『美由希奮闘する』






私は今、ひたすら逃げている。
後ろを振り返る余裕などなく、いや、正直に言うのなら振り返るのが怖い。
振り返るなり、ソレと目が合うかもしれない。
その隙に距離が縮まるかもしれない。
振り返る暇があるのなら、その分、一歩でも、一センチ、一ミリでも良いから前へ。
私を突き動かすこの力の源は間違いなく恐怖と呼ばれる物であろう。
別段、すぐ後ろから気配を感じるでもなく、追って来る足音がする訳でも、息遣いが聞こえる訳でもない。
それでも、間違いなくソレは確実に私の後を追ってきている。
そう断言できるだけのものを周囲の空気から感じ取れる。
助けを呼ぼうにも、その為に必要となる肝心の携帯電話は手元にはない。
ならば、何処かの家に飛び込んで借りるか。
その考えをすぐに振り払う。
例えそうした所でソレが躊躇するはずもない。
寧ろ、電話で助けを呼んでいる時間を好機とばかりに距離を詰め、こちらを狩りに来るだろう。
ならば、このまま走って逃げきるしか方法はない。
やけに五月蝿い自分の鼓動を耳の奥に感じながら、私は乱れそうになる呼吸を整えて足を動かす。
まだだ。まだこんな所で終わる訳にはいかない。
諦めそうになる心を鼓舞し、力の抜けそうになる足に更なる力を込めて地面を蹴る。
考えろ、考えるんだ。どうすれば助けを呼べる。いや、呼ぶだけじゃ駄目だ。
助けが来るまで私が耐えれなければ意味がない。
迫ってくるソレを確実に撃退できる人物……。
真っ先に浮かんだのはこういった人外を相手に仕事をしているという親友とも呼べる人。
神咲那美さん。彼女なら今の私を助けてくれるかもしれない。
浮かんだその考えを頭を一振りして考え直す。
確かに人外は那美さんの専門分野とも言える。
だが、彼女が得意とするのは鎮魂や浄化で、荒事による除霊ではないと聞いている。
今回必要となるのは、間違いなく後者だ。
となると、彼女を危険にさらす事になりかねない。
そうなると次に浮かぶのはやはり……。

「み〜つけ〜た〜」

耳元で囁かれた声に考えるよりも先に体が動き、反転しつつ持っていた小太刀を抜刀。
しかし、刃は虚しく空を切る。
違う、元より背後に何て立たれていなかった。
声は耳元で聞こえたように感じても、実際は私の背後、鬱蒼と生い茂る木々の隙間から響いて来たんだ。
恐怖のあまり、声の位置を考える間もなくとんだ失策をしてしまった。
僅かとは言え、背後へと攻撃するために止まってしまった足を再び動かし、距離を開けようと力を込める。
もっと早く、もっと早く。
地面を蹴り、近くの幹を蹴り、身体を宙へ。
枝を蹴り、鋼糸を利用して遠くに身体を運び、地面を駆ける。
持てる技量全てを惜しみなく注ぎ込み、ひたすら距離を開ける事だけを考える。
同時に先ほど中断してしまった思考を巡らせる。
このような時、真っ先に頼りになり私が助けを求める人、恭ちゃん。
しかし、今回は恭ちゃんに頼む事は出来ない。絶対に無理だ。
何故なら、彼は私の目の前で……。
悔しさから涙が滲みそうになるも、ぐっと堪える。別に死んだ訳ではない。それは間違いない。
私が対応を間違えたばかりに、恭ちゃんが。
考えないようにしても、つい先ほどの事をどうしても思い出してしまう。
彼が物言わずに倒れて行く姿を。
あそこまで受身も何も取れずに倒れていく姿を見たのはいつ以来だろうか。
多分、苦手な甘味を我慢して食べ続け、ついに耐え切れなくなって倒れたあの時以来ではないだろうか。
とりとめなく過去の事を思い返してしまう。止めよう、縁起でもない。
街へ降りる道を掛けながら、私は人の多い所に出るべきか悩む。
あれが他の人を襲わないという保証がない。いや、周囲の被害を考慮するだろうか。
答えはノーだろう。間違いなく狙いは私一人。
けれど、その為に周囲を考慮する可能性はない。私を仕留める為になら、逆に周囲さえも利用するだろう。
となれば、人の多い所に出るのは私にとって不利にしかならない。

「はっはっは」

段々と呼吸も整わなくなって来ている。
普段ならこの程度の走行でここまで乱れる事などないだろうに。
やはり精神的に追われているというのが大きいのかもしれない。
どうしてこんな事に。今更ながらに、このような状況になった経緯を思い返す。
全ての元凶はやはり普段の私のドジの所為と一言で片付いてしまうのも悲しい事だ。
昔、那美さんに聞いた事がある。
鎮魂も除霊も出来ないという事例はあるらしい。その時は封印という処理を行うそうだ。
これだって楽な事ではなく、何よりも封じた物は時と共に綻びが来る。
故に封じた物は代々に渡って、封印が綻びないように常に目を光らせているらしい。
だが、当然ながら途絶えてしまう事もあるそうで。
普通なら他の退魔士などに封印の監視をお願いするそうだが、それが出来ないパターンも存在する。
そういった物の中には解けそうになったのを感じた同業者が再び封をする物もあれば、
そのまま封が解かれてしまう場合もあるらしい。
得てして、そうして封じられた場所には何らかの要となる物が設置されており、
普通の人はそういった物を変に弄ったりしないので、時の流れや天災以外では中々解けないらしい。
もし事故で解けてしまったとしても、要がしっかりと残っていれば、それを元に戻す事で再び封じる事も出来る。
そんな話を聞いた事があった。

「だとしたら、私が転んだはずみで壊したアレを元に戻せば……」

絶望的な状況だが他に方法も浮かばない以上、それを試してみるしかない。
私は意を決し、目的地へと向かう。
そんな私の背後に近付く殺気。咄嗟に横に方向転換すれば、さっきまで私の居た場所を何かが通過して行く。
考え事をするあまり、走る速度が僅かとは言え落ちていたのか、ソレとの距離が縮まっていたらしい。
何とも言えないミスに舌打ちしたくなるのを堪え、私は身体を低くして速度を上げる。
その頭上をまたしても何かが通り過ぎていく。
無事に辿り着けるだろうか。つい弱気になってしまう心を押し込め、私は地を蹴る。
身を投げ出すようにして前に転がり、三度飛来した攻撃をやり過ごすと振り返らずに走り出す。
が、ソレは私が思ってた以上に狡猾だった。
無事に攻撃を躱したのではなく、一箇所に寧ろ誘い出されたのだと気付いたのは、
障害物となる木々が少なくとも十数メートル渡ってない開けた場所に出た時だった。

「くっ、こんな簡単な罠に引っ掛かるなんて」

「本当に愚かだな。このような手に掛かるとは」

低い声が私の斜め左後方より飛んでくる。
そちらへと振り返れば、木々の間からゆっくりとこちらへと踏み出してくる一つの影。
頭の天辺から爪先まで黒で覆われ、鋭い眼差しでこちらを睨みつけてくる者こそが、私を狩る狩人。

「そろそろ観念したらどうだ」

「……そう簡単に諦める訳にはいかない!」

「往生際の悪い奴だ」

喋りながらも近付いてくるソレとの距離を保ちつつ、私は逃走経路を探す。
勿論、そんな私に気付いているからこそ、ソレは時折攻撃的な殺気を放ち、私の動きを制限しようとしてくる。

「くっ、これまでなの」

「ようやく観念したか、美由希。なら、ここで朽ち果てろ!
 盆栽の仇!」

「たかが盆栽の一つや二つでそこまで豹変しないでよ、恭ちゃん!」

「たかが、だと。貴様、反省の色が見えないぞ」

「充分に反省してたよ。
 だからこそ、正直に話したのに行き成り後ろに倒れたと思ったら、本気で切りかかって来るし」

「……貴様は自分が壊した盆栽がどういう物か分かってないのか」

「どういうって、恭ちゃんが最初に買った奴でしょう」

「ほう、分かっていたのか。分かっていてその態度か。
 あの盆栽はな、俺が勉強しながら手を入れ、今までずっと共に育ってきた大事な奴なんだぞ。
 それを貴様は……」

あ、まずい。
思うと同時に背中の小太刀を鞘から抜き放ち、飛んできた飛針を弾き落とす。
こちらへと向かってきた恭ちゃんの一撃を運良く躱し、私はそのまま背を向ける。

「待て、逃げるな!」

「古今東西、そう言われて止まった人なんて知らないから、私の行動もまた正しいはず!」

「寧ろ、ここで止まって初の人となれ!」

「絶対に嫌!」

背後から感じるプレッシャーから少しでも遠ざかるべく、私は全力で駆ける。
その後の体力? そんなもの考える余裕なんてない。
後の事よりも今。現在がなくなれば未来も必然となくなるのだから。
私は逃げながら本気でどうしたものか考える。
さっきまで考えていた、壊れた盆栽をどうにか接着剤で付けて直そうという案は、当然ながら却下だ。
寧ろ、余計に怒らせそうだ。大事な盆栽に接着剤など付けるなと。
と言うか、可愛い妹にして弟子よりもそんなに盆栽が大事なの。
思わずそう叫びたくなるも、それはぐっと堪える。
火に油を注ぐ事になり兼ねないし、肯定されたら逃げる気力をなくしそうだから。
こうなったら、第二案であるなのはに助けを求めるという策を使うしかない。
少々、いやかなり姉としての面子に傷が付きそうだが拘ってなどいられない。
そうと決まれば……。私は家へと向けて走り出す。
恭ちゃんもそれを察したのか、更に攻撃の勢いが増す。
私は必死で逃げながら、願わずにはいられない。
どうか無事に明日の朝日を拝めますように。





おわり




<あとがき>

久しぶりの短編と言うか、前にやった雑記ネタです。
美姫 「そうよね。確か、メインは美由希ね」
まあ、例によって美由希がちょっと不幸な目にあってしまっているというやつだが。
美姫 「確かにね」
決して嫌いじゃないんだよ。
美姫 「毎回言ってるわね」
かもしれんな。まあ、そんな訳で短編をお送りしました。
美姫 「それじゃあ、まったね〜」







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