『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』
第41話 「力の意味と覚悟と」
アンゼルムと拓海がその敷地から足を踏み出そうとした時、背後で何かが動く。
それに気付いた二人が揃って振り返ると、美由希が小太刀を地へと突き刺し、それを杖代わりにして立ち上がる所だった。
「ほう、まだ立ち上がる力があるとはな。だが、流石に無傷というわけにもいくまい」
アンゼルムは、仕留めたと思った相手が予想以上にしぶといのを見て、驚愕する所か実に楽しそうな声を上げる。
ふらふらと立ち上がりながら、美由希はアンゼルムへと言葉を投げる。
「残念ながら、無傷ですよ。
まあ、疲労感はありますけど、大きな怪我はありません」
「はぁ!? そんな馬鹿な事があるか左右の穿爆甲による重ね攻撃だぞ」
「確かに、身体のあちこちが痛いですけど。多分、打ち身で痣が出来てるかも。
でも、骨などには異常はないですよ」
「んな!?」
アンゼルムは驚くが、実は美由希はアンゼルムが右手を打ち出した瞬間に、重ねた小太刀のニ刀目、
後ろ側にあった小太刀で前にあった小太刀を打っていた。
しかも、ただ打つのではなく、徹の力を外側へと逃がすようにして。
本来、内部へとダメージを浸透させる徹を外側へと力を逃す事により、その衝撃で自身の身体をアンゼルムから引き離したのだった。
同時に、地を蹴っていたこともあり、アンゼルムの攻撃を全て喰らわずに済んだのだった。
しかし、完全に威力は消せなかった上に、自身の徹の反動もその身で受けたため、地面へと投げ出される事となったが。
美由希は傷む全身に鞭打ち、アンゼルムを睨むように見詰める。
そんな美由希の様子を見て、驚いていたアンゼルムは先程まで浮かべていた笑みを消して、真剣な顔付きに変わる。
「拓海、お前は手を出すなよ。あいつは俺がやる」
「お好きなように、どうぞ。僕はこっちでゆっくりと待たせてもらうよ」
余裕を見せる拓海に、美由希が薄っすらと笑みを見せる。
「そんな余裕はないと思いますよ。ねえ、恭ちゃん」
美由希の呼びかけに答えるように、後ろの瓦礫が崩れていき、そこから恭也が姿を見せる。
「はぁー。今夜はゆっくりと風呂に浸かりたいな。
流石に、こうも埃まみれだとな」
これまた外見上は大きな怪我を見られない恭也が現われる。
「ば、馬鹿な…」
思わずアンゼルムと似たような事を呟く拓海に向かい、恭也は一気に距離を詰める。
自分へと向かって来る恭也に、拓海は慌てて距離を開けると懐から銃を両手に持つ。
迫り来る銃弾を小太刀で弾きつつ、恭也は拓海へと迫る。
自分へと迫ってくる恭也を見遣りつつ、拓海は思わず声に出さずにはいられなかった。
「どうやって、あのトラップを抜けた!
いや、例え抜けたとしても、あの高さから崩れ落ちるビルに巻き込まれて、何で無事なんだ!」
「正直、危なかった。ただ、あそこが最上階だったお陰で助かった」
恭也はそう言うと、小太刀を振るう。
それを銃剣で受け止めると、発砲。
同時に、大きく距離を開ける。
弾切れになった銃を放り投げ、腰へと手を伸ばして新たな銃を取り出すと、すぐさま立て続けに発砲する。
それを躱し、小太刀で弾きながら、恭也は拓海との距離を詰めて行く。
頭上に大きなコンクリートの塊が落ちてきた瞬間、恭也はその塊の最も弱っている個所、
幾つもの罅割れが集中している個所へと、跳びながら射抜を放つ。
恭也の身体を避けるように落ちて行く塊を抜けた時、恭也の目に星の瞬く空が飛び込んで来る。
恭也は考えるよりも早く、落下して行く身体を着地するための態勢から、次の跳躍をするための動作へと変えると、
すぐ横を落ちて行く塊を蹴り付ける。
その跳躍が頂点へと達する瞬間──上昇から落下へと移る僅かな瞬間に出来る停止時間に恭也は神速の領域へと入ると、
すぐ足元へと落ちてきていた瓦礫を蹴る。
その瞬間に神速から抜け出すと、恭也の身体は更に上へと跳躍する。
それを後二回ほど繰り返すと、恭也は完全に建物の外へと出ていた。
足元に崩れてくビルを眺めつつ、崩れずに残っている個所へと、一番太い鋼糸を飛ばす。
落下する勢いにより、鋼糸を握る手から赤い雫が飛ぶが、それでも恭也は鋼糸を離さない。
何度か壁だった部分を蹴りながら、下へと落ちて行く。
しかし、鋼糸の方が耐え切れなくなり、途中で鋼糸が切れてしまう。
幸い、殆ど下へと降りていたので、大した高さではなかったが、全身を打ち付けて苦悶の声を僅かに零す。
そこへ、鋼糸を括り付けていたコンクリートが、恭也の落下に耐え切れなくなったのか、崩れて来る。
恭也は瓦礫と瓦礫の隙間を見つけ、そこへと素早く身を入れる。
完全にビルが崩れたのを確認すると、恭也は瓦礫から這い出る。
ちょっとした空洞のようになっていたそこから、完全に外へと出るには、幾つかの瓦礫を退けなければいけないみたいで、
恭也は慎重に瓦礫を選びながら、一つ一つ退けていく。
こうして、恭也は何とか瓦礫の山から抜け出す事が出来たのだった。
拓海は気が付いていなかったようだが、恭也の両手の平は鋼糸による傷が、
また神速の中での無茶な動きにより、筋肉全体が悲鳴を上げていた。
それを拓海に悟られないようにしながら、恭也は拓海との距離を詰めていく。
拓海は、また新たな銃を取り出し、恭也へと放つ。
「一体、幾つ銃を持っているんだ」
呆れつつ呟く恭也に対し、拓海は内心ではかなり焦っていた。
全身に、それこそ幾つもの銃を隠し持ってはいるが、弾切れを起こす度に銃を取り替えるのは、あまり良い方法ではない。
出来れば弾を補充したいのだが、そんな隙がないのである。
銃を取り出すのは素早く出来ても、すぐさま弾を充填する事は出来ない。
そして、目の前の恭也がそんな隙を逃すとは思えなかった。
だからこそ、拓海は次から次へと銃を取り出す。
アンゼルムの攻撃を躱しながら、しかし、美由希は全身を襲う痛みに耐えていた。
身体を動かすたびに、小さな痛みが走る。
それでも、美由希は足を止めず、アンゼルムを翻弄するように左右へと動き回る。
「ちぃ、ちょこまかと鬱陶しい!」
アンゼルムは横から孤を描くような回し蹴りを放つ。
それを後ろへと身を引いてやり過ごすと、すぐさま前へと出る。
そこへ、通り過ぎたはずの足が逆側から戻ってくる。
その足目掛け、美由希は小太刀を振るう。
金属同士がぶつかる音がしたかと思うと、破れたズボンの生地の向こうに、黒い鉄製のものが見える。
どうやら、足にも腕と同じようなものを付けているらしく、美由希の小太刀を受け止める。
アンゼルムは片足を上げた状態で、美由希の顔目掛けて拳を振る。
それを屈んで躱しながら、美由希はアンゼルムの軸足へと足を伸ばす。
それを軸足一本で地を蹴り、後ろへと下がって躱す。
更に数歩後ろへと跳び退って、美由希との距離を開ける。
「さて、もう少し面白いもんを見せてやろうか」
「……」
アンゼルムの軽口にも美由希は無言で返す。
そんな事を気にせず、アンゼルムは左手を天へと高く上げたかと思うと、それを足元の地面へと打ち下ろす。
そして、あの爆音が響く。
と、アンゼルムの打ちつけた拳を中心として、地面が抉れ、砂煙が立ち上る。
咄嗟に張った煙幕の向こう側で、アンゼルムは右手を後ろへと大きく引き、左手は何かを握るようにして前方へと突き出す。
「穿爆甲戦術遠距離攻撃、飛穿礫!!」
アンゼルムは幾つかの黒い礫を左手から少し上へと放り投げる。
その礫目掛け、右手を引き絞る。
礫に拳が当たった瞬間、再び例の爆音が響き、礫は凄まじい速さで目の前の土煙の中へと消えて行く。
しかし、向こう側から聞こえてきたのは甲高い音だけで、どうやら美由希の小太刀によって全て弾かれたらしい。
そうと分かっても、やはりこの男の顔には焦りや戸惑いは浮ばず、変わらずにただ笑みのみをその顔へと浮かべる。
煙の向こうから爆音が聞こえ、美由希は慎重にその先へと視線を向ける。
しかし、煙に阻まれて、その先を見ることは出来ない。
それでもじっと煙を見詰めていた美由希の目に、黒い影が煙の中から飛び出してくるのが見えた。
後は、考えるよりも先に身体の方が反応をする。
煙の中から飛来した礫を、両の手に握り締めた小太刀で弾く。
と、アンゼルムが次に何かを仕掛けてくる前に、美由希は未だ納まらない土煙のその向こうへと走り出す。
一瞬、視界が塞がれ、肌に一緒に巻き上げられた小石などによって小さな傷が出来るが、
そんな事を気にも掛けず、美由希はただアンゼルムの元へと向かう。
すぐに視界が開け、美由希は目の前にいるアンゼルムへと迫る。
一方のアンゼルムも、美由希の動きは予想内だったのか、驚いた様子も見せず、土煙から現われた美由希へとその拳を振るう。
今夜、何度目かにもなる小太刀と手甲のぶつかる音。
同時に響く爆音。違うのはここから。
今までなら吹き飛んでいた美由希が、その場にまだ留まっていた。
これには流石に驚くアンゼルムの視線の先、美由希の背後で美由希が手にしていた小太刀が落ちる。
アンゼルムの攻撃を受けた瞬簡に、美由希は受け止めた小太刀から手を離していた。
そして、美由希の逆の手にはまだ小太刀が握られている。
小太刀の峰が、アンゼルムの人中へと叩きつけられる。
状態を僅かに揺らしたアンゼルムへと目掛け、肩に腕に胸にと縦横無尽に美由希の攻撃が叩き込まれて行く。
反撃する隙もない程の連撃を浴びせられ、アンゼルムはゆっくりと地面へとその巨体を倒すのだった。
二丁の銃を撃つ。距離を開ける。また撃つ。また離れる。
どれほど繰り返しただろうか。しかし、一向に恭也との距離は縮まらない。
いや、寧ろ徐々にその距離が縮まる。
何度目かの発砲の後、それまで小太刀で弾を弾いていた恭也が身を低くして、弾丸を避ける。
そのままの姿勢で、一気に拓海との距離を詰めに掛かる。
そんな恭也目掛け、拓海は残る弾丸を全て叩き込むが、それを両の小太刀で弾くと、恭也は小太刀を下から上へと斬り上げる。
拓海は懐へと手を伸ばし、両手に新たな銃を取り出すと、その先に付けた刃で小太刀を辛うじて弾き、逆に恭也へと斬り掛かる。
それを恭也が躱すと、その銃口から弾丸が吐き出される。
咄嗟に身を捻り、拓海との距離を開ける。
そこへ、拓海が自分から距離を詰めてくる。
左右から振るわれる銃剣を弾き、躱す恭也へと、隙を付いては、そこから弾丸が飛び出してくる。
しかし、剣の腕では恭也の方が上らしく、徐々に防戦へと追い込まれていく。
恭也の一撃によって、拓海の持つ銃が一つ、その手から飛ばされる。
残る銃剣を恭也へと振るうが、恭也はそれを躱す。そこを狙って、更に発砲する。
その弾丸を恭也が小太刀で弾いた所で、拓海は銃剣から刃だけを外し、恭也へと投擲する。
それを身を捻って躱した恭也へと、拓海は更に距離を詰めると、ほぼ密着に近い状態から、恭也へと銃口を向ける。
「最後の一発だ。流石に、この距離なら避けれまい」
拓海の銃が弾を弾き出す。
勝利を確信した拓海だったが、そこに恭也の姿はなく、弾は何もない空間を飛んで行く。
驚く拓海に対し、舞台の上で美由希に見せたのと同じ動きでその横へと移動した恭也は静かに口を開く。
「口を開く前に、引き金に掛けた指に力を入れるんだったな」
言うと同時に、恭也の小太刀が拓海の首筋へと落ち、拓海はそのまま倒れるのだった。
アンゼルムを倒した美由希は、離れた所で拓海と戦闘を繰り広げている恭也を見る。
どうやら、恭也の方が有利そうなのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
と、その背後に立ち上がる一つの影。
それに反応するよりも早く、美由希の背中を重い衝撃が走る。
「な、中々いい攻撃だったぜ」
美由希の背中を蹴り付け、倒れた美由希の背中へとそのまま足を乗せたアンゼルムは、よろめきながらも何とか立ち上がる。
「しかし、まだ詰めが甘いな。…つっ。ちっ、両腕は当分使えそうもないか」
足の下で抜け出そうともがく美由希に対し、アンゼルムは体重を上手い事動かしつつ、美由希の動きを封じる。
「両腕の骨が折れていると思います。大人しくしてて下さい」
背中を踏みつけられながら、美由希は苦しげに呼び掛けるが、アンゼルムは首を横へと振る。
「折角、こんなに楽しいんだ。これぐらいで止めれるかよ。
どうしても、止めたければ、俺を殺すんだな」
そう言って、美由希の背中から足を退けると、蹴る。
咄嗟に腕でガードしながら、美由希はアンゼルムから距離を開ける。
「さて、続きといこうか」
「くっ」
傷む背中に顔を顰めつつ、美由希はアンゼルムを見る。
本人の言う通り、まだその全身からはやる気が感じられる。
しかし、それとは裏腹に、両腕は力なく垂れ下がっており、美由希の小太刀を握る腕も知らずに下がる。
そこへ、アンゼルムは走り寄って来て、離れた位置から美由希へと跳躍する。
空中でしっかりと態勢を保ちつつ、蹴りを出してくる。
それを地面に転がって避けながら、美由希は距離を開ける。
「何をぼうっとしてやがる! 来ないのなら、こっちから行くぞ!」
吠えるなり、またも美由希へと向かう。
繰り出させる蹴りの攻撃を、美由希は小太刀で弾きながら、しかし反撃には移らない。
それが気に入らないのか、アンゼルムは忌々しげに口元を歪める。
「てめぇ、何をしてやがる。ちっとも楽しくねーぞ。
さっきまでみたいに、本気を出しやがれ!」
「くっ!」
徐々に勢いを増すアンゼルムの蹴りを捌きながら、美由希は防戦に徹する。
そんな美由希に、アンゼルムは歯軋りせんばかりに口に力を込め、怒気を孕んだ視線を飛ばす。
「てめぇ。いい加減にしろよ! 俺は、こんなしょうもない戦いをしたいんじゃねぇんだよ!」
そう叫んだ瞬間、美由希の小太刀がアンゼルムの腹へと決まる。
短く呻き声を洩らし、アンゼルムは仰向けに倒れる。
肩で激しく息をしながら、美由希はじっと倒れたアンゼルムを見詰める。
その顔は、もう立たない事を祈っているようでもあった。
しかし、そんな美由希の思いとは異なり、アンゼルムはその巨体を起こすと、その口元に例の笑みを浮かべる。
「そうだ。それで良い」
呟くや、またしても蹴りを出す。
いや、腕がつかえない以上、蹴り以外に出せないといった所か。
その蹴りを捌くのに、足ばかりに注意を払っていた美由希へと、アンゼルムの頭突きが迫る。
それを身を引いて躱した所へ、蹴りが決まる。
軽く後ろへと飛ばされながらも、すぐさま地を蹴り、アンゼルムへと小太刀を振るう。
左の小太刀をアンゼルムの足で受け止めさせ、右の小太刀で今度はアンゼルムの側頭部を打つ。
またしても倒れるアンゼルムだったが、すぐさま起き上がる。
と、その顔に怒りを浮かべる。
「てめぇ、何でさっきから峰ばかり使う。
お前の持っている刀は、真剣だろうが。だったら、刃の方を使え!
そうしていれば、俺は今の攻撃で三度は死んでるんだぞ。
まさか、殺さずに勝とうなんて考えていないだろうな。
言っておくが、俺は何度でも立ち上がるぞ。
そして、もし気を失って病院なんぞに居たら、その病院内の人間、全てを殺すだろうな。
分かるか? この勝負、お前が死ぬか、俺が死ぬかだ」
話を打ち切ると、アンゼルムは美由希へと走り出す。
何度アンゼルムを倒してもアンゼルムは立ち上がってくる。
「どうした、どうした。このままなら、俺がお前を倒しそうだな。
そうなったら、次はお前の兄の番だな。その次は、仕方ない。
あまり楽しそうではないが、あの嬢ちゃんたちに相手してもらうか」
笑いながら投げた言葉を聞き、美由希は鋭い視線をアンゼルムへと飛ばす。
「……せない」
「あぁ! 何を言ってやがる!」
その視線に心地良さを感じながら、アンゼルムは動きの止まった美由希の急所へと鋭い蹴りを打つ。
「これで、終わりだ!」
「そんな事、絶対にさせない!」
アンゼルムの蹴りを、下から小太刀を振るって上へと跳ね上げる。
その際、腕に痛みが走るが、それを意志の力でねじ伏せると、
態勢の崩れたアンゼルムへと踏み込みながら、もう一刀を袈裟懸けに振るう。
アンゼルムは態勢を崩しながらも、軸足で地を蹴り、身を捻って斬撃を躱そうと試みる。
しかし、完全には避けきれず、右肩に美由希の一撃を喰らう。
美由希の斬撃は、そのまま振り下ろされ、アンゼルムの右腕が乾いた音を立て、地面へと落ちる。
アンゼルムは切れた右肩から血を吹き上げながらも、その顔を笑みに形作る。
「そうだ! それで良い。これこそが、戦いというものよ!
まだだ。まだまだ、俺は闘えるぞ!」
アンゼルムは右腕を無くしてもなお立ち上がり、美由希へと対峙する。
一方の美由希は、アンゼルムの右腕が地面に落ちるのを見て、頭が白くなり、何も考えれなくなる。
えっ、何。今、地面に落ちているのは……。腕。そう、腕だ。これは、人の腕。
何で、そんなのがこんな所に無造作に置かれているの。
ううん、違う。置かれているんじゃない。取れたんだ。取れる? 腕は取れるものじゃないよ。
でも、現に取れてるじゃない。
違う。取れたんじゃない。私が取ったんだ。
そう、私が。でも、どうやって。
その手にしているものは何。
これ? これは小太刀。ああ、そうか。私がこの小太刀で、あの人の腕を切り落としたんだ。
何で、こんな事になったんだろう。
あの人が何度も立ち上がるから。あの人が悪いんだ。私は悪くない。
そんな事はないよ。だって、どんな理由があったとしても、腕を切り落としたのは私。
これは私がした事。だったら、それは私の意志。
分からない。分からないよ。
何、この匂いは。まるで、鉄のような。錆びたような。
この匂いは知っている。鍛練の時にたまに嗅ぐ事があるもの。
でも、こんなに生々しかったかな。それに、何か頬が温かい。
美由希は茫然とした様子で、震える手で頬に付いた返り血を拭うと、手を目のまで広げる。
赤い液体。さっきから鼻をつく匂いの元はこれ。
見慣れた、けれど、見慣れていない赤。赤、赤、赤。
手が真っ赤。地面も真っ赤。
これは血。血……?
こんなに血が出たら、人はどうなるんだろう。
死ぬ? 死なない? 分からない。
何で、私はこんな事を…。
守らないといけないから。
何を?
大事な人たちを。
そのために奪うの?
そうしないと守れないから。
守るために奪うの?
そう。その為の力だから。
例え、この手を血で汚したとしても守ると決めたから。
それで、大事な人たちが遠ざかっていったとしても?
それは……。
その汚れた手で、身体で、日の光を浴びて輝く人たちの横に立つの。
日の当たらない闇を歩くその身で、日の暖かさを求めるの?
それを受けることが出来るの?
出来ないよ、そんなの。
汚れた私を見れば、皆、遠ざかるもの。
例え、そうじゃなくても、汚れた手で触る事なんて出来ないよ。
なら、何のために力を振るうの。
大事な人を守るために。
その人たちからも拒絶されるかもしれないのに。
それでも、それでも…。
そこまでして、守りたい?
たった一人で暗く寒い道を歩む事になっても?
本当に?
……分からない、分からないよ。
座り込んだまま茫然としている美由希の様子を見て、アンゼルムは不思議そうな顔をした後、忌々しげに舌打ちを鳴らす。
「ちっ。とんだ見込み違いか。この程度で放心するとはな。
まあ、それなりに楽しんだしな。今、楽にしてやるぜ。そうすれば、もう悩まずに済むだろうぜ。
それに、流石に俺もこれ以上はやばいからな。とっとと、とんずらさせてもらわないとな」
そう零すと、アンゼルムは美由希の頭目掛けて足を振り上げる。
そこへ、拓海を倒した恭也の声が飛ぶ。
「美由希、ぼうっとするな!」
恭也の声に、美由希は弾かれたようにその顔を上げるが、既にアンゼルムの足が振り下ろされる所だった。
それを未だに茫然と見遣りながらも、恭也の声によって、美由希の身体は勝手に反応し、小太刀を眼前にと構える。
しかし、大して力も込めていないそれでは、アンゼルムの蹴りを防げるとは思えなかった。
アンゼルムの蹴りが振り下ろされていく中、その足が途中で遅くなると、力なく降ろされる。
ゆっくりと足を降ろしたアンゼルムは、一旦、後ろを振り向き、次いで胸から生えているモノを目に入れると、
口元をまた楽しげに歪める。
「くくっ、成る程な。お前とこっちの嬢ちゃんの違いはこれか。
…じ、実力は、同じような感じを受けたのに、………はぁー。
……何かが違うと思ったんだが、これで合点がいった」
アンゼルムは口の端から血を流しながらも、それでもなお楽しそうに笑いながら話し続ける。
「出来れば、お前ともやり合いたかったぜ」
「悪いが、俺は遠慮させてもらう」
「へっ、そうかよ」
アンゼルムはそう呟くと、それを最後に目を閉じる。
そして、ゆっくりと倒れていく。
倒れていく時、胸に刺さった恭也の小太刀が抜け、微かな血飛沫が空を舞う。
それを座り込んだまま、美由希はただ茫然と眺めていた。
「美由希! 何を呆けている」
「……あ、恭ちゃん」
力ない美由希の言葉に、恭也は肩を竦めて見せると、強引に美由希の腕を付かんで立ち上がらせる。
「お前、死にたいのか?」
首を横へと振る美由希に、またしても恭也は肩を竦める。
「だったら、何故、呆けていた」
「だって、腕が。それに、血が…」
涙ぐむ美由希に対し、恭也は困ったような顔をした後、そっと胸へと抱き寄せる。
突然の事に驚きつつも、先程の腕を切り落とした感触に美由希はただ震える。
「恭ちゃん、私、怖いよ…。
守るためには、奪う覚悟はしていたつもりだったけど。
でも、それでも…」
美由希の背中を優しく撫でながら、恭也は静かに語る。
「力を振るうという事は、そういう事だ。
特に、俺たちが振るう力とはな」
「うん、それは分かってる。ううん、分かっているつもりだったけど…」
「力を振るうには、その意味をしっかりと理解し、そして覚悟しなければならない。
相手を傷付けるだけの覚悟じゃなく、自分もまた傷付けられるという事の。
そして、傷付けた時にも、それはいる。それを受け止めるという覚悟が、だ。
それはとても大事な事だと俺は思う。相手を傷付けても、何も感じない方が、俺は駄目だと思う。
例え、大義名分を掲げようとも、傷付け、命を奪うという事には何も変わらないんだから」
美由希は無言で頷きながら、恭也の言葉をただ静かに聞く。
それが分かっているから、恭也はそのまま続けて話す。
「それが分かっているのなら、良い。
その上で、改めて聞くぞ。それでも、お前はまだ御神の剣を振るうか」
「振るうよ。例え、命を奪う事になっても、守るために私は御神の剣を手にする。
そう言える。何度、聞かれてもそう答えられる。
だって、それは何度も恭ちゃんから聞かされてきた事だから。
だから、今この瞬間でも、私は御神の剣を取ると言える。
だけど、怖いよ。怖いんだよ、恭ちゃん。
御神の剣を振るう意志もあるし、それによって今みたいな、ううん、今よりももっと酷い事を相手にする事になったとしても、
それでも、私は御神の剣を取ると言える。
でも、口では言えるけれど、手が、身体が震えるんだよ。勿論、相手の命を奪う事も怖いけれど、それ以上に…」
「他にお前が恐れているのは、それによって大事な人たちが遠ざかるかもしれないって事だな」
美由希が頷くのを、胸に当たる感触から感じながら恭也は、背中を擦っていた手を頭に乗せてそっと撫でる。
「確かに、お前の思うとおりになるかもな。
皆が皆、変わらずに居てくれるとは言えないだろう。
だけど、少なくとも俺は変わらないさ。
俺だけじゃない、美沙斗さんや、かーさんたちもきっと変わらないだろう」
「うん。それは分かってる。だけど、血で汚れた私が、皆の傍に居て良いのかな。
皆に触れても…」
「構わないさ。何かを守るために奪ったからといって、それは決して、許される事じゃない。
だけど、それでも、御神は守るための力だから。
己の手を汚してでも、守りたいものがあるのなら、その為に刀を振るう。
それが御神だから。その理をしっかりと胸に刻み、忘れなければ大丈夫だと俺は思う」
「うん、うん。でも、でも…」
「力に溺れそうか」
「うん。いつか、御神の理に関係なく、ただ人を傷つけそうで怖いよ。
それを喜んでいる自分がいそうで…」
「大丈夫だ、安心しろ。お前は絶対に、そんな事にはならない」
「そんなの分からないよ」
「いや、大丈夫だ。俺が保証する。お前は、絶対にそんな事にならない」
「本当に」
「ああ。それに、もしそうなったら…」
恭也は一旦言葉を区切ると、美由希の肩に手を置き、そっと引き離すと、その目を正面から見詰める。
「そうなったら、俺が止めてやる。だから、安心しろ」
「うん」
まだ不安そうな顔をしていたものの、恭也の言葉に美由希は強く頷く。
その目に力が戻ったのを見て、恭也は美由希から手を離す。
それを少し名残惜しそうに眺めつつ、美由希は気持ちを切り替えるように大きく息を吐く。
「安心しろ、美由希。お前はまだ、誰もその手にはかけてはいないんだから。
もっと、今よりももっと強くなって、どんな時でも殺さずに済ませるという事が出来るようになるかもしれない。
だが、それまでに同じような事になった時は…」
「うん、もう大丈夫だよ。…ごめんね、恭ちゃん。私の所為で…」
美由希は倒れているアンゼルムを眺めながら、今気付いたように恭也に謝る。
そんな美由希の頭に優しく手を置き、ポンポンと軽く叩くと、
「気にするな。俺は初めてじゃないしな」
その言葉に驚いた顔を見せる美由希に、恭也は苦笑しながら言う。
「俺の手は汚れているから、触れられるのは嫌か」
「ううん、そんな事ないよ! 私、恭ちゃんの手、暖かくて優しくて好きだよ。
触られると、気持ちが良い」
「暖かいかどうかは兎も角、優しい? よく分からんな。
それに、ゴツゴツしてて、そんなに気持ちよくはないだろう」
「ううん、そんな事ないよ。恭ちゃん、その初めての時の話って聞いても良い」
「今度、時間があればな」
「うん。じゃあ、これだけ。その時、恭ちゃんはどうしたの?」
「…俺も美由希とあまり変わらなかったと思う。ただ、目の前で何が起きたのか分からなかった。
その後、父さんが優しく頭を撫でてくれたのは、今でも覚えてるな」
「えっ!? じゃあ、それってかなり前って事?」
「ああ。護衛の仕事をしていた父さんに付いて行った時の話だ。
と、今はこの話はここまでだ」
恭也の言葉に、美由希は頷く。
「さて、もう一人の方は拘束して、南川さんに引き渡すとするか。
幹部クラスだから、かなり有益な情報を得られるだろうから」
「残念だが、口を割るつもりはない」
いつの間にか恭也の背後に来ていた拓海は、銃口を恭也の背中に押し付けると、引き金を引く。
美由希の事で周囲の警戒が緩んだ隙を付かれる形となった恭也だった。
乾いた音が響く中、絶叫があがる。
拓海の口から。
「がぁぁああああああああああああ!
う、腕が、ぼ、僕の腕がぁ!」
肘から先を切り落とされた拓海は、取り乱したように声を上げる。
拓海の前には小太刀を握り、迷いのない瞳をした美由希の姿が。
拓海はそちらを睨みつけると、切り落とされたのとは逆の手で銃を取り出すと、美由希へと銃口を向ける。
しかし、それよりも早く、恭也の一撃が拓海の胸を打つ。
アバラの折れる音が響く中、拓海はゆっくりと倒れていく。
地面へと倒れ、荒い息を吐く拓海を見下ろしながら、恭也は静かに話す。
「出来れば、素直に話してくれると助かるんだが」
「だ、誰が……」
「まあ、そう言うだろうとは思ったが。
仕方がない、リスティさんに協力してもらうか」
恭也の言葉に美由希が頷く。
それを聞きながら、拓海は手に握っていた銃を自分の頭へと当てる。
「お前たちの役に立つような事など、死んでもごめんだ」
それに気付いた二人が止めるよりも早く、拓海は笑みを浮かべると引き金を引いた。
咄嗟に美由希は目を瞑り、顔を背ける。
そんな美由希の頭を軽く撫でながら、嘆息する。
見上げた夜空にはいつもと変わりなく、ただ地上を照らす月と星の姿があった。
◇ ◇ ◇
「ふむ、二人共倒れたか」
「そのようだね、父さん」
「さて、それじゃあ次の準備に取り掛かるか。
いや、もう取り掛かっているんだったな」
「ええ。さて、次はどう動くかな、御神の剣士は…」
「次の開幕までの一時を、ゆっくりと楽しむが良い」
つづく
<あとがき>
うわぁ〜い、今回の戦闘は少しハード?
美姫 「まあ、珍しいパターンではあるわね」
美由希の覚悟というか、その辺をやりたかったんだが。
うーん、もう少し細かくやりたかったかも。
美姫 「まあ、その辺は諦めなさい」
うぅ。…と、とりあえず、六神翔のうち、二人は撃破と。
美姫 「でも、まだ後六神翔は四人もいるのよね」
おう。さて、次に出てくるのは一体誰なのか!?
美姫 「そして、どんな展開を見せるのか!?」
全ては謎のまま。
美姫 「お〜い」
冗談だ、冗談。さて、それじゃあ、また次回で。
美姫 「ごきげんよう」