『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』
第9話 「紅薔薇のつぼみと可南子と」
勢いよく飛び出した可南子を追って、祐巳が薔薇の館を出たときには、既に可南子の姿は見当たらなかった。
うーんと頭を捻って可南子の行きそうな所を考えるが、思い当たる所が浮んでこない。
(そう言えば、私そんなに可南子ちゃんの事について知らないんだった)
気がついたら祐巳の傍にいて、何やかやと手伝いをしてくれていたのだ。
そして、口論をして一旦は祐巳から遠ざかった可南子だったが、運動会での約束で文化祭までの約束を取り付けた。
前のように祐巳を崇拝するまではいかなくとも、最近は普通に話をするぐらいまでにはなっていたのだが、
だからと言って、お互いの事を改まって詳しく話したことはなかった。
とりあえず祐巳は校舎へと向って歩き出し、その足を途中で止める。
「もしかしたら…」
一つだけ思い浮かんだ場所があり、そこへと祐巳は足を向ける。
そこへ近づくにつれ、祐巳の予感は確信へと代わりつつあった。
そして、その建物の扉に手を掛けて中へと入る。
果たして、可南子は祐巳の予想通りそこにいた。
可南子は温室を入って少し行った所で、茫然といった感じで立ち尽くしていた。
可南子は入って来た祐巳にも気が付かなかったのか、祐巳に背を向けたまま立っている。
その背中にそっと祐巳は声を掛ける。
「可南子ちゃん」
「祐巳さま…」
泣いていると思ったのは祐巳の勘違いだったらしく、振り返った可南子の顔はいつもと何ら変わった所はなかった。
しかし、祐巳はそれに気付いてしまった。
何かを堪える様にしている可南子を。
そんな可南子を見た途端、自分よりも大きいはずの可南子が小さく見え、
祐巳は可南子の頬にそっと手を差し伸べ、挟み込むとそのまま胸の中へと抱き寄せる。
何故こんなことをしたのか、祐巳は後になって考えてみても分からなかったが、
兎に角、今はこうするのが良いと思い、可南子の頭を抱き寄せる。
可南子は膝を着く形で祐巳の胸元へと顔を埋め、温もりを感じるようにそっと手を後ろへと回すと瞳を閉じる。
可南子に抱きつかれながら、祐巳は自分の目線よりも下にある可南子の頭をそっと撫でる。
「可南子ちゃんが、男の人が嫌いというのは知っているよ。
だけど、もう少し、本当に少しで良いから恭也さんに…」
「祐巳さままで、あんな男を庇うんですか!」
今までの態度とはうって代わり、激しく祐巳の言葉をかき消すように声を上げる。
そんな可南子に戸惑いつつ、祐巳はゆっくりと首を振る。
「別に庇うとかそういう事じゃ…」
「でしたら、別に良いではありませんか」
「でも、さっきの可南子ちゃんの言葉は駄目だよ。
ちゃんと恭也さんと言う人を知りもしないのに、あんな風に決め付けるのは…」
「別に決め付けてなどいません。私は事実を言ったまでです。男なんて、皆一緒なんです!
少しでも油断したら、その途端に今までの態度を豹変させるぐらいの事はやってのけます。
祐巳さま、そうなってからでは遅いんですよ。前にも言いましたけど、男なんて用心して、用心してもし足りないんです。
同じものだと思ってはいけないんです」
可南子の言葉に祐巳は何と言えば良いのか分からないながらも、自分の考えを必死で口にする。
「でも、恭也さんはそんな人じゃ…」
「その考えが甘いんです。祐巳さまは純粋すぎます!
世の中には、祐巳さまが思っているような良い人たちばかりではないんですよ」
「それは分かっているよ」
「いいえ!分かっていません。ですから、男なんかを庇われるんです。
男という時点で信用すべきではありません!」
「それはちょっと極論なんじゃ…」
可南子の言葉に戸惑いを見せつつ祐巳はそう言うが、それさえも否定するように可南子は首を横へと振る。
そんな可南子の頑なな様子にどうしたもんかと天上を見上げ、結局は言い聞かせるしかないと分かり、その口を開く。
「でも、恭也さんも山百合会の手伝いをしてくれている訳だし。
それに、もう少ししたら花寺の生徒会の人たちも手伝いに参加するんだし…」
「だったら、最初から関わらなければ良いんです。
そうすれば、向こうの方もそれを察してくれるでしょうから」
それはちょっと違うんじゃないかなー、とは思いつつも、祐巳はそれを口にしない。
いや、出来なかった。
何か言い返してくるとばかり思っていた可南子もそれを不思議に思い、そっと見上げる。
そして、そこで見たものに今度は可南子が戸惑う。
可南子の見上げる先で、祐巳が涙を流していた。
「ゆ、祐巳さま。どうかしましたか。ここに来る途中で、どこかをぶつけられたとか」
慌てふためいて話す可南子に、祐巳は静かにだがはっきりと否定するように首を振ってみせる。
「違うよ、可南子ちゃん。別にどこもぶつけていないから」
「でしたら、何故…」
続く言葉を遮るように、祐巳は静かに声を出す。
「ただ、可南子ちゃんを可哀相に思っただけだから」
「私が可哀相?」
祐巳の予想外の言葉に、可南子は不思議そうな顔をする。
訳が分からずに首を傾げる可南子に、祐巳ははっきりと頷く。
「うん。あ、でも可哀相と言うよりも悲しかったのかな。
だって、可南子ちゃんは男の人というだけで、全てを否定してしまっているでしょう。
否定して、自分の人生には関係がないと切り捨ててしまっている。
前にお姉さまが仰った事があるの。
人と人の出会いは、それだけではただそれを結ぶだけの細い糸なんだって。
私もそうだと思う。そして、それを強い絆に変えるには、お互いに色んな事を知らないといけないと思うの。
その為には、一緒にいて色んな事をするのが一番速いんじゃないかな。
勿論、その途中で途切れる事もあるだろうし、本当に強い絆にもなる。
でも、可南子ちゃんはその細い糸を男の人というだけで切ってしまっている。
ううん、繋ぐことすらしてない。
それが悲しいの。過去に何があったのかは可南子ちゃんが言いたくないんなら聞かないし、
私が無闇矢鱈にそれを聞いてもいいとは思えないから別に良いけれど」
そこまで言うと、祐巳は一息だけ入れる。
そして、可南子がちゃんと聞いてくれている事を確かめると、そのまま続ける。
「でも、男の人というだけで、その存在をなかった事にするのは他ならぬ可南子ちゃん自身の世界も狭めてしまっているんだよ。
そして、これからもそうしていく限り、可南子ちゃんの世界はいつまで経っても広がらずに狭いまま。
確かに、可南子ちゃんの言うように、男の人の中にはどうしようもない人もいるけれど、全てが全てそうじゃないし、
それに、それは女の人の中にだっているよ。
だからって、今すぐどうこうって訳じゃないの。ただ、今よりもほんの少しだけでも良いから、もう少し接し方を考えてみて」
祐巳の言葉をゆっくりと吟味するように考えている可南子に、祐巳は更に言葉を続けていく。
「これもお姉さまに言われた事なんだけど、姿形といった外見は一番目に触れやすい部分だって。
でも、本当に大切なのはもっとずっと奥に隠れている心だって。
多分、外見ってのは箱なんだよ」
「…箱?」
「うん、そう箱。中身が見えないから、皆最初はその箱という外見で判断するの。
でも、本当に大事なものはその捨ててしまう箱じゃなくて中身でしょう」
祐巳の言葉に可南子は何も言わない。
しかし、ちゃんと聞いてくれていると分かっているので、祐巳は続ける。
「だから、外見という姿形に囚われず、その心を好きになるっていうのが、本当にその人を理解して好きになるって事だと思う。
だから、その奥に隠された心を見つける為にも、人と人の繋がりを強くしないとね。
その為には、やっぱり男の人という姿形だけで判断して切り捨てるのは駄目だよ。
特に恭也さんは可南子ちゃんが言うような人じゃないから。
もう少し普通に接してみれば、きっとそれが分かると思うの。だから、可南子ちゃんのためにもお願い」
「私のため…?」
「そう。他ならぬ可南子ちゃん自身のために」
「…それは命令ですか?それとも、あの約束の中に含まれているんですか」
祐巳の言葉を全て聞き、可南子は静かにそれだけを口にすると、じっと祐巳を見上げる。
いつもとは逆の目線でお互いを見ながら、祐巳はゆっくりと首を振る。
「ううん、違うよ。ただ、これは私のお願いかな?」
柔らかな笑みを浮かべつつそう言った祐巳を、可南子は眩しそうに眺めつつ、拗ねたように俯く。
「…祐巳さまはずるいです。あんなに必死で言葉をぶつけられ、その上そんな笑顔でお願いなんてされたら…」
可南子の言葉にずるいのかなーと思いつつ、祐巳はじっと可南子を見詰めて返答を待つ。
やがて、可南子は躊躇いつつもゆっくりと頷く。
「分かりました。祐巳さまがそこまで仰られるのでしたら、努力はしてみます」
そう言った可南子を見て、祐巳は嬉しそうに微笑むとその頭を撫でる。
そんな仕草に可南子は照れ臭そうにしつつも、どこか嬉しそうな顔をするが、俯いている為に祐巳からは見えない。
可南子は赤くなった顔を隠しつつ、勢いよく立ち上がる。
「わ、私は子供ではないんですから、そういう事はおやめください」
そんな可南子の様子をぽかんと見上げつつ、それが照れ隠しだと分かると祐巳は笑みを深める。
「え〜、良いじゃない。だって、普段は可南子ちゃんの方が背が高くて、こんな事できないんだし」
そう言って祐巳は背伸びをしつつ、可南子の頭を再び撫でようとする。
可南子は少し名残惜しそうな顔を一瞬だけ浮かべるものの、すぐさまそっぽを向き、早口で捲くし立てる。
「見損ないましたわ、祐巳さま。嫌がる下級生の頭を無理矢理に撫でようとするなんて。
祐巳さまがそんな方だったなんて」
「嫌いになった?」
「えっ!?いえ、べ、別にそこまで言ってませんけど」
「あ、でも、可南子ちゃんには一度嫌われてたんだったっけ」
「あ、あの時のあれは…」
祐巳の言葉に可南子が困ったような顔をして、必死で何かを言い繕うとする。
そんな可南子を見て、祐巳は聖が自分をからかっていた時の気持ちって、こんな感じだったんだろうなと漠然と考える。
目の前で慌てて言葉を探している可南子を見て、祐巳は声に出して楽しそうに笑う。
「な、何がおかしいんですか!」
「ご、ごめん、ごめんね」
謝りつつも未だに笑う祐巳に可南子は背を向けて歩き出す。
「あれ?可南子ちゃん、どこに行くの?」
「まだ仕事が残っていますから、薔薇の館へと戻るんです!」
少しぶっきらぼうに強い口調で言う可南子の背中を早足で追いつつ、
「待ってよ。私も戻るんだから、一緒に行こう」
その言葉に可南子は出口付近で足を止める。
可南子に追いついた祐巳は、
「じゃあ、可南子ちゃん頑張ってね」
「分かっています。約束しましたから、出来る限りの努力はします」
「うん。可南子ちゃんなら出来るよ」
可南子の返答に対し、本当に嬉しそうに満面の笑みを見せてから歩き出す。
無意識に出た笑みだったのだろうが、その笑みに可南子は暫し我を忘れて魅入っていた。
数歩先を歩く背中を追いながら、可南子は赤くなっているであろう頬を誤魔化すように軽く擦る。
二人が出て行った後の温室には、再び静寂が広がっていく。
二人が出て行った先、出入り口へと続く道へと向って、
一輪のロサ・キネンシスの花が、まるで二人を見守るようにそっとその花を咲かせていた。
つづく
<あとがき>
今回は祐巳と可南子のお話〜。
美姫 「本当だわ。他の人が出てきていない」
前回飛び出した可南子を祐巳が説得するって所だね。
美姫 「じゃあ、この後からは可南子の態度が変わるの?」
長年の考えがそう簡単に変わるわけないだろう。
美姫 「じゃあ、当分は変わらず?」
それはどうかな〜。
まあ、とりあえずは次回でだな。
美姫 「それはそうと、文化祭で山百合会は何をするの?」
それは、えっと、ちょっと待ってよ……(計算中)……。
……(只今、計算中)……
えっと、後数話先で発表だな。
早まる可能性もあるけど。
美姫 「その場合は?」
えっと…。次回?
美姫 「かなり早まるわね!」
あ、あははは〜。
まあまあ。
美姫 「一体、何をするのかヒント!」
駄目〜。
まあ、あれじゃない事は確かだな。
美姫 「あれ?…ああ、アレね」
ああ、アレだ。
あははは。冗談で考えたプロットはあるんだけどね。
美姫 「流石にこれはね〜」
うん。これは少しな。
美姫 「まあ、そんな訳でお蔵入りした訳ね」
うん。実に惜しい。
まあ、何をするのかは既に決まっているし。
それはお楽しみと言う事で。
美姫 「それでは今回はこの辺で」