『マリアさまはとらいあんぐる』
第33話 「恐怖の○○登場」
翌朝──恭也たちにとっては翌ではないが──を迎え、祥子たちは起き出す。
それに合わせ、恭也たちもまた起きるといつもの様にキッチンへと向い、挨拶を交わしながら席に着く。
「おはようございます、恭也さん」
珍しく朝からしゃんとしてる祥子に、恭也も答える。
恭也が席に着くなり、祥子が尋ねてくる。
「恭也さん、昨夜は何か騒がしかったように思うのですが」
「それはすまない。ちょっと鍛練に力を入れ過ぎてしまって」
「いえ、そんなに畏まらなくても。そんなに五月蝿くはなかったですし」
頭を下げる恭也に慌てて祥子が手を振る。
それを面白そうに眺めつつ、聖が口出しする。
「祥子はすぐにそうやって恭也くんを苛めるからな〜」
「私がいつ、苛めたんですか!」
聖の言葉に祥子が言い返す。
それを受け、聖がふざけたように恭也の背後に隠れ、その背中に抱き付く。
ここ最近見慣れてしまった風景の一つである。
他の者も、またかというような顔で三人を見詰める。
尤も、胸中では抱き付く聖に羨ましいような怨めしいような気持ちを抱いているが。
そんな中、恭也は微かに顔を顰める。
それに気付いたのか、江利子が恭也に話し掛ける。
「恭也さん、どうかしたの?」
「いえ、別に何でもないですよ」
恭也は江利子にそう答え、それに納得したのか江利子もそれ以上は追及してこなかった。
その事に内心安堵しながら、恭也は食事を取ろうとして右腕が動かない事に気付く。
そんな恭也に、何もしらない祥子が話し掛ける。
「恭也さん、お食べにならないのですか?」
「いえ、頂きます」
恭也はとりあえず左手でカップを手に取り、紅茶を飲む。
それぞれが食事に取り掛かった時、祥子の元に一人の使用人が姿を現す。
「お嬢さま…」
「どうかしたの?」
「はい、実は壁に……」
その言葉を聞き、恭也は壁の事を思いだす。
しまったと思いながらも誤魔化す為に口を開く。
「すまない祥子。壁の穴は昨日鍛練の時に開けてしまったんだ。言おうと思ってて、忘れてた」
恭也の言葉に、祥子は頷くと修繕するように告げる。
その言葉に頷き、使用人が下がるのを見届けると、恭也をじっと見詰める。
「どうかしたのか?」
「ええ。恭也さん、何か隠してませんか?」
その言葉に、内心焦りながらも顔には出さずに尋ね返す。
「何かって何をだ?」
それには答えず、ただ恭也の顔をじっと見る。
普段なら茶化すような聖も、何かを感じたのかただじっと二人のやり取りも見ている。
やがて、ゆっくりと祥子がその口を開いていく。
「そういえば、今日は右腕を使ってませんね。
恭也さんの利き腕は確か、右だったかと思うんですけど」
「確かにそうだが。別に使ってない事はないだろう。ただの気のせいじゃないか。
それに、仮にそうだとしても何も問題はないと思うんだが」
「……そうですね。では、時折顔を顰めているように見えるのは気の所為ですか?
それとも、何か不快な点でもありましたか?」
「……何も不快な事はないな。それに、顔を顰めた記憶もないんだが。
まあ、普段から無愛想だから判別しにくいのは確かだな」
ヒステリックに叫びそうになるのを堪えながら、祥子は続ける。
「では、私の勘違いだと?」
「ああ」
何とも言えない緊迫した空気に、祐巳がおろおろと二人を見渡し、助けを求めるように周りを見るが、
全員傍観を決め込むらしく、ただ黙って目の前のやり取りを見ているだけだった。
やがて、祥子は恭也から視線を逸らす。
それを見て、顔には出さないがほっと胸を撫で下ろす恭也。
しかし、祥子は標的を恭也から変えただけで、諦めた訳ではないようだった。
視線を、今までじっと事の成り行きを、息を潜めて見守っていた美由希へと向ける。
その視線を受け、美由希は躊躇いがちに尋ねる。
「な、何でしょうか?」
「美由希さんはどう思いますか?」
「え、えっと何が…」
「今日の恭也さんは、少しおかしくないですか?」
「きょ、恭ちゃんがおかしいのはいつもの事ですから」
言うに事欠いて、物凄い言い方である。
勿論、そんな事で祥子が納得する訳もなく、祥子は更に詰め寄る。
「何か隠してませんか」
「べ、別に何も」
引き攣った笑みを浮かべつつ、美由希は微妙に視線を祥子から逸らす。
そんな美由希の態度に、益々おかしいものを感じたのか祥子は美由希の顔をじっと凝視する。
それを見ながら、恭也は内心ため息を吐いていた。
そこへ、聖が話し掛ける。
「ほら、前にも言ったけど、いい加減に隠し事はなしにしようよ。
少なくとも、私たちは恭也くんに命を預けてる訳だし」
「う、え、あ……。恭ちゃん…」
美由希は困ったように言葉を詰まらせ、最後には助けを求めるように恭也を見る。
明らかに何かを隠してますといった感じに、恭也ははっきりと分かるようにため息を吐いてみせる。
それを見て、美由希は申し訳なさそうに首を竦める。
「仕方がないですね。本当は、もう少し黙っているつもりだったんですが」
恭也の言葉に全員が恭也を見る。
「双……、祥子を攫おうとした連中を雇った黒幕が昨日、捕まりました」
恭也の言葉に全員が息を飲んで続きを待つ。
「それで、護衛をしていた関係上、今日はちょっと警察の方に行かないと行けないんです。
ただ、それだけですよ」
「本当ですか」
祥子が確認するように恭也を見る。
それを受け止め、恭也は頷く。
「ああ。警察に行くのが面倒だったんで、少しいつもと違う感じだったんでしょう」
恭也の言葉に一応納得したのか、全員が頷く中、蓉子が尋ねてくる。
「だったら、もう祥子は狙われないという事?」
「ああ、もう大丈夫だろう」
「でもさ、その双だっけ?その連中は雇い主が捕まった事を知ってるのかな?
じゃないと、まだ祥子が攫われる危険が」
聖の言葉に、恭也は頷くと答える。
「勿論、知ってるでしょう。この世界で、それは命に関わることにもなりますから。
ですから、もう狙われる事はないでしょうね」
恭也の言葉にほっと胸を撫で下ろす祥子たち。
それを見ながら、恭也は続ける。
「そういう訳ですので、今日は皆さんだけで学校の方に行って下さい」
その言葉に頷くと、食事を始める。
そんな中、恭也は一人それを眺める。
それに気付いたのか、右隣に座っていた志摩子が声を掛ける。
「恭也さんは食べないんですか」
「俺は後でゆっくり…」
そう言う恭也の右腕に、志摩子の視線が向う。
「やっぱり、右腕おかしくないですか?」
「そんな事は…」
恭也の言葉を遮るように、志摩子はそっと恭也の右腕に触れる。
「っ!」
声こそ上げなかったものの、様子のおかしい事に気付いた志摩子は、右腕をしっかりと掴む。
まるで力が入っていないかのような反応を見せる右腕を持ち上げ、志摩子は恭也を見る。
「恭也さん、ひょっとして右腕の骨が折れてるんじゃ…」
志摩子の言葉に祥子たちが恭也を見る。
「はぁー、実は昨日の鍛練で、少し…」
「そんな呑気な事を言ってないで、急いで病院に…」
「だ、大丈夫だから。それに、この後ちゃんと病院に行くから」
慌てる祥子を宥めながら、恭也は告げる。
いたって普段通りの恭也に、祥子も落ち着く。
そんな中、志摩子が声を掛ける。
「それで朝食を食べてなかったんですね」
志摩子はそう言うと、恭也のフォークを手に取り、恭也のおかずを取る。
「では、私が食べさせてあげます」
志摩子は顔を赤くしながら、おずおずといった感じでフォークを差し出す。
それを見た聖が、面白そうに言う。
「そうだね。利き腕を怪我した恭也くんに、私たちが食べさせてあげよう」
「俺に拒否権は」
「ないない。私たちに黙ってた罰だよ」
恭也の言葉を斬り捨て、聖は面白そうに笑う。
そして、こんな面白そうな事を見逃すはずもなく、江利子も賛成する。
初めは躊躇していた恭也だったが、このままでは埒があかないと悟ったらしく、大人しく食べさせられる事にする。
尤も、美由希からだけは頑固拒否したが。
「お前にまでやられるぐらいなら、俺は折れた右腕を無理に動かしてでも、切腹する」
「恭ちゃん、それは酷すぎるよ……」
未だにいじけている美由希を放っておき、恭也は朝食を終える。
疲れた様子を見せる恭也に対し、どこか満足そうな表情を浮かべる面々だった。
「それよりも、そろそろ出かける時間では」
恭也の言葉に、全員が揃って立ち上がる。
祥子は最後に念押しするかのように、恭也へと言う。
「恭也さん、ちゃんと病院に行って下さいね」
「分かってる」
恭也がそこまで答えた時、入り口から聞きなれた声が響く。
「へー、恭也くんがそんなに素直に病院に行くとは思いませんでした。
でしたら、私は来なくても良かったですね。あ、勿論、本当に行くならの話ですけどね」
恭也は恐る恐る声のした方へと向き直る。
「…フィ、フィリス先生」
そこに立っていたのは、恭也たちの主治医のフィリスだった。
「どうしてここに?」
恭也の問い掛けに対し、フィリスは笑みを浮かべて答える。
「フフフ。どこかの言う事を聞かない患者さんの様子を見るためですよ」
そのフィリスの後ろから、リスティが顔を出す。
「や、恭也。僕が呼んだんだよ。昨日…、もう今日か。
とりあえず、あの後に呼んだんだよ。あ、勝手に上がらせてもらったよ」
リスティは祥子に向って言う。
それに対し、祥子は頷くと、フィリスを見る。
その視線を受け、リスティは祥子たちに紹介する。
「こいつは僕の妹で医者なんだ。恭也と美由希の主治医でね。
昨日、あの後呼んで来てもらった」
「全く、リスティったら、夜中に人の事叩き起こして、いきなり事情もろくに説明せず来いだもん。
本当に嫌になるわ」
「すいません、フィリス先生」
「あ、恭也くんが謝る事じゃないから」
謝る恭也にフィリスが手を振る。
そんなフィリスの首に腕を回し、リスティが言う。
「ほー、そんな事を言うか。
事情の説明をするよりも先に、恭也が怪我をしたかもと言った途端、電話を切ったのは何処の誰だ?
おまけに、タクシーを使ってまで来るなんてなー」
「リ、リスティ、それは言わない約束…」
リスティの言葉にフィリスは顔を赤くしつつ、抗議の声を上げる。
それを平然と受け流しながら、リスティは恭也を指差す。
「ほら、それよりも患者がお待ちかねだよ」
リスティの言葉に、フィリスは恭也を見る。
「じゃあ、診察しますから……えっと、何処か場所ありますか」
フィリスは祥子へと尋ねる。
それを受け、祥子はソファーの置いてあるリビングへと案内する。
「ありがとうございます」
礼を述べるフィリスに、祥子もいいえと返事を返す。
その顔は、本当にフィリスが医者か半信半疑といった感じだった。
それを察したのか、恭也はソファーに腰掛けながら、祥子に話し掛ける。
「フィリス先生はとても腕のいい医者だから、祥子たちは学校に…」
その言葉を遮るように、恭也の右膝を診ていたフィリスが声を上げる。
「恭也くん!神速を使いましたね!右膝に物凄い負担が掛かっているじゃないですか!」
「いや、それは…」
「言い訳無用です!」
何か言おうとした恭也を遮り、フィリスが言い放つ。
「あれほど神速は禁止したはずですよ。
良いですか、恭也くんの話と使ったあとの状態から見て、前にも言いましたよね。
普通の人でも、かなり負担が掛かるんですよ。
それを右膝を壊している恭也くんが使うと、下手したら右膝が再起不能になると注意しましたね」
フィリスは恭也を覗き込むようにして言う。
その迫力に、祥子たちも言葉を失いフィリスを見る。
そんな中、リスティが恭也を庇うように言う。
「そんなに怒ってやるなよ、フィリス。恭也だって使いたくて使った訳じゃないさ。
ただ、今回の敵はそれぐらい手強かったんだから。それに、そのお陰で組織も壊滅したんだし」
「それとこれとは別ですよ。
そりゃあ、恭也くんの性格からいって、使わないといけないと思ったら、使うのは仕方がないですよ。
でも、それでも、例え分かっていても、注意をする事も私の仕事なんです」
フィリスの言葉に、リスティは頭を掻く。
そんなリスティに、祥子が怒りを含んだような口調で尋ねる。
「リスティさん。敵ってどういう事ですか?」
「どうって、言葉通りだろ。お嬢さんを攫おうとした奴らから、アンタたちを護衛するのが恭也の仕事なんだから」
「ですから、それがどういう意味かお尋ねしてるんですよ」
リスティも流石におかしい事に気付いたのか、黙って祥子の話を聞く。
そんなリスティに、恭也が罰の悪いような顔を見せ、何かを言いたそうにする。
そんな中、祥子は続けて喋る。
「恭也さんは鍛練をしていて怪我したんじゃないんですか?」
「あー、あー。そ、そうそう。恭也は美由希との鍛練で怪我したんだったな。
お前たちの鍛練は、いつも真剣を使ってやるからな」
白々しいリスティの言葉に当然のように納得せず、祥子たちはリスティを見詰める。
「私は本当の事を知りたいんですけど」
そう言ってくる祥子の目を見詰め返し、リスティはため息を零す。
「恭也、話すぞ。このままだとこの嬢ちゃんは納得しないだろうしな」
「仕方ありませんね」
リスティの言葉に、恭也も渋々ながら頷く。
それを見て、リスティは話し始める。
「話す前にこれだけは言っておくよ。恭也は悪気があって嘘を吐いたんじゃない。
黙っている方が、何も知らないままの方が良いと思ったから、話さなかったんだと思う」
その言葉に、祥子は分かっていると頷く。
「さて、どこから話したもんか。
うーん。…昨日、いや正確には、今日の深夜か。黒幕が捕まった事は?」
尋ねるリスティに、祥子は知っていると返事を返す。
それに頷き返すと、リスティは続ける。
「なら、話は早い。その頃、ここにアンタたちも会っただろうけど、双という連中がやってきてた。
それを撃退したのが恭也と美由希だ。それで、その時に傷を負った。
で、その連中の証言が決め手となって、黒幕を確保できた。こんな所だな。
僕から言えるのはそれだけだ」
そう言うとリスティは口を閉ざす。
「恭也さん、すいません。私の所為で…」
涙ぐみそうになるのを堪えながら言う祥子に、恭也は慌てたように答える。
「別に祥子の所為じゃない。それが俺の仕事だし、俺が自分でやった事だ。
何より、悪いのは祥子を攫おうとした連中で、祥子は被害者なんだから」
しどろもどろになりながらも、恭也は祥子を慰める。
「でも…」
恭也は立ち上がると祥子の元へと向う。
尚も何か言いかける祥子の頭にそっと手を伸ばす。
叩かれるとでも思ったのか、祥子は一瞬身を強張らせ、目を閉じる。
そんな祥子の頭をそっと撫で上げながら、恭也は笑みを浮かべる。
「祥子の所為じゃないから。だから、そんな事は言わないで」
「……はい」
恭也の言葉に落ち着いたのか、祥子はしっかりと頷く。
そして、何かを思いついたのか恭也に話し掛ける。
「そうだわ。何かお礼をしないと。何が良いですか。何でも良いですから、仰って下さい」
「別にお礼なんて」
「お願いします。じゃないと、私の気がすみません」
「えっと、それじゃあ一つだけ」
「はい」
恭也の言葉に祥子は嬉しそうに微笑むと頷き、恭也の言葉を聞き漏らさないように耳を澄ませる。
「…その笑顔だけで充分だ。そして、いつもの日常に戻ってくれれば。
それが、俺にとっては一番の報酬になるから」
恭也はそう言うと、微笑んで見せる。
そんな恭也に全員が暫し見惚れるが、祥子が思い出したように口に出す。
「本当にそれだけなんですか」
「ああ。それで充分。
その為に、………平穏な日常に忍び寄る悪意という影から、そんな日常を守るために俺たちは刃を振るっているのだから。
それが何よりも、最高の褒美になる」
そう言って恭也はソファーへと腰を降ろし、何故か茫然としているフィリスに声を掛ける。
声を掛けられたフィリスは驚きつつ、我に返る。
そんなフィリスに恭也が言う。
「フィリス先生、美由希を先に診てやってください。俺より重症かと。
多分、あばらを数本やっていると思いますので」
恭也の言葉に、フィリスは美由希を先に診るべく、美由希の上着に手を掛ける。
「ちょっ!ちょっと待て下さい」
「どうしたんですか、美由希さん」
「えっと、その。恭ちゃんもそこにいるの?」
「当たり前だろう。お前の次は俺が診てもらわないといけないんだから」
「そうじゃなくて…」
美由希の言いたい事を理解して、フィリスは恭也に近づくと目隠しをする。
「はい、恭也さんは少しの間、こうしていて下さいね。
幾ら妹とはいえ、年頃の娘さんの肌を見るのは駄目ですよ」
「別にそんなつもりは…」
「はいはい。恭也くんにそんなつもりがなくても、美由希さんが恥ずかしがりますから」
恭也は大人しく従うと、美由希の診察が終るのを待つ。
そんな恭也の背後にこっそりと回り、聖が面白そうに恭也の頭へとチョップを打ち下ろす。
恭也はそれを動く左腕で受け止める。
「ちぇ、やっぱり駄目か」
「その声は、聖さんですか」
「正解。しかし、よく分かったわね」
「まあ、気配がしましたから」
「ふーん」
聖はにやりと笑うと、もう一方の手を恭也の首へと回す。
そして、耳元で囁くように言う。
「分かってても、防げなきゃ意味ないわよね〜」
照れる恭也を面白そうに至近距離で眺めながら、聖は恭也が離したもう一方の手も使い、背後から抱き付く。
「せ、聖さん」
「照れない、照れない」
そう言って更に抱きつこうとした聖を、蓉子が引き離す。
「聖、いい加減にしなさいよ」
「や〜ね〜。ただのスキンシップだって」
「お姉さまのは、スキンシップというのを超えている気がします」
珍しくきつい事を言う志摩子を面白そうに眺めた後、聖は肩を竦める。
「はいはい。まあ、診察が終るまで大人しくしてますか」
「是非とも、そうして下さい、白薔薇さま」
祥子が自分も座りながら、そんな事を言う。
そんな祥子たちに、恭也が話し掛ける。
「ところで皆さん、学校の方は」
「事情を聞いてしまった以上、このまま行ける訳ないでしょう」
さも当たり前を言わんばかりに祥子が言う。
それを困ったように聞きながら、恭也はとりあえず謝っておく。
「すまない」
「べ、別に謝るほどの事でもないわ。私の気分の問題なんですから」
祥子はそう言うと、照れ隠しにかそっぽを向くが、今の恭也には見えていないことに気付き、胸を撫で下ろす。
そうこうしているうちに、美由希の診察が済む。
「美由希さんは数箇所の切り傷と打ち身。それと、アバラが二本ほど折れてますね。
全治三週間です。その間、勿論鍛練は禁止です」
「えっと、身体をあまり使わずに飛針を投げるぐらいなら」
「……まあ、それぐらいなら良いですけど、あまり強い力で投げるのは禁止ですよ。
それと、本当に軽くだけですからね。本来なら、それも禁止したいんですから」
フィリスの言葉に美由希は頷く。
それに対し、フィリスは念を押すように言う。
「良いですね。絶対に守ってくださいよ。
それと、美由希さんたちの軽くと、私たち一般の軽くは違うという認識を持ってください」
フィリスは恭也の目隠しを取りながら言う。
「良いですか、普通の人は数時間も動きつづけるのを軽くとは言いません」
フィリスの言葉に驚く山百合会の面々と、申し訳なさそうな顔をする美由希。
そんな中、フィリスは恭也の診察にかかる。
「で、右膝と右腕以外にはどこですか」
「アバラです」
フィリスは恭也の服を脱がせると、美由希と同じ様に診察を始める。
恭也の傷だらけの身体を初めて目にする者たちが息を飲む。
それを感じつつ、フィリスは続けていく。
「他にも内臓を痛めてますね。それに、数箇所に新しい切り傷が。
どこが美由希さんの方が重症ですか。恭也さんのほうが重症じゃないですか。
右腕の骨折にアバラが三本、おまけに出血こそしていないものの内臓も少し。
全治二ヶ月って所ですね。勿論、その間の鍛練は禁止です」
「えっと、身体をあまり使わずに投げ物の練習ぐらいなら……、いえ、何でもありません」
美由希と同じ様な事を言おうとして、フィリスに睨まれて言葉を飲み込む恭也。
(まあ、本当に軽くなら大丈夫だろう。左腕は問題ないみたいだし…)
そんな事を考えている恭也を見ながら、フィリスが言う。
「まさか、こっそりと鍛練しようなんて思ってないですよね」
「当たり前じゃないですか」
恭也の目をじっと見詰め、フィリスは大げさにため息を吐く。
「恭也くんは平気な顔をして嘘を吐きますから、信用できませんね。
良いですか!本当に鍛練禁止ですからね。
軽くも、少しもありません。運動そのもの禁止です。と言うよりも、帰ったら入院してもらいます!」
「ちょっと待って下さい。そこまでは」
「してもらいます!い・い・で・す・ね」
「…はい」
フィリスの迫力に負け、恭也は項垂れつつ頷く。
それを満足そうに眺め、フィリスは美由希にも言う。
「美由希さんもですからね」
「は、はい!」
二人の返事を聞き、満足そうに頷くと、今度は笑みを浮かべる。
「そうそう。よくなったら、二人には特別に整体をしてあげますから。
ずっと寝てると体が少しおかしくなるでしょうから、それを元に戻すのにも丁度良いですし」
「い、いや、フィリス先生。それは、別に…」
「何ですか、恭也くん。まさか、断わったりしませんよね。
全然、ちーーっとも、これっぽっっっっっちも言う事を聞いてくれない恭也くん」
「いえ、謹んでお受けいたします」
「はい、楽しみにしてて下さいね」
本当に楽しそうに言うフィリスを見ながら、リスティはぼそりと呟く。
「我が妹とは言え、怖い奴だな」
そんな呟きは運良く、フィリスの耳には入らなかったが、恭也と美由希には聞こえていた。
二人はリスティの言葉を聞き、顔を見合わせると苦笑を交わす。
(医者には何があっても逆らってはいけないな……)
(うぅ〜。恭ちゃんが、普段から言い付けを守らない所為で私まで……)
改めて反省する者と恨み言を言う者。
前者はすぐにそんな反省を忘れ、後者はフィリスから恭也に関係なく自分も同じ様に思われている事に気付いていなかった。
そんな恭也たちを眺めながら、祥子たちは何とも言えない顔をしていた。
つづく
<あとがき>
ふふふふ。
これで残す話は後……。
美姫 「それはいつ頃出来るのでしょうか?」
が、頑張ります。
もうちょっと待って。
美姫 「このまま一気にラストまで書き上げるのよ!」
お、おう。やってみる。
美姫 「頑張れ〜」
お〜。