Kanon −Akiko’s story−
 〜もし本当に秋子さんが28歳だったら〜
        第6話






入学式も無事(?)に済み、その翌日。
のんびりと朝食を食べていると、上からドタバタという物音が響く。

「わっわっわ。このままじゃ遅刻しちゃうよ〜」

ドタバタ、バタン。
扉を力強く閉め、物音の主は階段を降りて…、降りて…、……降りてこなかった。
途中でなにやら声が聞こえてくる。

「わわ、私まだパジャマ!」

ドタタタッ。ガチャッ、バタン。
どうやら慌てて部屋に戻り、制服に着替えているらしい。
それから少しして、再び扉が開く音がしたかと思うと、今度こそ階段を降りて来る足音が響く。
それを聞きながらコーヒーを一口だけ口にする。
と、その足音が止まり、再び響く。
しかし、その足音は今度は近づいてこず、遠ざかっていく。
どうやら、降りている途中でまた上に戻ったらしい。
大方、何か忘れ物でもしたのだろうと考えていると、

「わわ。私、昨日から中学生だった。制服、制服〜〜」

……まあ、確かに忘れ物ではあるな。
しかも、かなり目立つ忘れ物だ。制服の中に一人だけ私服というのは。
と言うか、朝はもう少しゆっくりと余裕を持てと言いたいぞ、名雪。
呆れたような顔でもしていたのか、俺の顔を見て隣に座っている秋子さんが笑みを浮かべる。

「本当に朝から賑やかですね」

「いや、賑やかっていう問題ではないような…」

とりあえず口に出してはそう言ってみるが、秋子さんの事だから本気でそう思っているのだろう。
秋子さんは笑みを浮かべたまま、自分のカップに口をつける。
何となしにそれをじっと見詰めていると、秋子さんもソレに気付いたのか少し照れ臭そうな笑みを見せる。

「祐一さん、そんなに見詰められたら照れてしまいますよ」

「ああ、すいません。つい無意識で」

頭を掻きながらとりあえず謝っておく。
それでも、その視線はその唇へと吸い寄せられる。
秋子さんは益々照れたようにはにかんだ笑みを浮かべる。
そんな笑みを見せられては…。
自然と手が伸び、秋子さんの頬に触れる。
秋子さんも自然と首を微かに傾げ、俺の手の温もりを感じるように目を閉じる。
俺もそっと目を閉じて顔を近づけていく。
そして、唇が触れるか触れないかと言う所まで来て…。

「遅刻する〜〜。お母さん、ご飯!」

…名雪が駆け込んでくる。
俺は咄嗟に顔を離すと、少し自分でも赤くなっていると分かる頬を隠すように撫でる。

「祐一お兄ちゃん、どうかしたの。何か顔が赤いみたいだけど」

「いや、何でもない。名雪の気のせいだろう」

「ふうん」

名雪はそれを聞くと、もう興味は無くしたとばかりに俺の正面の席へと座る。
秋子さんの方を見ると、何事もなかったかのように平然と名雪の朝食を用意していた。
この辺は流石としか言い様がないな、うん。
などと感心していると、秋子さんはちらりと俺の方を見て、少しだけ残念そうな顔を見せる。
しかし、それも一瞬の事ですぐさまいつもの様に笑みを浮かべると、
名雪の前に牛乳を入れたコップとイチゴジャムをこれでもかと塗りたくったパンをそっと置く。

「はい、名雪」

「ありがとう、お母さん」

それを見ながら、俺は名雪へと話し掛ける。

「それよりも良いのか、名雪」

「ふぁにふぁ…」

「とりあえず、口の中のものを飲み込んでから喋れ」

俺の言葉に頷くと、名雪は口の中を綺麗にしてからもう一度口を開く。

「何が?」

「何がって、学校の方だよ。随分と余裕があるな」

「余裕…?ないよ、そんなの」

「だったら、もう少し慌てるなり、朝食を抜くなりしろよ」

「駄目だよ。朝はちゃんと食べないと」

そう言って目の前でパンに噛り付く。
そりゃあ、まあ、言っている事は正しい。
しかし、この状況でそれはどうかと思うぞ。
そんな俺の考えを余所に、名雪は俺に話し掛けてくる。

「大体、祐一お兄ちゃんが悪いんだよ」

「はっ?!」

突然の事に思わず変な声を出してしまう。
そんな俺に名雪は更に言葉を続けてくる。

「だって、起こしてくれないんだもん」

拗ねたように頬を膨らませつつ言う名雪の頬を俺はテーブルに身を乗り出して掴むと、そのまま両側に引っ張る。

「い、いふぁいよ〜」

「そ・ん・な事を言うのは、この口か!」

上下左右に満遍なく引っ張り、捏ね回す。
すべすべむちむちとした感触を存分に楽しんだ所で手を離してやる。

「うぅぅ。頬っぺたが痛い…。祐一お兄ちゃんの極悪人!悪魔!人でなし〜!」

「そこまで言うか」

「言うよ!祐一お兄ちゃんの所為で頬っぺたが伸びたらどうするの!」

「おお、瘤取り爺さんだな。良かったじゃないか、有名な人になれるぞ」

「そんな事でなりたくないよ。って言うか、そんなの嫌だよ」

「何と我が侭な奴だな」

「我がままじゃないもん。本当にそんな事になったら、どうするの」

「大丈夫だ、安心しろ」

「何を!何を安心するの」

「抓られて頬っぺたがほんのりと赤くなった名雪は、いつもより可愛く見えるぞ〜」

「えっええ!本当!」

「ああ、勿論だ。こう目を見えるか見えないかという所まで細めて、遠くから見れば」

「それって見えてないじゃない!」

「そんな事はないぞ!俺の脳裏にははっきりと可愛らしい名雪の姿が」

そう言って目を閉じて見せると、名雪から声が上がる。

「それって、ただの妄想じゃない」

「失礼な。せめて想像といえ」

「殆ど一緒だよ」

「贅沢な奴だな」

「贅沢じゃないよ。って、私が悪いの?」

「当たり前だ。俺の脳裏には、ほら可愛らしい名雪の姿が。
 そうそう、昔は一緒に風呂に入ったな〜。そう言えば、おしめも変えてやった事もあったな。
 あの頃の名雪は可愛かったな〜」

「わっわっわ。一体何を想像してるのよ〜!」

名雪の悲鳴にも似た言葉に、俺は目を開けてにやりと笑みを浮かべる。

「それは内緒だ。そんな恥ずかしい事言える訳がないだろう」

「って、恥ずかしいのは私だよ〜!勝手に変な想像しないで〜」

「変なとは酷いな。ちゃんとした昔の記憶だぞ」

「うぅぅ〜〜。それはそうだけど……」

名雪は上目遣いで睨むように見てくる。
まあ、これ以上は可哀相だからこの辺にしておいてやるか。

「まあ、冗談はこの辺にしておこう。
 それより、お前本当に覚えていないのか?」

「へっ?何を?」

突然話を切り替えたせいか、名雪は訳が分からないといった顔を見せる。
いや、こいつの事だ、本当に忘れているんだろう。
仕方がなく俺は説明をしてやる。

「お前が昨日、自分で言ったんだぞ。
 今日は一人で起きるから、起こさないでくれって」

「あっ!」

俺の言葉に自分が昨日口にした事を思い出したのか、小さく声を上げる。
そう、昨日名雪自身が起こさないで良いと言ったのだ。
中学生になったんだから、自分一人で起きて見せると。
まあ、結果は見ての通りだった訳だが……。
って、時間は本当に良いのか。
ここに来て、俺はすっかり話しこんでいることに気付き、時計を見る。
……まあ、今更慌てても仕方がないか。

「どうしたの祐一お兄ちゃん。何か悟りきったような顔をしてるけど?」

不思議そうに尋ねてくる名雪に、俺は黙って時計を指差してみせる。
その視線を追い、時計に目を向けた名雪は、

「わあ、びっくり。まだ20分ぐらいだと思ってたよ」

それでも、ここからじゃ遅刻だろう。
その言葉を飲み込み、俺は名雪を急かす。

「そんな事を呑気に言ってないで、さっさと出掛けろ」

「うーん。でも、まだ食べ終わってない…」

「朝食の方が大事なのか!?」

「だって、もう遅刻だもん」

そう名雪の言う通り、既に時計の針は半を周っていた。
どんなに足の速い奴でも、遅刻は決定だな。
既にチャイムは鳴り終った後なんだから。
はぁ〜。

「祐一お兄ちゃん、なんだか元気ないけど大丈夫」

「誰のせいだ、誰の」

最早突っ込む気力もなく、俺はテーブルに突っ伏すのだった。
それから名雪はちゃっかりともう一枚のパンを平らげてから学校へと向ったのだった。
そんな俺たちのやりとりをずっと楽しそうに眺めていた秋子さんだったが、名雪が朝食を食べ終えて学校へ行くと、
食器を洗い始める。

「それにしても、祐一さんが来てから賑やかになって嬉しいわ」

本当に嬉しそうに言う秋子さんの背後にそっと近づき、そっと抱き締める。

「祐一さん?」

少し驚いたように後ろを振り向いた秋子さんの唇をそのまま塞ぐ。

「ゆ、祐一さん、まだ洗い物の途中ですから…」

「分かってる」

俺はそう言って、秋子さんの手に握られていた皿をそっと取り上げる。
その間に唇をもう一度奪い、そっと舌でこじ開ける。
深く長いキスを終え、そっと唇を離す頃にはつっと二人の唇を銀糸が繋ぐ。

「さっきは名雪に邪魔されましたからね」

そう言って意地悪そうに笑う俺を、秋子さんは嬉しいような困ったような顔で見た後、背を向けて洗い物を続ける。

「秋子さん、もしかして怒ってます?」

恐る恐る尋ねる俺に、秋子さんは顔だけ向けて答える。

「いいえ、そんな事はありませんよ。ただ…」

「ただ、何ですか?」

少し頬を赤らめて、秋子さんは続く言葉を俺の耳元で囁く。

「もうすぐ全ての家事が終りますから、その後なら」

「……待ってます」

満面の笑みを浮かべ、親指を立てて答える俺を秋子さんは恥ずかしそうに見詰め、小さく馬鹿と呟く。
ぐわぁ〜。た、堪りません。正直、今の仕草は可愛すぎです。
そんな事を考えつつ煩悶する俺に背を向け、秋子さんは残っている家事に手を付けていく。
ぐぬぬぬ。す〜は〜。落ち着け、俺。後少しの我慢だ。
必死で自分に言い聞かせつつ、何とか逸る気持ちを押さえつける。
そして、秋子さんの家事が終るや否や、秋子さんを抱え上げて、そのまま秋子さんの部屋へと向うのだった。
え?そこから、先はって?それは秘密と言う事で。
ただ、秋子さんに言わせると、押さえつけていた分、いつもより凄かったらしいけど。
とりあえず、俺の腕を枕にして横で幸せそうに眠る秋子さんの頬に軽くキスをすると、俺も暫しの眠りにつくのだった。





<続く>






<あとがき>

どうも季節感全く無視の氷瀬浩です。
美姫 「一応、自覚はあるのね」
まあな。だが、これも連載故の事と悟って
美姫 「単に諦めてるだけでしょ」
そうとも言うな。しっかし、本当に久々だな。
美姫 「誰も前の話覚えていないかもね」
ははは。俺自身、忘れかけていたしな。
美姫 「全く……」
まあまあ。とりあえず、久々の『もし秋』も無事に出来たという事で。
美姫 「今回はこの辺でさようならです」








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