『とらハ学園』






第44話





砂塵が晴れた先に立つ恭也と、その横に控えるように立つ一人の女性。
その女性は日本人形のように整った顔立ちをしており、長い睫に憂いを帯びたような瞳で恭也を見詰める。
その髪は、首の後ろで纏められ後ろへと流れており、その細い腰には刀身のない鞘だけを差していた。
恭也の横に立つ女性を見て、アルシェラが眦を上げる。

【アルシェラ】
「恭也!その女性は誰じゃ!」

【恭也】
「いや、俺に聞かれても…」

恭也が困ったように言うと、その女性は悲し気に睫を振るわせ、手を口元に持っていく。

【沙夜】
「ご主人様、それはあまりにも冷たいお言葉です。
ご主人様が沙夜をお求めになられたからこそ、沙夜はお答えしたというのに」

沙夜の言葉に、恭也は絶句し、アルシェラは怒りの形相を浮かべる。

【アルシェラ】
「恭也!余という者がおりながら、余所に女子(おなご)を作るとは!」

【恭也】
「ばっ、ちょっと落ち着け。そんな訳ないだろう!第一、ここには俺達以外には誰もいなかったんだぞ」

【アルシェラ】
「そんな事は知らぬ。現にお主の横にいるではないか」

【恭也】
「だから、俺は知らないと言ってるだろう。沙夜さんも………。
沙夜?沙夜だって!」

【アルシェラ】
「やはり覚えが…」

恭也の言葉に憤慨しながら言うアルシェラに、箔人が符を放つ。
その符は嘴の鋭い鳥になると、アルシェラ目掛けて飛び掛ってくる。

【アルシェラ】
「えーい、やかましい!」

アルシェラの怒声と共に振り回した剣によって、鳥はあっさりと霧散する。
それには目もくれず、アルシェラは沙夜を睨むように見る。

【空爪】
「ごちゃごちゃと五月蝿い奴らだ。まとめて死ね!」

空爪が恭也と沙夜目掛け、その腕を振り下ろす。

【沙夜】
「ご主人様!」

沙夜の声に、恭也は知らず手を前に上げる。
その手の中に、沙夜は飛び込むように跳躍すると、その形がすぐさま小太刀に変わる。
恭也は空爪の攻撃を沙夜で防ぐと、距離を開ける。
そして、鞘に収まれたままの沙夜を抜き放つ。

【恭也】
『やはり、あの時話し掛けてきたのはお前だったのか』

【沙夜】
『はい、ご主人様。思う存分に、力を振るってください』

【恭也】
「ああ、分かった。だが、そのご主人様ってのは止めてくれ。俺の名前は恭也だ』

【沙夜】
『分かりました。では………、恭也…様』

どこか恥ずかし気に、そして嬉しそうにそっと名前を呟く。

【恭也】
「父さん、こっちは何とかするから、そっちを!アルシェラも!」

恭也の言葉に、士郎は無言で答え呂飛へと向って行く。
アルシェラも頷くと、箔人へと走り出す。
そんな二人に向って、箔人は符を投げるが、全て斬られて行く。
光望は、士郎を狙って牙を剥くフォアンへと符を投げつける。

【光望】
「爆!」

光望の言葉と共に、その符が弾け飛ぶ。
これで、標的を士郎から光望へと変えたフォアンは、ゆっくりと距離を計るように動く。
それを見ながら、光望は3枚の符を取り出す。

【光望】
「さて、おぬしの相手はわしじゃ」

符を構える光望を睨みつつ、その長い舌をチロチロと出し入れする。
シャァーという叫び声と共に、光望へと襲い掛かるフォアン。
そのフォアンの頭部目掛け、光望が符を投げる。
その符を避けるように、フォアンは体をくねらす。
迫り来るフォアンへと、光望は複数の符を投げる。
これら全てを避けきるには、フォアンの体は大き過ぎ、何発かを喰らう。
フォアンに触れた符が爆発し、煙が立ち込める中、光望はその煙を注視する。
と、煙の向こうに微かな影が見え、光望はその場を跳び退く。
先程まで光望のいた場所へと、フォアンの牙が突き刺さる。
フォアンはそのまま顎を閉じると、地面を抉り取る。
全くダメージを負った様子のないフォアンを見ながら、光望は再度符を投げる。

【光望】
「爆発が駄目なら、これでどうじゃ」

光望の投げた符が火の玉へと変わる。
フォアンは複数の火の玉を尻尾の一振りで打ち払うと、そのまま光望へと尾を打ち付ける。
光望は地を蹴ると、木から木へと蹴りながら距離を開ける。

【光望】
「何て奴じゃ」

フォアンはその巨体に似合わない速度で、逃げる光望との距離を縮めて行く。
光望は距離を保ちつつ、フォアンから逃げるが、体力的に先に速度が落ちるのは自分だと理解している。

【光望】
「幾ら大きいというても、蛇は蛇じゃろうからな」

ぐるぐると逃げ回っているうちに一周したのか、光望たちは元の場所へと戻ってくる。
未だに追って来るフォアンを見て、今度は背を向け一直線に逃げる。
その後を躊躇いもせずに追うフォアン。
光望は後ろからフォアンが付いて来ているのを確認すると、唐突に足を止める。

【光望】
「ふぉっふぉっふぉっふぉ。所詮、獣は獣じゃな。
さあ、来るなら来るが良い。ただし、その時がお主の最後じゃ」

光望は懐から符を五枚取り出し、フォアンへと向って言い放つ。
その言葉を理解しているのかいないのか、フォアンは舌を出しながら威嚇の声を上げる。
そして、光望が手にした符を投げるつもりがないと悟ると、一気に光望へと向って顎を開きながら迫る。
それを眺めながら、光望は五枚の符を目の前に掲げ放す。
すると、符はそれぞれが意志を持つかのように空中で止まり、五芒星を描く。
その五芒星の中心に、光望は右手の人差し指と中指の二本を伸ばした形で突き刺す。

【光望】
「凍結陣!」

光望の叫びと共に、その五芒星から四方へと空気が一斉に流れる。
その空気が流れた後、草木には霜が降り、辺りの気温が氷点下まで下がる。
そんな中、フォアンは少し動きを鈍らせたものの光望へと牙を剥く。

【光望】
「くっ!」

何とか地面を転がり、フォアンの牙を躱すが完全には避けきれず、左腕から血が流れる。
光望は右手だけで符を一枚出すと、

【光望】
「これで、終わりじゃ。氷槍!」

光望はフォアンの頭上へと符を投げる。
しかし、符は何の変化もせず、そのままフォアンの頭上へと向かう。
術の失敗かと思われた時、周囲からキィィィィィィンという音と共に、空気が振動する。
そして、フォアンの足元から何本もの氷の槍が生え、その体を貫く。
ただ貫くだけでなく、突き刺さった個所が凍りつき抜けなくする。
地面から伸びる針に縫いつけられるような形をなったフォアンは咆哮を上げつつ、その巨体で凍りの槍を折っていく。
氷の槍もフォアンの力には耐えられなかったのか、所々皹が入り始める。
それを見ても、光望は特に何をするでもなく、傷付いた左腕を押さえながら立ち尽くす。

【光望】
「この術は、周囲にも符を貼る必要があっての。少し、面倒臭い上に相手に気付かれる恐れもあるんじゃよ。
お主は気付かなんだようじゃがの。
わしが逃げる振りをしつつ、今いるこの場を中心とした円形状に符を貼り付けていた事なんぞ。
中々、骨の折れる作業じゃったわ。
その代わり、その威力は折り紙つきじゃがの」

光望の言葉を肯定するかのように、周囲ではまだ空気の震えは止まっておらず、それどころか気温がさらに下がっていく。
やがて、フォアンを中心とした周囲の木々の間から、光を反射して何かが飛来する。
それは全てフォアンへと突き刺さっていく。
新たに飛来した氷の槍に貫かれ、フォアンは体をのたうち回らせようとするが、
未だに地面から伸びる槍の所為で自由に動く事が出来なかった。
森のあちこちから飛来した氷の槍は、フォアンに突き刺さるとそこから凍らせていく。
休む事無く飛来する槍が収まった頃には、そこには氷漬けとなったフォアンがいた。
すると、それを待っていたかのように、フォアンの頭上に浮いていた符が落ちる。
その符が触れた瞬間、その氷塊に皹が入りフォアンもろともバラバラに砕け散った。
それを見届けると、光望も膝を着く。

【光望】
「はー、はー。さ、流石にこの術は疲れるわい。す、少しだけ休ませてもらおうかの」

光望はそう言うと、近くに木に寄りかかり目を閉じるのだった。







【沙夜】
『恭也様、後ろです!』

沙夜の声に、恭也は身を伏せる。
その頭上を空爪の腕が通過していく。
恭也はすぐさま立ち上がると、目の前に降り立った空爪を見据え、空爪に向って駆け出す。
空爪は恭也の振った小太刀をその爪で受け止め、もう一方の手を恭也へと突き刺す。
その攻撃を身を捩って紙一重で躱し、蹴りを放つ。
空爪はその蹴りを片腕で受け止め、そのまま横薙ぎに腕を振るう。
恭也はその力に吹き飛ばされるながらも、空中で態勢を整え、足から着地する。
そして、再び空爪へと向って駆け出すのだった。







箔人の放った符から、四足の獣と鳥が現われる。
それを眺めつつ、アルシェラはその手に形を変えた両刃の長剣をしつつ、不遜な態度を崩さない。
そんなアルシェラ目掛け、獣が地を這うように迫る。
その頭上からは、鳥がアルシェラを目掛け飛びかかる。
箔人はアルシェラとの距離を開けたまま、更に符を取り出すと指先に挟み込むようにして持つ。
その手を上から下へと軽く振ると、その符が鞭へと姿を変える。
しかも、ただの鞭ではなく雷を纏い、あたりにバチバチと火花を散らす。
アルシェラはそれを一瞥すると、まず向かってくる鳥へと目を向ける。
獣と鳥が同時に、それぞれ足と頭を狙い襲い来る。
アルシェラは斜め前へと跳び、獣の攻撃をやり過ごす。
同時に剣を下から上へと斬り上げ、鳥を一刀両断にする。
獣はすぐさま方向転換し、アルシェラの着地を狙い、飛び掛る。
それをアルシェラは空中で体を逆さにし、頭を下にすると剣を振り下ろす。
いや、アルシェラにすれば上へと突き刺す事になる。
アルシェラの剣に体を貫かれ、獣も鳥と同じ様に符へと戻る。
アルシェラは地面にまで達している剣を支えにして、再度体の向きを変えると、足から着地する。
そして、突き刺さったままの剣を引き抜くと、肩へと担ぐようにして持つ。

【アルシェラ】
「もう終いか?全然、歯応えのない」

アルシェラは大げさに息を吐き出すと、箔人へと目掛けて斬りかかる。
それを、箔人は手にした鞭で迎え撃つ。
アルシェラの間合いよりも外、鞭を手にする箔人には充分攻撃範囲内の距離にアルシェラが入った瞬間、
箔人はその腕を振る。その動きに合わせ、鞭が唸りを上げ、アルシェラへと向う。
アルシェラはそれを剣で弾くと、更に距離を詰める。
しかし、箔人は慌てず、手首を返すように動かす。
その動きだけで、弾かれた鞭が再び、今度は背後からアルシェラへと襲い掛かる。
その鞭の動きを読んでいたのか、アルシェラは振り返りもせずに、剣を背後に回し鞭を再度弾く。
と同時に、アルシェラの間合いへと入る。
アルシェラは躊躇いもなく、背後に回した剣に力を込めて箔人へと斬りつける。
それを箔人は背後に飛び退りながら躱すが、切先が胸を掠り服を、そしてその下の皮膚を切る。
皮一枚切れただけで大した怪我ではないが、箔人の胸には横一文字に薄っすらと血が浮き出る。
しかし、当の箔人はそれを全く気にも止めず、再度符を取り出すと、右手に握ったのと全く同じ鞭を左手にも握る。
両手の鞭を縦横無尽に振り回す。
共に雷を纏い、鞭同士がぶつかり合ったり、地面へと接する度に、雷が空中で音を立てる。
箔人を中心とした鞭と雷による一種の結界である。
これには流石のアルシェラも、迂闊に近づけずにいた。
近づけないアルシェラと違い、箔人の鞭はアルシェラの隙を付いては攻撃してくる。
ただし、絶対に深追いはせず、攻撃した後はすぐに手元へと引き寄せる。
アルシェラは時折、思い出したように攻撃してくる鞭を軽く剣で弾きながら、じっと箔人の様子を見る。

【アルシェラ】
(さて、どうするかの)

じっと箔人を見詰めるアルシェラは、ある事に気付く。
それに注意しながら、箔人の鞭を捌き続ける。

【アルシェラ】
(やはりの。左右の鞭が入れ替わり攻撃と防御を繰り返し、こちらから攻撃できんように見えるが、
一瞬だけその両方が入れ替わる瞬間のほんの一瞬だけ、微かだが隙が出来ておる。
あの隙間に入りさえすれば、あの間合いでは余の方が速い)

アルシェラは素早く考えを纏めると、行動に移る。

【アルシェラ】
(今の余の力なら……。よし!)

アルシェラは箔人目掛け、一気に駆け出す。
アルシェラの右側から、鞭が唸りを上げるがアルシェラは最小限の動きだけで躱す。
鞭と、そこに纏わり着く雷によって右肩の皮膚が切れ、血が出るが構わず走る。
今度は左側から鞭が襲い来るが、これも同じ様に最小限の動きだけで躱し、左の二の腕から血が流れる。
その左側の鞭が箔人へと戻り、右側の鞭が襲いくる瞬間、アルシェラの姿が消える。
右側の鞭が誰もいない空間を打ち据えた音が響き、
アルシェラの姿は箔人の前、たった今、攻撃のために伸びきった左腕の下にあった。
箔人は右手の鞭をアルシェラへと向け振るい、同時に左手の鞭を引き戻す。
しかし、この距離ではアルシェラの方が数段速かった。
アルシェラは、左下から右上に向け剣を一閃させる。
その攻撃を避ける事も出来ず、箔人はまともに受けて地へと倒れ伏す。
倒れた箔人の傍で、アルシェラは剣を構えたまま様子を伺う。
やがて、その体が塵となり消えていく。
跡形もなく消えた箔人のいた場所を見ながら、アルシェラが呟く。

【アルシェラ】
「魔に魅入られた者の最後は哀れじゃな」

呟くと剣を仕舞い、大きく息を吐き出す。

【アルシェラ】
「ふー、久々に疾風迅を使こうたが、疲れた。やはり力を封じたままというのは不便じゃな。
まあ、仕方があるまいが。どれ、恭也の方はどうなったかの」

アルシェラはそう言うと、本当に疲れているのか怪しいぐらいの軽い足取りで、恭也のいるであろう場所へと向うのだった。







──御神流、虎切

空爪へと抜刀された小太刀が迫る。
それを両腕の爪を交差させて受け止めると、空爪は蹴りを放つ。
その蹴りを身を沈めて躱すと、恭也は空爪の懐へと近づく。
空爪の脇腹へと小太刀を突き入れようとした所で、空爪の体が空中へと浮く。
あっという間に、恭也の手の届かない空中へと飛翔した空爪は、嘲笑うかのように口元を歪め、恭也目掛けて急降下する。
右手を体の下から上へと掬い上げるようにして、恭也へと打ち下ろす。
恭也はそれを神速で躱す。
先程まで恭也のいた地面が、抉り取られる。
地面に降りた空爪は一瞬、恭也の姿を見失うが、すぐに見つける。
それほど離れていない場所に、恭也はいた。

【沙夜】
『恭也様、今のは?』

【恭也】
『今のは神速という移動術だ。ただ、この技は体に負担が掛かりすぎる。
今の俺だと、一日に二回。一回あたり三秒から五秒が限界だ』

【沙夜】
『つまり、今の技は後一回という事ですか?』

【恭也】
『ああ。とりあえず、あいつの翼は厄介だな。上空に逃げられたら、手の打ちようがない』

【沙夜】
『上空に逃れる前に、空爪を倒す必要がありますね』

沙夜の言葉に恭也は頷いて堪える。
そんな恭也に、空爪は先程の動きを用心してか、少し慎重に近づいて行く。
そして、両者の距離が一定の所で動きを止めると、ゆっくりと右腕を頭上へと上げる。

【空爪】
「さて、これは避けれるかな小僧」

そう言うと、右腕を振り下ろす。
同時に、その手の先から黒い何かが飛び出し、恭也へと向って行く。
三つ飛来したソレを、恭也は二つは躱し、一つは沙夜で打ち払う。
打ち払い、地面へと落ちたソレを見ると、やけに先が鋭利に尖った爪だった。
空爪のほうを見ると、今爪を飛ばしたと思われる個所の指から、爪が生えてきていた。

【空爪】
「ほう、よく躱したな。しかし、いつまで持つかな」

楽しそうに笑いながら、今度は両腕を上に掲げるのだった。







呂飛へと向かい、掛ける士郎の前に数枚の符が飛ぶ。
符は火の玉に変わると、殆ど隙間もなく士郎へと飛んでいく。
それを見ても士郎は足を止めず、寧ろその顔に獰猛な笑みさえ浮かべ、閻を握る手に力を込める。
襲い来る火の玉の群れへと飛び込むと、閻を縦横に振る。
その剣で火の玉を切り裂き、呂飛との距離を詰めていく。
呂飛はそれを見て、すぐさま次の符を投げる。
今度の符は氷の礫となり、士郎へと襲い掛かる。
士郎はその礫のうち、自分の進路上で邪魔になる物だけを飛針を投げて潰していく。
掠る程度のモノは無視し、氷の礫の群れも抜ける。
その士郎の前に、またも数枚の符が現われ、今度は目に見えない風の刃となって襲い掛かる。
これを士郎は、出来る限り身を低くし、体を前のめりに倒す。
風の刃が士郎の頬や腕を切り付けるが、士郎の速度は全く衰えない。
当たる面積を最小にし、閻を目の前に翳しながら、突き抜けていく。
呂飛まで後少しという所で、一気に加速する。
そんな士郎に対し、呂飛は自分と士郎の中間あたりに符を投げる。
しかし、特に変化をしない符に対し、呂飛が焦ったような顔をし、舌打ちをするとすぐさま新たな符を投げる。
その符から放たれる雷光を、士郎は難なく躱すと更に距離を詰めていく。
と、呂飛が右手の人差し指と中指を合わせ、他の指を握りこみながら掌を上へと向ける。
そして、立てた二本の指を下から上へと動かす。
それに合わせ、士郎の足元、先程不発に終った符のある場所の地面が尖り士郎へと迫る。
しかし、それを読んでいたのか士郎はいつの間にか閻を納刀しており、続けざまにニ刀を抜刀する。

──御神流奥義之六 薙旋

進路上に何もなくなった地面を、士郎は閻と八景を手に一気に駆ける。
呂飛まで後少しという所で、二人の間の地面が再び持ち上がる。
ただし今度は、四角い形で。
まるで呂飛を守る盾のように聳え立つ土の壁を、しかし士郎は小太刀で斬りかかる。

──御神流奥義之四 花菱

士郎の乱撃によって、分厚い土の壁に亀裂が生じる。
そして遂に、その亀裂が大きくなっていき、土の壁が崩れ去る。
まだ完全に崩壊せず、崩れていく途中の土煙の中を突っ切り、士郎は呂飛との距離を縮める。
慌てた呂飛が符を取り出すが、既にそこは呂飛の間合いよりもずっと内側、士郎の間合いだった。
士郎は呂飛の顔を一瞥すると、

【士郎】
「じゃあな」

短く呟き、両の手に握る小太刀を振るった。
士郎の小太刀を受け、呂飛も箔人と同じ様に塵へと還る。
あちこちから血を流しつつ、士郎はそれを眺めていた。







空爪は上げた両腕を交差させる形で振り下ろす。
その両手から、合計六つの爪が恭也目掛け飛ぶ。
それを沙夜を使い、弾き躱しする恭也に対し、空爪は低空を滑るように移動して近づくとその腕を振り下ろす。
爪に気を取られていた恭也は、空爪の接近に気付かなかった。
迫る空爪の爪を避ける為、恭也は神速を使う。
しかし、完全には躱しきれず微かに掠る。
再び距離を置いて対峙する一人と一匹。

【沙夜】
『恭也様、これで神速は打ち止めですね』

【恭也】
『そうだな』

恭也は荒く息を吐き出しながら、目の前の空爪を見る。

【沙夜】
『恭也様は霊力の使い方をご存知ですか?』

【恭也】
『多少ならな。だが、正直言って苦手だ。それに、どうも俺は霊力がそんなに高くないらしい』

【沙夜】
『……確かに。恭也様の霊力は、普通の人と比べても更に低いですね』

沙夜は恭也の体内にある霊力を探り、そう答える。
それに頷く恭也に、沙夜は少し驚いたように続ける。

【沙夜】
『なのに、私を抜く事が出来たなんて…』

【恭也】
『アルシェラにも似たような事を言われたような…』

【沙夜】
『アルシェラさん?』

昔を懐かしむような声の恭也に、沙夜が尋ねる。
それに対し、恭也は空爪の攻撃を躱しつつ答える。

【恭也】
『ああ。さっき近くにいた女性の事だ。と、それよりも今は』

【沙夜】
『そうでしたわね。霊力が使えるようなら、私の霊力と同調させて力を引き出せるのですが』

考え込む沙夜に、恭也があっさりと答える。

【恭也】
『沙夜の力を引き出せば良いのか?』

【沙夜】
『ええ。でも、その為には恭也様と沙夜の霊力を同調させないと…』

沙夜は途中で言葉を止める。
恭也が沙夜の力を引き出し、その刀身へと導いたからである。
これには沙夜も驚きの声を上げる。

【沙夜】
『え、どうして…』

【恭也】
『何だ、何か違うのか。引き出せば良かったんじゃないのか』

【沙夜】
『それはそうなんですけど…。どうして、こんな事が』

【恭也】
『何故と言われても、俺にも分からん。
魔剣とかを使う為に、自分の霊力を操ったり、同調させたりするのは苦手なんだが、
どうも、魂の篭った霊剣とかの力を引き出すのは出来るんだ。
もっとも、こうやって力を引き出せるのは霊剣しかないんだけどな。
あ、魔神剣もそうだったな』

【沙夜】
『魔神剣?聞かない名前ですね。それは?』

【恭也】
『それは後でな。それよりも今は』

徐々に空爪に追い詰められていく現状を指し、恭也は沙夜との会話を打ち切る。
そして、沙夜の声に従い、沙夜の力を刀身へと伝わらせる。
その間に、空爪の蹴りを喰らい、恭也は近くの木へと叩き付けられる。
一瞬、肺の中の空気を全て吐き出し、呼吸に苦しむが、それでも沙夜の力を刀身へと伝わらせる。
すると、その刀身を包み込むように紅い陽炎のようなモノが浮かび上がる。
それを見て、空爪は追撃を止め、距離を開ける。
そして、いつでも飛び出せる態勢で恭也を見る。

【沙夜】
『問題は、空爪が空に逃げる前に、空爪の元に行かないといけないという事ですね』

【恭也】
『確かに。アレを試してみるか』

【沙夜】
『あれ?』

【恭也】
『ああ。足で徹を打てるように練習してて思いついた技だ。
お陰で、こっちの練習ばかりになってしまい、未だに足で徹は打てないんだがな。
アルシェラとの訓練のお陰で、大分使えるようになっているはず』

【沙夜】
『徹?まあ、その辺りは後で教えて頂くとして……』

【恭也】
『ああ』

恭也は木から離れると、未だこちらを見ている空爪を見る。
どこか警戒しているような空爪に対し、恭也は挑発めいた笑みを浮かべる。

【恭也】
「何を怖がっているんだ?そっちから来ないなら、こっちから行くぞ?」

【空爪】
「!!調子に乗るなよ!人間風情がぁっ!そんなフラフラな状態で、俺に勝てるつもりか!
そんなに死にたければ、殺してやる!喰らえ!」

空爪は叫ぶと、両腕を上げ爪を飛ばす。
それを紙一重で避ける。
全てを避け終えた瞬間、恭也は空爪へと走り出す。
空爪は迎え撃とうと構えるが、恭也の握る沙夜に目を向け、いつでも上空へ逃れる用意もする。
後、数メートルと迫った所で、恭也は右足で地面を後ろ蹴りするように動かす。
瞬間、恭也の右足が触れた地面が凹み、ドゴンという音だけを残し、恭也の姿をその場から消す。
いや、実際には消えておらず、物凄い速さで空爪へと迫る。
その速度は、神速ほどではないが、普通に走っただけで出るような速度ではなかった。

──我流歩法之術 裂風迅(れっぷうじん)

そこへ、それぞれの敵を倒した士郎たちが駆けつける。

【士郎】
「何だ、あの速度は」

士郎の呟きに、アルシェラが胸を張り偉そうに答える。

【アルシェラ】
「ふふん。アレは余との訓練で編み出した移動技じゃ。
足で力を逃した徹を込めて地面を蹴る。その力の反動で、推力を得るという寸法じゃ。
お主らの奥義の一つにある射刀術の疾光の人間版じゃな。
神速の様に早くもなく、知覚力を高めたりはしないが、その分体に掛かる負担は少ない。
それに、あの速度じゃ。間合いを詰めるにはもってこいじゃろ」

アルシェラが語る中、恭也は空中へ逃れようとした空爪の胸に沙夜を突きたてる。
空爪が絶叫しながら、その腕を恭也へと打ち下ろそうとする。
その腕が振り下ろされるよりも早く、恭也は胸に刺さったままの沙夜に更に力を込める。
苦悶の声を上げる空爪に構わず、恭也はそのまま沙夜を振り下ろし、空爪から離れる。

【空爪】
「ば、馬鹿な。この俺が、人間如きに…。あ、ありえん」

胸から腰に掛けて切り裂かれながらも、空爪はまだ足を地に着け立つ。
そして、右腕をのろのろと上げると、そこから爪を飛ばす。
しかし、力なく飛ぶ爪は恭也に簡単に弾かれる。
それを見て、悔しそうに顔を歪めながらも、

【空爪】
「ま、まだだ。せ、せめてお前だけでも道連れに…」

空爪の体内から、妖気が溢れ出す。

【光望】
「まずい!自爆する気じゃ」

光望の言葉に、士郎たちは恭也の元へと行こうとするが、それよりも早く辺りを爆音と砂煙が覆う。
爆音が収まると、士郎たちは恭也の元へと走る。
目の前を覆う砂塵から眼を庇いつつ、恭也のいた場所へと声を掛ける。

【士郎】
「恭也!」

【アルシェラ】
「恭也、無事か。無事なら、返事をせい」

暫らくすると、微かに声が聞こえてくる。

【恭也】
「その声は父さんとアルシェラか。俺は無事だ」

聞こえてきた恭也の声に、安堵しつつ煙が晴れるのを待つ。
やがて晴れた煙の向こうで、恭也の前に立ち両手を掲げている沙夜の姿が見えてくる。
沙夜は、士郎たちに気付くと、両手を下ろす。
すると、恭也と沙夜を包み込んでいた結界が消える。

【恭也】
「沙夜のお陰で助かった」

【沙夜】
「いえ、ご主人様である恭也様をお守りするのは、当然の事ですから」

どこか照れながらもそう言う沙夜に、アルシェラがムスっとした顔をしながら近づく。

【アルシェラ】
「お主は一体、何じゃ。恭也は余のものじゃぞ」

アルシェラはそう言うと、恭也に抱き付く。
それを見て、沙夜は微笑みながら、

【沙夜】
「恭也様の奥方様ですか」

沙夜の言葉に照れるアルシェラを無視して、恭也は照れながらも否定する。

【恭也】
「違う」

その答えを聞き、沙夜は嬉しそうに微笑む。

【沙夜】
「そうですか。沙夜は決めました。ずっと恭也様と一緒にいます」

【アルシェラ】
「ならん!お主はもう用済みじゃ。さっさとそこにいる光望と帰るが良い」

【沙夜】
「そうはいきません。恭也様は、沙夜のご主人様となられたのですから」

【アルシェラ】
「恭也には余がおるから大丈夫じゃ」

【沙夜】
「そういう問題じゃありません。沙夜を永い永い眠りから覚まして頂いた上に、沙夜を人として扱ってくれました。
その上、お名前でお呼びしても良いと…」

頬を染めながらも嬉しそうに言う沙夜に対し、アルシェラは面白くなさそうに恭也の腕を抓る。

【恭也】
「痛っ。アルシェラ、何をする」

【アルシェラ】
「何をするではないわ!お主はすぐにそうやって…」

【恭也】
「何の事を言ってるのかは分からんが、とりあえず抓るな」

恭也はアルシェラの腕を振り解く。
その腕の赤くなった個所を、沙夜がそっと撫でる。

【沙夜】
「お可哀相に、恭也様。こんなになってしまって」

【恭也】
「いや、沙夜。大した事ないから…」

恭也が最後まで言わないうちに、アルシェラが恭也を奪う様に抱き寄せる。

【アルシェラ】
「恭也は余のものじゃと言うとろうが!」

【沙夜】
「ふふふ。言うだけなら、構いませんよ。
私は誰かと違って、恭也様が他の女性と親しくされても我慢いたしますから。勿論、悲しいですけれど。
沙夜を一番に思っていてくれて、最後に沙夜の所に戻って来てくれるのならば、我慢しますわ」

口元に手を当て、沙夜は挑発するかのように言う。

【アルシェラ】
「何を戯けた事を。恭也にとって、余が一番に決まっておろう」

【沙夜】
「さあ、それはどうでしょうね?」

そう言うと、沙夜はアルシェラから恭也の左腕を取り返すように奪うと、腕を組む。
それに対抗するように、アルシェラは右腕を取る。
そんな二人のやり取りを眺めながら、士郎は光望へと尋ねる。

【士郎】
「で、どうするんだ?」

【光望】
「ふむ。封印が解けた上に、もう封印するものがないしの。
更に言えば、恭也くんはあの刀に認められたという事じゃし。
わしはあの箱だけを持って帰る事にするわい。ふぉっふぉっふぉ」

光望は楽しそうに笑って答える。

【士郎】
「そうか。まあ、アンタがそれで良いって言うなら、それで良いか。
これで、恭也にもやっと二本の小太刀が揃った事になった訳だしな。
まあ、ちょっと癖のある刀たちばかりだがな」

士郎は呟くと、未だに恭也を間に挟んで言い合っている二人を眺めた。
この後、とりあえず落ち着いた二人に光望が、士郎に話した事と同じ事を聞かせ、それぞれが反応を示す。
そしてその夜、沙夜にはアルシェラや士郎の事など、色々な事を教え翌日を迎えた。
その日の昼、恭也たちは光望の見送りに来ていた。

【士郎】
「じゃあな、爺さん」

【光望】
「ああ、色々と世話になったの。また、何かあったら頼む事にしよう」

【士郎】
「まあ、依頼料次第だな」

士郎の言葉に、笑いながら頷き、光望は恭也を見る。

【光望】
「恭也くん、沙夜を頼んだぞ」

【恭也】
「はい」

力強く頷く恭也の左腕を、沙夜が嬉しそうに取る。

【沙夜】
「恭也様、嬉しいお言葉です。これからも宜しくお願いしますね」

それを見て、アルシェラも逆の手を取る。

【アルシェラ】
「恭也は余を必要と、守ると言ったじゃろ。その約束は忘れていまいな」

両側から抱きつかれて、困った顔をする恭也に笑みを見せると光望は背を向ける。
歩き出そうとして、何かを思い出したのか懐を探る。
やがて目当ての物を見つけたのか、それを取り出すと恭也へと放り投げる。
恭也はそれを胸の前で受け止める。

【恭也】
「これは……」

【沙夜】
「銅鐸ですか?」

恭也の手を覗き込みながら、沙夜が言う。

【恭也】
「いや、違うな。これは、風鈴……にしては音が鳴らないし」

どこか銅鐸にも似たような形をした15センチ程の銅製の物は、中が空洞になっているだけで何もない。
視線を上げ、これが何か尋ねようとするよりも早く、光望が答える。

【光望】
「それは特殊な鈴のような物じゃ。何か困ったことがあったら、それを鳴らすが良い。
その時になれば、自ずとなるじゃろうて。
その音は大して大きくはないが、わしには届く。
そしたら、わしは恭也くんの元へと尋ねよう。それが、刀防人としてのお礼じゃ。
永い事封じとった空爪を倒してくれた君へのな」

【恭也】
「でも、それは沙夜を頂いたので」

【光望】
「それは違うよ。沙夜は自らの意志で恭也くんを選んだんじゃ。だから、わしからのお礼はそれじゃ。
それに、わしが個人的に恭也くんを気に入ったというのもある。じゃから、年寄りの頼みじゃと思うて、貰ってくれんか。
士郎殿には既に払っておるから、それで良いじゃろ」

光望の言葉に士郎は頷く。
恭也も礼を言って、それを受け取る。

【光望】
「では、わしはそろそろ行くでな」

光望は今度こそ歩き始める。
その姿が遠くなった所で、少しだけ振り向く。

【光望】
「本当に困ったことがあったら、遠慮せずに鳴らすんじゃぞ。
その音色は、仙境へと届くからの。必ず、わしは駆けつけるぞ。
だから、鳴らして呼んでおくれ。刀防人にして、仙境の長であるわしをな」

その声は、離れているのにも関わらず、恭也たちの元へとしっかりと届く。
いや、恭也たちにしか聞こえなかったのかもしれないが。
兎も角、それだけを言うと、光望の姿は既に人込みの中へと消えていた。
暫らくは、光望の去った方を眺めていた恭也たちだったが、やがて顔を見合わせる。

【恭也】
「父さん、仙境って確か…」

【士郎】
「ああ。別名、桃源、または桃源郷とも言うな。仙人の住むと言われる世界だ。
ったく、あの爺さんただもんじゃないと思ってたが、まさか仙人だとはな。
こんな事だったら、もっと依頼料を貰っておくんだった。
仙人ってのは世俗的なことから離れた奴らの事なんだから、金なんかに興味はないだろうしな」

士郎の言葉を聞き、恭也は溜め息を吐くと、

【恭也】
「父さんにとっては、相手が仙人だろうがあまり関係ないみたいだな」

【士郎】
「うるせー」

士郎は生意気な事を言う息子に、制裁をくわえる為拳骨をお見舞いすると、さっさと歩き出す。
その後を追いながら、恭也はもう一度だけ光望の去った方を振り返り、心の中で礼を言うのだった。
その時ふと、軽くなった両腕を見れば、アルシェラと沙夜の姿がなく、前方で士郎を殴っている所だった。
そんな様子に笑みを浮かべながら、恭也は少し早足で士郎たちの元へと歩くのだった。






つづく




<あとがき>

永かった。前話から少し間が空いてしまったよ……。
しかし、やっと書き終えたー!
美姫 「お疲れ♪」
おお、ありがとう。
美姫 「じゃあ、早速次の話に取り掛かろうね」
………バタン。
美姫 「ほら、寝ない、寝ない」
わ、分かってらい!次も頑張るぞ!
美姫 「じゃあね」








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