『マリアさまはとらいあんぐる』
第21話 「動き始める影」
「カラオケボックス?」
月曜日の放課後、薔薇の館に集まったメンバーたちの中で、恭也は聖の言った言葉を繰り返す。
そんな恭也に頷きかけながら、
「そうそう。どう、皆で行かない?」
「白薔薇さま…」
聖の言葉に、祥子が何かを言おうとする。
それを制するように、聖は先に口を開く。
「何、祥子。もしかして、カラオケボックスを知らないとか?」
「そ、それぐらい知ってます。入った事はありませんけど」
「じゃあ何事も経験、経験♪恭也くんも良いよね」
「は、はあ」
聖の問い掛けに、曖昧な返事を返す。
「ん?どうしたの?」
「いえ、カラオケは分かるんですが、ボックス?箱をどうするんですか?」
『はい?』
恭也の言葉に、全員が揃って素っ頓狂な声を上げる。
やがて、聖が疲れたように祥子に話を振る。
「祥子、説明してあげて」
「えっと…。私もよく知りませんけど、た、確かカラオケをするお店の事です……多分」
「店?」
「え、ええ。そうよね祐巳」
「は、はい!」
急に祥子に話を振られ、祐巳は驚いたように返事をすると頷く。
それを見て、恭也は納得したのか頷き、祥子は説明が合っていた事にほっと胸を撫で下ろす。
そんな二人を見ながら、聖がボソっと洩らす。
「何か二人とも、本当に現代人か疑わしいよね」
「まあ、祥子はある意味仕方がないとしてもね」
蓉子は言いながら、恭也の方を見る。
同じ様に恭也を見ながら、聖が笑いながら尋ねる。
「二人とも、もしかしてテレビのつけ方も知らなかったりして」
「白薔薇さま、そんな訳ないでしょう。それぐらい、覚えました」
「俺も少し前に覚えましたよ」
二人の返答を聞き、蓉子は少しだけ驚いた顔をすると、
「知っている、じゃなくて、覚えたと言う所がね……」
その言葉に聖は頷きながら、
「ビデオ予約はどう?」
と、尋ねる。
恭也と祥子は顔を見合わせると、
「じゃあ、そのカラオケボックスとやらに行くか」
「そうね。私も入るのは初めてだから。祐巳、案内してね」
「はい」
祥子の言葉に元気良く返事をすると、祐巳は席を立つ。
それに倣うかのように、他の面々も席を立つと、扉へと向う。
「祐巳は入った事あるのよね?」
「ありますけど」
「じゃあ、色々と教えてね」
「俺もお願いします」
「ま、任せてください!」
恭也と祥子に頼まれ、力強く返事する祐巳の後ろから、由乃や志摩子が声を掛ける。
「大丈夫だって。私も教えてあげるから」
「わ、私も…」
そこへ、令や江利子も加わり、楽しく話をしながら移動をする。
一人残された聖は、
「うぅぅ。皆、酷い…」
わざとらしく泣き真似をする。
そこへ、盛大な溜め息を吐きながら、一人残った蓉子が声を掛ける。
「聖、いつまでもふざけてないで。ほら、行くわよ」
「蓉子〜。やっぱり私の見方は蓉子だけだわ〜。愛してるわよー」
「はいはい、私もよ。ほら、さっさと行くわよ」
二人は、少し先で待っている恭也たちの元へと、少しだけ早足で向うのだった。
◇ ◇ ◇
カラオケボックスで歌いまくった聖たちが店から出てくる。
「いやー、歌った、歌った」
聖は店を出るなり、背伸びをしながら言う。
そんな聖を見ながら、恭也が口を開く。
「それにしても、皆さん上手ですね」
それに対し、志摩子は笑みを浮かべながら、
「そういう恭也さんも、かなりお上手でしたよ」
「そうか?」
「ええ」
「確かに恭也さん、歌お上手ですね」
祐巳も感心したように言う。
その後ろで、蓉子たちが話をしていた。
「確かに上手だけど…」
蓉子の言葉に、聖は苦笑いを浮かべる。
「まあ、本人は意味が分かってなかったんだろうね」
「だとすれば、天然よね」
江利子の言葉に祥子も頷く。
「ええ。志摩子も分かってたみたいですけど」
「まさか、ラブソングを歌うとはね」
聖の言葉に、蓉子はまだ少し熱く感じる頬を撫でながら、
「まあ、本人は本当にあの英語の意味を分かってないみたいだけど」
「その割には、結構綺麗な発音でしたけどね」
祥子の言葉に、江利子が楽しそうに答える。
「流石はティオレ・クリステラ直伝の歌って所かしらね」
そんな事を言いながら、横断歩道を渡りきった時、祐巳が声を上げる。
「あっ!」
突然の事に、祥子が驚きながら祐巳に尋ねる。
「突然、大声をだして。一体どうしたのよ」
そんな祥子に対し、祐巳は申し訳なさそうに言う。
「じ、実は、さっきの店に忘れ物をしてしまいまして。今から取りに戻りますので、皆さんはどうぞお先に」
そんな祐巳に対し、祥子は優しく言う。
「良いわ、ここで待っててあげるから、早く行ってらっしゃい」
「え、でも」
「良いから、さっさとしなさい」
「はい」
祐巳は返事をすると、今来た道を戻り店へと入って行く。
それを見ながら、祥子は蓉子たちに言う。
「では、私はここで待っていますから、お姉さまたちはお先に…」
「祥子。私たちも待ってるわよ」
祥子の言葉をやんわりと遮って、蓉子が言う。
それに対し、祥子は特に何も言わず、祐巳を待つ。
それから暫らくして、祐巳が店から出てくる。
そして、祥子たちの元へと来るために、横断歩道を渡り始めた時、突然横から車が赤信号を無視して飛び出してくる。
「祐巳!お逃げなさい!」
突然の事に、祥子は大きな声を上げる。
しかし、祐巳は恐怖のあまり固まってしまい、動けずにいた。
(ああ、もう駄目!)
祐巳は恐怖から目をきつく閉じる。
由乃や志摩子はその惨劇から思わず目を閉じ、顔を背ける。
聖や令は祐巳に駆け寄ろうとするが、頭の片隅では間に合わないと感じていた。
そんな中、彼女たちよりも早く祐巳の元へを駆けつける影があった。
ただし、その姿を認識できるものはそこにはいなかったが。
車が通り過ぎた後、最悪の事態を考え、青ざめる祥子。
そんな祥子の腕を蓉子が力強く握る。
祥子はその痛みにも似た温もりに、何とかその場で卒倒することだけは堪え、恐る恐る現場に目を向ける。
しかし、そこには予想していたような惨劇はなかった。
祐巳の元へと駆けつけようとしていた令と聖も驚き、その場を見ていたが、その視線が少し先の歩道を捉え、安堵の息を洩らす。
その視線の先には、祐巳を抱えた恭也が立っていた。
それに気付くと、祥子たちは恭也の元へと向う。
一方の祐巳は、未だに恐怖に体を固まらせ、きつく目を閉じていた。
そんな祐巳に向って、恭也は優しく声を掛ける。
「祐巳さん、もう大丈夫ですよ」
「えっ?」
以外にもすぐ近くで聞こえる声に、祐巳は恐る恐るといった感じで目を開ける。
「大丈夫ですか?」
「え、あ……………えっと」
未だに事態を把握できていない祐巳の元に、祥子たちが辿り着く。
祐巳の元に来るなり、祥子は祐巳の身体中を触りまくる。
「祐巳、大丈夫なの?どこか怪我とかしてない?」
「え、はい。……えーと」
心配そうな祥子の顔をぼんやりと見ながら、祐巳はその顔に思わず見惚れる。
それを勘違いしたのか、祥子は慌てた声を出す。
「やっぱり、どこか怪我をしたのね。今すぐ救急車をよばないと。119番…」
「少しは落ち着きなさい、祥子。どうやら、怪我はなさそうね」
「えっと、はい」
祐巳の言葉を聞き、恭也は尋ねる。
「では、立てますか?」
「立てる…?……って、ああ、はい。も、もう大丈夫ですから、降ろしてください」
祐巳はその時になって初めて、恭也に抱きかかえられている事を知る。
祐巳の返答を聞き、恭也は祐巳をそっと降ろす。
祐巳に怪我がないと知り、祥子もほっと胸を撫で下ろす。
「しかし、あの車、乱暴ね。幾ら無事だったからって、そのまま無視して行くなんて」
聖の言葉に、由乃も怒り心頭といった感じで頷くと、
「全くだわ。こんな事なら、しっかりとナンバープレートを見ておくんだった!」
そんな由乃を宥めながら、令は恭也を見る。
「しかし、恭也さんって早いんですね。いつの間に、祐巳ちゃんの傍に?」
その言葉に、全員が恭也を見る。
視線を向けられた恭也は、困ったような笑みを浮かべると、
「たまたまですよ。祥子が声を出す前に、車に気付いただけです」
その言葉に、全員納得する。
「それよりも、早く行きましょう」
恭也の言葉に、全員が帰路に着く。
そんな中、皆の一番後ろでは、今更のように恐怖が甦って来た祐巳が体を震わせていた。
そんな祐巳にそっと近づき、優しく抱き包む。
「えっ!?」
驚いたような声を出す祐巳に対し、恭也は頭を撫でながら、
「もう、大丈夫だから」
そう言ってその背中を優しく擦る。
その恭也の胸に顔を埋めながら、祐巳は恐怖が去るまでそうしていた。
祥子たちは、それに気付きながらも気付かない振りをして、少し離れた場所で二人を待つ。
やがて、落ち着いた祐巳を連れ、恭也は祥子たちの元へと来る。
「祐巳、もう大丈夫なの?」
「はい、もう大丈夫ですお姉さま」
そう言って笑う祐巳は、いつも通りだった。
その事に安堵しつつ、今度こそ帰路に着くのだった。
◇ ◇ ◇
深夜、小笠原家の庭では、鍛練を終えた恭也が木の根元へと座り込む。
そして、携帯電話を取り出すと、リスティへと連絡を入れる。
数回のコール音の後、目当ての人物が電話へと出る。
「ハイ、恭也」
「こんばんは、リスティさん。それで、夕方の車の件はどうでしたか?」
「ああ、駄目だ。あれは盗難車だったよ。どうやら、恭也の言う通りみたいだね」
恭也は帰宅後、すぐさまリスティへと連絡を入れていた。
それは、祐巳を轢こうとした車の件であった。
あの時、ドライバーは間違いなく祐巳がいると分かって、更に速度を上げた。
それが分かったからこそ、今回の件がただの事故ではないかもしれないと思い、
リスティへと車のナンバーを伝え、捜査をしてもらっていた。
その結果が、これだった訳である。
「奴らがついに動き出したって事ですか?」
「かもしれないね」
「でも、だとしたら何故、祐巳さんを?脅迫状では、祥子だったはずでは?」
「うーん。多分、祥子の近くに恭也がいたからじゃないかな。
つまり、不確定要素の存在って事だろうね。
まあ、恭也が護衛って事までは思ってないだろうけど」
そう言って、一旦言葉を切る。
電話の向こうで、軽く金属音がし、リスティが息を吐き出すのが分かる。
恐らく、煙草に火でも点けたのだろう。
それからリスティは、想像だけどと前置きをして話し出す。
「暫らくしたら、祥子の傍にいる恭也が、ただの転入生という調べがつくだろうから。
そうしたら、本格的に襲ってくるだろうね。
今回は、あの会長が脅迫に屈しないと分かった犯人たちが、脅しのために狙ったんだろうね。
でも、祥子の傍に情報にはない男がいた。
そこで、ターゲットを妹の祐巳ちゃんだっけ、に変えたんだと思うよ。
尤も、それも失敗した訳だけど」
「成る程。つまり、これからが本番という訳ですね」
「ああ、そうなるね。今まで以上に注意が必要だよ」
リスティの言葉に、恭也は強く頷く。
「ええ、分かってます。でも、相手が祥子だけでなく、その周りも狙ってくるとなったら…」
「ああ、確かに恭也だけじゃ、人手が足りないね」
「そっちの捜査の方はどうなんですか?」
「こっちかい?全然、駄目駄目さ。
尤も、容疑者とまではいかないまでも、怪しい奴は数十人ピックアップできたけどね。
一番手っ取り早い方法は、襲撃者たちを恭也が捕らえてくれる事なんだけどね」
「そうですか。努力はしてみます。所で、そちらから護衛の人間を出す事は出来ませんか?」
恭也の問い掛けに、リスティは暫らく考え込み、
「そうだな。四六時中とまではいかないが、交代で学校の周辺と、お嬢様に関係している人物の家の周辺を警戒させるよ」
「お願いします。後………」
その後、恭也はリスティと少し話をし、電話を切る。
「ふー。いよいよ動き出したか」
恭也は夜空を見上げながら、知らず掌に力を込めるのだった。
つづく
<あとがき>
いよいよ動き出す首謀者。
果たして恭也は祥子を無事に守り通す事が出来るのか?
次回、
美姫 「勝手に進めるな!」
い、痛い……。
美姫 「あのままだったら、私の出番がなくなる所だったわ」
ちっ!
美姫 「今の舌打ちは何かしら?」
い、いや、ほら舌が渇いて音を立てたんだよ。
美姫 「そういう事なら仕方がないわね」
ブオン!
ぐげっ!
な、何を……?
美姫 「ごめんなさい浩。腕が渇いて勝手に…」
それじゃあ、仕方がないよね……って、何じゃそりゃ!
言い訳するにも限度があるだろ!
何だ腕が渇くって!あまつさえ、渇いたら俺を殴るのか!
美姫 「いや〜ん。怒っちゃい・や♪」
う、ぐぐぬぅぅぅぅ。
美姫 「そんなこんなで、また次回ね♪」