『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』
第5話 「平穏な一時」
小笠原邸の広間。
今、そこで全員が集まり、銘々に寛いでいる。
美由希の前には、本が山と積まれていた。
「美由希、読むなとは言わないが、程ほどにな。俺達の本来の目的を忘れるなよ」
「うん…」
本当に分かっているのか、美由希は本から目を離すことすらせず、生返事を返す。
そんな美由希の様子に呆れながらも、恭也はそれ以上は何も言わない。
手持ち無沙汰となった恭也の目の前に、そっと紅茶の入ったカップが置かれる。
「どうぞ」
「ああ。ありがとう」
祥子からカップを受け取り、恭也はそれを口にする。
「そういえば、リリアンはもうすぐ文化祭なんだな」
「ええ。恭也さんにも手伝ってもらえるから、少しは楽になるわ」
「まあ、俺に出来る範囲でならな」
恭也の返事を聞き、祥子と令は顔を見合わせる。
「今の言葉を忘れないでくださいね」
「私もしっかりと聞きましたから」
祥子と令の言葉に、恭也は少し身を引きつつ頷く。
「あ、ああ」
そんな三人の様子を伺いながら、祐巳たちは少し離れた所で話をする。
「多分、令ちゃんたち何か企んでいるわね」
「私もそう思います。さっきの表情を見る限り、恭也さんも出演させられるんじゃないでしょうか」
「それはありえるわね」
乃梨子の言葉に志摩子も同意するが、それに対し祐巳がまさかというような顔で口を出す。
「でも、今から急に変更できるのかな。だって、恭也さんも出演することになったら、劇の内容も変わるんじゃ」
「それもそうよね。まさか恭也さんをわざわざ脇役になんか回さないだろうし…」
祐巳の言葉に由乃も頷くものの、かと言って、このまま何もないという考えも捨てきれずにいた。
その考えに頷きつつ、乃梨子が言う。
「由乃さまの言う通りだと思います。第一、恭也さんを脇役になんかしたら、下手をすると主役より目立ちますし」
乃梨子の言葉に頷く三人の中で、祐巳が志摩子へと尋ねる。
「そう言えば、結局何をするの?志摩子さんも全く知らないんだよね?」
「ええ。本当に知らないの。完全に祥子さまたちだけで進めているみたいで。
多分、ギリギリまで教えてくださらないかと」
志摩子はそこで一旦言葉を区切り、再び口を開く。
「もし、私が知っていたとしても、恭也さんがあの約束をされた時点で意味がなくなったと思うわ。
あのお二人なら、今からでも内容を変更しそうな気がするんだもの…」
志摩子の言葉に、祐巳たちは充分にあり得る事だと頷く。
例え内容を変更されたとしても、現時点で何も知らない祐巳たちにとっては何も変わらない。
ただ、二人の作業が大変なだけだが、あの二人ならそれでもやり遂げてしまうだろう。
自分たちが楽しむために。
祐巳たちは良い意味でも悪い意味でも、先代の薔薇さま方に近づきつつある二人をそっと見詰める。
そんな視線などには気付かず、祥子と令は何やら囁き合っていた。
それが益々祐巳たちの予感が当たっている事を示すようで、お互いに顔を見合わせると、何とも言えない笑みを浮かべるのだった。
◇ ◇ ◇
薄暗い部屋の中。
窓から差し込む光だけが唯一の光源となっている。
その窓にも分厚いカーテンが掛かっており、その隙間から覗く微かな光だけがこの部屋唯一の光だった。
殆ど何も見ることの出来ない部屋の中で、一瞬だけ火が灯り、男の顔を闇の中に映し出す。
その火が消えた後、男の顔があった位置に小さな赤い点だけが消えずに残る。
少しして、その点の付近から微かに煙が漂い、天上の暗闇へと消えて行く。
「ふぅー」
男は煙草の煙を肺一杯に満たした後、それを吐き出すと前方の闇へと目を向ける。
そこにいる誰かに向って、ゆっくりと低い声で語り掛ける。
「今日、微かだが動きがあった」
男の声にも闇にいる者からの返事はない。
しかし、男はそんな事は気にせず続ける。
「と言っても、大した事じゃない。ただの転入生のようだ。全く、呑気と言うか。
これだからお嬢様ってやつは。危機感が少し足りねーんじゃないかと疑いたくなるぜ。
それとも、日本は安全だと本気で思っているのかね」
何処か揶揄するような含みを持たせつつ、男は闇へと語り続ける。
「とりあえず、今は暫らく様子見って事だが、いつ行動するんだ」
この時になって、初めて闇から返答が返る。
「まだだ。まだ手下が全員揃っていない。全員が揃い次第、始める」
「全員ね…。たかがお嬢様の六人程度に随分と大掛かりだな」
男が呆れたように言うが、闇は再び沈黙を持って返す。
それを少し面白くなさそうに見遣りつつ、男は唇を少し歪めつつ言い放つ。
「まあ、アンタのやり方に文句は言わないさ。約束さえ守ってくれるならな。
それじゃあ俺は、ちょっと出掛けてくるぜ。っと、そうそう一つ忘れる所だった」
男は背を向けかけていた動作を途中で止め、闇へと言葉を投げる。
「これは忠告と言うか、まあそんなもんだ。
どうも、外から入ってくる者に対するチェックが厳しくなっているみたいだったぜ。
何か感づいた奴がいるのかもな。警察組織は無能だが、警官全員が無能という訳じゃないんだ、気を付けろよ。
特に、この国には警察の協力者がいて、そいつらはかなり有能という事らしいからな。
じゃあな。確かに忠告したぜ。まあ、感謝はいらねえがな。と言っても、言うつもりはないんだろうがな。
まあ、いいさ。俺だって、礼が欲しくて教えた訳じゃない。
ただ、アンタの言う手下とやらが掴まって揃わなかったら、この計画を中止するとか言い出しかねねーからな。
ただ、それだけだ。じゃあな」
男は一方的にそう言うと、今度こそ踵を返して歩く。
光が殆ど射さない部屋の中を、迷わずに扉へと向って歩いて行く。
夜目が利くのか、見なくても歩けるほどこの部屋に出入りしていたのか。
男は扉を開け、そこから出て行く。
その途中で立ち止まり、身体半分だけ出した状態で闇に向って念を押すように口を開く。
「約束は絶対に忘れるなよ。…あの女だけは俺の獲物だ」
男はそう言い捨てると、今度こそ部屋を出て行った。
後には、ただ静寂だけが残された。
◇ ◇ ◇
夕食後も本を読み漁っている美由希に呆れる恭也に、令と由乃は剣を見て欲しいと頼み込んでいた。
結局、恭也は断わりきれず、庭で二人の剣道を見ていた。
令と由乃が打ち合いを止めて恭也の元へと戻ってくる。
「どうですか、恭也さん」
令の言葉に恭也は一つ頷きつつ、
「俺は剣道はあまり詳しくはありませんけど、令さんは充分に強いですよ」
恭也の言葉に令は頷く。
その横から、由乃が自分はと訪ねてくる。
「そうですね。由乃さんも中々上手ですよ。ただ、もう少し足腰を鍛えた方が良いかと。
剣道では、一眼二足三胆四力という言葉があって、左足の素早い引きつけはかなり重要なんです」
恭也の言葉に由乃は神妙な顔で頷く。
その顔を眺めつつ、恭也は注意するように付け加える。
「かと言って、あまり無茶な訓練はしないでくださいね」
「わ、分かってますよ」
その慌てぶりを見て、令は本当に分かっていたのか疑わしそうだったが、何も言わない。
言った途端、数倍になって返ってくる事は長年の付き合いで分かっているから。
恭也は由乃の言葉に頷き返し、口を開く。
「さっきも言いましたが、左足は剣道においてかなり重要なんです。
つまり、重要な部分だけに、負担もかかりやすい。注意し過ぎるという事はないですから」
「はい!」
由乃は元気の返事を返す。
「それにしても、剣道は詳しくないと仰っていたのに、よく一眼二足三胆四力なんて言葉知ってましたね」
令の言葉に恭也は苦笑しつつ、答える。
「まあ、知り合いに剣道をしている奴がいまして、そいつの受け売りですよ」
「そうなんですか」
令も柔らかい笑みを浮かべる。
そんな令の腕を取り、由乃が言う。
「それよりも、今日の練習はここまで!令ちゃん、お風呂入ろう」
「そうね」
由乃の言葉に令も頷き、二人は改めて恭也に向うと頭を下げる。
「「ありがとうございました」」
「いえ、俺は見ていただけですし」
「そんな事はないですよ。見ながら、自分でも細かい所を注意してもらいましたし」
「うんうん。お陰で令ちゃんの弱い所が分かったわ。
今度試合をしたら、私が勝つわよ!」
「あのね。注意された所を、そのままにしておくはずないでしょう」
呆れつつ言う令に対し、由乃は頬を膨らませる。
「うぅ〜。ずるい」
「ずるいって言われても…」
由乃の言葉に令は困ったような顔をする。
それを見て、恭也は少し頬を緩ませる。
「二人は本当に仲が良いですね」
「勿論!」
「はい、まあ」
恭也の言葉に由乃はきっぱりと答え、令は少し困惑したような顔をしつつも否定はしない。
「さて、本当にお終いにしましょう。お二人も早くお風呂に行かれた方が」
「そうですね。由乃」
「うん。あ、恭也さん。また時間があれば、お願いしますね」
挨拶をする令と由乃に頷きつつ、恭也は二人の後に付いて家の中へと入って行く。
そんな恭也に、令の腕を掴みつつ振り替えた由乃が、悪戯っぽい笑みを浮かべて尋ねる。
「恭也さんも一緒に入ります?」
「よ、由乃、何を言って」
「か、からかわないでください」
慌てて止めようとする令と、顔を赤くして慌てる恭也を見て、由乃は大笑いする。
「ったく、冗談が過ぎるわよ、由乃は」
「まあまあ。それじゃあ、私たちはこっちだから」
ひとしきり笑った後、由乃は部屋へと着替えを取りに行く。
その後を令が追いかけ、二人を見送った恭也は広間へと戻るのだった。
そこでは、未だに美由希が本を相手に睨めっこを続けていた。
つづく
<あとがき>
とりあえず、幕間〜。
今回は恭也たちにはのんびり〜としてもらった訳だ。
美姫 「で、今回の事件の黒幕らしき存在」
あの人たちの目的は何?
美姫 「それもはっきりせず、今回はちょっとだけ姿見せって所ね」
その通りです。さて、次回は……。
美姫 「どうせ、まだ考えてないんでしょう」
……ではでは、ごきげんよう〜。
美姫 「進歩がなさ過ぎるわ…。はぁ〜」