『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



第35話 「蔦子の日常と学園祭」






ファインダー越しに見る景色。
シャッターを切る音。
ほんの一瞬だけ、視界を覆うように閉じるシャッター。
フィルムの進む音。
一連の動作の中で、はっきりと感じる事の出来る一つ一つの動き。
私は、このシャッターを切る瞬間がとても好き。
移ろい行く長い時の流れの、ほんの刹那の一瞬を切り取る、その瞬間が。
この一瞬だけは、私は魔法使いになる。
時を閉じ込めるという魔法を使う、魔法使いに。

「……なぁーんてね。まあ、理由はどうあれ、結局の所、好きなものは好きなんだから仕方がないわね」

そう呟くと、蔦子は自分の頭上に広がる青空へと向ってシャッターを切る。

「さて、昼休みももう終るだろうし、そろそろ教室に戻りますか」

授業中には、流石にカメラを構えるわけにもいかず、放課後までの暫しの別れと、
愛しそうにそのボディを撫でると、蔦子は屋上を後にする。



放課後、日毎に近づく学園祭に向けて、そこはかとなく浮き足立つ廊下を被写体を求めて歩く。
クラス毎に準備に勤しむ生徒を尻目に、蔦子は一階まで降りる。
別に、学園祭の準備をサボっているのではなく、単に部の方の準備があるので、断わって抜けてきたのだ。
部室へと向う道すがら、蔦子は前方に大きな荷物を抱え、ふらついている生徒を見つける。
小柄な少女は、一抱えもある大きな箱を必死に持ちつつ歩いている。
よっぽど力がないのか、その荷物が重いのか。
あっちにフラフラ、こっちにフラフラと、さして広くもない廊下をフラフラ、フラフラ。
蔦子の脳裏に、すぐに一人で頑張るクラスメートの顔が浮ぶ。
何処か頼りない印象を感じる笑みを貼り付けつつ、人一倍努力するクラスメートの顔が。
別にそれが理由ではないが、蔦子は目の前の少女を助けようと踏み出す。
しかし、それよりも早く、少女に声を掛ける者がいた。
その人物を見て、蔦子は思わず身を隠す。
本能が告げて来る。
きっと、良いシャッターチャンスが訪れると。
蔦子はその本能に従い、二人からは死角となる隅へと移動すると、そっと顔だけを覗かせて、様子を探る。

「重そうですね」

突然、後ろから声を掛けられ、少女は驚いたように身を竦めるが、何とか荷物だけは落とさずに済んだようだった。
それを見て、声を掛けた人物──恭也は、少女へと頭を下げる。
そんな様子を眺めながら、蔦子は小さく失笑を漏らす。
あの人らしいわね。思わず笑みの零れる光景だが、まだシャッターを押さない。
蔦子がじっと見詰める中、慌てた少女に言われて顔を上げた恭也は、声を掛けた用件を伝える。

「一人では、少々辛いでしょう。代わりに持ちましょう」

「い、いえ。大丈夫ですから」

そう答える間もふらついている状況では、全く信憑性のない話だが。
恭也は微かに笑みを見せると、それに見惚れている少女の手から荷物を奪い、自分の持っていた荷物を上へと乗せる。
小さく声を上げ、ひたすら恐縮する少女に、恭也は何処まで運ぶのかを尋ねる。
少女は行き先を告げると、大きく頭を下げて礼を言う。
それを照れ臭そうに受けつつ、恭也は少女が告げた場所へと荷物を運ぶ。
恭也の横で、照れながらも必死で言葉を紡ぐ少女と、それを聞きながら荷物を運ぶ恭也。
この瞬間、蔦子はシャッターへと添えていた指に力を込める。
何枚か撮ったところで満足したのか、蔦子はシャッターから指を離し、二人が完全に見えなくなってから物陰から姿を現す。

「さて、後は恭也さんにこの写真の許可を貰って、その次にあの子のクラスを調べて、この写真を上げるとしますか」

蔦子は、撮った写真を独り占めする気は最初からない。
良い写真が撮れたのなら、被写体の許可を得てから、大勢に見せるし、駄目なら捨てる。
恭也の場合、大勢の前に曝されるのを嫌うので、せめて、あの子だけにも上げる許可を貰おう。
そう考えて、蔦子は恭也の教室へとゆっくりと向う。
何処へ荷物を運んだのかは知らないが、戻ってくるまで時間が掛かるだろうから。
部室へと行かなければいけなかったが、まあ、これも部活動の一環という事で。
そう勝手に結論付けると、蔦子は本当にゆっくりと、今しがた降りて来た階段を登り始める。
途中、目を引く被写体がいないかどうかチェックをしつつ。
三年松組へと向う途中の廊下で、蔦子は恭也を見つける。
こちらへと向かって来る恭也をその場で待ち、声を掛ける。

「ごきげんよう、恭也さん」

「どうも」

軽く頭を下げる恭也に、蔦子は早速用件を切り出す。

「恭也さん、写真の許可を頂けませんか」

「さっきのですか」

「はい、そうです」

話が早くて助かると思いつつ、恭也が次にいう台詞が分かっている蔦子は、先手を打つように言う。

「公開されるのは恭也さんはお嫌いのようですし、今回の写真は、もう一人の女の子に上げようかと思いまして」

「あんな所の写真なんて、貰っても喜ばないと思いますけれど」

「その時はネガごと処分しますよ。
 とりあえず、さっきの子の所へと話を持っていく前に、恭也さんの許可を、と思いまして」

蔦子の言葉に少しだけ考え、別に構わないだろうと頷く。

「ありがとうございます。それと、申し訳ないんですが、さっきの子の名前とクラスをご存知でしたら、教えていただけますか」

「良いですよ。一年椿組の…」

恭也から学年とクラス、そして名前を聞いた蔦子は、少しからかうように話し掛ける。

「それにしても、なかなかやりますね」

「いえ、そんなに重たくはなかったですよ」

「いえ、そういう事ではなくてですね。
 …はぁー、まあ良いですけど。
 下心がないというのは、初めから分かってましたけれど、今の言葉をそういう風に取られるとは」

「はい?」

「あ、いえいえ、こちらの話です」

「そうですか。ところで、もし、さっきの子が写真を断わったら、ネガの方の処分は本当にお願いしますね」

「それは勿論ですよ」

念を押す恭也に、蔦子はしっかり頷いて返す。
祐巳や由乃を介して、蔦子ともそれなりに交流を深めた恭也は、多少とはいえ、彼女の事を理解している。
それに加え、色々と聞いている事もあって、すんなりと信頼する。

「まあ、十中八九、断わらないと思いますけどね」

「いや、それはないでしょう。第一、俺みたいな無愛想なのと写っていたりすれば、余計に」

そう言って苦笑する恭也に、内心で溜め息を吐きつつ、

「確かに、ちょっと無愛想かもしれませんけど、恭也さんが優しい人だというのは、すぐに分かりますよ」

「俺は優しくなんかないですよ」

「いえいえ、充分に優しいですよ。それが良い所でもあるんですし。
 まあ、尤も極一部の人たちにとっては、あまり歓迎できない所でもあるんでしょうけど」

「は、はあ」

「まあ、それは別に気にしなくても良いですよ。それじゃあ、お時間を取らせまして」

「いえ。それでは」

「はい、ごきげんよう。それと、写真の件、ありがとうございますね」

蔦子はもう一度礼を言うと、一年椿組へと向う。
蔦子から話を聞いた女の子は、蔦子に礼を述べつつ、翌日にはその写真を手に入れていた。
その日一日、機嫌の良かったその子の友達は、不思議に思いつつも特に問い詰める事もしなかった。
ただし、この写真の事が後に一部に知られて、ちょっとした騒動になったのだが、それは恭也の与り知らぬ事である。





  ◇ ◇ ◇





学園祭当日、朝から何故か走っているクラスメートを少しからかい、蔦子は次の場所へと向う。
背中で悪態をついているであろう友人を振り返らず、蔦子はそのまま校舎の方へと向う。
いつもよりも多い人波の中を歩きつつ、目だけは獲物を逃さないように用心深くあちらこちらを見渡す。
そうしてあちこちを周りつつ、行く先々で写真に収めていく。
渡り廊下を歩いていた蔦子は、外にも関わらず、食べ物らしきものを運んでいる生徒を見つける。

「そう言えば、外と中の両方を使って、お店を出しているクラスがあったわね」

そう呟くと、その店へと行くのではなく、迂回するように移動し、茂みの中へと入って行く。
そこから、店の様子を伺い、思わず小さな呟きを零す。

「ほっほー。あれは恭也さまと志摩子さんのツーショットですか。
 向こうで、その様子をじっと見詰めているのは…、ああ、いつぞやの一年生ね。
 と、とりあえず、頂き。
 …………さて、それじゃあ、次は何処に行きますかね〜」

二人の写真を数枚撮り終えた蔦子は、次に何処に行くか考えながら、茂みから抜け出る。

(いやー、今日はいい日だわ。こんなに良い写真がたくさん撮れるなんて)

いつも以上に活き活きしつつ、次なる獲物を求めて、蔦子は今度は校舎へと向うのだった。

あれからも、蔦子はずっと写真を撮り続けていた。
一体、何回フィルムを交換したか。
つい少し前に、部室へと撮り終わったフィルムを置き、未使用のフィルムをまた何本か取って来た所だ。
そうして、飽きる事無く、ひたすらに写真を取り続ける。
今も会心の写真を撮り、ほくほくとした笑顔でその店の出口に立つ。

「ふっふっふ。実に良い写真が撮れたわ。祐巳さん以外の被写体で、ここまで興味深いものが取れるなんて。
 何か面白いものでも取れるかと思って入ってみたけれど、思わぬ収穫だわ。
 ふふふふ、現像が今から楽しみだわ」

そう呟きつつ、蔦子は赤外線ストロボを取り外す。

「うーん、後二、三枚は撮れるんだけど、暗闇用の感度が高いフィルムだし、野外で撮るのには向かないか。
 まあ、別に良いか」

蔦子はそう言うと、フィルムを巻き上げ、新しいフィルムに入れ替えると、背後の建物へと振り返る。

「いやー、本当に良いものを取らさせて頂きました」

そう言って頭を下げると、蔦子はその場を後にする。
三年桃組の出し物に背を向けて。



朝から続けて撮っていたので、少し休憩しようと人気のない校舎裏へとやって来た蔦子は、そこで思わずカメラを構えてしまう。
ファインダー越しに被写体を見詰め、しかし、シャッターを切る事はしない。
そのうち、被写体の方も蔦子に気付いたのか、こちらへと振り返ると、ゆっくりと首を振って撮られる事を拒む。
それが分かっていたのか、蔦子は素直にカメラを下ろすと、その人物へと近づく。

「ごきげんよう、笙子ちゃん」

「ごきげんよう、蔦子さま」

「こんな所で、何をしてるの」

「そういう蔦子さまこそ」

「私? 私は、少し休憩をね」

そう言って、カメラへと手を伸ばす。

「駄目ですよ、蔦子さま」

ふざけてカメラを向ける蔦子に、笙子は微笑みながらやんわりと注意する。
それに頭を掻きながら苦笑しつつ、カメラを仕方が無さそうに降ろす。

「で、笙子ちゃんは、こんな所で何をしてるのかな?」

「私ですか。私は、蔦子さまを探してたんですよ。一緒に学園祭を見て周ろうかと思って。
 そしたら、こうして会えたって訳です。まあ、会えなければ会えないで、適当に周るつもりだったんですけどね」

「うーん、私は写真を撮る為に、あっちこっちを周るわよ」

「分かってますよ。それでも少しは今みたいに休憩したりされるでしょう」

「そりゃあね。折角の学園祭なんだし、少しは楽しまないとね」

「ですよね。ですから、一緒に周りましょう。勿論、蔦子さまの行きたい所で構わないので」

「行きたい所というより、本当にあてもなくあっち行き、こっち行きするけど」

「それでも構いませんから」

「そう。じゃあ、一緒に周る」

「はい」

そう行って笙子は、満面の笑みをその顔に浮かべる。
その表情を見て、蔦子が頼み込むように蔦子へと申し出る。

「うーん、やっぱり撮らせてくれない?」

「……じゃあ、蔦子さまも一緒に、という条件でしたら」

「むむ。……はぁ〜、諦めますか」

蔦子は暫らく考え込むと、結局、笙子の写真を諦める。
蔦子とのツーショット写真が欲しかったと少し落ち込む笙子だったが、それを顔には出さない。
しかし、それに気付いたのか、それとも気づいていないのか、蔦子が続ける。

「と思ったけれど、こんな条件でどう。
 私と笙子ちゃんのツーショットを取る代わりに、一緒に見て周っている間だけ、笙子ちゃんを撮影しても良いってのは。
 やっぱり、撮られるって分かってて身構えられた写真よりも、日常の中の笙子ちゃんを撮りたいしね。
 ちゃんと、出来上がった写真は、誰にも公開しないで、ネガを付けて笙子ちゃんに渡すから」

この提案に笙子は少しだけ考えて頷く。
それを受け、蔦子はセルフモードで撮るのに最適な場所を考える。

「そうだわ。今なら、あそこには誰もいないでしょうから」

そう言って、蔦子は笙子の手を引いて走り出す。
蔦子に引っ張られながら、その後に続く笙子の顔には笑みが浮んでいたが、前を行く蔦子は気付かずに進む。
やがて、温室の前へと辿り着くと、そのまま戸を開けて中へと入る。

「ここなら、カメラを置く場所もあるしね」

そう言って、蔦子は笙子を座らせると、ファインダーを覗き込む。

「……これで、よし」

タイマーをセットし終えると、蔦子は笙子の横に腰を降ろす。
それから数秒後に、シャッターが落ちる音が響く。

「うん、これで良し。さて、それじゃあ、何処を周る?
 最初は、笙子ちゃんが決めても良いわよ」

「本当ですか」

「勿論」

蔦子の言葉に嬉しそう答えながら、笙子は既に考えていた場所へと蔦子を連れて行く。

「ちょっと笙子ちゃん、どこに行くの」

「三年菊組で喫茶店をやってるんですよ。
 そこで、少し休憩して行きましょう」

「分かったから、そんなに急がなくても」

「それもそうですね」

蔦子に言われ、初めて自分が急いでいると気付いたのか、笙子は歩く速度を落とす。
そんな笙子の横に並びながら、蔦子の顔にもいつしか笑みが浮んでいた。





つづく




<あとがき>

はい、という訳で、今回は予告通り蔦子のお話。
美姫 「この調子で、他のメンバー全員分を書くの?」
……いや、それは流石にな。
そろそろ本編へと戻る予定だし。
もし、やるとしたら、幕間みたいな感じかな。
美姫 「本当に?」
……いや、分かりません。
美姫 「はあ〜。そんな事だと思ったわよ」
あ、あはははは。
まあ、とりあえず、この辺りはほのぼのと進めて。
美姫 「本編に戻った途端にシリアスとか」
それはどうかな。
美姫 「まあ、アンタにシリアスが出来るのかという問題もあるものね」
酷いな、おい。
美姫 「ふふふ。何か間違ってる」
……ぐすぐす。
美姫 「はいはい、馬鹿やってないで」
俺か!? 俺が悪いのか。
美姫 「それじゃあ、また次回でね〜」
ちょ、ちょっと待て! 勝手に終らすなー!
美姫 「ごきげんよう〜」
だ〜か〜ら〜。





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