『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



第23話 「稽古はまだまだ続くよ」






「はぁー」

そっとため息を吐き出し、可南子は再び手元の台本へと目を向ける。
ヴィラーネとクラヴィス、二人の出てくるシーンに目を通している所でのため息。
他の者たちは、それぞれに自分の台詞を覚えようと台本に目を通しているため、今の可南子の小さなため息に気付く者はいなかった。
いや、恭也はたまたま隣に座っていた恭也は、そんな可南子に気付き、声を掛けつつ無意識に手を伸ばす。

「大丈夫ですか」

恭也の伸ばした手は、可南子自身によって払い除けられる。
パシンという思いのほか大きな音に、他の者たちも顔を上げ、二人を見る。

「あ、ご、ごめんなさい」

少し硬い表情の上、言葉もぶっきらぼうに近いものはあるが、それでも可南子は恭也に謝る。
祐巳の言葉を守り、何とかしようと努力しているようだった。
それが分かっているから、祥子たちも何も言わずにまた台本へと目を戻す。

「いえ、こちらこそいきなりすいません。可南子さんが驚かれるのも仕方ないですから、お気になさらずに。
 それよりも、大丈夫なんですか?」

何の事を言われているのか分からないと、怪訝な顔をする可南子に恭也は続ける。

「いえ、何やら疲れているようでしたので」

「そんな事はありません! いえ、ないです。
 た、大したことではありませんから。体調の方は問題ありませんし」

「そうですか。でも、無理はしないで下さいね」

可南子は何と答えていいのか分からず、困惑しているうちに、恭也は再び台本を読み始める。
結局、何も言わず、可南子も台本に目を通す。

(祐巳さまの仰るとおり、確かに悪い人ではないのだろうけど…。
 やっぱり、今まで避けていたものを、急になんて無理だわ)

少しだけ後悔しつつも、以前よりもそれを嫌悪していない事に気付かぬまま、可南子はもう一度、そっとため息を吐き出す。
それをまたも恭也が気付き、軽く顔を上げ、しかし、目だけを可南子へと向ける。
たまたま視線が合ったので、可南子は何となく頭を下げる。
すると、恭也も同じように頭を下げ、何ともないと分かると、何も言わない。
ただ、何となく可笑しそうに笑みを見せる。
可南子もまた、意味もなく頭を下げ合ったのを可笑しく感じ、曖昧な笑みを見せる。
恭也はそんな可南子を見て、少し照れたように台本へと目を落とすのだった。
そんな仕草を見て、可南子は相手が男であるのも忘れ、つい可愛いかもと思うのだった。
それから暫らくは、全員が自分の台詞を覚えるのに没頭しており、薔薇の館はとても静かだった。
いや、既に台詞を覚え終えた祥子と令が、何やら忙しそうにシャープペンシルを動かし、何かを書いている音だけが聞こえていた。
そんな小さな音が、はっきりと聞こえるぐらい、他の物音がしない。
祥子と令は、ほぼ同時に手を止めると、ほっと息を抜く。
それから時計を見て、

「あまり根を詰めるのも良くないから、そろそろ休憩にしましょうか」

その言葉に、全員から一斉に力が抜け、先程まで何処となく張りつめた感じのする空気が、一気に和らぐ。

「それじゃあ、お茶の用意でもしますね」

そう言って乃梨子が立ち上がると、その後に祐巳も立つ。
歩きながら、祐巳は大きく腕を上に上げて伸びをする。

「うーん。ずっと下ばかり見てたから、ちょっと肩が凝っちゃったね」

そう言って、軽く肩を叩く仕草をして見せる。

「ええ、少しばかり背中が痛いです」

それに乃梨子も答えつつ、人数分のカップを取り出す。
祐巳はお湯を沸かしながら、紅茶の準備をする。
そんな祐巳の耳元に、乃梨子は他には聞こえないぐらいに声を落としつつ、そっと口を寄せる。

「祐巳さま。可南子さんに一体、何を仰ったんですか?」

「どうしたの、いきなり」

「いえ、前に飛び出していった可南子さんを祐巳さまが追いかけて行ってから、
 可南子さんの態度が少し変わったので」

「うーん。私は特に大した事は言ってないんだけどね。
 もし、変わったとしたら、それは可南子ちゃんが変わろうと努力してるからだよ」

「ええ、それは何となく分かります。最も、まだ少しきつい所はありますけど」

乃梨子の呟きに、祐巳は苦笑を浮かべつつ、

「まあ、いきなりは難しいよ。それでも、ちゃんと前に進もうとしてるんだよ。
 だから、私たちももう少しだけ見守りましょう」

「はい、そうですね。やっぱり、祐巳さまは凄いですよ」

「へっ!? わ、私なんか、全然、凄くないよ。お姉さまや志摩子さんたちに比べたら…」

慌てふためく祐巳に、しかし、乃梨子はゆっくりと首を振ってみせる。

「そんな事はないですよ。皆、出来る事はそれぞれ違うものです。
 祐巳さまは、自分で気付かれていないみたいですけれど、やっぱり凄いですよ」

乃梨子の言葉に、祐巳はくすぐったそうに体を捩りつつ、照れて頭を掻く。

「うぅー。何か、恥ずかしいな。
 そ、それに、さっきも言ったけど、私が言ったからじゃなくて、可南子ちゃんが自分で努力してるんであって…」

「でも、その切っ掛けは祐巳さまですよね。
 だったら、それで良いじゃないですか。それで、可南子さんも変わろうとしてるんですから。
 最も、先は長いですけど…」

そう言ってちらりと後ろを見ると、可南子が小林に何やら文句を言っている所だった。
一方的に可南子が捲くし立て、小林はただ恐縮している。
それを苦笑しつつ眺めやり、祐巳は沸騰したので火を止める。

「でも、恭也さんはリリアンに通ってて、昼休みとかにも薔薇の館で一緒しているだけあって、
 他の男の人よりもましになったと思うけどね」

「そうですね。他の方たちよりも、長く接している上に、祐巳さまたちとも知り合いだったという事もあるんでしょう」

冷静に分析しつつ、乃梨子はやかんを祐巳から受け取ると、それを注ぐ。
ふんわりとした香しい香りを鼻腔に感じつつ、乃梨子は適量の湯を入れると、やかんをコンロの上に戻す。
その間に、祐巳は砂糖やミルクを用意する。
それから数分蒸らし、やっと出来上がった紅茶を皆の前に配っていくと、一時の休憩へと入るのだった。





  ◇ ◇ ◇





放課後になり、恭也たちは無事に小笠原低まで戻ってくる。
着替えを済ませた一同は、ここでも台本を開く。

「うーん。台詞が多すぎて……。恭ちゃんは、どう?」

「まだ全部覚えていないに決まっているだろう」

「そんな事で自身満々に言われても。どうせするなら、覚えたって自慢しようよ」

「無理だ」

きっぱりと言い放ちつつ、片時も台本から目を上げない。
そんな恭也を見て、美由希の心にむくむくととある野望が湧きあがる。

(必死で台詞を覚えている今なら、奇襲で一本取れるかも……)

そんな事を考えついてしまった美由希は、わざとらしくないように、さり気なく立ち上がると、恭也から離れる。
恭也からかなり離れた所で、美由希は恭也がこちらに気付いていないのを確かめると、
そっと孤を描くようにして、恭也の背後へと周る。
同時に、気配を消す。
いきなり消すと、逆に怪しまれるため、美由希は部屋の入り口まで進み、扉を開けると、そこで徐々に気配を消しつつ再び閉める。
いきなりの美由希の行動に、数人が不思議そうで眺めてくるのを、手で制し、美由希はそっと恭也の背後へと近づく。
一定距離まで詰め寄ると、一旦、そこで動きを止めて目の前の恭也を見遣る。
どうやら、こちらには気付いていない様子で、熱心に台詞を覚えようとしている。
残りの距離を慎重に、かつ、素早く済めると、美由希は予め丸めておいた台本を打ち下ろす。

(取ったーー!)

歓喜に顔を歪めつつ、それでも決して一言も声を出さずに美由希の即席武器が恭也の脳天へと振り下ろされた。
パシン!
いい音を立て、次いで悲鳴が上がる。

「痛い〜」

しかし、上がった悲鳴は恭也のものではなく、美由希のものだった。
美由希は打ち下ろした手から台本を落し、その手を押さえている。

「愚か者が」

「うぅー。一本取れると思ったのに〜」

そんな様子を眺め、苦笑する祥子の元へ、来客があると使用人が告げる。
祥子がお通しするように告げると、使用人は一礼して、玄関へととって返す。
それから少しして現われた人物を見て、祐巳が驚いた声を上げる。

「よ、蓉子さま!?」

「皆、頑張ってる? これ、陣中見舞いよ」

そう言って蓉子は包みを祥子に渡す
礼を言いつつ受け取り、それをテーブルの上に一旦置く。

「お姉さま、どうしたんですか」

「言ったでしょう。陣中見舞いよ。どう、調子は?」

「まずまずといった所です」

祐巳の言葉に頷きながら、蓉子は適当に空いている所へと腰を降ろす。

「私の事は気にしなくても良いから、ほら、練習、練習」

そう言われ、何となく蓉子の事が気になりつつも、台詞を覚える作業に戻る。
蓉子の横へと座った祥子に、蓉子が話し掛ける。

「で、どうなの実際の所」

「そうですね。何とか本番までには間に合わせてみせます」

「そう。それは楽しみだわ」

それぞれに台詞を覚えている中、蓉子と祥子はずっと話をしていた。
それから少しして、美由希が疲れたように肩を回す。

「う〜〜ん。本を読むのは好きだけど、いざ暗記となると……」

「ふふふ。しんどそうね、美由希ちゃん」

「ええ、疲れました〜。でも、ちゃんと覚えないと、本番で失敗する訳にはいきませんから」

その美由希の言葉が聞こえたのか、少し離れた所から恭也が話し掛ける。

「確かにな。本番で失敗すれば、忍たちに何を言われえるか。
 全く、誰かさんの所為で……」

「うぅー、それはごめんってば。でも、仕方ないじゃない」

「まあ、今更言っても仕方ないが。所で、チケットは送ったのか?」

「うん。今日の放課後に」

「そうか。はぁー、気が重い……」

確認して、余計に憂鬱になりながら恭也は言うと、再び台本に目を戻す。
恭也は台詞が多い役の為、覚えるのに必死になる。
そんな様子に苦笑を零す美由希の肩を、蓉子が少し強く握る。

「えっと、蓉子さん……?」

「美由希ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、少し良いかしら?」

嫌とは言わせない雰囲気で言われ、美由希は頷くしかできなかった。
それを受け、蓉子は美由希と二人で皆から少し離れた場所へと移動して座ると、小声で話し始める。

「さっき恭也が言ってた、忍って誰?」

「恭ちゃんの元クラスメイトで、今は同じ大学に通っている友達ですけど」

「女性よね?」

「ええ、そうですよ」

美由希の言葉に、蓉子は暫し考え込み、

「ひょっとして、恭也の知り合いが皆、来るの」

「皆ではないですけど、何人か来ますよ。勿論、かーさんたちも」

「全員、女性?」

蓉子の言葉に頷き、ようやく美由希にも蓉子の聞きたいことが分かった。

「皆さん、とても綺麗な人や可愛い人たちばかりですよ」

「で、少なからず好意を持っていると」

「ええ」

「会えるのが楽しみね」

「楽しみ、ですか?」

「ええ。私たちよりも先に恭也と出会った人たちなんでしょう。
 私たちの知らない恭也を知っているでしょうから、色々伺いたいものだわ」

蓉子の言葉に、美由希は何とも言えず、ただ黙っている。

「それに、勝負に勝つ為には、まず敵を知らないとね」

「敵、ですか」

「ええ、そうよ。勿論、美由希ちゃんもこの勝負の上では敵だからね」

そう言って、蓉子は極上の笑みを浮かべるのだった。





つづく




<あとがき>

着々と進む、稽古〜。
美姫 「ずっと稽古ばっかりね」
まあな。
だが、それもそろそろ……。
美姫 「うん? やっと話が進むの?」
おうとも!
次回は、文化祭終了後……って、冗談だから、その剣を仕舞え!
美姫 「ったく、質の悪い冗談ね」
反省……。
美姫 「毎回、反省だけはしているような……」
はっはっは。反省しても改心せず!
美姫 「威張るな!」
ぐげっ!
美姫 「さて、次回はさっさと上がる予定なのよね」
た、多分。次回は結構、早めに書き上げる予定だが、予定は……。
美姫 「その続きは言わなくても良いわよ。分かってるから」
ば、馬鹿なぁぁぁぁぁ!
こ、この台詞を奪うというのか!
美姫 「うん♪ さて、それじゃあ、また次回でね〜」
いや、ちょっと待って下さい、美姫さん。
本当に言わせてくれないんですか……。
美姫 「聞こえなーい。ページももうなーい」
ページって、アンタ。それに、たった一行。
美姫 「あーあ、その一行も使っちゃった」
し、しまったぁぁぁぁぁ! 謀ったな、美姫!
美姫 「あ、本当に終わりだわ」
…………。
美姫 「それじゃあ、本当にまったね〜」





ご意見、ご感想は掲示板こちらまでお願いします。



二次創作の部屋へ戻る

SSのトップへ