『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



第17話 「皆伝の儀」






恭也たちが香港へ来て、既に半月程が経っていた。
その間も、恭也と美由希は警防隊の人たちや美沙斗との鍛練を毎日のようにこなしていた。

「二人とも、うちとの訓練以外にも夜と早朝に美沙斗と三人で鍛練をしているんでしょう。
 毎日毎日よくそれだけ鍛練を続けられますね」

昼食を一緒に取っていた弓華が感心したように言う。

「毎日やるから意味があるんですよ。それに、殆ど日課ですから、逆にやらないと落ち着かないというか」

「ふーん、そういうものですか。でも、だからこその強さなのかもしれませんね。
 二人の練習量はうちの者たちよりも多いですから」

「そんな事はないかと…」

「いえいえ。現にうちの者たちも感心してましたよ」

「それは、どうも」

照れつつ答える恭也に、弓華は微かに笑みを浮かべつつ、手にしていたものを口へと運ぶ。

「でも、恭ちゃん。何か今回はいつにもまして訓練の時間が多いような気がするんだけど…。
 あ、それ頂戴」

不思議そうに尋ねる美由希の方へ、皿を押しやりつつ恭也が答える。

「そうか。休みの時はこんなものだろう。まあ、多少多いかもしれんが、春の合宿よりはましだろう」

「……んぐ。うん、あれは本当にきついからね」

美由希は口の中の物を飲み込むと、頷きながら答える。
そんな二人の会話を聞いていた弓華が尋ねる。

「それはそんなにきついんですか」

「そうですね。訓練内容もかなり濃いですけれど、その後に自分たちで自炊をしないといけないので」

「訓練でへとへとに疲れた後に、ご飯のしたくだもんね。でも、やらないとご飯がないし。
 うぅ〜、晶とレンの存在が本当にありがたいって感じるよね」

「ああ、本当に。鍛練で疲れているのに、二人分の食事の用意をしないといけないからな…」

「うぅ〜、反省してます」

「その点で言えば、今回の長期鍛練は良いな。
 美味しいご飯が食べられる」

そう言って恭也は美沙斗を見る。
美沙斗は照れたように、

「そ、そんな事はないよ。ふ、普通だと思うけど…。
 それに、レンちゃんや晶ちゃんたちに比べたら、とても私なんて…」

「いえ、美沙斗さんの料理はあの二人と比べても決して負けませんよ」

「そうですね。私も何度かご馳走になった事がありますけど、美沙斗は料理も上手ですよ」

恭也と弓華に褒められ、美沙斗は照れた顔で俯く。

「そ、そんなにおだてても何も出ないよ」

「別におだててなんかいませんよ。事実を言っただけです。
 それに、何も出ない事はないでしょう。毎日、美味しい晩御飯が出てるんですから」

「そ、そんなに言わないでくれ。さ、流石に少し恥ずかしいよ」

益々照れる美沙斗を楽しそうに眺める恭也と弓華だったが、美由希は一人悲しそうに俯く。
そこへ、美沙斗が二人から逃げるように話題を変える。

「そ、そうだ。美由希、今度一緒に作ってみるかい」

「え、でも…」

難色を示す美由希に、美沙斗は優しく微笑むと、

「大丈夫だよ。練習すればきっと…」

「えっと、じゃあ、お願い」

「とりあえず、今日は煮物を作る予定だから、その手伝いでもしてもらおうか」

「うん」

美沙斗の言葉に笑みを零しつつ頷く美由希を。

「まあ、頑張れ」

「任せてよ」

根拠のない自信を見せる美由希を不安そうな顔で見る恭也だった。
で、煮物がどうなったかと言うと……。

「み、美由希。とりあえず、今回は材料だけ切ってくれるかい」

「うん、分かった」

何度か作り直していたようだが、その度に美沙斗が炭のようなものを捨てるのを見ていた恭也は、やはりとため息を吐き出し、
時計へと視線を向ける。
今日は早めに鍛練を切り上げ、買い物をして帰ってきたのが大体五時頃。
そして、今の時間は八時過ぎ。
とっくの昔にご飯だけは炊き上がっている。
多めに買ってきていた食材も遂に底を付いたらしく、台所からはそんな声が聞こえてくる。

「まあ、その方が確実だろうな」

恭也はそう一人ごちると、テレビへと視線を戻すのだった。





  ◇ ◇ ◇





それから数日経ち、二人の帰国する日を明後日に控えた日。
この日は夜の鍛練はなしとなり、美由希は少し早いが風呂に入る準備をしていた。
そこへ、恭也が声を掛けてくる。

「美由希、俺と美沙斗さんはこれから少し出掛けて来るから」

「え、鍛練するの?だったら、私も」

「いや、今日はさっきも言ったが、休みだ。
 流石に連日こう身体を酷使しっぱなしというのも悪いからな」

「それじゃあ、二人で何処に?」

「まあ、ちょっとな。悪いが美由希は留守番をしててくれ」

「うん、分かった」

何か釈然としないものの、美由希は大人しく頷くのだった。



外へと出た恭也と美沙斗は、普段三人で鍛練する人気のない開けた裏路地までやって来る。

「で、話と言うのは何ですか、美沙斗さん」

「そうだね。遠まわしな言い方は止めようか。
 恭也が今回ここに来たのは、私が鍛練に誘ったって事もあるだろうけれど、それ以外にも理由があるんじゃないかい?」

「どうして、そう思うんですか?」

「何となく、かな。まあ、それ以外にも膝が完治した時に、電話で私に鍛練をしてもらいたいと言ってただろう。
 その時に、自分たちの方がこっちへ来ると言ってたからね。何かあるのかなと思って」

「……そうですね。別に隠すような事でもありませんし」

恭也はそう言うと、美沙斗を正面から見詰め、静かにその一言を告げる。

「俺に預けてもらえませんか」

その言葉に、美沙斗は驚いたような顔を見せつつも、優しく微笑む。

「そう言う事かい。まあ、特に反対する理由もないしね。
 それに、私がいない間、あの子をずっと育てて見守ってきたのは恭也だからね。
 恭也になら任せられるかな」

「ありがとうございます」

「それで、いつ?」

「ここでの訓練が終って、帰国してから数日後を予定してます」

「それは、また随分と急だね。桃子さん達には話したのかい?」

「いいえ、話してませんが。やはり、言わないと駄目ですか」

不思議そうに尋ねてくる恭也に、美沙斗は頷く。

「そんな大事な事を、言わない訳にはいかないだろう」

「それはそうですが…」

「まさか、二人だけで終らせるつもりだったのかい」

「ええ、そうですけれど」

「それは幾ら何でも…。せめて、桃子さんとか神咲さんといった知人たちにはちゃんと話して…」

「ですが、皆伝の儀をかーさんたちの前ですると言うのは…。
 まあ、美沙斗さんがそこまで仰るのなら、構いませんけど。
 皆も、少なからず俺たちの振るう剣がどういったものかを知っているでしょうし」

「皆伝の儀?」

「ええ、そうですけど…。えっと、どうかしましたか?」

「あ、ああ、いや、何でもないんだよ。
 そ、そうか、皆伝の儀か。つ、つまり私が持っている龍鱗を、恭也に預ければ良いんだよね」

「ええ」

「いや、そうか皆伝の儀か……」

一人納得する美沙斗を、恭也は首を捻りつつ眺める。
それから、美沙斗は驚いたような顔をする。

「皆伝の儀だって?つまり、美由希が?」

「さっきからそう言ってますけど、どうかしたんですか?」

どこかいつもと違う感じの美沙斗に、恭也は心底不思議がるが、ふいに美沙斗が真剣な眼差しになる。

「そうか。美由希が…」

「ええ。俺が知っている御神の技は全て教えました。
 それに加えて、美由希は美沙斗さんからも色々と教わりましたから。
 特に、あの冬の事件以降、急激に成長しましたし。そろそろいい頃だと思います」

「成る程ね。なら、明日の夜、少しだけ美由希を借りるよ」

「別に構いませんけど、どうしてです」

「なに、大した事じゃないさ。まあ、皆伝に向けてのちょっとしたアドバイスみたいなものをね…。
 それにしても、美由希が皆伝か」

美沙斗は嬉しそうにそう呟くと、

「それで、美由希にはいつ言うんだい」

「帰国してからにしようと思っています。
 まだ、こっちでの訓練メニューも残っていますから、それを終えないうちに教えて、訓練に集中できなくなると困るので」

苦笑しつつそう告げる恭也に、同じように苦笑しつつ、美沙斗は任せるとだけ答える。

「さて、それじゃあそろそろ戻るかい?」

「ええ、そうですね。その前に、少しやりませんか」

そう言って恭也は小太刀を取り出すと、同じように美沙斗も小太刀を取り出す。
お互いに笑みを浮かべながら。

「恭也と二人だけでやり合うのはあの時以来だね」

「ええ、そうですね。膝が完治してからは初めてですね」

「確かにね。それじゃあ、どこまで腕を上げたか見せてもらおうかな。
 閃を放った御神の剣士の腕前を…」

「知っていたんですか?」

「ああ。美由希に聞いてね」

「ですが、あれは本当に偶然ですよ。現にあれ以降、一度も撃てませんから」

「そうなのかい。でも、一度でも撃てたんだ。そのうち、自分の意のままに撃てるようになるさ」

「だと良いですけどね」

恭也はそう答えつつ、小太刀を構える。

「まあ、訓練で閃なんか出されたら、私じゃ相手できないからね。
 それよりも、その顔は何か企んでいるって顔だね」

「……美沙斗さんには敵いませんね」

「まあ、これでも君よりは実戦経験があるからね。勘という奴だよ」

言って美沙斗も構える。

「実は、少し試したい事がありまして」

「それは、楽しみだ」

「それじゃあ……」

「ああ。お喋りはこの辺に終わりにして、後は剣で語ろうか。
 見せてもらうよ、完治した恭也の実力を」

不適な笑みを交し合うと、二人は夜の闇を疾走する。
金属同士のぶつかる甲高い音を静かな空に響かせ、光の射さない薄暗い闇の中に白銀の煌きと火花を散らしながら、
二つの闇を纏った影は、時に離れ、ぶつかり、まるでダンスを踊っているかのように乱舞するのだった。
その後、家へと戻った恭也と美沙斗のボロボロになった姿を見て、美由希が私だけ除け者と拗ねるのはまた別のお話。



翌日の夜、昨夜の約束通り、今度は美沙斗と美由希だけで外へと出てきていた。
昨夜、恭也と二人で話したいつもの訓練場所に。

「どうしたの、母さん。恭ちゃんがいないけど」

「ああ、今日は美由希だけに用があるからね。
 今から見せる技は、私が出せる中でも一番の技だ」

美沙斗の言葉に、美由希の顔つきが変わる。

「そして、こればっかりは恭也にも教える事が出来ない技だから、私が美由希に伝える」

「恭ちゃんの知らない技……」

「ああ。これは兄さんも知らないからね。だから、恭也も教えられていないんだ。
 まあ、名前ぐらいは知っているかもしれないけど。
 この技は、当時の御神の中でも、私と静馬さん、そして、静馬さんのご両親しか知らなかった技だから。
 何せ、御神流正統奥義だからね」

美沙斗の言葉に美由希は息を飲む。

「それを、私に…」

「ああ。美由希も神速の域に来た事だし、そろそろ知っていてもいい頃だろうからね。
 今から、それを見せるから、良いかい、決して防ごうなんて思わないで。
 出来る限り外すつもりだけど、それでは意味がないから。避ける事を第一に考えて」

美沙斗の言葉に、美由希は小太刀をニ刀構えつつ、頷く。
美沙斗はゆっくりと小太刀を鞘へと仕舞い込むと、美由希へと走り寄る。
そして──。

──御神流正統奥義 鳴神

美沙斗の放った斬撃を美由希は神速を使って躱しに掛かる。
しかし、その神速の領域にあってもなお、その一撃は美由希へと喰らい付いてくる。
一瞬、その斬撃にあわせ小太刀を出しそうになるが、美沙斗の言葉を思い出して、避ける事に専念する。
モノクロの世界の中、唯一光を持って迫り来るその白刃から、美由希は必死で少し重く感じる身体を遠ざける。
美由希の目の前をその斬撃が通り過ぎていくと同時に、世界に色が戻り、神速から抜け出す。

「くっ!」

しかし、その斬撃は美由希の持っていた小太刀に当たったのか、美由希の小太刀はニ刀ともが折れていた。

「はー、はー、はぁー」

今しがた見せられた奥義に、背中に冷たいものが流れるのを感じつつ、美由希は肩で荒い息を吐く。

(い、今のが正統奥儀……。全力で撃ったんじゃないのに、あの速さと威力。
 しかも、あの軌道はある程度私が回避できるように浅かった。多分、母さんは始めから私が持つ小太刀を狙っていたんだ……)

今更ながらに冷静に判断するにすれ、その奥義の恐ろしさを感じ取る。
そんな美由希に、美沙斗が鞘に小太刀を収めつつ、声を掛ける。

「これが、御神流正統奥義鳴神」

「……御神流正統奥義鳴神。本当に私に出来るかな…」

「さあ、それはどうだろうね。そればっかりは分からないけれど、私は美由希なら出来ると信じているよ。
 あの人と私の自慢の娘だからね。そして、最高の師に育てられたんだから」

「うん!」

美沙斗の言葉に美由希は自信を持って答える。
自分の実力は分からないが、美沙斗の娘であり、恭也の弟子という誇りだけは、美由希にとって胸を張れる事だから。
そんな美由希を微笑ましく見つめながら、美沙斗はしみじみと語る。

「本当に、恭也には感謝だな。美由希をここまでバランス良く育ててくれて。
 正統奥儀は、神速の延長線上にある技とも言えるんだ。だから、神速が出来ないと、正統奥儀もその威力の半分も出せない。
 その点で言えば、美由希の身体は柔軟性から筋肉の付き方まで、神速に最も適した状態に育っているから。
 恭也が、神速の領域を意識して美由希を育ててくれたお陰だね」

師である恭也を褒められ、美由希は自分の事のように嬉しそうな顔を見せる。

「うん。恭ちゃんの鍛錬内容は、全て私が完成した御神の剣士になれるように考えられているから。
 それに、今では恭ちゃんの右膝も完治して、更なる高みを一緒に目指せるようになったし。
 この奥義を使えるようになれば、恭ちゃんに少しは追いつけるかな…」

「そうだね、少しは追いつけるんじゃないか。
 昨日やりあって分かったけれど、恭也はとても強くなっている。自分でも気付かないぐらいにね。
 そして、その恭也の元で鍛錬をして、一緒に剣士の道を進んでいる美由希もまた、強くなっているよ」

「そうかな?あまり実感がないけど…」

「ああ、間違いなく強くなっているよ二人とも」

(特に恭也は飛躍的にね……。このまま行けば、間違いなく恭也は最強の不破に、そして美由希は最強の御神になるだろう…)

そう心の中で付け足すと、美沙斗は美由希の奥義の習得に向けた鍛錬を始めることにするのだった。





  ◇ ◇ ◇





香港での訓練を終え、無事に帰国した恭也と美由希。
そして、帰国してから数日程経った昼下がり。
ここ高町家の庭で、恭也と美由希が対峙していた。
そして、そんな二人を見守るように、二人の知人も集まっていた。
生憎と、赤星だけは都合が悪く、来る事が出来なかったが、忍と那美はわざわざ来てくれていた。
そんな知人たちが見詰める中、恭也と美由希はそれぞれが持つ小太刀を抜き、水平に持ち上げると、
その切先をお互いへと向ける。

「これより、皆伝の儀を行う」

恭也の静かな言葉に、美由希はゆっくりと頷く。
その態勢のまま、暫しの間を置き、恭也が口を開く。

「我、剣を取るもの」

その言葉に応じるように、美由希がその後を継ぐ。

「我、生涯を剣とともにありて
 剣とともに、道を行くもの」

共に一拍の間を開け、同時に語り出す。

「「共に歩みし この道を……」」

言葉を紡ぎながら、恭也は美由希の目から迷いが無くなり、しっかりとした意志を宿している事を確認する。
そう、皆伝の儀を行う事を伝えたあの夜と違って……。





  ◇ ◇ ◇





帰国後一日はゆっくりと身体を休めた二人は、次の日にはいつも通りの鍛練メニューをこなしていた。
そして、その深夜の鍛練前…。

「美由希」

「なあに、恭ちゃん?」

「今日の鍛練をする前に、言っておくことがある」

真剣な眼差しの恭也に、美由希も知らず背筋を伸ばしながら、続く言葉を待つ。

「今日から三日後、皆伝の儀を行う」

「へー、そうなん……へっ?皆伝の儀?だ、誰の!?」

「誰って、お前しかいないだろうが」

「……う、嘘」

茫然と呟く美由希に、恭也は嘘ではないと返す。

「えっ、えっ。で、でも…」

「お前は自分で思っている以上に、ここ最近、急に力を付けてきていたんだ。
 今なら、充分に皆伝の儀が出来るだろう」

「あ、あうあう」

恭也の言葉に、驚きながら軽いパニックを起こす美由希。

「いいから、落ち着け。何も、特別な事はしなくても良い。
 ただ、いつものように俺と刀を交えるだけだと思えば良い」

「で、でも皆伝の儀なんでしょう」

「ああ」

なおも言い募る美由希に対し、恭也は簡単に頷く。

「何を躊躇っている。その日のために、お前は剣を取ったんだろう」

「う、うん。……分かった、やるよ」

「そうか。なら、それまでの鍛練は少し軽めにしておくから」

「はい!あ、でも、今日はいつも通りにして欲しいかな」

「ああ、別に構わん。と、言うか、元からそのつもりだしな」

恭也の言葉に美由希はほっと胸を撫で下ろし、同時に一つの事に思い当たる。

「あっ!それで、母さんがあの夜…」

「美沙斗さんがどうかしたのか?」

「う、うん。ほら、私と母さんだけが出掛けた日…」

「ああ。何か、美由希に教える事があると言ってたな」

「恭ちゃん、知ってたの?」

「ああ。詳しい事までは知らされていないが、アドバイスと言ってたな」

「あ、あははは。アドバイスね……」

奥義の伝授をアドバイスと言うのだろうかと頭を捻って悩む美由希に、恭也が声を掛ける。

「ほら、ぼうっとしてないで、鍛練を始めるぞ」

「あ、はい!」

短く返事をすると、美由希は小太刀を構える。
同様に、恭也も一刀は腰に、残る一刀を手に持つ。
恭也と対峙しながらも、美由希の頭の中は皆伝の事で一杯だった。

(うぅぅ。こうして毎日鍛練しているから分かるけれど、絶対に恭ちゃんには勝てないよ。
 でも、このままだったら、皆伝できないし。
 そうなったら、父さんとの約束が。それに、いつか言ってた恭ちゃんの夢……。
 私を立派な御神の剣士にするって言うのが……。何としても、勝たないと)

中々向ってこない美由希を不審に思いながらも、用心深く美由希の行動を観察する恭也。
一方の美由希は、目で恭也を捉えつつも、思考は別の所へと飛んでいた。

(絶対に勝つ!その為には、今日のこの鍛練で、ある程度恭ちゃんの動きについていかないと。
 それと、母さんから教えてもらった正統奥義、鳴神を撃てるようにしないと……)

美由希は決意すると、一気に恭也へと迫る。
それを見て、恭也は少し眉を顰める。
何かを企んでいるかと思えば、急にこちらへと駆け出してくる。
まあ、それだけなら別に問題ないのだが、こちらへと向かってくる美由希は隙だらけだった。
いや、注意が散漫としていると言うべきか。兎も角、いつもと少し違う様子だった。
一瞬、何かの策かとも考えたが、それにしては隙だらけだった。
試しに恭也は、飛針を一つ美由希へと向って投げる。

「くっ!」

飛来した飛針を、咄嗟に右の小太刀で弾くが、その動作がいつも以上に大きい。
それを訝しみながらも、恭也は美由希の右側へと回り込むと、その肩口を殴りつける。
そんな単調な攻撃を美由希は避ける事も出来ずに、まともに喰らってしまう。
顔を歪めつつ、恭也から距離を取る美由希だったが、いつもなら、牽制で飛針が飛んできてもおかしくはないはずなのに、
ただ、後ろへと下がるだけだった。
そんな美由希との距離をすぐさま詰めると、恭也は小太刀を振るう。
恭也の攻撃を何とか捌いてはいるものの、やはりその動きにはいつものようなキレが見受けられない。
それどころか、恭也は一刀なのに対し、美由希はニ刀を使ってやっとといった感じであった。
これは幾ら何でもおかし過ぎると感じた恭也は、美由希と距離を開けると、小太刀を下ろす。
急に攻撃を止め、そんな行動に出た恭也に不思議そうな顔を向ける。

「美由希、もしかしてどこか具合でも悪いのか」

「ううん。そんな事はないよ。だから、続けよう」

恭也の言葉に、今ここで止められないとでも言うように、美由希が答える。
しかし、恭也は首を振る。

「そんなはずはないだろう。さっきから隙だらけだぞ。
 それに、いつもよりも反応が鈍いし…」

「!」

恭也の言葉に、美由希は一瞬だけ身を強張らせるが、すぐに小太刀を構える。

「だったら、恭ちゃんもいつもと違うんじゃないの。
 いつもだったら、そんな隙を逃すはずないじゃない。それとも、それは余裕?
 私じゃあ、弱すぎて話しにならないって事?」

「別にそんなつもりはない。美由希、お前少しおかしいぞ。
 本当に大丈……」

「私は本当に大丈夫だから!そんなに心配しないで!」

恭也の言葉を遮るように、美由希は大声を出すが、自分の声の大きさに驚く。

「ごめん。本当に大丈夫だから。だから、続けよう」

「本当か?」

まだ疑わしそうに見てくる恭也に、美由希は何も言わずに斬り掛かる。

「美由希!?」

驚きつつも、恭也はその一撃を完全に塞ぎつつ距離を開ける。

「いくよ、恭ちゃん」

驚く恭也には答えず、美由希は何かに憑かれたように恭也へと攻撃を始める。

(駄目だ、駄目だ。このままじゃ、皆伝なんて出来ない!
 今まで、ずっと大事に、それこそ自分が無理をして、剣士として終ってしまうような故障してまで、
 私の成長に全てを費やしてくれたのに。このままじゃ、私皆伝できないよう)

美由希は混乱したまま小太刀を振るが、そんな無茶苦茶な攻撃が恭也に当たるはずも無く、恭也はそれを難なく躱わしていく。
躱しながらも、恭也には美由希が泣いているように見えた。
しかし、だからと言って、こんな剣は御神の剣ではない。
自分が美由希に教えたのは、こんな無茶苦茶な剣ではないはずだ。
その思いが恭也に一つの決断をさせる。
恭也は、美由希が振るってきた何度目かになる斬撃を避けず、小太刀で弾く。
今までとは違い、衝撃が加えられた事により、無茶苦茶に振るわれていた美由希の小太刀は、簡単に持ち主の手から弾き飛ばされる。
それでも、美由希は右手に残る一刀を握りなおし、恭也へと斬り掛かる。
それを身体を横にして躱しながら、そのまま美由希の体重が乗った軸足を刈り取る。
前のめりに倒れていく美由希の右手から小太刀を弾き飛ばしつつ、恭也は美由希の右腕と左肩を掴んで地面に押さえつける。

「くっっ!」

短く苦悶の声を零す美由希に、恭也は静かな声で語る。

「お前、一体何がしたいんだ」

その静かな、しかしどこか冷たさを感じさせる声に、暴れていた美由希は動きを止める。
確かに、普段の恭也は無愛想でぶっきらぼうな言い方をする事もあるが、それでもその裏側には温かい物を感じる事が出来た。
しかし、今の恭也の声には、どこをそう探してもそれは見当たらない。
たったその一言だけで、美由希は冷水を被さられたかのように、身体を少しだけ振るわせる。
そんな美由希に気付いているのか、いないのか、恭也はそのまま続ける。

「俺がお前に教えたのは、そんな無茶苦茶な剣だったのか」

「ち、ちがぁっ…」

否定したかったが、美由希の口からは言葉が出ない。
それをどう取ったのか、恭也はまだ続ける。

「もし、本当に何処も体調が悪くないのにも関わらず、今のような剣を振るうと言うのなら、お前は御神の剣士ではない。
 悪い事は言わない、今すぐ剣を捨てろ」

「あっ、う、うぅぅ、ぐぅっ!」

恭也の言葉に、美由希は目に悔し涙を滲ませるが、それを零す事だけは堪える。

「だ、だって……、だって」

涙混じりの声で呟く美由希を見下ろし、恭也は美由希から手を離して立ち上がる。

「…あっ」

そんな恭也の背中を、まるで捨てられた子供のような目で美由希が追うが、恭也は一度も美由希を見ない。
それが、美由希には、怒っているのでも呆れているのでもなく、本当にどうでも良いといった感じに見えてしまった。
必死に縋り付くように手を伸ばしかけ、その手が力なく地面へと落ちる。
その落ちた先には、先程振り落とされた小太刀があった。
美由希は殆ど無意識にその小太刀を拾い上げると、ゆっくりとだが立ち上がる。
そんな美由希の動きに、恭也は立ち止まって振り返る。
しかし、何も言葉は掛けない。
そんな恭也を見詰めつつ、美由希はゆっくりと口を開く。

「だって、仕方ないじゃない。急に皆伝の儀なんて言われても!
 そんな事言われても……、恭ちゃんの背中が遠いんだもん。
 最近、やっと近づけたと思ったのに、そんな私を嘲笑うように、あっという間にまた引き離されて。
 追いつこうとしても、追いつけない。ま、前はそれでも、少しずつだけど近づいていけた。
 でも、今はその差が全然縮まらないんだよ!私が必死でその距離を縮めても、恭ちゃんは同じだけ遠ざかる。
 なのに、そんな私が皆伝の儀なんて言われても……」

美由希は堪えきれずに涙を流す。
一度零れ、それを意識してしまった涙は、次から次に溢れ出し、美由希の頬を伝う。
美由希の言葉を聞き、恭也は少しだけ、本当に少しだけ笑みを零し、言葉を掛けようとする。
普段の美由希なら、それに気付いたのかも知れないが、今の美由希にそれに気付くだけの余裕がなかった。
掛けられようとした恭也の言葉よりも先に、美由希は小太刀を構える。
その眼は、何かを決意したようでいて、その実どこか濁っているように恭也には感じられた。

「でも、そんな事も言ってられないよね。
 私は、恭ちゃんが目指した御神の剣士としての私は、恭ちゃんに勝たないといけないんだから。
 だから、次の技で勝負!私は、私の出せる最高の技で恭ちゃんを倒してみせる。
 そして、皆伝の儀も大丈夫だって事を、ここで証明してみせる!」

思いつめた美由希に何と声を掛けていいのか分からず、恭也は戸惑う。
その間にも、美由希は強い口調で言う。

「恭ちゃんも得意の技で来て!」

何を言っても聞きそうにない美由希の態度に、恭也は仕方が無く小太刀を鞘に戻して構える。
現状で出せる美由希の最高の技なら、射抜だろう。
ならばと、恭也は薙旋の構えを取る。
しかし、美由希は小太刀を鞘へと納めると、それを腰に差すでもなく、右手で柄を持ち、左手は鞘にそっと添える。
それを、鞘側を上に、柄部分が下に来るように眼前へと持ち上げるという、恭也の全く知らない構えを取る。
何のつもりかは分からないが、今はただ美由希の望むように刃を交えるしかないと判断した恭也は身体に力を込める。
対する美由希は、そんな恭也の様子を眺めつつ、数日前に見せられた美沙斗の剣の軌跡を頭の中に何度もイメージする。

(これなら、恭ちゃんの得意とする薙旋にも負けない。
 この一撃だけは、絶対に出さないと…。例え、恭ちゃんと相打ちでも良いから。
 この鳴神だけは成功させる。そうすれば、恭ちゃんもきっと認めてくれるよね)

美由希は静かに大きく息を吐き出すと、恭也が技を放つタイミングを計る。
一方、対峙する恭也は美由希の様子に違和感を感じ、それが何なのか注意深く探る。
そして、一つの結論へと辿り着くと、瞬間、恭也は言いようのない感情に晒される。
それを必死で押さえつけると、恭也は美由希に背を向ける。
その突然の行為に、美由希が悲鳴にも似た声を上げる。

「恭ちゃん!どうして背中を向けるの!」

「悪いが、これ以上は鍛練をする気がない」

先程とは違う声色で、恭也はそれでも静かに語る。
それに納得がいかないとばかりに美由希は口を開くが、そこから先の言葉は飲み込まれる。
振り返った恭也の鋭い眼差しによって。
その眼には、確かな怒りが現われていた。
ここに来て、ようやく美由希は恭也が怒っていると理解するが、
それでは何故、怒っているのかと考えると、理由がさっぱり分からなかった。
そんな美由希に、恭也が静かな声のまま言葉を投げる。

「お前、今、相打ち覚悟でその技を放とうとしただろう」

恭也の言葉に、美由希は言葉を無くして、ただ立ち尽くす。
しかし、それを肯定と取った恭也は続ける。

「まだ完全に使いこなせない技のようだが、そこまでする以上は相当な技なんだろう。
 加えて、俺が知らないところを見ると、話に聞く、御神の正統奥義か。
 確かに、それなら、俺の薙旋を上回るかもしれない。しかし、お前はまだそれを自分のものにしていない。
 なのに、今使おうとしたな。それも、相打ち覚悟で」

恭也の言葉に、美由希は何も言い返せない。
それは、恭也が言う通りだからだ。

「何のつもりかは知れないが、今のお前は完全に御神の理から外れている」

「ど、どういう事…?」

やっとそれだけを搾り出すように尋ねる美由希に、恭也は冷たい目を向けるだけ。
それを見て、まるで黙る事で何かが起こりそうな恐怖に急かされ、美由希は言葉を紡ぐ。

「何か間違ってる!?だって、こうでもしないと、恭ちゃんに勝つなんてできないんだもん」

「別に、これが鍛練内での話なら、あまり良くは無いが構わん。
 技を習得するための鍛練ならな。だが、今のは真剣勝負だとお前が言ったんだ。
 もし、今ここで偶々とは言え、放つ事が出来れば、お前は実戦でも同じ事をするかもしれない」

「……それがどしたの」

恭也の言葉の真意が分からず、美由希は棘のある返答を返す。
そんな美由希に、恭也は相変わらず淡々と語る。

「自分の身を守れない奴に、他の奴は守れない」

「何で!自分の命と引き換えにしてでも守りたいって思うのは悪い事なの」

「悪いとは言わない。だが、それでは駄目だと言っている。父さんも、そんな事は考えていなかったはずだ。
 大事な者を守って、その上で自分も守る。ただ、結果的に自分の身を犠牲にする事になっただけだ」

激昂して反論する美由希に、恭也はあくまで諭すように語り掛ける。

「お前だって、父さんが亡くなった時のフィアッセを見ただろう。
 父さんは、フィアッセの命は守れたが、笑顔までは守れなかった。
 本当に守ると言うのなら、それらも含めて全てを守れ。
 ただ、どうしても、そうするしか方法がないというのなら…」

それ以上は恭也は何も言わない。

「うぅっ、うっ」

それでも、まだ悩んでいる美由希に、

「それに、今さっきのは何かを守るためだったのか。俺には、ただ駄々をこねているようにしか見えなかった。
 しかし、すまなかったな。まさか、お前がそんなに悩んでいたとは気付かなかった」

「うっ、ううん、きょ、グスッ、恭ちゃんは、悪くないよ」

美由希は涙を流し、嗚咽混じりながらも首を振って否定する。

「ぜ、全部、わ、私が悪いの。ご、ごめんね。
 ほ、本当に手の掛かる弟子で、本当にごめん。ただ、皆伝って聞いても、本当に私なんかがって思って。
 だ、だって、わ、私、恭ちゃんみたいに強くないし…。なのに、皆伝の儀をやるんだって思ったら。
 そしたら、もう何も考えられなくなって。あ、頭の中が真っ白になって……。
 気が付いたら、恭ちゃんに地面に倒されていて……。そしたら、恭ちゃんが剣を捨てろって。
 ず、ずっと、ずっと、恭ちゃんの背中を追ってたのに、それが出来なくなるって思ったら、気が付いたら……」

恭也は美由希に近づくと、そっとその頭を胸の中に抱き寄せる。
実に久し振りに、泣きじゃくる妹の頭を慰めるように撫でる。
それで気が緩んだのか、美由希は小太刀を落とすと、恭也の胸で声を上げて泣き出す。
その間もずっと、恭也は美由希の頭や背中を撫でてあやす。
ようやく落ち着いてきた美由希に、恭也は静かに話し掛ける。

「良いか、美由希。御神の剣は何かを守るための剣だ」

その言葉を、恭也の胸の中で、美由希は今度はゆっくりと静かに聞きながら頷く。

「その何かには、自分自身も含まれている事を忘れるな。
 そうすれば、お前はもっと更なる高みへと登りつめる事ができるはずだ。
 それに、お前は俺の背中が遠いと言ったが、そんな事は無いさ。
 俺は、いつだってすぐ後ろにぴったりとくっ付いているお前を感じているんだから。
 もっと自信を持て」

恭也の言葉に、美由希はただ静かに頷く。

「本当に、私は恭ちゃんに近づいているのかな?」

「ああ。今はまだ、未熟な所もあるが、そのうち俺を追い越すかもな。
 尤も、膝も完治したんだ。そう簡単には追い越させないけどな」

恭也の言葉に、美由希は笑みを漏らすと、胸に顔を突けたまま、握った恭也の服を強く握り締める。

「ずっと、恭ちゃんの後ろを追いかけてばかりだね、私」

「そうだな。小さい頃から、いつも俺の後を付いて周ってたなお前は」

「うん、そう言えば、いつも恭ちゃんと一緒だったね。
 やっぱり、私は恭ちゃんがいないと駄目なんだよ、きっと…」

「ったく、本当に手の掛かる弟子で妹だな」

「うん、そうだね」

(今はまだ妹で弟子で良いよ。この温もりを感じられるなら…)

「何か言ったか?」

「ううん、何にも」

「そうか」

そんなやり取りをしながら、どうやら完全に落ち着いたらしい美由希に、確認するように尋ねる。

「で、皆伝の儀はどうする?止めるか」

「ううん。やるよ」

顔を上げた美由希の眼には、はっきりとした力が漲っていた。
それを見て、恭也はもう大丈夫だと頷く。

「そうか。なら、三日後の午後からだ」

「はい!」

恭也の言葉に、美由希はしっかりとした答えを返すのだった。





  ◇ ◇ ◇





「「… いざ行かん いつか命の 尽きるまで」」

言い終えると同時、両者はその場から跳び退くようにして離れる。
挨拶代わりに恭也は美由希へと飛針を三本飛ばす。
それも美由希は小太刀で軽く弾くと、その隙に恭也との距離を詰める。
飛針を投げ終えた恭也も、同じように地を蹴って美由希へと迫る。
二人の持つニ刀の小太刀が、縦横無尽に動き回り、ぶつかり弾け合う。
打ち合うごとに速さを増していくその動きに、周りで見ていた者たちも息を潜め、じっと食入るよう見詰める。
まるでダンスを踊るかのように、位置を入れ替えながら、無言で打ち合う。





「……」

最初は、ただ父さんとお兄ちゃんの真似がしたかっただけ。
そうすれば、お兄ちゃんともっと一緒にいられると思ったし、何よりお兄ちゃんと一緒の事ができるのがとても嬉しかったから。
でも、父さんが死んで、あの日お兄ちゃんが、ううん、恭ちゃんが言った言葉。

「父さんがなくなっても、お前はまだ剣を持ちたいか?
 まだ、その気持ちがあるのなら、俺が父さんの代わりに教えてやる。
 ただし、簡単な道ではないし、誰にも理解される事はない。それでも、良いのか」

優しい眼差しで私を見詰めながら、言うべきことは言った。
後は、私の返答次第といった感じの恭ちゃん見ながら、私はただ頷いた。
恭ちゃんの言った事の本当の意味は、この時はまだよく分からなかったけれど、
ただ、ここで頷かなければ、私はこの先もずっと恭ちゃんと同じものを見る事が出来ないと直感的に思った。
だから、私は頷いたんだ。これが、最初に私が剣を握った理由。
本当に何でもないような理由。





恭也の小太刀が縦と横同時に迫ってくる。
美由希はそれを左右それぞれの小太刀で弾き返すと、開いた小さな隙間へと刺突を繰り出す。
しかし、それは恭也がわざと用意した隙だった。
恭也はそれを身体を回転させつつ躱しながら、背中を見せる形となった美由希へと小太刀を振り下ろす。





それからの日々は本当に鍛練ばかりだった。
それでも、辛いと思ったことはなかった。
いつだって、恭ちゃんがその道の先にいたから。
だから、いつからか私は恭ちゃんのその背中に追いつきたい、追い越したいって思うようになって。
それが、私、高町美由希が剣士という自覚を持って、剣を握った最初の原点。
そして、今もその気持ちは変わっていない。





背後から来るその一撃を、美由希は振り返りもせず、ただ空気の動きだけで察して、背中越しに小太刀で受け止める。
力で上回る恭也がそのまま押し込んでくるのを利用し、美由希は自ら身を屈める。
同時に腰を回転させ、地を這うような低い回し蹴りを打つ。
恭也の足を刈るように伸ばされたそれを、恭也は軽く跳んで躱す。
そこへ、回し蹴りによって正面へと向き直った美由希が飛針を飛ばす。
それを空中で弾く恭也の着地地点に向って、さらに飛針を二本。
同時に、空中にいる恭也へと鋼糸を放つ。
腕に絡み付いてくる鋼糸を小太刀で切断しつつ、もう片方の手で着地地点に来る飛針を同じく飛針で弾く。
地面に着地すると同時に、恭也は美由希へと向って走り出す。
美由希も同じように走り出すと、神速に入る。
恭也も同じく、神速へと入り、二人はモノクロとなった世界の中で、小太刀を打ち合わせる。
二人がすれ違うと同時に、神速が解ける。
再び、色を取り戻した世界で、恭也と美由希は同じように小太刀をぶつけ合う。
甲高い音を立てる中、鍔競り合いになる。
こうなると、腕力で劣る美由希は一気に不利になる。
しかし、美由希は慌てず、一瞬のうちに力を抜き、体の浮いた恭也へと一撃。





けれど、それだけじゃない。
自分が剣を握るようになって、色んな人たちと出会うようになって、やっと父さんの、そして、恭ちゃんの剣を握る理由が、
少しだけれども、私にも分かるようになって……。
何もない日常を、その日常の中で過ごす人たちの笑顔を守りたいって。
理不尽な暴力から、守りたいって思うようになって。
これが御神の剣の理だと、頭だけでなく自然と身体に染み込んでいくような感じ。
これが私の御神の剣士としての原点。
とても大事な、本当に大事な想い。





しかしながら、美由希の小太刀は前へと跳ぶように転がった恭也の身体には当たらず、空を切る。
お互いに距離を開け、再び対峙する。
美由希は静かに、一刀を仕舞いこむと、残る一刀を右手に持つ。
そして、その手を後ろへと引き絞り、状態を前屈みに。
正統奥義ではなく、現時点で彼女が最も得意とし、信頼する奥義。
それを見た恭也の構えは、やはりニ刀を納刀。
こちらも、己が最も得意とする奥義。
暫しの睨みあいの後、地を蹴るのも同時。
ただし、恭也は一歩目から神速へと入る。
神速の中でもなお、色を失わずに己へと迫る刃に、恭也は知らず笑みを浮かべつつも抜刀。
一撃目で美由希の小太刀の方向をずらし、残る三撃を美由希へと。
しかし、射抜の最大の特徴はここからの派生。
美由希の小太刀は、方向をずらされた後、横への斬撃へと変化する。
しかし、ここまでは恭也も予測のうち。
美由希へと向うニ撃目で防御。
上へと弾かれた美由希の小太刀は、更に派生して上からの斬撃として恭也に迫る。

「ちっ!」

小さな舌打ち一つ残し、恭也は三撃目を再度小太刀に当てる。
完全に恭也の体から離れた小太刀を視界の端に見遣りながら、恭也は最後の四撃目を美由希へと向ける。
同時に、神速が解ける。





あの皆伝の儀を伝えられた夜。
もう少しで何かを無くしそうだった私を、恭ちゃんはやっぱり助けてくれて。
決して優しい言葉なんかは掛けてくれないけれど、それでも、その道の先で立ち止まり、私が来るのを待っていてくれる。
私が道を間違えそうになった時は、必ず正しい道を示してくれる。
その恭ちゃんに少しでも近づくためにも、絶対に皆伝しないといけないと思っていたけれど…。
そうじゃないんだ。皆伝はただの通過点。
もし、駄目だったとしても、これまでの私が否定される訳じゃない。
例え、皆伝できなくても、私は御神の剣士だから。
何かを守るために、御神の剣を振るうことは出来るから。
だから、皆伝はただの通過点であり、儀式。
そんなものは関係ないんだ。私は高町美由希で、御神美由希じゃあない。
恭ちゃんの妹。そして、御神の理をしっかりと士郎父さんから引き継いだ恭ちゃんの弟子。
未熟だけれど、御神の剣士だから。振るう刃に常に意味を。
私が振るう刃の意味は、ずっと昔からただ一つ。
何かを守るため。ただ、それだけ。
それが恭ちゃんから教わった中でも、最も大事な事で、大切な想い。





恭也の四撃目が美由希へと迫る中、美由希は腰の差したもう一刀をいつの間にか引き抜いていた。
右半身が前に出ている状態からの、左手による刺突。
しかも、ただの刺突ではない。御神流奥義の一つ、射抜。
充分な上半身の捻りはないが、それでもその速度は最速。
射抜の二刀による連続攻撃。
流石の恭也もこれは予想外だった。
神速から抜け出た直後の上に、美由希へと攻撃を仕掛けていた直後だったため、完全に躱す事が出来ない距離。
二人の小太刀がそれぞれへと向う。
両者は動きを止め、自分たちの首筋に突きつけられた小太刀を見る。
無言で動きを止めた二人に、横で見ていた誰かの声が耳に届く。

「引き分け?」

その言葉を切っ掛けに、二人は小太刀を納める。

「美由希」

「はい」

美由希は恭也に返事を一つ返すと、じっとその瞳を見詰める。
その目には不安はあっても迷いは無かった。
それを身詰め返しつつ、恭也はふっと表情を緩める。

「皆伝だ」

そう言って、今まで使っていた龍鱗を鞘に納めて美由希へと差し出す。

「えっ、えっ。でも……」

戸惑い、恭也を見る美由希に、笑みを浮かべつつ答える。

「別に俺に勝てとは言ってないだろう。しかし、引き分けるとはな…。
 強くなったな、美由希。もう一度言うぞ、皆伝だ」

「あ、ありがとうございました」

美由希は涙ぐみながら、龍鱗を受け取る。
その瞬間、黙って成り行きを見ていた者たちから拍手が上がった。
己が剣を振るう理由を再確認した一人の剣士が、更なる高みへとまた一歩近づいた瞬間であった。





つづく




<あとがき>

長らくお待たせしました。皆伝の儀です〜。
美姫 「長かったわね〜。完成するまでが」
あははは。途中、脱線しまくったからね〜。
いや〜、削るのに苦労した。
美姫 「その削った所って……」
恭也対弓華の鍛練。
トラップを仕掛けまくる弓華と、それを躱しつつ弓華に近づいて行く恭也。
美姫 「それって、いつか使うの」
うーん、使えそうなら使うかな。
まだ未定…。
美姫 「このままお蔵入り〜、とかになったりして」
まあ、その可能性もあるという事で。
しかし、今回はまったくマリみて出てこんな。
美姫 「本当ね〜。看板に偽りありだわ」
あははは。まあ、そう言うな。次回は舞台も元に戻る予定だし。
美姫 「本当に?」
……多分。で、では、また次回で。ね、ね。
美姫 「はいはい、分かったわよ。それじゃあ、またね〜」





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