『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



第43話 「意外な訪問者」






朝となり、リビングへと顔を出す面々だったが、全員が眠そうな顔をしている。
まあ、昨夜というか、今日の深夜と言うべきか、兎も角、遅くまで起きていたのだから、当然の結果だろう。
その中でも、祐巳は特に眠そうで、時折、朝食を食べている途中だというのに、舟を漕ぎそうになっていた。
朝の苦手な祥子も、いつにも増して不機嫌そうな顔で、淡々と口にパンを運ぶ。

「大丈夫か、皆」

心配そうに恭也がそう訊ねる中、志摩子は頷く。

「ええ。幸い、今日は土曜日で、午前中までですし、何とかなります」

「なら、良いんだが」

それでも、どこか心配そうな顔を見せる恭也だったが、それ以上は何も言わずに、朝食を平らげていく。



朝食を終え、各自準備を済ませると、いつものように登校する。

「そう言えば、楽しみよね」

突然の令の言葉に、しかし、恭也と美由希は首を傾げる。
いや、二人だけでなく、乃梨子と可南子も不思議そうな顔をして、令の方を見る。
その視線の意味に気付き、令は一つ頷くと、分からない四人へと説明を始める。

「私たちが楽しみにしているのは、クリスマスミサよ」

「クリスマスミサ?」

「ええ。終業式の後にあるんだけれどね。今、聖歌隊が賛美歌の練習をしている途中なのよ」

尋ね返してきた恭也に、令は頷いて答える。
そこへ、乃梨子が申し訳無さそうに志摩子へと尋ねる。

「えっと、それは全員参加なんでしょうか」

「別にそういう事はないわよ」

「お姉さまは参加……されますよね、やっぱり」

「ええ、勿論よ。でも、乃梨子にまで、無理強いはしないから、好きにして良いわよ」

「いえ、私も出ます」

志摩子の言葉に首を振りながら答える乃梨子に、祥子が少し呆れたように全員へと言う。

「どちらにしても、少し気が早すぎない? まだ、一ヶ月以上も先の話じゃない」

「まあ、そうなんだけれどね。その聖歌隊の練習をして下さっているシスターが、かなり凄い方らしいのよ。
 だから、いやがおうにも、ついつい楽しみになっちゃってね」

「そうだったの。それは初めて聞いたわ。それは、楽しみね」

「お、お姉さまは、参加されるんですか」

「ええ。祐巳も一緒に参加しない?」

「は、はい! 勿論、参加します!」

祥子に聞かれ、祐巳はいちにもなく頷く。
どうやら、山百合会の面々は、全員が参加することになったようだった。
祐巳は可南子にも誘いの言葉を掛けている。
少し考えてたようだったが、可南子も参加するようだった。
先の事を話しながら、楽しそうな顔を見せる祥子たちを見て、
恭也と美由希は知らずのうちにお互いの顔を見ながら、頷き合うのだった。





  ◇ ◇ ◇





二限目が終った後の休憩時間、恭也はさっきの授業で使った教材を講師室へと運んでいた。
重たそうだったので、代わりに恭也が運んできたのだった。
その講師の机へと、その教材を降ろす。

「ありがとう、助かりました」

「いえ、大した事はしてませんから」

「そんな事はないのですけれどね。
 貴方のそういった所は、大変、美徳だと思いますよ」

「は、はあ」

「ふふふ。確かに、人気があるのも頷けますね」

「人気、ですか、俺が? そんな事、あるはずないじゃないですか」

「まあ、そういう事にしておきます」

「はい。それでは、これで失礼します」

その講師に頭を下げ、踵を返すと、そこには学園長が立っていた。
恭也も学園長の顔は知っていたので、頭を下げて挨拶をする。
それに同じように挨拶を返しつつ、学園長は大きな溜め息を吐く。
それを見た講師が、学園長へと話し掛ける。

「どうか、されたのですか」

「ええ、実はお願いがあって来たんですよ」

「私にですか?」

「ええ。貴女もシスターでしたよね」

「はい、そうですが」

学園長の言葉に、その講師は頷く。
ここリリアンでは、講師の中にシスターがいたりするのだ。
恭也は自分は関係ないと判断し、もう一度頭を下げると、その場を立ち去ろうとするが、学園長の言葉に、思わず足を止める。

「実は、聖歌隊の事なんだけれど…」

「聖歌隊がどうかしましたか?」

「ええ。実は、彼女たちを指導してくれていたシスターが、事故に合ってしまって、入院する事になったんです。
 幸い、大した怪我ではなかったので、二、三週間で退院できるようなのですが…。
 ただ、その間、聖歌隊を指導してくださる方がいなくて」

「そういう事ですか。ですが、大変申し訳ありませんが、私には無理ですよ」

シスターの断りの言葉を聞き、恭也の脳裏に、今朝の楽しそうな祥子たちの様子が思い出される。
狙われている最中とはいえ、いや、だからこそ、せめて、少しでも祥子たちが喜ぶ事をしてあげたかった。
恭也は暫し考え込む。
その後ろで、学園長と講師の会話は続いていた。

「そう。はぁー、困ったわね。せめて、二週間ほどで良いから、誰かいい方がいらっしゃらないかしら」

「そうですね。私の方でも、知り合いの教会などに尋ねてみます」

「お願いできます」

「勿論です。
 生徒たちも、聖歌隊の歌を楽しみにしていますし、何よりも、聖歌隊の子たちのためにも、何とかしてあげたいですから」

そう言うと、講師と学園長は笑みを交わす。
そこへ、恭也が遠慮がちに声を掛ける。

「すいません…」

「あ、はい。何ですか、高町さん」

「俺の知り合いに、とても歌の上手い人がいますんで、良かったら聞いてみましょうか。
 普段から、歌を教えている人が何人かいるので、都合のつく人がいるかどうか」

「本当に?」

「ええ。知り合いに頼んで、二、三週間ぐらい、何とかならないか聞いてみますけど。
 ただ、絶対とは言えませんけれど」

「学園長、どうします?」

「ええ、そうね。それじゃあ、お願いしようかしら」

「分かりました。では、早速、電話してみます」

そう言って、出て行こうとする恭也を、学園長は呼び止める。

「だったら、ここにある電話を使って良いわよ」

「それでは、お言葉に甘えて…」

恭也はそう言うと、とある番号を押していく。
気を利かせた学園長と講師は、少し離れた所へと移動する。
少しすると、電話が繋がり、恭也は英語で話し出す。

「お久し振りです。イリアさん。ティオレさんの体調はどうですか」

『今は、かなり落ち着いてますよ。ただ、もう殆どベッドの上ですけど…。
 一度、顔を見せに来てください。校長も会いたがってましたよ』

「そうですか。近いうちに、必ず伺います。
 それと、今日はお願いがあって…。実は……」

『……はい、はい。分かりました。校長からには私から伝えておきます。
 恭也さんからの頼みなら、喜んで引き受けるでしょうから』

「すいませんが、お願いします」

『はい、分かりました。そうですね…………。
 では、シーラにでも行ってもらう事にしますから』

その言葉に、恭也はほっとしたような顔を見せる。

「はい、ありがとうございます。それじゃあ、お願いします。
 それと、ティオレさんにも宜しくお願いします」

そう言うと、恭也は電話を切る。
それを見届けると、学園長と講師は戻ってくる。

「どうでした?」

「あ、はい、大丈夫だそうです。恐らく、明後日の昼にでもこちらに着くでしょうから。
 直接、こちらに来てもらうようにしてますので、明後日の放課後には練習が出来るかと」

「本当にありがとうね」

礼を言う学園長に、講師は一応の為に恭也へと尋ねる。

「その、それは本当に助かったのだけれど、その方は指導の方は…」

「ええ、大丈夫ですよ。普段から、歌を教えている人ですから」

「そう。本当に良かったですね、学園長」

二人して嬉しそうに顔を見合わせた後、講師はそう言えばと、恭也へと視線を向ける。

「高町さんは、英語が話せるんですね。先程のお電話、英語で話してましたよね。
 あ、安心してください。何を話していたかまでは、聞いてませんから」

「あ、はい。えっと、英語に関しては、まあ、少しですが…」

「そうなの。だとすれば、海外からわざわざ来てもらう事になるのね。
 何かお礼をしないと…」

「あ、その件ですけれど、今回はあくまでも俺の頼み事を聞いたという形なので、お礼とかは一切いらないそうです」

「でも、それじゃあ悪いわ」

「ですが、そう言った以上は、受け取らないと思いますよ」

「そう。だったら、ここはお言葉に甘えさせてもらうわね。
 あまり言うのも、逆に迷惑になるでしょうから」

「ええ、そうしてください。
 その代わりというのも変ですが、その分、聖歌隊の人たちが歌を頑張ってくれた方が、きっと喜びますから」

恭也の言葉に、学園長はそうねと頷く。
しかし、指導に来た人物を見て、学園長はかなり驚く事になる。
その人物が、世界中の歌い手を目指す者たちが、一度でも良いから教わりたいと願う、
世界的にも有名なソングスクールから来たのだから、それは無理もないことだろうが。





  ◇ ◇ ◇





明けて月曜の昼休み、昼食を取り終えた恭也たちは、薔薇の館で寛いでいた。
そこへ、校内放送が響く。

「三年松組の高町恭也さん、至急、学園長室まで来てください。
 繰り返します。三年松組の高町恭也さん、至急、学園長室まで来てください」

「学園長室?」

恭也が不思議そうに呟くのと、全員が恭也を見るのが同時だった。
美由希が恭也へと、恐る恐る尋ねる。
しっかりと、その頭を両手で庇いながら。

「恭ちゃん、一体、何をしでかしたの?
 いきなり、学園長室なんて、可笑しいよ」

「お前は、殴られないような発言をするように学習せずに、殴られるのを防ぐような学習をするな!」

そう言って、恭也は素早く、美由希の手で覆われていない額にデコピンを決める。

「う、うぅぅ。私はただ、恭ちゃんの心配をしただけなのに…」

「だったら、何で手で庇うような態勢を取る」

「うぅぅ。胸に手を当てて、自分の今までの行いを思い返してみてよ」

「胸に手を当てれば良いのか」

そう言って、恭也は美由希の胸へとゆっくりと手を伸ばす。
それを微かに後ろに下がりつつ、両手で隠しながら睨むように言う。

「私のじゃなくて、自分のに決まってるでしょう!
 で、でも、まあ、どうしてもと言うのなら、少しぐらいなら…」

「冗談に決まっているだろう」

あっさりとそう告げると、恭也は少し考え込む振りを見せる。

「ふむ。全く身に覚えがないな」

「う、嘘だ!」

「いや、本当にない」

「す、少しぐらいなら、あるでしょう」

「……いや、ないな。ん、待てよ」

「そうそう、それだよ」

「そうか、それか。なら…」

そう言って、無防備になった頭へと軽く手刀を落とす。

「な、何で……?」

「いや、前に、お前が俺の煎餅を勝手に食べたのを思い出してな」

「それ、私が思い出してって言ってることと、絶対に違うから…」

「ふむ、冗談はこれぐらいにしておいて、さっさと行くか」

「冗談で殴らないでよ」

「すまん、すまん。つい、すぐそこに、丁度、良いのがあったんでな」

「私の頭は、恭ちゃんにとって、丁度いい殴り場所なの!?」

「それは言わぬが花というやつだ」

「それって、既に言ってるのと同じだよ」

「と、本当に冗談はこれぐらいにしておかないとな」

「あ、そうだね」

恭也の言葉に、美由希もあっさりと頷く。
それを見ていた面々は、既に見慣れた兄妹のスキンシップに、僅かに笑みを見せ、口を挟まずにただ見ていた。

「それじゃあ、後は頼んだぞ」

「うん」

恭也はそう言い残すと、学園長室に向かって、少し早足で歩くのだった。



学園長室の前に立ち、ノックをする。
中から返事が返ってきたのを受けて、恭也は扉を開ける。
途端、目の前が真っ暗になる。
同時に、甘い匂いと柔らかな感触を頬に感じ、恭也は嘆息すると、そっと目の前の人物を引き離す。

「で、何でフィアッセがここにいるんだ」

「フィアッセだけとちゃうで〜」

「私たちも来てるわよ」

「ゆうひさんにアイリーンさんまで。
 一体、どうしたんですか」

どこか疲れたように言う恭也に対し、フィアッセが拗ねたような口調で言う。

「だって、恭也ってば、昨日、電話くれたのに私と替わらないんだもん」

「仕方ないだろう。休み時間の間に掛けたんだから、そんなに時間があった訳じゃないんだし」

「それはそうなんだけれど…」

まだ拗ねるフィアッセに向かって、恭也は再度、何で来たのか問い掛ける。

「だって、恭也が頼んだんじゃない。歌の指導をして欲しいって。
 だから、私たちが来たのよ」

「だからって、何でフィアッセが来るんだ。シーラさんが来る予定だったはずだろう」

「それはキャンセルよ、キャンセル。で、代わりに私たちが来たのよ。
 それとも、私たちには無理かな?」

「そんな事はないが…」

「だったら、良いじゃない。丁度、ヨーロッパツアーも終って、少し暇だったしね」

そう言うと、フィアッセは再会の挨拶をするように、恭也へと抱きつくと、その頬にキスをする。
同時に、その耳元で小声で囁く。

「勿論、恭也の仕事の邪魔はしないわよ」

恭也は仕方がなさそうに溜め息を吐くと、渋々だが頷く。
そんな恭也に、フィアッセは抱きついたまま、

「ほら、恭也からの挨拶がまだだよ」

そう、のたまう。
それを無視し、恭也はフィアッセを引き離すと、学園長へと顔を向ける。

「すいません。最初はシーラさんが来る予定だったんですが、どうやら変更になってしまったみたいで。
 フィアッセたちで構いませんか」

「構う、構わない所じゃないわよ。
 CSSの人たちが教えてくれるなんて…」

学園長も驚きのあまり、上手く言葉に出来ない。
ただ、それが否定の言葉ではないと分かったので、恭也は頷く。

「それじゃあ、放課後から頼む。と、そう言えば、何処に泊まるつもりなんだ」

「うーん、恭也の所、と言いたいけれど、ちゃんとホテルを取ってあるから、そっちに泊まる事になってるよ」

「そうか。それじゃあ、同じ学園内にいても、そんなに会う事はないかもな」

「え〜。別にいいもん。私から会いに行くから」

「……勘弁してくれ」

目の前のやり取りを見ているうちに、少しは落ち着いたのか、学園長がもっともな質問を投げてくる。

「そういえば、高町さんはCSSとどういったお知り合いなの」

その言葉に恭也が答えるよりも早く、

「CSSに自由に出入りできる、唯一の男性です」

「って、それじゃあ、分からないってゆうひ」

そう突っ込むアイリーンの横に立ち、フィアッセが学園長に説明する。

「簡単に言うと、私の両親と恭也の両親が知り合いで、昔から家族ぐるみでの付き合いがあったんです。
 だから、幼馴染って事になりますね」

「そうだったの。でも、CSSの方なら、初めからそう言ってくれれば。
 流石に、CSSの方に教えてもらって、何もお礼なしじゃ…」

「あはは。本当に気にしないで下さい。恭也には、皆、お世話になっているから。
 恭也のお願いだったら、うちの子たちは、大抵の無茶は聞きますよ」

「そうそう。例え、無理矢理迫られても…」

「ゆうひさん! そんな事はしません! 変な事は言わないで下さい!」

「あははは。冗談やんか、冗談。相変わらず、堅いな〜恭也くんは」

「ゆうひ、アンタが軽すぎるのよ」

「アイリーン、それはないんとちゃう」

「こら、二人共。学園長の前よ」

フィアッセの言葉に、二人は大人しくなる。
最近、ティオレに変わって、少しずつだがCSSの事もやり出したフィアッセには、多少の貫禄が出てきたようだった。
そんなフィアッセに向かって、学園長は改まって頭を下げる。

「それでは、お願いします」

「はい。どこまで力になれるかは分かりませんが、精一杯やらさせて頂きますね」

そう答えるフィアッセは、よく知る恭也の目から見ても、確かに大きく強くなっていた。





つづく




<あとがき>

今回は、あとがきは短く!
美姫 「珍しく、次を書いてるもんね」
うん。
美姫 「という訳で、また次回まで、ごきげんよう」
ではでは。





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