『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



第45話 「信仰」






フィアッセたちがやって来た翌日の昼休み。
昼食を終えた志摩子が、聖堂へと行くという事だったので、美由希が同行することとなった。
乃梨子も一緒に付いていきながら、その道中、美由希は志摩子に聖堂へと行く用事に付いて訊ねてみる。

「別に、急ぎの用という訳ではないのよ。
 ただ、少しお祈りをしようと思って」

「ふーん、そうなんだ」

志摩子の言葉に、美由希はただそう返す。
そんな美由希の様子を可笑しそうに眺めながら、

「美由希さんも、神様は信じてられませんか」

「はい、いえ、そんな事は…」

しどろもどろに答える美由希に、志摩子はさらに笑みを深める。

「ふふふ。恭也さんと全く同じ反応ね」

「恭ちゃんと?」

「ええ。恭也さんが初めてこちらへと来られた時に、当時の山百合会の皆で、校内を案内した事があるんです。
 その時、聖堂へとご案内した時に、私のお姉さまが恭也さんに今と同じ質問をされて。
 その時の恭也さんの反応と同じだったから」

そう言って、もう一度、笑う。

「あー、まあ、確かに、恭ちゃんも同じような反応をするかも…。
 えっと、やっぱり、この学校の人たちは皆、信心深いんですね」

「そうでもないと思いますよ。人、それぞれかと。
 現に、私は…」

乃梨子がそう言うのに頷きながら、

「そうか。やっぱり、人によるんだね。
 良かった〜。私や恭ちゃんは、どうもあのお聖堂朝拝っていうのが苦手で…」

「確かに、あれは…。でも、朝礼だと思えば」

「なるほど」

「乃梨子。美由希さんまで」

「あ、あはは〜」

「ごめんなさい」

二人を軽く窘めつつ、しかし、その顔は何処か可笑しそうに笑みを刻んでいた。

「でも、まだ、乃梨子ちゃんの仏像観賞っていう方が、分かるんだけれどね」

「美由希さんも仏像に興味が?」

乃梨子が少し嬉しそうに聞いてくるのに、美由希は首を振る。

「いや、別にそういう事じゃなくて…。
 単に、お祈りをするよりは、仏像でも見ている方が良いかなー、って」

「そうですか。でも、少しでも興味があれば、是非!」

少しがっかりしたように呟いた後、それでもめげずにそう勧める。
周りに、少しでも同じ趣味の者を見つけたいのかもしれない。
それに曖昧な笑みを返しつつ、美由希は頭の中で思う。

(恭ちゃんなら、ひょっとしたら興味持つかも……。あ、でも、これ以上、そんな趣味ばっかりになられても…)

そんな事を考えているうちに、聖堂へと辿り着き、志摩子はそっと扉を開けて中へと入って行く。
その後に続きながら、美由希は人の居ない静かな聖堂を見渡す。
志摩子は一番前まで歩いて行くと、両手を胸の前で合わせてそっと目を閉じる。
そんな志摩子の様子を、美由希はただじっと見詰め、乃梨子は見惚れる。

(どうか、恭也さんと美由希さんが無事でありますように)

ただ一心に二人の身を案じて、志摩子は静かに祈るのだった。
どれぐらいの時間、祈っていたのだろうか。
志摩子は静かに目を開けると、後ろで待っていた二人へと向き直る。
そこへ、聖堂の扉が開き、新たな人物が入ってくる。
その人物は、中にいた志摩子たちに少し驚いたようだったが、志摩子が敬虔な信者であると思い出し、
ここにいる理由にも納得したように頷く。

「お祈りですか、藤堂志摩子さん」

「はい。神父様も?」

「いえ、私は違いますよ。祈るだけでは、どうにもならない事というのは、この世の中にたくさんありますからね」

「神父様の言葉とは思えませんが…」

神父の言葉に、志摩子がそう返すと、神父は笑みを見せる。

「ああ、すいません。別に、貴女が祈っている事を馬鹿にした訳ではないんですよ。
 私が言いたかったのは、祈るだけでなく、自らもまた、その為に努力しなければならないという事ですよ」

「ああ、そういう事でしたか」

「ええ。もしも神様と呼ばれるものがいるとして、一人一人の願いを聞いてくれる訳ではないですからね。
 信仰というものは、一方通行ですから。神は、誰にでも平等である。
 それは、つまり、誰にも何もしないと言えると思いませんか。
 誰かに何かすれば、それはその時点で平等とは言えませんからね。
 つまり、こちらがどれぐらい祈りを捧げても、決して、救いの手を差し伸べてくれる事はなく、ただ見ているだけ。
 本当に見守っているだけなのだと。だから、自分たちでどうにかするしかないのだと」

神父の言葉に、珍しく志摩子は少し顔を顰め、強い口調で言う。

「例え、そうだとしても、それでも、祈る事には意味があると私は思いますけれど」

「ほう」

「人とは弱い生き物です。
 だからこそ、縋るものを求め、全てを許してくれる神様が必要なんです」

「つまり、贖罪のために祈ると」

「いいえ、それだけではありません」

はっきりと首を振る志摩子に、神父はなおも問い掛ける。

「では、貴女は今までに辛い思いをしたことはないですか?
 ありますよね。その時、神は手を差し伸べてくれましたか?」

「助けを求めるためだけに祈るのではありませんから」

「なるほど。優等生らしいお答えですね。
 しかし、現実に辛い目に合っている人たちにとっては、貴女の言葉は何の意味も持ちませんよ。
 もし、それらが神の与えた試練と言うのなら、何故、神はそのような試練を与えるのでしょうね。
 また、そのような試練ばかり与えられる人間というのは、かなり罪深いという事ですかね」

「私は、別に試練だとは思いません。辛い出来事もありますけれど、嬉しい事や楽しい事だってありますから」

「では、楽しい事や嬉しい事を知らず、ただ辛い事しか知らない者が居たとしたら、どうですか?
 楽しさや嬉しさといったものは、人によってそれぞれです。
 貴女が嬉しいと感じた事でも、他人にすれば、嬉しくないかもしれません」

「でしたら、辛いという気持ちも、同じ事が言えるのでは」

「確かにそうですね。では…」

なおも何か言い募ろうとする神父に対し、志摩子はそれを遮るようにはっきりと告げる。

「何と言われましても、私は祈る事をやめません。私に出来るのは、ただ、これだけですから。
 それに、私は祈るという行為を他人に強制するつもりもありません。
 ですから、神父様が祈らないと仰るのでしたら、それで良いと思いますよ」

「祈らない神父が居ても良いと?」

「そこまでは私がお答えする事ではないですから。
 ただ、神父様ご自身が、自分は神父ではないと思われるのでしたら、そうなのでしょう。
 それよりも、私には神父様が悩んでいるようにお見えしましたけれど」

「悩む…? この私がですか?」

「はい。先程、仰っていた言葉も、私にというよりも、ご自分に言い聞かせているようでしたし。
 勿論、私の勘違いかもしれませんけれど…」

志摩子はただ静かにそう語ると、これでお終いと黙り込む。
同じように、神父も喋るのを止め、静かに口を噤む。
やがて、静かに口を開く。

「私には悩みはないみたいですね」

「そうですか。では、私の勘違いだったのでしょう」

「ええ、そのようですね。さて、そろそろ予鈴が鳴る時間でしょうから、私はこれで失礼させて頂きます」

「はい。私たちも、そろそろ教室へと戻りますので」

神父は志摩子の言葉を聞くと、聖堂から出て行く。
その背中を見遣りながら、乃梨子が志摩子を気遣うように見る。

「大丈夫よ、乃梨子」

「うん」

「それにしても、志摩子さん凄かったですね」

「お恥ずかしいです。私ったら、偉そうな事を…」

「そんな事ないよ。かなり格好良かったよ」

乃梨子の言葉と、それに頷く美由希を見て、志摩子は恥ずかしそうに顔を朱に染めると、

「そ、それよりも、そろそろ戻りましょう」

そう言うと、少し早足で聖堂を後にする。
その後に続きながら、美由希と乃梨子は顔を見合わせて、微笑ましそうに笑みを浮かべるのだった。





  ◇ ◇ ◇





フィアッセたちが来てから、恭也たちは放課後になると、聖堂を訪れるようにしていた。
今日もまた、少しだけ聖歌隊たちの練習を見学しながら、日を追うごとに上手くなっていくその歌声に感心していた。
一通り歌い終えた時、聖堂に小さな拍手の音が響く。
その拍手の主は、聖堂へと入室しながら、その顔に嬉しそうな笑みを見せる。

「一時はどうなるかと思いましたけれど、ここまで上達するとは…。
 本当にありがとうございます」

そう言って、フィアッセたちに頭を下げる神父を見ながら、恭也は小さな声で隣にいる志摩子へと尋ねる。

「あの方は?」

「恭也さんはご存知なかったですか?
 あの方は、ここを任されていたシスターに代わって、新たに来られた神父様ですけれど」

「そう言えば、そんな話を聞いたような」

「しょうがないな、恭ちゃんは。それぐらいは、ちゃんと把握しておかなきゃ」

「偉そうに言うが、お前は知っていたのか」

「当たり前だよ」

先日、志摩子と聖堂に行った時に会っていたので、たまたま知っていたのだが、それを隠して偉そうに美由希は言う。

「むぅ、何か無性に腹が立つ…」

「って、痛い、痛い。それは幾ら何でも、理不尽だよ!」

頭を乱暴に撫でてくる恭也の手から逃れつつ、美由希は乱れた髪を整える。

「本当にありがとうございます」

「いえ、私たちは大した事はしてませんから」

フィアッセの言葉に、神父は人の良さそうな笑みを見せる。

「いえいえ、そんな事はないでしょう。
 それは、他ならぬその子たちの方がよく分かっているみたいですし」

神父の言葉に、聖歌隊の子たちも頷いている。
それを優しい眼差しで見つめた後、神父はもう一度、フィアッセたちに頭を下げる。

「それでは、私はこれで失礼しますね。
 これ以上居たら、邪魔になるでしょうから」

「そんな、別に邪魔になんて」

「いえいえ。それに、もう見えましても、仕事がかなりあるんですよ。
 それでは」

そう言うと、神父は入って来た扉からそのまま出て行く。
それを見送った後、フィアッセたちは、聖歌隊への練習を再開する。

「恭ちゃん、どうかしたの?」

ずっと扉の方を見ていた恭也に、美由希が邪魔にならないよう、小声で話し掛ける。
それに首を振って答えると、恭也はフィアッセたちへと視線を戻す。
そんな恭也の様子を不思議そうに思いながらも、美由希もまたフィアッセたちへと視線を戻すのだった。





  ◇ ◇ ◇





その帰り道、恭也は見知った顔を見つける。
それに気付いた美由希も、小さく声を上げる。

「恭ちゃん、あの子…」

「ああ。どうやら、また迷子になっているらしいな」

溜め息混じりにそう言うと、恭也は祥子たちを置いて、一人でその少女へと近づく。

「う、うぅぅ。こ、ここからどう行けば良いんだろう。
 …さんともはぐれちゃうし」

「悠花さん」

「あ、はいっ!」

そっと声を掛けたつもりだったが、悠花は必要以上に驚いたらしく、小さく飛び上がる。
その弾みで、転びそうになるのを、恭也は腕を掴んで何とか支える。

「すいません。まさか、そんなに驚かれるとは思わなかったので」

「い、いえ。後ろから急に声を掛けられて、驚いただけですから」

ふと、不思議そうな表情を一瞬だけ浮かべたものの、すぐに笑顔に変わる。

「また会っちゃいましたね」

何処か恥ずかしそうに笑いながら告げる悠花に、恭也は訊ねる。

「ひょっとして、また…」

「はい、迷子です」

しゅんとして、小さく呟く悠花を見て、何か悪い事でもしたような気になりつつ、恭也は目的地を訊ねる。
恭也も知っているデパートの名前に、恭也は指差しながら丁寧に道を教える。

「そうですか。ありがとうございます」

「いえ、それではこれで」

礼を述べる悠花に別れを告げると、恭也は美由希たちの元へと戻る。

「それにしても、本当によく迷うわね」

祥子が可笑しそうに言ったのを受けて、由乃はしたり顔で頷く。

「うんうん。まるで、祐巳さんみたいね」

「由乃さん! 私でも、あそこまでは酷くないよ。
 だって、そのデパートだったら、ここからだって、微かに見えるんだよ」

「でも、それはそのデパートの名前を知っていて、あの見えているのが、そのデパートだって分かってたらでしょう」

「そ、それはそうだけど…」

「全く見知らぬ地名に地図だけを貰って、迷わずに行ける?」

「そう言われると、ちょっと自信がないかも…」

「由乃、そういう由乃だって、行けるの?」

見兼ねたのか、令がそう言った途端、由乃は噛み付かんばかりに食って掛かる。

「失礼ね。私は大丈夫よ! だって、迷ったら、誰かに聞くか、令ちゃんに電話するもの」

「あ、ずるい。それだったら、私だって、そうするわよ」

由乃の言葉に、祐巳が拗ねたようにそう言う。
それを可笑しそうに笑いながら、由乃は謝る。

「あははは。ごめん、ごめん」

「もう」

「祐巳さん、拗ねない、拗ねない」

「別に拗ねてません」

「あははは。祐巳さんったら、可愛い〜」

じゃれ合う二人を微笑ましく眺めながら、祥子たちは足を進める。

「それにしても、よくこの辺で見かけますね」

可南子の言葉に、恭也も頷く。

「まあ、よくと言っても、まだ三回ほどですけどね」

「そのどれもが迷子というのも…」

「確かに、珍しいですね」

「ええ。由乃さまのお言葉ではないですけれど、本当に祐巳さまみたいで…」

「可南子ちゃんまで。酷いよ」

「ああ、ごめんなさい。別に、深い意味はないんですよ」

「いや、深い、深くないは関係ないって」

可南子の言葉に、由乃がそう言うが、祐巳は落ち込んだように肩を落とす。
それを、両横から由乃と可南子が慰める。
そんなありふれた光景を眺めつつ、恭也は胸中に嫌な予感を感じていた。
出来るならば、その予感が外れる事を願いつつ。





つづく




<あとがき>

さ〜って、そろそろ…。
美姫 「どうなるの?」
どうなるんだろうね〜。
美姫 「……」
む、無言で殴らんでください(涙)
美姫 「じゃあ、えい♪」
何かを言いながらでも、駄目!
と言うか、殴るのを止めなさいっての!
美姫 「はいはい」
な、何だ、そのやる気のない返事は。
美姫 「それよりも、続きはいつかな?」
さて、それじゃあ、また次回で。
美姫 「誤魔化さないの!」
ぐげぇぇ!





ご意見、ご感想は掲示板こちらまでお願いします。



二次創作の部屋へ戻る

SSのトップへ