『とらいあんぐるがみてる』



第32話 「動き出す者」






変な噂が流れたのが昨日のこと。
それなのにと美影は頭を抱え、目の前でもじもじと照れた表情を見せる下級生を眺める。
知らず零れそうになる溜め息を飲み込み、美影はゆっくりと口を開く。

「ごめんなさい」

途端泣きそうな顔を見せる名も知らない女子生徒に良心を刺激されつつも、美影はそこで止める事なく続ける。

「まだ転入したばかりで、この学園のスール制度というのはよく分からないのよ」

「そういう事ではないんです。スールとかじゃなくて、お姉さまをお慕いしているんです。
 やっぱり祥子さまと」

「だから、それも含めて全部誤解なのよ」

朝から数えて何度目かになる説明を繰り返す美影の顔には若干だか疲れが見え隠れしていた。
美影の説明で納得してくれたのかどうかは分からないが、ようやく引き下がった下級生を見送り、
踵を返すと物陰で隠れて待っていた祥子の元にやって来る。

「お疲れさま、美影」

「ええ、本当に。祥子も悪いわね、付き合わせたりして」

「仕方ないわよ。美影の説明だけで納得してくれないのなら、私からも説明をした方が良いでしょうしね」

そういう口実で祥子に待ち合わせ場所の近くまで付き添ってもらっている美影は、
ようやく安堵するように肺の空気を吐き出す。

「何で、同じ噂の的なのに私ばっかり……」

「それだけ美影が魅力的に映っているって事でしょう。喜びなさい、とは言い辛いけれどね、流石に。
 まあ、美影がお兄ちゃん子だと知っている人は流石に参加していないでしょうから、まだましなんじゃないの」

「またそういう事を。……そうね、祥子に同じように迫ったら、何を言われるか分からないものね。
 それこそ、小言を延々と聞かされる事になるものね。だから、皆私の所に来るんだわ。
 つまり、祥子が普段から厳しい所為で私が苦労するのね」

疲れた表情で祥子の言葉を聞いていた美影であったが、ふと思いついてここぞとばかりに反撃をする。
美影の言葉に声を荒げる事こそしないが、祥子は睨むように美影を見遣る。
その視線は如実にどういう意味かしらと言う重圧を掛けてきているのだが、
美影は気付かない顔をしてさらりと受け流すと、これみよがしに肩をトントンと叩いて見せる。
だが祥子の方も慣れたもので、さっさと背中を向けると校舎へと歩き出す。

「ほら、馬鹿な事ばかりしていないで、さっさと教室に戻りましょう。
 すぐに授業が始まるわよ」

「はいはい、分かったわよ。最近、祥子が私に対して冷たいわ。
 愛が冷めてしまったのね。ああ、何て悲しいのかしら」

「全く何を言ってるのよ。そんな事ばっかり言ってると、またあらぬ誤解をされるでしょう」

軽くあしらうも、その顔は僅かに紅潮しており、誤魔化すように足早になる。
その後を慌てて追いながら、美影は視線を感じて横を見る。
そこには花壇の世話をしているシスターがおり、美影の視線に気付くと頭を下げてくる。
それに頭を下げ返し、美影は自分でも分かるほど過敏になり過ぎているなと自省するのだった。



その後も休み時間のたびに美影は祥子と一緒に教室を出て行き、昼休みに入ってもそれは変わらなかった。
そんな調子で放課後になる頃には、すっかり精神的に疲れていた。

「美影、大丈夫?」

「ええ、何とか。誤解を解いているだけなのに、悲しい顔をされるから流石に堪えたわ。
 とは言え、これで手紙の呼び出しには全部応えたから、もう大丈夫ね」

疲れつつも肩の荷が下りたと言わんばかりに爽やかな笑みを浮かべる。
本当にお疲れ様とその肩を軽く叩くと、祥子は美影を促す。

「私はこれから薔薇の館だけれど、美影はどうするの?
 疲れているようだし、先に帰っても良いわよ」

「別に良いわよ。疲れていると言っても、言うほどでもないもの。
 それよりも早く行きましょう」

祥子を促し、美影は薔薇の館へと向かう。
位置的に薔薇の館の中に居れば、狙撃の心配はまずないと言える。
絶対ではないが、ほぼ大丈夫であろうと美影は考えている。
だからこそ、移動中にこそ警戒を強める。
だが今日は襲ってくる気はないのか、怪しい気配を感じる事なく薔薇の館へと到着する。
そのまま中へと入ろうとして、こちらへと近づいてくる人影にさりげなく祥子を後ろにして振り返れば、

「高町美影さんですね。ちょっとお時間よろしいですか?」

シスターがそう言って声を掛けて来た。

「どういったご用件でしょうか?」

「実はちょっとお話がありまして」

言って祥子の方へと視線を向ける。
祥子は気を利かせ、先に薔薇の館へと言っているわと告げる。
少し逡巡した後、美影は祥子が薔薇の館に入ったのを確認してからシスターへと向き直る。

「ここでは何ですので、こちらへどうぞ」

シスターに先導され、中庭にある木々の間を縫い、人気のない場所へと連れて行かれる。
美影はその後ろを黙って付いて行きながら、何処かで見た事があるなと斜め後ろからシスターの顔を窺い、
それが今日の休み時間にあった花壇の世話をしていたシスターだと気付く。
呼び出される理由として思い浮かぶのは、やはりあの噂の事だろうと。
かなり奥まった所でようやくシスターは足を止め、振り返ると着いてきていた美影に柔らかな笑みを浮かべる。

「小笠原さんも一緒でも良かったのですが、こういうのは一人一人に話を聞いた方が良いかと思いまして。
 本来なら講堂などでお話を窺うのですが、あそこは人が居ますから」

胸の前で手を合わせ、何処までも穏やかな口調で告げてくる。
美影が何かを言おうと口を開くよりも先に、シスターは更に言葉を紡ぐ。

「少し高町さんに噂の事をお聞きしたかったのです」

「やはりそうですか。シスター」

「マリィ。シスター・マリィです」

まだ若い、20代前半にも見えるマリィはそう言って変わらぬ笑みを見せる。
そのマリィへと美影は噂が誤解であることを告げる。
黙って聞いていたマリィは、美影が話を終えると少しだけ美影との距離を詰める。
まるで罪人の言葉に虚偽がないかどうかを確かめるように、美影の目を真っ直ぐに見据えて。

「つまり、高町さんと小笠原さんはそういう関係ではないのですね」

「ええ」

「それは良かったです」

マリィの言葉に美影も誤解が解けたと胸を撫で下ろした所へ、マリィが美影へと更に近づきその手をそっと取る。
美影の右手を両手で包み込むようにして胸の前に抱き、マリィは美影を見上げる。

「高町さん、いえ美影さん。小笠原さんとは何でもないのでしたら、私のものになりませんか?」

先程まで浮かべていたのと全く変わらない、慈悲深い笑みを湛えたまま告げられた内容に、美影の思考が一瞬止まる。
その間にもマリィは美影の手を愛しそうに撫で回し、気付けば指と指を絡めている。

「前にも美影さんはそのような噂が上りましたよね。
 あの後、すぐにお兄ちゃん子だという噂に変わりましたけれど。私には分かっていますよ。
 あなたは男性には興味がないという事を」

最後の部分に関しては確かにその通りではあるのだが、その点に関しては非常にややこしく、
且つ複雑でもないが、当人にとっては複雑な事情があるのだ。
とは言え、そのような説明を出来るはずもなく、咄嗟に否定の言葉も出てこず沈黙を返す結果となる。
それをどう受け止めたのか、マリィはいつの間にか片手を美影の腰へと伸ばしていて、顔を更に近づけてくる。

「シスターという身でありながら、このような事を口にするのをお許しください。
 ですが、あなたがいけないんですよ。あなたが私を狂わせるんです。
 本当は駄目だと分かっているのです。けれど、もう自分を抑えるなんて無理なの」

「えっと、ここに呼び出したのは噂の真偽を確認するためなのでは?」

生徒指導に呼ばれたようなものだと思っていた美影であったが、どうやら個人的な事情が見え隠れ、
どこからはっきりと公言してくるマリィに思わず後ろに下がりながら尋ねる。
だが、腰に手が回されているので美影が下がった分だけマリィが前へと出てきて、二人の距離は変わらない。

「ええ、その通りです。そして、その真偽は確認できました。
 あなたと小笠原さんはただの友達だと」

「えっと、出来れば女性が好きだという噂に関しても理解して欲しいのですが……」

「しましたよ。だからこそ、こうして……」

マリィの手が腰から背中へと伸び、思わず美影は身を震わせる。助けを呼ぼうにも周囲に人の気配は全くせず、
かと言って、力任せもと悩んでいる内に背中を登って来た手がうなじをなぞる。

「皆には今まで通りに秘密にしていれば良いの。私とあなたは同じなんだから、私の前では正直になって良いのよ。
 他に誰か好きな人がいるのでもないのでしょう。なら、良いでしょう。
 大丈夫、怖がらなくても良いのよ。ふふふふ、本当に綺麗な肌ね。
 ほら、力を抜いて私に全てを任せれば大丈夫だから。すぐに私なしじゃいられない様にしてあげるわ、美影」

いつの間にか敬称すらなく名前を呼び捨てながら、
うなじから頬、頬から顎へと指先を滑らせ、そっと頤を持ち上げると顔を更に近づけてくるマリィ。
気付けば、握られていた手はいつの間にか解放されており、その手は美影の背中へと回っていた。
ここに来て遠慮している間などなく、美影は自由になった両手でマリィを押しのける。
少し強すぎたのか、突き飛ばされて尻餅を着くと、マリィは呆然と美影を見上げてくる。

「ごめんなさい」

こちらに非はないのだが、何となく罪悪感を覚えて謝罪の言葉を口にすると脱兎の如くその場を後にする。
その背中を見送った後、マリィは妖艶な笑みを見せて舌で唇を舐める。

「あらあら、あんなに恥ずかしがっちゃって。ふふふ、今回はちょっと焦り過ぎたわね。
 でも、その羞恥に染まる表情もまた素敵だわ、美影。次はもっと楽しませてね」

恍惚とした表情で美影の去って行った方を眺めながら、
マリィはゆっくりと立ち上がると美影の顔を何度も何度も思い返すのだった。



中庭の木々を走り抜け、ようやく美影は速度を落とす。
気配で追って来ていないと分かってはいたが、思わず振り返って確認してしまう。
マリィの姿がない事に安堵の吐息を零し、間違いなく赤くなっているであろう顔を手で扇いで冷ます。
流石にこれは何があったのかと聞かれて言えるような事ではなく、美影はそこで暫し時間を潰す事となる。
ようやく大丈夫だろうと思えるようになり、美影が薔薇の館へと顔を出すと心配した祥子が話し掛けてくる。
それを噂の件で呼び出され、誤解も解けたと誤魔化す。
実際にその件で呼び出され、誤解を解いたのは確かなのだが。その後がちょっと普通ではなかっただけで。
時間を置いて冷静になれた所為か、美影の方に可笑しな様子もなく祥子もすんなりとその言葉を信じる。
その事に胸を撫で下ろしつつ、今日の事は忘れようと強く思う美影であった。
ただし、この一件により、シスター・マリィを最注意人物の一人として、その名を記憶へと刻まなければならなかったが。





つづく




<あとがき>

組織が動き出したはずが。
美姫 「何か違うものが動いているわよ」
いやー、美影も災難だったな。
美姫 「危険人物としてピックアップされたわね、シスター」
いやいや、でもこれを知れば、マリィは喜ぶかもしれないぞ。
美影の記憶に刻まれたと言って。
美姫 「さて、前回の狙撃からワンクッション置いたわね」
ああ。再び日常へと。
けれど、その裏ではリスティが大忙しなんだな、これが。
美姫 「その様子は次回で出るのかしら」
軽く流す程度かも……。
美姫 「何はともあれ、次回をお待ちください」
ではでは。







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