『ママは小学二年生』






〜29〜



冷や汗。
そう、彼女は今、自分でも信じられない程の冷や汗を流しながら、懸命に足を動かしていた。
逸る気持ちを押さえつけ、煩く鳴り響く心音を無理矢理頭の中から追い出し、乾いた喉にこれでもかと空気を取り込み、
既に悲鳴を上げる肺へと無理に酸素を取り込んで、ただ只管周囲へと少々血走った眼を向け、止まる事無く走る。
幸い、今は真夜中というような事もなく、視界は非常に良好。
尤も寄るであろうと建物内故にか、照明が隅々まで照らしてはいるが。
かなりの広さを持つフロア。しかし、商品が陳列された棚故に、場所によっては限定された空間にもなっている。
それならば、彼女が最も得意とする空間であるはず。
だが、実際には彼女は呼吸も荒く、目標を捉えれずにいた。
額から流れ出た汗をやや乱雑にふき取ると、彼女――高町美由希は止めていた足を再び動かし出す。
何処からともなく感じる殺気に身を震わせ、来る未来への嫌な想像を打ち消し、注意深く周囲を探る。
追い詰められたネズミ。まるでそんな感じで美由希は呼吸も荒く、それでも止まればお終いだと言わんばかりに足を動かし続ける。

「っ、一体どこなの」

あまりにも捉えきる事の出来ないその姿に、美由希の口から思わず言葉が零れる。
が、口元へと慌てた様子で手をやり、沈黙を貫く。
何処で聞いているか分からない。下手な事を口にすれば、それだけ先ほどした嫌な想像が現実に近付きかねないのだ。
再び口をしっかりと閉じると、またしても止まっていた足に活を入れ直して歩き出す。
今度は慎重に、特に角に曲がるときは前方だけでなく左右、後方に至るまで隈なく視線を向ける。
ここには居ない。それを確認すると素早く角を曲がり、次の角を目指す。
そんな感じで美由希は止まる事無く、フロアを巡っていく。
が、ここまでずっとそうした緊張感を保ってきた故か、さしもの美由希の顔にも疲れの色は隠せなくなっており、
緊張の糸がまたしても少し緩んでしまい、その口から悲壮な声が零れ落ちる。

「……うぅぅ、すずちゃん、何処〜」

何とも情けない声を上げ、肩をがっくりと落とす美由希。
そう、何の事はない。すずを連れてデパートへと来たまでは良かったのだが、見事にすずと逸れてしまったのである。
そもそもの起こりは恭也となのは、そしてすずに美由希という四人でデパートに来た事であった。
恭也自身は買う物もなく単なる荷物持ちという事で、最初にすずの服を買いに行ったのだ。
ここで約一時間掛け、無事にすずの服を購入した恭也たちは続いてなのはの服を見に行く事となったのだが、
すずが退屈そうにしているのを感じ、美由希は鍛錬の際に使用するTシャツだけだったので、
それをなのはに頼むとすずを連れて恭也たちとは別行動を取る事にした。
この際、恭也が自分だけ逃げるのかという視線を向けてきたが、それに気付かない振りをしてすずの手を取り、
逆に恭也はなのはに手を取られ、おねだりする様に見上げられ、仕方なくといった感じでなのはに引っ張られて行く。
こうして別行動になったまでは良かったのだが、見事にすずとはぐれてしまい現在に至るという訳である。
当然ながら、この事を恭也に知られたらどんな事をされるのか分からない。
という事で、恭也に知られる訳にはいかない為、アナウンスされる訳にもいかず、
こうして美由希は必死に探し回っているという訳である。

「うぅぅ、本屋に行ったのが間違いだった……。だって新刊がたくさん置いてあるんだもん。
 全部買えないから、少し中身を見て厳選しないといけないんだよ。だって、すずちゃんは絵本を読んで大人しくしてたもん。
 ごめん、許して恭ちゃん……」

最早、幻覚の恭也相手に言い訳や謝罪まで始める始末である。
周りの視線が少々気になっても可笑しくはないのだが、今の美由希にはそんな物を感じ取っている余裕などない。
とは言え、いつまでも逃避している訳にもいかず、美由希はもう一度足を動かし始める。

「えっと、ここはもう全部見て回ったから、下のフロアに行ってみようかな」

焦っている自分に言い聞かせるように、次の行動を口にして下のフロアへと向かうのであった。



「うぅ、パパ〜、ママ〜」

美由希と逸れたすずは不安そうな顔で周囲を見ながら、見覚えのない光景に顔を歪める。
しかし、すぐに目元を擦るときりっとした顔をして歩き出す。
が、やはり心細いのか数歩行くとまたその顔が歪む。
それでも唇を噛み締めて足を動かすすず。
普通なら誰かが気付いても良さそうなものだが、すずは誰にも気付かれる事なく歩み続けている。
と言うよりも、周りに置かれている物がどれもすずの背よりも高いものばかりのため、誰も見えていない。
すずは恭也たちがいない事に不安を感じながらも、周囲に置かれている家具の間を歩き続け、不意に足を止める。
暫く一箇所を見ていたかと思うと、トテトテと走り出し、そのままそこ――ベッドに辿り着くとうんしょうんしょ、と登り出す。
ベッドの上に上りきったすずは、布団を捲くり、ベッドの中で寝かされていたクマのぬいぐるみに久しぶりの笑顔を見せる。
一時的にとは言え、不安が消えた事と今まで歩いてきた疲れからか、すずはクマのぬいぐるみを抱いたままウトウトしだす。
そして、そのまま身をポテと横たえるとすぐにスースーと寝息を立て始めるのであった。



「このフロアにも居ないか。うーん、ひょっとして地下か一階の食料品売り場かな」

一人頭を悩ます美由希の元に意外な声が掛けられる。

「美由希、こんな所でどうしたんだ?」

「あれ、お姉ちゃん本屋に居るんじゃなかったの? それにすずの姿も見えないし」

「あ、あははは、恭ちゃんになのは」

背中にどっと汗が噴き出すのを感じながら、美由希は辛うじて笑みを浮かべる事に成功する。
ただし、多少引き攣っている事を否定はできないが。

「まさかとは思うが、本に夢中になりすぎてすずを迷子にしたとか言わないだろうな」

目を細めて中々鋭い事を言う恭也に、ピンポ〜ン、大正解、などと間違っても口にする事などできる筈もなく、

「い、幾ら私でもそこまで間抜けじゃないよ」

「そうだよ、お兄ちゃん。お姉ちゃんだって、すずが居るのにそんな事をしないよ。ね?」

「勿論だよ。私はすずちゃんが喉渇いたって言うから、ちょっとジュースでも買いに行こうとしているだけなんだから」

「そうか、それは悪かったな。悪いついでにもう少しすずの事を見ていてくれるか?」

「それは願ってもない……コホン、別に良いけれど、まだ買い物終わってないの?」

「なのはの買い物は終わったんだがな。すずにプレゼントでも、と思ってな」

「自分からはあまり強請ってこないから、何か買ってあげようと思って。
 すずが喜ぶものがあれば良いんだけれど」

「あ、それならさっき本屋に行く前によった玩具屋で、大きなクマのぬいぐるみに目を輝かせて見ていたけれど。
 結構、大きかったんじゃないかな。下手したら座ったすずよりも大きかったかも」

「流石にそこまで大きいのは……」

なのはが苦笑して美由希に答えると、恭也も同意しつつ、

「しかし、ぬいぐるみというのは良いかもしれんな。少し見てみるか」

「そうだね。じゃあ、お姉ちゃんまた後でね」

「うん。ひょっとしたら私たちは本屋から移動しているかもしれないから、買い物が終わったら電話頂戴」

言って美由希は逃げるように足早に立ち去っていく。
それを見送ると恭也たちも目当ての店へと向かい、暫く悩んだ後、クマのぬいぐるみを買う。
その後、美由希たちと合流しようかと携帯電話を取り出した恭也であったが、
なのはがその前に寄りたい所があると言って恭也を連れて行ったその場所は家具売り場だった。

「家具なんかどうするんだ?」

「今、すずはお兄ちゃんの布団か、私のベッドで一緒に寝ているでしょう。
 だから、もう少し大きくなったらすずのベッドが居るかなって。
 別にすぐに買うとかじゃないけれど、ちょっと見てみるぐらいなら良いでしょう」

なのはの言葉に何か言い掛けるも、見るだけなら良いだろうと恭也も頷く。
それを見てなのはは嬉しそうに笑うとベッド売り場へと向かう。
が、そこから来る人や、そこを通る人が何故かとある場所を見ては微笑ましそうにしており、
気になったなのはは向かう先という事もあり、ついでとばかりに覗いてみれば、
そこにはクマのぬいぐるみを抱えて眠るすずの姿があった。

「お兄ちゃん、どうしてすずがここに居るんだろう」

「……美由希とはぐれたんだろうな。で、服売り場からは本屋に行くには一旦降りた後、東館に渡ってから上に登るから、
 すずは降りてきたという事だけはちゃんと覚えていて、はぐれた後上に登ったんだろう」

呆れたように呟く恭也に、なのははプンプンと美由希に怒りながらすずを優しく起こしてやる。
数度呼びかければ、眠たそうな目を擦りながら体を起こし、ぼーっとなのはと見たかと思えば抱き付いてくる。

「ママー!」

泣くのを堪えるように抱き付いてくるすずの頭を優しく撫でながら、なのはは美由希へのお仕置きを考える。

「すず、大丈夫だったか?」

「パパ♪」

恭也の姿も見つけ、すずは安心したように、嬉しそうな笑みを見せる。
そんなすずを抱っこしながら、恭也はすずの頭を撫でてやる。

「美由希はどうしたんだ?」

「美由希お姉ちゃん、何処か行っちゃったから探してたの。すず、一人になったけれど泣かなかったよ」

「ああ、偉いな」

すずを褒めてやりながら、恭也もまた美由希へのお仕置きを考える。
そんな両親の考えなど知らず、すずは新しく出来た友達だと展示品であるクマを見せる。

「そう、良かったね。でもね、このクマさんはここの子だから、バイバイしないとね」

「うん、バイバイ」

なのはの言葉に少し寂しそうにしつつもすずはクマにバイバイと手を振る。
そんなすずを慰めるように、恭也はすずを撫でるときに下ろしていた大きな包みを抱き上げ、

「良い子のすずにはプレゼントがあるからな」

包みを見せながら、家に帰るまでのお楽しみだと言えば、すずは嬉しそうに包みを見上げ家に帰ろうと急かしだす。
それに笑みを零しながら、恭也となのははさてどうするかと思案し……。
数分後、デパートに一つのアナウンスが流れる。

『迷子のお知らせをします。高町美由希ちゃん。茶色のセーターに白いスカート、みつあみに黄色いリボンをして、
 眼鏡を掛けた女の子を探しております。見かけましたら、お近くのサービスセンターまで……』

こうして、物凄い速さで走ってきた美由希と合流した恭也たち。
当然の如く、美由希は顔を真っ赤にしながら食って掛かる。

「ちょっ、あのアナウンスはなに、恭ちゃん!?
 周りの人たちがもしかして、そんな訳ないわよ、って目で見て来るんだよ! 何ていう羞恥プレイ!?」

と捲くし立てるのを平然と聞き流し、恭也は下を見る。
釣られたように下を見れば、そこにはなのはと手を繋いだすずが美由希が見つかったと純粋に喜んでいる姿があり、

「う、うぅぅ……。そんな純粋な目で見ないで……」

「美由希お姉ちゃん、勝手に居なくなったら駄目でしょう、めっだよ」

「本当に困ったお姉ちゃんだよね。すずを放っておいて自分が迷子になるなんて」

「う、うぅぅ」

すずとなのはの言葉に美由希は更に身を縮める。
が、そこへ容赦なく恭也の一言が投げられる。

「確かに、すずを迷子にする程、間抜けではなかったみたいだな。
 お前自身が迷子になるぐらいには間抜けだったみたいだが」

恭也の皮肉に美由希は何も言い返すこともできず、ただただ引き攣った笑みを保つのであった。





おわり




<あとがき>

迷子の迷子のすず〜、じゃなくて……。
美姫 「美由希ちゃん、って今回は自業自得の部分もあるわね」
という訳で、ママ小二をお届けしました〜。
美姫 「お出掛け編というか、迷子編って感じね」
まあな。さて、それじゃあ、今回はこの辺で。
美姫 「また次回でね〜」







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