『とらいあんぐるがみてる』



第20話 「動き始める……?」






放課後の薔薇の館へと向かう道すがら、祐巳はふと美影に似た人物を見たような気がして、
横手、奥にはただ木々が生い茂っているだけの暗がりに目を凝らす。
が、既にそこには誰の姿もなく、祐巳は見間違えたのかとそのまま薔薇の館に向かおうとして、
何となく後を追うように奥へと入っていく。
もし美影なら一緒に薔薇の館に行こうと誘い、違うのならそのまま引き返せばよいと考えて。
暫く進んですぐに美影を見つけるも、祐巳はそれ以上近付くのを止めてしまう。
と言うのも…

「お久しぶりです。それで、そちらの方は何か分かりましたか?」

誰かと話をしているからである。
だが、その人物は制服を着ていない。
かと言って教師という訳でもないようである。
明らかな部外者に対し、それを注意するべきか、でも待て。
今は話しをしている途中だから、声を掛けるのはまずいかも。
終わるまで待つべきだろうか。だったら、もう少し離れた方が良いだろうか。
盗み聞きをしたと思われたくはないし。
そんな事を考え込む祐巳の存在に美影もリスティも既に気付いており、
かと言って話を打ち切るわけにも行かず、声を潜めてリスティへと用件を尋ねる。

「前にきょ…美影が捕まえてくれたラブレターの持ち主を覚えてるかい?」

「ええ、覚えてますが。ですが、それは何も問題なかったのでは?」

「まあね。そのはずだったんだけど。彼に関してなんだが、
 実は前に違う女性に対するストーカーじみた行為で、警察にちょっと睨まれていた人物だったらしくてね」

リスティの言葉に美影は小さく息を呑むも続きを沈黙によって促す。

「あの後、色々と取調べをされたみたいなんだ。
 で、気になる証言が出てきて、僕の所に報告が来たんだ。
 もっと早く報告して欲しい所だけど、まあ仕方ないかな。
 彼らは僕の関わっている件について知らないみたいだしね。
 と、愚痴になってしまったね。いいかい、美影。
 彼の証言によると、彼があの思い切った行動に出たのは、それに賛同した人物がいたかららしい」

リスティは短くその証言とやらを口にする。
街で偶然見かけた祥子に一目惚れした彼は、
しかし、警察から厳重注意された事もあって始めは大人しくしていたらしい。
だが、毎朝同じ場所で偶然見かけるようになり――通学でほぼ同じ時間に祥子は家を出ているのだから当然だが――、
彼女ももしかしたら自分の事をと思うようになったらしい。
だが、それでも声を掛けたり後を付けるような事はしなかったらしい。
ただ、毎朝同じ時間に同じ場所を通るだけ。
始めはそれで満足していたが、次第に抑えきれなくなり、けれども警察沙汰は怖くて何も出来ずに居た。
そんなある日、偶々入った居酒屋で酔っている所を隣に座った男に話し掛けられ、
気が付けばその辺りの事を話していたらしい。
そんな彼に男は、その女性もきっと君が声を掛けてくれるのを待っていると唆したのだと。

「そう証言したみたいだよ。勿論、取調べの刑事はそんな言葉を信じてないみたいだったけれどね。
 だから、報告が遅れたのかもしれない。彼の証言通り、その店でかなり酔っていたのは確かみたいだよ。
 ただ相手の男の事は誰も覚えていないみたいでね。
 警察側は罪を軽くするために男が吐いた虚言だろうと考えている」

「そうですか。確かにそう取られても仕方ありませんね。
 ですが、そうじゃなかったら。その人の証言が本当だったとしたら…」

「そういうこと。多分、お嬢さんをどうこうするのが目的ではなく、
 脅迫状に対してこちらがどんな手を打ったのか、それの様子見という可能性もある。
 彼はそれに利用されただけ」

「ですね」

「どっちにしろ、断定出来るものは何もないんだけれどね。酔ってて本人の記憶もあやふや。
 お陰で覗いても嘘か本当か分からない。
 でも、もしその証言が本当だと仮定するなら、いや、僕らはその事態を想定しないといけない。
 だとすると、今回のこれは明らかにあの脅迫状がただの脅しや愉快犯の仕業じゃないという可能性が出てくる」

「向こうもあれで何か出来ると思ってはいないでしょうね。
 でも、何か起こっていたのなら、充分な脅しにはなってましたからね」

「ああ。ストーカーを焚きつけるぐらいは簡単に出来るってね。
 その上で、更に脅しを掛けるか」

ああ、嫌だ嫌だと肩を竦めるリスティに美影も同じ気持ちであるが、
それ以上に何の関係もないとまではいかないまでも、その矛先が孫である祥子に向かう事に憤りを感じる。

「まあ、そういった訳で更なる警戒をよろしくっていう注意と、
 思った以上に時間が掛かりそうだって事を知らせに来たんだ。
 電話だとこれを渡せないからね」

言ってリスティは美影の正面に立ち、祐巳からは見えない角度で数枚の紙を差し出す。
それを受け取りながら、美影はざっと目を通す。

「これは?」

「小笠原のプロジェクトを潰して得をする奴らのリスト。
 勿論、表の企業のみだけどね。裏まで洗い出すともっと時間が掛かる上に、そう簡単に割り出せないだろう。
 因みに、それでもかなり絞った方だよ。一定の資産やコネがないと裏と繋がらないからね」

それでもかなり細かい文字でびっしりと埋められた企業名に美影は呆れたように溜め息を吐く。

「こんなにですか」

「ああ、そんなにだよ。何処かが得すれば、その分何処かが損をする。
 まあ、ある意味当然だからね。ただ、普通はそれでプロジェクトそのものを中止させようとはしないだけさ。
 このリストにある企業の殆どがそうだよ。ただ、極一部のバカが常にそういう事を起こす」

「でも、これを私に渡されても困るんだけど?」

「勿論、洗い出しはこっちの仕事さ。
 美影には、この企業の息の掛かった連中がお嬢様に近付いたときに警戒して欲しいというのと、
 それとなく何か情報を引き出せないかと思ってね」

「そういう事。分かったわ。出来る限りは目を通して頭の中に入れておくわ。
 これのためにわざわざこんな所までありがとうございます」

「いや、礼を言われる事じゃないよ。半分はさっき言ったように美影からの情報を期待する部分もあるんだからね。
 それに、ここに来た一番の目的は、美影の様子見だったんだけど。
 しかし、完全に女性になりきってるね。身体的な特徴はさくら経由の薬だとしても、そこまで芝居が上手いとは。
 意外な才能の開花かな」

楽しそうに笑うリスティの言葉に、美影は少しだけ首を傾げるもようやく何を言いたいのか察する。

「別に演じている訳じゃないわ。ただ、段々と内側でもこっちが普通、当たり前になっているみたいなのよ。
 だから、殆ど違和感を感じなくなってしまっているわ。まあ、元に戻れば自己嫌悪に陥りそうだけれども」

言って小さく微笑む様は、リスティから見ても完全に女性、それもお嬢さまっぽかった。
思わず苦笑を返しつつ髪を掻くと、リスティは不安そうに美影を見遣る。

「元に戻れば、ちゃんと内側も戻るんだよね」

「さあ、どうかしら。でも、変身してこうなったのなら、ちゃんと戻るはずよ。
 そんなに気にしないで。これも私の為を思っての事だったんでしょう。ちゃんと分かってるから。
 それに感謝しているわ。
 あの薬がなかったり、後数日でも届くのが遅かったら、ひょっとしたらばれていた可能性があるもの」

「そ、そうかい。そう言ってもらえると……」

完全に女性として振舞う美影に何と返したら良いものかと悩みつつ、リスティは何とかそう口にする。
口にして、これで用件は終わりだと話を打ち切る。

「言うまでもないと思うけれど、基本的に外ではお互いにあまり接触はできないからね。
 電話で伝えれないような事があれば、またここに来る」

「分かりました。それじゃあ、そろそろお帰りになりますか?
 こちらの話が終わるのを、まだかまだかと待っている可愛いらしい猫ちゃんがいるもので」

話が終わるなり祐巳にも聞こえるぐらいの声を出す美影。
その声に驚き、祐巳はずっと沈んでいた自身の考えからようやく戻ってくる。
同時に美影の言葉に照れつつも、ばれていたと知ってバツが悪そうな顔になる。

「あ、あの美影さま。別に盗み聞き…」

「分かってるわよ。私かどうか確認しに来たら、見ず知らずの人と話していて、去るわけにも行かなかったのよね」

「あ、はい。でも、お二人の話は聞いてません、というか、聞こえませんでしたし」

「その辺は信用してるわよ。まあ、校内に部外者が居れば不審に思うのも仕方ないわね」

「部外者とは心外だな。一応、許可は貰ってるんだからね」

リスティの言葉に祐巳は慌てて頭を下げるも、そんな素直な反応にリスティは困ったように美影を見る。

「駄目ですよ、リスティさん。とっても純真で素直な子なんですから。
 普段、貴女が相手をしているような人たちとは違うんです」

「みたいだね。あー、良いよ。別に怒ってないから。
 そもそも、見ただけじゃ許可を得ているかどうかは分からないだろうしね」

「あ、はい。えっと、美影さまのご家族ですか」

リスティの言葉にほっと胸を撫で下ろし、安堵した瞬間に美影との関係が気になる祐巳。
それをそのままバカ正直に口にした自分の行為に、再び恥ずかしそうに俯いてしまう。
その行為を余計な詮索ではなく、本当につい聞いてしまったと分かったのか、リスティは笑いながら返す。

「まあ、家族といえば家族かな。
 美影のお兄さんの恋人だよ」

「リ、リスティさん、何を言ってるの!」

「あははは、冗談だよ、冗談。そんなに大声を出さなくても良いじゃないか」

そのやり取りを見て、祐巳は少し可笑しそうに笑う。

「美影さまって、お姉さまの仰ったように、本当にお兄ちゃん子ですね」

「いや、だからね、祐巳ちゃん」

「お兄さんに恋人が居ても良いじゃないですか」

「居ないわよ、そんな人。さっきのはリスティさんの冗談なの!
 うちの兄には恋人なんていません!」

美影の言葉にリスティも冗談だと認める。
美影としては間違いを指摘して正しただけなのだが、祐巳の目には違うように映ったのか、
照れているような怒っているような表情の美影を珍しそうに見ながら、その口元が緩んでいる。

「そんな様子じゃ、本当に恋人が出来たとしたら大変そうですね」

「あのね、祐巳ちゃん…」

疲れたように呟くも、何か言っても無駄だと美影は力なく肩を落とす。
落とすも、してやったりという顔を見せる祐巳を見て、美影はやられっ放しは性に合わないとばかりに反撃に出る。

「あんまりそんな事ばっかり言うようだと、祐巳ちゃんの大事な大事な祥子を取っちゃうわよ」

「と、取るって、ど、どうやってですか!?」

「んー、ずっと祥子の傍にいて、祐巳ちゃんを近づけないとか?
 後は、祥子との会話に祐巳ちゃんを入れてあげないとか」

「そ、そんなぁぁ」

勿論冗談なのだが、この世の終わりのような顔をして謝ってくる祐巳を見て、美影はこの冗談は失敗だったと悟る。
なので、すぐさま祐巳の髪を優しく触りながら、

「ごめんね。冗談だったのよ。でも、祐巳ちゃんにとってはそれぐらい大事な事だったわね。
 大丈夫よ、仮にそんな事を私がしようとしても、祥子の方が絶対に祐巳ちゃんを放っておかないわよ。
 祥子にとっても、祐巳ちゃんは大事な子なんだから」

「そ、そうでしょうか」

美影の言葉に一転して照れる表情を見せる祐巳に苦笑しつつ、額に掛かった髪をそっと掻き揚げてあげる。

「ええ、見ていれば分かるわ。勿論、祐巳ちゃんが祥子の事を想っているというのもね。
 なのに、あんな事を冗談とは言え口にしてしまうなんてね。本当にごめんなさいね」

もう一度謝罪の言葉を口にする美影に、逆に祐巳は申し訳なさそうになるもすぐに笑みを見せる。

「もう大丈夫ですから」

「そう、良かった。祐巳ちゃんに嫌われたら悲しいもの」

言って軽く祐巳に抱き付き、頭を数回軽く叩くように撫でる。
すぐに離れて乱れたタイを整えながら、美影は祐巳に笑みを見せる。

「それじゃあ、そろそろ薔薇の館に行きましょうか。皆、もう集まってるわね」

「あ、はい。あ、でも、リスティさんは」

「ああ、僕の事なら気にしないで。一人でも出れるからね。
 それに、まだちょっと職員室の方に用事があってね」

「そうなんですか。それでは、ここで。ごきげんよう」

「ああ」

頭を下げる祐巳に軽く手を振り返し、リスティは美影と一緒に去っていくその背中を見つめる。
実際には用事などなく、ここから立ち去るだけなのだが。
美影たちが完全に見えなくなると、リスティも小さく肩を竦めて歩き出す。
許可が出ているのは本当の事なのだ。ただし、正門から出るのではなく、裏門からだが。
裏門へと向かって出来るだけ人目に付かないように歩きながら、リスティはさっきまでの美影の言動を思い返す。

「もし、美影があのままで戻らなかったり、変な道に目覚めたりしたら、
 事件が無事に解決しても、海鳴に帰った僕は絶対に無事では済まないね。頼むよ、さくら」

自分から頼んだ事ながら今更ながらに不安に駆られ、ここには居ない依頼主へとそう一人ごちるのだった。
勿論、その言葉が今、その主に届く事はないのだが。





つづく




<あとがき>

ゼファーさんからの550万ヒットリクエスト〜!
美姫 「久しぶりの更新ね」
まあな。さて、ようやくそれらしく出来事が。
美姫 「このまま、まったりじゃなかったのね」
いや、このまままったりしたまま、リスティたちの活躍で解決かもしれないぞ。
美姫 「本当に?」
どうなるのかは、この先のお楽しみという事で。
美姫 「さてさて、これからどんな事が起こるのか」
次回をお待ちください。
美姫 「それじゃあ、また次回でね〜」
ではでは。







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