『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



第34話 「真美の日常と学園祭」






学園祭まで一週間と少しと迫ったある日の昼休み。
新聞部の部室に、先程からずっと休む事無く、カチカチとキーを叩く音が響いている。
その音の発生源を見遣れば、ノートパソコンへと向かい、視線を忙しなく動かし、
それ以上の速さで左右の指を動かしている前髪を七三に分けた一人の少女。
彼女は時折、傍らに置いてあったパックジュースを口へと運ぶ以外、ずっとキーを叩き続けている。
部室には彼女一人の姿しかなく、他の部員の姿は見えないが、そんな事を気にする事もなくただ作業を黙々と続ける。
どのぐらいの時間が過ぎた、やっと一区切りついたのか、ノートパソコンから手を離し、肩をトントンと軽く叩く。

「はぁ〜、疲れたわ」

そう呟くと、真美はそのまま机に突っ伏すように倒れ込む。
目を閉じて、暫らくは無言のまま、身体中から感じる疲労に身を任せていたが、やがて、誰にともなく口を開く。

「大体、何で私がこんな事を。いや、そりゃあ、まあ、私も了承した事だから良いんだけれど。
 どうして、それを私一人でやっているのかって事よ。
 発言者のお姉さまは、一体、どこで何をやってるのよ!
 そりゃあ、部活を引退宣言されたけれど、事ある毎に口を挟んできて、あまつさえ、今回は完全にお姉さまの企画じゃない!
 なのに、何で、その張本人がここに居ないのよ!」

始めは愚痴のように小さく口の中で呟いていたのだが、言っているうちに怒りを覚えたのか、
最早、喚くように叫んでいる事に気付いているのか、どうか。

「そりゃあ、山百合会の劇をうちの新聞部で宣伝するのは良いけれど、どうして、明日の朝一に発行しようとするのよ!
 お陰で、昼休みを削る事になる私の事も、少しは考えてくれても良いじゃない」

大声で文句を言うだけ言って、何とか落ち着いたのか、真美はゆっくりと息を吐き出すと、
残っていたパックジュースを一気に飲み干す。
その間、脳内では姉の姿を思い浮かべ、散々に罵る事を忘れずに。

(大体、大見得切ったのはお姉さまなんだから、ちゃんと最後までやって欲しいわ)

考えているうちに、また怒りがぶり返しそうになり、真美は軽く頭を振る。

「とりあえず、こんな感じで良いでしょう。後は、お姉さまに確認をしてもらって…」

写真部から提供してもらった写真と、真美が書いた文章のレイアウトなどの作業も全て終え、
とりあえずは完成した原稿を、試しに一枚プリントする。
画面で見た時とは違い、実際に紙で出してみて、これで良いのか、もう一度確認をする。
大方、満足したのか、真美は一つ大きく頷くと、そのプリントを仕舞い込む。

「放課後にお姉さまに確認をしてもらって、直しが入らなければ、すぐに印刷して。
 もし、直しが入ったら……」

その事を考え、やはり、今のうちに確認してもらおうと思い立つ。
勢いで席を立ったまでは良かったが、果たして、肝心のお姉さまが何処に居るのか、それが問題だった。
ここに来る前に、教室を覗いた時にはいなかったから。
そう考えつつ、もしかしたら、もう戻っているかもという期待を込め、三奈子の教室をもう一度、訪れる事にする。
ノートパソコンの電源を落とし、部室の電気を消した事を確認すると、真美は部室を出て行こうと扉に手を掛ける。
と、今まさに手を掛けようとしていた扉が、独りでに開く。
自動ドアのはずがない以上、外から誰かが開けたという以外の答えもなく、しかし、それが分かっているからといって、
前へと踏み出していた体が途中で止まる事もなく、真美はそのまま外から扉を開けた人物にぶつかる。
ぶつかった瞬間、相手の方がしっかりと踏ん張ったため、二人して倒れるなんて事にもならず、真美はほっと胸を撫で下ろし、
その相手へと謝罪の言葉を口にする。

「ごめんなさ……、なんだ、お姉さまか」

「なんだとは、随分な言い方ね」

「そりゃあ、ぼやきたくもなりますよ。
 第一、誰の所為で昼休みにまで、こんな事をしてると思ってるんですか」

「別に、真美が昼休みに部室に篭るなんて、珍しい事でもないでしょう」

「確かにそれはそうですけど、まさか予定外の記事を書くことになるなんて、思ってもいませんでしたから」

ああ言えばこう言う妹を見ながら、三奈子は胸中で呟く。

(どうしてこう、可愛げのない妹なのかしら)

三奈子の表情から、それを察した真美だったが、それを綺麗に流すと、先程プリントアウトした用紙を取り出す。

「丁度良かったです、お姉さま。今、これをお見せしようと思ってたので」

真美が差し出たプリントを受け取りつつ、三奈子は部室へと入る。
真美もその後ろに続くと、部室の扉を閉め、電気を点ける。
その間に、三奈子は椅子に座ると、ざっと内容に目を通して行く。
三奈子の速読を知っている真美は、すぐに読み終わるだろうと、自分も腰掛けて待つ。
案の定、すぐさまに読み終えた真美は、何箇所か修正する所を告げる。
どうしようもなく手の掛かる姉だが、こと記事のことになると、真美は誰よりもこの姉を信頼している。
事実、指摘された個所とその修正案を聞き、真美は素直に感心する。
尤も、そんな事をいちいち口に出して、この姉を付け上がらせる事はしないが。
真美は立ち上げていたノートパソコンから、原稿のデータを開き、指摘された個所の修正を始める。
そんな妹を、三奈子はただぼんやりとそれを眺める。

「…お姉さま、お暇なのでしたら、手伝って頂いても構いませんけれど」

「んー、止めておくわ。学園祭の後に出すかわら版に、記事のスペースを貰ったからね。
 それまでは、我慢しておくわ」

「いえいえ。別に我慢なんてなさらなくても。
 一層の事、今、私がやっている記事を代わって差し上げても良いんですよ」

「可愛い妹のお仕事を取ろうとは思わないわよ」

「そうですか。お姉さまが取ってきたお仕事ですから、てっきりご自身でなさりたいかとばかり思ったんですけどね」

「そうしたいのは山々なんだけどね。やっぱり、ここは現部長に任せるべきでしょうから」

本気でそう考えているらしい三奈子を見て、真美はこっそりと溜め息を吐くと、原稿を修正していく。

「かつて、山百合会の薔薇さまたちに迷惑をかける事すら省みなかったお姉様が、こと恭也さまの事となると、別人ですね」

呆れたように呟く真美に、三奈子は慌てたように否定する。

「わ、私は別に。そ、それに、そんな事はないわよ」

「はいはい。しかし、分かりませんね。お姉さまが一目惚れなんて」

「何が言いたいのよ、貴女は」

「いえいえ、別に。それは、確かに恭也さまは見た目は良いですけれど…」

「けどって、何よ。けどって。恭也さんは見た目だけじゃないわよ」

「はい、それはここ数日で、はっきりと分かってますから」

眦をあげ、今にも掴みかからんばかりの勢いで言ってくる三奈子を一先ず落ち着かせ、真美は続ける。

「私が言いたいのは、恭也さまと一緒に時間を過ごしていれば、
 その人となりが多少とも分かって、それで惹かれるというのは分かる、って事です。
 でも、お姉さまは完全に一目惚れだった訳でしょう。
 それが、お姉さまらしくないというか。意外だった訳で。
 …………いや、でも、そっちの方がお姉さまらしいのかも。
 何かに夢中になると、周りが見えなくなるというか、後先考えないというか。
 うん、よくよく考えたら、お姉さまらしいですね」

「貴女、本人を目の前にして、よくもそれだけずばずばと言えるわね」

「それはそうですよ。本人がいない所で言っても、仕方がないじゃないですか」

口元を引き攣らせつつ、それを隠すように務めて冷静さを装いながら、三奈子はゆっくりと口を開く。

「そう言えば、今日の一限目の後の休憩時間に、恭也さんと親しそうに話していたみたいだけれど?」

「あら、それは今回の記事に関しての確認ですよ」

「だったら、薔薇さま方に真っ先に尋ねるのが先じゃないかしら」

「ええ、そうですね。でも、お姉さまが仰ったんですよ。
 恭也さまに関する事の記事を書くことは禁止と。
 ですから、薔薇さま方にお聞きする前に、恭也さまに確認をしたまでです」

「へー。そんな事の為に、貴重な休憩時間を費やすのね」

「勿論ですよ。何処かの誰かさんのお陰で、発行するまでの時間がありませんから。
 因みに、この後、ちゃんと薔薇さま方の許可も頂きましたから、別に恭也さまだけに会いにいった訳ではないので、あしからず」

「それはそれは。勤勉な妹を持って、姉として嬉しいわ」

「お褒めに頂き、ありがとうございます。
 所で、どうして私が恭也さまの所へと伺ったのをご存知なのでしょうか。
 私には、そちらの方が不思議ですけど」

「ほほほ。いやーね、この子ったら。私も恭也さんと同じ三年生なんだから、同じ階に教室があるに決まってるじゃない。
 たまたま、休憩時間に真美を見かけただけの事よ」

「それにしては、薔薇さま方に会った事は知らないようでしたが?」

「くっ。それはそうと、どうして、恭也さんと話す時と私と話す時とでは、態度が違うのかしらね」

「! …べ、別にそんな事はないはずですよ。
 まあ、そういった部分があるのかもしれませんけど、それは、お姉さまが相手だから、私も心を許しているという事でしょうか」

「あらー、そんなに慕ってもらっていたなんて、初耳だわ」

「それはそうですよ。こういった事は、一々言うほどのものではありませんから。
 妹が姉を慕うのは、当然ですもの」

「それはそれは、とても光栄ね。でも、だったら、もう少し言葉を包んで欲しいわね」

「はっきり言わないと、お姉さまは暴走しますからね。
 幾ら慕っているとは言っても、しっかりと手綱は握っておかないと。
 お姉さま個人の問題で澄むのなら兎も角、ことが新聞部全体の問題とされては困りますから」

「…本当に良い性格してるわね」

「ええ、それはもうお姉さまの妹ですから」

「ふっ、ふっふっふ」

「ふふふふふ」

この時、部室の前で、忘れ物を取りに来た新聞部の少女が扉の前にいたのだが、中から漂ってくる何とも言えない威圧感に、
少女は忘れ物を諦め、大人しく教室へと帰ったというエピソードがあるのだが、勿論、二人はそんな事を知る由もなかった。



放課後、担任の教師によるHRが終るや否や、真美は教室を飛び出し、部室へと向う。
頭の中で、部室に着いてからの作業を順に描きながら。

(まずは、出来上がった原稿を印刷するために…。
 と、その前に、昼休み中に作り終えた記事を、山百合会の方に確認してもらわないと)

それを思い出し、真美は行き先を部室から薔薇の館へと変える。

(ああー、こんな事なら、祐巳さんと一緒に薔薇の館へ行けば良かった。
 今、行っても誰かいるかな)

そう考えつつも、階段を降りきった今となっては、戻るよりも進む方が早い。
いなければ、誰かが来るまで待てば良いかと考えを切り替え、真美は薔薇の館へと向う。
一階へと降り、廊下を進む真美は、そのまま少し早足で廊下を歩いて行く。
頭の中では、薔薇さま方から了承を得た後の作業を浮かべつつ、殆ど前も見ずに角が来たので曲がる。
と、向こうからも人が来ていたのか、真美はその人物へとぶつかってしまう。
ぶつかった瞬間に真美がの頭の中には、今ぶつかった人物がシスターではない事を祈っていた。
シスターだった場合の言い訳を幾つか考えていた真美は、自分が地面へと倒れずに立ったままである事に気付く。
どうやら、目の前の人物が倒れるのを防いでくれたようだ。
廊下で倒れるという事をせずに済み、ほっと胸を撫で下ろしつつ、昼休みも似たような事があったようなと脳裏に一瞬、
昼休みの出来事が甦り、まさかまたお姉さまだったり、とか思っていると、その当の人物から正解を告げられる。

「大丈夫ですか、真美さん」

最近、よく聞くようになった声、リリアンでは珍しい男性の声。
若いという条件を付ければ、唯一と言っても良い声に、真美はやっと目の前の人物を認識する。
一方の恭也は、ぶつかって倒れそうになった真美の腕を掴み、真美が倒れる事は防いだが、
どこか茫然としている様子を見て、強くぶつかったのかとか、頭を打ってしまったのかと心配になる。
もう一度声を掛けようと口を開きかけた所で、真美は慌てて頭を下げる。

「ご、ごめんなさい、少し急いでいたもので」

「いえ、こちらこそ」

未だに掴んだままだった腕を急いで離し、恭也も同じように頭を下げる。
廊下の隅でお互いに頭を下げている図というのを思い描き、真美は思わず吹き出してしまう。
そんな真美を怪訝そうに見る恭也を見て、真美は何とか笑いを堪えつつ、恭也が手にしている荷物へと目を向ける。

「それは?」

「ええ、これはクラスの出し物で使うそうなので、今、貰って来た所なんですよ」

そう言って、恭也は白い大き目の布みたいな物を見せる。
それを見ながら、真美は強く握られ、まだ恭也の手の感触が残る腕を、知らずに何度も撫でる。
それを見た恭也は、また頭を下げる。

「すいません。少し強く握りすぎてしまったみたいですね」

最初、何を言われているのか分からなかった真美だったが、恭也の視線が自分が撫でている腕にある気付き、慌てて手を振る。

「あ、いえ、大丈夫ですから」

「ですが。もし、跡とかが残っていたら」

「本当に大丈夫ですから」

「そうですか」

真美の言葉に納得した恭也は大人しく引き下がる。

「そう言えば、急いでらしたのでは」

「ああ、そうでした。って、恭也さまが学園祭のクラスの出し物にいるものを持って、ここにいらっしゃって、
 その上、教室へと戻る途中という事は、当然、紅薔薇さまも教室に?」

「ええ、そうですが。ひょっとして、祥子に用が」

「紅薔薇さまだけというよりも、薔薇さま方と恭也さまにですけどね。
 まあ、祐巳さん辺りがもうすぐ来るでしょうから、私は先に行ってますね」

「そうですか。それでは、これで」

「はい、ごきげんよう」

そう挨拶を交わすと、真美は今度はゆっくりと歩き出す。
さっきも、別に急ぐ必要はなかったなと反省しつつ、急いだお陰で恭也さまに助けてもらえたし、などと考えながら。
そもそも、急がなければ、ぶつかる事もなかったという事は、真美の頭の中にはなかったらしい。
真美は、未だに微かに残る恭也に握られた個所をそっと撫でつつ、少しだけはにかむのであった。





  ◇ ◇ ◇





学園祭当日、真美は朝から何故か走っていた。
いや、理由は分かっているのだ。そう、理由は。
全く、自分は体力がないと普段から公言しているというのに、何故、こんなに全力疾走をしなければならないのか。
それもこれも、全ては自分の前を走る姉のせいだ。
いや、まあ、それだけではないのは自覚しているし、自分もまた先程聞いた噂が気になってはいるのだが。
それを心の奥へと隠し、とりあえず手近のものに怒りの矛先を向ける。
即ち、前を行く姉の背中へと。
そこへ、これでもかという位の怒気をぶつけるが、生憎と姉である三奈子は全く気付かずに走り続ける。
こちらは妹とは違い、体力には自信があるのだろう。
徐々に開きつつある距離に、真美は息も絶え絶えに姉の背中へと声を掛ける。

「お、お姉さま、ちょっと、待って下さいってば。
 わ、私は体力にはじ、自信が」

「モタモタしてたら、置いていくわよ真美」

「す、既に置いていかれてます……」

三奈子と蔦子、それに恭也が何やら話している間に、何とか追いついた真美は、呼吸を必死で整える。
呼吸を整えながら、馬鹿笑いをする姉を不審そうに見遣り、近くにいたクラスメートの蔦子を捕まえて事情を聞く。

「はぁ〜、はぁー、つ、蔦子さん……」

「あら、真美さん、ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう。はー、はー。と、所で、あ、アレは何ですか」

そんな真美の質問に、蔦子は親切に教えてくれる。
が、しっかりとからかう事を忘れない辺り、蔦子さんらしいと思いつつ、だからといって、からかわれる側にしてみれば、
それは一向にもありがたくなく、真美は立ち去る蔦子の背中に悪態をつくことで、何とか溜飲を下げる。
その後、姉の三奈子を引っ張り、真美は次のクラスの出し物へと向う。

「お姉さま、いい加減にご自分の足で歩いてもらえませんか」

「はいはい、分かったわよ。で、何処に向うの」

「……お姉さま、昨日のうちにしっかりと打ち合わせをしたと思うんですが」

「そ、そうだったかしら」

少しだけ真美から目を逸らしつつ応える三奈子に、真美はこれみよがしにあきれ返ってみせる。

「まあ、良いですけどね。はい、ここの丸印の所を周ってください。
 それに関する記事を書いてもらうことになりますから」

「ええ、分かっているわ。それじゃあ、私はもう行くわね」

本当に分かっているのかという疑いの眼差しを向ける真美から逃げるように、三奈子は足早に立ち去る。
その背中を暫らく見詰めた後、真美は自分の担当する所へと向うのだった。

昼を少し周る頃には、真美は自分の担当する出し物の殆どを周り終えていた。
メモに、記事にするためのことを書き込みつつ、次の出し物の前へ来て、その足を止める。

「……嘘。次って、ここなの」

目の前の第二体育館を外から眺めつつ、真美は手元のパンフレットへと何度も視線を落とす。
何度見ても当然の如く、その内容が変わる筈もなく、真美はどうしたものか悩む。

(うわー、事前に調べておくんだった。そうしたら、お姉さまにここを任せたのに)

出来れば、ここは飛ばしたい所だが、そういう訳にも行かず、かといって今ひとつ覚悟が決まらずにいる。
悩む真美の前方から見知った顔がやってくるのを見て、真美は良い案とばかりに声を掛ける。
あくまでも、何気ない風を装って。

「ごきげんよう、恭也さま」

「どうも、真美さん。こんな所でどうしたんですか」

「私は、今からここの取材を兼ねた体験といった所です」

「そうですか。ご苦労様です」

「まあ、これも良い記事を書くためですから」

内心でここまでは問題ないと判断しつつ、真美はさも今思いついたとばかりに恭也の腕を掴む。

「丁度、良かったです。恭也さまも一緒に入りましょう」

「俺もですか。しかし…」

「良いから、良いから。こういった所は、やっぱり第三者の意見も聞きたいですから。
 誰か、知り合いでも通らないかと思っていたんですよ」

「はあ、そこに俺が来たと」

「ええ、そういう事です。ですから、お願いします。助けると思って」

「まあ、別に構いませんけど。でも、そんなに大した事は言えないと思いますよ」

「それでも良いんですよ。どんな意見でも、貴重ですから。
 それじゃあ、行きましょう。ほらほら」

恭也の気が変わらないうちにとばかりに、真美はその背中を押して中へと入って行く。
三年桃組主催のお化け屋敷へと。

「……あのー、真美さん」

「な、何ですか」

「そう掴まれては、歩き辛いんですけど」

「あ、はい」

そう言って掴んでいた恭也の服の裾をそっと離すが、二、三歩も行かないうちに、また掴まれてしまう。
恭也も諦めたのか、それ以上は何も言わず、代わりに気を紛らわせようと違う事を話そうとする。
しかし、何を話せば良いのか分からず、結局、口から出た言葉は、

「もしかして、お化けとかが怖いとか」

「ま、まさか。そんな事ある訳ないじゃないですか」

説得力の欠片もない言葉に、恭也は一応は頷いておく。

「別に恥ずかしいことではないと思いますけど」

「本当に、お化けは怖くないんです!」

やや剥きになって言ってから、真美は慌てたように口を押さえる。
勿論、片手は未だに恭也の服の裾を握ったままで。

「は、はぁ」

あまりの剣幕に、ただ恭也は曖昧に頷き、言った本人は予想以上に大きな声を出した為に顔を赤くして俯く。

「す、すいません。大きな声を出してしまって」

「いえ、お気になさらずに」

「で、でも、本当にお化けが怖い訳じゃないんですよ。
 単にお化け屋敷とか、肝試しが怖いだけで」

「それは何か違うんですか」

「違いますよ。お化け屋敷っていうのは、脅かす人が必ずいるじゃないですか」

「まあ、そうでしょうね」

「つまり、それが駄目なんですよ。真っ暗な中、いきなり目の前に現われたりとかされたら、誰だって驚くでしょう。
 暗闇の中にこちらを狙う人がいるんですよ。
 わざわざ驚かされるために、何でお金を払うのか分からないわ」

真美の言葉に、そういうものかと恭也はとりあえず納得し、次いである事に気付く。

「もしかして、だから俺を誘ったんですか」

「あ、あははは。はい、実は」

「そうでした。俺なんかを誘うから、可笑しいとは思ったんですよ」

「あ、勿論、それだけじゃないですよ。恭也さまだから、お誘いしたんですから」

その言葉をどう勘違いしたのか、恭也は苦笑しつつ言う。

「まあ、祐巳さんは苦手そうですしね」

「ええ。今頃は由乃さんと一緒に周っているでしょうから。
 志摩子さんは乃梨子ちゃんの所だろうし」

「それで、たまたまそこを通った俺に白羽の矢が立ったという訳ですね」

「そう言う意味ではないんですけどね」

「何か言いましたか」

「いえ、別に。ただ、恭也さまがそこに居たからという理由だけでは、本当にないんですよ」

「そういう事にしておきますよ」

「本当ですって」

恭也と話していたお陰か、幾分か落ち着いて歩く真美に、恭也がそっと告げる。

「真美さん、もう少し行ったら、多分、人が出てきますよ」

「ほ、本当ですか」

「ええ。目はかなり良いんで。さっき、あそこの物陰で何かが動きましたから」

「ありがとうございます。事前に教えられていると、少しはましですもんね」

言いながらも、真美はぎゅっと恭也の服の裾を掴む手に力を込める。
恭也が言った場所に近づくにつれ、真美の歩調がゆっくりとなる。
そして、恭也が言った場所に差し掛かると、その通りに脅かし役の子が現われる。
突然現われたそのお化け役の子に、一瞬だけびくりと身体を震わせて恭也にしがみ付くが、
事前に身構えていた為、悲鳴を上げる事もなく、何とか堪える事が出来る。
しかし、それでも多少は驚いたのか、無意識に恭也の腕にしがみ付いたのは、まあ仕方がないのかもしれないが。
しがみ付かれた恭也は、顔を少し赤くしつつ、無理矢理に振りほどく事も出来ず、ただ大人しくしている。
その場から少し離れてから、真美へと声を掛ける。

「あ、あの、真美さん、腕…」

「あ、ああ、ごめんなさい」

そう言って、同じように顔を赤くして、慌てて離すものの服の裾を再度掴むのは止めない。
恭也もそれは諦めたのか、されるがままになる。
こんな調子で、人の気配を感じては、恭也は真美へと教えつつ、奥へと進む。
恭也の裾を掴む真美の顔が、少し喜んでいる事に気付かぬまま。
やがて、見えてきた出口に、真美がほっと胸を撫で下ろす。

無事に外へと出ると、真美は名残惜しそうに恭也の服の裾を離すと、頭を下げる。

「恭也さま、ありがとうございました」

「いえ、そんなに大した事をした訳ではないので。
 それに、俺も楽しかったですし」

「そうですか? でも、恭也さまは殆ど、事前に気付かれていたみたいですけど」

「まあ、脅かし役の子には悪いですけどね。
 でも、怖がっている真美さんを堪能できましたし、充分に楽しかったですよ」

恭也の言葉に顔を赤くしつつ、真美が唇を尖らせる。

「美由希さんが、恭也さまを苛めっ子と表現される意味が、少し分かったような気がします」

「じょ、冗談ですよ」

「ふふ、そういう事にしておきますね。でも、良いネタが手に入ったのは確かですね」

「勘弁して下さい」

「…まあ、それだけ、私とも親しくなったという事で、今回は許してあげます」

「それは、助かります」

「それじゃあ、私はまだ数店周らないといけないので。ごきげんよう」

そう挨拶をすると、真美は恭也に背を向けて歩き出す。
先程よりも幾分、軽い足取りで。





つづく




<あとがき>

という訳で。
美姫 「まさか、まだ学園祭ネタでくるなんて」
ふっふっふ。
まあ、ちょっとしたこぼれ話を拾いつつだな。
本編というか、大筋はもう少しだけ後で。
美姫 「やけにのんびりね」
まあな。さて、次回は、あの子の学園祭の様子を書く予定だ。
美姫 「誰よ、誰」
あの子だよ、あの子。
美姫 「だから、誰よ」
仕方がないな、教えてあげよう。
美姫 「分かったわ。蔦子ね」
…………。
美姫 「もしかして、正解?」
ち、違うもん。
美姫 「じゃあ、誰よ」
う、そ、それは……。
美姫 「それは?」
う、うぅぅぅ。
美姫 「ほら、素直に言った方が身のためよ」
うぅぅ、蔦子です。
美姫 「やっぱりね。正解したんだから、ご褒美頂戴」
ご、ご褒美ですか。えーっと、何を。
美姫 「何でも良いわよ。くれるんなら」
……それじゃあ、なでなで〜。
美姫 「アンタ、ひょっとして喧嘩売ってる」
な、何だと! 何でも良いと言ったではないか。
美姫 「確かに言ったけれど」
ふ、なら問題なし。
美姫 「ふっふっふ。この湧き上がる思いは何かしら。
    きっと、これが感謝の念なのね」
言いつつ、何故、剣を抜くんだ?
美姫 「何でだと思う?」
……俺を吹っ飛ばすため?
美姫 「せ・い・か・い。ご褒美は、空の旅よ!
い、いらない。辞退します。
美姫 「問答無用! 吹っ飛びなさい!!」
ぬぐぉわぁぁぁぁ〜〜!! そんな理不尽なぁぁぁぁぁぁぁ!
美姫 「当然の結末よ。それでは皆さん、ごきげんよう」





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