『雪とあなたに微笑みを』

  〜完結〜






クリスマスイヴの日から数日が経ち、その間に何度も秋子が高町家を訪れているうちに二人の関係は全員が知るところとなった。
そんなある日、昨日美由希の部屋に泊まった秋子が、晶やレンの代わりに朝食を作っていた。
秋子の料理の腕は、高町家の料理人全員が認める所で、これに関し誰も文句は言わなかった。
桃子に至っては、翠屋にぜひとも欲しいと言うほどであった。
恭也たちが朝の鍛練から戻る頃には、粗方準備が整っており、後は全員が揃うだけとなった。
それから、全員が席に着き、朝食となった。

「今日は洋食にしましたけど、問題なかったでしょうか」

「ああ、問題ない」

恭也は程よく焼きあがったパンを手に取る。
他の面々も、パンを手にする。

「あ、パンには、このジャムをどうぞ。色々用意しましたので」

「あ、本当だ。色々あるね。イチゴにブルベリーに、これはキウイかな?」

「ええ、どうぞ好きなのを」

「これ全部、秋子さんが作ったんですか?」

なのはの問いかけに、右手を頬に当て、柔らかく微笑みながら頷く秋子。
なのははそんな秋子に憧憬の視線を送る。

「凄いですよ、秋子さん!」

「ホンマです。おサルの言う通りや」

レンの言い方に晶は反論しようとし、レンは挑発するかのような笑みを浮かべるが、なのはが二人を見詰めていたため、
二人は大人しくパンにジャムを塗る。
恭也はバターを手に取り、塗る。

「恭也さん、ジャムはいりませんか?」

「ああ。俺はバターで良い。甘いものはちょっと……」

「そうですか。それは残念です」

本当に残念そうに呟く秋子を見て、なのはが恭也に言う。

「お兄ちゃん、折角、秋子さんが作ってくれたんだから、一口ぐらい食べないと」

「う、うむ」

なのはの言う事に恭也は先程の秋子の顔を思い出し、ジャムの瓶へと手を伸ばす。
それを秋子がやんわりと止める。

「そのバターも手作りですから、気にしないで食べてください」

「えっ!このバターも手作り……」

「はい」

驚く恭也に向って、笑みを見せながら秋子は自分のパンにジャムを塗っていく。
結局、恭也はジャムを食べずに朝食を終えた。



それから数日、秋子は学校が終わると真っ直ぐに帰宅するという生活をしていた。
これを知った高町家では、急遽、緊急会議なるものが開かれた。
恭也は帰宅するなり、なのはに腕を引っ張られながら、いつも食事をしている席へと座らされる。
その周りを取り囲むように、高町家の面々が囲む。

「では、被告人、高町恭也……」

「かーさん、仕事は?」

「そんなのはどうだって良いのよ」

「良くないと思うんだが……」

「黙りなさい!」

桃子の形相に恭也は黙っている方が懸命だと判断し、黙る。
それを見届け、美由希たちも席に着く。
全員が席に着くと、桃子が厳かに話し始める。

「では、改めて被告人、高町恭也。自分が犯した罪に気付いていますか?」

(罪……?)

桃子の言葉に色々と考えるが、思い当たるものが一つもなく、恭也は首を横に振る。
それを見て、周りにいた美由希たちが溜め息を吐く。
桃子も同じ様に呆れたような顔をし、

「では、被告人に判決を下します。有罪!」

「待て、待て。せめて説明を求める」

「ほんっとーに、分からない?」

「ああ」

「あんた、この前、秋子ちゃんが作ったジャムを一口も食べなかったでしょ」

「ああ。それが?」

「折角、秋子ちゃんが恭ちゃんのために作ってくれたのに。
 あの後、秋子ちゃん、授業中も何か考え事してるし、授業が終わると用事があるからって、すぐに帰っちゃうんだよ」

美由希が言う様に、秋子は授業中に何か考え事をしており、どこかボーっとしている。
だが、授業態度が悪いかと言えば、そんな事はなく、教師に当てられても問題なく答えている。
親友である美由希だからこそ、気付くといった感じである。
むしろ、そんな秋子を心配して授業中に余所見ばかりしている美由希の方が、目立っているし、
当てられても答えられないといった感じである。
そんな事とは露知らず、恭也は美由希の言葉を聞き、軽く驚く。
しかし、口から出た言葉は、

「それとこれと何の関係があるんだ?」

「あるわよ!きっと秋子ちゃんは恭也のために一生懸命ジャムを作ったのよ。
 それをアンタが食べなかったから、落ち込んでいるのよ」

「そんな事……」

「つべこべ言わない!明日、ちゃんと秋子ちゃんに会って話をするのよ」

「……分かった」

恭也は桃子の迫力に、反論の声を押さえ頷いた。
で、その翌日、昼休みに美由希のクラスへと行き、秋子を呼び出す。
美由希は秋子に見えない所で、ガッツポーズを作って恭也に見せる。
それに対し、呆れた眼差しで返し、落ち込んでいる美由希を無視して、恭也は秋子を連れて屋上へと上がった。

「うーん、やっぱり寒いですね」

「だな。やっぱり、中で話すか」

「別に良いですよ。寒いのは嫌いじゃないですから」

「そうか?まあ、秋子が良いと言うなら、ここで良いか」

「はい。で、どうしたんですか?」

「ああ。その前に、秋子は俺に対し何か怒っているか?」

「?別に何も?それとも、何か私が怒るような事でもしたんですか?」

「いや、実は……」

恭也は昨日の出来事を簡単に説明する。
すると、黙って聞いていた秋子がクスクスと笑い声を噛み殺しながら、話し出す。

「そんな事ぐらいで怒ったりしませんよ。まあ、折角作ったんですから、一口ぐらいは食べて欲しかったですけどね」

「それはすまない」

「いえ」

「じゃあ、何か考え事をしていたというのは?」

「うふふふ。それは色々ですよ」

秋子は微笑みながら、そんな事を言う。

「色々?」

「ええ。あ、そうだ。今度の週末、またお邪魔しますから」

「ああ、それは構わないさ。しかし、かーさん達の勘違いにも困ったもんだな」

「そうですね。でも、私だって怒る時もありますから、気をつけて下さいね」

「何かあんまり想像は出来ないな」

「うふふふ。そうですか?」

「ああ。因みに、どんな時に怒るんだ?」

「そうですね……。やっぱり一番は恭也さんが浮気した時ですかね」

「そんな事する訳ないだろう」

「ええ、信じてますから。それに、もし本当にそんな事になったら、私は怒るよりも悲しくなりますから……」

秋子はそう考えただけで、目元に少し滲んできた涙をそっと拭う。
恭也はそれを見て、秋子を抱き寄せる。

「絶対にそんな事はしないから、そんな事は考えなくて良い。ずっと秋子の傍にいるから」

「……はい」

秋子は恭也の胸の中でそっと微笑を浮かべ、恭也の温もりを感じていた。
そんな秋子の頬に恭也はそっと優しく触れる程度のキスをした。



そして、その週の休みの朝。
この日も秋子が前日から泊まりに来ており、朝食を秋子が作っていた。

「はい、今日の朝食も洋食にしてみました」

それぞれ自分の席に着き、好みのジャムを付けていく。
そんな中、恭也は前回同様バターへと手を伸ばす。
それを秋子が止める。

「恭也さん、甘くないジャムを作ってみたんですけど、試してもらえませんか?」

「ああ、構わないが」

「では、これです」

秋子は瓶にはいったオレンジ色のジャムを取り出した。

「はい、どうぞ」

秋子は嬉しそうに恭也にそのジャムを差し出す。
恭也もそれを受け取ると、パンに付け、口へと運ぶ。
美由希たちはその様子を興味津々といった感じで見詰める。
やがて、ゆっくりと咀嚼し終えた恭也は、

「うん、流石だな。美味い」

「本当ですか。良かった〜。甘くないジャムを作ろうと色々と考えた甲斐がありました♪」

秋子は嬉しそうに笑う。

「これが秋子の言ってた色々か」

「ええ。授業中に色々と考えて、家に帰っては作ってたんですよ」

「うん、美味いな。これなら、俺でも食べられる。本当に秋子は料理が上手だな」

恭也があまりにも誉めるので、他の面々も興味を持ち、そのジャムに手を伸ばす。
そして、口に入れた途端、

『……………………』

揃って絶句する。

「どうしたんだ?皆」

「どうかされたんですか?」

「な、何でもないよ。恭ちゃん、秋子ちゃん。わ、私はイチゴの方が好きだから、そっちにするね」

「な、なのはもイチゴの方がいいです」

「お、俺はブルーベリーを貰おうかな」

「そ、そやな。ブルベリーは目にも良いしな。うちもそっちにするわ」

「も、桃子さんはキウイが気に入っちゃったから、これ貰うわね。は、はははは」

桃子たちの可笑しな様子に首を傾げながらも、深くは追求せず、二人はオレンジ色のジャムを塗っては食べる。
それを見て、美由希たちはこれが失敗作ではないと理解する。
特に、秋子が何事もなく食べている事が、このジャムが失敗ではない事を示していた。

(恭也、偉いわ。何も言わずに黙々と食べるなんて。かーさん、ちょっと感動。
 やっぱり好きな人には食べて欲しいもんね。この前言った事を理解してくれたのね)

桃子が内心で喜んでいると、恭也はもう一枚焼きあがったパンにオレンジ色のジャムを塗る。
これには流石に桃子も驚き、

「きょ、恭也、違うのも食べてみたら…」

「いや、これで良い。結構、気に入った」

恭也はいつもと変わらない表情でそう言うと、それを口に入れる。
その顔が微かに嬉しそうに変わったことを、桃子は見逃さなかった。

(……我慢してるとかじゃなくて、本当に美味しいみたいね………。あ、あははははは)

そんな調子で概ね平穏に朝は過ぎっていった。







それから月日は流れ、2月14日。
恭也と秋子は海鳴公園へと寄り道をしていた。

「……と、言う訳なんですよ」

「確かに、美由希らしいといえば、らしいな」

二人は美由希の失敗談をネタに話に花を咲かせていた。
と、会話が切れた所で、秋子が自分の鞄を漁り、小さな箱を差し出す。

「恭也さん。あの、これ……受け取ってくれますか?」

「ああ、ありがたく頂くよ」

「はい」

恭也は秋子から小箱を受け取り、二人して近くにあったベンチに腰掛ける。

「開けても?」

「ええ」

恭也が箱を開けると、一口サイズのチョコレートが6個程、綺麗に並べられていた。
恭也は一つ手に取ると、口に放り込む。

「……どうですか?」

「ああ、美味しいよ」

恭也の言葉にほっと胸を撫で下ろす。

「そんなに心配しなくても、秋子は料理上手じゃないか」

「それでも、やっぱり好きな人に食べてもらうとなると、緊張しますよ」

「そんなもんか?」

「ええ」

「じゃあ、秋子はこれからもずっと緊張しっぱなしだな」

「えっ」

恭也の何気ない一言に秋子が目を見開き、恭也の顔を凝視する。
その顔が段々と赤くなっていくに連れ、恭也も自分の言った事の意味に気付き、慌てて弁解する。

「ち、違う。そういう意味じゃなくて。あ、だからと言って秋子が嫌いという訳でもなく。
 つまり、今のはこれからも秋子の料理を食べる事があるから、それで」

恭也にしては珍しく、慌てながら話すその様を見て、逆に秋子は落ち着きを取り戻す。

「分かっていますよ。ですから、落ち着いてください」

「あ、ああ」

秋子に言われ、恭也は落ち着きを取り戻す。

「くすくす」

「………」

恭也は照れながら、もう一つチョコを口に放り込むと、一つ手に取り、それを秋子へと向ける。

「秋子も一つ」

「い、いえ。それは恭也さんに作った物ですから」

「いいじゃないか一つぐらい。ほら」

恭也は照れる秋子の口元へと指を持っていく。
秋子が照れれば照れるほど、恭也は秋子が可愛くなると同時に、何とも言えない面白さが湧き上がってくる。
やがて、秋子も観念したしたのか、目を閉じ小さく口を開ける。
恭也はふと思いつき、持っていたチョコを自分の口に放り込むと、そのまま秋子に口移しで食べさせる。
秋子が唇に感じた感触に驚き、目を開けると視界一杯に恭也の顔が飛び込んでくる。
恭也と目が合うと、秋子は再び目を閉じ、そのまま口の中に入れられたチョコが溶けるまで、口付けを交わしていた。
やがて、チョコが溶けきると、秋子は唇を名残惜しそうに離す。
お互いに真っ赤な顔をしながらも、微笑み合う。

「でも、びっくりしました。恭也さんがあんなことをするなんて」

「あー、すまん。目を閉じて待っている秋子が可愛くて、つい」

「くすくす。ホワイトデーが楽しみですね♪」

「お手柔らかに頼む」

「どうしましょうかね。うふふふ」

「…そろそろ行くか」

「あ、はい」

今日は秋子の両親が留守という事で、秋子は高町家に泊まる事になっていた。
何度目かになる秋子のお泊りに、高町家の面々もすっかり慣れていた。
そして夜、鍛練を終えた恭也たちを秋子が起きて待っていた。
シャワーを浴びた後、美由希は部屋へと戻り、恭也と秋子は縁側で月を眺めていた。
と、空からふわふわと白い物がゆっくりと舞い降りてくる。
秋子はそっと掌を空に向け、その白い物を手に乗せる。
すると、秋子の手の上で、それは溶けて水となる。
それを見ていた恭也が、

「雪、だな」

「みたいですね。まるで、あの時みたいですね」

「ああ」

二人は初めてお互いの気持ちを伝え合った時の事を思い出す。
恭也はそっと空から降ってくる雪を見詰める秋子の肩を抱き寄せる。
秋子は恭也の肩に頭を乗せ、ぼんやりと庭に落ちては消えていく雪を見詰める。
恭也はそんな秋子の髪を何度も手で撫で上げる。
皆が寝静まり、静寂を耳に痛い程感じる中、雪は庭へと静かに舞い降りていく。
小さな白い精霊が暗闇から舞い降りるという一種、幻想的な風景を二人は言葉もなく、ただ見詰める。
だが、そこには気まずさは無く、安らぎを感じ、腕からはお互いの温もりを感じていた。
やがて、二人は顔を見合わせると、そっと口付けをする。

「このままだと冷える。そろそろ中に入ろう」

「はい」

二人は静かに立ち上がると、そのまま連れだって恭也の部屋へと入っていった。
お互いの想いを形にするために。

翌朝、リビングでは何事も無かったかのように振舞う二人の姿があった。
最も、桃子にはばれているみたいだったが。







そんな感じで日常を過ごし、春を迎える頃、恭也は大学へ、秋子は無事進級を果たしていた。
そんな時、事件は起きた。
4月も半ばを過ぎた頃、恭也はたまにボディガードの仕事をしたりしつつも、秋子との日々を重ねていた。
だが、ここ最近、秋子の元気が無い事に気付き、休みの日に秋子を誘って遊びに出た。
その帰り、二人は人気のない路地を歩いていた。
先程まで元気な様子を見せていた秋子だったが、時折見せる翳りのある表情を恭也は見逃していなかった。
人気がない事もあり、恭也は思い切って聞いてみることにした。

「秋子、最近元気が無いみたいだけど……。何かあったのか?」

「そ、そんな事は……」

「嘘はいい。俺は秋子の笑顔が好きなんだ。いつでも秋子には笑っていて欲しいと思っている。
 でも、最近の秋子の笑顔は、何か無理しているように思えるんだ。何があったのか教えてくれないか?
 俺では力になれなくても、話を聞くだけは出来るから。話すだけで楽になれる事もある」

恭也の言葉に秋子は何か考え込む。
恭也もそれ以上は話さず、ただ黙って秋子が話すまで待つ。
やがて、秋子がゆっくりと話し出す。

「実は、最近体の調子がおかしくて、病院に検査に行ってきたの。
 そしたら、おめでただって」

「はぁ?」

恭也は一瞬何を言われたのか分からず、素っ頓狂な声を上げる。
が、それに構わず秋子は言葉を続ける。

「予定日は12月だって言うから、多分バレンタインの時だと思うんだけど……。
 折角授かった命ですもの。私はこの子を産みたい。
 でも、私も恭也さんもまだ学生だし、恭也さんに迷惑が掛かるから……」

「秋子!俺の子供でもあるんだぞ。それに、俺の好きな女性との、な。反対なんかしないさ」

「で、でも」

「大丈夫さ。まあ、楽とは言えないかもしれないけど、それでも一緒に頑張っていこう」

「……はい」

秋子は涙を流しながら、恭也の胸に飛び込む。
そんな秋子を優しく抱き止め、

「順序が逆になったけど、結婚しよう」

「はい」

恭也の言葉に秋子は涙ぐみながら、答えた。
そんな二人を祝福するかのように、どこからか風が吹き、二人の元に花吹雪を降らせる。

「秋子、ほら。まるで、花びらが雪みたいだな」

「本当……」

「こうして考えると、大事な思い出は雪の日が多いような気がするな」

「ふふふ、本当ですね。この子が生まれるのも冬ですし」

「ははは。だったら、名前に雪の字でも入れるか」

「うふふふ。恭也さんったら、気が早いですよ」

「そうか?そんな事は無いと思うが」

「早いですよ。だって、まだ、両親にも言ってないんですから」

「そう言えば、そうだったな。かーさんたちは問題ないと思うが、秋子の所は……」

「私の所も問題ないと思いますよ。何度か恭也さんが家に来た時、父も母も恭也さんの事、気に入ってましたから」

「そうか。なら、いいんだが」

「何を弱気になってるんですか。もう、お父さんなんですから、しっかりして下さいね」

「ああ」

「それに、戦えば勝つのが御神流なんでしょ。私を守るためにも頑張ってね、あなた」

「ああ、確かにな。これだけは絶対に負けられないな」

「うふふふふ。期待してます」

「ああ」

恭也と秋子は手を繋ぎながら、花吹雪の中歩き出す。
その顔には、幸せそうな笑みが浮かんでいた。



その後、桃子にこの事を告げると、驚きながらも祝福をしてくれた。
秋子の両親の説得も、恭也が驚くほどあっさりと済み、秋子は高町家に住む事となった。
当初、二人は式を行わないつもりだったのだが、それを聞いた友人たちがそれならばと、自分達で小さな式を開いてくれた。
恭也と秋子は照れながらも、その友人達の気遣いに感謝していた。
そして、月日は流れ、12月に差し掛かる頃。

「じゃあ、行ってくる」

「はい、いってらっしゃい。今度はいつ頃、戻ってきますか?」

「今度は少し長いからな。でも、その子が生まれるまでには帰ってくるつもりだ」

「楽しみに待ってますね。それじゃ、気を付けていってらっしゃい」

「ああ」

恭也はボディガードの仕事で日本を離れる。
その間の事は、桃子たちがいるので特に心配もせず、恭也は仕事へと出かけた。



12月23日

昼頃に高町家の電話が鳴る。
昼食後だった事もあり、全員が揃っていた。
秋子は電話を取ろうと腰を浮かすが、それを美由希が制する。

「秋子ちゃんは座ってなきゃ。私が出るから」

「じゃあ、お願いね」

秋子はもうすぐ生まれてくる赤ん坊がいるお腹を撫でながら、美由希に微笑む。
しばし、その笑みに見惚れていた美由希だったが、鳴り響く電話の音に我に返り立ち上がる。
そんな美由希を微笑みながら見詰めている秋子の傍になのはがやって来る。

「もうすぐ生まれるんだよね」

「ええ」

「ああ、楽しみだわ〜。こんなにも早く孫が抱けるなんて。
 ひょっとしたら、最初は美由希かなのはの孫を抱くのかなんて考えてたけど、恭也の方が先になるなんて。
 うぅぅ〜、感激だわ。これも秋子ちゃんのおかげね♪」

「そんな事はありませんよ」

桃子の言葉に柔らかく微笑みながら、そう答える。
その雰囲気はとても美由希と同じ年とは思えない程で、何となく安らぎを覚える。
母親になるからだろうか、包容力みたいなものも感じさせた。

「でも、明日から病院ですもんね」

「ええ。もうすぐ生まれるから」

「毎日、お見舞いに行きますから」

「ありがとう、晶ちゃん、レンちゃん」

「予定日は来週だっけ?」

「ええ」

「所で、美由希お姉ちゃん遅いね」

「そう言えば、そうよね」

なのはの言葉に全員が不思議に思っていると、まるでタイミングを計ったかのように美由希がリビングに入ってくる。

「美由希、電話誰からだったの?」

桃子が美由希に尋ねるが、美由希の顔は真っ青になっており、体にもどこか力が入っておらず、その目はどこか違う所を見ている。
美由希の様子がおかしい事に気付き、全員が呼びかける。
それでやっと、気を取り戻したのか、美由希は桃子たちの方を見る。

「美由希ちゃん、一体何があったの?」

秋子は美由希に尋ねながらも、自分の胸の内に言い様のない不安が湧きあがってくるのを、押さえられないでいた。
やがて、美由希はその目に涙を溜めながら、ゆっくりと、本当にゆっくりと口を開く。
その口から出る言葉は、いつもの美由希とは違い、酷く震えたものだった。

「い、今、電話があって…………。うぅぅ……。恭ちゃんが、恭ちゃんが………。うぅぅぅああぁぁぁぁ」

そこまで言って、美由希は堪えきれなくなったのか嗚咽を漏らし始める。
その美由希の様子に、その場にいる全員が嫌な予感を覚える。
桃子はそんな不安を振り払うかのように、首を軽く振ると、美由希の肩を優しく抱きしめ、

「美由希、何があったの?ちゃんと言わないと分からないわよ」

桃子は自分の悪い予感を振り払って欲しく、そう尋ねるが、頭のどこかでは続く美由希の言葉を聞きたくないという思いもあった。
そんな桃子の葛藤に気づく事もなく、美由希はぽつりぽつりと話し始めた。

「恭ちゃんが、……護衛の仕事中に………うぅぅぅ。し、士郎父さんと同じ様に、子供を庇って爆弾で……うぅぅぅ」

それ以上続けることが出来ず、美由希は涙を流しながら嗚咽を漏らす。
だが、それだけで何が起こったのかを理解し、全員が体から力が抜けたかのように茫然となる。
リビングを重苦しい空気が包み、美由希となのはの啜り上げる声が響く。
そんな中、突然秋子が倒れる。
桃子は慌てて駆け寄ると、秋子の顔を覗き込み、未だ茫然としている美由希たちに声を掛ける。

「急いで病院に電話!早く!」

桃子の大声に美由希たちは我に変えると慌しく動き出す。
それから数分後にやって来た救急車に乗せられ、秋子は病院へと運ばれる。
病院に着くなり、破水の始まっていた秋子はそのまま分娩室へと運ばれていく。
桃子は秋子に付き添って、一緒に入っていき、美由希たちは部屋の前の廊下で待機する。
美由希たちは未だ混乱する頭で、秋子の無事を祈る。
一方、秋子と共に中へと入った桃子は秋子の手を握り、一生懸命に秋子を励ます。

「秋子ちゃん、頑張って」

「はぁー、はぁー」

意識が朦朧とする中、秋子は握られた手を弱々しく握り返し、ぼそぼそと呟く。

「恭也……さん」

秋子の目から涙が一筋伝う。
看護婦達が必死に秋子に呼びかけ、意識を取り戻させようとするが、
秋子の耳には入っておらず、ただうわ言のように恭也の名前を弱々しく呼ぶ。
そんな秋子を見て、桃子は握る手に力を込め、叫ぶ。

「秋子ちゃん!しっかりしなさい!
 ここであなたがしっかりしないと、この子だって生まれてこれないでしょ!
 それとも、恭也との子供を見殺しにする気!」

桃子の言葉に秋子は肩を一度大きく震わせ、ゆっくりとだが頷く。
その顔を見て、桃子はほっと胸を撫で下ろすと、そっと秋子の額に張り付いた髪を掻き上げ、微笑んでみせる。

分娩室の前で待っていた美由希たちの耳に、元気な赤ん坊の声が聞こえたのは、それからしばらくしてからの事だった
病室へと移り、皆がほっとした頃、恭也の事を思い出し、一様に暗くなる。
そんな雰囲気を吹き飛ばすように、桃子は明るく笑いながら、

「そ、そう言えば、可愛い女の子ね」

そんな桃子の気遣いを察し、美由希たちも桃子の話に乗る。

「本当に可愛いね」

「うん」

「そう言えば、秋子さん。名前は決めたんですか?」

「ああ、確かに。それはうちも聞きたいです」

全員の視線が秋子へと向う。
秋子は何とか無理して微笑むと、ゆっくりと考える。

「そうですね………」

───『名前に雪の字でも入れるか』

かつて恭也とした会話を思い出し、秋子は少し寂しげに微笑む。

「…雪。この子の名前は、名雪です」

「へー、名雪ちゃんか。いい名前だね」

「名雪ちゃん、大きくなったら、なのはと一緒に遊ぼうね〜」

一時だけ悲しみを忘れ、皆は微かにだが笑う。
ふと、ベッドから窓のガラス越しに見上げた空から、雪がひらひらと降ってきた。

(恭也さん、あなたは言いましたよね。大事な思い出は雪の日が多いって。
 でも、あなたがいなくなった日も、雪が降っていますよ……)

秋子の頬を涙が一筋伝う。
それを桃子たちに気付かれないように、そっと拭う。
そんな秋子の耳に、生まれたばかりの赤ん坊──名雪の笑い声が届く。
名雪を見詰めながら、秋子はそっと微笑む。

(でも、やっぱり雪の日には大事な思い出が多いですね。
 だって、この子が生まれたのも、雪の日ですから)

秋子は名雪を抱き寄せ、そのまま顔を寄せると静かに涙を流す。

(でも、それでも、やっぱりあなたがいないのは辛いです。私に言ってくれたじゃないですか。
 ずっと傍にいてくれるって。駄目ですよ嘘を付いたら……。恭也さん、恭也さん、恭也さん……………)

それを見た美由希たちは何も言わずに病室を後にする。
廊下に出た美由希たちはさっきまで無理していた反動の様に、目に見えて落ち込む。
そんな美由希たちを励ますように、桃子は明るい声を出す。

「ほら、皆もそろそろ帰らないと。これから、少し忙しくなるんだからね。
 こっちはかーさんに任せて、美由希たちは帰ってゆっくり休みなさい」

「で、でも」

「いいから。こういう時は年長者の言う事は聞くもんよ」

少々強引に桃子は美由希たちを家に帰すと、再び病室へと戻る。
名雪は看護婦が別室にある保育器へと連れて行き、今は部屋に秋子一人だった。
部屋に入った桃子は一瞬、部屋を間違えたのかと思った。
そう思わせるほど、目の前の秋子はやつれて見えた。
その理由が出産ではない事はすぐに分かり、桃子はそっとベッド横の椅子に腰を降ろす。

「秋子ちゃん……」

桃子の呼びかけに秋子はちらりと桃子を見るが、また顔を正面に戻し、何もない壁を見詰める。
そんな秋子に対し、桃子はもう一度呼びかける。

「秋子ちゃん。あなたは母親になったんだから、しっかりしないと。
 お母さんが不安だと赤ちゃんまで不安になるでしょ」

「それは、分かっています。でも、どうしたら良いのか分からないんです。頭の中がごちゃごちゃしてて……」

「私もその気持ちが分かるわ。勿論、私とあなたとじゃ違うから、全部分かるとは言わないけど、半分ぐらいは分かると思うわ。
 でもね、あなたには名雪ちゃんがいるでしょ。だったら、いつまでも落ち込んでたら駄目よ」

「でも……」

「確かに悲しいのは分かるわ。私だって悲しいもの。ううん、私だけじゃないわ。
 美由希もなのはも、晶ちゃんやレンちゃんだって、皆悲しいのよ」

「別に悲しむなとは言わないわ。時は残酷だけど優しいから……。
 きっと悲しみが和らぐ時が来ると思うから。皆もいるから。
 でも、ずっとそんな顔してたら、駄目よ。
 恭也が、あの子が好きになった秋子ちゃんはそんな顔してないでしょ」

そう言うと、桃子は秋子の頬を摘み、外側に軽く引っ張る。

「ほら、笑って、笑って」

───『俺は秋子の笑顔が好きなんだ。いつでも秋子には笑っていて欲しいと思っている』

桃子にそう言われ、秋子の脳裏にかつて恭也が秋子へと言った言葉が思い出される。

(恭也さん、あの言葉はずるいです……。でも、あなたがそう望むのなら……)

秋子はぎこちないながらも笑みを作る。
それを見て、桃子も少し微笑み秋子の頭を数回優しく撫でる。
そこが限界だったか、秋子は桃子に撫でられているうちに、知らず溢れてくる涙を止めることが出来なくなる。
桃子は優しく秋子を抱き寄せ、小さい子にするようにその背中をそっと撫でてあげる。
そして、その耳元に優しく語る。

「良いわよ、好きなだけ泣いても。泣くのは悪い事じゃないわ。でも、名雪ちゃんの前では笑ってあげてね」

「うぅぅぅ。うわぁぁぁぁ〜〜〜〜〜」

(恭也さん、ごめんなさい。今だけ、今だけだから。今、思いっきり泣けば、明日にはまた笑顔でいるから。
 だから、今だけは泣かせてください)

桃子の許しを得て、秋子は肩を震わせながら声を上げて泣く。
秋子が泣き疲れて眠るまで、桃子はずっと秋子の背中を擦っていた。



秋子が入院中の為、喪主を桃子が務め恭也の葬式も何とか終える。
その席には友人各位が集まり、一様に悲しみに暮れた。
それから、一年ほどが過ぎたある日の高町家。

「えっ!引っ越す?」

「ええ」

高町家の面々を前に、秋子が言った言葉に桃子が驚きの声を上げる。

「ど、どうして、秋子ちゃん?」

「何かあったんですか?」

美由希、なのはが口々に言うが、二人に対し微笑みながら秋子は首を横に振る。

「別に何もないのよ。ただ、前から考えていた事なの」

「前からって、一体何処に行くつもりなの?」

「北の方です。冬の長い雪国に」

「何でですか?」

「雪……。ここは滅多に雪が降らないから。
 悲しい事もあったけど、雪の降った日は大抵、あの人との楽しい思い出があったから。
 だから、雪が降れば、あの人と一緒にいられる気がするのよ。私の我が侭なんだけどね」

秋子の言葉に全員が言葉を無くす。
ただ一人、桃子だけがその瞳を真っ直ぐに見詰め、

「でも、向こうに行って、どうするつもりなの?」

「向こうに行けば、姉の知り合いで、昔お世話になった方がいるんです。
 その方に家も紹介してもらいましたし、仕事も」

「決心は揺るがないって訳ね」

「はい。すいません、勝手に決めてしまって」

「……はぁー、仕方がないわね。秋子ちゃんが自分で決めたんだったら、私たちが反対する事はできないし。
 ただ、この町にいるのが辛いとか言う理由だったら、反対したんだけどね」

「それはないですよ。私はこの町が、恭也さんと出会ったこの町が好きですよ」

「そう、なら良いわ。向こうに行っても元気でね」

「はい」

「後、いつでも帰って来て良いんだからね」

「はい」

「…………で、出発はいつなの?」

「来週です」

「そう……。寂しくなるわね」

「大丈夫ですよ。定期的に連絡をしますから」

「楽しみに待ってるわ」

それで二人は会話が終わったとばかりに話を打ち切る。
美由希たちも悲しそうな顔をしたまま、何も言わずにいた。
悲しい事だけど、秋子が決めた事なら。それが全員の気持ちだった。
一週間後、駅のホームに立つ秋子と、それを見送る桃子たちの姿があった。

「では、いってきます」

「はい、いってらっしゃい」

「秋子ちゃん、無理しないでね」

「大丈夫よ」

「秋子お姉ちゃん……」

「ほら、なのはちゃんもそんな顔しないで」

「う、うん」

「晶ちゃんもレンちゃんも喧嘩は程ほどにね」

「分かりました」

「努力はします」

秋子は全員に微笑みかけると、電車へと乗り込む。

「じゃあ、またね」

誰かが何か言うよりも早く、電車の扉が閉まり、ゆっくりと電車が動き出す。
その様子を誰も何も言わずにただ見送った。
電車内で、秋子は空いている席に座ると、何とはなしに窓の外を見る。

「あれ?」

秋子は自分の手に感じた冷たい感触に不思議そうな顔をする。
そして、それが何であるかに気付くと、手をそっと目元へと運ぶ。

「何で、涙が……」

すると、名雪がその小さな手で秋子の涙を拭う。
恐らくは、たまたま手が触れただけなのだろうが、秋子は名雪に微笑み、そっと抱きかかえる。
と、その目に白い小さな結晶が映る。

(………雪ね。恭也さん、私頑張りますね。名雪と一緒に。だから、見守っていてください)

秋子は雪降る空を見上げ、そっと微笑んだ。
まるで、そこに恭也がいて、恭也に見せるかのように。
いや、秋子の目には確かにそこに、自分を見て微笑んでいる恭也の姿が見えていた。
だからこそ、秋子は空の彼方へと向け、今出来る精一杯の笑みを浮かべた。







<The END.>




<あとがき>

出来たー。完結編!長かったなー。
美姫 「本当に長かったわね」
はっはっは。でも、後1本あるんだよな。
美姫 「パターンBね」
そうです。と、言う訳でもう一踏ん張りだ!
美姫 「そっちは遊び人さんに届けないとね」
頑張って届けてくれ。
美姫 「大丈夫よ。シオンさんとゆうひさんが、さっきからそこで待ってるから」
…………。い、急いで書きますです。
美姫 「頑張ってね〜。さて、皆さん、ではでは」





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