『鋼鉄の守護者? ふもっふ』






No.2 「その男、本日は何処かおかしくて」





「うーん、うーむ」

高町家のリビングで唸り声を上げるのは、居候の一人である相良宗介その人だった。
それなりに遅い時間であり、この家の末っ子などは既に眠りについている。
そこへ、恭也が鍛錬の用意を済ませてやって来る。

「どうかしたのか、宗介?」

「ああ、恭也か。実は、今日出た宿題が全然、分からなくてな」

顔を上げてそう言ってきた宗介のノートをその肩越しに見遣ると、恭也もやや顔を顰める。

「古文か。宗介は小さい頃から日本に居なかったから、古文は特に苦手だったな」

「ああ。これが英語なら、何の問題もないんだが…。
 日本語は本当に難しい」

宗介の言葉に苦笑を漏らす恭也の背後から、妙にご機嫌な美由希が姿を見せる。

「ふんふんふ〜ん♪ 恭ちゃん、準備出来たよ」

夕方の軽い鍛錬で恭也に誉められたのがよほど嬉しいのか、美由希はそれ以来ずっとこんな調子であった。

「まあ、浮かれるのは構わんが、それで油断したら容赦しないからな」

「…わ、分かってるよ。その辺は大丈夫だって。
 って、宗介何してるの?」

恭也の言葉は僅かに顔を引き攣らせるも、すぐに笑みが浮かんでしまうのを誤魔化すように、
美由希は宗介へと声を掛け、その手元を覗き込む。
宗介が今日出た古文の宿題に手間取っているのを見て、美由希は少しだけ考えると、
恭也に少しだけ時間を貰って自分の部屋へと戻る。
少しして戻ってきた美由希は一冊のノートを持っており、それを宗介へと手渡す。
それを受け取りながら、それが古文のノートだと分かると宗介は嬉しそうな顔を見せる。

「良いのか?」

「うん。もう私は終わったし。でも、そのまま丸写しはまずいから、少しは自分風にアレンジしてね」

「ああ、分かった。これは助かる。正直、どう手を付けて良いのか分からなかったんだ。
 これを元に、少し自分なりに考えてみるとしよう」

「うん。あ、ノートは明日に返してくれれば良いからね」

「分かった。では、自分は部屋に戻って続きをしよう」

「あまり根を詰めないようにな」

立ち去る宗介の背中にそう声を掛けると、恭也は美由希を連れ立って鍛錬へと出掛けるのだった。



翌日、朝の鍛錬より戻ってきて朝食を食べ終えた美由希と、珍しく何処かぼうっとした宗介は一緒に家を出る。
眠そうに閉じかけの目を何とか開けつつフラフラと歩く宗介に、美由希は心配そうに声を掛けるが、
宗介は大丈夫だと一言で返すと、またフラフラと歩き出す。
その様子を見守りながら、大丈夫と言っているからと美由希もその後に付いて行くのだった。
何とか午前中の授業を終えた美由希は、またしてもぼうっとしている宗介へと声を掛ける。

「本当に大丈夫なの? ひょっとして、昨日寝てないとか?」

「むっ。大丈夫だ。まあ、確かに睡眠時間はかなり少なかったが……。
 問題ない」

「そう? なら良いけれど。駄目なようなら、ちゃんと言うのよ。
 で、貸してたノートをそろそろ返して欲しいんだけれど…。次の授業、古文でしょう」

「あ、ああ、そうだったな。本来なら、朝に返さなければならないというのに、本当に今日の俺はどうかしている。
 ちょっと待ってくれ」

朝の宗介が少しおかしかった為に、美由希も今までノートの事を忘れていたのだが、
とりあえず美由希はノート返却を待つ。
鞄に手を突っ込み、その何回か掻き分けるように手を動かしていた宗介だったが、鞄から顔を上げ、
一度天井を眺める。それから徐に、もう一度鞄の中を覗きこみ、そのまま動きを止める。
そんな宗介の行動を訝しげに眺めていた美由希は、動きを止めた宗介の顔からダラダラと汗が出ているのに気付く。

「ちょ、宗介どうしたのよ!?」

「……あー、美由希。怒らずに聞いて欲しいんだが……」

宗介の切り出し方に嫌な予感を覚えつつ、美由希は黙って先を促す。

「誠に言い難いことなんだが、君に借りたノートなんだが……。
 なんだ、その、どういう訳か鞄に入っていない。勿論、俺のミスだという事はわかっているんだが…」

「……つまり、家に忘れたって事?」

「まあ、平たく言えばそうなる……」

「うふふふふ」

「…………す、すまん。どうも朝から体調が可笑しくてな。
 言い訳になるが、俺らしくないミスだ。この通り、すまなかった」

美由希へと頭を下げる宗介に、美由希は静かに背中からハリセンを取り出すと、
野球のバッターのように何度もスイングしてみせる。
教室の隅でそれを見ていた男子生徒の一人が、「あ、あのスイングはまさか!?」と叫べば、
それに答えるように、

「なっ、なにぃぃ! 知っているのか、長瀬!?」

「ああ。あれこそ、幻と言われた……」

などと、どうでも良いような会話をしているが、それに一切関わらず、美由希は笑顔のまま大きく足を振り上げ、
身体を半回転させると、振り上げた足へと体重を移しながら振り下ろし、捻った身体を元へと戻していく。
綺麗なスイングを見せた美由希のハリセンは、狙い違わずに宗介の頭へと命中し、
非常に良い音を3Aの教室に響かせて、宗介を椅子から転げさせる。

「こんのぉぉぉ、馬鹿ぁぁ!」

「……痛い」

倒れたままで宗介は天井を見上げて呟くと、やおら身体を起こす。

「確かに俺のミスだが、今はそれどころではないぞ。
 どうしたら良いと思う」

「た、確かにそうなんだけれど、アンタが言うな!」

宗介に怒鳴り返しつつ美由希は教室前の黒板の上にある時計を見る。
既に昼休みが始まって少し経っている。今から家へと走って帰れば、何とか戻って来れない距離でもないか。
それとも、素直に忘れたと言うか。いや、古文はあの古畑先生だ。
きっとネチネチと小言を言われたあげく、本当はやっていないんだろうとか言われ、
下手をすれば昨日の三倍の量の宿題が出る可能性すらある。
悩んでいた美由希は一つの決断を下すと、宗介を見る。

「急いで取りに戻るわよ。勿論、アンタも付いて来るんだからね」

「ああ、勿論だ」

二人は言うや否や教室の扉へと走り出す。
数分後には二人の姿は学園の外にあり、全力疾走をしていた。
宗介の前を走りながら、美由希は宗介の息が上がっていることに首を傾げる。
この程度で息を上げるような宗介ではないと思ったが、今は時間が一分一秒と欲しいと、美由希は後ろを振り返る。

「宗介、もう少しスピードを上げるけれど大丈夫?」

「…問題ない」

一つ返事で頷いたのを受け、美由希は更に速度を上げる。
その美由希に宗介も付いて来るのを感じ、美由希は気のせいかなとさっきまでの疑問を忘れ、もう少しだけ早く走る。
ようやく見慣れた壁が見え、次いで門が見えてくる。
美由希は走った勢いそのままに門の数歩前で走るのを止めて身体を横へと向ける。
土埃を立てて滑るように、実際に滑って門の前まで来ると、そのまま中へと飛び込む。
急いでポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込むと、それを回して鍵を開ける。

「宗介、急いでよ」

「ああ…」

扉を開けて後ろを振り返って急かすと、宗介はやや疲れたような声で答えながら家の中へと入って行く。
それを玄関で見送りつつ、美由希は左腕に付けた時計で時間を確認する。

「ちょっと危ないかも。行きよりも早く走れば…」

ソワソワと時計と家の中を交互に見ながら美由希は宗介が戻ってくるのを待つ。
ようやく宗介が姿を見せると、美由希はすぐさま外へと出て、宗介を急かせる。
玄関に鍵を掛けたのを確かめると二人はすぐさま走り出す。

「って、このままじゃ絶対に間に合わない!」

「くっ、やむを得まい。美由希、こっちだ」

宗介は美由希を先導するように商店街の裏側へと入り込むと、
捨ててあるのか不法に止めてあるのか一台の自転車があった。
宗介はその自転車の鍵を躊躇なく壊すと、それに跨る。

「乗れ!」

「いや、乗れって言われても。それって犯罪…」

「問題ない! 後でちゃんと返す。
 それに、ここは駐輪禁止区域。現にこれ以外は自転車がないだろう。
 つまり、この自転車は捨てられているか、犯罪者の者だ」

「いや、それだけで犯罪者って。そもそも、犯罪者の物だからって、無断で借用は…」

そう言いつつも、この時間帯では間に合う電車もないのは間違いなく、美由希は大人しく後ろへと乗る。

「もう〜、海鳴大学なんかと合併した所為で、前より遠くなって損じゃない!」

「だが、そのお陰で恭也会長閣下と同じ所と喜んでいなかったか?」

「だったら、風校のあった場所で良いのに〜!」

自分勝手な事を喚く美由希に、宗介は出発すると短く告げてペダルに乗せた足に力を込める。

「おっおっ、おぉ〜。早い、早い〜。頑張れ、宗介〜」

思ったよりも早く進む自転車に機嫌を良くして、美由希は前で漕ぐ宗介に声援を送る。
と、その後ろからパトカーがやって来て、二人へと注意をする。

「はいは〜い。そこの二人乗りの僕とお嬢ちゃん〜、二人乗りは止めてね〜」

「……どうする、美由希」

「う、うーん。聞こえなかったという事で」

「了解した」

二人は無視を決め込むと、そのまま速度を上げる。

「こらー! お前たち二人の事だよ! さっさと降りなさい! って言うか、降りろ!
 国家権力をなめるなよ!」

「…切れやすい人物のようだな。あれか、最近の若者という奴か」

「アンタってば、そんな知識ばっかり仕入れて…。
 その前に、国家権力がどうこうって言っている方が問題かと…」

そんな会話を交わしながらも、下り坂に差し掛かった自転車はぐんぐんと速度を上げていく。
その後ろをパトカーが速度を上げて追いかけて来る。

「ま、まずいわよ」

「…むっ。流石に問題あるか」

「大有りよ! 何か、何かないの?」

「……よし!」

宗介は一度横手を眺めると、そちらへとハンドルを切る。

「そ、宗介! そっちは道がない……って、うきゃぁぁぁぁっ!」

二人はガードレールを飛び越えて、一気に下に見える道へと飛び降りる。
ガードレールにぶつかる直前にパトカーは急停車し、それを後ろに見ながらも、
美由希は追跡を振り切れた安堵感より、今、宙に浮いている我が身をどうするかと憂いの方が大きかった。

「そ、宗介。それで、どうやって着地をするの?」

「……言い難い事が発生したんだが、良いか」

「う、うぅぅ。き、聞きたくないけれど、聞かないと余計に後悔しそうだから、どうぞ」

「うむ、それは助かる。実はな、追跡を振り切ることしか考えていなかった」

「はい!?」

「つまり、どうやって着地するかまでは考えてなかった」

「っっっっこぉぉのぉぉぉ、大ばかぁぁ〜〜!!」

美由希の叫び声は高らかに宙を舞うが、落下しているという事実は変わることはなく、
二人はそのまま下の道路へと着地する。
かなりの衝撃に顔を顰める美由希と、同じく顔を顰めつつも取られるハンドルを必死に両手で押さえる宗介。
自転車はフラフラとしながら、またしても道なき道へと向かう。
つまり、そのまま横道の草木が生い茂った坂道を滑って行く。

「う、うぅぅ。や、厄日だ〜」

自転車の荷台にしっかりと掴みながらぼやく美由希の前で、宗介が必死に木々を避けながら自転車を走らせる。
途中で何度も枝などに身体を打たれながらも、宗介は懸命に自転車を転ばさないように気を付ける。
その辺、後ろに乗っているのが美由希という事もあり、文句を良いながらも上手くバランスを取って宗介を助ける。
と、ふと思いつき宗介へと尋ねる。

「ねえ、何でブレーキかけないの? もうパトカーも追ってこないんだから」

「……いや、実はさっきから何度も試しているんだが」

宗介はそう言うが、全くスピードが落ちる気配はなく、寧ろ坂道を降りている事も手伝ってどんどん速度が上がる。
美由希が背中越しに自転車のブレーキを見ると、ブレーキは既に切れ飛んでいて使えない状態になっていた。

「……見なければ良かったよ」

「ああ、その方が懸命だったかもな」

「で、私たちはこれからどうなるのかな?」

「ふむ。さて、どうしたものか」

「……聞かなければ良かったよ」

「ああ、その方が懸命だったかもな」

「…今日の宗介、ちょっと変よ?」

「そうか?」

流石に可笑しいと思った美由希は何となしに宗介の顔を見る。
その顔が少し熱を帯びたみたいに赤くなっている事に気付き、そっと手を額へと伸ばす。

「って、熱があるじゃない!」

「ああ、やっぱりそうか」

「やっぱりって?」

「うむ。朝起きたら、どうも身体がだるくてな。
 その上、寒気もするし熱っぽかったんだ。
 …ああ、成るほど。これが風邪というやつか」

「はぁー。だったら、始めからそう言えば良かったのに」

「しかし、恭也会長閣下にまで迷惑を掛ける訳には…」

「あのね、そんな事で誰も迷惑だなんて思わないわよ。
 一緒に住んでいるんだから、家族みたいなもんでしょう。
 だったら、変な遠慮はしないの。分かった」

「…ああ」

「じゃあ、学校に着いたら、まずは保健室に行って…、ってどうかしたの?
 何か嬉しそうだけれど」

「嬉しそう? …そうだな、確かに嬉しいのかもしれん。
 家族というものがどういうものかはよく分からないが、今の言葉はとても嬉しく思う」

「そう」

宗介の言葉に美由希は薄っすらと笑みを浮かべ静かにもの凄い速さで流れ行く景色を眺める。
何となく穏やかな雰囲気になりつつある中、宗介が困ったような声を上げる。

「所で、根本的にどうするかという解決策が出ていないのだが」

「……ああー!! ど、ど、どうしよう!」

「俺としては、このまま自転車を飛び降りてその辺の木に飛び移る策を提案するが」

宗介の言葉に美由希は辺りの木を見る。
確かに、かなり大きな木が多く、枝に掴まったとしても折れたりはしないだろう。
そう判断を下すと、これ以上スピードが付く前に行動へと移る。

「それで行こう。行くわよ」

言うと同時に美由希は荷台を蹴って近くの木へと飛ぶ。
それなりの速さで走っていた自転車から飛び移ったため、思ったよりも勢いがあって、
木に掴まった瞬間に肩に負荷が懸かるが、木を掴んだ手を支点に身体を回転させるて、その勢いを殺す。
美由希が掴まった木の前のある木では、宗介が両手で枝を掴んでいた。
こちらは懸かる負担を耐えていた。
二人が地面へと降りる頃には、自転車も乗り手を失って転がり、
そのまま数メートル滑って、茂みの中へと消えて行った。
地面へと腰を降ろした美由希は時計を見る。

「はぁー、五時間目に間に合わないね」

「…すまん」

「ううん。別にもう良いよ。それよりも、大丈夫?
 学校まで歩ける? ここからだと、そっちの方が近いし」

「ああ、問題ない」

そう言うと宗介は立ち上がり、ややふらつきながらも歩き出す。
それに肩を貸すように美由希も宗介の横へと並ぶと、二人は学校へと向かってゆっくりと歩く。


ようやく辿り着いた学校で、美由希は宗介を保健室へと連れて行くと教室へと戻る。
その手には宿題のノートがあったが、完全に遅刻しているため、気分も重くゆっくりと扉を開ける。
途端、教室中の動きが一旦止まり、美由希を一斉に全員が見るが、入ってきたのが美由希だと分かると、
またてんで好き勝手に自分の作業へと戻っていく。
それを呆然と見ていた美由希の元に、三年間同じくクラスで仲の良くなった友人、天持更紗が声を掛ける。

「あ、みゆちゃん何処に行ってたの?」

「え、あ、うん、ちょっとね」

昼の騒ぎを知らなかったのか、そう尋ねてくる更紗に曖昧に答えると、
美由希は浮ついている感じのする教室に付いて尋ね返す。
それにやや苦笑しながら、更紗は黒板の一点を指差す。
そこには、『自習』の文字が書かれていた。

「あ、あはははは……」

「そうそう、宿題の提出は次の授業まで延期だって。
 って、聞いてる、みちゃん?」

「あ、あはははは。さらちゃん、私もう駄目……」

「わっ! み、みゆちゃん!」

そのまま床に座り込んで呆然となる美由希へと、更紗は驚いたようにその名を呼ぶのだった。



その日の夜、自室で大人しく寝ている宗介の元へと恭也が訪れる。

「風邪なら風邪ともっと早くに言ってくれ」

「すまん。美由希にも言われた」

「そうか。まあ、幸い軽いみたいだから、薬を飲んで今日、明日と大人しくしていればすぐに治るだろう。
 それじゃあ、俺はこれで出て行くから、ゆっくりと休むと良い。お大事に」

「ああ、ありがとう」

そうして出て行こうとした恭也よりも早く、新たな来訪者が現れる。

「あ、恭ちゃんも宗介の見舞い?」

「まあな。お前もか?」

「うん。私の所為で悪化したら悪いしね」

そこへ宗介が割って入る。

「別に美由希の所為ではない。そもそも、あれはノートを忘れた俺が悪いんだし…」

「そうなんだけれどね。やっぱり、テッサから宜しくと頼まれている以上はね」

「大佐どのから?」

「まあ、それは良いとして。兎に角、治るまで私が看病してあげるからね」

「そうか、すまない」

そう言って礼を言う宗介に、気にしないで良いよと笑いかけながら美由希は部屋へと入る。
恭也はそんな美由希の手に持った盆をじっと見詰め、恐る恐るといった感じで尋ねる。

「あー、美由希、それは?」

「これ? これはね、氷水とタオルだよ。熱があるみたいだから、これで冷やしてあげようと思ってね」

「いや、そうじゃなくて、そっちの…」

「うん? これはお水だけれど?」

不思議そうに尋ねる美由希に、恭也は一瞬わざとかと思いながらも、そんな事はないだろうと、
今度はソレをはっきりと指差す。

「それだ、それ」

「これ? これはおかゆだよ。薬を飲む前に、少しでも何か食べないとね」

「そ、そうか。因みに、誰が作ったんだ?」

「勿論、私だよ。あ、駄目だよ、これは宗介のなんだから。
 でも、恭ちゃんのためにだったら、作ってあげるよ」

「いや、激しく遠慮しておこう。じゃあ、宗介、俺はこれで。
 と、これは薬だ」

「? 薬なら既に貰ったぞ?」

「良いから、受け取っておけ。こんな事しかできない俺を許せ」

「そんな事はない」

救急箱から新たな薬を出して手渡す恭也へと、宗介は嬉しそうに返す。
そんな宗介に一瞬だけ哀れみの視線を向けた後、恭也は逃げるように部屋を後にする。
足早に、実際にリビングへと逃げ帰った恭也を、晶たちの複雑そうな顔が出迎える。

「師匠、やっぱり止められませんでしたか」

その手に救急箱以外持っていないのを見て、晶が諦めたような顔を見せる。
次いで、レンが宗介の部屋がある辺りを憐憫の眼差しで見詰める。

「相良さんには悪いことを……」

なのはや桃子も似たような目でレンと同じような場所を見詰める。
その視線の先、宗介の部屋では、美由希手製のお粥を前にした宗介が全身から汗を噴き出していた。

(な、何か知らんが、俺の戦士としての勘が危険を告げている…)

「どうしたの? 幾ら食欲がないと言っても、食べないと薬が飲めないよ」

「あ、ああ。い、いただきます」

宗介はそう言うと、風邪で自分の感覚が鈍っているのだろうと納得させてソレを口にする。
途端、宗介の顔が真っ赤になり、次いで真っ青に変わる。

(カリーニン少佐の所で食べたやつ以上のものが存在するとは……)

横で何かを期待するように待っている美由希を見て、宗介はそれを飲み込むと震える声で答える。

「な、中々……特徴的な味だ」

「本当!? いっぱい作ったから、遠慮はいらないよ」

美由希の言葉に宗介は震える手でスプーンを掴み、ソレ(既にお粥とは言えない)を掬うと口へと運ぶ。
今度は、昔組んでいたことのある戦友の顔が浮かぶ。

(お前は……。何だ、死んだと風の噂で聞いていたが、生きていたんだな……)

ありえない幻覚に頭を激しく揺さぶり、宗介は横目で美由希を窺う。
その目はじっと宗介が手に持つ物体へと向けられており、宗介は意を決してそれを一気に流し込む。

「ぐっ、うっ、ぐぬぅぅぅ」

何がなんだか分からないがソレを全て飲み込んだ宗介へ、美由希が水を差し出す。

「もう、そんなに慌てて食べなくても大丈夫だって。
 それよりも、お代わりいる?」

「い、いや、もう良い。しょ、食欲があまりなくてな…」

「そっか。風邪だもんね、仕方ないか。
 それじゃあ、これは明日に残しておくね」

「……あ、ああ」

最近では晶やレンの作った食事を食べていたため、食事というものに楽しみを覚えてきた宗介にとって、
この提案は酷く涙がでるようなものだったが、何とか頷く。

「すまんが、水をもう一杯もらえないか」

「そうだね。薬ものまないといけないしね」

美由希が水差しからコップへと水を入れているのを見ながら、宗介はそっと後に渡された薬を見てみる。
その袋には、『胃腸薬』と書かれていた。
宗介はそれをそっと握り締めると、風邪薬と一緒に飲んでも良いのかと悩む。
そんな宗介の悩みなど知らず、美由希はコップを宗介へと渡そうとして、手を滑らせる。

「っ!」

「あ、ああ、ごめん。えっと、タオル、タオル。
 あ、この頭を冷やすために持ってきたやつで良いか。って、ああ!」

そのタオルを慌ててしまって氷水の中へと落した美由希は、それを持って立ち上がる。

「ご、ごめん。すぐにタオルを持ってくるから」

「あ、ああ。だが、慌てなくて良い。それと、それは置いておいてくれ」

「あ、そ、そうだね。って、うきゃぁっ」

美由希は部屋を出ようとするが、宗介の言葉に氷水の入った洗面器を置いていこうとして、
上半身だけ屈もうと動く。結果、上半身と下半身が別の方へと向き、転ぶ。
それも、宗介の頭から氷水を被らせるような形で。

「……」

「あ、あははは」

無言の宗介に美由希は居た堪れなくなって乾いた笑みを見せるが、宗介はただ無言だった。

「す、すぐにタオルを持ってくるから」

そう言って慌てて部屋を飛び出す美由希を見送りつつ、宗介は頭がぐらぐらするのに耐え切れず、
そのまま横になる。

「……冷たい」

その後、タオルを持ってきた美由希は強引に宗介の服を脱がして拭こうとしたしたくせに、
宗介の裸に悲鳴を上げて宗介を叩き倒したり、転んで宗介の身体に肘を落したりと、まだまだ続く。
そんな騒動をリビングで聞いていた恭也たちは、本当に憐れんだ目を宗介の部屋へと向け、
誰ともなく静かに黙祷を捧げる。
その間も、宗介の部屋から悲鳴が上がるのだった。
こうして、宗介の災難はまだまだ続くのだった。



後に、美由希の看病がどういったものかと尋ねた恭也たちに対し、
宗介は顔面を蒼白にして汗をだらだらと流すと、頑として口を閉ざして何も語らなかった。
その為にどんな事が起こったのかは分からずじまいだったが、
結果として、その所為で宗介の病気が長引いた事だけは間違いなかった。





おしまい






ご意見、ご感想は掲示板こちらまでお願いします。



二次創作の部屋へ戻る

SSのトップへ