『とらいあんぐるがみてる』



第31話 「見えざる影」






敵の動きも未だ掴めない中、美影はいつものように祥子と行動を共にしていた。
午前の授業を終え、教室で昼食を取り終えた後、散歩という訳ではないが二人がぶらりと温室まで来ていた。

「ふぅ、ここは殆ど人も来ないし静かで落ち着くのよ」

ハンカチを下に敷き、その上に座って祥子は物憂げにそう漏らす。
その隣に同じようにして座り、美影は何となく祥子に元気がない理由に思い至る。
祥子の姉である蓉子の卒業が近づいてきている事が原因であろうと。
確か今日も蓉子は学校には来ないと言っていたはずで、美影は元気付けるように話しかける。
とは言え、蓉子の話をすれば意地を張ってでもそんな事はないと否定するだろうから、関係ない話を。

「そう言えば、ここの花をゆっくりと見た事はないわね」

「あら、美影は花に詳しいの?」

話し掛けると言うよりもぽつりと出た感じの言葉に祥子は反応を見せる。
それを横目で見ながら、祥子に関心を持たせることに成功した事を感じさせずに美影は続ける。

「私は詳しくはないわね。妹の一人が園芸が好きで家の庭に幾つか花があるぐらいよ。
 あ、でも流石にこれぐらいは分かるわよ。薔薇でしょう」

「ええ、そうよ。でも、薔薇にも色々と種類があるのよ。
 美影が今触れているのは、丁度私たちに冠せられたのと同じロサキネンシスよ」

「これがそうなのね。もっと赤いイメージだったけれど」

美影は感心した様子で触れていた薔薇を撫でるようにしてからそっと離す。
それを眺めながら、祥子は先程とは打って変わって穏やかな表情で小さく笑う。

「笑わなくても良いじゃない。どうせ、私は花を手にするよりも剣を手にしている方がお似合いですよ」

「ああ、ごめんなさい。別にそういった意味で笑ったんじゃないのよ。
 前に祐巳とも同じような事を話したのよ。その時の事を思い出したのよ」

「ふーん、そんなに穏やかな顔を見せるって事は、それだけじゃなくて何かあったのかしら?」

「さあ、それは私と祐巳との秘密よ」

「はいはい、ご馳走様」

祥子から憂いが消えたのを見て、美影は祥子を促して教室へと戻ることにする。
温室の扉へと向かう美影の背中へと向かい、祥子は付け加えるようにそっと言葉を投げる。

「美影にだって花は似合うわよ。だから安心しなさい」

一瞬何を言われたのか分からなかったが、先程の自分の言葉に対するものだと理解し、くるりと振り替えると、

「ありがとう、祥子。でも、やっぱり花は性に合わないわ。
 私は剣を持っている方が落ち着くもの」

「あら、それはお兄さんに教えて貰えるから?」

「またそうやって祥子はすぐに私をお兄ちゃん子にしたがる」

拗ねたような顔を見せ、再びくるりと回って祥子に背中を向けるとそのまま温室の扉に手を掛ける。
背中越しに祥子が少し足早に近づいてくるのを感じ取りながら扉を開け、一足先に温室から出る。
美影から少し遅れて出てきた祥子は笑いながら、

「したがるも何も事実じゃないの」

「はぁ、もう祥子なんて知らないわ」

言って歩き出す美影の横に並びながら、祥子は笑いながらも謝罪を口にする。
本気で美影が怒っている訳ではないと分かっているから、このやり取りを楽しいと感じる。
拗ねた振りをしながら、美影はそっと祥子の横顔を窺い、心の底から笑っているのを見て小さな笑みを零すのだった。



校舎へと戻る途中、美影はふと何かを感じて顔を上げる。
瞬間、視界の隅に何が光ったような気がして、同時に美影は祥子の腕を引き寄せて覆い被さるようにして地面に押し倒す。
直後、祥子の頭のあった位置を何かが通過して地面に穴を穿つ。
美影は祥子に覆い被さりながら顔だけを狙撃地点と思われる方に向ける。
いつでもその場を飛び退けるようにしながら暫く待つも、追撃は行われずようやく身体から力を抜く。

「はぁぁ」

思わずその唇からは安堵の吐息が零れるも、思考だけはずっと冷静に動かし続ける。

(それにしてもまさか学園内で狙撃とはね。これはちょっと予想外だったわ。
 どうやって侵入したのかしら。……内部で手引きした者がいる。いいえ、それはないわね。
 だとすると、まさかとは思うけれど、初めから潜伏していたとか。
 一度、学園関係者を洗い直してみる必要があるわね)

次に打つ手、祥子を守るための手段、それらを考えている美影の頭上から遠慮がちの声が聞こえて来る。

「み、美影、その……いつまで私の胸に、その……。
 ほら、お昼休みも終わりとは言え、全く人目がないと言い切れる訳ではないし。
 あ、べ、別に嫌って言っているんじゃないのよ。だ、だからって、そういう事をして欲しいという訳でもなくて」

珍しく混乱しているような声に顔を上げれば……。

「あっ、急に動かないで」

何故か顔を赤くしてこちらを見下ろしている祥子の顔が一部しか見えず、
代わりという訳ではないが、自分の右頬に感じるのは暖かくも柔らかい感触がする。
ようやくそれが祥子の胸であると気付き、美影は急いでそこから顔を上げ、
ようやく自分たちが地面に倒れている事も思い出す。
先程の美影の視点では祥子が自分の胸に美影を抱きしめて見下ろし、
それを美影が見上げているという構図にも見えるが、実際に傍から見れば、
美影が祥子を押し倒している図そのものである。
気付いて顔を赤くして急いで立ち上がると、祥子へと手を差し伸べる。
少し落ち着いたのか、祥子は自分が発した言葉に恥ずかしげにしながらも美影が気にしていないのを見て、
その手を掴んで引っ張り起こしてもらう。

「ごめんなさい、祥子。ちょっと躓いたみたいね。はぁ、祥子を巻き込んでしまうなんて」

「良いわよ、気にしなくても。でも、美影でも躓いたりするのね。
 そちらの方が少し驚きだわ」

「それはそれでどういう意味なのか、じっくりと聞き出したい所ね。
 でも、今は無理ね。早く戻らないと授業が始まっちゃうわ」

「そうね。それじゃあ、戻りましょか」

互いに少しだけまだ頬が赤いままではあったが、その事にはお互いに触れずに二人は教室へと戻るのであった。





  ◇ ◇ ◇





放課後、薔薇の館にやって来た美影と祥子であったが、既に来ている妹一年生たちの態度が少し可笑しいと気付く。
二人がやって来た時には普通に挨拶をしたのだが、その後どこか浮ついているようなイメージを受けるのだ。
美影もそれには気付いているのか、どこか居心地悪そうにしつつ祥子へと顔を近づけ、

「ねえ、祥子。祐巳ちゃんたちの様子おかしくない?」

「ええ、私もそう思うんだけれど……」

二人がこそこそ話をしているのを見て、祐巳たちも顔を見合わせて何やら複雑そうな顔を見せる。
それが最もあからさまなのが祐巳で、何か聞きたいけれど出来ないという顔で祥子や美影を見てくる。
対して志摩子はいつもとあまり変わらない態度を見せており、
由乃は何やら祐巳をけし掛けようとしているようにも見える。
祥子と美影は視線を交わし合うと、一番簡単な所から攻略する事にする。

「祐巳」

「は、はい! 何でしょうかお姉さま」

「ちょっとこちらに来なさい」

「え、えっと……。お茶ならもうお出ししましたよね。
 タイも多分曲がっていないと思いますけれど……」

「いいから来なさい」

「は、はい」

祥子に呼ばれて叱られるとでも思っているのか、祐巳は恐る恐るといった感じで祥子の隣に腰を下ろし、
その後ろに美影がすっといつの間にか立ち、祐巳の肩に手を置いて逃げられないようにする。

「え、えっと美影さま?」

ゆっくりと振り返り美影を見上げるも、美影はただ無言で微笑み返してくるだけで何も言わない。
その無言の笑顔に何故か祐巳は引き攣ったような笑みを浮かべ、続けて祥子へと視線を向ける。
そこにはやはり無言で微笑む祥子が。

「な、何か御用でしょうか」

「あら、何かあるのは祐巳の方じゃないの?」

「わ、私がですか」

「ええ。さっきから私や祥子の事を何度も見ていたじゃない。
 しかも、何か言いたそうにしてたわよ。もしくは、何か聞きたいのかしら?」

「い、いえ、別に何も……」

尻すぼみになっていく祐巳の対面では、由乃が今だ行け、みたいな合図を送るも、
祥子と美影が見る頃には何でもない風を装っている。
そんな友人に恨めしげな視線を投げるも、当の由乃は知らん顔をし、美影や祥子からは無言で迫られる。

「う、うぅぅ。じ、実は変な噂を聞いたんです。それが気になって」

「噂?」

「それはどんな噂なの、祐巳ちゃん」

首を傾げる祥子に美影も心当たりがないと祐巳にその噂の内容を尋ねる。
二人から促され、祐巳はゆっくりと話し始める。

「えっと、昼休みに二人が人目もはばからずに抱き合っていたって。
 そ、その一説には美影さまがお姉さまを、そ、そのお、押し、押した……」

「もう良いわ。大体分かったから。
 はぁ、まさかあの時の出来事を目撃している人が居たなんてね」

まるで頭が痛いと言わんばかりに額に手を当てて渋面になる祥子と苦笑しながら祥子に謝る美影。
そんな二人の様子に由乃がとうとう我慢できなくなったのか、

「それで真相はどうなんですか?」

少し期待するように身を乗り出して聞いてくる由乃に二人は揃って溜め息を吐き、
祐巳は乾いた笑みを浮かべ、志摩子はそんな由乃を嗜める。
その後、祥子が昼休みの件を説明すれば、由乃は興味を無くしたように肩を竦める。

「なぁーんだ。やっぱりそんな事だったんですね」

「やっぱりって、散々色々と想像してたくせに」

「祐巳さん、何か言った?」

「ううん、何にも」

祐巳と由乃、両方の言った言葉が聞こえていた志摩子は小さく笑みを零すも何も言わず、
噂に関してどうするか相談する二人の上級生に新しいお茶を淹れて差し出す。

「祥子さまも美影さまも大変ですね」

「ええ、本当に」

「とは言え、噂なんて当人たちが否定して周ったところで下手をすれば逆効果になるしね。
 気にしないで放置するのが一番じゃない、祥子」

「そうね、美影の言うとおりだわ。聞かれたら説明してあげるけれど、それ以外はもう放っておくしかないわね」

何となくそれでこの話はお仕舞いという空気が流れ、祐巳たちもそれぞれいつもの席でおしゃべりをしていると、
不意に扉の向こうから階段を登ってくる足音が聞こえてくる。
少し古びた階段で静かに登ってもみしみしと鳴る事はあるが、今来こて来る足音はドシドシという表現がぴったりである。
その足音の大きさに、由乃が噂を聞いた令が慌ててやって来たのよ、きっとと告げる。
果たして、数秒後にはその推論と言うよりも断定した言葉通り、
文字通りに飛び込んできた令が挨拶もそこそこに祥子と美影を見つけると傍まで近づき、
誰かから聞いたのであろう噂の真相を祥子たちに尋ねる横で、由乃は胸を張ってみせる。

「凄いね、由乃さん」

「まあね、令ちゃんの事なんてお見通しよ」

そう言うと由乃は令の腕を取り、

「もう落ち着きなよ令ちゃん」

「由乃、ここでは令ちゃんじゃなくて……」

「はいはい、お姉さま。それよりも、そんな噂を真に受けるなんてどうかしてるわよ。
 いい、真相はね……」

まるで由乃は自分は知っていたみたいな口振りで真相を説明する。
その上で、まるで鬼の首を取ったみたいに最後に付け加える事は忘れない。

「まったく祥子さまの親友だって言うのなら、信じてあげないといけないんじゃないの?
 ああ、祥子さま可哀相」

「あのね、由乃。信じる信じないとかじゃなくて、私は真相を聞こうと思って……」

令が何か言おうとするも、由乃は聞く耳持たずにただ可哀相、可哀相と連呼する。
完全に令をからかって楽しんでいる事は誰にも分かる事であった。
これまたいつもの事と小さく嘆息すると、令は祐巳にこっそりと耳打ちする。

「あんな事を言っているけれど、祥子から話を聞くまで由乃が一番、色んな想像をしていたんじゃない?
 しかも、それを推理するみたいな口調で楽しそうに祐巳ちゃんたちに語ったりしなかった?」

そう尋ねてくる令に祐巳は正直にその通りとしか言えず、それを聞いた令はやっぱりと苦笑を見せる。
だが、それを由乃に告げたりせず、未だに楽しそうに自分をからかう由乃をしょうがないなという顔で見詰める。
そんな令と由乃を見比べながら、祐巳は心の中でそっと呟く。

(由乃さん、由乃さんが令さまの事を分かっているように、令さまも由乃さんの事をよく分かってらっしゃるよ)

そんな祐巳の心の声など当然聞こえるはずもなく、由乃は飽きるまで散々令をからかうのであった。
その後、同じく噂を聞いた聖と江利子が、こちらは二人とも楽しそうにやって来るも、
真相を聞いて聖はやっぱりそんな事かと笑い飛ばし、江利子は真剣に面白くないと不貞腐れる場面が見られる事となる。
ある意味、平和な薔薇の館にあって、美影は笑いながらも今回の件に関して色々と考え込んでいたであった。





つづく




<あとがき>

ようやく直接動き出したか。
美姫 「また組織とは関係ないとか、依頼されたとかだったりね」
さてさて、それはどっちかな〜。
ともあれ、学園内部にまでその手が伸びてきたという事には変わりないしな。
美姫 「ようやく事態が動くのね」
果たしてどうかな。
美姫 「何はともあれ、また次回でお会いしましょう」
ではでは。







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