『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』
第33話 「山百合会劇場、開幕」
急いで準備を済ませた恭也たち三人は、舞台袖へと急いで向う。
そこには、既に他の者が揃っており、祥子たちが来るのを待っていた。
「祥子、遅かったじゃない」
「ごめんなさい。ちょっとお姉さまたちと話し込んでしまって」
流石に、全員の顔に幾分かの緊張が見られる中、祥子が全員を見渡して口を開く。
「皆、それなりに緊張はしているみたいだけど、し過ぎというほどではないわね。
大丈夫よ、最後にやった練習通りにすれば、問題はないのだから。
それに、もし間違ったとしても、アドリブで何とかしましょう」
祥子の言葉に、全員から緊張が多少和らぐ。
それを確認しつつ、祥子は続ける。
「この時の為に、手芸部や新聞部。その他たくさんの部や、一般の生徒たちが色々と頑張ってくれたのだから、次は私たちの番よ。
しっかりと演技して、手伝ってくださった皆さんに、少しでも恩返しをしないとね」
その言葉に、恭也たちもしっかりと頷いて見せる。
それを満足そうに見詰め、祥子は後は時間が来るのを待つばかりと、口を閉ざす。
そこへ、一人の生徒がやって来る。
「紅薔薇さま、もうすぐ時間ですので」
「分かったわ」
その生徒へと頷いて答える。
「さて、それじゃあ、いよいよ私たちの出番ね」
先程の緊張した様子とは全く違い、息巻く由乃に、他の面々も頷いて答える。
「それじゃあ、ここは一つ掛け声でも掛けて気合でも入れる?」
令の言葉に、由乃が真っ先に賛成を示し、次いで他の者も賛同する。
祥子がすっと視線を祐巳へと向け、
「それじゃあ、祐巳、あなたにお願いするわ」
「え、ええー! わ、私がですか」
何で、と慌てる祐巳に対し、他の者は反対もせずに祐巳の言葉を待つ。
未だに慌てる祐巳に、祐麒が声を掛けて落ち着かせるが、それでも何で私がと呟く。
「ほら、時間がないんだから」
祥子に言われ、祐巳は覚悟を決めたのか、口を開く。
「えっと、それではエイエイオーというのはどうでしょうか」
「エイエイオー?」
祐巳の言葉に尋ね返す祥子に、祐巳は頷いて見せる。
「はい、エイエイオーです。腕をこうして、オーで上に上げるんです」
そう言って一度実際にやって見せながら、祐巳は祥子さまにこんな事をさせて言いのだろうか、と今更ながらに気付く。
しかし、当の本人は祐巳の仕草を見て、微かに笑みを見せながら、
「あら、面白そうね」
と、やる気になっていた。
今更、なかった事にできるはずもなく、既に由乃は既にやる気満々だし、志摩子も楽しそうだと頬に手を当てながら笑みを見せている。
そして、何よりもまた祥子もやる気になっていることもあって、祐巳はその掛け声で行くことにする。
「それでは、山百合会の劇の成功を祈りまして…。皆で頑張ろう! エイエイオー!」
祐巳の上げた声に続き、全員が後に続く。
『エイエイオー!』
全員の手が一斉に上へと上げられると同時に、次の舞台内容を案内するアナウンスが流れ出す。
こうして、いよいよ、山百合会の演劇が幕を開ける。
◇ ◇ ◇
開演の合図が鳴ったにも関わらず、幕が一向に上がらない事に、会場がざわめき始めた頃、
スッポトライトが一箇所をそっと照らし出す。
そのライトに照らされながら、異国の衣装を纏った祥子がそっと袖から中央へと進み出る。
同時に、会場内が水を打ったかのように静まり返る。
そんな中、祥子は手にした竪琴を一度鳴らし、静かに語り始める。
「これから始まる物語。それは悲しい悲しいお話。されど、気高き騎士の物語。
皆さま方には、これより暫らくの間、この物語へとお付き合い願います。
物語の舞台は、賢王レミングが収める豊かな国、──」
吟遊詩人に扮した祥子が語る言葉に合わせるように、ゆっくりとその幕がようやく開いていく。
幕の裏で出番を待っていた一同の顔付きも変わり、本当に劇が始まる。
◇ ◇ ◇
色々あったけれど、何とか劇も無事に終了した。
いや、まあ、所々でちょっとした出来事なんかもあったりしたんだけど。
可南子ちゃんは、恭也さんとの二人のシーンで立ち去り際にちょっと躓いて、それを恭也さんが慌てて支えて。
大丈夫か尋ねる恭也さんに、可南子ちゃんったら、
「だ、大丈夫よ。それよりも、いつまで掴んでいるつもりだ」
何て咄嗟に言って、ううん、言うだけじゃなくて、その時の表情や仕草なんかが、
クラヴィスを慕いつつも反発しているという、彼女が演じているヴィラーネのようだったから、
お客さんたちも、あれが台本にはないって事に気付かなかったんじゃないかな。
かく言う私も、台本を知らなかったら、劇のワンシーンだと思っただろうし。
他にも、志摩子さんと恭也さんが二人で舞台に出たシーンなんかは、
会場中がピタリと動きを止めて、舞台の上の二人に注目していたし。
他には、薬師寺兄弟の二人ともが台詞を忘れて、お互いに黙ってしまったり。
今から決闘するって所だったから、これも間だと思われていたらしく、会場のお客さんたちは気付いていないようだったけど。
かく言う私も、やはりと言うか、何と言うか……。
見事に失敗をしてしまった訳で。ああ、いやいや、思い出すのは止めよう。
我が弟ながら、祐麒の機転のお陰で、これも何とか誤魔化せた……、と思うし。
まあ、多分大丈夫だよね。
全体的に見て、かなり長いお芝居だったのに、お客さんたちはじっと舞台に集中していたみたいだったな。
随所、随所に見所があったからだろうな。
見所といえば、何よりもこの劇の一番の見せ所でもあり、全くどんな展開になるのか私たちも分からない、
クラヴィスとベルスヴォードの決闘シーンなんて、物凄かった。
舞台の両側からそれぞれに姿を見せた恭也さんと美由希さんは、対峙するなり腰の剣を抜き、同時に舞台の端から中央へと駆け出す。
それを見ていたお客さんたちから息を飲む気配が舞台裏の私たちからでも分かるぐらい、二人のその動きは速かった。
舞台のほぼ中央で、二人は剣をぶつけ合わせる。
素人の私が見ても、目が離せずにそれに吸い込まれる。
だから、実際に竹刀を手に持ち、段位を持つ令さまや、同じく竹刀を持ち、
かつ、時代小説をよく読んでいる由乃さんなんかは、私以上だったんだろう。
横で食い入るように見つめる二人を横目でちらりと確認したから、間違いないと思うけど。
前に、一度だけ鍛錬を見せてもらった時は、速すぎて全く分からなかったけれど、今、目の前で繰り広げられているのは、
見えるようにしてくれているからだろう。
でも、二人の本気にも近い気迫のようなものが感じられ、映画やテレビで見るのとは違う、
本物を目の前にしているという迫力のようなものが感じられ、私は、
ううん、会場中の人たちが瞬きも忘れるほどに二人の剣戟を見つめる。
それぐらいに凄く、二人は剣を合わせては離れ、またぶつかる。
まるで、舞踏会場で踊るかのような動きで。
ぼーっと二人のやり取りを見ていた私たちの中で、真っ先にお姉さまが我に返って時間を確認する。
残り三十秒を切ったらしく、それを舞台の二人へと合図する。
それを受け、恭也さんは一度小さく頷き、こちらに背を向ける形となっていた美由希さんも小さく頷く。
本当に小さな動作の為、客席にいる人たちには分からなかっただろう。
二人は一旦、距離を取ると無言で立ち尽くす。
途端、劇の途中だというのにも関わらず、観客からは大きな拍手が巻き起こる。
それが暫く続いた後、まだ対峙する二人に合わせるように、会場は徐々に静かになっていき、再び静まり返る。
やがて、恭也さんと美由希さんが同時に駆け出す。
事前に聞いていた話だと、剣戟をどうするのかは全く決めていないということだったが、
最後の美由希さんが倒れるシーンだけは、お姉さまから注文があったらしい。
お客さんにも分かるように、恭也さんの剣が美由希さんの肩から脇腹までを斜めに切る形で、すれ違って欲しいって。
そして、すれ違った後、美由希さんが倒れるという事らしい。
舞台の二人は、その通りに動き、お客さんたちにも分かりやすいように、
ややさっきよりも遅い動きで、恭也さんが振りかぶった剣を下へと斬り落とす。
それにすれ違いざまに斬られ、美由希さんが倒れる。
時間は少し早いけれど、これぐらいなら問題ないなー、とか考えていたら、とんでもない事が起こった。
美由希さんが前へ踏み出した足に力を込め、後ろへとバックステップした。
当然、恭也さんの剣は空を斬り、すれ違うつもりだった恭也さんの身体が二、三歩踏鞴を踏む。
その間に、美由希さんは更に恭也さんとの距離を開け、舞台の端まで来る。
えっ、えっ、何で。
混乱する頭の中で、美由希さんが間違えたと思ったときには、すぐ近くにある美由希さんの背中が前へと少し倒れる。
それとは逆に、剣を持った右手が上へと上がり、左手が前へと伸ばされる。
それを見て、前のめりだった恭也さんの顔に驚きが一瞬浮かぶ。
な、何がどうなってるの!?
思わず、お姉さまを見るが、お姉さまも軽く頭を振って分からないと呟く。
つまり、これは打ち合わせとは違うということらしい。
てっきり、事前に変更でもしたのかと思ったけれど、そうではないと分かり、私は益々混乱しそうになる。
そんな私の手を、お姉さまが握り、きっと大丈夫と告げてくれる。
それだけの事なのに、私は混乱していたのが嘘のように目の前の美由希さんを落ち着いて眺めることができた。
すると、それを合図とするかのように、美由希さんの身体が恭也さんへと向かう。
この短い間に、恭也さんも体勢を立て直していたらしく、その場から少し後退していた。
そして、美由希さんが接近してくるのを見ると、手を腰の位置へと下ろし、刀身を右下へと向け、左半身を美由希さんへと向ける。
美由希さんは後ろに引いていた右手を前へと突き出し、恭也さんへと突きを繰り出す。
私の目でも見えるということは、本気ではないのだろうけれど、何で、打ち合わせと違うことをしたのだろうか。
そんな事を考えている間にも、繰り出された剣は恭也さんへと向かう。
恭也さんはそれを軽く身体を横へとずらして躱すと、美由希さんへと向けて踏み込む。
こちらもまた、本気ではないのだろう。何度も言うけれど、私の目で見えているのだから。
まあ、お芝居をやっているのだから、当たり前なんだけどね。
美由希さんの突きを躱した恭也さんだったけれど、そこから美由希さんの剣が意思を持っているみたいに変化する。
何と、躱した恭也さんの方へと向かって来たのだった。
しかし、恭也さんはそれを分かっていたのか、特に慌てた様子も無く、美由希さんを中心に円を描くように動く。
その剣の届かない位置へと移動した恭也さんは、そのまま動きを止めることなく美由希さんの後ろへと回り込む。
美由希さんは、そのまま前へと走り抜け、背後の恭也さんから逃れる。
所が、恭也さんはその美由希さんの動きに付いて行くように動き、二人の距離は変わらなかった。
でも、恭也さんの動きは直線ではなく、あくまで美由希さんを中心として円を描いていた。
ゆっくりに見えるのに、何故か掴みにくい。
横で見ていた私が抱いた印象がそれだった。
現に、美由希さんも同じことを思ったのか、恭也さんの動きを目で追いつつも、自分からは攻撃しない。
やがて、その円が徐々に狭まって行く。
由乃さんに聞いた事のある間合いだったっけ?
あれに恭也さんが入った時、美由希さんの剣が繰り出される。
しかし、その先には恭也さんの姿はなく、恭也さんは美由希さんの身体の右斜め前、
丁度、攻撃を繰り出した美由希さんの右手の外側の肘の辺りにその身体を置いていた。
早く動いた訳ではない。
それは、はっきりとその動きを見ていた私、ううん、ここにいる人たちが全員はっきりと言える。
でも、どうやって移動したのかと言われると、説明に困る。
美由希さんの剣が恭也さんに当たると思ったら、恭也さんはそれに引き付けられるようにするりと身体を動かして、
そのままあの位置に移動したのだ。
まるで、正月番組で目にする芸人さんが傘の上で転がすボールのように、美由希さんの剣の横を滑るように移動した。
横で見ていた私たち以上に、美由希さんは驚いているのか、目を見開いている。
その一瞬の隙を逃さず、恭也さんは美由希さんとすれ違うように移動しつつ、その胴を斬った。
恭也さんと美由希さんの動きがそこで止まる。
どのぐらいの時間、そうしていたのか。
多分、一、二秒ほどだろうけれど、やけに長く感じられた。
私は、美由希さんが芝居中だという事を忘れたのではないかと、気が気ではなかったけれど、そんな私の前で、
やがて、美由希さんはゆっくりと倒れる。
先程よりも大きな拍手が鳴り響く中、ゆっくりと照明が消えていく。
完全に照明が消え、幕が閉じると、恭也さんと美由希さんが急いで舞台袖に戻ってきた。
戻ってきた恭也さんは、美由希さんに何か言いたそうな顔をするが、これからすぐに恭也さんには出番が待っている。
それを分かっているから、恭也さんは何も言わずにフィナーレへと向けた準備に入る。
再び幕が開き、照明がつく頃には、恭也さんの姿は志摩子さんと共に舞台の上にあった。
先程の余韻を残しつつも、いよいよフィナーレへと向かっていくお芝居に、お客さんたちものめり込んで行く。
先程の激しい剣戟の芝居と違い、今度は静かな動きの少ないお芝居。
だけど、お客さんは舞台から片時も目を離していないと思う。
現に、結末を知っている私でさえ、目が離せないのだから。
やがて、二人の芝居も終わり、最後の幕が閉じる。
こうして、山百合会の舞台は成功といえる形で幕を閉じたのだった。
◇ ◇ ◇
喧騒から少し離れた場所に、山百合会の面々と恭也たちはいた。
花寺の方々は、まだリリアンの学園祭を楽しむといってあちこち回っているのだろう。
そんな中、恭也たちの知人が二人に話しかけてくる。
「しかし、まさか学園祭の劇で御神流の奥義を見るとは思わなかったよ」
美沙斗は何処か苦笑した感じでそう告げる。
その言葉に、美由希は小さくなり、恭也は顔を顰めつつ、美由希の頭をぐしゃぐしゃに撫で付ける。
「ええ、俺も思いませんでしたよ。いきなり、この馬鹿が射抜の構えをした時には、流石に驚きましたよ。
まあ、ちゃんと威力などは抑えていたので、射抜と言えるかどうかは分かりませんけれどね」
そう言って、力を込めて美由希の頭を押さえつける。
恭也の手の動きにつられ、美由希の頭が左右前後に容赦なく動く。
「うぅ〜、本当にごめんってば〜。痛い、痛い。
だ、だって、恭ちゃんがあんなに大振りで隙だらけの斬撃を見せるからつい、勝てるとか思っちゃったんだもん」
「だから、どうしてそうなるんだ。あれは、始めからああする予定だっただろうが」
「あ、頭では分かってたつもりなんだけれど、身体が勝手に動いたんだもん。
射抜の姿勢を勝手に身体が取っちゃって。で、でも、ちゃんと気付いたから、かなり威力を落としたでしょう」
「まあな。あんな速さでは、射抜とは呼べんしな。
しかし、それとこれとは別だ。大体、お前は何を考えてるんだ」
「痛い、痛いです。ごめんなさい、許してください。私が悪かったです。
もう二度としませんから」
「当たり前だ」
「うぅ〜。だって、小さい頃から、隙あらばって教えられてきたんだもん。
もう、これは頭じゃなくて身体に染み付いた習性みたいなものなんだよ〜」
美由希の言い訳に、恭也は何度も美由希の頭を左右前後に揺さぶる。
「だから、こうして褒めてやってるんじゃないか。
偉いぞ、美由希。よくぞ、そこまで成長したな」
「痛い、痛いよ。こ、こんな褒め方ならいらないよ〜」
「あははは。恭也もそのぐらいにしといてあげなさいよ」
流石に可哀相に思ったのか、桃子が止めに入り、恭也は仕方がなさそうに美由希の頭から手を離す。
美由希は少しふらつきながらも、なんとか立ち直ると、恭也へと質問する。
「所で、恭ちゃんが見せたあの動きは何?」
さっきまでの情けない顔から一転して、剣士の顔つきになって尋ねる美由希に、恭也は嬉しそうに綻びそうになる口元を引き締める。
教えるかどうか考える恭也に、横から答える者がいた。
「あれは、御神不破流歩術、虚だよ」
「不破流……?」
「そう。宗家である御神にはない不破だけの技」
美沙斗の言葉に、美由希が少し驚いたような声を上げる。
「そんなものがあるの!?」
そんな美由希に、それまで黙っていた恭也が説明する。
「ああ、ある。御神宗家の方にもそれがあるだろう」
「……それって、正統奥儀の事」
「ああ、そうだ。御神流には、宗家のみに伝わる技と不破にのみ伝わる技があるんだ。
元々、不破は宗家を守る一族だったからな。独自の技が幾つか生まれたんだ。
おかしいと思わなかったか。
御神には幾つかの分家があったが、そのうち流派として存在していたのは不破の者が使う御神不破流だけだって。
他の分家は皆、御神流だろう」
「言われればそうかもしれないけれど、私、そんなの初めて聞いたし」
美由希の言葉に暫し考え、恭也はそうだったなと頷く。
そんな恭也に、美由希が更に尋ねる。
「恭ちゃんはいつの間に不破の技を…」
「存在自体は知っていた。昔、美影さんや父さんに聞いた事があったからな。
その訓練方法や、技の形態については、俺が成人したときだ。
父さんが残した一つの箱の中に、それらについて書かれたものがあった。
ただ、これは俺が成人するまでは開けないように言われていたからな」
「兄さんは、自分が恭也に教えるつもりだったんだろうね。
だから、その箱は自分に万が一の事があった時のために、そうしておいたんだと思うよ」
「ですね。不破の技の幾つかは、下手に習得しようとすると身体が壊れる危険がありましたから。
完全な身体が出来上がるまでは、触れられないようにしておいたんでしょう」
恭也の言葉に、美由希も納得したように頷く。
こちらの話が区切りがついたのを見計らい、祥子が話し掛けてくる。
「それじゃあ、もうあまり時間もないですけど、まだ学園祭も終ってないですし、何処か周りますか」
「それよりも、この後グランドで何かやるの?」
不思議そうに尋ねてくる忍に、祥子が頷きつつ答える。
「ええ。この後、グランドでは後夜祭が行われるのよ」
「ふーん。じゃあ、それが始まるまでのんびりしてるのも良いかもね」
「それじゃあ、そうしましょうか」
その祥子の問い掛けに、誰も何も言わなかったため、祥子たちはグランドの方へと歩き出す。
その背中を見詰めつつ、恭也が美由希にだけそっと声を掛ける。
「美由希、暫らくは頼むぞ」
「うん、分かった」
美由希が祥子たちの後に付いて行くのを見送りつつ、
恭也と美沙斗、リスティは前を行く者たちに気付かれないように、そっと人気のない場所へと移る。
誰も居ない事を確認すると、恭也はまず美沙斗にこれまでの経緯を説明する。
ある程度、手紙で先に聞いていたリスティも、知らない部分があるのでそれを黙って聞く。
全てを説明し終えた後、恭也は続ける。
「今回、どうも嫌な予感がして……。
上手く言えないんですが、胸の奥で何かが」
「もしかして、恐怖でも感じているのかい」
「恐怖……。そうですね、そうかもしれません」
意外な恭也の言葉に、リスティは驚いたような目を向ける。
それに苦笑を返しつつ、
「俺だって恐怖は感じますよ。それに、この業界、臆病な方が生き残り易いですし」
「ふふ。まあ、恭也の言いたい事は大体、分かったよ」
恭也の言葉に驚くリスティとは逆に、美沙斗は何処か納得したような顔になる。
「まあ、恐怖というよりも、漠然とした不安といったようなものなんだろう」
「そうですね、そんな感じですね。
何しろ、敵の目的が一切分からない上に、姿が全く見えてませんから。
その上、今日は襲ってこないとか。遊んでいるようにも思えますし」
「確かに、変な奴だな。簡単に忍び込めるくせに、襲撃に来るでもない」
「ええ。こっちは、向こうが動いてからでないと、動きようがないですし」
「本当は、このまま何も起こらないのが良いんだろうけど、そうはならないみたいだしね」
リスティの言葉に、恭也は確信を持って頷く。
今はまだ大人しいが、必ず襲ってくるだろうと。
「それで、リスティさん。頼んでおいた件は」
「ああ。別段、日本へと入って来た怪しい奴らはいないよ。
ただ、恭也の話を聞くと、かなり前に入っているのかもね。だとしたら、辿るのは難しいね」
「そうですか」
「で、恭也。私をここに呼んだのは、どうしてだい」
リスティとの会話が途切れたのを見て、美沙斗がその理由を尋ねる。
「ええ、そうでした。美沙斗さんはフェドートかコラードという男を知りませんか」
「……フェドートという名は聞いた事があるが、奴は随分前に姿を消したはずだが」
「そうですか。実は、その二人がさっき言った、襲撃者だったんです。
彼らは、あいつらに協力していると言ってました。相手は複数いると見て間違いないでしょう。
そして、コラードという奴が言ったらしんですが、俺の事を調べてもらうと。
このコラードは、昔、俺が護衛をしていた時に敵としていた奴だったんですが、
俺に復讐するために力を貸していたみたいなんです。
つまり、俺の事を調べると約束して、それが出来ると信用できる組織が今度の相手かと」
恭也の言葉に、リスティは幾つかの大きな組織を頭に浮かべ、美沙斗は顔を強張らせる。
「美沙斗さん、何か心当たりでも」
「あ、ああ。いや、思い過ごしかもしれないんだが」
美沙斗はそう前置きをしてから続ける。
「恭也は邃という組織を知っているかい」
「ええ。前に聞いたことがあります」
「そうか。これは弓華の部隊が掴んだ情報なんだが、その邃にここ最近、動きがあった」
驚くリスティに、表面上では冷静なままの恭也。
そんな対照的な二人を見遣りながら、美沙斗は更に続ける。
「邃といえば、その情報能力はかなりのものだしね」
「でも、もし、本当にあの邃が相手だとしたら、前回なんかとは比べ物にはならないぞ」
リスティの言葉に、美沙斗も頷く。
「私は、明日にでもすぐに香港へ戻って、もう少し詳しい事を調べてみるよ」
「僕の方でも調べてみるとするよ。尤も、邃が相手では、下っ端とはいえ、尻尾を掴めるかは怪しいけどね」
「お願いします」
二人に改めてお願いする恭也に、リスティは軽く答え、美沙斗は浮かない顔で告げる。
「恭也、更に悪い知らせだ。もし、相手が邃だとしたら、その中にあの血塗れの魔女がいるかもしれない」
「なっ! しかし、彼女はどちらかといえば、テロリストたちと敵対しているはず」
「あくまでも推測だよ。こちらも合わせて、調査の必要がある」
そう言ってリスティを見る美沙斗。
その視線の意味に気付き、リスティも頷いて見せる。
「ああ、僕の方でも注意するさ」
それっきり無言になると、三人は揃って空を仰ぎ見る。
「今回は、本当に大変かもね、恭也」
その呟きを漏らしたのは、リスティだったのか、はたまた美沙斗だったのか。
それを確認する事もなく、恭也はただ、それに頷くだけだった。
つづく
<あとがき>
ふ〜、終ったよ学園祭編。
美姫 「後夜祭は?」
ん〜、どうしよう。
美姫 「考えてなかったのね」
いや、考えてたけどね。
とりあえず、今回はここまでという事で。
美姫 「じゃあ、後夜祭も番外?」
どうだろう?
美姫 「って、そう言えば、劇はどうしたのよ、劇は!」
やっただろう。
美姫 「あ、あれで終わり!?」
いや、詳しくは外伝という形でやるぞ。
とりあえずは、本編を進めないと。
美姫 「本当にやるんでしょうね」
ピュゥ〜、ピュゥ〜。
美姫 「誤魔化すな!」
ぐげげげぇぇぇぇ。
美姫 「全く、この馬鹿は。それじゃあ、皆さん、また次回までごきげんよう」