『darkness servant』






第一話


鏡にしては目の前に立つ己の姿を反射するでもない。
しかし、その表面は傷も窪みもなく、まさに鏡のようである。
目の前に立ち塞がる恭也自身の身長と大して変わらないソレを目にしても、恭也は興味を抱かず、
ただ邪魔な物、障害物としか認識しない。
故に目も暮れる事なくその横を通り過ぎ……ようとした所で、何の偶然か、
恭也のポケットからなのはのリボンがはらりと落ちる。
咄嗟に伸ばした手は、件の鏡らしきものの中へと潜り込む。
引き抜こうとするも、何かに掴まれている訳でもないのに抜く事が出来ない。
厚さも数センチもないに関わらず、潜った腕はその向こう側には見えない。
疑問を抱くも、それよりも恭也には見えない先にしっかりと握り締めた物の方が大事で、
抜けないのならと全身をその中へと飛び込ませる。
不意に襲う浮遊感にも慌てる事無く、ただ手の中にしっかりとリボンがある事のみを確かめ、
そのことに安堵する。今、自分を襲う浮遊感も何も関係ない。
もし、このまま何処かに落ちるのなら落ちたで構わない。
そんな事を思いつつ、恭也は素直に意識を手放すのだった。



「ですが、彼は平民です!」

そんな声が聞こえてきて、恭也は意識を覚醒させる。
自らのしぶとさに苦笑を漏らしつつ周囲を見渡せば、
何の祭りだと言いたくなるような、揃って同じマントを羽織った集団が目に入る。
その中に一人、一番の年長者であろう人物に一人の少女が何やら抗議の声をあげている。
先ほど聞こえてきた声は彼女のものであろうと考えつつ、恭也はここが何処なのか改めて意識を向ける。
見たこともない景色。芝生のように綺麗に切りそろえられた青草が広がり、向こうには大きな壁が見える。
そこまで確認した所で、先ほどの少女が目の前に立つ。
少女は不満そうな顔のまま何事かを呟き、恭也へと顔を近づけてくる。
反射的に身体を起こしてその場から飛び退く恭也に、少女は怒ったように、いや実際に怒り出す。

「何で避けるのよ! 平民のくせに生意気よ」

「何をされるのかも分からず、されるがままになんてなれるか」

状況が飲み込めないものの、目の前の少女が敵ではないとも言えないのだ。
死んでも構わないとは思っていても、むざむざ殺されるつもりはない。
ましてや、組織の残党とかが相手なら尚更である。龍は完全に滅ぼしたはずだが、万が一という事もある。
今まで以上に周囲を警戒し、恭也はとりあえずは目の前の少女を見据える。
急にきつくなった視線に思わず後退りそうになりつつも堪え、少女は恭也を睨み返す。
暫し無言で睨み合う二人であったが、その間にあの年配の男が割って入ってくる。

「とりあえず、事情を説明させてもらえないかな」

そう言って男はコルベールと名乗り、恭也へと話し始める。
ここがトリステイン魔法学院である事、恭也が目の前の少女、ルイズにより使い魔召喚の儀式で呼び出されたこと。
さっきのは危害を加えるものではなく、主従の儀式だと。

「分かった? 分かったら大人しく顔を出しなさい。
 貴族にこんな事をされるんだから、感謝しなさいよ」

言って恭也へと顔を近づけるも、ルイズの顔は恭也の掌によって遮られる。

「魔法や貴族なんてのは正直、知らん。
 どうやら、また可笑しな事に巻き込まれてしまったみたいだが、この際、それだってどうでも良い。
 だが、何故俺がお前の使い魔なんかにならないといけない。悪いが他をあたってくれ」

悪いと思っていない口調でそう告げると、恭也はルイズに背を向ける。
状況が全く分からないが、話を聞く限りに考えられる事は二つ。
一つは自分が知らない事がまだ世界にはたくさんあり、
偶々あの鏡のような物でこの地に強制的に連れて来られてしまった。
そしてもう一つはあまり信じたくはないのだが、美由希との話の中や偶に読んでいた本の中に幾つかあったのを思い出す。
つまり、異世界。どちらにせよ、帰る手段を探さなければならないし、ないのならないで構わない。
待つ人も、守るべきものも、とうの昔に無くした身である。
もしの垂れ死ぬ事が可能なら、それもまた一興と。
だが、そんな恭也の前に回りこんでルイズは手を腰に当てて偉そうに胸を張る。

「私だって嫌なのよ!」

「だったら、やらなければ良いだろう」

「しょうがないじゃない! アンタが召喚されたんだから!
 やり直しは出来ないんだもの! だから、大人しく私の使い魔になりなさいよね!」

「随分な言いようだな。来たくて来た訳ではないというのに。
 お前の都合など知らん」

少し億劫そうに、いや、実際にかなり億劫に恭也はそう告げる。
長いこと人と会話していない恭也にとって、人とのスキンシップは半ば忘れかけていたものである。
元々復讐のみを誓い、それらを求めずに何十年も一人で過ごしてきたのだ。
逆に煩わしいとさえ感じる部分もある。
それが声にも出たのか、面倒くさそうに告げた恭也にルイズは更に顔を真っ赤にさせる。
周囲を囲む同年代の少年や少女たちから上がる嘲笑もそれに輪を掛ける形となり、
ルイズは手に持っていた棒を頭上に掲げ、何事か――恐らくは呪文であろう――を呟く。
慌てた様子でコルベールが静止の声を上げるが、ルイズは聞こえていないのか呪文を唱えるのを止めない。
言う事を聞かなければ力尽くという態度に若干腹を立てつつ、
恭也はルイズの呪文を待ってやる義務もなく、攻撃しようとする以上は敵だと判断を下して動き出す。
あっという間に距離を詰めると、ルイズを蹴り飛ばす。
軽く数メートル地面を滑り、ルイズは激しく咳き込むと怒りに燃える目で恭也を睨み付ける。

「あ、あんたねー。へ、平民のくせに貴族を足蹴にするなんて教育が必要ね」

「何を言っている。お前は俺を攻撃しようとしたのだろう。
 なら、反撃される事はちゃんと考えていたはずだ。
 まさか、自分は攻撃するけれど、攻撃されないなんて考えてはいまい」

「〜〜っ! 平民のくせに偉そうに!
 まずはその口から治してあげないといけないみたいね」

言って杖を再び構えるルイズであったが、今度は何か口にするよりも早く頬をパーで叩かれる。
遅れてやってきた痛みと熱に、ようやく叩かれたのだと理解したときには杖は手から弾き飛ばされ、
そのまま杖を握っていた手を後ろに捻り上げられて地面へと押し倒されていた。
更に背中に恭也の膝が乗せられ、完全に動きを封じられる。

「さて、どうする?」

「は、離しなさいよ、この馬鹿!」

「この状況でまだそんな事を言えるとは、中々大したものだな」

呆れ九割、感心一割といった感じで呟く恭也であったが、その瞳は別段興味を抱いたという事はなく、
ただ敵だと判断した者を取り押さえたというものでしかなかった。

「あ、アンタなんか杖があれば……」

「その杖は今、どこにある? ない物を強請っても仕方ないぞ。
 それに、最初に対峙した時は、その杖とやらを持っていたのではないのか?
 で、どうなった? まだ現状が分かっていないようだが、お前をどうするのかは俺次第だと忘れない方が良いぞ」

「あ、アンタ、まさか、このまま私をて、ててて手篭めにするんじゃないでしょうね!」

顔を赤くして叫ぶルイズを見下ろしながら、恭也は無表情で告げる。

「そうしたら大人しくなるのなら、手段は選ばないな。
 特に興味がある訳ではないが」

本当に興味なく、どうでも良くてただの手段の一つだという口調で告げる恭也にルイズは更に怒りを募らせる。
だが、先ほどのように叫んだりはせず、大人しく口を噤む。
と、流石に見かねたのかコルベールが注意するように恭也に進言してくるが、恭也はそれを一瞥するだけ。

「先に仕掛けてきたのはこいつだ。俺はただ自分の身を守っただけでな。
 それで何が問題でもあるのか」

「確かにその事に関してはミス・ヴァリエールに非があるでしょう。
 ですが、やり過ぎでは」

「どんな攻撃をされるかもしれないのに、これがやり過ぎだと?
 武器を取り上げ、攻撃できないように拘束しただけだが」

「……そうですね。その点に関しては論じても意味ないでしょう。
 とりあえず、彼女を解放してもらえますか」

コルベールの言葉に恭也は少し考えた後、ルイズから離れる。
だが、その杖だけは返さずに自らの手に握る。
文句を言いかけるルイズを抑え、コルベールは再び恭也へと話し掛ける。
つまりは始めと同じ内容で、ルイズの使い魔になってくれというものであったが。

「断る」

「こっちだてお断りよ!」

「ミス・ヴァリエール。それでは貴女は試験に失敗という事になって留年する事になりますよ」

「うっ、で、ですが!」

「そういう事情もあるので、何とかお願いできませんか」

「それはそっちの事情だ。そんなものは知らない。
 それにさっき聞いた使い魔というものに関する説明では、主人が絶対なんだろう。
 それこそ御免こうむる。俺が本当に守るべきものは既にない」

最後は小さな呟きで、誰の耳にも届かなかったが、
断りの言葉だけははっきりと耳に聞こえルイズはまたしても恭也を睨む。
その視線を気にも止めず、恭也は今度こそ立ち去ろうとする。
それを止めたのはまたしてもコルベールであった。

「魔法学院や貴族というのを知らなかったという事は、恐らくは東方の地出身では?
 だとすれば、帰る方法はありませんよ。東方へはエルフの森があって」

「別に帰らずとも適当に放浪するだけだ」

「でしたら、こうしませんか。とりあえず、あなたとミス・ヴァリエールは仮契約という事で。
 勿論、そのような魔法はありませんから、あくまでも形としてはです。
 その間、あなたには寝所も食事も用意しましょう。
 ただあなたにはその間、ミス・ヴァリエールの傍に居てもらいます。
 その上で、彼女の人となりをしっかりと見極めてもらい、契約しても良いと思ったら契約するというのは」

「そんな!」

使い魔の方が主人を決めると取れるコルベールの提案にルイズから非難の声が上がりかけるが、
恭也が本当に出て行ってしまっては留年になると言葉を飲み込むのであった。



「……で、俺はどこで寝れば良いんだ。見たところ、ベッドは一つしかないみたいだが」

「そこよ」

言ってルイズが指したのは、申し訳程度に詰まれた藁であった。

「はぁ、まあ別に構わないがな。寧ろ、まだ上等な方だ」

そう呟きつつ恭也は藁の上に寝転がる。
その目の前に服が放り投げられる。
投げた本人へと視線を転じれば、着替えをしているルイズの姿があった。

「それ洗濯しておいてよ」

「何故、俺がしないといけない?」

「アンタ、使い魔でしょう」

「まだなった覚えはないし、仮になったとしても洗濯をする気はない。
 それとも使い魔と召し使いは同じなのか。どちらにせよ、今の俺には関係ないことだがな」

言って拾った服をルイズに投げ返す。
それを受け取りながら、ルイズは怒りの篭もった眼差しを恭也に向ける。
だが、それを軽く受け流して恭也はさっさと背中を向けると目を閉じる。
その態度が更にルイズの怒りに火を注いでいるのだが、それこそ恭也にはどうでも良い事であった。







ご意見、ご感想は掲示板かメールでお願いします。




▲Home          ▲戻る