『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』
第75話 「帰宅」
後の処理を美沙斗の部下たちに任せると、恭也たちは小笠原邸へと戻る。
既に日にちが変わって数時間が経過しているが、まだ早朝と呼ぶのも早い時間帯のためか、車はすいすいと進む。
ワゴンを運転する美沙斗の部下は、バックミラー越しに後ろの座席に座る三人を何となしに見る。
流石に疲れたのか、美由希は眠っているようで、恭也の肩に美由希の頭が乗っていた。
恭也を挟んで美由希とは逆側に座る祥子も緊張の糸が解けたのか、
単に乗り物酔いが酷いので寝てしまうことにしたのかは分からないが、恭也の肩を枕にして静かな寝息を立てていた。
知らず、二人に肩を貸す形となっている恭也は俯き目を閉じて微動だにしない。
どうやら、恭也も疲れておりぐっすりと眠っているようだった。
そんな三人の後ろでは、悠花とリノアがこれまた眠っていた。
そんな五人を見遣りながら、まあ無理もないと考えつつ、あまり乱雑にならないように気を付けて運転をする。
ふと隣に座っている美沙斗を見れば、やはり彼女も瞳を閉じていた。
男はつけていたラジオを切り、夜の闇を走って行くのだった。
小笠原邸へと帰り着いた祥子たちは、門の前に止められた車から降りる。
「とりあえず、今日は休日だからゆっくりと休むといい。
恭也、昼頃には状況を知らせるから」
「はい。それで、彼女たちはどうなりますか」
「事情があったとは言え、今までやってきたことがことだからね。
リノアの方は、実質、龍相手だったからまだ良いんだけれど…」
そう言って美沙斗は車の中に居る悠花へと視線を飛ばす。
窓を開けてその会話を聞いていた悠花は僅かに顔を伏せるが、事実故に何も言わない。
それでも、美沙斗は続ける。
「ツインエッジといえば、裏では恐れられる程の存在だからね」
「でも、確かその正体は謎でしたよね。男か女かさえ分かっていなかった。
そして、それを知っているのは…」
「言いたい事は分かるけれどね。まあ、出来る限りの事はしてみるよ。
とりあえずは、ゆっくりと休むんだよ」
美沙斗の言葉に頷く恭也に、悠花とリノアが感謝するように頭を下げる。
その間に美沙斗は小笠原邸の周辺に居た者たちに幾つかの指示を与えると、助手席へと回り込む。
その反対側では、車の中と外で別れの挨拶が交わされる。
「恭也さん、美由希さん、本当にお世話になりました。
小笠原さんには、大変ご迷惑をお掛けしました。謝って済むことではないんですけれど…。
それでも、謝っておきたくて。本当にごめんなさい」
そう言って深々と頭を下げる悠花の隣で、リノアも同じように謝罪の言葉と共に頭を下げる。
そんな二人に祥子は慌てたように顔を上げるように言う。
「二人の事情は大体は聞きました。あ、細かいところまでは教えてもらっていませんけれど。
黒幕の人に騙されていたという程度ですけれど。
確かに、怖い目に合わされましたけれど、そちらのマーライトさんには逆に危ない所を助けられもしましたし、
その後は待遇もきちんとしてましたから、あなた方二人を個人的に恨んだりはしていません。
攫われたのは事実ですが、実際にあなた方と闘って傷付いたお二人が許している以上、
私も特に何か言うつもりはありません。
そんな事をしても恭也さんたちも喜ばないでしょうし。
ですから、この件はここで水に流しましょう」
そう言って笑う祥子に、悠花たちは再び頭を下げる。
今度は謝罪ではなく、感謝の意を込めて。
そんな二人の丁寧な態度に逆に居心地が悪くなったのか、祥子は少し怒ったような声をわざと作る。
「だから、顔を上げてくださいって言ってるのに」
祥子の言葉に、悠花とリノアは僅かに笑みを浮かべて顔を上げる。
そんな二人の顔を見て、祥子もまた微笑を浮かべる。
それにつられるように、三人の様子を少し後ろから見ていた二人の兄妹もまた、顔を見合わせて笑みを覗かせる。
守りたかったものを守れたという安堵と、それを今こうして確認できた事による喜びを乗せて。
全員がひとしきり言葉を交わすのを待って、車はゆっくりと出て行く。
それが見えなくなるまで門の前で見送った三人は、やがてゆっくりと家の中へと歩いて行く。
「お二人とも、今回は本当に怪我はしてませんね」
「ああ」
「はい」
家へと向かう途中で不意に祥子がそう切り出す。
それに頷く二人を暫くじっと見詰めた後、祥子は止まっていた足を再び動かせる。
「どうやら本当のようですから、信用します。
けれど、前の時のように黙っていたという事なら、覚悟してもらいますよ」
「……本当にこの件に関してだけは、信用がないようだな」
「ええ。前回の時に色々とお話を伺ってましたから」
「そ、それで、祥子さん。もし、嘘だった時の覚悟って…」
恭也の言葉にきっぱりと断言する祥子へと、嘘など吐いていないのに何故かびくびくしながら尋ねる美由希。
そんな美由希に祥子は極上の笑みを一つ返すと、
「勿論、フィリス先生に来て頂くに決まっているじゃないですか。
海鳴大学病院の電話番号は、瞳子ちゃんにでも聞けば分かるでしょうから」
そう言って笑みを深める祥子に対し、恭也と美由希は思わず身を震わせてしまう。
「本当に問題ない。まあ、小さな傷はあるが、今回は大きな傷や怪我はないからな」
「私も同じです。ただ単に疲労感が大きいってだけで」
「俺も同じだ。やはり、閃や滅神はそれだけ疲れると言う事か…」
「どうなんだろう。別に閃だけの所為でもないと思うけれど」
「まあな。どちらにせよ、ようやく奥義之極にまで辿り着いたんだ。
帰ったら、忘れないように鍛錬だな」
「うん。自分の意志でちゃんと出せるか試してみたいし」
「俺も同じだ。二回目は確かに自分の意志で出せたが、確実にものに出来たという実感がないからな」
既に鍛錬の事へと考えが行っている二人の会話を少し前を歩いて聞きながら、祥子は小さく苦笑を零す。
それと同時に、二人の主治医に少しだけ同情するのだった。
三人が家の中へと入ると、すぐに数人の使用人が駆けつけて来て、祥子の無事に胸を撫で下ろす。
そんな使用人たちに言葉を掛けると、祥子は部屋へと向かおうとする。
そこへ、使用人の一人が声を掛ける。
「祥子お嬢様、皆さんが広間の方でお待ちです」
「皆さんって、祐巳たちが!?」
「はい。お休み頂くように申し上げたのですが、
その、蓉子様が祥子お嬢様が戻ってくるまでは広間の方でお待ちになると仰られまして…」
「そう。それで、皆は起きているの?」
「つい先程までは皆さん起きてられましたが、今は疲れたのか眠ってらっしゃいます」
「分かったわ。私たちは広間へと行くから、あなた達はもう休みなさい。
あなたたちも休んでいないんでしょう」
「ありがとうございます」
祥子の言葉に頭を下げ、祥子が広間へと向かうのを見送る。
その後に続く恭也と美由希へと小声で、けれど気持ちの篭もった声でその使用人は告げる。
「本当にありがとうございました。使用人全員を代表して、改めてお礼を言わせて頂きます」
そう言って頭を下げるのに合わせ、その場にいた全員が揃って頭を下げる。
それに居心地の悪さを感じ、美由希は困ったように恭也を見る。
恭也も困ったような顔をしながら、口を開く。
「俺たちは、別に大した事をした訳ではないですし。
寧ろ、今回は俺の所為みたいなもんですから」
「それでも、お礼を言わせてください」
そう言う使用人に恭也は困った顔を向けたまま、
「感謝の気持ちは受け取りますから、顔を上げてください」
そう答える。
その言葉に従ったのか、使用人たちは一斉に顔を上げる。
と、自分の後ろに付いて来ていない恭也たちに気付いたのか、祥子が丁度振り返る。
「どうかしましたか、お二人とも」
「いや、何でもない」
「すぐに行きますから」
恭也と美由希は使用人たちに軽く頭を下げると、少し早足で祥子へと追いつき、三人は揃って広間へと歩き出す。
眠っている事を聞いていた祥子は、静かに広間の扉を開けて中へと入る。
ソファーに身を横たわらせて眠っているものや、座ったままの格好で眠っている者と様々だったが、
誰もがこの場に留まり、祥子の帰りを待っていた。
誰もが眠るように静かな空間の中にあって、たった一つだけ動く人影があった。
その人物は眠っている間にずれ落ちたりした毛布を掛け直していた手を止めると、静かに開いた扉へと顔を向ける。
様子を見に来た使用人かと思ったその人物が目にしたのは、さっきまで全員で帰りを待っていた人物で、
無事である事を必死で何百何千と祈っていた祥子だった。
その人影、蓉子は手にした毛布をそのままに祥子の下へと近づこうとしたが、それに気付いてそっと毛布を直す。
それから改めて祥子の元へと向かう。
「お帰りなさい、祥子。かなり門限を過ぎているわよ」
「ただいま帰りました、お姉さま」
微笑む蓉子の胸に飛び込むように祥子は蓉子の元へと向かう。
自分の胸に飛び込んできた祥子を優しく受け止めると、蓉子はそっとその背中を擦るように撫で上げ、
その耳にいつもと変わらない柔らかな声で話し掛ける。
「もう少し早ければ、祐巳ちゃんも起きてたんだけれどね。
流石に疲れたのか、ついさっき眠っちゃったわ。それでも、最後まで起きてたのよ。
聖なんか真っ先に寝ちゃったのに」
蓉子の言葉に祥子は苦笑を漏らしつつ蓉子から離れると、眠る祐巳の元へと行くと、目線を合わせるように膝を着く。
目元に僅かに残る涙の後にそっと指で触れつつ、その髪を愛しそうに撫でる。
その光景に見惚れるように、暫し美由希たちは声も出さずにただ入り口で突っ立ったままでいた。
そこへ蓉子がやって来て、この場の雰囲気を壊さないように小声で話し掛ける。
「ちょっと妬けちゃうけれど、綺麗な光景だと思わない」
「ああ」
「はい」
蓉子の言葉に短く返事を返す恭也の腕にそっと手を当て、続いて胸へと手を置いた蓉子はその瞳を見上げる。
「本当にありがとうね、恭也、美由希ちゃん。
あ、これは私が感謝して言いたいから言ってるんだからね。
だから、何も言わないで」
二人の口から出るであろう言葉を制するように先に蓉子がそう言う。
それに苦笑を漏らす二人を見遣りながら、蓉子はようやく恭也から手を離す。
「どうやら、今回は怪我を隠したりはしていないみたいね」
そう言って可笑しそうに笑う蓉子に、恭也と美由希は家の前で交わした祥子との会話を思い出し、
思わず揃って苦笑を浮かべることとなる。
蓉子はそれに不審そうな表情を見せる。
「どうかしたの?」
「いや、祥子にも同じようなことをな」
「そう。でも、仕方ないわよ。言ってみれば、自業自得って所じゃない?」
「容赦ないな」
「あら、これでも充分容赦してるわよ」
さらりとそう告げる蓉子に、恭也はただ肩を竦めて見せるのだった。
一方、祐巳の髪を優しく梳きながら、祥子は小さく囁く。
「ただいま、祐巳。たくさん心配させたみたいね。
本当にごめんなさい」
そう言って何度も優しく髪を撫でていると、祐巳の口から小さな寝言が飛び出る。
「…んんっ、お姉さま……」
起きたのかと思って祐巳の顔を見るが、その瞼はしっかりと閉じられており、それが寝言だと分かる。
祥子は優しい眼差しで祐巳を見詰めると、少しだけずり落ちた毛布を掛けなおし、再び祐巳の髪へと手を伸ばす。
と、その時祐巳の目が開き、祥子の目と合う。
祥子の手が髪へと触れた状態で動きを止める祥子に、祐巳はただ笑みを見せる。
「……お姉さま?」
まだ寝ぼけているのは明らかで、目の前の光景が夢かどうか分かっていない様子だった。
そんな祐巳へと、祥子は笑みを見せながらそっと優しく声を掛ける。
「ただいま、祐巳」
「えっ、え? えっと、夢……?」
まるで触ると目の前から消えてしまいそうな気になって恐々と差し出して来る祐巳の手を祥子はしっかりと取る。
確かに伝わってくる温もりと感触に、祐巳は徐々に意識を覚醒していく。
「ほ、本当にお姉さま?」
「ええ、そうよ」
静かに答える祥子の手を強く掴むと、祐巳は目に雫を溜める。
それを堪えるように数回肩を震わせると、祥子へと飛び付く。
「お姉さま! お姉さま、お姉さま」
「ええ。私はここに居るわよ。貴女のすぐ傍に」
何度も祥子と呼ぶ祐巳を安心させるように、自分はここに居ると教えるように、
祥子は祐巳の背中を、髪を何度も何度も撫でる。
その度に自分を呼ぶ祐巳に、返事を返しながら、祐巳が安心するまで、何度も何度でも。
そんな騒ぎに周囲も徐々に目を覚ましていき、祥子が居ることに安堵の息を漏らす。
皆、本当はすぐにでも祥子の元へと向かいたかったのかもしれないが、ここは祐巳に譲る。
ようやく祐巳が落ち着き出した頃、令が祥子の傍らに立つ。
「良かった、無事で。お帰り、祥子」
「ええ、ただいま」
「祥子の事だから、我侭ばっかり言って、向さんを困らせたんじゃないの?」
「相変わらず、失礼ですね」
聖の言葉に祥子も微かに笑みを見せて反論する。
そんな輪を少し離れた所から恭也たち三人は眺める。
「蓉子は行かなくても良いのか?」
「私は先に感動の対面をしたもの。
ここは、他の人たちに譲るわよ」
「そうか」
それっきり口を閉ざすと、三人はその光景を見守るように静かに見詰める。
ようやく再会を終えた祐巳たちは、入り口付近で立っている恭也たちにも気付く。
何かを言おうとする祐巳を制するように、恭也が先に口を開く。
「礼ならもう充分に貰いましたから」
「でも、感謝の気持ちはちゃんと言葉にしないといけないと思うんです。
だから、改めて恭也さん、美由希さんありがとうございます」
そう言って頭を下げる祐巳を優しく見ながら、恭也と美由希は頷く。
祐巳はゆっくりと顔を上げると、さっきまでの嬉しそうな顔を一転させて心配そうな顔になる。
「二人とも怪我とかは…」
「大丈夫ですよ。何処にも」
「同じくです」
「…本当ですか?」
祐巳にまで疑わしそうに見られ、恭也は複雑な顔を覗かせる。
事情を知る祥子と蓉子は笑いを堪えるように視線を二人から微妙にずらし、
美由希は完全に乾いた笑みを浮かべていた。
そんな美由希へと視線を飛ばすと、恭也は真剣な表情で尋ねる。
「俺はそんなに信用されていないのだろうか」
「蓉子さんも言ってたけれど、自業自得だよ恭ちゃん」
美由希の一言に何も言わずに沈黙する恭也を見て、美由希は心の中で小さくガッツポーズを取る。
それを感じ取ったのか、恭也は何か言いたそうな顔を見せるが、
祥子と蓉子を除く全員がじっと見ているのに気付き、苦笑を見せる。
「本当に何処も怪我はしてないって。いや、まあ小さな傷とかはあるけれど、大きなのはな。
それよりも、今日は流石に疲れたからな。そろそろ休ませてくれ。
皆も、さっきまで起きていたんだろう。だったら、これからしっかりと休まないと」
恭也の言葉に嘘がないかじっと見詰めた後、ようやく全員が了承したように頷く。
それを見て、つくづく信用がないなと思ったが、口には出さないでおく。
しかし、そんな胸中を察したのか、誰ともなく小さな笑みが零れる。
それに気付かない振りを決め込むと、恭也は自分にあてられた部屋へと戻る。
その後を追うように、美由希たちも広間を次々と出て行き、ようやく広間はこの時間本来の静けさを取り戻す。
各自部屋へと戻った後、やはり誰もが疲れていたのか、昼近くまで起きることなく、深い眠りへと落ちていた。
つづく
<あとがき>
という事で、無事に日常へ。
美姫 「いよいよ残すは後数話!」
えっ!?
美姫 「えっ、って何よ、えって。その予定じゃなかったの?」
あ、あははは〜。
まあ、確かに後数話だけどな。
後、1話か、2話か、3話か……。
美姫 「何話なのよ!」
まあ、その辺です。
美姫 「はっきりしないわね」
いや、もう既に決まっているんだぞ、本当だぞ。
ただ、それは秘密って事で。
美姫 「それだけの理由なの!?」
おう!
美姫 「って、威張るな!」
ぐげっ。
美姫 「ったく、さっさと仕上げなさいよ!」
りょ、了解っす……。
美姫 「と、そんなこんなで、また次回までごきげんよう」
ではでは。