『想い寄せて』
5.あきれ顔をしたかーさんだった。
「あんたねー。いい若い者が朝からごろごろして」
「それよりも店の方はどうしたんだ、かーさん」
「ん?ああ、大丈夫よ大丈夫!松っちゃんがさ、こんなのくれて今日までらしいからって事で休み貰っちゃった〜」
そう言うと桃子は手に持った物を恭也の眼前に掲げ見せる。
「遊園地の入園券か?」
「そうよ〜。遊園地なんて久しぶりだしね〜。丁度、2枚あるからなのはと行こうと思って♪」
桃子はそれこそ今にも踊りださんばかりに喜んでいる。
「よかったな、なのは」
「え、あー、うん・・・」
「じゃあ、早速行こうかなのは」
にこにこと笑顔を浮かべる桃子になのはは申し訳なさそうに言う。
「うー、でも実はこれからくーちゃんと遊ぶ約束してるから」
「えぇー、そうなの?」
途端、がっくりと肩を落とす桃子。それを申し訳なく見ながらなのはは謝る。
「うん。ごめんね、おかーさん」
「しかし、さっきまではする事がないとか言ってなかったか?」
「さっきまではなかったの。でも、もう少ししたらくーちゃんと約束した時間になるの。だから・・・」
「そうか。なら、久遠と一緒に行けばいい」
この恭也の台詞に桃子は嬉しそうに顔をあげ、なのはを見る。
「そうよ、久遠ちゃんなら一緒に行けば良いんじゃない。チケットだって向こうで買えばいいんだし」
これになのはは少し焦りながら答える。
「それがだめなの。くーちゃんとはある場所にいく約束をしてるから」
「えー、そうなのー。それって明日とかには出来ない?」
桃子は両手を胸の前で合わせ、しゃがみ込むとなのはと同じ視点で瞳を少し潤ませながら言う。
これにはなのはも少し怯むが、同じ様に両手を合わせ、首を少しだけ傾けながら桃子の下から潤んだ瞳で見上げる。
「なのはも一緒に行きたいんだけど、どうしても今日じゃないとくーちゃんとの約束が守れないの。
明日だったら良いんだけど、そのチケット今日まででしょ?だから、ごめんね」
「か、かわいー!もう桃子さんったら感激!」
桃子はそのままなのはを抱きしめ頬擦りをしながら話し出す。
「気にしなくても良いのよー。約束は守らないといけないもんね。仕方がないから今回はかーさんが諦めるわ」
「えへへへー」
なのはは桃子に抱きつかれて嬉しそうな笑みを浮かべる。
「じゃあ、仕事に戻るとしますか」
「えっ」
なのはを離すと気合を入れてそんな事を言う桃子になのはは驚いた声をあげる。
「お休みをもらったんじゃないの?」
「そうなんだけどねー。遊園地に行かないんだったら、何もする事がないのよねー。だったら、仕事してる方が良いでしょ」
「え、行かないの?」
「うん。一人でいっても仕方がないしね。って、なのは、そんな顔しないで。別になのはの所為じゃないんだから。
なのはに先約があったのを確認してなかったんだから気にしなくても良いのよ」
「う、うん」
桃子はなのはが自分の所為で落ち込んでいると思って慰める。
「じゃあ、仕事に戻りますか」
「そうだ!おかーさん、お兄ちゃんと行ってきたら?」
「いや、俺は・・・」
「そうね!恭也とこういう所に行った記憶ってかなり昔だし」
「うんうん。そうしたら良いよ」
「二人とも、俺の話を・・・」
桃子となのはは恭也を無視して二人で盛り上がる。そんな二人に困惑しながらも声をかける。
「あー、二人とも盛り上がっている所悪いんだが、俺は行くとは言っていない」
恭也が言った途端に、桃子となのはは二人で恭也の傍に膝まづくと両手を握り潤んだ瞳で恭也の顔を覗き込む。
「行ってくれないの?恭也」
「お兄ちゃん・・・・・・」
恭也は切なそうに見詰める母娘から視線を逸らす。
すると二人は崩れ落ち、桃子が泣き始め、それをなのはがなぐさめる。
「よよよよ、恭也はかーさんとは一緒に行きたくないのね...。悲しいわ〜。シクシク」
「おかーさん、こんな事で泣いたら駄目だよ。今が駄目でも明日がきっとあるから」
「なのは!」
「おかーさん!」
二人は抱き合うとまた泣き出し始める。そして、ちらちらと恭也の様子を伺う。
そんな二人に肩を落とし溜め息を吐きながら、恭也は諦め口を開く。
「分かった。今日一日付き合えば良いんだろ」
「「やったー!」」
右手を打ち合わせながら喜びを表す二人を横目で見ながら恭也は玄関へと向う。
「行くのなら早い方が良いだろ。さっそく行こうか」
桃子の横を通り過ぎようとした恭也を桃子が慌てて捉まえる。
「ち、ちょっと恭也。その格好のままで行くつもり?」
「そうだが、何か問題でも?」
「あのね〜。折角のデートなんだから、こっちに来なさい。かーさんがコーディネートしてあげるわ」
「いや、俺はこれで構わない、って人の話を聞いてくれかーさん」
恭也はそのまま桃子に引きづられて行く。
「何、言ってんのよ。今日一日付き合ってくれるんなら、それなりの格好をしてもらわないと。折角、元の素材は良いんだから」
部屋に連れられる事、数十分。部屋から出てきた恭也になのはは見惚れると共に感嘆の声をもらす。
「はにゃ〜〜。お兄ちゃん、格好良い〜」
「でしょでしょ。これでもう少し表情が豊かだったら完璧なのに」
「それよりも、早く行くぞ。なのはも久遠との約束を忘れずにな」
「「はーい」」
母娘そろって元気良く返事をすると、桃子は恭也と共に外へ、なのはは部屋へと向った。
◇ ◇ ◇
駅へと向う途中、常にニコニコしている桃子と無表情のまま歩く恭也はいろんな意味で目立っていた。
すれ違う人が男女を問わず二人を振り返っては見ていく。
当然、恭也もその視線は感じていたが、
(やっぱり、かーさんが綺麗だから皆が見てるんだな)
とか考えており、女性の殆どが自分を見ているなどとは思ってもいなかった。
「所でかーさん、本当に店の方は大丈夫なのか?」
「ん、大丈夫でしょ。いざとなったら松っちゃんがいる事だし。
それよりも恭也、今日一日はかーさんじゃなくて名前で呼んでね♪」
そう言うと、桃子は恭也と腕を組む。
「な、かーさん」
「桃子よ。今日一日はそう呼ばないと返事しないからね」
そう言うと更に強く腕を組む。恭也は腕にあたる柔らかい感触を意識しないようにしながら、口を開く。
「かー、桃子・・・さん。何かさっきから注目されているんですが」
「それは恭也がいい男だからよ」
「いや、冗談はいいから、腕を離して欲しいんだが・・・」
(冗談じゃなくて本当の事なんだけど・・・。この子ってどこまで鈍感なのかしら)
「いいから、いいから気にしないの。それよりも早く行かないとね♪」
そう言うと桃子は恭也の腕を組んだまま引っ張っていく。
恭也もすでに諦めたのか溜め息を一つ零すと横に並んで歩き出す。
◇ ◇ ◇
遊園地に着くと、桃子は恭也を引っ張っておおはしゃぎであちこちを周る。
もう何ヶ所目になるのかも分からないぐらいに周り、流石に疲れたので恭也はベンチに腰を降ろす。
「もう〜、だらしないわね〜。まだ若いんだから、この程度で疲れてどうするのよ」
恭也の疲れは周りの人の視線が突き刺さってくる事にあったりした。
剣士として、普通の人よりも人の気配や視線に敏感な恭也は自分に向けられる視線の多さにかなり疲れていた。
そう言った意味でどちらかというと体力的な疲れではなく、精神的な疲れであるのだが。
(まあ、かーさんは綺麗だからな。その所為で男たちからの視線がきついのは仕方がないか)
「ん?どうしたの恭也」
「何でもない。かーさ・・・桃子さん」
「うーん、私としては早く名前で呼ぶのに慣れて欲しいんだけど」
「努力する」
「まあ、いいわ。何か飲み物でも買ってくるから、ここで待っててね。後、知らない人に付いて行ったら駄目よ」
「俺は小さな子供か」
恭也のそんな呟きは既に歩き始めていた桃子の耳には入っていなかった。
恭也はゆくりと背もたれに身を委ね、目を閉じる。
(まあ、あんなに喜んでいるんだったら良いか。かーさ・・・桃子さんはいつも仕事で忙しいからな。たまにはこういうのも良いか)
恭也は律儀に誰にも聞こえない胸中での呟きに対しても訂正をいれる。
そして、次は間違えないように何度もその名前を胸中に呟く。
(桃子、桃子、桃子、桃子、桃子・・・・・・よし、もう大丈夫だろ)
「あのー、すいません」
突然声をかけられ、恭也はゆっくりと目を開くとそこには大学生と思しき、3人の女性がいた。
「はい?なんですか」
「あのー、お一人なんですか?」
「いえ、連れが一人いますが。それが?」
「そのお連れの方も男性ですか?」
「もし、そうなら私たちと一緒に遊びましょうよ」
恭也の返事も待たずに3人は恭也を連れて行こうとする。
その時、手に飲み物を持った桃子が戻ってくる。
「ちょっと、あなたたち!何してるのよ」
桃子は恭也の傍まで来ると、3人組みを睨む。
そして、ベンチに買ってきた物を置くと恭也の腕を取り立ち上がらせ、自分の腕を絡める。
「恭也はわたしの彼氏なんだからね。他をあたって頂戴」
この桃子の台詞に3人は素直に謝ると、その場を去っていった。
「あれ?思ったよりも素直ね。じゃあ、ここまでする必要なかったかな?」
後半は恭也へと尋ねる形で恭也の顔を見る。
「あ、ああ。とりあえず、離してくれ桃子」
「!」
恭也の言葉に桃子は驚き、頬を赤くすると組んでいた腕を離す。
「どうかしたのか?」
「べ、別に何でもないんだけど。まさか恭也に名前を呼び捨てにされるとは思わなくて、ちょっと驚いただけよ」
「!ち、違うこれは。練習というか、名前で呼ぶように何度も繰り返していたから、つい」
今度は恭也が慌てて弁解を始める。
「お、落ち着きなさい。ほら、座って」
恭也と一緒にベンチに腰掛け、買ってきたドリンクを渡す。
それを一口飲み、一息いれる。
「ふぅー落ち着いた?」
「はぁー、ああ。大丈夫だ」
「じゃあ、次に行きましょうか」
「もう行くのか」
「そりゃそうよ。時間は限られているんだからね。ほら、行くわよ恭也」
「分かったよ、桃子さん」
「あ、つまんないの〜。もう、さん付けかー」
「何を訳の分からない事を。で、次は何処に行くんだ」
「あ、次はね〜」
桃子が開いたパンフレットの一点を指差し、次の目的地を告げる。
「じゃあ、行こうか」
「そうね、行きましょう」
二人は次の場所へと楽しそうに歩いて行った。
◇ ◇ ◇
高町家のリビングで恭也たちは夕飯までの時間をのんびりと過ごす事にする。
「桃子ちゃ〜ん。今日のお師匠とのデートは楽しんでこられましたか?」
「もう、ばっちりよ。本当に楽しかったわ〜」
夕飯当番ではないレンがキッチンでお茶を淹れている桃子に話し掛ける。
キッチンからは桃子の返事と共にかすかに晶の鼻歌も聞こえてくる。
やがて湯のみを二つ持った桃子が現われ、恭也に一つ渡す。
「ああ、ありがとう桃子さん」
恭也の何気ない一言に美由希たちの動きが止まる。
「ち、違う!こ、これはもも・・・、じゃない、かーさんが今日一日だけこう呼べと言ったからで・・・。
ずっと今日はそう呼んでいたから、つい」
珍しく慌てながら弁解する恭也に美由希たちは納得し、少し浮きかけていた腰を降ろす。
するとタイミングを見計らったかのように晶が夕飯を告げる。
それに答えて、全員がキッチンへと行き、夕飯を食べ始めた。
しばらくして、恭也が何かを探すように視線を動かし、
「すまない。かーさん、そこにある醤油をとってくれ」
と、桃子の傍に置いてあった醤油を指差す。
が、桃子は聞こえなかったのか、味噌汁を啜ると、
「あー、今日の味噌汁美味しいわね〜。晶、また腕をあげたわね」
「ありがとうございます」
「かーさん、そこの醤油を取って・・・」
「今日、私のことをかーさんとよぶのは美由希となのはだけのはずなんだけどな〜」
「・・・・・・」
桃子は悪戯っ子のような笑みを浮かべ恭也を見る。
恭也は黙り込むと、一つ頷く。
「よく考えたら自分で取れば良いだけの事だな」
そう呟くと恭也は席を立ち、手の届く範囲まで来ると、醤油を取り席に戻る。
そのまま何事もなかったかのように醤油をかけると食べ始める。
桃子は横に座っていたなのはに抱きつくと泣き始める。
「なのは〜。恭也が苛めるの〜」
「待て!いつ俺が・・・」
恭也はその台詞を最後までいう事は出来なかった。何故なら、なのはが眦を吊り上げ、
「お兄ちゃん!おかーさんを苛めたら駄目でしょ!」
「いや、だから苛めてない・・・」
「言い訳はいいです!」
なのはの強めに発せられた声に恭也は言葉を飲み込み、晶やレンは条件反射なのは身体をビクリと震わす。
「あ〜ん、なのは〜。なのははいい子ね〜」
そう言ってなのはの頭を優しく撫でる。なのはは嬉しそうに目を細め、されるがままになる。
「お兄ちゃんみたいな意地悪な子になったら駄目よ」
「はーい」
「で、恭也」
なのはとのやり取りを終えると恭也の方を期待に満ちた目で見る。
「・・・なんだ」
「分かってるくせに〜。ほら、早く呼んで」
「・・・今は別に呼ぶような事もない」
「うぅぅ〜。やっぱり恭也は意地悪だわ〜。よよよよよ」
「おかーさん、しっかりして。お兄ちゃん!何でそうやって意地悪ばっかりするんですか!」
桃子の芝居がかった動きと真剣に睨んでくるなのはを見て、恭也は横で一人平和に食事をしている美由希を見る。
「なぁ、美由希・・・。俺の方が苛められているようには見えないか」
「は、ははははは。ノーコメントという事で」
そう言うと美由希は知らん顔をして食事を続ける。晶やレンを見るが、二人も視線を合わせないようにして食事をする。
それをジーと見詰める恭也の視線にに気付いているが、あえて気付いていない振りをするために、
「お、おお晶も中々やるようになったな〜。このおかず美味かったで〜」
「そ、そうだろ。それは俺も自信作なんだ。良かったら、まだあるからおかわりいるか?」
「そうやな、少し貰おうか」
「お、おう」
と、わざとらしく話をする二人。そんな様子に溜め息を吐き、顔をあげると桃子、なのはの視線とぶつかる。
「あー、・・・・・・桃子さん、お茶下さい」
観念してそう言うと湯のみを差し出す。
「は〜い♪今すぐにいれるからね♪」
桃子は嬉しそうに返事をすると恭也の湯飲みにお茶を注ぐ。
「あ、ああ。ありがとう」
礼を述べてお茶を一口啜る。それをずっとニコニコしながら桃子は頬杖をついて眺めている。
「あー、何か?」
「ん〜、別に〜」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「(ニコニコニコニコ)」
「・・・・・・そんなにじっと見られていると飲みにくいんだが」
「あ、ごめんね〜。気にしないで飲んで」
「・・・・・・」
恭也助けを求めて美由希たちを見るが、それと同時に4人共立ち上がる。
『ごちそうさま〜』
「私、読みかけの本があったから部屋で読もーっと」
「あ、なのははやりかけの宿題があったんだった」
「じゃあ、うちは風呂の用意でもしようかな」
「俺は、洗物は後回しにして、とりあえず走ってくるか」
それぞれ、もっともらしい事を言いながらこの場から出て行く。
一人残された恭也は、胸中でそれぞれに言う事を思い浮かべる。
(美由希、本ならリビングで読めるだろ。なのはよ、今は夏休みだぞ。やりかけの宿題とは何だ?
レン、風呂はいつもならもう少し後ではなかったか。晶、何故洗物を後回しにする)
色々考えた所で事態が変わる訳でもなく、恭也は諦めの境地へと辿り着くと静かに湯のみを傾け、茶を啜る。
「ふぅー。・・・・・・で、桃子さん、いつまでこうしてるつもりだ」
「それもそうね。じゃあ、リビングにでも行ってゆっくりしましょうか」
そう言うと桃子は恭也の腕を取るとリビングへと移動する。
最早、何も言う気力もなく恭也は大人しくされるがままに付いて行く。
桃子は恭也を座らせるとキッチンへと戻り、食器を片付けてから湯のみを二つ手にして戻ってくる。
そして、恭也の横へと腰を降ろす。
「ふぅー。恭也、今日はありがとうね。楽しかったわ」
「そうか。俺も結構、楽しかった」
「そう」
「ああ」
それっきり言葉もなく、ただ黙り込む。
桃子はゆっくりと頭を傾けると恭也の肩に乗せる。
恭也も特に何を言うでもなく、桃子の肩へと手を回す。
「恭也・・・、最後に一度だけ名前を呼んで」
「・・・・・・分かった。・・・桃子さん」
「ううん。さんはつけないで。お願い」
「・・・・・・桃子」
「・・・・・・もう一回」
「一度だけではなかったのか」
「やっぱり恭也は意地悪ね」
「・・・悪かったな」
「くす、冗談よ。あんたは充分優しいわよ」
「そうか?」
「そうよ」
それっきり二人はまた黙り込む。
「・・・・・・・・・桃子」
「えっ!」
「これで終わりだ」
「あ、うん・・・・・・」
桃子は少し残念そうな顔をする。そんな桃子の耳に独り言とも取れるような小さな呟きが聞こえてくる。
「次はまた今度。できれば、その先ずっと・・・」
驚いた表情で恭也の顔を見るが、恭也は顔を逸らしており、今の言葉を確かめる事ができない。
ただ、桃子は恭也の顔が耳まで真っ赤になっているのを見て、笑みを零す。
「今は良いわ。でも、その時が来たらちゃんと言ってね」
「・・・わかった」
恭也の返事を聞きながら桃子はそっと瞳を閉じ、恭也に身を寄りかからせる。
恭也も優しく受け止めると、そのままそこだけ時間が止まったかのように静寂が辺りを包み込んでいった。
まるで一枚の絵画のように二人は動かず、いつまでも寄り添っていた。
おわり