の胸を押さえ、そっと深呼吸を繰り返す。
しかし、意識した所為か、鼓動は余計に早くなるばかりで、全然静まろうとはしない。
「大丈夫よ、そんなに緊張しなくても。お姉さまも一緒なんだし。
そ、それに、ゲームのルール上での事だもの。特に深い意味なんてないわ…」
そう考え、口に出す事によって、何とか緊張は解れたが、今度は逆に落ち込みだす。
「そうよね……。恭也さんにとってはただ、ゲームの決め事上での事よね」
落ち込んだかと思ったら、急に顔を上げ首を軽く振る。
「ううん。それでも、明日一緒にいられるのは間違いないんだし。
そ、それに、そうやって少しずつでも近づけていけたら…。そうよね、それが大事よね。
だって…」
普段の志摩子を知る者が見れば、驚く事間違いないぐらいに、ソワソワとしている様子は、
しかし、一方で志摩子を可愛らしく見せていた。
やがて志摩子はベッドに入ると、目を閉じ、明日に備え眠りにつくのだった。
つづく
<あとがき>
デート編を期待された方、すいません。
デート前日のお話でした。
美姫 「で、次回こそは…」
勿論です。
次回は本当にデート編。
何処まで書けるかは分かりませんが、とりあえずデート編なのはまちがいなし。
美姫 「本当に?」
…………多分。
美姫 「細切れ、千切り、輪切り、どれが良い?」
え、遠慮します。そ、それに急いで次を書かないといけないので。
美姫 「ふ〜。仕方がないわね。今回は許してあげましょうか」
おお、サンキュー!ではでは。
美姫 「またね」