『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



第70話 「守りたいもの、守られしもの」






美由希の傍らに立ち、振り上げた手を振り下ろそうとするが、僅かに躊躇するように動きを止める。
何の感情も移し込んでいなかったはずの瞳に一瞬だが感情の光が点ったような気もするが、
目を閉じて再び開いたときには、また何の感情も映さない瞳へと戻っていた。
悠花自身はそれ程長い時間をそうしていたつもりはなかったが、さっきまで闇に包まれていた周囲は、
いつの間にか再び顔を出した月光の弱々しい光によって、僅かだが闇が薄らいでいた。
振り上げたまま止まっていた手に力を込め、僅かに上へと持ち上げると一気に振り下ろす。
その刃が美由希の首に触れるかどうかという所で悠花は手を止め、その場を飛び退く。
更に数歩ほど距離を開け、悠花は美由希の向こう側の闇を睨み付ける。
そこから右手に小太刀を握り締めながら、左腕を押さえる美沙斗が現れる。
土埃で汚れた顔に疲労感は見られるものの、その瞳の力強さだけは最初に対峙した頃から全く衰えを見せず、
美沙斗はゆっくりと闇より現れ出る。
そんな美沙斗へ、悠花は一層感情が抜けきった声で話し掛ける。

「あなたがここに来ているという事は、リノアさんが負けたという事ですね」

「そうなるかな」

「では、次は私とあなたとで決着をつけましょうか」

美沙斗を標的に定めて構える悠花に対し、美沙斗は薄っすらと笑みを浮かべる。

「それは気が早いんじゃないかな?
 そっちの決着はまだついていないのに」

「何を言っているの? 私の相手をしていた子ならほら、そこに倒れているじゃない。
 そして、リノアさんも倒れたと言うのなら、残った私とあなたで決着をつけないと」

「残念だけれど、私の娘はまだ完全に倒れてはいないよ。
 それに、こんな所で貴女に倒されるような娘じゃないと信じているからね」

「現に、今こうして目の前に倒れているのは、貴女のその娘じゃないの」

悠花が刀の切っ先で指す先には横たわる美由希の姿があった。
しかし、苦しげな声を零しつつ、ゆっくりと身体を起こす姿だが。
感情を消し去った顔に僅かな驚きが浮かぶのを、美由希は苦しげな顔で見詰め、微かな笑みを見せる。
小太刀を杖代わりにして立ち上がると、服の袖を肩から切り落として負傷した個所にきつく結び付ける。
苦しげに呼吸を繰り返しつつ、震える足で立ち上がると振るえる腕で小太刀を持ち上げて悠花へと付き付ける。

「ま…、まだ、これからだよ…」

その姿は最初の頃に小太刀も自らの一部として、まるで手足の延長のように扱っていたような軽さは見られず、
小太刀を上げるだけでもかなりの労力を必要としており、切っ先が微かに定まらずに震えていた。
しかし、悠花は美由希のその姿に知らず圧され、一、二歩ほど下がってしまう。
それに気付いているのかいないのか、悠花は戦いが始まって以降、
全く感情が篭もる事無く、ただ淡々としていた声に震えが混じるのも気にせずに問い掛ける。

「な、何故、そこまでして…」

「そんなのは決まっているじゃないですか。
 絶対に譲れない想いが、守りたいものがあるから。
 だから、その為には私は何度でも立ちますよ。
 例えこの腕が折れても、足が折れても、この刃が折れたとしても…。
 その想いだけは決して折られはしないから!」

奇しくもそれは、前回の事件時に恭也が口にした言葉と似通っており、
御神の理が恭也から美由希へとしっかりと伝わっている事を意味していた。
しかし、そんな事を知るはずもない悠花はただ静かにその言葉を聞き、美沙斗は美由希の成長に頬を緩める。
またしても感情を消し去る悠花へと、美由希は静かに優しい声で続ける。

「それに、祥子さんだけじゃなく、私はあなたも守りたい、助けたいって思ってます」

「私を助ける?」

「はい。多分、恭ちゃんも同じ気持ちだと思う。
 天羽宗司という呪縛から解き放って、自由にしてあげたいって。
 悠花さんは戦闘の時は今みたいに感情を消し去っているけれど、それって記憶は違いますよね」

美由希の確信しているような口ぶりに僅かだが悠花が反応を示す。
それを見て美由希は自分の推測が正しい事を悟り、更に続ける。

「多分、そうじゃないかって思いました。
 そして、本来の悠花さんはそんな事を平然と出来るような人じゃないって事も…」

「それ以上、無駄なお喋りに付き合う気はありません。
 まだ闘えると言うのなら、ただ倒す。それだけです」

「本当に、それがあなたの気持ちなんですか。後で後悔したりしませんか。
 上手く言えないけれど、何度も悠花さんと剣を交えていて、本当はそんな事を望んでいないって思ったんです!
 なのに、何でそんなに…。あんな、あんな奴の言う事をきくんですか」

「あなたには分からないと思います。例え、酷い人だとしても、私を拾い育ててくれた人なんです。
 その恩を返さないと…」

「天羽宗司が悠花さんを拾ったのだって、決して善意からじゃないはずです。
 それは、悠花さんだって気付いているはずでしょう。
 それに、恩を返すってなんですか。あんな奴の為に、道具に成り下がることが恩返しになるんですか!?」

美由希の言葉に悠花が僅かに感情を見せるが、すぐに淡々と語り出す。

「そんな事は関係ないんです。だって、言う事をきいて、上手く出来れば褒めてもらえるんですよ。
 優しくしてくれるんですよ。それが、私とあの人を繋ぐ唯一の絆だから。だから…」

「そんなのは絆じゃないよ! それは単に悠花さんを縛るための鎖だよ!
 それに、絆なら恭ちゃんとの間にも出来たじゃない。
 それを、悠花さんは自分の手で断ち切ろうとしているんだよ。本当に良いの?」

「恭也さん……。でも、きっと恭也さんは、今まで私がやって来た事を知ったら、私を許さないと思います」

感情を抑え込んでいた悠花の言葉だったが、恭也の名を呼ぶ時だけは微かに暖かな感情が見える。
美由希は静かに首を振って悠花の言葉を否定する。

「そんな事はないよ。確かに鈍感で朴念仁で年寄りじみているけれど、恭ちゃんは優しいから。
 悠花さんが自分から好きでやったんじゃないって分かってるよ」

美由希の再三に渡る言葉にも悠花は頑なに拒否するように首を振る。
それでも美由希は根気よく続ける。
悠花を宗司から解き放ってあげたいという、ただそれだけの本気の気持ちをぶつけるために。

「もう自由になっても良いんですよ。
 あんな奴の言う事をきく必要はないんです。自分で考えて、自分で行動して、もっと自由に…」

「私は今までだって自由でしたよ」

「嘘です!」

「嘘なんかじゃありません。限られた中でなら、私は自由なんです」

悠花はまた感情のない顔と声で美由希を真っ直ぐに見詰める。
そんな悠花を悲しそうな目で見詰めつつ、美由希は苦しそうにゆっくりと深呼吸をする。
悠花から受けた傷から血が滲み出し、包帯代わりに縛った服の袖にゆっくりと赤い染みができ始める。
それでも、倒れる事無く二本の足で大地を踏みしめ、
美由希は真っ直ぐに自分を見詰めてくる悠花へと視線を逸らす事無くぶつける。

「私は鳥篭の中の鳥なんです。
 許される範囲でなら、自由に飛ぶことが出来る」

「それは本当に自由なの?」

「鳥篭の中の鳥は外の世界を知りません。
 だって、その鳥篭の中が世界の全てだから。
 だったら、それは自由と呼べるとは思わない?
 それしか知らなければ、外の世界に憧れる事もないのだから…」

「でも、あなたは、…悠花さんは外の世界を知ってしまった。
 ううん、知らない振りをしていたけれど気付かされてしまった。
 それでも、まだ籠の中にいるんですか。
 外の世界を知ったのなら、籠の中の自由が偽りだって分かるでしょう」

「それでも! それでも、私は籠の中で良いです」

初めて悠花が大声を上げた事に驚く美沙斗が見守る中、美由希は同じように声を張り上げる。

「嘘です!」

「嘘なんかじゃありません。」

「だったら…。だったら、どうしてそんなに悲しそうな顔を、目をしているんですか」

美由希の言う通り、悠花の瞳は悲しみに彩られており、その顔にもいつの間にか感情が浮かんでいた。

「悠花さんだって分かっているはずですよ。
 自分が外の世界に憧れを抱いているって」

「…籠の中の鳥は、外の世界を知って何を思うと思います。
 外の広さ、自由に憧れを抱くけれども、同時に未知なるものに対する恐怖も感じるんです。
 私は、この限られた小さな世界で満足なんです!
 だから、これ以上、私の心をかき乱さないでください!」

戦闘中に初めて感情を顕にする悠花に、逆に美由希は落ち着き払って返す。

「それって、結局は逃げてるだけじゃないですか。
 弱い自分から逃げて、ただ人の言う通りに…」

「それが悪いんですか! 私はあなたたちみたいに強くはないんです。
 強くなれないんです」

「私も強くはないよ。何度も挫けそうになるし、道を見失う事もある。
 でも、ゆっくりでも、例え立ち止まったとしても、私は自分の意思で自分の行く道を決める!
 それに、悠花さんだって本当はそうしたいんでしょう。
 でないと、心をかき乱さないでなんて言いませんよね。
 それはつまり、私たちの言葉に、行動に心が揺れているという事だから。
 今までの自分に疑問を抱いたって事だから…」

悠花はそれ以上は美由希の言葉を聞きたくないとばかりに首を振ると、
自身と美由希との間の何もない空間を斬り裂くように刀を走らせる。

「もう貴女と話すつもりはありません。
 次で決めます!」

静かにニ刀を構える悠花に対し、美由希も静かに右手で小太刀を構える。

「その束縛から今、私が開放してあげます!」

同時に神速へと入る二人を眺める美沙斗の後ろに新たな気配が生まれる。
殺気がない事から特に身構えることもなく、顔を向けることもなく声を掛ける。

「気が付いたのかい?」

「ああ、ついさっきね。にしても、警防隊の死神が殺さないとはね」

「時と場合によるよ。で、まだやるつもりかい?」

「いや…。今は悠花との勝負を見届ける方が大事だから」

「そう」

「あんたの娘なんだって。いい子だね、あの子は」

リノアの言葉に美沙斗は僅かな笑みを浮かべ、誇らしげに答える。

「ああ、勿論さ。私には過ぎたぐらいのね」

「フフ。悠花が戦闘の最中だというのに、あんなに感情を見せたのは初めてだよ。
 出来れば、それがあの子にとって良い方向へと転がることを祈るよ」

そう言うとリノアはここまで来るのに疲れたのか、その場に腰を降ろすと目の前の戦いへと目を向ける。
美沙斗も何も言わず、目の前で神速から抜け出た二人を見る。
余裕で美由希の刃を躱し反撃する悠花に対し、美由希の動きは鈍く、今度の交叉で左腕に新しい傷が出来る。
そんな美由希を更に追い詰めるように、悠花は神速へと入る。
それを追う事無く、美由希はその場に留まる。
既に神速へと入る力もないのか、美由希は迫る悠花へと静かに小太刀を構えて待つ。
まるで鉛のように重く感じる腕に力を込め、美由希は神速を使おうともがくが、身体がそれに応えようとはしない。

(お願い動いて! 祥子さんと守るために! 恭ちゃんが任せてくれた想いに応えるために!
 そして何よりも、目の前の無表情という仮面を被って、その内側で泣いている悠花さんのためにも!
 後一振り。一振りで良いから! 動け!)

美由希は懸命に腕に力を、脳へと神速へのスイッチを伝える。
そんな美由希に応えるかのように、周りの景色から色が消え落ちる。
音が消え、匂いが消え、悠花の動きを捉える。
震える膝に活を入れ、一歩を踏み出した瞬間、今まで色の落ちていた風景に一条の光が見える。
モノクロの世界でたった一つだけ、それも一際強く輝く光。
美由希は迷う事無く、まるで導かれるように無心でその光に沿うように、それを斬るかのように小太刀を走らせる。
自分が神速へと入っていないのを理解しつつ、遅く見える悠花の動きに余計な事を考える暇もなく、
美由希はただ全力でその一撃を放つ。
一瞬の交叉。倒れたのは…。

美由希が神速と呼んだ領域へと入って来れない事を確認すると、悠花は一気に美由希へと迫る。
あと少しという距離に迫り、悠花は美由希の心臓目掛けて切っ先を付きたてるように振るう。
と、美由希と刹那の瞬間目が合い、次の瞬間には美由希の姿を見失っていた。
気付いた時には、身体が痛み、視界には空が映り込んでくる。
それでようやく自分が倒れている事に気付くものの、起き上がることが出来なかった。
そんな悠花の頭元に美由希は座り込むと、疲れきった顔で覗き込んでくる。

「わ、私の勝ちですね…」

「……負けたの?」

呆然と呟く悠花の耳に、尤も聞きなれた声が届く。

「そうだよ。悠花、あんたは負けたんだ。そのお嬢ちゃんにね」

「……そう、ですか」

もっと何かあるかと思っていたが、実際には何の感情も湧いては来なかった。
それを特に不思議と思うこともなく、悠花はただ事実を確認するかのように、もう一度声に出して呟く。

「そっか…。私の負けなんだ」

不意に込み上げてくるものを隠すように、腕で目元を隠すと、堪えきれずに嗚咽を漏らす。

「これで、本当に何もなくなっちゃったな。
 負けた私をお父様はきっと捨てる…」

「…違うよ、悠花さん。悠花さんが捨てられるんじゃなくて、悠花さんが天羽宗司を捨てるんだよ」

「…私が」

「そうだよ。これからは、悠花さんは自由でいて良いんだよ」

「……突然、そんな事を言われても」

「戸惑うのは分かるけれど、ゆっくりで良いから考えてみよう。
 もう、不必要に怯える事も、泣く事もないんだよ」

「私は泣いてなんか…」

「ううん。泣いてたよ。悠花さんの心は今まで、ずっと泣いていた。嘆いていたよ。
 刃を交えた私には、それが分かるから。
 一人だと不安なら、私だって恭ちゃんだって居るから。力になれると思うから」

「悠花、私だってついているから」

悠花の傍に来たリノアがそっと悠花の手を握る。
その暖かさに思わずまた涙ぐみそうになり、悠花は慌てて袖で擦り、掠れた声を出す。

「でも、今までたくさんのものを壊してきた私が今更……」

「大丈夫。一つ壊したのなら、二つ守れば良いんです。
 二つ壊したのなら三つ…。
 壊した数以上に守ることが出来たのなら、きっと…」

「でも…」

「今はそんなに深く考えなくても良いよ。
 全てが終わってから、ゆっくりと皆で考えよう」

「…………うん。その、ありがとう美由希さん」

少し恥ずかしそうに呟かれた言葉に、美由希は満面の笑みで応えると、静かに地面に倒れる。

「美由希さん! …っ!」

倒れた美由希に慌てて起き上がろうとした悠花だったが、身体の痛みに再び横たわる。
そんな悠花を気遣いながら、リノアはそっと悠花の身体を支えて座らせる。
美由希の傍には美沙斗が座り込み、縛った袖を解き、服の裾を捲り上げる。
すぐさま止血を施し、自分の服の袖で包帯を作るとそれを巻いていく。

「大丈夫。綺麗な切り傷だから、逆にね。
 単に出血が多かったのと、疲れが出たんだろうね。
 何せ、初めて御神の奥義之極である閃を使ったんだから」

そう言って優しく美由希の髪を撫でる美沙斗の顔は、誇らしく、そして優しいものだった。
そんな二人の様子を少しだけ羨ましそうに眺める悠花の頭に、リノアがそっと手を置く。
驚きはしたものの、振り払わずに大人しくされるままにしながら、悠花はリノアへと微笑む。
その顔は、どこか清々しく、何かから解放されたようだった。
悠花の心からの笑みを見て、リノアは横たわる美由希へと深い感謝を捧げるのだった。





つづく




<あとがき>

という事で、二つの戦いには決着が。
美姫 「残るは海透と宗司のみ」
さて、すぐに続きを書かなければ!
美姫 「その調子よ! それじゃあ、今回はこの辺で」
また早いうちに次回で!
美姫 「それでは、ごきげんよう」







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