『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



第52話 「士郎と宗司」






不破親子の怪しい会話から数日後、士郎は宗司の居場所を突き止めていた。
そして、こうして深夜の、まさに草木も眠ると言った時間に、人気のない廃ビルへと赴いていた。

「さて、そろそろ指定した時間なんだが…」

士郎の呟きが聞こえたのか、暗闇から一人の男が現われる。

「ん、時間通りだな。お前さんが、天羽宗司か」

「ああ、そうだ。では、お前がこの手紙を送って来た主という事か」

「その通り」

宗司は手紙を握り潰して捨てると、静かに刀を抜き放つ。
これ以上の会話はいらないと言うように。
そして、その顔に浮ぶのは笑みで、その瞳はぎらぎらと、その手に持つ刀のような怪しげな光りを湛えていた。
何も言わず、宗司は士郎へと駆け寄ると、抜き放った方とは逆の手を腰へと伸ばし、そのまま抜刀して逆袈裟に斬り上げてくる。
それを後ろへと身を引くことで躱すと、士郎も抜刀する。
虎切と呼ばれる抜を宗司へと出す。
それを何とか防ぐと、宗司は一旦距離を開けようと後ろへと跳ぶ。
しかし、士郎はそれを許さず、すぐさま後を追うように前へと足を踏み出すと、もう一刀を抜き放つ。
左右から繰り出される小太刀を、同じく左右の刀で受け止めると、宗司は一転して前へと進み出る。
その出鼻を挫くように、士郎は飛針を投げると、右から回り込むように移動する。
飛針を叩き落した宗司は、士郎の動きを追うように、刀を横へと凪ぐ。
士郎はそれを一刀で受け止めると、もう一方の手を振る。
瞬間、士郎の腕から細い糸が宗司の首目掛けて飛ぶ。
それを刀で断ち切ると、宗司は士郎から距離を開ける。
その顔を愉悦に歪ませ、士郎を眺め遣る。

「流石は御神の剣士。想像以上だ」

「そいつはどうも。お前さんも、中々やるじゃないか」

答えつつ、士郎は油断なく構える。
同じように、宗司も構えを取る中、小さく呟く。

「最強を冠せられた御神の剣士と天羽の剣士。
 果たして、どちらが上かな…」

最後の言葉を言い切るよりも早く、宗司は士郎へと向かう。
その速さは始めの踏み込み以上で、あっと言う間に士郎との距離を縮めると、横からと縦からの二つの斬撃を放つ。
対する士郎は、そんな宗司にも内心ではどうだかは分からないが、顔色一つ変えず、ニ刀の小太刀で受け止める。

「天を舞うは羽の如く。穿つは二条の煌き…、ってか」

「ほう。天羽の剣に付いて、多少は知っているようだな」

「まあ、なっ!」

叫びながら、士郎は両手に力を込めて宗司を押し返すと、そこへ前蹴りを放つ。
それを肘で受け止めると、宗司はもう片方の手に握った刀を士郎の喉元へと突き出す。
それを士郎は身を捻って躱しつつ、引き戻した足を地に付け、そのまま突きを躱す回転の動作から、
宗司の後頭部へと裏拳を放つようにして小太刀を薙ぎ払う。
それをしゃがんで躱すと、士郎の小太刀が頭上を通過するや否や立ち上がりながら下からの斬撃を繰り出す。
しかし、士郎もこれを前へと移動して躱すと、両者はまたしても若干の距離を開けて向かい合う。
暫し無言の睨み合いが続く中、士郎が静かに言葉を紡ぐ。

「どうしてだ? それだけの力があれば、無闇に相手を殺す必要もないだろうに…。
 何故、必ず相手の息の根を止める」

「はあ? お前も、親父どもと同じ事を言うつもりか?
 息の根を止めるも何も、俺が引き受けている仕事は暗殺だぞ?
 これは、相手を殺して始めて、仕事が完了するんだ。殺さずにどうしろと?」

「俺が言っているのは、そういう事じゃない。
 ターゲットとは関係のない者や、護衛の仕事の時の話だ」

「それこそ、簡単な話だろうが。ターゲットを殺す邪魔をするから殺す。
 護衛の対象となる者を襲ってくるから殺す。どちらも生かしておいたら、また同じ事を繰り返すだろうからな。
 禍根は断っておかないとな」

「……必要以上に殺しているようにも思うがな。まあ、その辺は本当は良くないんだが、とりあえずは良いとしよう。
 それよりも、仲間までも殺ったのは何故だ?」

士郎の問い掛けに、宗司は少し思い出すような仕草をした後、しきりに頷く。

「ああ、あれの事か。あれは、あいつらが俺の邪魔をしやがったからだ。
 邪魔をする以上、あいつらは仲間じゃねえ。ただの敵だ」

そう言い切る宗司には、悪びれた様子もなく、逆に士郎へと言葉を投げてくる。

「元来、剣術とは殺人術だ。
 まあ、最近の剣術は、そうとは言い切れないが、少なくとも、俺が振るう天羽の剣は殺人術だと教え込まれてきた。
 殺人術なら、人を殺すのが当たり前のはずだろう?
 なのに、実際に人を殺せば、やれ、やり過ぎだの、殺さなくても倒せただろうだの。
 俺から言わせれば、お前ら何を言ってる、って感じなんだがな。
 殺人術を持ってして、人を殺さない? んな馬鹿な話があるか?
 人を殺さないのなら、殺人術を名乗るんじゃねえ。やり過ぎだ?
 俺たちがやっているのは、命の奪い合いだぞ? そこに、やり過ぎも何もないだろうが。
 殺るか殺られるか、あるのはただ、それだけだ」

宗司の言葉に、無言でいるかと思われた士郎だったが、やがてゆっくりと口を開く。

「確かに、お前が言う事の方が正しいのかもしれん。こればっかりは、剣を握る以上は何とも言えんからな。
 だが、俺は人を殺す殺さないではなく、俺自身の信念でもって、刀を振るっているつもりだ。
 それで、止むを得ず、人を殺めてしまうこともあるがな。
 結果だけを見れば、俺もお前も変わらんさ。奇麗事を並べた所で、俺もお前も人殺しだからな」

士郎の語った言葉に、宗司は満足そうな笑みを浮かべるが、士郎はただ静かに続ける。

「だが、前提の所がお前とは違う。お前は、殺すために剣を握る。
 そして、俺は守るために、俺自身の信念のために剣を握る。
 別に、それがどうとか言うつもりもないし、どちらが正しいと言うつもりもない。
 更に言うなら、お前にこうしろとも言わんさ。
 今、この場に置いては、ただ、俺とお前、どちらが勝って、どちらが負けるか、それだけだ」

それっきり口を閉ざす士郎へと、宗司が言葉を投げる。

「その通りだ。お前が勝つか、俺が勝つか。
 それ以外には、あり得ない。ただし、俺はお前が死ぬか、俺が死ぬまでは戦いを止める気は、さらさらないがな」

「本当にそれ以外ないのか」

「ああ。剣士が二人。ならば、それ以外の道はあるまい」

「……そうか。なら、俺はそれ以外の方法を考えて見せるまでだ」

「ほざいてろ」

宗司の方も、何も言う気はないのか、そう吐き捨てた後は、ただ黙して語ろうとはしない。
お互いに言いたいことは言った。後は、やりあうだけ。
そんな空気を二人共に感じ取り、ただ目の前の相手を倒す事のみに神経を集中させていく。
最初に動いたのは、どちらだったか。
どちらかが動いた事によって均衡が破られ、両者共に駆け出したのか、それとも、同時に動いたのか。
両者は対峙していた距離をあっと言う間に詰め寄ると、己が手に握りし刃を振るう。
付かず離れず、常に一定の距離でお互いの刃をぶつけ合いながら、二人は動き回る。
士郎の左の斬撃を宗司の右の刀が受け止めると、宗司の左の斬撃を同じく士郎が右の小太刀で受け止める。
暗闇の中、僅かに差し込む月明りを反射して、キラリと刃が光る。
それは空中に一筋の光を残し、時には二条の光がぶつかり、激しく火花を散らす。
刃が激しく行き交う中、当然のように蹴りや膝、肘といった部分での攻撃も飛び交う。
士郎が飛針を投じれば、宗司はそれを弾き、その隙を付くように刀を薙ぐ。
宗司が刀を振るえば、それを躱し、宗司へと小太刀が向かう。
暗闇の中、まるで演舞を演じるかのように、お互いの立ち位置をくるくると変えながら、次々と攻撃を繰り出し、
相手の攻撃を防ぎ、弾き、躱していく。
二人が戦闘を始めてから、どれぐらいの時間が経ったか。
月の位置があまり動いていないという事は、それほど経っていないのかもしれないし、
月がその位置を変えていても、覚えていられないほどの激しい時間やり合っていたのかもしれない。
両者は激しく呼吸を繰り返しながらも、攻撃の手を休める事無く振るい続ける。
実際には、まだ一時間と経ってはいないにも係わらず、極限まで集中し、お互いに力を出し合っている二人の顎を汗が伝い落ちる。
互いに決定的な一撃を与える事無く、幾つかの細かい傷のみが増えていく。
士郎は今まで以上に大きく踏み込むと、それを宗司が弾いた瞬間、大きく後ろへと跳び退る。
同時に、飛針を投げつけて牽制すると、更に数度、後ろへと下がり、小太刀をニ刀とも鞘へと納める。
普段の宗司なら、その様子に、降参のつもりか、と皮肉の一つでも言っただろうが、
今の今まで刃を交わした目の前の男が、意味もなく戦いの最中に刀を納めるなど考えられず、用心深く構える。
単に、ここらで一区切りを置きたかったから距離を開けたのだとしても、刀を鞘へと納める必要はない。
だとすれば、残るは攻撃の為に刀を納めたという事だろう。
そこまで考えて、宗司は最初に士郎が見せた抜刀術を思い出す。
つまりは、抜刀術による攻撃。そして、この局面で出してくる以上、士郎がその技に自信を持っているという事。
それらを踏まえ、宗司はニ刀のうち一刀を仕舞い込むと、一刀だけを両手で握る。
ただ、お互いのみを視界へと映して対峙する二人を照らし出していた淡く蒼い月光が、雲によって途切れる。
その瞬間、士郎が動き出す。
宗司へと向かって走り出すと、手を腰の小太刀へと伸ばす。
その士郎の動きをじっと見詰め、士郎が抜刀する瞬間を狙い澄ますように待ち構える。
後数歩で、お互いの間合いへと入るかという瞬間、士郎の姿が宗司の目の前から掻き消える。
驚きつつも、勘と本能のみで宗司は刀を繰り出す。
しかし、宗司の刀は空を斬るのみだった。
否、刀に衝撃が走り、次いで身体を激痛が襲う。

「がぁっ!」

宗司は身体を襲った突然の激痛に、その元を探す。
いや、探すまでもなかった。
今しがた、自分が振るったはずの刀が遠くへと転がっており、それを握っていたはずの右手に力が入らないのだ。
見れば、右腕が赤く染まり、自らの意思に逆らい、ただ力なく肩からぶら下がっている。
そして、そんな宗司の後ろには、いつの間にか士郎の姿があり、広げた両手にはニ刀が握られていた。
抜刀からの四連撃。士郎が最も得意とするところの、御神流奥義の一つである薙旋を神速状態から放ったのだ。
最初の二撃で刀を飛ばし、残る二撃を宗司の右腕へと。
これにより、宗司の右腕は完全にその動きを止める。
士郎はゆっくりと両手を降ろすと、宗司へと向き直る。

「今すぐ病院に行けば、まだ普通に生活する程度にはなる。
 だが、これ以上、無理をするようなら、その右腕は完全に使い物にならなくなるぞ。
 どっちにしろ、もうその右手では剣は握れないがな。
 いや、握れたとしても、今までのようには動かないだろう。
 命までは取らないが、お前の剣士としての命は半分貰った」

そう言い放つと、士郎は小太刀を納める。
一方の宗司は、士郎の言葉が聞こえていないのか、ただ歯を食いしばり、右腕を凝視する。
やがて、意味を生さない雄叫びのようなものを上げると、立ち上がり、残った一刀を左手で抜き放つ。

「はっがっあぁぁぁぁぁっ! 不破士郎ーーーーーっ! 貴様だけは、絶対に殺す!」

叫ぶなり、宗司は士郎へと斬り掛かる。
その目は狂ったよう濁り、光すら映していないように見えるが、その剣筋は正確に士郎へと襲い掛かる。
それを避けつつ、士郎は落ち着かせるように声を掛ける。

「落ち着け! 本当に右腕が使い物にならなくなるぞ」

「それがどうした! 剣を取れなくなるのなら、それは死んだも当然だ!
 貴様、よくも、よくも、よくもー! こんな屈辱を!
 敵に情けを掛けられ、生き恥を晒すぐらいなら、死んだ方がましだ!」

「別に情けなんかのつもりはない」

「お前になくとも、俺が、そして、周りがそう見るんだよ!
 そして、何よりも、剣を取れなくなる。それが許せん。
 貴様は、貴様だけは必ず殺す! いや、貴様だけで飽きたらん。
 貴様に関わる者、全てを殺してやる!」

「くっ! この馬鹿が…。錯乱してやがる」

士郎は舌打ちすると、意を決したのか、納めた小太刀を再び抜き放つ。

「悪く思うなよ。俺は、お前を殺さないと決めたんだ。
 だから、恨まれようと殺すつもりはない。
 例え、それが俺のエゴと言われようと、それによって、お前に恨まれる事になろうと、殺さずに済むのなら、殺しはしない。
 ギリギリの所まで、俺は踏ん張って見せる。それが、俺が刀を握る時に決めた事だからな」

士郎はそう呟くと、再び神速へと入る。
同時に雲が晴れ、ゆっくりと月の光が再び中へと入って来る。
そんな中を、士郎は一人色のない世界に身を置き、宗司の繰り出してくる刀を潜り抜け、懐へと潜り込むと、
宗司の右足に小太刀を突き立て、すれ違う。
世界が色を取り戻す中、士郎の背後で宗司が転び、床の上を滑っていく音が聞こえてくる。

「がぁっ、はぁっ、はっ、はぁぁっ!」

荒い息を吐き出しながら、宗司は床に倒れたまま、自身の右足から存在感が無くなっていくのを感じていた。
首を無理矢理動かして右足を見ると、右足は赤黒い水溜りに横たわっていた。
宗司は動く左手で上体を持ち上げ、仰向けになると、首だけを持ち上げて士郎へと鋭い視線を飛ばす。
その瞳には怒りや憎しみといったモノが込められており、気が弱い者ならそれだけで怯むだろう視線を、
士郎はしっかりと受け止める。

「……恐らく、その右足はもう使いもんにならねぇと思う。
 恨むなとは言えないが、殺さずに済むなら、俺は殺さない」

「…………」

士郎の言葉にも、宗司はただ無言のままで睨みつけるだけだった。
そんな宗司の様子に、士郎は肩を竦めて見せると、言い聞かせるように言う。

「これで、剣士としてのお前は死んだ。天羽の連中には、お前さんは死んだと伝えておくよ。
 だから、これからは剣から離れて生きてみるんだな。
 何か違う事が見つかるかもしれないぞ。それに、息子がいるんだろう。
 幼い子供を残して死ぬなんて考えるんじゃないぞ」

そう告げた士郎だったが、答えが返ってくるとは思っていなかった。
それ程までに、目の前の男の目に篭もる一種の狂喜のようなものを感じ取っていたから。
それでも、言うだけは言っておく。この場を離れて、少し冷静になれば、ゆっくりと考えられるだろうと思い。
しかし、そんな士郎の予想に反し、宗司は口を開く。
ただし、その言葉はある意味、士郎の予想通りだったが。

「俺を殺さなかった事を、後に後悔する事になるぞ。
 いや、絶対に後悔させてやる。例え、何年、何十年掛かろうとな。
 貴様だけでなく、貴様の周りの者全てを! いや、御神全てをだ!
 必ず、復讐をしてやる。その時になって、貴様は今、俺を殺さなかった事を後悔する事になるだろう。
 どんな手を使おうとも、貴様と貴様の血を引く者だけは必ず!
 楽には殺さん。俺が今から受ける屈辱、それ以上のものを与えてやる!」

「その時は、また俺が立ち塞がってやる。そして、また叩きのめしてやる」

「はっはっは。次も勝てるとは思うなよ! 次は貴様が地に倒れ伏す番だ。
 そして、そんなお前の前で、お前の大事な者全てを壊してやる!」

「……その身体では、もう二度と剣は持てないんだぞ」

「そう思うなら、思っているが良い。絶対に、絶対に、もう一度、お前の前に現われてやるからな。
 その時が、貴様の最後だと覚えておくがいい」

宗司の言葉に、士郎はこれ以上の問答は無駄だと判断したのか、背を向けると歩き出す。
時間が全てを良い方向へと導いてくれる事を切に祈りながら。
そんな士郎の背中へと、宗司は尚も声を投げる。

「俺がこんな目に合う事になった原因である、天羽の連中にも伝えておけ!
 貴様らも、ただでは済まさんとな!」

そんな宗司に答える事なく、士郎は振り返りもせずにただその場を立ち去る。
士郎が立ち去り、月明りに照らされる中、宗司は尚も一人、呪詛の言葉を吐き続ける。
誰にも決して聞かれる事なく、ただ静かに消えて行くだけの呪いの言葉を…。

「決して、楽には殺さんからな! 覚悟しておけ、不破士郎、御神よ!」

この後、士郎は宗司を討ち取ったと報告し、これが天羽へと伝えられる。
天羽宗司がまだ生きている事を知っているのは、美影と士郎の二人のみ。
これにより、この事件は表面上は終わりを告げた。







士郎と宗司の対決した日より三年と少し後。
人里離れた一つの村、まるで隠れ里のようなこの場所では、今、幾つもの火の手が上がっていた。
しかし、それにしては、誰一人として消化しようと動く者が見当たらない。
もし、それを不審に思い、この里に足を踏み入れる者がいたとしたら、この里へと入った途端、顔を顰めただろう。
辺りをえも言われぬ匂いが充満している。
ツンと鼻につき、微かに鉄分を含んだような匂い。そう血の匂い。
そのきつい血の匂いが、示すように火に嬲られる人の影はピクリとも動かない。
それどころか、時折見える倒れている人も、少しも動く気配を見せず、手や足がない者もいた。
まだ火の周っていない壁には、夥しい量の血が付着し、ここで何が行なわれたのかが分かる。
横たわる死体は、どれも鋭利な刃物で切り裂いたようで、急所を一撃されたものもあれば、
甚振るように急所を外され、何度も斬られたようなものもあった。
この里で一際大きな屋敷へと近づくに連れ、血の匂いは激しさを増し、むせ返るほどに高まる。
その屋敷の中は、凄惨というのも生温いほど、赤い池で溢れ返っており、
元が何だったのか想像もしたくないような肉片があちこちに散らばっている。
あちこちに元人の身体であったと思わせるパーツが転がる廊下のずっと奥、
一つの部屋に初めて、この里で動く者を見ることが出来た。
その影は全部で三つ。
うち、二つが一つの影を見下ろすように立ち、見下ろされる側は、かなり震えていた。

「そ、宗司……。な、何故、生きて…」

「ふははは。それは、ある馬鹿者のお陰さ。本当に、あいつには感謝だ。
 お陰で、こうして天羽の新当主の顔を拝めるんだからな」

「……くそっ! 御神の連中め、騙しやがったな」

「おいおい。連中を恨んでいる暇なんてあるのか?」

「ま、待て、待ってくれ。俺は、何もして…。が、ぎゃぁぁ、ぐあがぁぁぁ、あっはああああぁぁぁx!」

男の言葉が途中で悲鳴へと変わる。
宗司がただ隣に立つ男、いや、少年と言った方が良いだろう。
まだ幼い子供へと合図すると同時に、少年の手が動き、男の両耳が跳んでいた。
男は床へと転がりながら、必死で宗司の機嫌を取ろうと口を動かす。
舌が上手く回らないのか、縺れて、何を言っているのか全く分からないが、その事にさえ、男は気付いていないのだろう。
そんな男を見下ろし、宗司は吐き捨てるように言う。

「命乞いは無駄だ。天羽で残っているのは、貴様だけだ。
 早く、皆に会いたいだろう。まあ、貴様には貸しも借りもないからな。すぐにあの世に送ってやろう。
 既に、俺の抹殺を命じた奴は、この世にはいないしな。くっくっく。
 傑作だったぞ。奴の命乞いは。地面に頭を擦り付けながら、必死で命乞いをしてきやがる。
 そうそう、あいつの娘をあいつの見ている前で襲わせた時も面白かったがな。
 あの襲った奴らは、まだ幸せだったんじゃないのか。最後の最後で良い目に合えたんだからな。
 尤も、その快楽の中、本当にあの世へ行っちまったからな。
 と、無駄話が過ぎたな。海透…」

宗司の呼び掛けに、海透と呼ばれた少年は一つ頷くと、両手を振るう。
それにより、男の首は跳ね飛ばされ、胴体に永遠の別れを告げる。
同時に、男の心臓のあった部分にも刀が突き刺さっていた。
そんな海透の動きを見て、宗司は二、三言助言めいた事を口にする。
それを熱心に聞きながら、海透は何度も頷く。
その光景だけを見れば、剣を習う弟子とその師匠と映っただろう。

「さて、そろそろ引き上げるか」

「はい、父さん」

宗司は右足を引き摺りながら、廊下へと出る。

「海透、中々良い動きだった。実戦は初めてではないとは言え、天羽の剣士たちを相手に、ここまでやるとはな」

「僕は、父さんの言われた通りにしただけだから。
 単に、こいつらが弱かっただけじゃないの」

「かもな。暫らく見ないうちに、質が落ちたもんだ。
 まあ、俺が居た頃から、そうだったがな。それでも、お前は良くやった」

「じゃあ、次は御神の番だね」

父親に褒められて嬉しかったのか、海透は顔に笑みを浮かべると、父親の悲願を口にする。
しかし、宗司はそれに首を振る。それを不思議そうに見上げてくる海透に、宗司は言い聞かせるように言う。

「御神は、こんな馬鹿共とは違う。
 奴らは、まさに最強に相応しい連中だ。今のお前では、一対一でも勝てんだろうな」

「そんな!」

「まあ、落ち着け。だが、今後も私の言う通りに修行を積めば、大丈夫だ。
 お前には、天性の才があるからな。そう、私以上の才が」

宗司の言葉に、海透はただ黙って頷く。
そんな海透を満足そうに見遣ると、宗司は小さく呟く。

「まだ、今の海透には御神の相手は無理だ。
 あの時、士郎が見せた技がある御神にはな。まさに、神の御技とも言うべき動きをするからな。
 だが、それも海透の才の前には……。くっくっく。楽しみだよ、士郎。
 お前の顔がどう歪むのか、そして、どんな音色で鳴いてくれるのか」

何処か暗い笑みを湛える父親の手を握り、海透はただ静かに宗司に寄り添っていた。
この火事により、天羽は一人残らずに全滅する。
実際には、火事などによる全焼などでは無かったのだが、火の手が山奥の上、深夜の発火という事もあり、
更には、普段から人が来ないという事もあり、火が沈静化する頃には、何も残っていなかった。
消し炭となった遺体の中には、手足がないものなども見受けられたが、火によって全てが焼かれた状態では、
何の手掛かりも見つける事が出来ず、火事が原因という事となったのだった。





  ◇ ◇ ◇





物心が付いた頃には、剣を握っていた。
ただし、父さんではなく、爺さんによって色々と教わっていたように思う。
その辺は、まだ幼かった事もあり、殆ど覚えてはいないが。
確かな記憶としては、四歳の頃からは、ずっと父さんから教わっていたという事。
ある日、父さんと一緒に家を出て、見知らぬ土地へと連れて行かれた。
新しい生活を始めると言っていた父さんが、暫らくしてから用事で遅くなると言って出かけた。
父さんが居ない事には慣れていたし、いつもの事だろうとその時は思っていた。
だから、朝方早く、息も絶え絶えに帰ってきた父さんを見た時は、一瞬、目の前の人が誰だか分からなかった。
右腕は力なくぶら下がり、右足は動かないのか、引き摺って、左足のみで立ちながら、ただ家の玄関の戸に凭れ掛っていた。
その目は虚ろで、そのくせ、妙に血走ってぎらついており、恐怖したのを今でも覚えている。
そして、その口は涎と共に、まるで呪詛のように恨みの篭もった声で、同じ事を何度も繰り返していた。

「おのれ……。不破士郎め。御神め…」

その言葉を呟きながら、父さんは俺の両肩を掴むと、

「海透、お前は父さんの手伝いをしてくれるよな」

その言葉に、俺は当然のように頷いた。
それを見た父さんが嬉しそうに笑ったのを見て、俺もまた嬉しくなった。
だから、父さんのいう事を聞こうと思ったんだ。
次の日から、俺は朝早くから寝るまでの間、ずっと剣の稽古をさせられた。
それでも、無理はさせないように気を使ってくれていた事はよく分かったから、俺も必死でそれに答えようとしていた。
修行の合間の休憩の度に、父さんから不破士郎と言う名と御神流という名を聞かされ続けた。
この二つに対する恨み言と一緒に。
だから、父さんをここまで苦しめたこの二つは、俺にとっても敵となった。
全ては、不破士郎と御神を倒すために。
これが、俺たち親子の合言葉のようなものになるのに、そう時間は掛からなかった。



しかし、これより数年後、御神は爆弾テロによって滅ぶ。
一時は、怒り狂った宗司だったが、士郎が生きている事を知ると、すぐさま今まで以上の修行を海透へと課す。
しかし、これに次ぎ、今度は士郎の死亡を風の噂で知った宗司は、士郎の息子へと目を付ける。
そして、士郎の息子の所在を知るために、情報に秀でた一つの組織を作り上げる。
それが、邃である。言わば、邃は恭也を見つけるためだけに作られたといっても過言ではない組織なのだ。
そして、その息子が御神流をやっていると知り、宗司は士郎で果たせなかった復讐を恭也でする事を決める。
その為には、恭也も士郎と同じ護衛の仕事に付いている方が良いと考え、長い期間を待つ。
そして、遂にその機会が訪れたのだった。
双の事件。これを知り、宗司はこれ以上はない計画を考えた。
恭也の守るべき対象者を目の前で壊し、そして、恭也自身を亡き者にする事。
その為の人員も既に用意してあった宗司は、すぐさま計画を実行に移したのだった。



海透は静かに目を開けると、ベッドの上から体を起こす。

「夢……か。これまた、懐かしい夢を」

そう呟きながら、今しがた見ていた夢を反芻するかのように目を閉じる。

「もうすぐ、もうすぐだ。もうすぐで、悲願が適う」

常に士郎と御神に対する復讐の言葉を聞かされ続けた海透は、
いつしか、それが宗司の悲願なのか、自分の悲願なのか分からなくなっていた。
しかし、海透にとって、そんな事はどうでも良い事だった。
御神と打ち倒す。そうする事が、自分と宗司の為だと信じて疑わないのだから。
海透はベッドの脇に置いてあったペットボトルを掴むと、中に入っていた水を一口飲む。
ゆっくりと蓋を閉め、もう一度ベッドへと横たわると、すぐさま睡魔が襲ってきて、そのまま眠りへと誘い始める。
それに逆らわず、静かに眠りへと入って行きながら、海透はもう一度、小さく呟く。
果たして、きちんと口に出せたかどうかは分からないその言葉だったが、海透自身にははっきりと分かっている。

「御神と不破士郎の血を引く者をこの手で…」

光一つ無い真っ暗な部屋の中で、やがて、規則正しい寝息だけが聞こえてきた。





つづく




<あとがき>

過去編終わり〜。
美姫 「そして、宗司の本当の目的も判明ね」
さて、次回は再び現代へと話は戻るぞ〜。
美姫 「それじゃあ、また次回でね」
ではでは。
美姫 「ごきげんよう」





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