『込められし思い 第17話』
そこはとても暗く、持っている懐中電灯の明りでさえも闇の向こうまでを照らす事は出来ない程の濃い闇であった。
少女は恐々と足元を照らす頼りない明りを注視しながら、ゆっくりと歩き出す。
自らの靴が立てる乾いた音が、静かな闇の中に響き、ゆっくりと消えていく。
本当は駆け出したいぐらいの恐怖を感じているのだが、進む先の闇もまた少女にとっては恐怖以外の何者でもなく、
その足取りは知らずゆっくりとなる。
しきりに背後を気にするように振り返っては、闇以外の何も見えないことに恐怖を増大させていく。
どのぐらいの時間歩いただろうか。
似たような景色が続く中、ただ闇だけが濃くなったように思え、少女の呼吸が疲れとは違う、
ただ純粋な恐怖で荒くなっていく。
まるで呼吸する事が苦しいと言わんばかりに、掠れた息を喉の奥から搾り出しつつ、
それでも足だけは休めずに少女はひたすら闇を掻き分けて進む。
ふと、その少女の肩に闇から伸びた腕が…。
「きゃぁぁぁっ!」
部屋に響く大きな声に、今までずっと喋っていた忍は肩を竦めて悲鳴の主、那美を見遣る。
「あのねぇ、那美。何で貴女が一番に悲鳴を上げるのよ」
顔に浮かぶ陰影が、蝋燭の炎に照らされたゆらゆらと揺れる中、その顔には明らかに呆れが浮かんでいた。
「で、ですけど…。し、忍さんの話し方が怖いんですよぉぉ」
泣き出しそうな声で震える那美に、晶やレンが苦笑する中、恭也は淡々と他の面々を見渡す。
怖がりつつも忍の話を興味深そうに聞いていた冬桜。
その手はしっかりと恭也の手と服の裾を掴んでおり、反対側の手はなのはがしっかりと握っている。
とは言え、なのはにはそこまで怯えた様子はない。
全く怖くないという事はなかったようだが、那美ほどの怯えは見られない。
この中で最もこの手の話が苦手と思われる美由希を見れば、こちらは意外にも平然とした顔で座っている。
「あら、美由希ちゃんが怖がらなかったのはちょっと意外だったわ」
忍も気付いたらしく、美由希の様子にやや拍子抜けしたようにそう洩らす。
「確かにね。意外と、あの姿勢のまま気絶してたりとかだったら、中々面白いんだけれどね」
彩がからかうようにそう言うものの、美由希は変わらぬ姿勢と表情のまま何も突っ込まず、
聞いているのかいないのか、無表情のままただ大人しく座ったままでいる。
「もしかして、藤代の言ったように気を失っているとかじゃないだろうな」
流石に少し心配したように赤星が言うも、やはり美由希は無言。
もしかしなくても、そのまさか、かと全員が美由希を思わず見つめてしまう中、美由希はようやく動き出す。
「あ、あれ、皆さんどうかしたんですか」
気絶していないと分かり安堵するも、それまでの態度に不審を感じた恭也がそれを口にすると、
美由希は自慢気に胸をそらせる。
「これぞ、怪談奥義。聞いているフリをしながらも、右から左へと聞き流す技、です!」
あまりにもバカバカしい美由希の言葉に、忍は疲れたように目の前の蝋燭の炎を吹き消す。
話は遡る事、一時間ちょっと程前のことである。
「怪談?」
「そうよ。皆、もうお風呂にも入って、大分遅くなってきたからね。
普通なら、このまま眠る所でしょうけど。どう?」
やるかやらないかと聞いている割には、忍と彩の手には蝋燭とマッチの箱がしっかりと握られていたりする。
それに呆れつつも恭也は自分は怖い話なんか知らないと言う。
だが、その辺りは考慮済みだと言わんばかりに忍と彩は肩を組み合うと、
「そこは私たちにお任せあれってね、高町くん」
「そういうこと。話すのは私と彩に任せなさい。
あ、でも那美なら私たち以上に怖い話知ってるか」
「那美さん、そんなに怪談がお好きなんですか」
忍の言葉に夏海がそう本人に聞くも、那美はブンブンと首を振る。
「別に詳しくはないですよ。あまりお話できるようなものは知りませんし」
あまり良く分からない説明であったが、それ以上夏海が何か尋ねるよりも早く、忍が全員に指示を出す。
「という訳で、着替えてリビングに集合ね」
「着替えなくても良いんではないか?」
忍の言葉に恭也はそう尋ねるも、忍は指をちっちっちと振る。
その横で彩はにんまりと笑みを形作ると、
「あまりの怖さに、一人で部屋に居たくなくなるかもしれないでしょう。
だから、パジャマに着替えるのよ。これなら、終わってすぐに布団へと潜り込めるでしょう」
「合理的だな。だが、そこまで怖い話をするのか」
「そもそも、しないという発想はないんだろうな、この二人の場合」
恭也と赤星の言葉に二人は当然とばかりに頷くも、一転して軽い口調になる。
「まあ、そんなに難しく考えずにパジャマパーティだと思えば良いのよ」
「そんな風に思っても、怪談に変わりはないんですよね」
乗り気でない美由希であったが、立ち上がると着替えに行こうとする。
それを恭也が止める。
「お前はその後、鍛錬だろう。そのままでいろ」
「あ、そうか。……恭ちゃん、周りは茂みだらけだよね」
「山奥だしな」
「真っ暗だよね」
「夜だからな」
「な、何か出てきそうだよね」
「ふむ。まあ、熊が出てきたらコンビネーションの鍛錬が出来るかもな」
「あ、朝と言っている事が違うよ! 何で熊に挑むの!
じゃなくて、私が言いたいのは…」
「お前が言いたいのは、視界が悪い森の中。その上、周囲もろくに見えない暗闇ということだろう」
「そう! それだよ!」
恭也の言葉に美由希はその通りだとやや大げさな仕草で表現するも、恭也は不思議そうに美由希を見遣る。
「いつもやっている深夜の鍛錬と何処が違うんだ?」
「そ、それは、ほら…」
話を聞く前から既に怖がっている美由希に、恭也もどう言えば良いのか思いつかず、
とりあえずは現状を説明してやる。
「ともあれ、既に全員着替えに行ったみたいだから、今更中止にはならないんじゃないか」
「う、うぅぅ。私が苦手なの知っているくせに…」
「大丈夫だろう。本物が居れば、那美さんが何か言うだろう。
何も言わないという事は、大丈夫という事だ」
「本物でも嘘でも、話そのものが怖いんだよ〜」
そんな美由希の台詞は恭也には全く通じるはずもなく、美由希はただオロオロと落ち着きなく皆を待つのだった。
一方、自室で忍はベッドの上に放り出した二つの寝巻き、
胸元が少し大きく開き、小さな花のポイントにリボンといった袖のない薄い色のネグリジェと、
ごく普通のパジャマを前にうんうんと唸っている。
「うーん、そんなに刺激的ではないと思うけれど、こっちのパジャマにしておくか」
忍はパジャマの方を選択するとさっさと着替えて部屋を出る。
と、丁度隣の部屋の扉が開き、ノエルが出てくる。
その姿を見て、忍は指を指してわなわなと震える。
「ノ、ノエル、その恰好…」
ワイシャツ一枚という恰好のノエルに、忍は目を吊り上げんばかりに詰め寄る。
「そんな目のやり場に困る恰好をしてどうするのよ!
昨日、私にはそんな事を言ってたくせに、自分だけ何よ、それは!」
激昂する忍に対して、ノエルは自分の恰好を見下ろし、ついで忍の顔を見て少し考えた素振りをした後、
本当に分かりませんという感じで首を傾げてみせる。
「お嬢様が何を怒られているのかは少々分かりかねますね。
確かに昨夜、私は水着や下着に関しては色々と進言を差し上げましたが、
寝巻きに関しては、何も言ってなかったかと。
寝巻きに関しましては、お嬢様がご自分でお決めになったと記憶しておりますが。
因みに、私のこの恰好は普段、忍お嬢様がされている恰好と同じですが。
私は元より寝巻きを持っていませんので、どういったものが良いのか分からなかったので、
忍お嬢様が普段着られているものと同じにしただけなのですが。何か問題でもありましたでしょうか」
淡々と語るノエルに忍は舌打ちすると、再び部屋の中へと戻って行く。
「やっぱりネグリジェの方に着替える!」
そんな風に言う主の背中を眺めながら、
ノエルは小さな、本当に小さな笑みを見せると階下へと降りていくのだった。
ともあれ、そんなこんなの小さな出来事の後、忍と彩主催の怪談大会は幕を開け、
忍と彩の二人による怪談話が延々と繰り広げられたのである。
唯一の明りであった蝋燭が忍によって消された事によって、部屋が一瞬だけ暗くなるも、
ノエルがすぐに電気を灯してすぐさま明るく部屋を照らす。
「うーん、まさか那美が怖がるとはちょっと意外だったけど…」
話している内についつい背を丸めていた忍は背を伸ばしつつ、やはり苦笑めいたものを浮かべる。
そんな忍に那美自身も苦笑を見せる中、そろそろ部屋に戻ろうかという事になる。
解散ムードが漂う中、夏海がふと思い出したかのように口を開く。
「そう言えば、お爺ちゃんに聞いたんですけど、この辺りに伝わる話があるって」
夏海の言葉に美由希はびくりと身体を震わせ、那美はようやく落ち着きを取り戻して夏海の話に耳を傾ける。
「昔、この辺りで悪さをしていた鬼がいて…」
「ああ、それなら私もさくらから聞いたことがあるわ」
夏海の言葉に忍がいち早く反応する。
「あ、やっぱり知ってます」
「まあね。ああ、美由希ちゃんも冬桜もそんなに怖がらなくても大丈夫だって。
これは別に怖い話って訳じゃないから」
「ええ、そうですよ。昔悪さをしていた鬼を、この地方にやって来た陰陽師の人が封じたっていう話です。
地方にある御伽噺ですよ」
「そうそう。でもね……」
夏海と二人にやりと笑うと、不意に声を落とす。
「この言い伝えにはまだ続きがあって……」
「封じられた鬼は今も尚生きていて、塚に悪さをする人の元へと姿を現すそうなんです…」
「因みに、その塚があった場所は今では立派な別荘が建っているのよ」
「その別荘というのは何処だと思いますか…」
忍と夏海二人の言葉に美由希は思わず唾を飲み込む。
他の者は既に興味を無くしており、二人は美由希をターゲットに決めて迫るようにゆっくりと話していく。
「えっと、あの、何で私に聞かせるのかな?」
「ふっふっふ。その塚を壊して建った別荘というのはね…」
「もう気付いてますよね、美由希さん」
「……こ、こことか言わないよね」
「ふふふ」
「くすくす」
「う、うぅぅ。恭ちゃ〜ん」
流石に哀れに思ったのか、恭也は忍の首、ネグリジェが肩から吊るすタイプのもので襟がないため、
文字通り後ろ首を猫にするように摘み上げる。
「いい加減にしておけ、忍」
「恭也、私猫じゃないんだけど。
でも、恭也がどうしてもって望むんなら、いつだって恭也だけの猫になってあげる。
ごろにゃ〜ん」
腕にじゃれ付いてくる忍をあしらいつつ、恭也は呆れたような溜め息を吐き、美由希へと言う。
「少しは考えろ、美由希。その言い伝えが本当だとして、この別荘は前から建っているものだろう。
呪われるのなら、もっと前にそんな事が起こっている。それに、さくらさんがそんな状態で放っておくか?」
「た、確かにそうかも」
美由希はようやく気付いたのか、恨めしげに忍と夏海を睨みつける。
笑いながら謝る二人に、美由希は少し拗ねた様で文句を並べ立てる。
「二人してそんな作り話をするなんて」
「だから、ごめんってば。でも、鬼の話は本当よ」
「ええ。この辺りに伝わっているのは本当ですよ。
でも、この別荘の建っている場所ではないですけれどね。
その鬼にも色々と話があって、本当はとっても大人しい鬼だったとか、三メートルの巨体を持っていたとか。
実は強くなかったとか、逆にとても強くて陰陽師が百人掛りで封じたとか、
様々に言われているんですけれどね」
「さーて、美由希ちゃんで遊んですっきりした所で、そろそろ寝ましょうか」
「微妙どころか、かなり納得は出来ませんが、確かにそろそろいい時間ですね」
見ればなのはは既にうとうとし始めており、久遠に至っては完全に眠っていた。
その様子を微笑ましく見守る一同の中、恭也がそっとなのはに近付いて起こすも、
要領の得ない返事しか返ってこない。
仕方ないとばかりになのはを抱き上げ、久遠を冬桜に任せると恭也はなのはを部屋に連れて行く。
「良いな、なのはちゃん。ねぇ、恭也〜」
「自分の足で歩け」
皆まで言う事もなくきっぱりと言われていじけたふりをしつつも、忍は恭也の後に続く。
その後に久遠を抱いた冬桜が続き、他の者たちも部屋へと戻って行く。
「ちゃんとお兄ちゃんしてるね、恭也」
「それなら良いんだがな。小さい頃は、今もだがあまり構ってやってないからな」
「うんうん。本当に優しいお兄ちゃんだね」
そんな事を話しながらなのはの部屋の前まで来ると、忍が扉を開けてやる。
「ありがとう」
「いえいえ。それじゃあ、私はもう寝るけれど、恭也は美由希ちゃんとやるんでしょう」
「ああ。鍵はどうしたら良い」
「あ、渡しておくわ。はい、これが玄関の鍵。って、持てないね」
「ポケットに入れてくれ」
言われて恭也のポケットへと鍵を落とすと、忍は小さく欠伸を噛み殺す。
「それじゃあ、お休み。恭也、冬桜」
「ああ、お休み」
「お休みなさいませ」
忍に挨拶をすると二人は部屋の中になのはと久遠を運び入れ、ベッドに寝かせる。
布団を被せてやると、起こさないように静かに部屋を後にする。
「さて、俺と美由希は出かけてくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
「ああ。冬桜も待ってなくて良いからな」
「分かりました。流石に今日は少し疲れたので、先に休ませてもらいますね兄様」
「ああ。お休み、冬桜」
「はい、お休みなさいませ」
恭也は冬桜と分かれると、階下で待つ美由希の元へと向かう。
予め用意しておいた装備一式の入ったバッグを手に玄関で待つ美由希に軽く頷くと、
二人は静かに鍛錬へと出かけるのだった。
つづく
<あとがき>
ふむ、やはり水着シーンまで行かなかったか。
美姫 「怪談で一話使うなんてね」
いや、俺も思わなかったぞ。
だが、可能性はあったしな。ほら、前回のあとがきでも一応、断言してないだろう。
美姫 「はいはい。それで、次こそは水着なの?」
それじゃあ、また次回で!
美姫 「って、答えてからにしなさいよね!」
ぶべらっ!
美姫 「あ、やり過ぎちゃった。え、えっと……」
ウン、ツギハミズギシーンダヨ。
美姫 「そうなの」
ウンウン。……う、うぅぅん? って、何をしてるんだ、美姫?
美姫 「何でもないわよ。じゃあ、次回こそは水着で」
いやいや、勝手に何を言ってるんだ!?
美姫 「それじゃ〜ね〜」
いや、聞けよ、おい!
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