『天に星 風に歌 そして天使は舞い降りる 30』
ゆうひの上げた悲鳴はリビングに居た耕介たちにもはっきりと聞こえたが、肝心の内容は聞き取れなかった。
故に何があったのかは分からないのだが、悲鳴が聞こえた為に殆どの寮生が玄関へと向かう。
流石に危険はないと思いつつも、桃子と年少組たちにはここに居るようにと真雪が言い置いて。
真っ先に駆けつけた耕介が何故か固まっているゆうひの肩に手を置けば、一度身体を震わせ、ゆっくりと顔をこちらへと向ける。
「ど、どうしよう、耕介くん」
若干、上擦ったよな声で震えた手で耕介の手を掴む。
一方で聞かれた耕介はよく事情が分からず、首を傾げるしかなく、後ろの真雪たちを振り返る。
とは言え、状況が分からないのは真雪たちも同じで、説明を求めるようにゆうひを見るのだが、肝心のゆうひはまだ呆けている。
そんな状況を見て取ったイリアの方が一つ咳払いをし、耕介たちへと視線を向け口を開く。
「改めてもう一度説明させて頂いても宜しいですか」
その口から紡がれた流暢な日本語に始めに応対に出た耕介以外が若干の驚きを見せつつも頷く。
そんな反応を気にも留めずに、ではと前置きして話し出そうとして、その出鼻を挫かれる事となる。
とは言え、それは決して邪魔をしようとしたものではなく、逆に気を使ってのものであった為にイリアも文句を言えなかった。
「とりあえず、立ち話もなんですから上がってもらったらどうですか」
という、愛の言葉によるものだったからである。
真雪なんかは微妙な顔をしつつ愛を眺めるのだが、当の本人はどうしましたかといった感じで首を傾げるだけである。
逆に耕介は愛さんらしいと思いつつ、流石にまた微妙な空気のままという訳にもいかずにイリアに上がるように促す事にする。
真雪も仕方ないとばかりに肩を竦め、そのやり取りにようやくゆうひもいつものような笑みを見せて愛に親指を立てて見せる。
「流石やで愛さん」
ゆうひの言葉のよく分からないものの、褒められたのだろうと理解して照れたような笑みを浮かべる愛にさしもの真雪も突っ込まない。
そんな背後のやり取りに知らず笑みが零れそうになるのを抑えつつ、耕介は客人をリビングへと案内する。
一方でリビングに居た年少組は戻って来た耕介に事情を聞こうとして、その後ろにイリアの姿を見つけて口を閉ざす。
空いた席をイリアへと勧め、耕介はお茶の準備をするべくそのままキッチンへと向かう。
一方でイリアの座ったソファーの対面にはゆうひが座り、真雪たちは遠巻きに見守る形でそれぞれに動く。
「それで、あたしたちも聞いて良い話なんですかね」
代表するように真雪がそう口にし、イリアのゆうひがよければという言葉に自然、全員の視線がゆうひへと向かう。
「うちは別に構へんよ。と言うか、既に聞いたから皆への説明の為みたいなもんやし」
自分で説明するには慌てふためき過ぎていた事を思い返して少し照れたように言うゆうひ。
対するイリアはそれではと淡々と説明を始める。
「簡単に言いますと、椎名ゆうひさんを我がスクールへとスカウトしに来ました」
前置きなどもなく、本当に簡単に説明するイリアに寮生たちは一瞬、意味が分からなかったのかポカンとした顔をするも、
徐々にその意味を理解したのか、驚く者、ゆうひを祝福する者などの反応を見せる。
そんな中、真雪はすみませんと声を掛け、
「スカウトは分かったんですけれど、どういった経緯で?
確かにゆうひの歌声は素人のあたしたちからしても上手いとは思いますけれど、
それが海外の、ましてやクリステラソングスクールの教頭の耳に入るとは思わないんですけれど」
ゆうひには悪いなと目で言いながら、真雪は相手の様子を窺う。
誰に頼まれた訳でもないが、真雪は寮生たちを守る事を自らに課している。
故に出た言葉であり、それを皆も分かっているからこそ口を挟まない。
だが、今回はその真雪へと声を掛ける者が居た。
「真雪さん、大丈夫ですよ。その人は本当にスクールの教頭、イリア・ライソンさんですよ」
恭也の言葉に真雪が視線を向けるが、何故言い切れるのか尋ねる前に当のイリアが口を開く。
「奇遇ですね、恭也くん」
「そうですね」
互いに軽く挨拶を交わすと、イリアは桃子、美由希にも言葉を掛ける。
それを見ていた真雪が何か言うよりも早く、ゆうひの反応は早かった。
「ちょっ、恭也くんたち知り合いなん!?」
「ええ、まあ。父がティオレさんの旦那さんの護衛をしていた関係で」
「おいおい、少年。ティオレ・クリステラの旦那と言えば議……」
「ええ! じゃあ、もしかしてティオレ・クリステラとも顔見知りやったりするん!?」
またしても真雪の言葉を遮ってゆうひが詰め寄るように尋ねた言葉に恭也は頷く。
「ティオレさんの旦那さんのアルバートさんが何故か父を気に入って頂いたようで。
その関係で家族ぐるみで」
「おおう、まさかこんな身近にそんな凄い人が居たなんて」
「いえ、俺自身は何も……」
「いやいや、知り合いならサインとかもらえるやん!
という訳で、恭也く〜ん」
「おいおい。そこからスカウトされているんじゃないのか」
恭也の言葉から今回のスカウトが真っ当な物だと判断したのか、真雪の呆れた声に知らず皆の顔にも笑みが浮かぶ。
一方のゆうひは忘れていたのか、改めて言われて緊張したように固くなりながらも席に戻る。
「そ、そう言えば何でうちの事を?」
今更のようにその事を聞けば、
「SAEKIレコードをご存知でしょうか」
そう尋ね返してくるイリアにゆうひは知っていると返す。
「理恵ちゃんの……」
思わず呟いた知佳の言葉が聞こえたのか、イリアは一度知佳を見た後、頷き再びゆうひと向き合う。
「そこの石原部長はうちのティオレの日本におけるマネージメントを担当して頂いています。
その関係でうちの日本でのスカウト役もして頂いておりまして、彼から今回、ゆうひさんの事をお聞きしました。
先ほど仰られた孫娘さんから話を聞いた会長経由で石原部長に話が行き、私たちの元にといった形ですね。
そして、今回はうちのスケジュールが丁度合った事もあり、クリスマスの時にゆうひさんの歌を聞かせてもらいました。
その結果、こうしてスカウトさせて頂くべく伺いました」
改めてどうするか聞かれ、ゆうひは嬉しそうな顔を見せるも戸惑ったような顔で耕介たちを見る。
その反応を見てか、イリアは再度口を開く。
「急な事で戸惑っているかと思いますので、返事の方は今すぐでなくて構いません。
ゆっくりと考えてみてください。
とは言え、こちらにもスケジュールなどの都合がありますので、年が明けて一週間程したらもう一度ご連絡差し上げます。
正式な返答はその時にお願いいたします」
「わ、分かりました」
イリアの言葉にゆうひが慌てて頷いて返すと、イリアは立ち上がる。
「それではこれで失礼させて頂きます。お茶、ごちそうさまでした。
桃子さんたちもこれで」
頭を下げるイリアに桃子も返し、恭也と美由希も頭を下げる。
それを見て玄関へと向かうイリアの後に続きながら、恭也は聞くかどうか迷っている事があった。
イリアも同様で、仕事として来ているからだけではなく、言うかどうか迷っている節が見られた。
共にそれが一人の少女の事であるのは何となく察しているのだが、タイミングを計るように無言のまま進む。
それはイリアが靴を履き終えた後でも変わらず、このまま別れるかという時、
「フィアッセはどうしてますか」
「……身体の方は特に大きな問題もなく元気ですよ」
イリアの言い回しが気になった真雪であったが、下手に口を出す事はしない。
逆に恭也の口から出た女性の名前に反応を見せる者が数名居たが、恭也はイリアからの返答をじっと聞いていて気付いていなかった。
いつもなら、からかうかもしれない桃子も神妙にイリアの言葉を聞いており、数秒の沈黙が降りる。
結局、恭也がそうですかと口を開き、会話は終わってしまう。
特に他に話もなく、イリアは改めてゆうひを見ると、
「良い返事をお待ちしてます」
そう口にしてさざなみ寮を後にする。
それを見送った後、恭也の態度に僅かに違和感を覚える薫や知佳であったが、何かを口にするよりも早く、美緒の明るい声が響く。
「ゆうひ、凄いのだ。これでゆうひもプロ歌手なのか?」
「いややわ、美緒ちゃん。気が早すぎるって。
大体、まだスクールに呼ばれただけなんやし」
「それでも凄い事だろう。でも意外だったな」
「意外って何がや耕介くん」
「いや、ティオレ・クリステラはゆうひの憧れなんだし、歌うのが好きなゆうひならすぐに返事するかと思ったからさ」
「むー、人を歌だけの人みたいに。そりゃあ、うちかて今回の話はもう二度とないチャンスやと思ったけれど……」
言ってチラリと耕介を見上げ、それからいつものように明るく笑う。
「兎も角、まだ時間もあるんやし色々と考えんとな。それに両親にも一応、言わんとあかんやろう。
流石のゆうひさんも即決は難しかってん」
「そうだな。まだ五歳だしな」
「そうそう、うち五歳ー。だから一人で寝るのも怖いから、耕介お兄ちゃん一緒に寝よ〜」
「ゆうひ、今のお兄ちゃんってもう一回」
「って、耕介くん、目が本気過ぎて怖いで!」
「はぁ、はぁ、怖くない。怖くないからね。だから、もう一回だけ言ってみようか」
「いやー、愛さん助けて〜」
言いながら愛の背中に逃げ込んだゆうひを、耕介は手を広げてふざけながら追いかけ、
「愛さん、ゆうひを大人しく渡せ〜」
目の前に立つ愛にゆうひを渡すように言い放ったまでは良かったが、その眼前に人差し指を立てた手がすっと伸び、
「耕介さん、ゆうひちゃんを虐めたらメッですよ」
「「……」」
真剣な表情の愛を前に、耕介とゆうひは互いに顔を見合わせ困った表情になる。
その後ろから真雪が笑いながらやって来て耕介の頭を叩く。
「何をするんですか、真雪さん」
「オチがつかなくなった漫才を止めてやったつもりだが、いらない世話だったか?」
「いえ、物凄く助かりました」
「うんうん。このままやったら、本当に耕介くんがただの変態になってしまう所やったからな」
「他人事みたいに言うな、この元凶が」
「いやいや、ネタ振りしてきたんわ耕介くんやろう」
「うっ、そうだけれど、愛さんを巻き込んだのもゆうひだろう」
「だって、愛さんなら素で何かしてくれる思ってんもん」
きょとんとしている愛を間に挟んで言い合う二人に、またしても真雪が今度は手をパンパンと叩いて止めさせる。
「お前らギャラリーが一人もいなくなったんだし、いい加減にしとけ。
そもそも、愛は天然なんだから無理に加えようとするのが無理なんだよ」
「何の事ですか?」
真雪の言葉にやはり分からずに首を傾げる愛に対し、真雪は気にするなと手を振ってリビングに戻るように手振りで合図する。
既に自身は耕介たちに背を向けており、無言でこれ以上は放置すると告げていた。
「しゃーない、冗談はここまでにしとこうか」
「だな。と言うか、真面目な話をしていたはずだったのに」
「それこそしゃーないで。五秒以上のシリアスは受け付けん体質やねん」
「どんな体質だよ」
「そりゃあ、この身体に流れるお笑いの血が……って、ちょっと待って」
うーんと考え込むゆうひに耕介はどうしたと声を掛けるも、ゆうひは眉間に皺を寄せてむむと考え込み、やがて大声を上げる。
「あー、今回は明らかに耕介くんから先にボケてきたで」
「……そうだったか?」
「そうやで! 何でうちの所為に」
「いや、誰もゆうひ所為だなんて言ってはないだろう」
「うぅぅ、酷いわ耕介くん。そうやって全てをうちの所為にして」
「いや、だからしてないって。と言うか、いい加減、戻ろう」
既に愛も真雪も居なくなり、二人だけという状況に加えて今は冬である。
廊下は冷え込んでおり、長時間居るのは流石に辛い。
ゆうひも耕介の意見には賛成で、二人してリビングへと向かう。
その途中、ゆうひは先を行く耕介の服の裾を掴み引っ張ると、真面目な声で言う。
「うちがおらんようになったら耕介くんは寂しい?」
「そりゃあな。でも、それがゆうひの夢なら引き止める訳にはいかないだろう。
時間はたっぷりって程でもないけれどあるんだから、じっくり考えて答えを出せば良いよ。
ゆうひが考えて出した答えなら、皆きっと応援してくれるさ」
「うん」
耕介の背中に額を押し付け、暫く無言で佇む。耕介も言葉を掛ける事無く、ただゆうひが納得するまで好きにさせておく。
やがて、数分か数秒か、ゆうひはすっと離れ、耕介の横に並ぶ。
その横顔はいつも通りにまっすぐ前を向いており、耕介は知らず笑みを溢す。
それを目敏く視界の端で見つけたゆうひは、耕介の方に向き直ると、
「何や、耕介くん。女の子の顔を見て笑うなんて失礼やで。
はっ、まさか何か付いてるんか!?」
「そうだな、色々と付いてるな」
「本当に!? え、どこに何が?」
「目とは……」
「因みに目と鼻と口なんて使い古された答えは却下やで。
そんな事を言ったら、愛さんに耕介くんがうちの顔を見て笑ったと泣き付いたる」
「…………」
ゆうひの言葉に口を閉ざし困った様子の耕介に対し、ゆうひは着けてもいない腕時計を見る振りをしながらカチコチと口ずさむ。
やがて、
「ブッブー。時間切れです。という訳で……」
にやりと笑みを一つ浮かべるや、ゆうひは駆け足でリビングへと駆け込み、
「愛さーん」
有言実行。
愛へと泣き付くゆうひの声を聞きながら、耕介はすっかりいつもの調子に戻ったゆうひにもう一度笑みを浮かべリビングへと向かう。
この時の笑みが消えないままであった為、愛にいつになく本気で怒られる事になるのだが、それは余談であろう。
つづく
<あとがき>
どうにかゆうひ編も終わったか。
美姫 「まあ、まだ少し残っているけれどね」
まあな。とりあえず、次回は年明けの話の予定だから、ゆうひのお話は一旦お休みのはず。
美姫 「何故、はずが付くのよ」
いや、もしかしたらという事ですよ、はい。
美姫 「はぁ。まあ、早く書けば別に良いんだけれどね」
うっ、痛い所を。
美姫 「ほらほら、書け、書け」
書きます、書きますよ!
と、そんな訳でまた次回で。
美姫 「まったね〜。…………次はもっと早くに会えると良いけれどね(ボソ)」
…………うん、聞こえない振りで誤魔化そう。
コホン、ではでは。
美姫 「はぁっ!」
ぶべらっ!
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