『とらいあんぐるがみてる』



第39話 「終わる日常」






午前の授業が全てつつがなく終了し、美影はマリィと会うために席を立つ。
それを祥子が呼び止める。

「美影、どこにいくつもりなの?」

流石に美影から事情を聞いた今となっては、美影が離れると不安に思う所があるか、表情に僅かにそれを見せる。
そんな祥子を安心させるように小さく微笑むと、

「少し用事があって遅くなるから、先に食べてて良いわよ」

そう言って教室を出ようとする。
思わず手を伸ばし、美影の服の裾を掴んでしまい、祥子はばつが悪そうな顔を見せる。
もう一度安心させるように、今度はその手をそっと握り、机の上にそっと置く。
その上から自身の手を重ねたまま、美影は祥子の髪をそっと掻き上げて耳元に唇を寄せる。

「ちょっとする事があるの。大丈夫、教室内、それも教室の真ん中にある祥子の席なら比較的安全だから。
 窓際に近寄らない事と、誰に呼ばれても教室から出ないこと。この二つを守ってて。
 すぐに戻ってくるから」

連れて行くかどうか悩んだが、二度の襲撃は共に人気の少ない場所、それも狙撃という手段であった。
だからと言って三度目もそうだとは言えないし、マリィ意外にも襲撃者がいる可能性がないとも言えないのだ。
それらを考慮した上で、やはり教室内にいた方が安全であろうと判断したのである。
まさか、人目の多い場所で攫ったり危害を加えたりは、まだしないだろうと。
それでも護衛対象から離れるのは問題があるのだが。
美影の行動にどぎまぎしつつ、その言葉に少しばかり安心すると強張っていた体から何とか力を抜く。
そんな祥子の頭を優しく撫でると、美影は教室を後にする。
残された祥子は仕方ないとばかりに弁当を取り出すも、いつの間にか教室中の視線を集めていた事に気付き、
少しばかり頬を染めて居心地の悪い中、弁当の包みを開くのだった。





  ◇ ◇ ◇





講堂へと足を踏み入れた美影を待っていたのは、当然ながら手紙で呼び出したマリィその人である。
彼女は美影が中へと入ってきたのを背中で感じ、ゆっくりと講堂の入り口へと振り返る。
講堂の入り口と奥、正反対の位置で静かに対峙する二人。
だが、沈黙は長く続く事はなく、マリィから先に口を開く。

「美影、貴女は何者なのかしら」

不思議そうに問い掛けながら、何処か楽しそうにさえ聞こえてくる口調でマリィはゆっくりと前に進む。
対して美影は無言のままその場を動くこともせず、ただマリィを見詰め返すのみ。
だが、構わずマリィは言葉を紡いでいく。愛しそうな眼差しにも、やはり何処か楽しげな色を見え隠れさせながら。

「高町美影という人物を昨日一日かけて調査したけれど、該当する人物は居なかったわ。
 でも、貴女は目の前にこうして存在している。どういう事かしらね。
 それに、あの時のあの動き。まるで、初めから分かっていたかのように躊躇いもなく飛びついたわね」

一人語るマリィの言葉に耳を傾けていた美影であったが、不意に出た言葉に僅かばかり目を細める。
丁度、マリィの方も言いたい事に一区切りついたのか、僅かな間が開く。
そこへ美影はここに来てようやく言葉を発する。

「あの時と言うのは、いつの事でしょうか」

「……そうね。今にして思えば、最初の時も不審点はあるかもしれないわね。
 でも、ここで話題にしているのは一昨日、土曜日の放課後の事よ」

「放課後、ですか」

慎重に相手から確証を得られるような言葉を導き出そうとする美影に対し、マリィは大した事でもないとばかりに、
まるで散歩に誘うような気楽な口調であっさりとそれを口にする。

「小笠原祥子が狙撃された時の事よ」

発せられた口調は軽く、けれどもその身に纏う雰囲気だけががらりと変わる。
細められた目付きは鋭く、美影の手足をしっかり捉えて不審な動きを見張り、
何か起これば即座に対応できるように自然体でありながら、重心だけを僅かに落とす。
それは美影にしても同様で、互いに目で牽制するよう相手の挙動に注意を払う。
二人の間の空気がはっきりと分かる程に張り詰めていく。
その中でも、マリィのつり上げられた唇だけはどこか楽しさを含んでおり、ちらりと真っ赤な舌を覗かせて、
ゆっくりと唇を舐める。獲物を前にした喜びを現すかのように。

「……ファース」

「へぇ、もうそこまで掴んでいるのね。だとすると、あなた個人だけが動いている訳じゃないという事かしら」

「さあ、どうでしょうか。それより、あなたはシスター・マリィではないというのは間違いないみたいですね」

「そんな所まで調べ終えているなんてね。正解よ。私の名前はアニィ。
 そうね、美影には本名で呼んでもらいたいわね。
 尤も、仕事が終わって二人きりになった時には、お姉さまとでも呼んでもらおうかしら」

鋭く見据えてくる瞳に妖艶な輝きが一瞬灯る。
その視線に思わず背筋に悪寒が走るも堪え、美影は無言で睨み返すだけである。
だが、その反応もまたマリィ、いや、アニィには堪らないものなのか、
ぞくぞくするような視線で美影の全身を舐めるように眺める。

「初めはつまらない仕事だと思ってたのよ。
 でも、勝気そうなお嬢様が泣いて命乞いをするまで甚振るのも嫌いじゃないからね。
 それはそれで良いかって感じだったんだけれど。
 ふふふ、美影、貴女に会えた今となっては、この仕事に感謝してるわ。
 依頼人にも、この仕事を私に割り振ってくれた上司にもね」

恍惚とした表情を見せつつも、隙を見せる事無くアニィは視線だけで美影をなぞる。
鳥肌が立つ思いを堪えつつ、美影はアニィの喋るがままに任せる。
このまま調子に乗って依頼人の名前でも言ってくれれば、そこまでいかなくても、
何か手掛かりらしきものでも漏らしてくれれば儲けものだとばかりに。
ただ沈黙を続ける美影をどう思ったのかは知らないが、アニィは更に話を続けていく。

「ふふふ、まさか貴女がボディーガードみたいな事をしているとは流石に驚いたけれど……。
 でも、どうでも良いわ。だって、貴女が男を愛せないというのは嘘じゃないでしょう。
 勿論、私が貴女に入れ込むのはそれだけじゃないわ。だって、それぐらいなら男を忘れさせれば良いだけだもの。
 その美しい髪、細い首、全てが私の求めていた通りなのだもの。
 控え目だと思っていた性格は、意外と強気みたいだけれどね。それぐらい気にはならないわ。
 どうせすぐに私に従順になるように躾けてあげるから。さあ、美影、私と一緒に行きましょう。
 さっさと仕事を終わらせて、たっぷりと可愛がってあげる」

悪寒に耐えて待っていたが、肝心な事は何も話す様子は見られない。
それどころか、話が可笑しな方向へと向かっている。
流石に呆れた様子を隠せず、美影は疲れたようにようやく口を開く。

「貴女は何を言っているんですか。そんな事よりも……」

「そんな事ではないわよ。私と貴女にとってとても大事な事でしょう。
 それに、私が仕事を終えれば貴女はここには居られなくなるわよ。
 あの時の写真を覚えているかしら?
 あれが合成ではなかったと証明した上で、貴女に脅されたと私が証言すれば退学じゃないかしら?
 泣きながらに警察沙汰にはしないように他の先生方には言ってあげるわ。でも、貴女の居場所はなくなるわよね。
 そもそも、あの写真は本当に合成じゃないのだし、貴女の性癖も嘘じゃないのだもの。
 結局、貴女は私の元に来るしかないのよ」

その為の写真だったのかとようやく理解し、頭を抱えたくなってくる。
目の前の襲撃者は仕事であるターゲットを追い込む事よりも、美影を手に入れる事の方に心血を注いでいるのだから。
それだけ自分の腕に自信があるのか、それ程までに美影に執着しているのか。
どちらにせよ、美影にとっては嬉しくはない事実であるが。

「はぁ、貴女みたいな人は始めてだわ」

「あら、ようやく私の情熱を理解して大人しく私の物になってくれる気になったかしら?」

「そんな訳ないでしょう。私は誰の物でもありません。ましてや、貴女の物になど」

「ふふふ、やっぱりあのお嬢さんの方が良いのかしら?
 でも、強引にでも奪ってあげるわ」

「祥子は関係ありませけれど、激しく遠慮させてもらいます。
 それよりも、私としては貴女たちに依頼した人の情報が欲しいですね」

「残念だけれど、それに関しては幾ら美影にでも教えてあげられないわ。
 そう言えば、貴女の正体がまだだったわね」

先程までの可笑しな空気はまたしても一転し、再び緊迫した空気が流れ出す。

「こんな事なら、組織に報告して調査してもらった方が良かったかしら。
 個人のコネでは限界だったわ。
 でも、それで敵対する者だと組織に知られると、流石にまずいものね」

アニィの言葉から、美影の事は組織には知られていないと理解する。
嫌だが、この時ばかりはアニィの悪癖に思わず感謝しそうになる。
だが、よく考えればそのターゲットは自分なのだ。すぐに感謝の気持ちなど霧散する。
そもそもが敵同士なのだからと美影はアニィを睨みつける。
その視線を不適な笑みで受け止め、アニィも本来の顔を見せる。
先程まで色ボケた事ばかり言っていた雰囲気はそこにはなく、改めて美影は目の前の人物がやはり敵だと判断する。
互いに相手との距離を測りながら、共に少しでも情報を得ようと口を開く。

「アニィ、貴女以外には誰がこの仕事に関わっているのかしら?」

「あら、私一人よ。この程度の仕事で複数が動くなんてあり得ないでしょう。
 寧ろ、貴女の方こそどれだけ居るのかしら?」

「残念ながら、こっちも私一人よ」

互いに言葉の真偽を図るように相手を見詰め続ける。
間に横たわる空気は更に緊迫を増し、今にも切れそうな糸のように張り詰めていく。
何か切欠があれば、今ここで戦いが始まっても可笑しくない空気が漂う。
しかし、神の前で命のやり取りはやはり許されないのか、
加護の多いであろう講堂に昼休みがもうすぐ終わる事を知らせる予鈴がなる。

「もうお昼休みも終わるわ。後は放課後にでもゆっくりとしましょう。
 少しぐらい躾けが必要みたいだしね。
 今日の放課後、あなたを狂乱の宴へと招待してあげるわ、美影。
 そう、血と硝煙の宴にね」

「……その宴に付き合うのは構わないわ。その間、祥子の安全は保障されるのかしら?」

「言ったでしょう。私一人しか居ないって。信じる、信じないは貴女次第よ。
 とは言っても、この事件を解決したい貴女にとって、この話には乗らざるを得ないでしょう」

「ええ、そうね。分かりました、シスターマリィ。今日の放課後」

「ええ。場所はまたおって知らせるわ」

二人は同時に背を向けると、何もなかったかのように逆方向へと歩き出す。
美影は講堂の外へと向けて、アニィは講堂の奥へと。
二人が立ち去った講堂は、ただひたすらに静寂に包まれていた。





つづく







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