『マリアさまはとらいあんぐる』



第27話 「深夜の一時」






深夜と言うのには、まだ少し早い時間。
いつもの鍛練の時間よりも早く、恭也と美由希は小笠原邸の広い庭へと出る。
いつもと違うのは、恭也と美由希以外の者たちもいるという事。
その状況に、美由希は少し躊躇いつつも、いつもの様に恭也と対峙する。
対する恭也は、見学人がいようといまいと、いつもと変わらない態度で美由希に向き合う。
やがて、お互いに小太刀を抜く。恭也は一刀、美由希はニ刀。
すると、美由希からも躊躇いは消え、いつもの鍛錬時と変わらない感じに変わる。
見学者がいようと、やる事はいつもと変わらないし、またそんな事を考える余裕もなくなるからだ。
お互いに無言のまま、数十秒が経過する。
御神の鍛練に開始の合図はない。
お互いにそれは分かっている。だからこそ、美由希は恭也の付け入る隙を探す。
対する恭也は、美由希がどう考え、攻めて来るのか待つ。
そんな二人を祥子たちは、ただ静かに見詰める。
何となく肌に感じる空気から、別に二人が何もせずに立っているだけではないと、ぼんやりとだが理解しているのだろう。
やがて、痺れを切らしたのか美由希が動く。
その動きは、夕方に見たその動きよりも更に速く、祥子たちを驚かすには充分だった。
最も、本人にはそんなつもりは全くない。
ただ、目の前に立つ恭也に自分が手加減して勝てるわけがないと分かっているから、最初から全力で向っただけである。
美由希は、恭也の手前で飛針を投げ、牽制する。
飛んでくる飛針を見ながら、恭也は美由希の動きにも注意する。
それらを見て判断すると、恭也は持っていた小太刀で飛針を振り払う。
その隙に、更に距離を縮め、恭也の傍まで来ると、その身を大きく沈める。
これによって、恭也の視界からは美由希が消えたように映る。
そして、下から斬撃を出そうとした美由希の目の前に、恭也の足が飛び込んでくる。
それを地面を転がり躱すと、すぐさま立ち上がる。
その目の前に、既に恭也は来ており、右からの斬撃が美由希を襲う。
それを小太刀で防ぎ、もう一方の小太刀で恭也の胸へと刺突を繰り出す。
恭也は、小太刀で美由希の一刀を防ぎつつ、素手の手で美由希の手首を掴む。
そのまま、刺突の勢いを利用して、美由希を投げる。
恭也に投げられる瞬間、美由希は自身で地面を蹴り、空中で自由になった小太刀を恭也の自分を掴んでいる腕へと放つ。
すぐさま美由希の腕を放し、同じく自由になっていた小太刀を振るう。
その斬撃を、空中での不利な態勢から何とか捌きつつ、美由希は片腕を上げ地面に降り立つと、
その腕の力だけで後方へと跳躍し、同時に恭也が追って来ないように飛針を投げ、距離を稼ぐ。
恭也もそれ以上は深追いをせず、両者は再び向かい合う。
そんな激しい攻防を、祥子たちは茫然と眺める。

「令、何をやっているのか分かる?」

祥子の言葉に、令は首を横に振る。

「駄目。全然、分からないよ。二人の動きを目で追うのが精一杯で、細かい所まではとても」

令の言葉に、全員が頷く。
祥子たちが驚きながらも見詰めつづける中、恭也と美由希は延々と攻防を繰り広げていた。



それから、時間が経過し、恭也の小太刀が美由希の喉元に突き付けられる。

「はー、はー」

「はー、はぁー……。ふー、今日はここまでにしておくか」

恭也の言葉に、美由希は肩で息を切らせながら頷く。
二人は鍛練を終えると、祥子たちの元へと戻ってくる。

「どうかしましたか、皆さん?」

未だに茫然としている祥子たちに声を掛ける。
その声に祥子たちは我に返る。
それを見て、恭也は何か勘違いしたのか、

「やはり見ていても面白くありませんでしたか?
 それとも、怖がらせてしまいましたか?」

その言葉に蓉子が首を振る。

「そんな事はなかったですよ。私たち…いいえ、私が恭也さんを怖がる事はないですから」

蓉子はそう言って微笑む。
それにつられ、恭也も笑みを浮かべる。
そんな蓉子に、聖が拗ねたような声を上げる。

「ずるいな〜、蓉子は。一人だけ良い子ちゃんブルなんて。
 私だって、怖くはないわよ。恭也くんは恭也くんだしね」

「あら、私だってそうよ」

聖の言葉に江利子も言う。
それを聞き、他の面々も同じ事を口にする。
そんな態度に、自然と浮かんでくる笑みを隠すように、恭也は言う。

「では、夜も大分遅い事ですし、そろそろ戻りましょう」

恭也の言葉に頷き、それぞれの部屋へと戻って行く。
それを見届けてから、恭也は美由希に声を掛ける。

「美由希、先に風呂に」

美由希は頷くと、一端部屋へと戻り、着替えを用意すると風呂場へと向う。

「さて…」

恭也は美由希があがるまでの間、目を瞑り瞑想する。

(あの琥蛎という男、かなりの使い手だったな。
 それに加えて、あいつと同等か、それ以上の使い手とされる双のボス…)

初めはそんな事を考えていたが、徐々に無心へと変わっていく。
そんな状態で、どれぐらいの時間が流れたのか、不意に控え目に響くノックの音で現実へと帰る。

「美由希か…」

「うん。お風呂あがったから」

「分かった」

美由希の気配が立ち去ると、恭也も着替えを用意し、風呂場へと向うのだった。





  ◇ ◇ ◇





中々寝付けずにいた蓉子は、ベッドを抜け出す。

(はー。こんな時間なら、皆寝てるだろうし、少しシャワーでも浴びようかしら)

そうと決まると、蓉子はタオルを出し部屋を出る。
一方、浴室では…。

「はぁー。そろそろあがるか。このままでは本当にのぼせてしまう」

少し長湯した恭也は、軽く頭を振ると浴室を出る。

「ふぅー」

外の空気の冷たさが、火照った体に気持ちよく、恭也は一息吐く。
と、そこへ浴室の扉が開けられる。

「えっ?!」

「あっ!」

「「…………………………」」

お互いに無言で見詰め合う。
やっとの事で、恭也が声を出す。

「えっと、蓉子さん…」

「あ、ご、ごめんなさい」

祥子たちが見たら、驚くほど蓉子は慌てて頭を下げる。

「い、いえ。それよりも、すぐに着替えますんで…」

「あ、そ、そうね」

蓉子は恭也の言いたい事を察し、すぐさま外へと出る。
二人の顔はこれ以上ないぐらい赤く染まっていた。
恭也は蓉子が外に出ると、すぐに着替え扉を開ける。

「おまたせしました」

「あ、ごめんなさい。誰もいないと思ったから」

「いえ、気にしてませんから」

そう言って、恭也は外へと出る。入れ替わるように蓉子が中へと入る。

(恭也さん……)

蓉子は中に入ると、背後で閉まった扉に背を預け、そっと心の中でその名前を呼ぶ。
その脳裏には、はっきりと恭也の体が思い浮かび、顔を更に赤くさせる。

(あんなに傷だらけになるぐらい、剣術に打ち込んできたのね)

蓉子は恭也の身体中にあった傷を思い出しながら、息を吐き出すと、ゆっくりとした動作で服を脱ぎ始めた。



蓉子がシャワーを終え、部屋へと戻ろうとした時、リビングに灯りがある事に気付き、そちらへと足を向ける。
そこには、恭也がいた。

「恭也さん、どうしたんですか?」

「いえ、ちょっと喉が渇いていたもんですから」

恭也の手元には紅茶のカップがあり、湯気を立てていた。

「蓉子さんも飲みますか?」

「じゃあ、一杯だけ貰おうかしら」

蓉子はそう言うと、恭也の横へと腰掛け、それと入れ替わるように恭也は立ち上がる。
しばらく、紅茶を淹れる音やカップの音が静かなリビングに響く。
やがて、紅茶を淹れた恭也が戻って来て座る。

「では、頂くわ」

「どうぞ」

隣に座りながら、二人は無言でお茶を飲む。

「ふー、美味しい」

「ありがとうございます」

蓉子の言葉に、恭也が答える。
それから蓉子は、少し躊躇った様子を見せるが、顔を赤くしつつ口を開く。

「えっと…、さっきは本当にごめんなさい」

「本当に気にしないで下さい」

恭也は笑みを浮かべながら言う。
それを見て、違う意味で更に顔を赤くする。
それを誤魔化すかのように、蓉子は恭也へと話し掛ける。

「そ、そう言えば、どうして未だに丁寧に話すんですか?恭也さんの方が、私たちよりも年上なのに」

「これは、癖みたいなものでして」

「でも、祥子や志摩子には普通に話してますよ」

「まあ、それはそうなんですが」

「私も、ああいう風に話して欲しいって言ったら、どうします?」

蓉子は悪戯っぽい笑みを浮かべ、恭也を見る。
恭也は蓉子をじっと見詰め替えし、

「別に、その方が良いのでしたら、構いませんけど」

「そうね。その方が私は良いわ。だから、恭也さんもお友達と話している感覚でね。
 ついでに、呼び捨てで呼んで欲しいかな」

「だったら、蓉子も」

「そうね、私もそうするわ。でも、私の場合、あまり変わらないと思うけどね」

「確かに」

蓉子の言葉に、恭也は頷く。
そこで、何か思いついたのか、口を開く。

「だったら、俺のことも呼び捨てにしてもらおうかな」

「え、それは…」

「俺だけが呼び捨てというのも変だろ。それに、祥子や志摩子も呼び捨てで呼ばないし。
 一人ぐらい、そんな人がいても良いかと。まあ、無理にとは言わないけど、その場合は俺もさん付けで呼ぼうかな」

恭也の言葉に、蓉子は驚いたような顔を見せた後、少し拗ねたような口調で言う。

「恭也さんは意外と意地悪ですね。本当、美由希ちゃんの言った通りだわ」

「全く、あいつは一体何を言ったんだ」

憮然とした感じで呟く恭也に、蓉子は笑みを零すと、

「まあまあ。美由希ちゃんも悪気があって言った訳じゃないし」

「悪気しか感じられないんだがな」

「恭也の気のせいよ」

「まあ、そういう事にしておこう。……ん?」

恭也はそこで、蓉子の顔を見る。

「な、何?」

「いや、別に何でもない」

さり気なく名前を呼んだ蓉子だったが、その実、かなり鼓動が早くなっていた。
それをおくびにも出さず、蓉子は口を開く。

「それじゃあ、そろそろ寝ましょうか。お茶も飲み終えた事だし」

「ああ」

「これは私が洗っておくから」

「いや、俺が」

二人して、相手のカップを取ろうとして、お互いの手が触れる。

「「あっ!」」

「ご、ごめんなさい」

「いや、こちらこそ」

お互いに頬を染めつつ、何故かその手を動かす事が出来ず、触れ合ったままで固まる。
知らず、お互いの視線が合い見詰め合ってしまう。
その時、恭也の鼻にシャンプーだか石鹸だかの匂いが微かに漂ってくる。
それが蓉子からだと分かり、思わすその髪へと目を向ける。
その視線が、徐々に下がり髪の先、そして白い項が恭也の目に入ってくる。
早くなる鼓動を押さえつけつつ、恭也はそこから目が離せずにいた。
蓉子は蓉子で、恭也の視線を感じつつ、その顔をじっと見詰めていた。
蓉子の鼓動もまた、早鐘のように打ち付けられ、
ともすれば、この静けさ故に相手に鼓動の音が伝わるんではないかと思うぐらいに。
お互いに言葉を発すれば、何かが壊れそうな気がして、声を出せずにいた。
どれぐらいそうしていたのか、不意に蓉子が声を上げる。

「恭也…」

発した本人が驚くほど、その声はよく響く。
それを耳にし、恭也もまた名前を呼ぶ。

「蓉子…」

「カ、カップを洗わないと」

「あ、ああ、そうだな」

お互いに分かりきった事を口にするが、実際には全然動く様子すらない。
また、そのまま時が流れるかと思われた時、微かな物音がする。
その音に、心臓が止まるほど驚き、同時に金縛りも解ける。

「え、えっと、じゃあ自分の分は自分で洗いましょうか」

「そ、そうだな」

気まずさを誤魔化すように、二人はカップを手に立ち上がる。
二人でカップを洗っていると、その背後から一つの影が現われる。
その影は、恭也の姿を見つけると、驚いたような声を出す。

「あれ?恭ちゃん?と、蓉子さん?」

「ああ、美由希か」

「こんばんは、美由希ちゃん」

「あ、はい、こんばんは。二人ともどうしたの?」

「いや、少し喉が乾いてね」

恭也の言葉に、蓉子も頷くと、今度は美由希に話し掛ける。

「美由希ちゃんはどうしたの?」

「あ、私も喉が渇いて」

そう言うと、美由希はコップを出して水を注ぎ、一気に飲み干す。
二人は何となしにそれを待って、三人で部屋へと戻って行った。

「じゃあ、おやすみ、恭ちゃん、蓉子さん」

「ああ。おやすみ」

「おやすみなさい、美由希ちゃん」

美由希は挨拶をすると、自分の部屋へと入る。
それを見届けると、恭也は蓉子を部屋の前まで送って行く。

「まあ、そんな必要はないんだが、念のため」

「ありがとう」

あっという間に部屋の前まで来ると、

「じゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

蓉子は挨拶をすると、部屋の扉を閉める。
それを確かめ、恭也も自分の部屋へと戻って行った。
そしてその夜、蓉子は浴室からさっきまでの恭也との出来事を思い出しては、なかなか寝付けずにいた。





つづく




<あとがき>

今回は、蓉子さまメイン!
そして、次は……。
美姫 「事態が解決へと向け、動き出す予定なのよね」
その通りです。
さて、次回は遂に双のボスが……。
美姫 「まあ、あくまでも予定だしね」
そうなんだけどね。とりあえず、書きますか!
美姫 「頑張ってね。では、皆さま、また次回までごきげんよう」





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