『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』
第10話 「歓談」
可南子が立ち去り、それを追って祐巳が出て行った後の薔薇の館では、表面上は既にいつもの雰囲気に戻りつつあった。
淹れ直したお茶も飲み終る頃には、しっかりと元に戻っていた。
「さて、可南子ちゃんの事は祐巳に任せて、私たちは作業を再開しましょう」
祥子の声に、全員が頷いて作業を再開させる。
そんな中、新聞部の二人は席を立つ。
「それでは、私たちはお邪魔になるといけませんからこの辺で。ごきげんよう」
三奈子に続き、真美も口を開く。
「それじゃあ、私はこれを記事にしますので、ここで失礼します。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
三奈子と真美に返事を返し、それぞれの作業へと没頭していく。
それから暫らくは作業をする音だけが部屋に響く。
そこへ扉がノックされ、続いて開かれる。
「只今戻りました」
そう言って入ってくる祐巳に続き、無言で可南子も入ってくる。
「お帰りなさい。二人とも、さっさと作業に戻って頂戴。
時間がないんだから」
「はい!」
「はい」
祥子の言葉に祐巳は元気に答えると、祥子の横へと座る。
一方の可南子は返事をしたものの、席には座らずにじっとただ一点だけを見詰める。
その視線の先では、恭也が作業をしていた。
恭也は可南子の視線に気付き、顔をあげる。
恭也と目が合うと可南子は顔を背けるが、すぐに恭也へと向い直る。
それから、ゆっくりと口を開く。
「先程はすいませんでした」
そう言って頭を下げた可南子を、恭也と美由希、そして祐巳以外が驚いた顔で見詰める。
ゆっくりと顔を上げる可南子に、恭也は笑みを浮かべつつ答える。
「別に気にしていませんから、可南子さんも気にしなくても良いですよ」
「はい、ありがとうございます」
硬い表情ながらもそう言うと、可南子は腰を降ろす。
そこで、不思議そうな顔でこちらを見ている祥子たちに気付く。
「えっと、何か」
「いいえ、何でもないわ。じゃあ、さっさと片付けてしまいましょう」
「そうね。ここにある分を済ませば、とりあえずの雑事はなくなることだしね」
祥子の言葉に頷きつつ令が答える。
「ええ、そうよ。これでやっと、劇の方も進めることができるわね」
この祥子の言葉に、祐巳たちは一斉に反応を示す。
それに苦笑をしつつ、祥子と令はとぼけたように言う。
「どうしたの、祐巳?」
「祐巳ちゃんだけでなく、由乃たちまで」
「お姉さま、分かってて言ってるでしょう」
そんな令に真っ先に由乃が食って掛かる。
「落ち着いて、由乃」
「そうよ、由乃ちゃん。それに、はっきりと口に出していないのに、どう分かれと言うのかしら」
「祥子さままで〜」
横から令を助けるような形で口を挟む祥子を見遣りつつ、由乃はテーブルに突っ伏す。
そんな由乃を眺めつつ、志摩子が祥子へと話し掛ける。
「確かに祥子さまの仰る通りですね。では、質問をさせて頂いても宜しいでしょうか」
「ええ、構わないわよ。私たちに分かる事ならね」
祥子の言葉に頷き返し、志摩子は口を開く。
「率直にお伺いしますけれど、今度の文化祭の催し物は何をされるおつもりなんですか」
「さあ、何だったかしら。ねえ、黄薔薇さま?」
名前ではなくわざわざ黄薔薇と呼びかける祥子に、令も同じように答える。
「さあ、何だったかしら」
そんな二人を眺めつつ、祐巳は思い切って祥子へと言う。
「お姉さま。お姉さまは先程、自分達に分かる事ならと仰ったではありませんか?」
そう言った祐巳に向って、由乃がナイスとばかりに親指を立てて見せる。
そんな由乃に背を押され、祐巳はいつもよりも毅然として祥子に向き直る。
「祐巳ったら、いつの間にかこんなにたくましくなって」
祥子の褒め言葉に、祐巳は緩みそうになる頬を押さえつつ、
「誤魔化さないで教えて下さい」
言い放つ祐巳を由乃はいいぞ、いいぞと囃し立てる。
そこへ、令が口を開く。
「でも、分かる事って言ったでしょう」
そう言われ、押し黙った祐巳に代わり、今度は由乃が口を出す。
「この時期に来て、まさかお姉さまたちにも分からないなんて事はないでしょう?
それとも、本当にわからないのですか?だったら、しょうがないですけれど。
でも、まさかそんな事はないですよね」
「そ、それは…」
由乃の攻撃に令は困ったような顔をする。
そこへまたしても祥子が口を挟む。
「あら?確かに質問しても良いとは言ったけど、それに対して答えるとは一言も言ってないわよ」
「でも、分かる事ならって仰ったじゃないですか!」
「ええ、確かに言ったわね。だって、分からない事を聞かれても答えられないじゃない」
由乃の言葉に頷く祥子に対し、由乃は笑みを浮かべる。
「だったら…」
何かを言いかける由乃を制し、祥子は続ける。
「ええ。だから、分かる事を聞かれたら、それは教えるわよ。
でも、当然その中には答えられない事もあるのよ。分かるわよね。
つまり、今の志摩子の質問には、分かるけれど答えられないって事よ」
祥子の台詞に由乃は言葉をなくし、悔しそうな表情を浮かべる。
そんな由乃とは対称的に、祐巳は祥子の方を凄いというような眼差しで見詰める。
それに呆れつつも、由乃は諦めたのか大人しくなる。
場が落ち着いたのを見計らい、乃梨子が遠慮がちに手を上げる。
「少し、良いですか」
「何かしら、乃梨子ちゃん」
「はい。教えられないというのは分かったんですけれど、このままだと全く準備が出来ないんじゃないかと。
劇をするのなら、台詞とかも覚えないといけないでしょうし、他にも用意しないといけないものが…」
「ああ、それなら大丈夫よ」
乃梨子の心配を余所に、令は笑みを浮かべて答える。
「衣装とかに関しては、既に手芸部の方に頼んでいるから」
「でも、確かにそろそろ準備を始めないといけないわね」
令に続き、祥子が言う。
それから二人は目を合わせると、一つ頷く。
「それじゃあ、明日にでも発表しましょうか」
「えぇ〜。今じゃないんですか」
祥子の言葉に真っ先に由乃が答える。
他の者たちも同じ気持ちなのは見ていて分かるが、それでも祥子は告げる。
「ええ。とりあえず、この仕事を今日中に終らせましょう。
そうすれば、明日からは劇の方に集中できるでしょう。
それに、ぎりぎりまで発表しない方が良いでしょうから」
「そうそう。その方が今更嫌だなんて言えないでしょう」
「でもでも、明日も今も変わらないじゃない」
由乃の言葉に、令は首を横に振る。
「それはそうかもしれないけれど、明日の方がもっと確実でしょう」
「明日に配役とかも教えるわ」
令の後に祥子が言い、二人して意味ありげな笑みを浮かべる。
「あのー。それってつまり、少なくとも誰か一人から、もしくは全員から反対意見が出るって事ですよね」
志摩子が恐る恐るといった感じで尋ねる。
それに対し、祥子と令は首を傾げるだけで、何も話さない。
しかし、その目が何よりも物語っていた。
即ち、何かがあると。
全員が何とも言えない顔をする中、祥子が楽しそうに話し始める。
「去年は私が何度嫌だと言っても、お姉さま方は聞いてくださらなかったんですもの。
今度は私の番だと思わない?
ねえ、祐巳」
隣に座る祐巳の肩に手を置き、意味ありげな笑みを浮かべる。
それを見て、祐巳は嫌な予感をひしひしと感じ、引き攣った笑みで思い切って尋ねてみる。
「も、もしかして、私が、そ、その主役だったり……しませんよね」
「さあ、どうだったかしら。まあ、明日になれば分かるわよ」
顔から血の気を引かせながら、小さくパニックになっている祐巳に令が笑いながら声を掛ける。
「大丈夫だって、祐巳ちゃん」
「……あ、そ、それもそうですよ。幾ら何でも私が主役だなんてこと…」
令の言葉に少しだけ落ち着きを取り戻して笑う祐巳に、令は容赦なく続ける。
「去年は主役の座を掛けて祥子と競い合ったんだから」
「ち、違いますよ、あれは。第一、令さまも知っているじゃないですか!」
「あれ、違った?」
わざとらしくとぼける令の言葉に、祐巳はさらに気を重くする。
それに対し、祐巳以外の者たちは内心安堵する。
自分たちにはそんなに害はないと判断したようだった。
それに気付いたのか、祥子が心底楽しそうな笑みを形作る。
「何故か知らないけれど、どうも安心しているような」
「そ、そんな事はないですよ。あ、あははは」
あからさまに怪しい笑い声を上げ、由乃が答える。
「そう。なら、良かった。
だって、まだ祐巳が主役だって言ってないのに、
由乃ちゃんたちったら、まるで自分たちは助かったとばかりの顔をするんですもの」
それが本気かどうか探るように見てくる由乃たちに対し、祥子は一切表情を変えずに続ける。
「そうそう。去年は由乃ちゃんも志摩子も、私を騙すのに協力してたみたいだしね」
「そ、そんな〜。アレは前薔薇さまたちが考えた事なのに〜」
「でしたら、令さまも同罪では?」
不満の声を上げる由乃と冷静に返す志摩子。
「そうね、令も同罪ね。だから、令には準備の段階でかなり働いてもらったわ。
ねえ、令」
「ええ、それはもう。あれは、かなりきつかった」
そう言って自分の肩をトントンと叩く仕草を見せる。
一方の祐巳たち二年生トリオは、顔を見合わせ非情に困ったような顔をする。
「そうそう、そこで安心している乃梨子ちゃん」
突然祥子に名前を呼ばれ、びくりと肩を振るわせる。
「な、何でしょうか」
「ふふふ。特にどうという事はないのよ。
ただね、姉の不始末は妹が…」
「あ、いえ、しかし、私は去年はリリアンにいなかった訳ですし…」
必死で言い繕う乃梨子の横で、志摩子が悲しそうに乃梨子を見る。
「乃梨子は私を見捨てるの?」
「あ、いえ、とんでもないです!」
言ってしまってから、乃梨子はしまったという顔をし、祥子と令の方を見る。
祥子は乃梨子の方を驚いた表情で見詰め──その割には口が笑っていたが──、
「あら、冗談だったのに」
「まあ、本人がああ言ってるんだし、確か重要な役がまだ空いてたわよね」
「そう言えばそうね。それじゃあ、乃梨子ちゃんの配役をそれに変更しましょう」
あっと言う間に決定してしまう。
尤も、二人の顔から察するに、始めから決まっていたのだろうが。
それでも、すぐ直前のやり取りがあったこともあり、乃梨子はがっくりと肩を落とすのだった。
何となく疲れた空気が漂う中、祥子は一つ手を叩く。
「本当に明日が楽しみだわ。それじゃあ、残っている仕事を全部片付けてしまいましょう」
妙にやる気になっている祥子と令に対し、祐巳たち四人は何となく重くなった体を必死に動かす。
すると、それまで黙っていた恭也が手を休めずに聞いてくる。
「因みに、俺や美由希は勿論裏方だよな」
今までのやり取りで何となく不安になり、恭也は一応念のために尋ねる。
恭也の中では、自分たちは完全に裏方だと思っているようだった。
そんな恭也に、祥子は意味ありげな笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、よく聞こえなかったんですけれど。もう一度、お願いできます?」
「……えっと、俺たちは裏方で劇には出なくても良いんだよな」
「あら、令。そこ、ちょっと間違っているわよ」
「あ、本当。ありがとう」
「いいえ。すいません、もう一度お願いします」
書類を書いていた令に注意すると、祥子はもう一度恭也へと向き直る。
「ねえねえ、祐巳さん。祥子さまの所から、令ちゃんの所って見える」
「見えなくはないと思うけど…」
「でも、さっきの祥子さまは恭也さんの方を向いてたじゃない。
令ちゃんの席って、恭也さんとほぼ反対方向なんだけど…」
「やっぱり、そうだよね」
「何だ、祐巳さんも気付いてたんだ」
「そりゃあ」
「だとしたら、当然、恭也さんも気付いているわよね」
二人は間に可南子を挟みつつ、こそこそと会話する。
可南子は背中で二人の会話を聞きつつ、その手を休めずに動かす。
一方の恭也は困ったような顔を浮かべていた。
「あー。ひょっとして、劇に出る事になっているのか」
「恭也さんは日本語読めます?」
「へっ?あ、ああ。それは勿論」
突然、関係のない事を言われ戸惑うものの、それでも何とか返答する。
それに一つ頷き、
「それじゃあ、話せます?」
「それはそうだろ。じゃないと、こうして今、会話が出来ていないだろう」
「ええ、結構です。つまり、恭也さんは日本語が読めて、それを理解して話すことが出来る」
「あ、ああ」
祥子が何を言いたいのか分からず、とりあえず恭也は頷く。
「つまり、劇で何かしらの役を演じる事ができるという事ですよね」
「何でそうなる」
「だって、日本語で書かれた台本を読めて、それを理解して覚える。それを話す。
ほら、出来るじゃありませんか」
「しかし、演技は…」
「それは練習次第ですわ。それとも、恭也さんは約束を破られるおつもりかしら」
「約束?」
尋ね返す恭也に祥子は頷く。
「ええ。出来る範囲で手伝って下さると仰ったではありませんか」
「だから、演技は出来る範囲じゃないだろう」
「それは練習次第ですよ。さっき言った日本語が読めて話せれば、とりあえずは大丈夫です」
「そんな大雑把な…」
祥子の強引な理屈に、恭也は絶句する。
そんな恭也を余所に、祥子は止めとも言うべき事を口にする。
「それに、恭也さんが手伝ってくださると仰るから、少し内容を変更しましたのよ。
今更、それを無理だなんて仰らないですわよね」
「……分かった」
がっくりと項垂れる恭也に対し、祥子は最も説得が困難だと思っていた恭也を納得させた事で、
肩の荷が下りたと言わんばかりに嬉しそうな笑みを浮かべる。
そんな祥子にしてやられたという顔をしつつ、恭也は食い下がるように言う。
「それで、どんな脇役なんだ。出来れば、台詞が殆どない事を期待するが…」
「それは明日のお楽しみですよ」
そう言って笑う祥子を見て、全員が同じ事を思っていた。
それは、『絶対に脇役じゃない。主役じゃないにしても、かなり出番のある役に違いない』だった。
ただ一人、恭也は脇役である事を信じて疑っていなかったのだが。
つづく
<あとがき>
やっと10話〜。
美姫 「二桁突入ね」
うむ。長かった。
美姫 「って、言うよりも遅すぎ!」
あ…。
美姫 「笑って誤魔化さないように」
…………。
美姫 「はぁ〜、全く。この馬鹿は進歩がないと言うか、進歩しないと言うか、学習しないと言うか」
全部同じような気が…。
パァン!
美姫 「口答えをするな!」
す、すいませんコーチ!
美姫 「誰がコーチか!」
パァン!
い、痛い……。
美姫 「反省しなさい」
ぼへ〜〜〜〜〜〜。
ああ、意識があるようなないような……。
美姫 「それは半醒!」
見て見て。この熱帯植物の生い茂った様を。
美姫 「それは繁生!」
昔は、各藩ごとに政治を行っていて…。
美姫 「それは藩政!」
ああ、商売繁盛の繁盛(はんじょう)と同じ意味を持つ。
美姫 「それは繁盛(はんせい)!」
一生の半分だね。
美姫 「それは半生!」
……駄目だよ、もう浮ばないよ〜。
美姫 「この馬鹿、馬鹿、馬鹿!」
ご、ごめんよ〜。でも、浮ばないんだから、仕方がないじゃないか。
美姫 「そうじゃないわよ。どうして、こうくだらない事だけはポンポン、ポンポン、ポンポン出てくるのよ!」
そんな事言われましても…。
美姫 「えーい。ごちゃごちゃ言っている暇があったら、さっさと次を書きなさい!」
わ、分かったから、突っつくな!
美姫 「良いから、さっさとやれ!」
スパーーン!
はいぃぃぃ!
美姫 「……。お、おほほほほ。それじゃあ、皆さんまた次回で」