『とらいあんぐるがみてる』



第21話 「ありふれた日常」






祥子へと何気ない会話をしながら、リスティから貰った用紙に書かれていた企業について時折尋ねてみる。
さり気なく話の中に織り交ぜて、祥子へと話を伺うも、
今の所はそれらの企業の関係者が祥子に近付いていたという形跡はなかった。
美影が護衛に付いてからはそういった接触はなかった事からも考えて、
それ以前に接触をして居る者はいないようである。
尤も、祥子自身がパーティーなどに何度か出ている事もあり、そこで祥子の顔などを見て知っている者もいるだろう。
それ以前に、小笠原のお嬢さんである。その存在は公と言っても過言ではあるまい。
となれば、祥子の線から狙いを絞るのはまず無理であろう。
それに、祥子の顔を知っていたからといって、接触した事のある者とは限らないのだ。
そんなものは調べようと思えば調べられるのだから。
リスティもそれは分かっている。
だから、リスティが何か聞き出せないかというのは、これから接触してきた者に対してという意味合いが強いのだろう。
とは言え、祥子自身はあまりそういった場に顔を出す事もないみたいだが。
結局は、地道ながらもリスティたちに今まで通りに捜査を続けてもらうというのが一番確実だろう。
そう結論付けつつ、美影は渋面のまま手元に視線を落とす。

「……ふぅ」

疲れたように小さく吐息を零し、凝り固まった肩を解すように軽く動かし、次いで目を軽く擦る。
そんな美影の様子に気付いた祥子が、隣から可笑しそうに尋ねる。

「もう疲れたの?」

「ええ。こういった事は今までやった事がないんだもの」

「本当に初めてなのね」

「だから、何度もそう言ったじゃない」

少し拗ねたように頬を膨らませる美影の仕草に口元を緩めつつ、祥子は美影の手元を覗き込む。
そこには歪な形に刺繍された何かが。

「ちょっと、見ては駄目よ」

恥ずかしそうにそれを隠す美影に、祥子はさも可笑しそうに小さく笑う。
美影の珍しい年よりも幼い感じの仕草についといった感じで。
笑われた美影は美影で益々膨れてみせる。
そんな二人のじゃれ合いを、周囲の生徒が時折、羨ましそうに、または微笑ましそうに見ていた。
ここは縫工室で、今は家庭科の時間である。
やっている内容は、簡単に言えば刺繍である。
ついこの間の授業まではポーチやクッションなど、好きなものを作っていたらしいのだが、
それが終わり、息抜きみたいな感じで今は刺繍なのだそうだ。
その事を聞いた美影が胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
先週は調理実習だったため、裁縫の授業があるということを知らなかったのだ。
だが、刺繍とて美影にとっては始めての事で、慣れない針仕事に何度か指を刺していた。
で、いつの間にか事件の事を考えていたのである。

(思った以上に難しいわね)

再び針を手にハンカチに英字を作るために取り組む美影。
その隣では祥子が綺麗な手際ですっすと針を通していく。

「……祥子は上手よね」

「それは何度も練習したもの」

Mという文字を既に仕上げ、Tという文字も殆ど出来ている。
一方の美影は最初のSという文字ですらまだ出来ていないかった。

「本当に交換するの? 自分で縫ったものの方が、ずっと良い出来だと思うけれど」

「あら、それじゃあ面白くないじゃない。
 それに、美影が私の為に作ってくれたものなら、どんなものでも嬉しいわよ」

そう、互いに相手のイニシャルを縫っているのである。
とは言え、美影は初めからかなり苦戦しているが。

「間に合うかしら」

「あら、別にこれは提出する必要はないのだから、ゆっくりとしても良いのよ。
 出来上がるまで、私は楽しみに待ってるわ。それに、まだ授業時間はあるのだから」

祥子の言うように、まだ授業が始まってからそんなに経っていない。
なのに既に疲れきった顔を見せる美影であった。



どうにか出来上がったものを祥子へと渡す美影。
祥子も同様に完成させていたものを美影へと渡す。
祥子と自分のイニシャルを縫うので精一杯だった美影に対し、祥子のそれには美影イニシャルの横には黒い糸で、
自分のイニシャルの横には赤い糸で薔薇まで刺繍されていた。
見事な出来に美影は小さく感嘆の声を漏らし、とびっきりの笑みを向ける。
せめてものお礼にと。

「ありがとう、祥子」

「いいえ。こちらこそ、ありがとう美影。美影の初めて作ったものだもの。大事にするわね」

「私も大事にするわ」

二人に触発された訳ではないが、教室のあちこちで仲の良い者同士で交換している姿が見受けられ、
美影はそれらを微笑ましく見詰めていた。





  ◇ ◇ ◇





放課後、薔薇の館へと向かう祥子と美影。
そこへ令が合流して、三人揃って向かう途中、美影はふと足を止めて木の根元を見る。
足を止めた美影のその視線を追うように自然と祥子と令もその先へと視線を向け、そこに一匹の猫を見掛ける。

「迷い込んだのかしら? それにしては、まるで主のように堂々と寝ているわね」

「ああ、メリーさんだね」

「メリーさん? もしかして、学園で飼っている猫なの?」

「違うよ。呼び方は学年によって違うみたいだし。
 私たち二年の間ではそう呼ばれているだけで、お姉さまたちの学年ではゴロンタと呼ばれているはずだから」

令の説明に野良なのかと美影は小さく呟く。
その隣で祥子もメリーに付いて祐巳から聞いた話をする。

「確か、祐巳たち一年生の間ではランチと呼ばれていると聞いたわ。
 元々は白薔薇さまがお助けになられたみたいなのよ。
 以来、この学園でも見かけるようになって、いつの間にか皆から色々な名前で呼ばれるようになったみたいね」

「そうなんですか。お優しいんですね、白薔薇さま」

「確かに、お姉さまよりも劣りますが、色々と尊敬できる方ではありますね。
 ですが、悪戯好きというか、あの性格をもう少し何とかして欲しいわ」

さり気なく自分の姉を褒めつつも、聖の事をそう評価する祥子に美影と令は思わず小さく笑う。
それに気付いていないのか、祥子はやれやれと言わんばかりに額を軽く押さえて小さく首を振る。
と、不意に首を上げたメリーはとことことこちらへと近づいてくると、美影の足元に首を摺り寄せて小さく鳴く。

「珍しいわね。白薔薇さま以外の方にこんなに懐くなんて」

「よしよし」

祥子の言葉に令も同意するように頷く中、美影はスカートを折り畳み、屈み込むとメリーの喉を擦ったり、
その背中を優しく撫でてあげる。
大人しくされるがままに目を細めて喉を鳴らすメリーの態度に、益々二人は軽く驚く。

「何か、昔から動物には懐かれるみたいで。特に犬とか猫とかには」

言いながら優しい眼差しでメリーを眺め、メリーが満足するまで構ってやる。

「やっぱり動物とかには、優しい人ってのが分かるのかもね。
 だから、祥子は近付くだけで犬や猫が逃げていくんだね」

「あら、随分な言いようね令。どういった意味かしら?」

「ほら、そうやってすぐにカリカリするからだよ」

「これは貴女がさせているんではなくって?」

二人のやり取りに小さく笑いながら、美影は更に祥子をからかうように横から口を挟む。

「でも、可愛らしい子猫、うーん、猫というよりは子犬かしら?
 子犬ちゃんは祥子一筋じゃない。とっても可愛らしく懐いているわよね」

「ああ、祐巳ちゃんね。確かに、あの子は凄いよね。
 祥子の傍にいてその正体を知っているのに」

「正体って、流石に言いすぎじゃないかしら?
 それに祐巳が凄いのは当然じゃない。この私の妹なんですから」

妙に胸を張って妹を自慢する祥子に令は肩を竦めつつも笑みを浮かべる。
だが、令はすっかり忘れていた。祥子がやられっ放しで済ますような人物ではないと。

「令の所は簡単には懐いていないみたいだけれど、
 さっきの貴女の言葉を借りるのなら、貴女に問題があるのかしら?」

「あー、まあ、由乃は自己主張が激しいからね。でも、可愛い所だってちゃんとあるんだからね」

動物の話から妹の話へと変わっている二人を見遣りながら、美影は楽しそうに笑う。
どちらも姉バカねと。が、美影も失念していた。令が今さっき反撃を受けたばかりだというのに。
もしくは、自分には害が及ばないとでも思っていたのか。
祥子の標的がメリーを構いながら笑っている美影へと変わる。

「美影は犬や猫に懐かれるよりも、お兄さんに懐かれたり構われたりする方が嬉しいんでしょうね」

「な、何でそうなるの!?」

いきなりの口撃に、思わず上擦った声で、けれども本気で疑問に感じながらの言葉であったが、
祥子はわざとらしく惚けてみせる。

「どうしてかしらね。私よりも、美影自身の方が分かってるのではなくて?」

「だから、別に私はお兄ちゃんっ子って訳じゃないってば。ねえ、令さんからも何とか言ってよ」

「あー、ごめん。その件に関しては、話を聞いている限りでは味方できないかも」

「そんな」

情けない声を出す美影に祥子は満足したような顔を見せ、美影は最後にメリーをもう一撫でしてから立ち上がる。
名残惜しそうに去っていくメリーを見送りながら、拗ねたように髪の毛を弄りながら、

「もう、思ったよりも時間を取ってしまったわ。
 早く薔薇の館に行きましょう」

それはこの話を打ち切るという合図であると同時に、祥子たちには誤魔化すためとして映ってしまい、
更なる誤解が生まれるのだが、美影は気付いていない。
はいはいと苦笑しつつも歩き出す三人。と、令は励ますように、美影の肩に軽く手を置く。

「まあ別にお兄ちゃんっ子でも良いじゃない。仲が良いのはいい事よ」

「もう、まだ言う。令さんって、意外といじめっ子よね」

「そうじゃないって。私はただ純粋にそう思っただけだって」

「まあ、由乃ちゃんの事があるから、令さんも強く言えないという事は分かったわ。
 でも、確かにその通りよね。兄妹で仲が良いのはいい事よね」

美影としては当然のことを、そして、ここでの令や由乃、
祥子や祐巳といったスールたちを見て思った事をただ素直にそう口にする。
だが、それを聞いて二人が揃って小さな笑みを浮かべたのを見て、美影はまたしても懸命に弁解するのだった。



今までと同じように祥子たちとの日常を過ごしながら、
美影は頭の片隅で襲撃者たちが次はどんな手で来るのかと考えを巡らせる。
どんな手で来ようとも、このどこにでもある日常だけは壊させてはならないと。





つづく




<あとがき>

極・暇人さんからの570万ヒットリクエスト〜!
美姫 「おめでとうございます!」
リクエストありがとうございます。
美姫 「久しぶりの更新になったわね」
うぅ、確かに。とりあえず、前回は何かきな臭いものを感じさせたけれど。
美姫 「いきなり日常に戻ったわね」
ああ。インターバル?
美姫 「私に聞かないでよ」
ははは。冗談はさておき、とりあえずいきなり襲ってくるような事にはなりませんでした。
美影は今まで通りに学園生活を送りながら、襲撃者に対して警戒をする日々に。
美姫 「裏ではリスティたちが頑張ってるのよね」
まあな。さてさて、これからどうなっていくのか!?
美姫 「それはまた次回のお楽しみに〜」
という事で、今回はこの辺で。
美姫 「またね〜」
ではでは。







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