『ごちゃまぜ5』






とら☆すた

朝の通学途中、恭也はいつものように柊姉妹と出会い、共に歩き出す。
いつもと同じような光景だが、かがみはふと恭也の顔をじっと見つめる。

「どうかしたのか、かがみ?」

「いや、別に大した事じゃないんだけれどね。
 ひょっとして寝不足じゃないかと思って」

「よく分かったな。ちょっと最近、遅くまで起きててな」

「ふーん、そうなんだ。なに、何か面白い小説でも読んでるの?
 まあ、これはどちらかと言うと美由希ちゃんの方かな」

恭也の遅くまで起きているは、は深夜の鍛錬より後の事を指すのでかなりの深夜という事になる。
こなたならば、起きていても不思議はないのだが。
理由を尋ねたかがみに恭也がその理由を告げる前に後ろから声が掛かる。

「おはよう、恭也につかさ、かがみん」

「いや、朝っぱらから突っ込ませるなよ……」

「まあまあ、貴重な突っ込みキャラなんだから仕方ないって」

「あんたがそうさせているんでしょうが」

疲れたようにしながらも、ちゃんと返すかがみに苦笑を浮かべつつ恭也はこなたに声を掛ける。

「こなた、全部終わったぞ」

「ほうほう。で、どうだった?」

「いや、なかなかに良かったな。
 思わず涙腺が……いや、まあ、良かった」

恭也の言葉ににやにやと笑いながらも何も言わずにこなたはうんうんと頷く。

「そうでしょう、そうでしょう。今度映画化もされるからね。
 ただ、ちょっと心配な部分もあるんだけれど。まあ、アニメ化もするし。いやー、楽しみだね〜」

「ちょっと何の話よ」

なんとなく置いていかれたような感じがして面白くなさそうに口を挟むかがみ。
分かっていると言わんばかりの顔をしてこなたがそれに返す。

「いや、恭也にゲームを貸したんだよ。
 これが良い話でさ〜、今度映画やアニメにもなるから、誰かと感動を分け合いたくてね」

「ゲームって、アンタのやるゲームって色々あるけど、その流れからすると」

「うん、ギャルゲーだよ」

「それを恭也に貸したの?」

「うん」

「で、恭也もやったと」

「うん」

あんたの趣味に恭也を突き合わすなと言いたそうな顔をするかがみに、恭也が声を掛ける。

「まあ、そう言わずにかがみもやってみたらどうだ。
 小説のような感じで結構、すいすいと遊べるぞ。それに、こなたの言うようにいい話だった」

「うっ、恭也がそこまで言うのなら……」

「こなた、返すつもりで持ってきていたんだが、このままかがみに貸してもいいか」

「良いよ、良いよ。私はもう何度もやってるし、PC版も持ってるしね〜」

こなたの返事を聞いて恭也は自分の鞄からゲームを取り出してかがみへと渡す。
受け取ったパッケージをかがみとつかさは覗き込む。

「CLANNAD? まあ借りておくわ」

受け取ったゲームのタイトルを読み上げると、かがみは鞄へと仕舞い込むのだった。







「ところでさ、恭也は誰が気に入った。やっぱりシナリオ的にはヒロインだけあって渚のシナリオが感動するよね」

「確かにな。だが、ことみや風子の話も良かったぞ」

「うんうん。どの子もいい子だよ。で、恭也的にお気に入りは?」

「そうだな、杏とか……」

「ほほう、ほうほう杏ですか」

恭也答えにニマニマと笑みを形作りながらじっとかがみを見るこなた。

「なによ! 何でこっちを見るわけ」

「いやいや、なんでもないですよ、なんでも。
 まあ、やれば分かるって」

何となく気に食わないものを感じつつも、かがみはとりあえずは大人しく引き下がるのだった。

「……双子の姉の上に、委員長。おお、攻撃的な性格までそっくりとは。
 言われるまで気づかなかったよ。流石は恭也だね」

小声で呟いたその言葉に反応するものはなかったが、こなたはやけに満足した顔で恭也に向かって親指を立てて見せる。
意味が分からずに首を傾げる恭也をお構いなしに、こなたはひたすら充足感を味わっていた。







その日の夕方、帰ってくるなりかがみはさっさと着替えるとゲームを起動させる。
その横には同じく着替えたつかさが座っている。

「どんなゲームなんだろうね、お姉ちゃん」

「まあ恭也もやったって事は変なゲームじゃないだろうけれど……」

コントローラーを握りながら、かがみは早速プレイする。
数時間後……。

「う、うぅぅ」

「よ、良かったね、ことみちゃん。ねぇ、お姉ちゃん」

「何かこなたに乗せられた気がしないでもないけれど、ま、まあ確かにいい話だわ」

素直に認めたくないのか、そんな言い方をするかがみに苦笑を漏らしつつ、つかさは次のプレイを始める。

「あ、こら勝手に始めないでよ」

「ごめんなさい。あ、お姉ちゃん。今度は恭也さんが言ってた杏ちゃんをやってみようよ」

「そうね。でも、どの選択肢なのかしら」

「あ、こなちゃんに聞けば」

「うーん、あいつゲームに関しては結構厳しいからね。教えてくれるかしら」

こなたが携帯電話を手にするのを横目に呟いたかがみであったが、
仲間を増やしたかったのか思いのほかあっさりと教えてくれる。
怪しいものを感じつつも、かがみとつかさは再びゲームに取り掛かる。

「あははは、杏ちゃんってお姉ちゃんみたいだね」

「どこがよ。私はここまで狂暴じゃないわよ」

「でも、双子だし学級委員だし……」

「くっ、こなたがにやにやしてたのはこれか! あいつも狂暴だって言いたいのね!」

プレイしている途中でつかさが漏らした言葉にかがみが反応を見せる。
唸り出しそうに目付きを鋭くさせるかがみに、つかさは慌ててフォローを入れる。

「で、でも恭也さんのお気に入りのキャラクターみたいだし」

「……いや、それはあくまでもこのキャラクターがって事でしょう」

思わず沈黙したかがみであったが、僅かに頬を染めて誤魔化すようにそう口にするとゲームを再開する。

「杏ちゃん、本当はとっても女の子らしいよね。
 恭也さんが気に入った理由ってやっぱりお姉ちゃんに似てるからなのかな」

「な、ななな、何を言ってるのよ! ぜ、全然似てないって。
 わ、私はここまで可愛くないし、それに私はもっと素直よ!」

「あははは。わ、分かったから、次いこう、次」

かがみの剣幕につかさは再びはじめからを選んでゲームを始める。
かがみもその言葉に従い、ゲームをプレイする。こうして姉妹の夜は更けていった。







翌朝、通学途中で出会った恭也とこなたは前方を眠そうな顔で歩いているかがみたちを見つける。
互いに顔を見合わせて分かりきったような、通じ合ったような顔で頷くと足早に二人に追いつく。

「おはよう、かがみん。その様子だと聞くまでもないと思うけれど、どうだった?」

「確かに良い話だったわ。お陰で終わるタイミングが中々掴めなかったわ」

「智代ちゃんのエンディングまで見て、ようやく終わったんだけれど、ふぁぁぁ」

話している途中にも眠そうに欠伸をするつかさ。

「流石に一日で全部は無理だわ」

「いやいや、私は嬉しいよ。かがみやつかさがゲームで寝不足だなんて」

「今回はあんたにしてやられた気がしないでもないけれど、確かに良かったわよ」

「その調子で早くコンプしちくり。昨日、電話で言ったけれど、やっぱり渚は最後の方が良いよ。
 何故なら……」

「ああ、お願い言わないで」

「言ったら駄目だよ、こなちゃん!」

こなたの言葉の途中で遮るつかさとかがみ。
その様子を眺めながら、恭也も他人事ではないながらも思わず微笑を零す。

「二人とも、すっかりはまってしまったな」

「まあね。正直、早く続きをしたいぐらいよ」

「まあ、それで睡眠不足が続くのは流石に身体にもよくないだろうから、ほどほどにな」

「分かってるわよ。って、とか言いながら恭也自身も寝不足気味だったじゃない」

「……そんな事もあったか」

「あったか、じゃないわよ。昨日の事じゃないの」

「あー、駄目だなかがみん。そこは辞典で突っ込まないと」

二人の会話に口を挟み、そんなことを言ってくるこなたへとかがみはにっこりと笑みを見せる。

「それはこなた専用にしてあげるわ」

「……マジで!? って、私の扱いってもしかして春原なの!?」

「ほら、喜びなさいよ。あんたの好きなゲームと同じリアクションをしてあげるってんだから」

「いやいや、素直に喜べないよ流石に。
 とか言いながら、どこか期待している私がいるよ、恭也。どうしよう」

「俺に聞くな」

「むぅ、い、一度だけなら実際に受けてみるのもありかも……」

「ありなの!?」

「いやいや、かがみん。やはり何事も経験というじゃない」

「そうだけれど、この場合は何か間違っているような気がするんだけれど……。
 つかさからも何か言ってあげなさいよ」

「え、えっと、とりあえず占ってみましょうか?」

「はぁ!?」

「つかさ、ナイス! よく分かってるね」

恥ずかしそうに、けれども楽しそうに言ったつかさに対し、
こなたは非常に満足そうな笑みを浮かべて見せるのだった。



   §§



己が寿命が近いことを感じ取り、その者はとある儀式を行う。
それが後にこの大陸に大きな騒動を起こす事になると、果たして予想していたのかどうか。
それは誰にも分かりはしなかった……。



深夜、鍛錬から戻った恭也と美由希の耳に聞こえたのはの、なのはの悲鳴。
場所は当然の如く、眠っていたであろうなのはの部屋から。
靴を脱ぐのももどかしく、土足のまま恭也はなのはの部屋へと向かう。
美由希もそれを咎める事などせず、自分もまた土足のままで上がる。
悪戯などではない本当の悲鳴が聞こえたのだから。
寝ぼけていたのならまだ良い。
後で桃子になのはには甘いと言われて笑われる中、二人で家の掃除をするぐらいどうと言う事もない。
だが、そうでなかったら。
当然の如く、桃子が部屋から顔を見せるがここで待つように指示をして二人は階段を駆け上がる。
部屋の前ではレンと今日は泊まっている晶がなのはの部屋の前に立ち、激しく扉を叩く。
鍵など掛けていないはずなのに扉が開かないのだ。
焦った顔をはっきりと滲ませつつも二人は扉を叩く、いや、殴りつけている。
その拳からは微かに血が滲んでいる事から、かなり強い力で叩いたのは間違いない。
それでも木製の扉はびくともせずに二人の前に立ち塞がる。
やって来た恭也と美由希は現状を理解し、二人の名前を呼ぶ。
恭也と美由希の姿を認めて少しだけ表情を緩めるも、不安そうに扉を、その向こうのなのはへと視線を飛ばす。
見えない分、余計に不安をかき立てる中、恭也と美由希は躊躇なく扉を蹴破る勢いで蹴りを放つ。
だが、二人の力を持ってしても扉が破られる事はなく、その事に軽く驚きを見せる。
何か普通ではない力が働いている。
瞬時に那美の顔を思い出した恭也であったが、自分ではなくレンと晶に連絡するように頼むと、
美由希と二人、小太刀を抜き放ち、扉を打ち破らんと同時に奥義を繰り出す。
雷徹の同時攻撃に攻撃の前に、蝶番が弾け飛び、扉が中へと倒れて行く。
それを足で更に加速させ、最初に恭也が部屋に飛び込む。

「なのは!」

部屋に踏み込むなり、その状況になのはの名前を叫ぶ。
だが、肝心のなのはは意識を失っているのかぐったりとしたまま答える様子もない。
宙に立った状態で浮いたなのはの体を、淡く光る蒼白いナニかが絡め取るように、
まるで蛇がとぐろを巻くように巻きついている。
恭也と美由希だけでなく、那美へと連絡しようとしていた晶やレンも同時になのはへと向かう。
二人の後ろには異変を感じたのか、ここへとやって来た桃子もいた。
だが、誰もなのはに近付く事も出来ず、見えない力によって弾かれる。
全員が倒れる中、なのはの身体が光を放ち始め、その姿が薄っすらと揺らいでいく。
それを見て五人は起き上がると必死になのはの元へと向かう。
だが、見えない力によって押し戻されようとする。

「くっ、こんのぉぉ、おいレン手伝え!」

「何をや! ……なるほどな」

状況が状況だけにいつものような口による喧嘩もなく、レンは晶の言いたい事を理解すると了解と笑う。
体の前で腕を交差させた晶へと、レンは躊躇いなく攻撃する。
吹き飛ぶ晶の先には美由希とその少し前に恭也が。

「美由希ちゃん!」

すぐ後ろから聞こえた晶の声に美由希も即座に反応する。
見えない力によって勢いが減じたものの美由希の傍に吹き飛ばされてきた晶。
その拳に足を乗せ、同時に晶がその拳を振るう。
拳の痛みに顔を顰めながら、見えない力で吹き飛ばされる晶。
だが、吼破・改によって美由希はその力に逆らうように前へと進む。
その先には恭也がおり、二人のやり取りを見て即座にこちらも腕ではなく小太刀を交差させて身体を向ける。
恭也が交差させた小太刀を見て、美由希は即座に自身の小太刀を振るう。
なのはまでの距離と見えない力の強さを考え、美由希は再び雷徹を放つ。
同時に恭也もまた、こちらは威力を落とした雷徹を放ち、二つの力でなのはへと飛ぶ。
だが、後数センチ届かず指が空を切る。

「ちっ」

即座に恭也は伸ばした手から鋼糸を放ち、なのはの腕を絡め取る。
なのはの腕に傷を付けるかもしれないが、恭也は僅かに力を込めてなのはとの距離を縮めると、
今にも消えようとしていたなのはの腕をしっかりと掴み取り、その身体を抱き寄せる。
後ろで美由希たちの歓声が上がるが、恭也はすぐに異変に気付く。
なのはを包み込む光の帯が自分にも巻きついているのだ。
なのは同様に薄くなっていく自分の身体を見下ろしながら、恭也はなのはだけは離すまいと強く抱きしめる。
恭也と同じように美由希たちもその事に気付き、再び立ち上がる光景が映る中、恭也の意識は急速に失われていった。



「ここは……?」

目を覚ました恭也が目にしたのは、何処までも広がる荒野であった。
周りに人の姿もなく、恭也はなのはを求めて周囲を見るもなのはの姿も見えない。
唖然となる恭也であったが、少なくともなのははこの辺にいるはずだと動き出す。



「ここはどこですか?」

目の前にいる人とは違う角を生やした男らしき者へと恐々と尋ねるなのは。
目が醒めて周囲を見渡せば、神殿なのか宮殿なのか、どちらにせよ自分の部屋ではない所にいた。
この場にいる唯一の存在へと声を掛けると、男はなのはへと近付いてきて、

「血の継承を行います。新たなる魔王」

「魔王……?」

意味が分からないと首を傾げるなのはへと、男は歩を止めずに近付き本能的に恐怖を感じてなのはは後退る。

「い、いや……。お兄ちゃんっ!」



「私の名前は聖刀日光です。魔人を倒す武器」

「霊剣のようなものか。どちらにせよ、なのはを救うのにあなたの力が必要なんですね。
 なら、その力を貸してください!」

――聖刀日光を手に入れた恭也の旅はまだまだ続く。
  なのはを魔人たちから救うため、恭也は一人荒野をただ進む。



「遅かったな。たった今、血の継承は終わった。いまや、この子が今代の魔王だ」

「あ、なに、これ。わたしの中から変な力が。
 い、いや、怖いよ、お兄ちゃん」

――魔王となってしまったなのは。だがそれを拒み、覚醒を防ぐ。
  前魔王を倒し、恭也となのはは元に戻る方法を探して旅を始める。

全ての物語は今、ここから始まる。
リトルプリンセスなのは プロローグ 「新たなる魔王の誕生」

「って、ちょっと待て! これだけなのか!? 俺様の出番はーー!」

「ラ、ランス様、落ち着いてください」

「ええい、離せこのバカシィル。こうなったら、お前でこのたまった鬱憤を晴らしてくれるわっ!」

「そ、そんなぁぁ……」

  完



   §§



「……むぅ。これまた面妖な。とは言え、このままここに捨て置くというのも寝覚めも悪い」

やたらと裾の短い服を着込んだ、鋭く吊り上り気味の眼差しをした少女は地面を見下ろしながら、
そうひとりごちるとその場に屈み込む。

「やはりただ気を失っているだけか。さて、どうしたものか」

少女は目の前に倒れている青年の身体を調べ、特に外傷がないと確認してそう結論を出す。
残る問題はこの青年をどうするかであった。
さっきまでは連れ帰るかと考えていた少女であったが、
青年の身体を調べている内に幾つかの武器を発見したのである。
それも袖や服の内側といった個所から、暗器のようなものを幾つか。
このまま連れ帰り、自身の主に危害を加えるものであったら。
そこまで考えて少女は見なかった事にしようと本気で考える。
が、天は倒れた青年に味方したのか、少し離れた所からその主の自分を呼ぶ声が届く。

「思春、思春」

とりあえず、主をここに近づけてはまずいとこの場を離れようとするも、それよりも先に辿り着いてしまう。

「こんな所にいたのか。ん? そこで倒れているのは誰?」

「蓮華さま、敵かもしれません。不用意に近付かないでください」

思春と呼ばれていた少女の言葉に眉を顰め、その場に足を止めるも倒れている青年を見遣る。

「気を失っているのなら、敵か味方かも分からないでしょう。
 とりあえず城に運びましょう」

「しかし、もし我らが呉に仇なす者ならば……」

「武器を取り上げておけば問題ないでしょう。それに、いざという時は頼りにしてるわ」

「……分かりました」

主にそこまで言われては思春も強く反対できず、倒れている青年を背負うのだった。



客室の一つへと運び込みまれ、ただ気を失っているだけという診断を与えられた青年は未だに眠り続ける。
その部屋には思春とその主である蓮華の姿があった。

「それにしても、変わった服ね。光を反射するなんて」

「蓮華さま、できれば身元がはっきりと判明するまでは退室して頂きたいのですが……」

蓮華もまた思春が自分の身を案じているというのは痛いほどに理解している。
だからこそ、ここは思春の言葉に従おうと頷きかけたのだが、その時気を失っていた青年が小さく呻く。
呻いたかと思えば、ようやく意識を取り戻したのかゆっくりと瞳を開く。
夜の湖面を思わせるように静かで深さを感じさせる黒い瞳を数度瞬かせ、現状を把握するように周囲を窺う。
そこで思春や蓮華に気付き、青年は身体を起こす。

「……すみませんがここは?」

事態が飲み込めていないのか、まずそう尋ねてきた青年へと思春が呆れたように返す。

「何も覚えていないのか。それとも惚けているのか。
 ここは……」

思春の言葉に青年は本当に分からないのか首を傾げている。

「貴方はこの近くの山の中で倒れていたのだけれど、本当に覚えてないの?」

「山? そんなバカな。俺はあの瞬間まで確かに一刀と一緒に学園に……。
 そう言えば、倒れていたと仰いましたが、お……私の他に人はいませんでしたか?」

青年の言葉に二人は揃って否定を現す。
その言葉に少しだけ考え込むも、すぐに考えても仕方ないと思ったのか顔を上げる。

「どうやら助けて頂いたようですね。お礼を言うのが遅くなってしまいました。
 改めてありがとうございます」

ベッドのような寝具に一枚の布を引いただけの簡素なベッドに正座をし、青年は蓮華たちに頭を下げる。

「私の名前は高町恭也と申します。迷惑ついでに申し訳ないのですが、電話をお借りできませんか?
 どうやら、自分の携帯をどこかに落としてしまったみたいでして……」

携帯だけでなく武器の類も一切ないのだが、それは多分介抱する時に外されたのだろうと推測する。
だが、恭也の発した言葉に蓮華と思春は顔を見合わせて不思議そうな顔をする。

「申し訳ない。その電話というのは何なのだ?」

冗談かと思ったが本気の顔で蓮華はそう尋ね返すと、今度は恭也のほうが不思議そうな顔になる。

「遠くにいる人と連絡を取る機械なんですが……」

「機械というのはよく分からないが、要は急使を出して欲しいということか」

「蓮華さま、流石にそこまでするのは……」

「いえ、そうではなくて……」

思春の言葉を遮るような形となったが、改めて恭也は電話の説明を簡単にするも、
返ってきたのは蓮華のあからさまではないが何処か憐れむような視線と、
思春の明らかに可哀想な子を見るような視線だった。

「高町と言ったか。お前の言うような便利な物があるのなら、前線への指示がさぞかし楽になるであろうな」

「何故、そんな目で見る。蓮華さんまで……」

「貴様! 蓮華さまの真名を気安く!」

激昂したように飛び掛ろうとした思春を蓮華が一声で止める。

「よしなさい、思春。こちらが名乗っていなかったのだから、仕方ないでしょう」

「名乗っていなくとも! ……いえ、失礼しました」

「私は姓は孫、名は権、字は仲謀。そして、真名が蓮華」

「蓮華さま、真名までお教えになる事は……」

「既に知られたのだから。それよりも、次は」

「はい。姓は甘、名は寧、字は興覇。真名は思春だが気安く真名で呼ぶなよ。
 勿論、蓮華さまの真名を呼ぶのも禁止だ。本来なら貴様のような奴が呉の王であらせられる蓮華さまに……」

「思春」

「はっ、申し訳ございません」

それぞれに名乗りを上げた二人であったが、肝心の恭也は驚いたような顔をして蓮華を見ている。
その視線に怪訝そうな表情になるのを見て、恭也は首を振る。

「いえ、すみません。別にその名前が実際にあっても可笑しくはないですね。
 それよりも電話……。呉の王? 呉とはあの呉なんですか?」

ふと気付いたように尋ね返した恭也に、思春は即座に返す。

「他にどのような呉があるというのだ」

「そうではなくて……。呉に孫権だと……。まさか過去。
 いや、そんなはずは。目の前にいるのは女性だし。まさか、夢でも見ているのか……」

突然ブツブツと何か言い出した恭也から思春は思わず一歩後退る。
何やら混乱していると見たのか、蓮華は気分転換でもと外に出る事を勧める。
当然のように思春は反対したが、結局は蓮華に押し切られる形で三人は外へと出る。
この事が余計に恭也を混乱させる事となるとは、二人は思いもしなかったのだが。
同時に、この事で恭也は自分の置かれた状況を信じられないながらも受け入れる事となるのだが。



「私は呉の国王だ。勿論、それは分かっている。
 家臣や民草たちのためにも王として常に相応しくありたいとも思っている。
 けれど、今だけは、少しの間だけ……。お願い、恭也」

――若くして呉の王となった少女 蓮華



「孫権様の御為に闘うというのであれば、今からお前とは戦友だ。特別に真名で呼ぶ事を許してやる」

――孫権へと篤い忠義心を持つ親衛隊隊長 思春



「お兄ちゃん、お兄ちゃん。今度はあっちのお店に行こうよ」

――好奇心旺盛な蓮華の妹 小蓮



「ん〜、孫権様がそう決められたんならそれで良いんじゃないですか? それに面白そうですし〜」

――呉の副軍師 穏



「……孫権様があそこまで強固に取り入れたのだ。高町殿の強さ、しかと見極めさせてもらいますよ」

――冷徹な策略家 冥琳



「行く所もない、帰る方法も分からない。そんな状況を助けてもらった恩もある。
 何よりも、俺が力になってやりたいと思ったんだ。故に、そこは押し通らせてもらうぞ」

――とんでもない迷子の剣士 高町恭也



「はぁぁっ!? 恭也じゃないか! やっぱり恭也もこっちに来てたのか!?
 って、呉の将軍ってお前何をやってるんだ……」

「それはこっちの台詞だと思うぞ、一刀。俺よりもお前の状況の方が凄い事になってないか?」

「あははは、まあな」

思わぬ再会あり



「お兄ちゃん、一緒に寝ようよ〜」

「いや、だからな小蓮……」

「ちょっと小蓮、いい加減にしなさい!」

「べぇーだ。お姉ちゃんに言ってるんじゃないもん。シャオはお兄ちゃんに言ってるんだもん。
 お兄ちゃんだって、お姉ちゃんよりもシャオの方が良いよね、ね」

思わぬ誘惑あり?



「モテモテですね、恭也さん〜」

「何処をどう見たらそうなるんですか、穏さん。
 と言うか、見てないで止めてください!」

「あらあら〜、確か今日は西の大陸の本が届くはずでしたわ〜。
 そういう訳で、失礼しますね〜」

「ちょっ、逃げないでください!」

海鳴に居た頃とあまり変わらない騒動の日々あり



「流石は関羽。とんでもないな。だが、こんな機会はまとない。
 少々、不謹慎かもしれないが歴史に名を残すほどの武将と手合わせができるとは光栄ですよ」

「こちらこそ、これ程の武を持つ者と手合わせできて光栄です。
 正直、呉の国に突如現れた将軍がこれ程とは思っていませんでした」

「……鍛錬とは言え、手加減はしません」

「それはこちらも同じ……」

いつも以上の鍛錬の日々あり



異世界の三国志に似た時代へと放り出された恭也。
けれども意外と充実した日々を送っていた。
これは突然訳の分からない世界へと飛ばされた、ちょっとだけ不思議なお話。

恋姫双剣



   §§



日本有数の名家で、その当主である女主人を前に恭也は少し緊張気味に姿勢を正す。
そんな恭也の様子を妖艶な微笑で見つめながら、金髪の女性は沈黙を保つ。
その視線にか、それとも沈黙にか、あるいは両方に耐えれなくなったのか、恭也から話し掛ける。

「それで護衛の依頼と聞いたのですが」

「ええ、そうよ」

恭也の問い掛けに対して短く返しながら、ゆっくりとけれども優雅に組んでいた足を入れ替え、再び微笑を浮かべる。
楽しそうに細められる目はしかし、恭也を見定めるかのように観察するソレであった。
それに気付き恭也もまた沈黙でただ返す。
雰囲気の変わった恭也に女性は小さく感嘆の息をばれないように零すと、少しだけ伸ばした舌で唇を舐める。
もう一度じっくりと恭也を見た後、不意に組んでいた足を解き、だらしなくソファーに背を預ける。
さっきまでの雰囲気も霧散する。

「ふー、やっぱりああいうのって疲れるわね。あ、恭也さんも気楽にしてくださっていいわよ」

「は、はぁ」

言われたものの、急変振りにただ困ったような表情を見せる。
そんな事を一向に気にせず、女性はかなり砕けた調子で話してくる。

「それで護衛の方を頼みたいのだけれど、護衛をしてもらうのは私じゃなくて娘の……」

その言葉に僅かに驚く恭也に女性は言葉を区切り、首をちょこんと傾げる。

「いえ、すみません。ただ娘さんが居るとは思わなかったもので」

「ああ〜ん、嬉しい言葉だわ。それだけ私が若く見えるって事なのね」

「え、ええ、まあ。そ、それよりも護衛するのは娘さんの方で良いんですか」

「ううん、娘の婚約者の男の子を護衛して欲しいのよ。
 詳しい理由が知りたいと言うのなら教えてあげても良いわよ。あのリスティさんの知り合いみたいだし……」

暗に何かあるという口ぶりに、しかし恭也は頷く。

「差し障りのない範囲でできる限りの事を教えてください。
 特に狙ってくる相手の目的やどんな連中なのかも分かっているのなら」

「良いわよ。ただし、それを知るという事はかなり私たちに関わる事になるわよ。
 それは即ち、恭也くんも巻き込まれる可能性があるということ。
 だから、ここでそれを聞くか聞かないか決めて頂戴。勿論、護衛そのものを降りる事も可能よ」

真剣な表情で見つめてくる女性を見返し、恭也は少しだけ考えた後に力強く頷く。

「お願いします。勿論、口外はしません」

「ふーん、巻き込まれると分かってても引き受けてくれるんだ」

「はい。その為の力ですから。ですから説明をお願いします、九条院ラミアさん」

恭也の言葉を聞き、相好を崩すと女性は事情の説明を始めるのだった。



あの後ラミアから聞かされた話は正直、すぐに信じられるようなものではなかった。
だが、自身の周囲を鑑みれば、絶対にないとも言えないということに気付き、
それを受け入れるとともに、改めてに交友関係の深さに世の中の不思議をしみじみと感じる恭也であった。



指先ほどの小さな球体が発見されたのがそもそもの始まりであったという。
『LTスフィア』と名付けられたそれは全部で12個あり、現在の科学でも解明できず、
また、それを研究する組織があるということ。
その組織の第十二研究室室長がラミアであった事。
何よりも、このLTスフィアの特性はそれぞれに違う機構を持っているが、適正素体の心臓に埋め込む事で、
身体能力の格段な向上――人としてのレベルを凌駕する程――に始まり、回復力までも異常なほどに向上させる。
問題は、組織には秘密にしていたラミアが個人として所得していた十三番目のLTスフィアである。
これをラミアは瀕死の重傷を負った娘アリスへと委嘱したのだ。
その自己治癒機能に期待して。それは上手くいき、アリスは今も元気に生活しているという。
その後、ラミアは自分の研究を譲り、組織から抜けて娘と二人で一緒に暮らすようになったのだ。
ここで終わっていれば良かったんだが、少し前に組織から同じくLTスフィアを移植された者、
キリングドールがこの街にやって来たのだ。それにより、アリスの事が、13番目のスフィアが発覚した。
とは言え、研究を一人占めしたがる相手であったため、組織には未だにアリスの事は報告されていないのだが。
ただ、このキリングドールの後に十番目(テンス)が街に来ているのだ。
逃げるのではなく戦う事をアリスが選んだために、未だにこの街での生活をしているという。
そこで問題となってくるのが、アリス本人ではなくただの人間であるその婚約者の存在である。
故に恭也への依頼はアリスが戦う事になった時に、その婚約者――鬼百合三月の安全を確保する事である。
事情を聞いた恭也は既に依頼を受けたものとして扱われ、恭也もまたそれに不満もなく、
今は九条院家でアリスの帰宅を待っているのである。
三月にはぎりぎりまで秘密にするが、アリスには話しておくためである。
因みに、娘のアリスが皇城学院中等部に通っていると聞いたとき、恭也は何とも複雑な顔を見せた。
この年で婚約者とは、最近の若い子は進んでいるなと感想を漏らし、
ラミアに貴方もまだ若いでしょうにと笑われた事は記憶の奥にしまい込む。
今までのやり取りを思い返しながら整理していた恭也はラミアに声を掛けられて立ち上がる。
アリスが帰宅したらしいので玄関まで迎えに行くとの事である。

「ただいま帰りました」

「お邪魔します」

聞こえてきた声は二つ。ラミアの後ろに付いて玄関まで行けば、ラミアと同じような金髪の少女と、
もう一人よく日に焼けた少年がいた。
恐らく、彼が鬼百合三月なのだろう。
向こうもこちらに気付いたのか軽く頭を下げてくるので、恭也も同じように返す。
娘のアリスの方も恭也へと視線を向け、ラミアへと尋ねる。

「所でお母さま、そちらの方はお客様ですか?」

「そうなのよ。この人は高町恭也さんと仰ってね……」

言って恭也の腕を掴んで自分の腕に絡める。
突然の事になすがままに引き寄せられ、アリスの前へと連れてこられる。
アリスはラミアが恭也と腕を組んだのを見て、やや引き攣った笑顔を浮かべる。

「随分と仲は宜しいようですが、まさか新しいお父様だなんて言い出しませんわよね?」

「あら、よく分かったわねアリス」

「そうなんですか。おめでとうございますラミアさん」

「ちょっと三月くん。あなたって人は何を言ってるんですか!」

言いながら三月を蹴るアリス。
止めなくても良いのかとラミアに視線を向けると、いつもの事と笑いながら返って来る。
またその二人の態度を見たアリスは、まるで目と目で分かり合っているかのようにも見える二人に、
更に蹴りに力が込められる。

「本当に何を考えているんですかっ!」

「ご、ごめんアリス」

訳も分からずに謝る三月と、完全な八つ当たりをしているアリスを見て、
流石に止めた方が良いかとラミアが間に入る。

「はいはい、アリスもそこまでにしておきなさい。
 幾ら三月くんが優しいとはいっても、完全な八つ当たりでしょう」

「それをお母さまに言われたくはありません!
 と言うか、本当に再婚相手なんですか!」

「まさか〜、違うわよ。彼はね、私の古い友人の友人」

「その友人の友人が何でここに居るんですか?」

「うーん、それは後で説明してあげるわ」

一瞬だけ見せた真剣な表情のラミアに、それがスフィア関係だと聡いアリスはすぐに悟り、
この場で追求するのは止める。しかし、その目は後でちゃんと説明してもらうと雄弁に語っていたが。



これが、高町恭也が更なる非日常へと巻き込まれていく前触れであり、その初日であった。

十四番目は護衛者



   §§



「あっ」

果たして、それは誰が漏らした呟きだったのだろうか。
この部屋に居る人間は全部で四人。
全員が発したような気もするし、誰か一人だったのかもしれない。
だが、声を発した理由は一つで、全員の視線が一箇所へと向かう。
まるでスローのように感じるが、実際にそんなはずもなく全員の視線が注がれる中、
ソレは地面へと落ちて乾いた音と共に粉々に壊れる。
元壺であった残骸を眺めながら、真っ先に壺を落とした本人、恭也が我に返る。

「忍、すまない」

「あー、良いよ、良いよ気にしなくて。大した物じゃないし。
 精々、一億ぐらいよ」

「忍お嬢様、一億五千万です」

「ああ、そうだったっけ? まあ良いじゃない、そんな細かい事は。
 何となくそこにあいそうだったから購入したんだけれど、そんなに執着ある訳じゃないし」

お気楽に笑う忍に対し、割った恭也とその妹のなのはは何も言えずに固まる。

「いや、本当にすまない。そんなに高いものだとは……」

「だから良いって言って……あーあ、結構気に入ってたのにな〜」

「忍お嬢様?」

気にするなと言っていたのに急に態度を変えた忍に、ノエルが不思議そうに名前を呼ぶも、
忍は恭也を見詰めて顔を逸らさない。
その横顔から何かを企んでいるのを感じ取ったノエルが口を挟もうとするよりも早く、

「こうなったら、弁償してもらわないとね」

「確かにその通りなのだが、流石にそれだけの大金をすぐには……」

「それじゃあ仕方ないわね。その分、うちで執事として働くってのでどう?」

忍の言葉を聞き、止めようとしていたノエルも僅かに考え込む。
その隙に忍はどんどん話を進めていく。

「うちで護衛兼執事として働いてくれたら、お給料を出すからそれで返すってので。
 そうね、半年ほどで良いわよ」

「半年だけで良いのか?」

「ええ。私と恭也の仲だもの。わざとやったんじゃないってのも分かってるし。
 どうする?」

「……こちらとしてはとてもありがたいのだが、本当に良いのか?」

恭也の気遣わしげな口調の質問に対し、忍は満面の笑みで答える。

「勿論♪ あ、執事として働くんだから住み込みよ。今更やめとかは聞かないからね」

「いや、しかし……」

「恭也様、それでは簡単な仕事の説明をしますのでこちらに。
 服の方は明日中には揃えますので」

何か言いかける恭也の腕を引き、ノエルがキッチンへと引き摺っていく。
そんな二人の背中を手を振って見送ると、忍はなのはと対戦すべくゲームを起動させる。

「どったの、なのはちゃん?」

「いえ、別になんでもないです」

どこか達観したようななのはに微笑を返しつつ、忍はテレビ画面へと視線を戻す。
つられるようになのはも視線を移し、ゲームが始まる頃にはすっかりいつものように対戦する二人であった。



「お嬢様、朝です。このままでは学校に遅れますよ」

「うーん、後五分だけ寝かせて恭也〜」

「駄目です。早く起きてください」

「う〜……おはよ〜。あ、そうそう、学校にもその格好で行くのよ」

「本気か!? じゃなくて、本気ですか!?」

「勿論よ。学園からの許可はちゃんと取ったから」

「やけに素早い対応ですね」

「まあね〜。腐っても月村家のご令嬢だもの」

「……とっとと起きてください」

「うーん、今ちょっと口調が可笑しくなかった?」

「気のせいでございますよお嬢様」

――朝も早くから執事の仕事は始まる。
  それは家だけでなく、学校でも同様で。

「お嬢様、昼食の時間でございます」

「うん。それじゃあ、今日は中庭で食べようかな」

「……今日はいい天気ですね」

「ええ、だから中庭に行こうって言ってるんじゃない」

「他の生徒も大勢行っている事でしょうね」

「そうね〜」

「ちなみに、お嬢様は普段なら絶対に中庭に出ませんよね。暑いとか、めんどくさいとか言って。
 場合によっては、昼食そのものをお取りにもならなかったと記憶してますが」

「よく知ってるわね。流石は我が月村家の執事だけあるわ。
 でも、今日は中庭の気分なの」

「……分かりました。さっさと用意しやがりください」

「うん? 今の何か可笑しくなかった?」

「何がでございましょうか?」

「うーん、気のせいだったのかな?」

「はぁ、私にはよく分かりませんが?」

「まあ、良いわ。それじゃあ、行きましょう」

「……はい」

――執事とは、主人に仕え、時としてその身を盾とすることもある。

「うーん、思ったよりも暇ね。折角、優秀な執事がいるんだから、誰か狙ってこないかしら。
 あ、そうだ。私を泣かせたら賞金を出すってあちこちに知らせたら、きっと楽しい事になるかも」

「やめんか!」

「あれ? 今…」

「気のせいでございます」

「え、そう?」

「はい」

「まあ、そんなのは良いわ。とりあえず、さっき言った事を実行しましょう」

「お嬢様、そのようなくだらない事に頭を使う暇がありましたら、
 宿題でも片付けている方がまだましというものです。
 寧ろ、そうしてください。周りに被害も出る事無く、多くの人も喜びます。
 と言うか、自分から危険な状況を作るなんて、バカ以外の何者でもありませんが。
 まさか、お嬢様がそのような事を本気でするとは思えなくもなくとも思えませんと言っておきますので、
 よくよくお考えになられた方が宜しいかと」

「??? ねぇ、やっぱり何かおかし……」

「何がでございましょか。私、明日の準備で忙しいので、ノエルさんと代わっても宜しいでしょうか?」

「仕方ないわね。それじゃあ、明日もお願いね」

「はい、かしこまりました。……くれぐれも可笑しな考えだけはしないでくださいませ」

「分かった。分かったってば」

――心休まる日々が減っていく恭也。

「うーん、暇ね。ちょっと警備システムでもいじろうかしら」

「因みに、それは出来上がった後にテストをされたりするんでしょうか?」

「勿論よ。という訳で、お願いね恭也」

「……それは既に執事の仕事の範囲を超えているような気がするのですが、我が愛しいお嬢様?」

「愛しいだなんて照れるわね」

「……皮肉です、お嬢様」

「喧嘩売ってる?」

「とんでもありません、お嬢様、冗談でございますよ」

「そう、まあ良いけれど。とりあえず、テストはお願いね」

「納得はしてませんが了解しました、美しきお嬢様」

「あら、ありがとう。でも、お世辞を言ってもやってもらうわよ」

「そうですか、では取り消しますお嬢様」

「……やっぱり喧嘩売ってない? ねぇ、恭也?」

「とんでもねぇですよ」

「段々、恭也がやさぐれているような気がするんだけれど?」

「……滅相もありません」

「そう、なら良いのよ。という訳で、今日の午後は警備システムの火力検査よ」

「火力って何だ、火力って! ……でございますお嬢様」

そんなこんなで恭也の苦悩の日々は続く……。
恭也のごとく、忍に仕えて プロローグ



   §§



「…………」

「…………」


沈み行く太陽に海が赤く染め上げられていく。
海に面した公園の芝生に座り、向かい合う二つの影はただ無言に互いを見詰め合う。
そこに言葉はなくとも、互いの気持ちを嫌というほどに理解しながら、紅く染まった顔は夕日によるものか。
やがて、影の一つ――二十歳前後の青年が閉ざしていた口をゆっくりと開く頃には、
既に太陽は地平線の向こうへと消えようとしていた。

「言うか言わないか迷ったが、やっぱり言う事にするよ」

「……そうか」

青年に返す声の主は、青年とよく似た顔の造りをした年配の男のものであった。

「毎度、毎度、何で俺が計画を立てて使っている路銀が底をつくんだ!」

言葉と同時に繰り出される拳を軽く受け流し、男は立ち上がりざまに胸を張る。

「そこに美味い物があるんだから仕方ない!」

「……父さん、遺言はそれで良いのか?」

「お前の遺言だろう」

無言で睨み合っていた二人であったが、腹から届く情けない音に揃って再び芝生に腰を下ろす。

「はぁ、しかし本当に困ったな。金を下ろそうにもサイフすらない始末」

「ないのではなく、初めから持ってきていないのだろうが。
 前にバカみたいに下ろすから、母さんにサイフを持たせてもらえなくなるんだ」

「痛いところを。しかし、実際問題どうする。
 この辺りは都会だから、ここに来るまでに居た山奥と違って何も獲るものがないぞ」

「それだけじゃないぞ。このまま路銀を稼げなくて家に帰れなかったら、美由希とレンの入学式には出れないぞ」

「それはまずい!
 お前の入学式ならどうでも良いが、美由希やレンちゃんの勇姿は何としても撮らなくては!」

「俺は入学式にすら参加してないがな。どっかの誰かさんがこれと同じような状況にしてくれた所為で」

「はっはっは、そんなに感謝するなよ、照れるじゃないか」

「今のが感謝に聞こえたのなら、一回耳鼻科にいけ。
 ふむ、もしくは遂にボケたか?」

「まだボケておらんわ! しかし、本当にまずいな。
 去年は何とか間に合ってなのはの入学式はばっちり撮れたが、今の状況はお前の時に似ているし……」

「海鳴には遠く、しかも都会故に短期バイトでは稼ぎ難い」

「大体、履歴書持参って何だよ! こっちは金がないからバイトをするんだぞ!
 そんなのを買う余裕があるか!」

「いや、そこはごく普通のことだろう。怒る所じゃない」

娘の入学式に参加できないかもしれない、という可能性に慌てふためく父士郎を醒めた眼差しで見ながら、
恭也も拗ねるであろう美由希を想像して溜め息を吐く。

「大体、春休みだから修行に行こうといった奴は誰だ!
 顔が見てみたいわ!」

「ちなみに、それは思いっきり父さんの事だからな。
 顔が見たければ、そこのトイレにある鏡を覗け」

「くっ、ああ言えば、こう言いやがって。そもそも、春休みなんてものがあるから悪い!」

「それはまた滅茶苦茶な考えに辿り着いたな」

「春休みが悪い=春休みに入った奴が悪い=恭也が悪い!」

「……とりあえず、一発殴っても良いよな」

「断る!」

「ふっ!」

恭也の右腕が動き、そこから何かが飛び出す。
それを士郎は左手で受け止めながら、額に浮き出た冷や汗を拭う。

「お、お前、今かなり本気だっただろう」

「ちっ。……そんな事はないぞ」

「その前の舌打ちは何だ! 舌打ちは!」

「気のせいだろう。それよりも、実際にどうするかだが……」

「食料は非常食として前の町のコンビニで買っておいたカップ麺が一つか」

「幸い、武者修行中だから鍋も携帯コンロもある。
 水は……」

「公園だからな、あちこちにあるな。となると問題は……」

二人揃って鞄から取り出され、二人の中央に置かれたカップ麺へと視線を注ぐ。

「「量か」」

二人でカップ麺一つ。人よりも多く動き、更によく食べる恭也と士郎にはまったく足りない量である。
とは言え、これ以外に食料がないのも事実である。

「で、実際路銀はあとどれぐらい残っているんだ?」

「二千もない。運賃に全てを注ぎ込んでも大した距離もいけんだろうな。
 いや、待てよ。一人だけなら……」

「因みに、一人だとしても海鳴まではとてもじゃないが足りないぞ」

「分かっている。だが、場所が変われば臨時で短期バイトをしている所を見つけれるかもしれないだろう」

「だったら、別に一人で行く必要もあるまい」

「いや、ここは思い切って少しでもここから遠くに、海鳴に近づけるように一人にした方が。
 で、運賃を使った一人が短期バイトで金を稼ぎ、ここに戻ってきて改めて海鳴へと二人で向かう。
 勿論、ここで残った奴もバイト探しはするという方向でどうだ」

「却下だ。理由は今の父さんの話で提案したここから移動する奴を父さんがするつもりだろう。
 だからこそ、却下だ。悪いが父さんが信用できないからな」

「その顔の何処か悪いと思っている顔だ!」

「だが、俺にはさっさと海鳴への交通費だけを稼いだら、俺の事など忘れて帰る父さんの姿が見えるぞ。
 もしくは、そもそもバイトなんかしないでヒッチハイクだけで一人帰る姿だ」

「お前、少しは親を信用しろよ」

項垂れて呟く士郎に対し、しかし恭也は慰める言葉を投げるでもなく、

「あれは六年前の春休みの事だった。同じような状況になった俺と父さんは、
 まだ俺がバイトを出来ないという理由で少ない路銀を持って一人町を出た。
 その町はかなり田舎だったためか、バイトそのものを何処も募集してなかったからな。
 当時は妥当だと思ったよ。しかし、どれだけ待っても父さんは戻らず。
 ようやく迎えに来た時には、既に俺の入学式の日はとうに過ぎていたな」

「そ、そんな事あったか?」

「因みに、理由はレンの入学式があったからだ。
 で、ぎりぎりで間に合った父さんは家からビデオを手に持ち、すぐさまレンの学校へと向かったんだよな。
 当時、レンは神奈川に居たから、わざわざ来てくれた父さんに感謝した小梅さんは、
 母さんにも電話でお礼を言ってその日の晩は父さんは小梅さんたちにご馳走なった上にそのまま泊まった。
 で、翌日家に帰った父さんは旅の疲れで寝てしまい、母さんも起こしては悪いと起こさなかった。
 本当は、俺が入学式に間に合わなかった事を文句言うつもりだったみたいだが、それは起きてからにしようと。
 所が、夕飯にようやく顔を見せた父さんだったが、俺が居なかった。
 母さんはまだ疲れているのかと思い、父さんに俺の入学式の事を半分怒りながら言ったんだな」

「そうそう。そんな事もあったな。あの時の桃子は怖かった。
 とは言え、恭也自身が望んでいるからと修行には口を出さず、
 もう少しだけ学校行事に出るように恭也に言ってくれと頼まれたんだった」

懐かしそうに話しつつも、士郎は当時を思い出したのか徐々に脂汗がだらだらと流れてくる。
それに気付きつつも気付かない振りをして恭也は続ける。

「で、母さんの口から俺の名前が出てようやく父さんも俺の事を思い出したんだよな。
 しかも、それが母さんにばれては不味いと思い、あれこれ理由をつけて俺を起こさないように釘まで指して。
 で、安心した父さんはぐっすり眠ったが、母さんは一応声だけでも掛けてみようと俺の部屋へ来て、
 俺が居ないと混乱して父さんを起こしたんだったな」

「ああ、あの時の桃子には焦ったぞ。一体何があったのかと飛び起きたら、恭也がいないって。
 俺も寝ぼけてたんだな。つい口を滑らせて、居なくて当たり前だとか言ってしまった。
 あの後、全て白状させられた上に、すぐに迎えに行ったのに一週間も口を聞いてもらえなかったんだぞ!」

「同情するに値しないが? まあ、今回はあの時と違って一ヶ月はあるんだ。
 何とかなるんじゃないか」

「そうだよな! お前、いい事を言う。いや、待てよ。
 つまり、それは一ヶ月前に路銀の使いきったお陰、つまりは俺のお陰と言う事か!
 ははははー、感謝しろと恭也!」

「とりあえず、腕の一本ぐらいやっても法的に問題ないよな」

「大有りだ! 何、平然と恐ろしい事を言ってやがる」

「明らかに父さんが悪いと思うが?」

「なに!?」

再び無言で睨み合う二人。そんな二人のいさかいを、またしても腹の音が止める。

「とりあえず、飯にするか」

「だな。幸い、寝床はテントがあるしな」

「あー、恭也。飯の支度するから、テント張っとけ。
 因みに、ここは公共の公園だからな。公僕や通行人などに見つかり難い場所にだぞ」

「ああ、分かってる。まあ、飯の用意は簡単なんだから、先にこっちを手伝えと言いたいところだが……」

文句を言いながらも恭也は丁度、
散歩道などからは少し奥へと入ってこないと見つかり難い木の裏にテントを設営するのだった。



「……バカか」

「くっ」

「本当に間抜けめ」

「ぐっ」

「一体、何を考えている」

「そこまで言うか、恭也!」

「言うわ! 僅かとは言えあった路銀を落とすなんて、アンタ何考えてるんだ!」

「お、親にアンタだと!」

「親ならもう少ししっかりしてくれ、いや、本当に頼むから」

「そ、そこまで真剣に頼み込むなよ。さすがに悪い事をした気になる」

「って、今まで気にもしてなかったのか!」

「……さて、これからどうするかだが」

「誤魔化すな!」

文句を言いながらも二人はあの後、テントで一夜を過ごした公園へと戻り、大道芸で金を稼ぐ。
が、これがおまわりさんに見つかり、許可の取っていない二人は当然の如く……。

「逃げるぞ、恭也!」

「って、ずるいぞ士郎!」

「て、てめぇ、よくも俺の名前を呼んだな!
 素性がばれたらどうする!」

「先に呼んだのは父さんだろうが!」

「ちっ! そこは息子なら父のために犠牲になれ」

「断る! というか、そっちは海しかないぞ!」

「だからこそ、逃げれるんだろうが! 迷うな、飛び込むぞ!」

「ああ、くそ! 三月とは言え、何が悲しくて!」

おまわりさんから距離を開けると、二人は迷わずに海へと飛び込む。
流石にここまで追って来る気はないのか、おまわりさんは呆然と立ち尽くすのだった。



「さて、折角稼いだ金も逃げる時に置いてきてしまったな。どうする恭也」

「荷物も置いてきてしまったぞ。服はどうにか乾いたから良いが……」

「さて、どうしたものか」

「歩いて町を出るか、ヒッチハイクだろうな」

「それしかないか。とは言え、流石に荷物は回収しないとな。
 幸い、芸をしていた所とは別の場所に置いてあるから、警察の手には渡ってはいまい」

「なら、適当に時間を潰してから公園へと戻り、そのまま町を出るのが妥当かな」

「そうなるな。しかし……」

士郎が恭也に何か言いかけるも、途中で何かに気付く。
恭也もまた同じようにすぐに気付き、士郎の視線の先を見ている。
そこでは一人の少女が蹲り、苦しそうにしていた。

「恭也」

「分かっている」

士郎の言葉に恭也は少女へと歩き出す。
これが後の運命を大きく変えることとなる出会いになるなど、恭也にも士郎にも分かるはずもなかった。



「なら、この家で執事をするが良い」

「ですが……」

「いやー、それは助かる。捨てる神あれば、拾う神ありだな恭也。
 いやいや、この場合は女神か。何にせよ、助かったじゃないか。これで路銀が稼げる」

助けた少女の家で執事として働く事となる恭也と士郎。
だが更に翌日、恭也は驚くべき事実を聞かされる。

「はい? すみません、森羅様。もう一度言って頂けますか?」

「だから、お前の父親はお前に後は任せたと言って帰ったと言ったのだ」

「……路銀もなしにですか?」

「いや、お前が働いて返すと言ってたぞ」

ふつふつと湧き上がる怒りに拳を振るわせる恭也へと、昨日助けた少女、この家の次女で森羅の妹が話し掛ける。

「あと、最近出たばかりのビデオカメラをわざわざここに持ってこさせて、それをお土産として帰ったわよ」

「その料金も……」

「ええ、あなたの賃金から引くようにって」

更なる怒りを覚える恭也に、流石に同情を抱きつつも森羅専属のメイドがとどめを刺す。

「賃金も何も、まだ正式に雇用されていないってのを忘れてるんじゃないの、アンタの父親。
 少なくとも、三ヶ月はただ働きしないと駄目なんだけれど?」

「え、えっと、元気だしてね。恭也さんならきっと採用されるよ。夢は信じているから。
 それにね、毎秒広がり続けている銀河の大きさに比べたら、それぐらい大した事ないよ」

この屋敷の三女である夢にまで慰めの言葉を貰うも、恭也はただただどうやって復讐するかのみを考える。

「後で構いませんので、電話を借りても良いですか。
 父の方はどうでも良いんですが、流石に母や妹に心配を掛ける訳には行きませんから」

結論として、桃子へと全て任せることにした恭也であった。

「とりあえず、これでお前は何が何でも正式に雇用されないといけなくなった訳だ。
 更に言えば、一ヶ月間などと言う短期で辞める訳にもな。まあ、精々頑張って働け」

こうして、恭也の久遠寺家での執事としての生活が始まりを告げるのであった。

恭也が執事で士郎がとらハ3事件を解決して プロローグ 「行き成り路銀がない!」 近日……



   §§



……ここはどこ?
私は誰? いやいや、そんなボケをかましている場合じゃないよね。
えっと、多分ここは海鳴。で、私は高町美由希。うん、間違いない、ないはず、ないよね。
う、うぅぅ、恭ちゃん助けてー!
って、現実逃避しても仕方ないよ、うん。
……とは言え、この現状をどうしろと。
目の前にはお母さんが経営する翠屋。ただ、ちょっとデザインが私の記憶とは違うような気がしたり、
新しい気がしたりもするけれど、うん、気のせいだよね。
で、電柱の陰に隠れて除いた店内には、新しいバイトの子が入ったのかな、見たことのない女の子がウェイトレスをしている。
後は恭ちゃんが忍さんと一緒にお手伝いしているのは、まあいつも通り。
うん、問題ない、ないはずなのに。何で、何で店の中にもう一人の私がいるのよー!
誰、あれ! って、さっき自分で私だって言ったじゃない。って、そうじゃなくって!
って、一人で突っ込みを入れている場合でもないんだけれど、何で私がいるの?
もしかして、今ここにいる私が偽者!? って、そんな馬鹿な。
まさか、生霊!? い、いやぁぁぁ! って、自分が生霊になってもお化けは怖いままだなんて理不尽だよ。
って、そうじゃないでしょう、私!
落ち着くのよ、落ち着け、落ち着きとき、落ち着けば〜。って、ぜんぜん落ち着いてないし!
す〜は〜す〜は〜。
よし! 仮に、仮にだけれども私が生霊だとしても、何で死んだはずの士郎父さんがいるのよ!
これは絶対におかしい、おかしすぎるじゃない。
はっ! あっちが幽霊で私が本物だとしたら。
って、それじゃあどっちにしても私は死んだか、死にかけの状態って事じゃないの!
と、とりあえず落ち着こう。考えれる可能性は……あ、あははは、まさかね。
ラベンダーの香りも嗅いでないし、腕に変な数字も刻まれてない。
いやいや、あれはあくまでも時間を戻るんであって二人には増えないって!
じゃなくて、あんまり信じたくないと言うか、夢であってほしいんだけれど、パラレルワールドとかっていうやつですか?
う、うぅぅ、恭ちゃん〜〜、た〜す〜け〜て〜。
盆栽を割ったのをごまかすために接着剤でつけた事も、折れた釣り竿を野良猫の所為にしたことも素直に話すから〜。
だから、ここからかえして〜〜。
…………なんて反省してみた所で、本当にどうかなるなんて思ってませんよ、ええ、思ってませんよ。
グスグス。この世界にも私が居るって事は、会わないほうが良いよね。
うぅぅ、何処に行けば良いんだろう。もう一層のこと、ダンボールに入ってにゃーにゃー鳴いてようかな。
気まぐれなお金持ちが拾ってくれるかも。
うぅぅ、むなしいよ〜。いつもなら、この辺で恭ちゃんが「お前を拾うような物好きなんているか」とか言ってくれるのに。
で、で、その後に、「だから、俺がお前を拾ってやろう。拾ったんだから、お前は俺のものだぞ」、なんて、なんて!
ああー、それいい! どっかにダンボールはないの!?
って、ちょっと待て私。ここは異世界、もとい、実際に恭ちゃんがそんな事言う訳ないじゃない。
ああー、相当混乱してるわ。とりあえず、野宿は嫌だけれど寝床を探さないといけないし……。どうしよう。
臨海公園の方に行ってみようかな。
なんて考えてやってきたのは良いけれど、あれ何?
あ、あははは。目が悪くなったのかな? まさかね〜。
運動の苦手ななのはが金髪の女の子と戦ってるなんてありえないよね、うん。
ましてや、空まで飛んでるし……。飛行少女……、なのはが非行に!?
じゃなくて、えっと、あれって魔法なのかな?
あー、でもどっちかと言うとなのはの好きそうなゲームの魔法だよね。
普通、魔法少女と言ったら夢とか希望じゃないのかな、ってお姉ちゃんは思うんだけれど。
なんて言うか、やっぱりなのはも士郎父さんや恭ちゃんと同じ血を引いていたんだって痛感したよ。
……今度からはなのはを本気で怒らせないようにしよう、うん。
って、だから元の世界のなのははあんなのできないって!
できないよね、ね、ねぇ、なのは?
って、そうじゃなくて、誰も知り合いが居ないから、自分で自分に突っ込む回数が増えてるよ。
えっと、どうしたら良いんだろう。違う世界とは言え、やっぱりなのはみたいだから助けてあげたいけれど。
でも、いくらなんでも空中じゃ無理だし。恭ちゃんなら、なのはのピンチってだけで何とかしそうだけれど、
残念ながら私は人間やめてないし……。って、ごめん、恭ちゃん! お願い、殴らないで!
……って、今は誰も居ないんだよね。う、ちょっとだけむなしいよ。
まさか、恭ちゃんに殴られ続けた所為で、変なものに目覚めてしまってるの!?
でも、恭ちゃんが望むのなら……。って、違うでしょうが! でも、いっぱい叩かれたのは事実だよね。
やっぱり、恭ちゃんに躾られてたのかも!?
ああー、まさに恭ちゃんなしではいられない身体に。なのに、その恭ちゃんはどこにも居ない……よよよ。
て、冗談はこれぐらいにしておかないと。
えっと、とりあえずどうやって助ければ良いのかな。
さすがに雷や訳の分からない光線が飛び交う中に飛び込むのは無謀だし、そもそも最初から問題にしてたけど飛べないし。
って、あれ? ひょっとしてなのはも私に気づいたのかな?
あはは、驚いた顔してる。だよね、いくら違う世界の私とは言っても、見た目はあまり変わらないしね。
えっと、とりあえず手を振替しておこうかな。
あははは、なのはったら、あんなに両手を慌しく上下に振らなくても見えてるって。
あっ! ……わ、私の所為じゃないよね、ね。
今、私に気を取られている背後から金髪の子が近づいて何かしたみたいだけれど、私の所為じゃ……。
海に向かってまっさかさまに落ちてるのも、うん、私の所為じゃないよね。
えっと……た、戦いの最中に余所見は駄目だよ、なのは。恭ちゃん相手なら、もっと酷い目にあってたよ、うん。
って、あれよりも酷い目って。それに、私はあってたって事になるじゃない。
あ、何だろう。今更ながらに元の世界が恋しくなったのかな?
目からしょっぱい滴が……。って、なのはも無事なの!?
あ、あはははは。こっちのなのはは元気だね、うん。あ、あははは。
と、とりあえず、戦いが終わったらなのははこっちに来るんだろうな。
どうやってごまかそうかな。いや、案外正直に話したら信じてくれるかも。
元の世界のなのはも不思議な体験はたくさんしてたし、こっちなんか空飛んでるんだもんね。
うん、そうしよう。正直に話してみようっと。
えっと、だからそんな恨めしそうな目でこっちを見ないで。う、うぅぅ、さっきのは私の所為じゃないよね? ねっ!

魔法少女リリカル美由希 プロローグ めがねを取ったら凄いんです 近日……。

「少女? 一体どこにいるんだ?」

う、うぅぅ、兄が、兄が苛めるんです。日々、兄からの苛めに耐える魔法少女の活躍にご期待ください。

「せいぜい、なのはの盾になるが良い」

う、うぅぅ、やっぱり優しくない……。



   §§



複数の戦国大名が覇権を争う第四次戦国時代の真っ最中。
ここ佐渡の国で一人の武将が城内に突然現れた門のようなものを前に首を捻っていた。
軍神としてその名を轟かせる上杉兼信その人である。

「これは何?」

自分の身長よりも大きな扉を前に首を傾げる兼信。
だが、そのお腹が空腹を訴えるように鳴る。
おやつと目の間に突然現れた不審な扉。その二つを天秤に掛け、数秒もせずにすぐに答えを弾き出す。

「愛のところへ」

あっさりとおやつの方が打ち勝ち、兼信はその扉に背を向ける。
が、その手がふとした弾みか扉に触れてしまう。
瞬間、扉は光を放ち、次の瞬間には兼信の姿は何処にもなかった。
扉の上部には見慣れない文字で『召還ドア』という文字だけが書かれていた。



学校から帰り、恭也と美由希の二人は軽く近所の神社までランニングがてらなのはを迎えに来ていた。
そんな折、境内へと続く石段の途中で二人して同時に足を止める。

「美由希」

「うん」

突然奥に生まれた気配に二人は戸惑う。
気付かなかったというよりも、本当にいきなり現れたというその気配に。
ただ、リスティなどの例もあるので殺意がない以上は放っておいてもよいのだが、
その際に僅かに見えた光が気になったのか、恭也と美由希は道を逸れて繁みの奥へと踏み込む。
途中、もしかしてお化けかもと思い至った美由希の足が若干鈍るなどという事もあったが、
二人はそのまま突き進み、遂に気配の元へと辿り着く。
そこには気を失った少女が一人。
軽装とはいえ鎧を身に纏い、その腰には立派なけれども実戦向きの刀を吊るしている。
少女の格好――特に刀を所持しているという事に油断せずに近付く恭也。
その後ろで万が一に備える美由希。
まるでそれが合図であったかのように、少女の目が見開かれる。

「大丈夫ですか?」

とりあえず上から覗き込む形となったものの、目が合い尋ねる恭也を兼信はただじっと見詰める。
その目は次第に潤み始め、頬は僅かに上気して朱に染まっていく。

「あ、その……」

何か言葉を噤もうと必死になる少女のお腹から、くーという音が辺りへと響き渡ったのはその時であった。

「まさか、今のご時世に行き倒れ?」

少女の態度に危機感を抱きつつも、美由希は信じられないとばかりに呟き、
次いで恭也の背中へと視線を転じて、まあなくもないかと妙な納得をする。
それを気配からか察した恭也が軽く睨み返せば、
美由希は必死になって首を横に振って何かを否定しようとする。
そんな妹の様子に溜め息を吐きつつ、恭也は少女へと手を差し出す。
おずおずと握り返してくる少女の手を掴み、少女を立たせると、

「とりあえず、何か食べる物を用意しますから家に来ますか?」

流石に他人事と笑い飛ばせないだけに、特に経験からか恭也はそう申し出るのであった。

これが、高町恭也と上杉謙信の世界を越えた出会いであった。

戦国(?)とらいあんぐるハ〜ト プロロ〜グ 行き倒れの少女は腹ペコ少女



   §§



あの事件から約半年――
再び黒い影が、今度は二人を狙って迫る。



「なに、双翼の弟子のサムライガールにちょっと興味があってね。
 だから、その格安の値段で依頼を引き受けてやると言っているんだ。それとも、何か不服か?」

薄暗い一室で、くぐもった男の声だけが部屋の壁に当たり消えていく。
唯一の光源である窓はぴったりを締め切られ、部屋の中には煙草の煙が充満している。
電話越しに何やら呟く依頼人に対し、思わず浮いた笑みを見えないと分かっていても、
咥えた煙草を取るようにして手で口元を覆い隠すと、肝心な事を忘れるところだったと付け加える。

「俺の標的はあくまでも双翼の弟子で、双翼じゃないというのを忘れないでくれよ」

電話の向こうでもそれは納得しているのか、男はそのまま無言のままに受話器を置く。
再び沈黙に支配された部屋の中で、男はただ自ら立ち昇らせた紫煙の行く末をただじっと見詰めていた。
ただ楽しそうに、その顔に笑みを貼り付けて。



「あまり良くない情報と良い情報、どっちから聞きたい?」

「とりあえず、良い情報からお願いしますよ、リスティさん」

喫茶翠屋の奥まった席で向かい合って座る四人の男女。
恭也の言葉にその斜め前に座っていたリスティは頷くと答える。

「まず、悠花とリノアの観察処分が少し緩くなる。
 今までは国外には出れなかったけれど、今日からはそれも可能だ。
 まあ、それでも恭也という監視が傍に居る事という条件は変わらないんだけれど、
 そっちの方は問題ないみたいだしね」

リスティのからかうような言葉に顔を真っ赤にする悠花と、余裕めいた微笑をただ返すだけのリノア。
全く違う反応を返されながらも、悠花の反応にリスティは満足そうに笑うと不意に顔を引き締める。
つまり、これから話す事がよくない情報という事である。
知らずつられるように気を引き締める恭也たちに、リスティはゆっくりと口を開いて行く。

「とある筋、まあぶっちゃけると美緒の父親の啓吾から入った情報なんだけれどね」

さざなみ寮に住む美緒とは何度か面識のある悠花やリノアであったが、その父親と言われて首を傾げる。
不動産屋とか聞いたような気がしたからである。
そんな二人の反応に恭也とリスティは苦笑をしつつ、恭也が悠花たちに教えてあげる。
ただし、他言無用と釘を刺してから。

「リノアにはこっちの名前の方がピンと来るんじゃないか。
 樺一号という名の方が」

恭也の言葉にリノアだけでなく悠花も驚いた顔を見せる。
それもそのはずで、その名は裏の世界ではかなり知られている名であるのだから。

「香港警防のか」

「ああ。まあ、今はそれは置いておきましょう。先にリスティさんの話を」

「そうしてくれるとありがたいね。
 まあ、あまりもったいぶるつもりもないから単刀直入に言うけれど、恭也と美由希を狙っている奴がいる」

その言葉に恭也だけでなく、リノアや悠花の雰囲気も少し変わる。
張り詰めた空気の中、リスティは話を続ける。

「詳しい事は分からないけれど、双翼とその弟子を狙っているという情報を掴んだらしい。
 それで注意するようにって。勿論、いざという時は僕も力になるよ。
 けれど、狙われているのは君たち兄妹だからね。君たちの方でも注意して欲しいんだ。
 出来れば、深夜に出歩くのは止めてくれると嬉しいんだけれどね」

リスティの言葉に苦笑で返しつつも恭也は家族に被害が及ぶかどうかを考え込む。
そんな恭也を安心させるように、リノアは頼もしい口調で恭也の肩を叩く。

「そんなに心配そうな顔をするな。いざという時は私も力になるから」

「わ、私も! た、闘うのは嫌いですけれど、それでも精一杯頑張りますから!」

「二人ともありがとう」

二人の気遣いに感謝しつつ、恭也は今一人で出かけている美由希の携帯番号へと掛けるのだった。



「闘えない私は恭也さんの役に立てない。役に立てないと傍にいられない。
 そんなのは嫌……。私は闘える……、たたかえる……。
 天を舞うは羽の如く 振るうは双つの剣
 自在にニ刀を振るわば、それ即ち、天羽双剣流の剣士
 天羽の剣士、人に在らず 修羅なり
 天にて神を斬り 黄泉にて魔を斬り 地においては人を斬る
 我 人に在らず 修羅なり」

うわ言のように呟く悠花の瞳から光が消える。
能面のような無表情と化した悠花は、全く揺らがず感情の映り込まない瞳のまま駆け出す。
かつての戦闘マシーンとして冷酷なまでに二つの剣を振るったツインエッジ。
その本領が発揮される。先程とは別人のような動きに、男たちは戸惑いを隠せずにいる。
だが、その戸惑いさえも隙として悠花は剣を突き立てていく。
まだ辛うじて意識できているのか、息の根を止めるような所まではいかず、ただ意識を刈り取っているだけ。
小さな混乱が起こり始める中、男たちは次々に打ち倒されていく。
そんな悠花の目の前に、それまでの男たちとは少し違う雰囲気の男が立ちはだかる。
気にせず斬り掛かる悠花の刀を男は同じく剣で受け止める。
一筋縄で行かないと判断したのか、悠花の攻撃が鋭さを増す。
数合に及ぶ斬り結びの中、悠花の刀が男の剣が交差し、互いに動きを止めての力比べになる。
男が力では負けないとばかりに押し込んだ瞬間、元より力比べなどするつもりのない悠花は刃を寝かせ、
男の力の向きを逸らす。その浮いた上体へともう一刀を素早く抜刀し、その刃を走らせようとする。
その瞬間、

「悠花さん、駄目ぇぇ!」

美由希の声が今にも崩れ落ちそうな古いフロアに響く。
その声で正気に戻ったのか、悠花の剣は男の心臓に後数ミリという所で動きをピタリと止める。

「悠花さん、駄目だよ。幾ら恭ちゃんの為だからって、その姿で剣を振るうのだけは駄目。
 守るために奪わないといけない時だってあるし、それは私や恭ちゃんもよく知っているよ。
 でも、それでも今の悠花さんの戦い方だけは絶対に駄目だよ。
 だって、何よりも悠花さんが嫌っているはずでしょう」

美由希の言葉に悠花の瞳にゆっくりとだが光が戻り始める。
だが、その一瞬の隙をつくように男は剣を返して悠花に斬りかかり、

「ぎゃぁぁぁぁっ!」

後ろから腕を斬り飛ばされて悲鳴を上げて床に転がる。

「折角助かった命だってのに、自分から無駄にしようとするなんてね」

「……ち、血塗れの魔女!?」

「ほう、私の事を知っているんだ」

にやりとわざと獰猛そうに見えるように唇を吊り上げるリノアに男は必死に遠ざかろうと床を這いずる。
それを一瞥すると、膝を着いて震える悠花に近付く。



「ただ平穏に暮らしたいだけなんだがな。
 だが、降りかかる火の粉は払い除ける!」

――双翼、高町恭也



「私たちが狙いだと言うのなら、初めから私たちだけを狙えば良いのに!
 どうして、どうして周りの人たちも巻き込むんですか!」

――今回のターゲットとなった双翼の弟子 高町美由希



「だから、もう一度闘う事にしました。恭也さんと美由希さんの為に。
 今度はツインエッジとしてじゃなくて、天羽悠花、私自身として」

――自らの意志で闘う事を決意した心優しき少女 天羽悠花



「今の生活は結構気に入っているんだ。皆、良い人たちばかりだしね。
 だから、それを壊すというのなら容赦はしない」

――護る為にその剣を振るうと決めた剣士 リノア・マーライト



二人の剣士を狙う刺客が海鳴へと集う。
その真意は何なのか。
黒幕は誰なのか。
分からない事だらけの中、それでも恭也たちはその手に剣を握る。



マリアさまはとらいあんぐる 〜3nd〜(仮)
既にマリみてとはクロスしてないんだから、このタイトルは間違っているよね
プロローグ 「さらば、平穏な日常」



   §§



「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバインオーグ。
  降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

わざと照明を消し、蝋燭のみを灯りとした薄暗い部屋の中央で一人の少女が目を閉じて呟く。
普通の人には意味を成さない言葉。
しかし、ある種の者たちには力ある言葉として感じられるその言葉を少女は続ける。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
 繰り返すつどに五度。
 ただ、満たされる刻を破却する」

少女の紡ぐ言葉に答えるように空気が質を変え、力ある言葉に触発されるように震える。

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

少女の足元に描かれた魔法陣が俄かに輝き出し、それに連れ少女の声にも力が篭る。
歌うように、流れるように、淀みなく紡がれていた言葉はそこで一旦区切られ、刹那の息継ぎ。
少女は目を開くと同時に、全ての空気を吐き出すかのように最後となる言葉を吐き出す。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」

瞬間、薄暗い部屋を光が満たす。その光の強さに少女が目を庇い、光が収まると恐る恐る腕を下ろす。
期待するように目の前を見詰める少女。そこには、先程までいなかったはずの少女が一人。

「……まさか失敗!? そんなはずは。
 そうよ、まだ諦めるのは早いわ。目の前の女の子が例え小学生ぐらいにしか見えなくても、きっと……」

「えっと……」

きょろきょろと周囲を見渡すのはツインテールの女の子。

「私があなたのマスターよ。あなたのクラスと真名を」

先程から部屋で何かをしていたこれまたツインテールの少女――遠坂凛は、
自らが呼び出した少女へとそう尋ねる。

「えっと、わたしは高町なのはと言います。クラスは……キャスターですね」

なのはと名乗った少女の言葉によろめく凛。

「そんな……キャスターだなんて。こちらから攻めるのは不利。
 ううん、まだ諦めるのは早いわ。そうよ、強力な英霊なら……高町?
 聞いた事ないわね」

急に不安が増大したのか、凛はなのはへと恐々聞く。

「本当にサーヴァントなのよね」

「はい、そうですよ」

にっこりと微笑むなのはの笑顔を目の当たりにし、凛は足元から崩れ落ちそうになる。
しかし、それを何とか堪えると自らを鼓舞するように声を上げるのだった。

「こ、これぐらい丁度良いハンデよ! ……多分。
 兎も角、勝ち残るのは私たちよ!」

「頑張りましょう!」

のどかな口調に、無理矢理鼓舞した心が折れそうになるも、それさえも押さえ込む凛であった。



「問います、貴方がマスターですか?」

「マスター?」

「間違いないようですね。これより我が力は貴方の剣に、この身は盾に。
 クラス、ランサーのフェイトと申します。どうぞ、ランサーとお呼びを」

「あ、これは丁寧に。俺は衛宮士郎……ってそうじゃなくて!」



――人の歴史の裏で、決して表舞台に出る事のない戦いが幕を開く。



「アサシン、召喚に応じて参上。ふむ、貴女がマスターですか」

「はい、そうです。バゼット・フラガ・マクレミッツです。君の真名は?」

「……不破恭也。今この時より、我が刃は貴女を護る為に」

「よろしくお願いしますよ、アサシン」



――全てのサーヴァントが集いし時、ここ冬木を舞台とした第五次聖杯戦争が始まる。



「ディバインシュータッッ!」

「……何よ、この魔術は。私たちの知るどれとも系統が違う。
 ううん、完全に別物と言っても良いわ。破壊力だけを考えたら、とんでもない宝具ね。
 キャスター、正直私は貴女を見縊っていたわ。改めて貴女の力を貸して頂戴。
 貴女と私が組めば、勝利は揺ぎ無いわ!」

「勿論、力を貸しますよ凛さん。ただ、今のは宝具でも何でもないですけれど」

「……今の魔術はそのレイジングハートとかいう杖が使ったんじゃないの?」

「うーん、確かにこの子は宝具ですけれど、あれはただの術ですし。
 勿論、レイジングハートがないと撃つのは難しいですけれど」

「と言う事は、何度でも連続して使用できるのね」

「はい。尤も私の魔力が尽きると終わりですけれど」

「まあ、そこはね。にしても、キャスターだけあって、なのはの魔力量はかなり多いわよね」

「あはは、ご迷惑を掛けます」

「いや、別に責めている訳じゃないのよ。それに、どうも自分でも自然と魔力を回復しているみたいだし。
 まさか、キャスターにそんな能力があったなんて。もしくは、なのは自身の力なのかしら?」

「どうなんでしょうね。とりあえず、今日はここまでにしておきますか」

「そうね。幾ら待っても本人は出てこないみたいだし、このまま雑魚の相手ばかりさせられるのもね。
 それじゃあ、戻りましょか」

「はい。それじゃあ、飛びますよ」

二人の少女の影が、夜空へと舞い消えていく。
それを遠くから見詰める影が一つ。こちらもまた、凛たちが立ち去ったのを見て、その姿を闇の中へと消す。



「なるほど。アサシンとして召喚されるだけあって、暗殺能力は非常に高いですね。
 それに加え、正面からも戦えるとは。私たちの戦略が決まりましたよ」

「……決まったも何も、ただ攻撃あるだけのような気がするんだが?」

「その通りですが何か問題でも? 貴方の力を見て、背中を任せれると判断したのですが」

「その言葉は嬉しいんだが、マスターが自ら前に……いや、良い。
 しかし、今回の聖杯戦争は分からない事ばかりだな。何やら可笑しな獣共もうようよいるし」

――謎の生物がマスターとサーヴァントに襲い掛かる。
  今までにない事態が起こる此度の聖杯戦争。
  果たして最後に笑うものは。



リリカルとらいあんぐるフェイト プロローグ 「マスター誕生」



   §§



海と山に囲まれた都市、海鳴。
穏やかな気候ながらも、特に観光地という事もないこの土地は、知る人ぞ知る霊脈が集中する地でもある。
それに引き攣られるかのように、幾つかの不思議な事件も過去には起こったようではあるが、
それこそ当事者以外には知られる事もなく、ただの一都市としてのみ存在している。
その地に新たに足を踏み入れる三つの影。

「ったく、ようやくか」

大きめの鞄を手に駅から降り立った少年は、そう不満交じりに零す。
後ろからは少年よりは小さいが、それでも身体からすれば大きめの鞄を手にし、
その重さにフラフラと身体を振るわせる、猫の耳を連想させそうな大きな帽子をすっぽり被った少女が、
重そうに鞄を地面に下ろしながら、少年の文句に偉そうに胸を逸らしながら返す。

「あれぐらいで疲れるようじゃ、まだまだだね祐一くん」

「……なぁ、名雪。何でこいつまでいるんだ?」

帽子を被った少女を指差し、祐一と呼ばれた少年は隣に立つ少女、名雪へと心底不思議そうに尋ねる。

「知らないよ。だって、お母さんが三人でって手続きしたんだし。
 私に聞かれても困るな。そりゃあ、居ても邪魔になりそうだという祐一に気持ちは分かるけれど、
 本人を前にしてそんな事よく言えるね」

「言ってるのはお前で俺じゃねぇ。ったく、本当にこの街に何があるんだか」

「うぅ、二人して僕の事を役立たずだって思ってるんだね」

泣きそうな顔で二人を見上げる少女を無視するように、祐一は空を見上げる。
その視線を追うように、醒めた目で同じように空を見上げる名雪。
二人よりも幼く見える外見の、けれども実は同じ年の少女、あゆは無視されたと喚き出す。
それに小うるさそうに顔をしかめ、祐一と名雪は互いに宥める役を目で押し付けあう。
結果、二人は面倒事を避けるべく、自分の荷物だけを手に持ちその場をさっさと後にする。
慌ててあゆも自分の荷物を手にし、遅れて二人の後に付いていくのだった。

「二人とも酷いよ〜」

そんな声を背中に聞きながら、祐一は何で秋子がここに自分たちにここへ来るように言ったのか、
その事を少しだけ理解する。

(霊脈がやけに集中しているな。
 だが、それだけで秋子さんが俺たちをこんな場所に引越させたりはしないだろう。
 また面倒な事にならなければ良いけど……)

隣を歩く名雪へと視線を一度だけ移し、すぐに前を向くと、
祐一は用意されたマンションへの地図を頼りに歩き出す。



「はい、さざなみ女子寮です。
 薫か? 久しぶりだね。今日はどうしたんだい? 那美ちゃんに用かな?」

寮に掛かってきた電話に出た耕介は、その相手が元寮生にして、
現在寮に住んでいる少女の姉だと分かると嬉しそうに話をする。
管理人である彼にとっては、今寮に居る子達も、既に寮から出た子達も久しく妹のようなものなのだ。
その後も少しばかり世間話をすると、耕介は薫の妹那美へと電話を取り次ぐ。
姉からの電話だと聞いて嬉しそうに電話を受け取り、楽しそうに話していた那美であったが、
その顔が不意に真剣味を帯び始める。
その顔付きは極一部の者のみが知る那美のもう一つの顔、霊能力者としての顔であった。

「うん、分かった。とりあえず、薫ちゃんが来るまでに調べれる事だけ調べてみる。
 大丈夫だよ、無茶な事はしないから。それに、いざとなったら久遠もいるし。
 ……うん、うん。それじゃあ、今度は海鳴で」

薫との話を終えて電話を切ると、那美は何事もなかったように振舞うため、
頬に手を当てて解すように軽く揉む。
最後に笑顔を浮かべて耕介に電話が終わった事を伝える。

「それと、薫ちゃんが近々こっちに来るって言ってました」

「そうなの? だったらご馳走を作らないとね。
 正確な日が分かったら教えて」

「分かりました。あ、私これからちょっと出掛けてきますね」

「いってらっしゃい」

耕介に見送られ、那美は外へと出る。
まずは久遠を見付けないといけないと、八束神社へと向かう。
そこにいなければ、高町家だろうと検討を付けて。



少し街から郊外へ向かうと、途端に密集していた住宅もなりを潜め、自然がそれなりに見受けられる。
そんな自然の一角、林道の続く先に建つ一軒の洋風の大きなお屋敷。
そのリビングで屋敷の主は今、一人の客を迎えていた。

「忍も元気そうね」

「まあね。それで、さくら。今日はどうしたの?」

「実はね……」

言い置いて忍の向かいに座ったさくらは、忍の隣に座っている青年へと視線を向ける。

「何でしたら俺は席を外していましょうか?」

「恭也には聞かせれないような事なの?」

青年――恭也が気を使ってそう言い出せば、忍がさくらへとそう尋ねる。
さくらは少しだけ考えた後、恭也にも聞いてもらう事にする。

「恭也くんはうちの事情を知ってるものね」

「夜の一族という事ですか」

確認するように尋ねる恭也に頷くと、さくらは自分たち夜の一族――人とは少し違う種――の事だと話し出す。

「基本的に長老、私や忍の祖父にあたる人物の元で統一されてはいるんだけれど、
 中には反発する者たちもいるの。ごく少数だけれどね。
 その少数派にしたって、表立っては何もしないわ。
 でも、ここ最近、何か可笑しな動きをしている者たちがいるらしいのよ」

「ふーん。それで?」

興味ないという感じで続きを促す忍に苦笑しつつ、さくらは話を続ける。

「その者たちが何度か海鳴に出入りしているという噂があってね」

心配そうに忍を見詰めるさくらに、当の本人よりも先に恭也が気付く。

「まさか、また忍に何かしようと……」

「それは分からないわ。ただ、忍に何かしようとしたら、それこそお爺様が黙ってないでしょうし。
 でも、半年前の事もあるし、万が一という事もあるでしょう」

半年以上前、忍の親戚が遺産目当てに忍を襲った件はまだ記憶に新しい出来事である。
その時の事を思い出し、少しだけ身体を振るわせる忍。
そんな忍を落ち着かせるように恭也はそっと手を握り、二人の後ろから頼もしい声が届く。

「ご心配には及びません。忍お嬢様は私がお守りいたします」

「ありがとう、恭也、ノエル」

ようやく笑顔を見せる忍に恭也とノエルもほっと胸を撫で下ろす。
そんな様子をただ黙って見詰めていたさくらは、改めて恭也へと向き直る。

「まだ忍が狙いだとは分からないけれど、用心しておくに越した事はないと思うの。
 だから、忍の事をお願いね。勿論、ノエルも」

さくらの言葉に恭也とノエルは揃って頷くのだった。



「おい、やっぱりこっちで合ってるみたいだぞ」

地図の通りに歩いてきたのだが、目的地が見えない事で名雪が文句を言い、
丁度大きめの通りに出た祐一は、近くの店で合っているかどうかを聞いてきたの所である。

「そう。じゃあ、さっさと行こう」

「ま、待ってよー。僕、もう疲れて……」

さっさと歩き出そうとする二人の後ろから、少し息を乱したあゆがそう言うも、二人はさっさと歩き出す。

「酷いよ……」

「だから、荷物は減らせって言っただろう」

「そうだよ。どうせ後で送ってもらえば良いんだから」

文句を言うも二人にあっさりと言い返されて言葉もなく項垂れる。
と、そこへ第三者の声が掛かる。

「ちょっ、だからそこの店でお茶でもって……」

「うん? 何だ、そいつは名雪の知り合いだったのか」

「そんな訳ないでしょう。私、この街初めてなんだから。
 祐一が道を聞きに言っている間に、何か話し掛けてたみたいだけれど。
 あれって私に話してたんだ。てっきり、見えないお友達が見える可哀想な人だと思ってた」

「相変わらずの毒舌というか、いい性格だな」

「そう? そんな事はないと思うけれど。
 少なくとも、女の子を雪の中ずっと待たせたりはしないよ」

「仕返しに二時間も雪の中で待たせるような奴ではあるがな」

「偶々、忘れてたんだよ」

「あっそ。それよりも、さっさと行くぞ」

「あゆちゃん、行くよ」

話し掛けてくる男を無視して、二人は立ち去る。
祐一がいるからか、しつこく声を掛けるのを諦めた男は悪態をつきつつも離れて行く。
それをビクビクと見ながら、あゆも二人の後に続く。

「やっぱり名雪さんは凄いね。今のナンパさんでしょう」

「そんな名前だったの?」

「いや、名前じゃなくて……」

真顔で聞き返してくる名雪に言葉に詰まるあゆ。
祐一は名雪をじっと見詰め、

「ナンパねぇ」

「なに?」

「いや、何でも」

さっさと背を見せる祐一の隣に並び、名雪は小さく嘆息する。

「本当に何を考えているんだろう。初めて会ったばかりで声を掛けるなんて」

「ナンパだからな。知り合いをナンパするとは言わないんじゃないのか」

「見たところ学生みたいだったけれど、勉強もせずに何をやってるんだか」

さっさと自分たちのペースで歩く祐一たちの後ろを必死に追いかけるあゆ。
やがて、人通りも少ない路地へと差し掛かり、前方にマンションが見えてくる。

「あそこだな」

地図と見比べてもう一度確認する。
間違いない事を確認した時、三人の前方に黒い霧のような、靄のようなものが姿を見せる。

「……邪魔だ」

祐一が一言呟き、ソレを睨みつけるとそれは霧散して消え去る。
何事もなかったかのように歩き始める二人の後を、また慌てて追いながらあゆが泣きそうな声を出す。

「ね、ねぇ、さっきのってお化けじゃないよね」

「違う。そして、多分あれが……」

「お母さんが私たちをここに行くように差し向けた理由……、もしくは、それに関係するものだろうね」

「さて、この街で何が起こってるのやら」

日常会話をするみたいなやり取りをする二人と違い、
あゆは少しだけ怯えたように二人から離れないように歩く速度を上げるのだった。



Kanongle AnotherStory WonderHeart プロローグ 「北から来た者たち」



   §§



「恭也! 恭也!」

珍しく慌てた様子で店の所用で出掛けていた桃子が、裏口から駆け込んでくる。
その事を注意しようとした恭也であったが、桃子の様子が真剣なのを見てまずは落ち着かせるべく声を掛ける。

「とりあえずは落ち着いて」

恭也の言葉に桃子は深呼吸を素早く数度行うと、やや早口で捲くし立てる。

「西田さん、知ってるわよね!」

「商店街から少し外れた裏道で雑貨屋を営んでいる西田さんか?」

言いながら、恭也は老夫婦の柔和な顔を思い出す。
人当たりも良く、昔から恭也や美由希にも優しく笑いかけてくる二人の顔を。

「そう、その西田さんよ! そこに今、地上げ屋が来てて……」

「地上げ?」

「そうなのよ。最近、あの辺りを買い上げようとしている人がいるらしくて。
 当然、西田さんだけでなく、皆も自分の土地だから出て行こうとはしてなかったんだけれど……」

さっき帰りに大きな物音がしたので覗いてみれば、西田さんの家の前に黒い服を来た四人の男たちが居たらしい。
しかも、店先で西田さん二人を大声で威嚇し、店で暴れている場面に出くわしたという。
思わず間に入ろうとした桃子であったが、自分ではどうにも出来ないとすぐに思い直し、
こうして急いで戻ってきたのだと言う。
そこまで聞いた恭也は、桃子が更に言うまでもなくエプロンを外し、既に扉の外へと出ていた。

「かーさんはここに居て」

「あ、うん。恭也、無茶はしないでね」

西田さんを助けて欲しいが、やはり恭也の心配をするのも当然である。
そんな桃子に頷くと、恭也は西田さんの家へと走り出すのだった。



「とりあえず、当面必要な物は買ったな。後は……、はぁぁ。
 そう言えば、割ってしまったから、新しい茶碗を買わないといけないんだったな。
 とんだ出費だな……」

サイフを取り出して中を確認すると、少年はもう一度溜め息を吐く。
それに眉を顰めるのは、彼と手を繋ぎ隣を歩く幼い少女である。
一見、まるで人形のように可愛らしい容姿に、けれどもしっかりとした力強い意志の篭った眼差しで少年を見上げる。

「真九郎、そんなに溜め息ばかり吐くと幸せが逃げるらしいぞ。
 この間、夕乃が言っていたぞ」

真九郎と呼ばれた少年は、少女の言葉に苦笑を漏らしつつ、

「ああ、そうだね。気を付けるよ、紫」

真九郎の言葉に少女、紫は満足そうに頷く。

「それで、次は何処に行くのだ?」

「……西田さんの所に行くか。
 あそこなら、安いのがあるだろうし……」

行き先を決めると真九郎は紫の手を引いて、商店街から外れた道筋へと入っていく。
この辺りは初めてなのか、手を引かれながら紫は物珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡す。
その仕種を微笑ましく見詰めながら、真九郎は目当ての店へと着く。
着いたのだが、そこには見るからに客とも思えないような連中が店先に陣取っていた。
困ったように立ち止まる真九郎の横で、紫は目の前の惨状を見て顔を怒りに染める。

「やめぬか、この愚か者共が」

幼い声に男たちは動きを止めて振り返る。
真九郎は顔を顰めつつ、紫を止めるのは不可能と諦めたかのような顔になる。
それでも、出来るだけ穏便に済まそうと考えるのだが、全く良い手が浮かんでこない。
その間に紫は真九郎の手を解き、倒れていた西田老夫妻の元へと駆け寄っていた。

「大丈夫か?」

「私たちは大丈夫だから、それよりも早くここから立ち去りなさい」

「おじいさんの言う通りよ。ほら、早く」

「それはできん。見たところ、悪いのはこいつらだ。
 それに、私たちは客として来ているんだ。むしろ、立ち去るのはこの者たちの方だろう」

平然と告げる紫に男たちは感情を顕わにこそしないものの、突然現れた侵入者を睨みつける。
だが、それを受けて尚、紫は決然とその場に、西田夫婦を背後に庇うように立つ。
こうなっては真九郎も覚悟を決めるしかなく、男の一人が紫に手を伸ばし捕まえる前に紫と男の間に立つ。
真九郎としては特に事を構えたりつもりもないのだが、紫に危害が及ぶのならそうもいかない。
それでも話し合いで決着がつけれないかと試みるのだが、相手は既にこちらの言う事を聞く気もないらしく、
行き成り真九郎へと殴りかかってくる。
それを後ろに下がって躱すと、真九郎は紫に向かって言う。

「とりあえず、後ろに下がって」

「分かった。後は任せたぞ」

紫の言い分に思わず苦笑が洩れるも、それを自分たちが笑われたと思ったのか、男たちは真九郎を囲むように立つ。
前から二人、殴りかかってくる。
それを前へと出て、一人は脇腹に拳を当て、もう一人は肘を下から打ち上げる。
続けざまに脇腹を押さえて前屈みになる男の顎へと蹴りを放ち、肘を打たれてボディが開いた所へと肘を入れる。
そんなに腕っ節が強く見えない真九郎の攻撃、たった二発ずつで男たちが倒れるのを見て残る二人は慎重になる。
油断している間に何とかしたかった真九郎は、それでも虚勢を張るように余裕めいた表情をして見せる。
上手く出来ているかは分からないが、紫が傍にいるからか不思議と落ち着いている。
残った男たちは交互に真九郎へと攻撃をしてくるも、それらを紙一重で躱していく。
と、不意に男二人は視線を交わす。
何か仕掛けてくると感じ取り、僅かに構える真九郎の前で一人は真九郎へと向かって来て、
残る一人は全く逆の方向、紫の居る方へと向かう。
人質にするつもりだと気付いた真九郎は前へと素早く踏み込み、
こちらへと襲い掛かってくる男の鼻っ面に拳を打ち込む。
後ろに吹き飛んだ後、地面に倒れてそのまま痙攣する男には見向きもせず、真九郎はただ紫の元へと走る。
その差は僅かに縮んだものの、男の方が先に紫の元へと辿り着き、その手を紫に伸ばす。
が、その手が遂に紫に触れる事はなかった。
横から伸びた第三者の手が男の手首をしっかりと掴み、そのまま上へと捻り上げる。
それに合わせて男の腕も上へと伸び、爪先立ちになる。
瞬間、男の腕を掴んだ青年――恭也は掴んだ手を振り下ろし、そのまま男を投げ飛ばす。
背中から落下した所に腹に恭也の拳が振り下ろされ、そのまま意識を失う。
それを確認すると恭也は後ろを振り返る。

「大丈夫でしたか、西田さん」

「あ、ああ。ありがとう、恭也くん」

「いえ、俺は特に何もしてませんよ。
 寧ろお礼は……」

言って恭也は、突然現れた自分の存在に思わず足を止めた真九郎を見る。

「大丈夫だった?」

西田夫妻が立つのに手を貸しながら、恭也は紫に声を掛ける。
掛けられた紫は大仰に頷いた後、恭也にお礼を言う。
その隣にやって来た真九郎も恭也へと礼を言う。

「どういたしまして。こちらこそ、西田さんたちを助けて頂いて……」

恭也に続き、西田夫妻も真九郎たちに礼を言う。
これが二人の鬼の出会いであり、まさか、この数日後に再会する事になるなど知るよしもなかった。



「九鳳院? あの世界屈指の大財閥にして、表御三家の筆頭の九鳳院なのか!?」

驚く恭也の言葉に、紫もまた驚いた声を上げる。

「表御三家、その言い方をすると言う事は、まさか裏十三家の者か!?
 真九郎、気をつけろ! こやつはお主と同じ裏十三家の者かもしれぬぞ!」

「……裏十三家? しかし、紅と付く家系はなかったはずだが……」

「あ、それは……」

恭也の言葉にどう説明するか迷う真九郎を助けるように、そこに新たな人物の声が届く。

「それは私から説明しましょう。
 もう、真九郎さんったら、また変な事に首を突っ込んだんじゃないでしょうね。
 めっ、ですよ」

真九郎へと人差し指を立てて軽く説教をした後、現れた美しい少女は恭也に向き合う。

「お久しぶりですね。覚えてられますか?」

「はい、久しぶりですね、夕乃さん。
 ……つまり、彼は崩月に連なる者という事ですか」

「知り合いなのか、夕乃!?」

再び驚いた声を上げる紫にただ黙って頷くと、

「恭也さんは裏十三家の者ではありませんよ。ましてや、表御三家を狙う者でもないでしょうね。
 彼は永全不動八門の者です」

「永全不動八門の? しかし、不動八門はその最後の御神が滅んで全て絶えたと聞いているぞ」

「本当に僅かながら、生き残っていたんですよ」

恭也の言葉に何かを感じ取ったのか、紫は不躾な事を言ったと謝る。
そんな紫の年よりも利発な所に感心しながら、気にしていない事を伝える。

「それじゃあ、お互いの正体もはっきりした事ですし、
 何がどうなっているのか説明してくれますよね真九郎さん」

軽く両手を合わせ、まるで夕飯は何が良いのか聞くかのような朗らかな笑みを真九郎に向ける夕乃。
だが、それを向けられた真九郎は冷や汗を一筋流し、やがて諦めたように事情を話し出すのだった。
これが二人の鬼の再会にして、共闘の始まりであった。



「永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術裏・不破流 高町恭也」

「崩月流甲一種第二級戦鬼、紅真九郎」

「「いざ!」」

黒紅 「剣鬼と戦鬼」



   §§



日曜の昼下がり、高町家の居間は非常に賑やかであった。
那美や忍といった面々が遊びに来ているためである。
今もなのはとゲームで対戦をしている声が聞こえてくる。
それらを背に恭也は玄関へと向かう。
井関さんの所へと注文していた木刀を取りに行くためである。
商店街へと向かいながら、恭也は落ち着かない仕種で首から下がったお守りを指先で掴み上げる。
今日、那美が来たのはこれのためである。
何でも久遠の毛と神咲の秘術を用いた強力なお守りらしい。
久遠の件でお世話になったお礼として薫と那美からのプレゼントらしい。
霊的な防御やちょっとした呪い程度なら防ぐとの事で、恭也だけでなくなのはや美由希にも渡していた。
忍もノエルや遺産の件でのお礼として、
夜の一族の秘術を貸したと言っていたのを思い出し、その事には若干の不安を抱く。
そんな風に忍本人が聞いたら怒りそうな事を考えている間に、恭也は目的の店へとやってくる。
頼んでおいた木刀を手に、帰路へと着く。

「にしても、頼みすぎだ。あのバカ」

美由希に注文を頼んだのが間違いだったと頭を抱えそうになる。
注文した後に本数を聞き、恭也は思いっきり呆れた顔でわざとらしく溜め息を吐いて見せてやったぐらいだ。
それに対し、美由希は慌てたように手を振りながらも、消耗品だから、とか、
纏めて買っておけばすぐに補充する必要はないじゃない、とか、鍛錬のし過ぎで折れたり、とか。
兎も角、徹を覚える際に爪楊枝のようにポキポキと折った事を考えてなのか、
あり得そうもない事態まで想定して木刀を発注したのである。
確かに、小太刀の木刀など珍しく予め多めに注文しておく事はある。
あるが……。
恭也は再び自分の両手に持った荷物に視線を落とす。

「流石に五十本はどう考えても多すぎるだろう、馬鹿弟子」

しかも、美由希の中ではこれは一ヶ月分らしい。
どんな事態を想定したんだ、と思わず美由希に突っ込んだのは既に懐かしい思い出だ。
そこまで想定するのなら、災害で道場が潰れる所まで想定し、
買い過ぎないようにとは思い浮かばなかったのだろうか。
そんな今となっては詮無き事をつらつらと考えながらも、
実際にはかなりの重さになろう木刀を何でもないように運ぶ。
と、ふと思いついて足を止める。

「出てきたついでに豆大福でも買って帰るか」

荷物が多いから美由希の分はなしだな、とかそんな事はしないくせに少しだけ意地悪な事を考えつつ、
恭也はここから店へと行くのに近道となる裏通りへと入る。
少し進んだ所で恭也は足を止める。
まるで恭也の進路を防ぐように、恭也の身長よりも大きなナニかがそこに聳えていた。
鏡のようだが、表面には何も映し出されてはいない。
また、厚みも殆どないようで、何よりも地面から数センチ浮いている。

「……これは」

慎重に近付いた恭也の耳に、いや、脳裏に何やら声が届く。
周囲を見渡すも、誰もおらず気のせいかと思うが、やはり声が再び聞こえてくる。
もしかしてと思い目の前に立つソレを見る。

「この向こうからか……」

とは言え、こんな訳の分からないものをどうすれば良いのか。
無視して来た道を戻るという選択肢を考え、事実そうしようとソレに背を向ける。
が、その際持っていた荷物がその表面に触れてしまう。
まるで引き止められるかのように後ろへと引っ張られるような感じを受け、
恭也が振り返った先、持っていた荷物が謎の物体に引きずり込まれていく。
咄嗟に荷物を離そうとするも、それよりも先に恭也の手首まで飲み込まれてしまう。
そこから抵抗する間もなく、あっという間に恭也の姿はその謎の物体の中へと飲み込まれてしまう。

(薫さんや那美さんのお守りは効果があっただろうに、
 忍が余計な事をした所為で、効果が逆になってしまったのかもな)

上も下も分からない、ただ色のない空間が広がる世界を落下か、上昇か、はたまた横へと飛んでいるのか、
ともかく移動させられながらも、恭也はそんな事を結構冷静に思っていたのだった。



「……それで、バカ犬。こ、こここここここ、今度は何を見てたのかしら?」

「な、ななな何も見てませんでしたよ、ご主人様」

「へ、へぇ。それじゃあ、アンタのその目がテファのむ、む、
 むむむむむむむむ胸を凝視しているように見えたのは、わたしの気のせいかしら?」

「そ、それはえっと……」

桃色がかったブロンドの少女が乗馬などで使うような鞭を手に、黒髪黒目の少年を見下ろす。
少年が言い淀んだ瞬間、少女の鞭が容赦なく振り下ろされて乾いた音を上げる。

「ってー! おい、ちょっと待てルイズ!」

「煩い、このバカ犬! ややややや、やっぱり去勢が必要かもしれないわね」

ルイズの言葉に少年――サイトは顔を青くさせる。

「テファもそうした方が安心できるでしょうし」

「あ、あのルイズさん。わたしなら大丈夫だから」

「ほ、ほら、テファもそう言っている事だし……」

「煩い! 黙りなさい」

ピシッと鞭でサイトの身体を一つ打ち、ルイズは肩で大きく息をする。
その横で鞭の音を聞いて、まるで自分が打たれたかのように身を竦ませた耳の長い少女――ティファニアは、
何とか声を出して二人の諍いを止めようと懸命になる。
だが、ルイズはまたしても鞭を振り上げ、

「おいおい、もうそのぐらいにしておいたらどうだ。
 今はそれよりも先にする事があるんだろう」

この場に姿の見えない第三者の声にルイズも鞭を握る手を止める。

「うるさいわね、このボロ剣。言われなくても分かってるわよ」

サイトが背中に背負っている剣に向かって文句を言えば、その柄部分がカタカタと鳴り、

「へいへい、そうですか。だったら、早くその用件とやらを聞いてやりな。
 さっきからお前さんのあまりの剣幕に怯えてるぜ、あのエルフの嬢ちゃん」

剣――デルフリンガーがそう言葉を返す。
デルフリンガーを一睨みした後、ルイズは改めて自分を呼び出したティファニアへと向き合う。

「それでどうかしたの?」

「えっと、その……」

ちらちらとサイトの方を窺い、その身を案じるティファニアに気にしないように伝える。

「で、テファの用事ってのは?」

サイトからもそう促され、ティファニアは思い切って切り出す。

「あの、私も使い魔が欲しいなって……」

「欲しいって。使い魔を呼び出すのは二年の最初の儀式でよ」

ここトリステイン魔法学院は、その名の示すように魔法を教える学校である。
今、ティファニアが言った魔法使いに仕える僕、使い魔を呼び出すのは二年へと進級してからである。
まだ一年のティファニアはあと約一年は待たないといけないはずである。

「そうなんだけれど……」

やはり村で世話をしていた子供たちとも簡単に会えなくなって寂しいのか、最近は友達も出来たりとしたが、
ふとした時に寂しくなるのかもしれない。だから、傍にいる使い魔を欲したのかも。
サイトはそんな風に考え、ルイズに何とかならなにかと持ちかける。
ルイズも何か考え込む素振りを見せるが、そこへデルフリンガーが割り込んでくる。

「やめておけって。勝手な事をすると、それこそどうなるか分からないぜ。
 特にお前さんらは伝説の担い手だ。下手な事をしようもんなら……」

「そうよ! それだわ! 私たちは虚無の使い手として狙われているのよ」

「何を今更言ってるんだルイズ。だからこそ、保護するためにもテファを連れて来たんだろう」

「バカね。使い魔って言うのは魔法使いを護るものでしょう。
 だから、それを理由に許可を貰えば良いのよ」

ルイズの言葉にサイトは感心したように頷く。

「流石だな、ルイズ」

「当たり前じゃない、わたしを誰だと思ってるのよ」

「胸はないけれど、そういう悪知恵はよく思いつ……」

「い、いいいいいいいいい今の話の中で、どうやったらむ、むむむむむむむむむむ胸の話になるのかしら?」

ルイズの怒りをその身に感じ、サイトは素直にティファニアの胸に見惚れていたからと言おうとして、
そんな事を言えば、ただで済まないと悟り、ただ謝罪を口にする。
だが、どうやらどちらにしても結果は同じようで……。

「し、しししししししし躾が必要なようね」

言って呪文を唱え始める。

「ちょっ、ま、待っ……」

サイトが止めるよりも早く、爆発が起こりサイトが吹き飛ぶ。
一度では気がすまないのか、二度、三度と。
地面に倒れた所へと近付き、今度は手にした鞭や足でサイトを打つ、蹴る、転がす。
数分後、そこにはボロ切れと化したサイトが横たわっていた。

「ふんっ! とりあえず、学院長に話をしてくるわ。行くわよテファ!
 アンタはそこでゆっくりと反省してなさい!」

完全に気を失っているサイトにそう言い捨て、ルイズは困惑するティファニアの手を引いて学院長室へと向かう。
その背中に聞いていないと分かっていても、デルフリンガーは声を投げる。

「おーい、やめておいた方が良いってよ〜」

珍しくしつこく告げるデルフリンガーの言葉は、しかし本人が思った通りにルイズたちには届いていなかった。



その日の夜、ルイズたち三人と学院長のオスマンを加えた四人は使い魔を呼び出すための場にいた。

「それでは、これよりティファニアの使い魔召喚の儀式を執り行う」

オスマンの言葉に頷くと、ティファニアは呪文を唱え始める。
それを眺める一同の中、デルフリンガーだけは未だに注視を訴えるが、サイトに煩いと鞘に納められてしまう。
そうこうしている内に、ティファニアの前に魔法陣が浮かび上がり、そこに使い魔となるものが出てくる。
カランという乾いた音を立て、それが現れる。

「……木の枝?」

思わずそれを手に取ったティファニアは呆然とそれを見下ろし、悲しげに俯く。
が、その後に続けて何かが飛び出してくる。
行き成りの事に避ける事も出来ず、ティファニアはそれの下敷きとなる。
が、背中や頭は軽くぶつけたみたいで少し痛いのだが、それとは別に胸になにやら温かい感触を感じ、
それが少し動くと思わず声が口から零れ……ず、唇もまた何か温かなものに塞がれていた。



上も下も分からない状態で進んでいた恭也であったが、既に達観したかのように現状を受け入れていた。
そんな恭也の視界の先に光が差し込み、ようやくここから抜け出せると思った矢先、
急に身体に重力を感じる。どうやら、さっきの出口から外へと出たらしく、
かと言ってこんなに急では態勢も何もなく、なすすべもなく恭也は倒れこむ。
が、予想したような衝撃はまったくなく、寧ろ柔らかなクッションのようなもので身体を受け止められる。
少し眩む視界いっぱいに金の美しい何かが映り込み、
今の状況が分からないながらも起き上がろうと腕を地面に立て、その柔らかな感触に思わず動きを止める。
次いで、自身の口より息を吹き込まれる感触に、焦点を目の前に合わせる。
映るのは綺麗な瞳。相手も自分と同じように驚愕した様子でこちらを窺っていると分かり、
ようやく恭也は、今の自分の状態を悟る。
目の前の少女の胸を掴んだまま唇を奪っているという、傍から見れば襲っていると見える状態に。
急いで少女の上から身を起こし、未だに驚いている少女へと頭を下げる。
勿論、土下座で。

「すまない。信じてもらえないかもしれないが、決してそんなつもりではなくて、
 気が付いたらこの状態だったんだ」

「……あ、いえ、そんな」

暫く呆然としていたティファニアだったが、土下座する恭也に慌ててこちらも頭を下げる。

「ご、ごめんなさい。多分、それはわたしのせいだから……」

二人して頭を下げる光景を、離れて見ていたルイズたちも少し呆然と事の成り行きを見詰める。

「ま、また平民……」

「ふむ。ミス・ヴァルエールを狙ってきた使い魔も人であった事を考えると、
 虚無の使い手の使い魔は人なのかもしれんな」

「……もしかしたら、あいつ俺と同じ世界から来たのかも。
 服装が」

サイトの言葉にオスマンもルイズも恭也の服装を見詰め、納得したように頷く。
ただ、とりあえずは頭を下げたままの二人を何とかしようと二人に近付く。
オスマンの言葉に顔を上げた恭也とティファニア。
まずはサイトが恭也へとここに来た時の状況を聞き出す。
それは自分と全く同じ状況で、更に幾つかの話を聞いて恭也が自分と同じ世界から来たのだと確信を得る。
サイトの言葉に首を捻る恭也であったが、頭上に浮かぶ二つの月を見て言葉を無くす。
そして、遠い目をすると。

「父さん。ここ一年で色々あったけれど、とうとう異世界まで来てしまったよ。
 父さんのように色んな免許を持ってはいないけれど、色んな経験に関してはちょっと自信があるな……」

本当に遠い目をする恭也に、オスマンは気まずく感じつつも使い魔について説明を始める。

「まあ、そんな訳でお主を呼んだのは……」

「す、すみません」

「あ、いえ、こちらこそ……」

また頭を下げ合う二人にルイズが割ってはいる。

「それはもう良いから。貴方も異世界から来たのなら、帰り方は今のところ分かってないのよ。
 だったら、今はテファの使い魔になる方が良いと思うわよ。
 少なくとも、住む所と食べるものには困らないわよ」

ルイズの後ろでサイトが必死に首を横に振っているが、恭也はそれに気付かずティファニアを見る。

「……俺にはさっき聞いた使い魔の本来の役目は出来そうもありません。
 出来る事といえば、貴女を護るという事だけですが、これだって絶対にとは言い切れません。
 勿論、護ると決めたからには全力で護りますが。貴女の方はそれでも良いのですか?」

「わ、わたしは構わないけれど、恭也さんは本当に良いの?」

「帰る方法を探すにしても、衣食住は必要ですから」

「そ、それじゃあ、契約を……」

ティファニアはそう言うと呪文を紡ぎ、恭也の頭にそっと手を伸ばして口付ける。
あまりにも自然な動作だったために避けることも忘れ、恭也はそれを受け入れる。
と、サイトの背中からデルフリンガーが何とか鞘から飛び出す。

「うがぁぁ、遅かったか! ちっ、胸は、胸だけはやめてくれよー! 右手、右手ー!」

何やら騒がしいデルフリンガーの言葉に疑問を抱くよりも早く、恭也が胸を押さえる。
そこからは何やら光が零れている。

「ま、マジかよ。おい、相棒! もしかしたらやばい事になるかもしれないぜ。
 俺を持って嬢ちゃんを下がらせろ!」

「何を言っているだ、デルフ?」

「良いから、手に取れって相棒!」

珍しく焦った声を出すデルフリンガーを不思議に思いながらも手に取る。
サイトたちが見詰める中、恭也の胸の光が収まりだし、途端、再び胸元から強い光が零れる。

「なに!? なんなのよ」

恭也を中心に光だけでなく風が吹き上がる。
そこに何かを感じたオスマンは目を細めて恭也を見る。

「変わった魔力が感じられる。もしや、異世界の魔法か?」

恭也の胸元から魔法陣が浮かび上がり、その中心には……。

「これは、お守り?」

那美から貰ったお守りが光を発しながら恭也を護るように浮かび上がっている。
お守りの光と胸の光が鬩ぎ合うようにぶつかり合い、やがて光が消える。
お守りは焼ききれたようにボロボロになり地面へと落ちる。

「おい、ルーンはどうなった! 慎重に見ろ!」

デルフリンガーの言葉にサイトが恭也へと近付き、恭也の胸を見る。
確かに何かのルーンが刻まれているが、まるでそれを潰すようにX印がその上に刻まれている。

「まさかとは思うが、封じたのか」

デルフの漏らした言葉にオスマンが説明を求める。

「俺だってちゃんと覚えている訳じゃないんだが、とりあえず胸のルーンだけはまずいんだ。
 だが、どうやらその心配はもういらないみたいだな」

神の左手ガンダールヴ、神の右手ヴィンダールヴ、神の頭脳ミョズニトニルン。
そして、もう一つは記すことさえはばかれる。
前にティファニアが歌っていた事を思い出し、デルフリンガーに尋ねるサイト。
だが、デルフリンガーは再度、ただ確かにまずいとしか覚えてないと繰り返すのみであった。

「まあ、もう大丈夫なら良いんだけれど。
 でもこれだと、ガンダールヴみたいに何か力を得たりとかはないのか?」

「さあね。何せ、こんな事は初めてだしな。
 まあ、何かあればその内分かるだろうさ」

デルフリンガーはそれ以上何も語らず、サイトもそれもそうかと思い直して鞘へと戻す。
その間に恭也とティファニアの方も落ち着いたのか、ゆっくりと立ち上がる。

「とりあえず、これから宜しくお願いしますティファニアさん」

「わたしの事はテファで良いです。
 それと、そんなに丁寧に話さなくても、友達みたいに接してくれると嬉しいです」

「……分かった。それじゃあ、これから宜しく」

「はい」

差し伸べられた恭也の手を握り返し、ティファニアは笑い返す。
こうして、高町恭也の異世界一日目の夜は静かに過ぎていく。



ゼロの守護者



   §§



海と山に囲まれた都市冬木市。
特に観光明媚という訳でもなく、何処にでもある都市の一つである。
何も知らない普通の人からすれば。
だが、そうではない者たちにとってはただの都市ではなく、半年以上前に既に終結したとはいえ、
ここでは聖杯を巡る戦いが繰り広げられていたのだ。
そして、その時に召喚され、本来なら役目を終えて消えるはずの力持つ英霊、サーヴァントが今もなお残っていた。
とは言え、それを使役する者もサーヴァント自身も大それた野望を抱いて現世に留まっているのではなく、
単に何でもない日常を過ごしていた。
冬木にある、一軒の日本家屋――衛宮家で。
夏も終わりを告げ、すっかり秋らしくなったある日曜日。
庭にある紅く色づいた木々を眺めながら、この家の主、衛宮士郎はお茶を片手に縁側に腰掛けて寛いでいた。
午前中に家事を全て終え、魔術の師匠である凛からは休暇が出ており、
剣の師匠であるセイバーとの打ち合いは夕方から。
そういう訳で、空いた時間をただのんびりとこうしてお茶を片手に過ごしている。
だが、彼のそんな平穏な時間はすぐに終わりを迎えることとなる。
たった一人の乱入者によって。

「おに〜〜い〜〜ちゃ〜〜ん〜〜!」

廊下の向こう、曲がり角からそんな声と共に、銀髪の少女が士郎目掛けて走り寄る。

「イリヤ、廊下をそんな風に走る……ぐはっ!」

注意する言葉はしかし、士郎へと後数歩と迫ったところで勢い良く床を蹴り、
士郎へとダイブしたイリヤのボディスープレックスに潰される。
一瞬意識を手放しかける士郎に気付かず、イリヤは倒れた士郎の上に乗ったまま、
甘えるように頬を胸に擦りつける。

「イリヤ、あ、危ないからもうしちゃ駄目だぞ」

「え〜」

不満そうに頬を膨らますイリヤの頭を苦笑混じりに撫でながら、士郎はやっとの事で身体を起こす。
と、その背後から騒ぎを聞きつけたセイバーも姿を見せる。

「士郎は甘すぎます。と言いたいですが、今回はそれよりも……」

言って鋭い眼差しで士郎を見下ろす。
思わず背筋を正す士郎に、

「あの程度の攻撃、軽く避けてもらわなければ困ります」

「いや、避けたらイリヤが怪我するかもしれないし……」

「お兄ちゃん……。嬉しい! そこまで私の事を!」

士郎の言葉に感動を全身で表して抱き付くイリヤ。
それを見てセイバーの顔が強張る。
重くなり始めた空気を敏感に察知し、士郎は慌てて立ち上がると、

「そろそろおやつにしようか。ほら、俺はお茶の用意をするから、セイバーとイリヤは居間に」

おやつという言葉に僅かに口元を綻ばせ、けれども少し複雑そうな顔のままセイバーはとりあえず居間へと向かう。
その後を大人しくイリヤも従うのを見て、士郎は胸を撫で下ろすのだった。
お茶の用意をしていると、まるで計ったかのように凛に桜、ライダーも居間へと姿を見せる。

「士郎、何か食べるものない?」

「士郎、申し訳ありませんがお茶を頂けますか」

凛とライダーの言葉に笑って応える。

「丁度、おやつにする所だったから座って待っててくれ」

士郎の言葉に従って定位置に座る二人。
対し、無言のまま桜も座る。
いつもなら士郎を手伝おうとするのだが、今日は疲れているのかそのまま座る。
別に咎めたりするような事でもなく、士郎はお茶の準備をする。
と、そんな士郎の耳に凛たちの声が聞こえてくる。

「ちょっと桜、あなた顔色悪いわよ」

「桜、疲れているのなら休んでいた方が」

その言葉に士郎も桜の身を案じ、手早くお茶の用意をすると皆のところへと向かう。
お茶とおやつをテーブルに出しながら、士郎も桜の方を見れば、確かに皆が心配するように蒼白い顔で、
今にも倒れそうであった。

「桜、体調が悪いのならライダーの言うように休んだ方が良い」

「だ、大丈夫です。ちょっと気分が優れないだけで……」

だが、桜の言葉をそのまま信用できる者は誰も居ない。
それほどまでに桜の顔色は悪く、士郎は熱がないか手を伸ばす。
と、それを避けるかのように桜の身体が横へと流れ、そのまま倒れる。

「桜!」

慌てて皆が桜の元へと駆け寄る。
士郎は桜の身体をそっと抱き起こして呼びかけるも、桜はただ荒い呼吸を繰り返すだけで反応がない。
そんな桜を士郎以外の四人は鋭い眼差しで見下ろす。

「……皆も気づいたということは私の勘違いや気のせいじゃないって事ね」

「凛もやはり気付きましたか」

追随するように言うライダーに、セイバーとイリヤも頷く。
ただ一人、士郎だけが説明を求めるように見上げてくる。
それに凛は呆れたようにしつつも、今はこちらの方が先決だと説教よりも説明を始める。

「桜の体内から膨大な魔力が溢れてきているのよ」

「元々、桜は聖杯となるべくその身を改造されていたお陰で今は耐えれているけれど、このままだと……」

凛に続きイリヤが補足するように説明する。
その後、四人は一斉に口を噤むも、言い辛そうにライダーが後を続ける。

「恐らくは聖杯が関係しているのではないかと。
 いえ、聖杯以外には考えれません」

「そんなバカな。だって、聖杯はあの時セイバーが壊したはずだろう」

「はい。間違いなく壊しました。ですが、間桐の蟲亡き今、桜に魔力を流し込む事が出来るものなど」

セイバーの言葉に考え込む士郎に、イリヤが証拠を示すように言う。

「ライダーの言うように聖杯だよ、お兄ちゃん。だって私にも微量ながら流れてきているもの。
 あ、心配しなくても大丈夫だよ。
 元々聖杯を横取りするつもりだった所為か、魔力は私よりも桜の方に圧倒的に流れているし、
 私の身体はそれこそ正統の聖杯となる受け皿だから問題ないよ」

「そうか、良かった。それで、桜を戻すにはどうすれば」

「方法は簡単よ。何らかの形で復活した聖杯を見つけ出してもう一度破壊する。
 それで納まるはず。ただし、問題は聖杯の在り処よね」

凛の言葉にその場に沈黙が下りるが、こうしていても仕方ないと士郎は気持ちを切り替える。

「とりあえず桜を寝かせたら、最後に聖杯が現出した場所に行ってみよう」

「そうね、それしか今のところはないわね。それじゃあ、ライダーとイリヤはここに残って。
 万が一の場合は桜をお願い。士郎とセイバー、私の三人で聖杯の行方を探すから」

やる事が決まり、テキパキと凛が指示を出す。
のんびりとした休暇は終わりを告げ、慌しく動き出す。



それは一通の電話から始まった。

「元気そうだね、恭也」

「お陰様で。所で、今日はどうしたんですか?」

何気なく尋ねた恭也に対し、返って来たのはかなり真剣味を帯びた、押さえた低い声。

「実は恭也と美由希にお願いがあってね。
 本当はこんな事は頼みたくはないんだけれど……」

それですぐに事情を察したのか、恭也は電話の相手が美沙斗だと知ってこちらを窺っていた美由希を手招きで呼ぶ。
久しぶりの親子の会話を楽しみにやって来た美由希であったが、すぐに恭也の纏う雰囲気に気付く。
美由希の顔を自分の近くに寄せ、二人して受話器に耳を近づける。
美由希の頬が少し赤くなるのにも気付かず、恭也は美沙斗へと話の再会をお願いする。

「あまり知られていない事だけれど、龍にはオカルト研究をする専門の部門があるんだ。
 そんなに規模の大きなものじゃないけれどね。
 そして、その連中が日本の冬木という土地に向かったというのが、うちの情報網に引っ掛かった」

「冬木……ですか?」

「ああ。そこに何があり、連中の目的が何なのかはわからない。
 どうせろくでもない事だろうけれどね。
 けれど、うちは今、急に活発に動き始めた龍の対応に追われて人手が足りないんだ。
 活発に動いてくれたお陰で、幾つものの支部の在り処も分かったりしたからね。
 今ごろ、弓華の部隊はその支部の一つに強襲しているだろうね」

やはり言いづらいのか、美沙斗はそんな風に少しだけ話を変えるが、
恭也も美由希も美沙斗が電話を掛けてきた理由をはっきりと理解していた。

「つまり、俺たちが冬木に行けば良いんですね」

「すまない。部外者に頼むような事ではないけれど、恭也と美由希の実力は警防隊でも有名になってしまったから」

この間の夏休み、美沙斗に誘われて訓練をしに行ったお陰で、
恭也と美由希の事は警防隊でもちょっとした噂となったのである。

「構いませんよ。それで俺たちは何をすれば?」

「とりあえずは冬木に行って、何かおかしな事がないか調べて欲しい。
 正直、誰が冬木に向かっているのか全く分からないんだ。
 こっちで何か分かればすぐに教えるから」

「分かりました。とりあえず冬木に向かいます」

「悪いけれど頼む。……美由希、恭也の言う事をよく聞くんだよ」

「分かってるよ、母さん」

「二人とも、くれぐれも気を付けて」

その後、幾つか言葉を交わして電話を切ると、恭也と美由希は出かける準備を始める。

「大学の講義は忍に頼めば良いとして、お前の方は大丈夫なのか」

「大丈夫だよ。恭ちゃんと違って真面目に授業を受けているし、後で那美さんに去年のノートを借りれば」

「今、聞き逃せないような事を聞いた気もするが、まあ今回は聞き流してやろう。
 とりあえず、実戦装備一式、予備も含めて用意しろ」

「はい!」

恭也の言葉に勢いよく返事を返すと、逃げるようにその場を去るのだった。



何処ともしれない山の中。
月明かりのみを頼りに歩く二つの影。
しかし、その歩みに迷いはなく力強い。
その内、影の一つが口を開く。

「まさか、神咲と手を組む事になるなんて、人生とは分からないものですね」

「それはうちかて同じ事です。まさか、埋葬機関の人間と協力するなんて。
 ですが、今回の件はそれだけ……」

「ええ。聖杯戦争が終わった冬木に持ち込まれたと噂される二つのもの。
 どちらも厄介ですから」

「もう一つの方は良く分かりませんが、霊剣の方に関しては少しは力になれると思います」

「ええ、お願いします。世界でも数本しか確認されていない霊剣。
 その内の二本を受け継ぐ神咲の力を頼りにしてますよ。
 代わりという訳ではないですが、もう一つは私の方で」

「お願いします、シエルさん」

「お任せください、薫さん」

上から下までを黒い修道服に身を纏ったシエルと、白と紺の装束に身を包んだ薫の二人は、
息も乱さずに深い山の中へと入っていく。



「……アルクェイド? また居ないのか。
 シエル先輩もいないし。これで三日目。全く何処をほっつき歩いているのやら」

アルクェイドの部屋で一人ごちると、志貴はすぐに帰る気にもなれず、
何となしにテレビを付ける。
丁度、ニュースの時間だったのか、キャスターが事件を読み上げる。
チャンネルを変えようとした志貴であったが、その手が止まる。

「次は冬木市で起こっている吸血鬼事件の情報です。
 新たに入った情報によりますと、被害者が九人を越え、未だに犯人の手掛かりは不明。
 唯一分かっているのは、現場の近くで白い服を着た金髪の女性が居たという目撃情報だけで、
 捜査当局はこの目撃者を重要参考人として……」

志貴はテレビを消すと、床に座り込む。

「いや、アルクェイドはそんな事はしない。
 だとしたら、あいつ……」

シエルが居ない事も合わせ、死徒の退治にでもいったのかと検討を付ける。
そのまま放って置けば良いと思いながら、志貴はポケットを探り、ナイフがある事を確認する。
次いでサイフを取り出して中身を確認すると、アルクェイドの部屋を後にするのだった。



「琥珀! 兄さんの行き先が分かったというの本当ですね!」

「はい、秋葉さま。どうやら冬木市へと行かれたようです」

「そうですか。琥珀、翡翠、すぐに出かける準備を!」

遠野家の屋敷では、昨日から帰っていない志貴の探索が行われており、それは午後一に琥珀のよって判明する。
報告を聞いた秋葉はぞっとする程の笑みを浮かべ、すぐさま出掛ける準備を始める。
そんな秋葉に声を掛けるみつあみの女性。

「秋葉、私も一緒に行ってもよろしいですか?」

「シオンも? 別に構わないけれど……」

「ありがとう。冬木で起こっている吸血鬼事件が少し気になって。
 後、あの地は聖杯戦争の行われている土地だから」

「そういう事ですか。ですが、まずは兄さんの捕縛が先ですよ」

「勿論、協力しますよ」

顔を見合わせて微笑み合う二人の傍で、いつものように琥珀はにこにこと、翡翠は無表情に控えていた。



「で、今日は何の用なんだ橙子」

「あー、来たか。なに、ちょっとした頼み事だよ。
 冬木市に行ってきてくれ」

「何しに?」

「行けば分かる」

「断る」

橙子の言葉に和服の美女、式はあっさりと返す。
だが、橙子の方もその返答を予想していたのか、慌てる事もなく続ける。

「あそこは中々面白い土地だぞ。色んな意味でな」

「……何をさせたいんだ」

「簡単に言うと探し物。だた、どうも嫌な予感がね……」

「探し物ならアイツの得意分野だろう」

「……あー、それが既に頼んだ。で、未だに連絡なし」

珍しく歯切れ悪く告げる橙子の言葉に、式の眉が僅かにだけ動く。

「因みに、嫌な予感がしたのは連絡がなくなった後」

「……まあ良い。冬木だな」

「そう。……一応、警告はしておくけれど気を付けて。
 あの地は今、力持つ者が集いつつある」

「ふん、誰に言っている。例え相手が神であろうが、目の前に存在するのなら殺してみせるさ」

橙子の言葉に背中越しに返すと、式はそのまま外へと出て行く。
その背中を黙って見送りながら、橙子はただ小さく肩を竦める。

「おまえ、何を探すか聞いてから行けよ……」

そんな呟きは誰にも聞かれる事なく消え去り、先に冬木に入った黒桐と合流して聞けば良いかと思い直すのだった。



様々な思惑が絡まり、多くの者が冬木市へと集う。
聖杯の気配が甦った冬木市で待つものとは……。



タイトル未定 プロローグ 近日……うきゃきゃー!



   §§



「恭介たちが帰ってきたぞ」

夜中に突如聞こえた叫び声。
その声に反応するように、とある部屋の二段ベッドから飛び降りる一つの大きな影。
影の動きに気付き、それまで眠っていたもう一つの影が身を起こす。
まだ寝ぼけたままの眼で、大男を見上げる。

「どうしたの真人」

「戦いだ」

真人と呼ばれた少年は、まだ眠たそうにしている少年――直枝理樹へとそう返すと、部屋を出て行く。
その背中を暫くぼうっと見送り、次いで少年も慌ててベッドから起き出す。

「ちょっ、戦いって何処で!?」

「ここだ!」

「ここって……ここ!? この寮でってこと!?」

廊下へと顔を出しながら尋ねる理樹へと返って来るのは、これまた短い言葉一つ。

「ちょっと待ってよ。何でいきなり」

「行き成りじゃない。やっとだ。あいつらが帰って来たんだよ」

再び口を付いて出た疑問に、真人はようやく足を止め獰猛な笑みを張り付かせたまま振り返り、
それだけを言い置くと再び背を向ける。
それでも大よその事は理解できたのか、理樹は慌ててその後を追う。
真人に遅れること十数秒、食堂に着いた時には真人の姿は既に野次馬の向こうにあった。
真人と向かい合うように立つ剣道着の男の姿を認め、理樹は人を掻き分けて前へと進む。

「ちょっとごめん」

理樹が進む間に、真人が剣道着の男――謙吾へと殴りかかる。
それを軽い身のこなしで躱し、逆に手にした竹刀を振るう。
周囲の野次馬たちから感嘆の声が上がるのを聞きながら、理樹はやっとの思いで人垣を抜け出す。

「二人ともやめてよ。と言うか、誰か止めてよ!」

理樹の声も聞こえていないのか、ハイレベルな喧嘩を繰り広げる二人。
困ったように周囲に助けを求めるも、あっさりと理樹が止めろと言い返される。
その通りではあるのだが、片や筋肉の塊とも言うべき大きな真人。
片や、長身ですらりとしているが無駄な贅肉のない引き締まった武道家の身体をしている謙吾。
この二人の身体能力の高さは、幼馴染である理樹はよく知っており、自分では止めれないと分かっている。
だから、理樹は二人を止めるべくある人物を探す。
二人が喧嘩をするのは、その人物が居る時に限ると約束させられているから、逆を言えば喧嘩をしている今、
その人物が何処かにいるはずだと。
更に言えば、今まで就職活動で留守にしていた為、二人――主に真人の方にストレスが溜まっているようで、
そう簡単には止まりそうもない。

「あれ、恭介は? 恭介をしらない?」

自分たちのリーダーでもある人物の姿を探して周囲に尋ねると、暫くして野次馬の一人が床を指差す。

「多分、何処かその辺で寝ているはずだぞ」

「そんなー」

野次馬の声に悲壮な声を上げ、周囲を見渡すも見えるのは野次馬たちの足ばかり。
すぐには見つけれないと判断し、恭介を見つける事は諦める。

「恭也、恭也は?」

「ここだが?」

「うわっ!?」

行き成り背後に現れた恭也に思わず悲鳴を上げる。

「むっ、行き成り失礼だな」

「だ、だっていきなり後ろから現れるから驚いたんだよ」

「それは悪かった。で、俺に何か用だったんじゃないのか?」

「そうだった。二人を止めてよ!」

理樹の言葉に恭也は前を向き、謙吾と真人のやり取りを見詰める。
別に放っておいても問題ないようにも思うのだが、理樹が止めたがっているのに加え、更に時間も遅い。
それらを踏まえて恭也は二人の間に割って入る。

「とりあえず、今日はここまでにしておけ二人とも」

左右の手で謙吾の竹刀と真人の拳を受け止め、恭也が仲裁に入る。
流石の二人も恭也の言葉にはそう逆らえず、渋々ながらも拳を収めるが、
やはり視線は鋭く相手を睨みつけたままである。
煮え切らない感じの二人にどうしたものかと恭也が考える間に、いつの間にか起き上がった恭介が右手を上げる。

「よし、こうしよう」

また始まったと恭也は頭を抱えつつ、半眼で恭介を見る。

「また可笑しな事を思いついたんじゃないだろうな。
 流石の俺も徒歩で東京はこりごりだぞ」

「確かに、それは失敗した。しかし、仕方なかったんだ。
 お金がなかったんだからな」

「いや、俺はあったが……。まあ、今更言ってもどうしようもないからそれは良い。
 で、今度は何を思いついたんだ」

呆れたような恭也の声に我が意を得たりと笑みを一つ見せると、嬉々として恭介は思いついた事を口にする。
こうして、男子寮の夜は深けていく……。



「よし、そういう訳で野球をしよう!」

「……何がという訳なんだ、恭介」

「恭也、今ここで話の腰を折るなよ。本来なら、今からOPへと突入という感じだったんだぞ」

「いや、そんなのないから!」

恭介の言葉に理樹が思わず突っ込みを入れれば、恭介は満足そうに親指を立てて返す。

「とりあえず、またいつもの事というのはよく分かった」

「それこそ今更だよ。だって、恭介なんだよ」

「そうだったな」

恭也と理樹が言葉を交わす間も、恭介は手にした野球のボールを弄る。

「まあ、そういう訳で放課後に部室に集合だ!」

「いや、部室って……」



――新たに始まる日常



「そういう訳で、まずはメンバー探しをする事になったんだが。
 聞いているか鈴。オーバー」

「聞いているぞ、オーバー」

理樹と真人の部屋。時刻は既に夕食も既に終えた夜。
テーブルと名付けられた箱を囲み、恭也たちは目の前のスピーカーモードの携帯電話を見詰める。
電話の相手は恭介の妹の鈴である。

「では、ミッションスタート!」

「それは、あたしがするのか?」

「さっきも説明しただろう?」

「何もしてないわ、ボケェ!」

尽かさず返ってくる鈴の言葉に、恭介はそんなバカなと信じられないような表情を見せ、
その場に居る恭也たちを見る。
が、誰もが鈴の言葉に同意するように頷く。
恭介以外の者が聞いたのは、ただ野球のメンバーを集める相談をするという事だけである。
で、部屋に来るなり鈴に携帯電話を渡し、女子寮へと戻らせたのだ。
その間、何の説明もされていない。

「こいつはうっかりしていたぜ。なら、今から説明するぞ。
 ずばり、鈴、お前は今から俺たちリトルバスターズに新たな助っ人を加えるべく行動するんだ」

「嫌じゃ」

「嫌じゃ、ではない。既にミッションは始まっているんだ」

「知るか、ボケェ!」

「恭介、人見知りのする鈴に行き成りは無理だよ」

理樹の助けるような発言を受け暫し考え込む。

「よし、ならまずは寮に入り、最初に会った人に声を掛けろ」

「無理」

「頑張れ」

「だって、何を言ったら良いのかわからん」

「そうだな。こんにちは、ってのはどうだ」

「いやいや、今は夜だからね、恭介」

つかさず入る理樹の突っ込みに頷く恭介を見て、今度は真人が口を開く。

「なら、今日も良い筋肉だな。ってのはどうだ」

「それ絶対に可笑しいから! それに初対面の人だったらどうするんだよ!」

「なら、月夜の晩ばかりだと思うな、か」

「謙吾も可笑しいから、それ! 何、その物騒な台詞は!
 恭也も何か言ってやってよ!」

「ふむ。……今宵の小鉄は血に飢えている、が良いんじゃないか」

「「「それだ!」」」

「それなのか? オーバー」

恭也の言葉に三人が指を指しながら賛同し、それを聞いていた鈴がそう尋ねる。
途端、理樹が携帯電話に向かって怒鳴るように言う。

「駄目だよ! 一番、言っちゃ駄目だからね、鈴!」

「じゃあ、どうすれば良いんだ? オーバー」

「あ、あははは。とりあえず、最初は普通に挨拶で良いかな、理樹?」

鈴の隣から美由希が理樹にそう伺いを立てる。
ようやくのまともな意見に理樹は一も二もなく頷く。

「それでお願い、美由希。後は野球に興味があるかどうか聞いて……」

「了解。オーバー」

「いや、携帯電話だから別にオーバーはいらないんだけれど」

疲れたように言う理樹に、美由希が気遣うように言う。

「頑張ってね、理樹。恭ちゃんが可笑しな事を言うだろうけれど、もうそれは病気として諦めて……」

「鈴、更に指示だ」

美由希の言葉を遮り、恭也が鈴へと指示を出す。

「鈴は美由希を連れて寮内へと潜入。
 しかる後、誰かと接触。その際、美由希を囮としてその人物の前に押し出せ」

「了解、オーバー」

「って、了解しないでよ、鈴!
 恭ちゃんも鈴に変な事を吹き込まないで!」

「いや、でも同じ人見知りでも美由希の方がまだ鈴よりはましだから、それはそれで有効かもしれないよ」

理樹のフォローするような言葉に、恭也はその通りと告げるも、美由希ははっきりと理解していた。
絶対に、そんな事を考えてなんかいなかったと。
だが、それは口にださずに、出来れば二人で一緒にと告げる。

「まあ、そっちの方が良いかもね。二人いれば、何かあった時にお互いにフォローも出来るだろうし……」

「そうだな。それじゃあ、二人で頑張って部員を獲得してくれ。
 ああ、美由希。一応、鈴に声を掛けさせてくれよ」

「分かったよ、恭介。その間、私は隣で黙ってるよ」

「何でだ!? 美由希も一緒に話せ!」

恭介が鈴の人見知りを何とかしたいと思っているのを知っている美由希は、何と言って誤魔化すか考える。
だが、中々良い案が浮かんでこない。それを察したのか、恭也が鈴に話し掛ける。

「鈴、美由希はその間、別の指示を今から与えるんだ」

「別の指示?
 ……あ、オーバー」

「いや、だからいらないって」

忘れていたのを慌てて付け加える鈴へと、思わずといった感じで突っ込みを入れる理樹。
ある意味、条件反射とも言える反応に苦笑しつつ、恭也は平然と続ける。

「とりあえず、美由希。お前は鈴の横で踊ってろ」

「了解! 華麗に踊るよー!
 ……って、それじゃあ、ただの変な人だよ」

「大丈夫だ。そんな事をしなくても、元から変な人だから」

「ひ、ひどっ!」

しっかりと、さっきの美由希の沈黙の意味を感じ取っていた恭也は、ここぞとばかりに攻撃するのを忘れない。



――それは騒々しくも楽しい日々



「という訳で、恭也。協力しろ」

「前振りも何もなしで、本当に行き成りだな、恭介」

「あはは、細かい事は気にするなよ」

「いや、全く事情が見えてこないんだが?」

「ああ、それは今から説明する」

「先にそっちをしろ、そっちを」

「今やっているバトルランキングの事なんだが、お前個人としての参加とは別に、
 隠しキャラとしてこの仮面を被って、マスク・ザ・斉藤として……」

「断る!」

「なぜだ! この最強の称号をお前に譲ろうと言うのに!?」

「いらん!」



――幼少の頃に結成された、悪と戦う七人の正義の味方、リトルバスターズ



「恭介X理樹も良いですが、恭也X理樹も捨てがたいです」

「えっと、西園さん?」

「何でもありません」



「どれどれ、お姉さんがちょっとだけ教えてあげよう」

「ぬわっ! は、離せくるがや!」

「りんちゃんも、ゆいちゃんも仲良しさんだね〜」

「あーん、姉御だけずるいですよ。私も鈴ちゃんに抱き付く〜。ほら、小毬ちゃんも」

「うん♪」

「や、やめろー、ぼけぇ!」



「わふ〜。な、何をするですか。というか、誰ですか?」

「む、すまん。つい」

「あははは、ついで頭を撫でるのは流石にまずいよ恭ちゃん」

「悪かったな、クド」

「いえ、別に構わないのですが、行き成り後ろからされたので驚いてしまったのです。
 はっ! ハロー、恭也。ハブ・ア・ナイスデイ」

「む。……アイ・ドンノウ・イングリッシュ」

「わふ〜」

「むむ」



――新たに加わるメンバーたち


「俺たち、リトルバスターズ!」

「恭介、行き成りどうしたの?」

「いや、何となく言わなければいけないような気がしてな」

「またいつもの持病だろう。理樹、放って置いても大丈夫だろう」

「う、うん」



変わる事なく続く日常を望んだ少年と、そんな彼を取り巻く人たちの何でもない日常のお話。

リトルハート



   §§



それは一本の電話から始まった。
ほぼ同時に、同じ市の離れた場所へと掛かって来た電話はどちらも似たような内容であった。

「美沙斗さんが入院!?」

高町家で電話を受けた恭也は、その内容に思わず電話の相手――美沙斗の同僚である弓華にそう問い返していた。



「はい、さざなみ寮です。えっ!? 陣内さんが入院!?」

高町家に弓華から電話が掛かっているのとほぼ同時刻、さざなみ寮にも一本の電話が。
その仕事の内容を秘密にしている啓吾を思い、部下は事件に巻き込まれたと説明する。
容態が少しでも良くなれば、海鳴の病院へと移すと説明する電話の男に耕介はしつこく縋り付き、
その入院先を聞き出す。

「香港に着かれたら、今から言う電話番号に連絡してください。
 私の携帯ですので、すぐに空港までお迎えにあがりますから」

「いえ、そんなご迷惑は……」

「たいちょ……陣内さんには色々とお世話になっていますから。
 それに、慣れない土地では不便も多いでしょうから」

何度もそれを念押しし、耕介が約束するとようやく相手も納得したように引き下がる。
電話の向こうで僅かに安堵の吐息が零れるが、耕介にはその意味までは分からず、とりあえずは電話を切る。
切って、少し考え込むもすぐにリビングにとって返す。
既に耕介の話していた声を聞き、大まかに事情を察していた寮生たちは一様に表情を沈ませている。
耕介が詳しく話をしようとソファーに腰を下ろすなり、美緒が弱々しい声を出す。

「お父さんは……」

「向こうの病院に入院中らしい。その、容態もあまり良くはないみたいだ」

「とりあえず、耕介。ネコを連れて行って来い。
 流石にこいつ一人で行かす訳にも行かないだろう」

話を聞いていた真雪がそう口にし、他の面々も頷く。
耕介が電話で話をしている間に、こちらはこちらで話をしていたらしい。
真雪の言葉に素直に従い、耕介と美緒は簡単に荷物を纏めるためにリビングを出て行く。
耕介が部屋に入ってすぐ、ノックの音がしてリスティが入ってくる。

「耕介、ちょっと良い?」

「リスティ、何度も言ってるだろう。ノックしても返事する前に入ってきたら一緒だって」

いつもより多少元気がないながらも、そう言って笑う耕介。
そんな耕介にリスティは酷く真面目な表情で告げる。

「向こうに着いたら、ちゃんと電話してきた人に連絡を取るんだよ。
 後、出来る限り早く戻ってくる事」

「それは分かっているけれど、どうしたんだ偉く真面目に」

リスティのその雰囲気に思わず身構える耕介だが、この寮で啓吾の正体を知るリスティとしては、
既に今回の事事態がただ事ではないと分かっている。
だからこその警告なのだ。
だが、それをそのまま口にした所で余計な不安や心配を抱かせるだけである。
それに、こういう事は知らないに越した事もない。
だからこそ、リスティはいつものように皮肉めいた笑みを一つ見せ、

「美緒の事だから、目を離すとすぐに何処かに行ってしまうだろうからね。
 はぐれでもしたら、異国の地。そう簡単には見つけれないだろう。
 それと、耕介はこの寮の管理人なんだからさ。早く戻って仕事してもらわないとね。
 言っておくけれど、僕は愛の料理を食べるのは遠慮するからね。
 そうだね、暫くはフィリスの所にでも行くかな」

「あ、あはははは。えっと、善処します」

リスティの言葉にようやくいつもと同じとはいかないまでも、近い感じの笑みが零れる。

「そう、それで良い。
 耕介まで暗い顔をしていたら、美緒も余計に不安になるだろうしね」

リスティの言葉に耕介は素直にお礼を口にし、
それを受けたリスティは紅くなった顔を隠すように背を向けるのだった。



さざなみ寮で耕介と美緒が支度をするよりも少し前、弓華からの電話を終えた恭也は美由希の部屋へ。
そこで美沙斗が入院した事を教える。
顔を青くさせながらも気丈に振舞う美由希。

「……それで、容態は悪いの?」

「意識不明だそうだ。どうやら龍のアジトの一つを強襲して、後少しと追い込んだらしい。
 だが、そこで相手がアジトごと自爆したらしい」

「最近、小さいけれど龍のアジトを見つけたと言ってたから、それなんだね」

「いや、そこから更に情報を得て、かなり大きめのアジトだったらしい。
 恐らくはその地方を統括するぐらいの。だが、弓華さんが言うには可笑しな点があるらしい」

恭也の言葉に美由希は首を傾げる。
そんな美由希へと恭也は弓華から聞いた事を伝える。

「それだけ大きなアジトだったのに、重要な情報が一切なかったと言っていた。
 既に必要な物は全て事前に引き上げたかのようだったと」

「つまり罠だったって事?」

「恐らくな。とりあえず、美沙斗さんの入院先は聞いたから……」

「会いに行ってもいいの?」

恭也からの思っても居なかった言葉に、美由希が思わずそう尋ね返す。
それに頷きながらも、恭也は少し表情を曇らせる。

「ただ最初に言ったが、意識がまだ戻ってない」

「……うん。それでも行きたい」

「そうか。なら、荷物の準備をしておけ」

「はい!」

心配掛けないようにと元気な声を出す美由希だが、恭也はその顔に不安そうな影を見つける。
少し躊躇った後、ぽんと頭に一つ手を置いて慰めるように撫でる。
無言ではあったが、美由希は小さくありがとうと口にする。
それに気にするなとばかりにもう一つ二つだけ撫でると、恭也は部屋を後にするのだった。
自室に戻った恭也は装備一式を取り出して点検し始める。
美由希には言わなかったが、弓華から恭也へと協力してくれないかという話が持ち上がっていたのだ。
今回の件で実質、美沙斗が率いていた第四部隊に尊大な被害が出だけでなく、
警防隊副隊長である樺一号までもが一緒に行動していた為に入院中であるという。
ただでさえ人手不足にきて、今回の件で更に人手が足りなくなったのだ。
更に言うのなら、弓華が恭也に言ったように今回の件が罠だとしても、大支部一つを道連れにしているのだ。
まだ何かあると疑うのも無理もなく、万が一に備えての情報収集を現在行っているという。
故に、殊更実行部隊の手が足りないのだと。
美沙斗の事がある以上、美由希には勿論話すつもりはなく、それは弓華も同意している。
美由希はあくまでも美沙斗に会いに。数日滞在するにしても、それで良い。
恭也はそう考えていたのだが、不肖の弟子は師が持っているよりも聡く、
また師の考えを読み取るという技能においては、姉のような存在と対を成して他の追随を許さないのだ。
恭也が部屋を出て行った後、荷物を纏め始めた美由希は武装を引っ張り出してくる。
美沙斗の身を案じながらも黙々と点検をすると、
今度はどうやってこれらの装備を恭也の装備に紛れ込ませるか考える。
ばれると止められる可能性がある。
とはいえ、普通の荷物に紛れ込ませては空港で引っ掛かる。
となれば、恭也の装備品と一緒にしておく必要があるのだが。
そんな事を考えながらも、やはり頭の大半では美沙斗の事ばかり考える。
不吉な考えが浮かびそうになり、それを何度も頭を振って打ち消しながら、それを誤魔化すように、
不安を忘れるために、今は装備品をとやや強引に思考を切り替え、頭を悩ませるのだった。



薄暗い部屋、別に充分な照明がない訳ではなく、照明は満遍なく灯り等しく光を降り注ぐ。
ただ、天井に届かんばかりの大きな物体がずらりと並び、照明を遮り、その物体の近くまでは光が届かないだけ。
そんな薄暗い場所に立ち、忙しなく動き回る白衣の男。
老人というには若く、壮年と呼ぶには過ぎた白髪の初老の男。
その男の背中を睨みつけるのは、こちらは三十代前半でスーツをきっちりと着こなした男である。

「博士! 計画通りに進んではいないではないですか!」

「煩い小僧だな。進んでいるではないか。当初の予定から5%と遅れてはおらんだろう」

「5%って! この計画のために多くの……」

「落ち着け、箔圭」

「ですが!」

博士と呼んだ男に噛み付いていた箔圭を止めたのは、箔圭よりも少し年配のこれまた男である。
何か言いかける箔圭を制し、男は博士へと話し掛ける。

「博士、これ以上の遅れは勘弁してください。
 私はともかく、若い者たちを押さえるのは苦労するんですから」

「ああ、分かっておる、分かっておる。
 それよりも、あっちの方はどうなっている?」

「それでしたらご心配なく。主力となる部隊だけでなく、あの樺一号までもが巻き込まれた様子。
 暫くは前線へと出て来れないでしょう」

「そうか。ならば、安心して続けれるというものよ。
 って、こら! そこ何をしておる! 違う、違うじゃろうが!」

助手らしき男に怒鳴りつけると、その場へと走っていく博士。
既にその脳内には今まで話をしていた二人の事などないのだろう。
助手に次の指示を出し、自身もまた何かの作業を行っている。
その様子を暫く眺めた後、男は踵を返して部屋を出て行く。
その後を箔圭も慌てたように追い掛ける。
箔圭が追いついたのを視界の端で捉え、男は口を開く。

「それで、香港警防隊に新たな動きはあったか?」

「いえ、今のところはないようです。
 ただ、何人かが情報収集を始めたようですが」

「流石に優秀だな。だが、そう簡単に真実には辿り着けまい」

「そう願いたいです。
 その為に、その計画を察知されないために、わざと幾つかのアジトの情報まで流したんですから。
 しかも、今回なんて!」

「お前の気持ちも分かるが、落ち着け」

「ですが! ……今回、連中の目を逸らすために流したアジトの情報は今までと違います!
 あの地域一帯を取り締まる拠点で、その重要度も!」

「だが、小さな支部ばかりでは怪しまれるだろう。
 怪しまれないように、徐々に重要なアジトの情報を流していくというのは当初からの計画通り。
 当然、重要な書類などは全て持ち出たのだろう」

「はい、それは」

「とは言え、確かに痛いのも事実だな。
 だが、結局のところ、全て首領が決められた事だ」

「分かっています! だからこそ、あいつらに報いるためにも、
 この計画だけは何としても成功してもらわなければ……」

「若いな。博士にも言ったが、少なくとも、
 今回の件で樺一号と御神の剣士を暫くは前線に出れないように出来たのは僥倖だ。
 ……ところで、例の件はどうなっている」

「はい」

箔圭は落ち着かせるように数度深呼吸を繰り返し、再び瞳に冷静さを取り戻すと聞かれた事に答えていく。


「まず、霊刀の方ですが、これは押さえました。
 霊脈に関しては、こちらは予定通りに全ての工程の65%までこぎつけてます。
 あとは、各地の封印ですが、こちらは幾つか妨害が入りまして……」

「仕方あるまい。日本の退魔士はかなり優秀だからな。
 で、残るもう一つの方は?」

「はい。こちらも殆ど進展がありません。
 ただ、ようやく掴めた事によりますと、どうやらあの鴉と同じような獲物を持っていたらしいと……」

「小太刀と言ったか?」

「はい。こちらはまだ確証は掴んでいませんが、それもニ刀であったと……」

「……まさか、な。御神は滅んだはずだ。あの女を除いて全て。
 だが、気になるな。万が一ということもある。
 あの女という例を見ても分かるが、相当しつこい一族みたいだからな。
 まあ、良い。とりあえず、それに関しては今までと同じで構わない」

「はい」

二人の男はそんな話をしながら、他に誰も居ない廊下を進んで行く。



九州鹿児島のとある山奥、神咲一灯流本家の一室で現当主の薫は、
祖母にして前当主の和音と二人で向かい合っていた。

「さて、早速じゃが本題に入るぞ」

「はい」

和音の言葉に薫が頷き、その隣に霊剣十六夜がその姿を見せる。

「まず、現在各地で封印されておった妖魔たちの封印が解けている件じゃが、
 これはどうやら封印を解いておる者がいるようじゃ」

「封印を!?」

「ああ。故に、今は各地の退魔士と連携して封印された土地そのものを見張っておる。
 それでも、その目を掻い潜って封印を解いておるようじゃがな。
 じゃが、問題はそれだけではない。いや、恐らくはそれは囮じゃ」

「それが電話で話していた、霊脈の可笑しな動きとかいう奴じゃね」

「そうじゃ。ここの所、霊脈が可笑しな動きを、
 端的に言えば外部から強制的に干渉されたと思しき形跡が見つかった。
 元より少なかった場所では、既に枯渇しておる」

「一体、何者の仕業なんじゃろうか。目的がさっぱり分からん」

「薫の言うように、目的が見えませんね。
 妖魔の封印を解き、退魔士たちの目をそちらに向けて霊脈に干渉。
 しかし、霊脈に干渉して何をするというのでしょう。霊脈はそれだけでは何の力も意味も持ちません」

「分からん。じゃが、ここまでするような奴じゃ。
 あまり良い事ではないじゃろうな」

「海鳴には那美がいるけれど、少し心配じゃ」

「和音、海鳴はかなり大きな霊脈が一転に集中しています。
 その者の目的が霊脈ならば、いずれは……」

「ああ、姿を見せるじゃろうな。手は既に打っておる。
 海鳴には楓に数人の楓月流を率いて向かってもらっておる。
 耕介殿にも事情を説明して、御架月共々協力してもらう。
 各地の妖魔に関しては、葉弓の陣頭指揮の下、真鳴流を中心にな」

「……つまり、うちには別の案件があると?」

薫の問い掛けに上手く解答できた生徒を見るように目を細め、満足そうに頷く。

「その通りじゃ。しかも、この件は出来る限りわしと薫、お主の二人だけの秘密とするのじゃ」

和音の言葉に知らず喉を鳴らし、続く言葉をじっと待つ。
傍らの十六夜もやや表情を固くする。

「一振りの霊剣じゃ。やや特殊な霊剣でな、魔剣として封印されていた」

「いた? まさか……」

「そうじゃ。恐らくは一連の事件と同一人物だとは思うが、確証はない。
 じゃが、この霊験は何としても再び封印せねばならん。
 薫にはこの霊剣の探索にあたってもらいたいのじゃ」

和音の言葉に薫は異論もなく、すぐにその任務を引き受ける。
更に詳しく詳細を知るために和音に尋ねると、和音も詳しくは知らないと前置きして語り出すのだった。



各地で起こる様々な事件。
全ての糸はやがて一つへと寄り集う。
その中心に待つものとは一体何なのか。

とらいあんぐるハ〜ト アフター



   §§



美沙斗が休暇を利用して高町家へとやって来て三日。
深夜の鍛錬にも付き合ってもらい、美由希だけでなく恭也にとっても充実した日々が続いている。
今日も美沙斗や美由希相手の鍛錬をやり終え、帰ろうかというその時、
恭也と美沙斗は使った道具を片付ける振りをしながら目を合わせる。

(美沙斗さん……)

(ああ。誰かがいるね)

美由希は気付いていないのか、呑気に一人道具を片付けている。
だが、それも仕方ないかもしれない。
恭也や美沙斗にしても、今、ようやくその気配を掴んだのだ。
相手はかなり気配を殺す事に長けているのだろう。
そっと様子を窺うも、すぐにその気配は消え去る。
もしかすると勘違いだったのではと思わせるぐらいに、一瞬だけしか感じ取れなかった気配。
時間を掛けて道具を回収するも、仕掛けてくる様子もなく、やはり勘違いかと思ってしまいそうになる。
だが、自分だけでなく美沙斗も感じたという事が、それはありえないと恭也に考えさせる。
となれば、偶々通りかかったその筋の者だったのだろか。
偶々、鍛錬中の殺気を殺し合いの場と勘違いしたのかもと。
夜中に人気のない場所で刃物を振り回す自分たちを鑑みて、そう結論をとりあえずは出す。
勿論、暫くは警戒する事にはするが、現状ではそれ以外に何か手もあるはずもなく、
その日は恭也たちもそのまま帰路につくのだった。
それが勘違いだと分かるのに、そう時間を必要としない事になるのだが。



翌日、いつもの鍛錬場所に向けてランニングをする三人の前に立ち塞がるのは六人ほどの影。
それぞれが顔全体を覆う覆面で顔を隠し、恭也たちの前に広がる。
突然の事に驚きながらも、身構える美由希を背に、恭也と美沙斗は目を合わせる。

(美沙斗さん、遠くに……)

(ああ。恐らくは昨日の、だろうね。
 ここは恭也たちに任せるよ)

(分かりました。美沙斗さんも気を付けて)

声に出さずにほんの僅かに唇だけを動かして会話をする二人。
恭也の言葉に美沙斗は小さく頷くと同時に男たちへと走り出す。
一人だけ向かってきた事に僅かに驚きを見せるも、男たちは懐へと手を伸ばす。
そこから出てきたのはナイフ。待ち構える男たちの前で美沙斗は方向を変え、壁へと跳躍する。
そのまま壁を蹴り、男たちの背後へと降りる。
半分の男が後ろを振り返るも、美沙斗は相手にせずそのまま走り出す。
逃げられると思ったのか、二人の男が後を追おうとして、聞こえた仲間の声に思わず足を止めてしまう。
振り返れば、恭也と美由希に一人ずつ男たちは倒されていた。

「お前たちの相手は俺たちだ」

言いながら恭也は目の前の四人を観察する。
ナイフを持っているが、その扱いは全くなっていない。
どうやらこういった悪行に慣れたただの素人といった所か。
恐らくは美由希一人でも相手できるだろう。
そう結論付けるも、美沙斗と合流するために恭也も前に出る。

「美由希、刃物は使うな。後の説明が面倒になる」

「分かった」

恭也の言葉に答えながら、美由希もまた前へと出る。
ナイフを前にしても怯むどころか寧ろ前へと出てくる二人に、男たちの方が思わず後退る。
躊躇を見せる男たちに構わず、恭也と美由希はほぼ同時に地を蹴り、男たちへと向かうのだった。



恭也たちにあの場を任せた美沙斗は、微かに感じる気配の主の元へと駆ける。
向こうもこちらの意図に気付いたのか、その気配が逃げていく。

(何者かは知らないけれど、恭也たちに害をなすと言うのなら……)

気配の主を追いながら、美沙斗は走る速度を更に上げる。
その距離は徐々に縮まり、とうとう気配の主の動きが止まる。
振り切れないと悟ったのか、それとも……。

「……なるほど。誘い出されたのは私の方という訳か」

気配が動きを止めた場所は、恭也たちがいつも鍛錬をしている場所よりも少し山に向かって入った所。
ここなら、恭也たちでもすぐに駆けつける事は出来ないだろう。
加え、ここに着いた途端、気配を消す事をやめ、殺気をこちらへと向けてきているのだ。

「狙いは私だったのか」

「……狙いは御神の剣士。誰でも良かったけれど、貴女が一番強いから」

自分よりも恭也の方が強いんだけれどね、と心の中で呟きつつ、美沙斗は小太刀を取り出して構える。
あくまでも、何かを守る時の話であるし、技のきれや経験ではまだ美沙斗の方が上なのだ。
故に、鍛錬を遠くから盗み見していたのであれば、そう思っても間違いではない。
捉え難い気配を探り、繁みの向こうを見据える。
本来なら言葉など口にせず、ただ相手を倒すのだが、美沙斗は気配の主へと声を掛ける。

「何故、私たちを狙う?」

「最強の座を手に入れるため」

「それはまたくだらない。そもそも、私たちを倒したからといって、手に入るものでもないだろう」

「強いものを探して倒して行く。今までも、これからも。
 そして、今度は御神の番」

相手が話し終えるかどうかというタイミングで、美沙斗は声が聞こえてきた場所へと駆ける。
木々の中に隠れ、再び気配を消した相手の場所を探るために声を掛けたのだが、
それに相手が乗ってくれたお陰で、その場所が特定できた。
故に、美沙斗は迷わずに木々の間をすり抜け、刃を突き出す。
薄暗い森の中で金属音が鳴り響く。
月明かりさえもろくに入って来ない木々の中、
美沙斗は相手の顔も見えない暗さにも問題ないとばかりに剣戟を繰り出す。
それら全てを防ぐ気配の主。相手の獲物も同じく刃物。
反撃として繰り出される剣戟を受け、躱す内に相手の間合いを掌握していく。
どうやら相手も小太刀と同じ程度の間合い、いや、どうやら獲物は小太刀のようだ。
木々の切れ間から差し込む光に照らされたのは、美沙斗たちにとってもよく目にする反りのある短い刀、小太刀。
左肩へと振り下ろされる刃を弾き、逆に体制を崩させる。
そこへ更に一歩踏み込み、横薙ぎの一撃。
決まるかと思われたそれは、しかし相手の小太刀によって防がれる。
ただし、先程弾いた右手の小太刀ではなく、いつの間にか左手に持っていた同じく小太刀によって。

(小太刀のニ刀!?)

その事実に驚く美沙斗の動きが僅かに鈍る。
その隙に相手は地面を蹴って美沙斗から距離を開ける。
幾ら驚いたとはいえ、戦闘中だったと反省するもすぐに気を取り直して斬り掛かる。
美沙斗が繰り出す剣戟を、相手はニ刀を使って受け、弾き、流す。
それだけでなく、美沙斗の攻撃の隙をつくように反撃が出される。
ニ刀と一刀。手数の違いに美沙斗ももう一刀を取り出して応戦をする。
攻防を繰り返しながら、美沙斗はその内心で驚愕していた。
相手の強さに改めて驚いたのではない。
自分たち以外の小太刀ニ刀に驚いているのでもない。
この業界、初めてやり合うという方が珍しくもないのだ。
だとすれば、自分たちが知らない流派があっても可笑しくはない。
そんな事で戦闘中に驚いてなどいられない。それこそ、命が幾つあっても、だ。
美沙斗が驚いている理由はただ一つ。

(似ている……。いや、似ているなんてものじゃない。
 これは、この剣筋は……)

剣筋が恭也に、美由希に、そして美沙斗に似ているのである。
勿論、細かい癖などは個人差が出るし、攻め方守り方にしても違いはある。
そういう意味ではなく、大部分、基礎となる部分が似ている、いや同じなのだ。
それはつまり、目の前の主が使う流派が同じだという事。
偶然とは言えないぐらいに似通ったその動きに、美沙斗は飛針を投げて牽制した上で距離を開ける。
知らず早まる鼓動を無理矢理に落ち着かせ、目の前の相手を倒す事だけに意識を向ける。
一刀を鞘に戻し、残る一刀を持つ手を後ろへと引き絞る。
美沙斗が最も得意とし、必殺にまで昇華させた奥義。
対する相手も美沙斗同様に一刀を鞘に仕舞い、小太刀持つ手を後ろへと引き絞る。
左右反転しているものの、まるで鏡に写したかのように同じ構えを取る二人。
動揺を押さえつけ、美沙斗はこれで決めるつもりで力を篭める。
その辺りも含めた事情は後で聞けば良いと、今は目の前の相手を倒す事にのみ集中する。
開いた二人の距離、その中間辺りは空を覆う木々もなく、そこにだけ光が射す。
だが、暗闇の中に居る相手の姿をはっきりと見る事はできない。
若くも見えるし、恭也よりも上にも見える。
詮索は後だと言いながら、そんな事を考えてしまうがすぐに打ち消す。
静かに相手を見詰め、一撃を決める。
その為の隙を探す。はっきりと姿は見えないが、ぼんやりとでも輪郭が掴めるのなら、全く問題はない。
が、それは相手も同じ条件である。
対峙した両者はただ静かに、矢が弓から解き放たれるのを待つかのように。
それまで静かに吹いていた風が止み、それを合図とするかのように二人は同時に飛び出す。
御神流の奥義、射抜。両者ともに繰り出した奥義は互いの刃にぶつかる。
そこから派生した二撃目も弾き合い、三撃目。
相手が振り下ろした刃に対し、美沙斗は三撃目を放つのを止めて半歩下がる。
切っ先が眼前を通過していく。
すぐさま踏み込み、下から切り上げる。
美沙斗の刃が相手の脇腹を斬り裂くかに見えたが、その刃は何故か触れる寸前で止まる。

「……ま、まさか、君は」

月明かりに浮かんだ顔を見て、美沙斗の刃は止まっていた。
驚愕の表情を見せる美沙斗を冷ややかに見詰め返し、その影は皮肉げに笑う。

「久しぶりだね、母さん」

その言葉と同時に美沙斗は焼けるような痛みを腹部に覚える。
そこには小太刀が突き刺されており、血が流れている。
急激に抜ける力に美沙斗は膝を着き、そのまま地面へと倒れる。
それを冷ややかに見下ろし、影は、長い髪の女は小太刀を仕舞う。

「やっぱり、もう一人の男の方が強いのかな」

「ま、……待って静美」

立ち去る背中に伸ばそうとした腕はしかし、そのまま地面へと落ち、同時に美沙斗の意識も闇の中へと落ちる。
駆けつけた恭也と美由希が見たのは、血を流し倒れる美沙斗の姿であった。



「静美は、私が拾って名付け、育てた子供なんだ。
 復讐のために、御神の技を教え込んだ……。
 けれど、ある仕事の依頼を受けた時に死んだと思ってた」

美沙斗により明かされる過去の過ち。
御神の全てを叩き込まれた御神静美は、次なる標的として恭也に狙いを定める。

「あなたを倒し、私はまた最強の座に近付く」

「そんなものを何故、欲するんだ」

「……それしか、私にはないから。母さんも私を捨てて姿を消した。
 残されたのは、母さんから教えてもらったこの技だけ。
 だから、この技で……」

「違う! 美沙斗さんは貴女を捨ててなんかいない!」

届かない言葉を伝えるために、静美の思い違いを分からせるために、
そして、美沙斗の静美を思う想いを守るために、恭也は静美の前に立ち塞がる。

「私は御神の全てを知っている。無駄だよ」

「……それでも、俺は諦めない。
 御神の全てを知っていると言いながら、その力を壊す事にしか使わない貴女に負ける訳にはいかない!」

二人の御神の剣士による決着の行方は!?

もう一人の御神



   §§



「う……、うーん、こ、ここはどこ?」

意識を失っていた髪をツインテールにした少女は、薄っすらと眼を開けていき、
目の前の光景に、一気に覚醒する。

「ちょっ、なに、なに?」

周囲を見渡して慌てたようにうろたえ始める。
自分を囲む見たこともない人達。揃ってマントを羽織っており、その手には様々な大きさの棒を持っている。
いや、人が多いだけなら特に問題はないだろう。
何せ、意識を失うまで居たはずの場所もそれなりに人は多くいたのだから。
だが、その多くの人たちがこちらを見ているという状況が少女を更に焦らせる。
それだけではない。先ほど見渡した限り、自分たちの知る建物が一切見当たらないのだ。
確かに、高い建築物は目に付いた。
だが、それは少女の知識からすれば中世の城などで時折見られる塔のようなもので、
少女が馴れ親しんだビル群とはまるで違う。
自分が座り込んでいる地面にしても、緑の草が多い茂っており、
コンクリートなどの人の手など加わっていない、自然の地面そのものである。
状況が分からずに更に混乱しそうになるも、少女は自分の傍に倒れている三人の少女を見て、
少しは気持ちを落ち着ける。三人へと声を掛け、まずは無事かどうか確かめる。
妹の安全を確認するようにその肩を揺すり、現状を整理すべく頼りになる友の肩を揺する。
そして、こんな訳の分からない状況、ある意味非常識とも言える状況下においては、
多少は役に立つ友の肩を、こちらは少々乱暴に揺する。

「つかさ、みゆき、こなた!」

「うーん、なに、お姉ちゃん」

「……どうかしたんですか、かがみさん?」

呑気な声を上げながら起き上がるのは、ショートカットにリボンをした少女と、
長いウェーブのかかった髪に眼鏡の少女の二人。
残る長い髪に、この中では年下のようにも見える少女は目を開ける事もせず、どこか気だるそうに、

「う〜〜ん、あと五分だけ……」

「寝てる場合か!」

一人起きない少女に声を荒げて突っ込みを入れつつ、強制的に起こす。

「ふわぁぁ、乱暴だなかがみんは……」

「良いから、さっさと起きなさいよね。
 起きて、この状況を見なさい!」

いつになく強い口調に、さしものこなたと呼ばれた少女も起き上がり、周囲を見渡す。
先に起き上がり、現状が把握できないつかさ、みゆきのように固まる事もなく素早く立ち上がる。

「お、おお! 何ですか、この中世な雰囲気は。
 新しいゲームのイベントか何か? いやいや〜、中々雰囲気でてるよね〜」

「いきなりそれかい!」

あまりにもいつも通りなので、ついついかがみもいつものように突っ込んでしまう。
そのお陰でようやく落ち着けたのだが、それは口にせず、今度はみゆきへと視線を向ける。

「みゆきはどう思う? どう考えてもおかしいと思うんだけれど。
 そもそも、私たちは秋葉原にいたのよ。それが、目を覚ましたらこんなの」

「確かに普通では考えづらいですよね。第一、眠らされて連れてこられたのなら、それは犯罪行為ですし」

かがみとこなたのやり取りに、みゆきもいつものように落ち着きを取り戻し、
現状を把握すべく思考する。だが、答えはやはり出てこない。
そんな中、つかさが遠慮がちに口をはさんでくる。

「あの、お姉ちゃん。多分、私たち意識を失う前に変な鏡を触ったと思うんだけれど……」

つかさの言葉にかがみはそもそもの始まりを思い返す。
学校の帰り、こなたに付き合って秋葉原までやって来た。
そこまでは問題なく、その後、こなたの買い物にも付き合った。
これもまあ、いつもの事。ただし、いつもとは違うのは、こなたが裏道へと入った事だろか。
新しい店を見つけたとか言って。
で、その路地を通り抜ける途中で、宙に浮かぶ可笑しな楕円形を見つけたのだ。

「って、思い出した! こなた、アンタがあんな訳の分からないものを触ったから」

「……おおう! あれが原因ですか?」

「そうとしか考えられないでしょうが! 訳の分からないものにいきなり手を突っ込んで!」

かがみが怒鳴る横で、つかさは泣きそうな顔でこなたを見詰める。

「そうだよ、こなちゃん。その鏡みたいなものに引っ張られそうになって、私たちとっても驚いたんだから。
 駄目だよ、よく分からないものに触っちゃ」

「何だかんだと言いながらも助けようとしてくれたんだね、かがみ〜」

つかさの控え目な提言を流し、こなたはにやにやとかがみを見上げる。
そんな視線から顔を背けて、

「そ、そんなんじゃないわよ! みゆきやつかさが助けようとしているのに、私だけ何もしなかたら、
 後で何を言われるか分からないでしょうが。だからよ、だから」

「もう、素直じゃないな〜、かがみんは」

照れるかがみを散々からかい倒し、ふとこなたは思いついたように言う。

「でもさ、私も思い出したんだけれど……。
 あの時、かがみは私のもう一方の手を掴んで引っ張りだろうとしてくれたじゃない?」

「そ、そうだったかしら?」

「そうだよ。でもさ、その後……。
 手伝おうとしたみゆきさんにつかさが転んで後ろからぶつかって、それでみゆきさんも一緒に転んだよね。
 で、そのままかがみにぶつかって、結果、私は三人に押されて……。
 確かに最初に手を突っ込んだのは私だけれど、こうして見るとさ……」

「あうぅぅ。ご、ごめんね、皆〜」

泣きそうになりながら謝るつかさをかがみが即座に慰めながら、そんな事を思い出すなという目付きで睨む。

「かがみの愛が痛いよ、みゆきさん」

「まあ、あの場合は仕方ないですよ。
 突然の事で私たちも慌ててましたから」

「いや、別に怒ってないんだけれどね。
 しかし、それらから導き出される答えは……」

みゆきやかがみが頭を抱える現状を、こなたはすぐに解答を出す。

「これはもう、異世界に召喚されたと見るべきですな。
 みゆきさんやつかさは兎も角、ラノベを読むかがみなら思いつきそうなものなのに……」

「いやいや、現実にそんな事があると考えれるはずないでしょう」

こなたへと突っ込むも、実はもしかしてと頭の片隅に思っていたために強くは出れないかがみ。
それさえも含めて分かっていると言わんばかりの笑みを浮かべ、こなたはとりあえずと改めて周囲を見渡す。
見れば、多くの人たちがこちらを注目している。

「もしかして、伝説の勇者とか? いやいや、格好からするに魔法使いっぽいよね。
 だとすると、世界征服を企む魔法使いに対抗すべく、伝説の召喚魔法で呼ばれたとか?
 で、帰るためにはエルフを脱がして送還魔法の欠片を集めなければいけないとか!?
 もしくは、もしくは……」

「はいはい、とりあえず落ち着けそこ。
 どんな経緯かは兎も角、普通の女子高生である私たちに何が出来るってのよ」

呆れたように肩を竦めるかがみ。

「もう、夢がないなかがみんは。もっと夢を持とうよ」

「夢よりも今は元の場所に戻りたいわよ、私は」

「私もお姉ちゃんに賛成かな」

「そうですね。あまり長いこと連絡もせずに留守にするのはまずいですものね」

絡むこなたに、いつものようにつかさやみゆきも話の輪に加わり、ワイワイガヤガヤとやりあう四人。
そんな四人へとこの中で一番の年長者だろうか、一人の男性が近付いてくる。

「少し良いですか? さあ、ミス・ヴァリエール契約をしなさい」

「うー、何で私の使い魔がこんな……。しかも、四人も……」

ブツブツと文句を呟きながらも近付いてくるのは一人の少女。
彼女は四人に向けて杖を振りかざし、そこでこなたがそれを遮るように口を開く。

「その前に質問! 何がどうなってるんですか?
 というか、ここは何て世界? その格好からして魔法使いだよね。
 やっぱり可愛く変身したりするの? それとも派手な攻撃魔法?
 あ、魔王とか魔物が居たり? あとはあとは……」

「ちょっと落ち着け! ほら、見なさい! 皆引いているじゃない!」

「え〜、だってさ〜、異世界だよ、異世界。こんな経験、滅多に出来ないんだよ。
 今のうちに色々と聞かないと……」

「そうそうこんな経験したくないわよ!
 って言うか、アンタ順応しすぎ! もっと困惑するなり、色々あるでしょうが!」

「はぁぁ、今時これぐらいの事で驚いてたら、オタクなんてやってられないよ。
 異世界に召喚されるなんて、定番の一つじゃない」

「だ〜か〜ら〜、それはアンタだけだっての!」

またしても始まりそうになる漫才に、少女の方が怒ったように肩を震わせ、
遠巻きに眺めている同年代の少年少女たちから揶揄する声や、笑い声が巻き起こる。
そんな中、四人に話し掛けた年長の男は目つきを細くし、さっきまでの四人の会話を思い返す。
少し黙考した後、こちらを見ている少年少女たちに先に帰るように伝え、
この場にこなたたち四人と、その男性、少女しか居なくなったところで口を開く。

「さっき、君は異世界と口走っていたようだけれど……」

「そうだよ、異世界でしょうここ?」

「なにを馬鹿なことを言ってるのよ! これだから平民は!」

「おおう、平民と言うという事は……」

こなたの期待するような眼差しに少し引きつつ、少女は自分の名と貴族だという事を口にする。

「なるほど、ルイズなんとか、ああ、もう長いな〜。ルイズで良いよね」

「へ、へへへ、平民の分際で貴族に何て口を……」

怒りに震えるルイズを無視し、かがみは話の通じそうな男、教師のコルベールへと自分たちの経緯を説明する。
俄かに信じられないと口にしつつ、コルベールは現時点での帰る方法が分からないと告げる。
これには流石のこなたも驚いた顔でルイズとコルベールを見る。

「いやー、まさか一方通行な召喚だなんて。
 全く予想外ですよ」

「流石にこの事態が大変だって気付いたみたいね、こなた」

疲れた顔でこなたへと語り掛けるかがみの声にもいつものような覇気はない。
そんなかがみたちを心配そうに見遣りつつ、こなたはいつになく真剣な顔付きを見せる。

「だって、すぐに帰れないって事は、アニメを何本も見逃すって事だよ。
 今日だって帰ってから予約するつもりだったのが、何本も。しかも、ネトゲで約束してるし……。
 ああ、居ない間に初回限定の本が出たらどうすれば。お父さんに頼もうにも、電話なんて通じないだろうし」

「結局、それなのか! ちょっ、もっと他に嘆く事があるでしょう!
 何でそう良くも悪くもマイペースなのよ!」

「そうは言うけれど、最近のアニメの本数知ってる?
 たった一度とは言え見逃せば、後で全て見るの大変なんだよ。
 それに、やりかけのゲームだって気になるし、予約しているゲームもあるのに……」

ぶつぶつと文句を言うこなたに、みゆきやつかさはようやく笑顔を覗かせる。
それを見て小さく笑うこなたを見て、かがみはもしかして、自分たちを元気付けるためにと思うも、
すぐに首を横に振る。間違いなく、さっきのは本音だろうと。
またしても勝手に話をしていた四人へ、コルベールがようやく説明を始める。
ここは魔法学院であり、今は使い魔を呼び出す儀式であった事を。
故に、四人にはルイズの使い魔になってくれないかと。
行く宛てもなく、無事に帰れる方法を探す手伝いや、それまでの衣食住を条件に、
四人は渋々ながらもそれに同意する。
尤も、一人だけ嬉々として受け入れていた者もいたが。

「それじゃあ、誰から?」

「はいはいはーい、私、私から。いやー、使い魔ってのになったら、どんな力がもらえるんだろうね〜。
 希望としてはやっぱり大剣かな? 
 いやいや、キャラ的にそれはかがみんの方が良いかな? うーん、つかさは心の読める本で、
 みゆきさんは性格はちょっと違うけれど同じ眼鏡キャラだし、電子世界へとアクセスできる杖かな。
 いやいや、この世界にはパソコンとかもないみたいだから、描いたものが実体からするペンの方かな」

「ああ、もう、ごちゃごちゃ煩いわね。さっさと終わらせたいんだから、静かにしてなさいよね」

捲くし立てるこなたを呆気に取られて見ていたルイズであったが、すぐに怒鳴りつけると契約の呪文を唱える。
そして、そのままこなたへと口付けする。

「……はい、これで終わりよ」

「…………かがみ〜ん〜」

呆気に取られた固まる三人の下へとふらふらした足取りで近付くと、こなたはかがみの腰にしがみ付く。

「うぅぅ、汚された〜」

「ちょっ! 何、人聞きの悪い事を言ってるのよ!
 だ、第一、貴族にされたんだから幸運に思いなさいよね!」

「かがみ〜ん、口直し〜」

「って、やめんか、馬鹿!」

ルイズの言葉など全く聞いていないこなたに、肩を震わせる。
杖を振りかぶり、呪文を唱えようとするも、コルベールに止められる。
と、不意にこなたが頭を押さえて蹲る。
痛がるこなたにかがみがルイズを睨みつける。

「何をしたのよ!」

「大丈夫よ、ただ使い魔のルーンが刻まれているだけだもの」

「だからって。こなた、大丈夫なの!?」

ルイズの説明はよく分からないものの、苦しむこなたの方が気になったのか、その肩に手を置く。
やがて、こなたはゆっくりと顔を上げる。

「びっくりした〜。でも、もう大丈夫だとかがみ」

言って顔を上げたこなたの額、前髪に隠れているがそこに何やら怪しげな記号が刻まれている。

「まさか、これがルーン?」

「どったの、私の顔をじっと見て。……はっ! まさか、かがみんそっちに目覚めたとか?
 は、初めてだから、優しくして……ぐあっ」

台詞の途中で脳天を押さえて転げまわるこなた。
涙に濡れる瞳で見上げれば、煙を上げるかがみの左手。

「人が心配してやっているというのに」

「うぅぅ、ちょっとした冗談なのに。で、本当はどうしたの?」

尋ねるこなたの眼前に、みゆきがポケットから取り出した鏡を見せる。

「こなたさん、ここ、額に……」

言って自分の額を指差す。
それを受けて、こなたは鏡の中を覗きこむ。

「な、何ですとー! 額に何か変なものが。
 まるで二世代に渡って活躍した超人のようなものが……」

「だから、何でアンタがそんな古いの知ってるのよ」

「いや、お父さんが持ってるから。と言うか、今のが分かったかがみもどうなの?」

そんなやり取りをする二人に、またしてもいらついた声が。

「良いから、さっさと次!」

「何でそんなに偉そうなのよ。まあ、良いわ。
 次は私よ」

言ってかがみは顔を赤くしながらルイズの前に立つ。

「ああー、かがみんの初めては私が貰う予定だったのに〜」

そんな冗談か本気かも分からない事をほざくこなたを拳で黙らせ、かがみはルイズの前に立つ。
かがみを見詰め、次いでこなたを見詰めたルイズは、こちらも少し顔を赤くして視線を逸らす。

「そ、その、そういう好きとか嫌いとかは個人の自由だから何も言わないわよ。
 だから、契約の前にそっちの子とするぐらいは待ってあげるわよ」

「……ちょっ! な、何を勘違いしているのよ!
 こなた! アンタの所為で変な誤解を与えちゃったじゃないのよ!」

「いやいや、そんなに照れなくても……」

「照れてないっての!」

「い、良いから、やるんなら早くしてよね」

「だから、しないっての!」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

叫ぶかがみの頬を挟み、こなたはそのままかがみの唇を奪う。
突然の事に動きを止めるかがみ。
その反応のなさに、こなたは面白がってかがみの口内を蹂躙する。
息が続かなくなり、苦しくなったところでかがみは我に返るとこなたを突き飛ばす。

「な、なななななな……」

顔を真っ赤にし、荒い呼吸を繰り返しながら言葉にならない声を上げるかがみ。
それを悪びれた様子もなく、こなたはにやにやと笑いながら、

「いや、あそこまで前フリされたらやらないと駄目かな〜って」

「だ、だか……し、舌……」

「いや、あまりにも反応がなかったんでつい」

「あ、あ……こ、この馬鹿ー!」

涙目になってこなたの脳天に思いっきり拳を打ち下ろすかがみ。

「ぬぐおおぉぉぉ」

地面をごろごろと転がるこなたを一瞥し、赤くなって俯くみゆきとつかさの肩に手を置いて、

「二人とも、今の事は忘れなさい、忘れてお願いだから」

「えっと、わ、私は二人がそういう関係でも今までと変わりませんから」

「わ、私も……」

「だからっ! 違うって言ってるでしょうが!
 元はといえば、貴女が!」

さっきのこなたへの仕打ちを見ていたからか、ルイズは思わず後退ってしまう。
同様に呆然としていたコルベールも我に返り、何とかかがみを落ち着かせる。
こうして、何とか二人目の契約が完了する。

「うぅ、本来なら使い魔は一匹のはずなのに、何で四人なのよ」

「仕方ありません、ミス・ヴァリエール。貴女の召喚に応えたのが四人居たのですから。
 確かに、こんな事例は聞いたこともありませんが……。
 いえ、過去に一人だけ四人の使い魔を持った……いえ、何でもありません。
 さあ、それよりも残りを」

「はい……」

左手にルーンの現れたかがみと入れ替わり、今度はつかさがルイズの前に立つ。
ようやく大人しそうな子が現れ、ほっと胸を撫で下ろす。
特に邪魔などもなく、こちらはすんなりと終わる。
つかさには右手にルーンが刻まれる。

「双子らしく、左右の手にですな〜」

さっきの制裁から立ち直ったこなたの言葉に、こちらももういつもの調子に戻ったかがみが答え、
それにつかさも加わる。そんなやり取りを背に、残る一人となったみゆきがルイズの前に立つ。

「えっと、お、お願いします」

「ええ。いくわよ……」

四人目であるみゆきの契約もすんなりと済み、みゆきは胸を押さえて蹲る。

「大変だ、みゆきさんの持病の癪が。
 どれどれ、私がさすってあげよう」

「って、その手は何だ、その手は?」

両手の指をわきわきと動かしながら、みゆきへと近付いていったこなたの襟首をかがみが掴んで止める。

「いや、ほら、冗談ですよ? もしかして、焼き餅?」

「ほほう、そんな事を言うのはこの口かしら?」

こなたの口を引っ張りつつ、かがみはみゆきに声を掛ける。

「大丈夫、みゆき?」

「え、ええ。もう収まったようです。ですが、私は皆さんみたいにルーンとか呼ばれるものは出てませんね」

手、額などを確認するも、本人の言うように何処にもルーンが見当たらない。
それを聞いたコルベールがルイズを見るが、ルイズは必死で失敗していないと訴える。

「うーん、どうもルーンが刻まれる時は、その部分が熱くなるんだよね。
 みゆきさんはどこか他の場所よりも熱くなった所ってない?」

こなたの言葉に感心するつかさやみゆきと違い、かがみは少しだけ呆れたような顔を見せる。

「勉強は苦手なくせに、こういう時だけはちゃんと見ているし、推測も出来るのね」

「そりゃあ、勿論ですよ。で、どう?」

「えっと、私の場合は胸がそうでしたね」

「おおう。どれどれ」

「親父かアンタは」

こなたの態度に呆れつつ、胸元を開けて覗き込むみゆきの後ろからかがみも見る。

(うっ)

改めてみゆきの胸を見て、自分の胸と比べて落ち込む。
そんなかがみに気付いてにやにやと笑うこなた。

「な、何よ! 言いたいことがあるのなら、はっきりと言えばいいでしょう」

「いえいえ、別に何でもないですよ」

「くっ、この……」

「あ、ありました」

コルベールが気を利かせて背中を見せる中、みゆきは自分の胸元にルーンがある事を確認する。
同様に確認したルイズは失敗していなかったと安堵するも、かがみと同じように自分の胸を見下ろす。
そんなルイズの肩にぽんと手を置くのはこなた。
実に目聡い少女である。

「ある偉い人は言いました。貧乳はステータスだと!」

「……べ、別に気になんかしてないわよ!」

言ってそっぽを向くルイズであったが、ひょっとしたら元気付けてくれたのかもと、
横目でこなたを見ながら、小さな声でお礼を言う。

「い、一応、慰めようとしてくれたみたいだから、お礼は言っておくわ。
 でも、本当に気になんかしてないんだからね! 誤解しないでよ!」

そんな反応を見せるルイズをまじまじと見た後、こなたはかがみの裾を引っ張り、
信じられないという顔を見せる。
かがみもルイズがお礼を言った事に少し驚いたようであるが、続くこなたの言葉に脱力する。

「おお、ツンデレだよ、ツンデレ。しかも、本物だよ〜( ≡ω≡.)
 こんな所で本物のツンデレと出会えるなんてついてるね〜。いやいや、異世界バンザイって感じだね」

「……何を言ってるのよ、アンタは!
 大体、ついてる訳ないじゃないの!
 私たち、帰り方も分からない異世界に来ちゃったのよ!」

「まあまあ。それは追々探していけば良いじゃん」

「本当に、アンタはお気楽よね」

少し呆れたように呟くかがみに、こなたは満面の笑みで返す。

「私一人だったら、もっと混乱してたかもしれないけれどね。
 だって、かがみやつかさ、みゆきさんも一緒だから。
 何とかなるって。もし駄目でも、四人一緒なら良いかなって」

「……な、何を言っているのよ。
 でも、まあ、確かにアンタの言う通りかもね。私も皆が居て良かったと思うわよ」

「ほうほう。やっぱり本家ツンデレは違いますな〜。
 デレですか、デレなのですか?」

「……前言撤回。アンタだけはいらないわ」

「そ、そんな、かがみん。ちょっとした、いつもの冗談じゃないですか〜」

背を向けるかがみの後を追いかけるこなた。
そんなやり取りをつかさとみゆきが見て笑う。
異世界といえど、変わる事ない日常がそこには確かに存在すると示すかのように。
勿論、この先何があるのかは分からないが、それでも四人一緒ならと四人は同時に思うのであった。

らき☆ゼロ プロローグ 「使い魔四人」



   §§



夕暮れから夜へと変わるその寸前、黄昏刻とも呼ばれる紅に染まる街をなのは一人歩く。
さっきまで神社で久遠と遊んでいたのだが、そろそろ日も暮れだしたのと、
久遠の主である那美に急なお仕事が入った事もあり、早々に家路に着いたのである。
これ以上、遅くなると兄や姉が心配するというのもあるが。
紅い街並みを眺めながら歩いていたなのはは、ふと喪失感とも呼ぶべきものに襲われる。
特に何かがあったわけじゃなく、何となくそう感じただけなのだが。
周囲に人気がないことで、可笑しな事を思ったのかもしれない。
そう考えて頭を小さく振ると、少しだけ足を早めて家へと向かう。
大好きな家族の待つ家へと。
そのなのはの頭上に影が差したのは、それから暫くしての事である。
突然の事に頭上を見上げ、なのはは思わず訳の分からない驚き声を上げる。

「にゃ、にゃにゃー!」

その声につられるように、なのはの頭上に影を落としていた主、
屋根から下りてきたマントで頭から足先までをすっぽりと覆い隠した者は、なのはの存在に気付く。
このままではぶつかると思い、思わず目を閉じたなのは。
だが、襲ってくるであろう衝撃はいっこうにやってこず、恐る恐る目を開け、二度目の驚きの声を上げる。
その人物がなのはの頭上数センチで立っているのである。
HGSとも違い、その背中には特徴ある翼はない。
目を瞬かせるなのはに、マントの主はその覆い隠した奥で小さく笑ったような気がする。

「……見られてしまったか。仕方ないな」

くぐもった声からは、マントの主が男なのか女なのかは判別できなかったが、
その言葉から不穏な空気を感じ取ったなのはは、呪縛が解けたように背を向けてその場から逃げ出す。
その胸の内で、何度も何度も兄に助けを求めながら。
マントの主は無情にも、そんななのはの背中へと向けて掌を翳し……。



「なあ、美由希。なのはの奴、遅いんじゃないか?」

「恭ちゃん、その台詞もう三度目だよ」

「いや、しかし……」

言って恭也は窓の外、空を見上げる。
日が傾き、徐々に夜の色を見せ始めている。

「もう夏だし、外がこのぐらい暗くなるという事は……」

「夏って。まだ五月の半ばなんだけれど……」

呆れたように肩を竦めつつ、美由希も何度目かになる時間を確認する作業、時計へと視線を向ける。
瞬間、恭也がいきなり立ち上がり、家の中だと言うのに全力で走り出す。
その後を慌てたように美由希も追いかける。

「ちょっ、恭ちゃんどうしたの!?」

「今、なのはに呼ばれた気がした」

そんな馬鹿なと思いつつ、美由希も何故か急かされるように走っている事から、
強く否定の言葉を吐けないでいた。
嫌な胸騒ぎがするのだ。故に、兄妹はそろって家を飛び出す。
宛てがある訳ではなく、勘と嫌な予感、その二つに押されて街中を走り抜け、
二人は道路で倒れているなのはと、その近くに立つマントの主を見つける。
敵かどうかは分からないが、現状を見る限り怪しすぎる。
故に、誰何の声を上げようとするも、それよりも先にマントの主は地面を蹴ってその身を屋根へと。
そのまま姿を消す。恭也たちには気付いていなかったのか、全くこちらを見ることもなく。
だが、それよりも先にするべき事は、なのはの安全の確認である。
恭也と美由希は揃って倒れたなのはの元へと向かう。

「……きょ、恭ちゃん」

倒れたなのはを抱きかかえた美由希が、今にも泣き出しそうな震える声を上げる。
その理由はすぐに分かった。
美由希の腕の中に抱えられているなのはの胸が全く動いていないのだ。
顔をなのはの顔へと近づけて確認するも、やはり呼吸は止まっている。
だが、外傷は何処にもない。だが、そんな事を今は疑問に思っている場合ではないと、
続いて心音を確認すれば、こちらは微弱だが僅かに脈打っている。
そこに希望を見出し、恭也は美由希に急いで救急車を呼ばせ、自身はなのはを横たえて人工呼吸を始める。
恭也の指示に慌てながらも携帯電話を取り出し、119をプッシュする。
一刻を争う事態に、美由希は慌てないように言い聞かせながら、はっきりと受け答えをし、場所を告げる。

「恭ちゃん、すぐ来るって!」

電話を切った美由希は、祈るように恭也の救助作業を見詰める。
と、恭也や美由希の願いが届いたのか、なのはの体が僅かに反応する。
つかさず恭也は人工呼吸を繰り返し、ついにはなのはの呼吸が元に戻る。

「……よ、良かったぁぁ」

呼吸が戻った事で、美由希は少しだけ気が緩んだのか、その場に座り込んで涙を拭う。
同様に僅かに表情を緩め、恭也はゆっくりとなのはから離れる。

「……お兄ちゃん?」

「な、なのは!?」

呼吸を取り戻したと思った瞬間、意識を取り戻したなのはに驚く恭也。
なのははなのはで、目を覚ましたら恭也に唇を塞がれていて驚いている。

「にゃ、にゃぁぁぁ、な、なななな何をしているんですか」

慌てて身体を起こすなのはを、恭也と美由希がこちらもまた慌てて寝かせる。
その上で、さっきまでの状況を説明し、何があったのか尋ねる。

「えっと……。そうだ、変な人が空から降りてきて……」

なのははさっきまでの事を語るも、逃げた瞬間には意識を失ったので何をされたのかまでは分からない。
恭也たちの話を聞いて、今更ながらに怖くなったのか震えるなのはを恭也と美由希が抱き締めて落ち着かせる。
未だに身体は恐怖に強張るも、なのはは兄と姉に笑みを見せる。
見た目は問題ないように見えるが、念のために救急車も呼んだことだし病院へ行く事を決め、
救急車を待っていると、不意になのはが蹲る。
体が痛いと訴え始め、恭也と美由希はなのはの身体を調べる。
だが、やはり外傷もなければ骨に異常も見当たらない。
途方に暮れていると、不意に体の体が撥ねる。
慌てて恭也と美由希で押さえつけると、二人の腕の中で更に驚く事が起きる。
見る間になのはの身体が成長していくのだ。
驚きつつも痛がるなのはにただ声を掛けることしか出来ないもどかしさ、
無力感に恭也と美由希は揃って強く拳を握る。
やがて、なのはの急な成長は止まり、痛がっていたのが嘘のように痛みが引き、
なのは自身が不思議そうに自分の体を見る。
と、そこには当然、何も来ていない、正確には着ていたが破れてしまい、最早意味をなさない布と化した物体。
裸同然の姿に慌てふためくなのはに恭也が服を貸す。
見た目、晶や美由希と同じぐらいまで成長したなのはであったが、恭也の服はやはり大きすぎるようであった。

「下もないと落ち着かないんだけれど……」

「それはもう少し我慢してくれ」

遠くから聞こえてきたサイレンに、恭也はそう返すと裸足で歩かせる訳にも行かず、なのはを抱きかかえる。
恭也の行動に照れつつもなのはは嬉しそうに笑い、傍で見ていた美由希は、それがなのはだと分かっていても、
自分と同じ年ぐらいの少女がお姫様抱っこをされているという状況に、知らず頬を膨らませる。
やって来た救急隊員が襲われたようにも見えるなのはに、警察に連絡しようとするのを止め、
どうにかこうにか海鳴病院へと運んでもらう。
そこですぐさま空いていた個室を宛がってもらい、自分たちの主治医にして、
多少非常識な事態でも動じないであろう医者を、患者の方から診てくれと指名する。
傍から聞くだけだと、かなり無茶苦茶な話だが、指名された女医が嬉しそうに病室へと向かう姿が見られたので、
特に問題もないのかもしれない。
病室に着くなり、フィリスの笑顔が固まる。
見知らぬ少女が恭也に甘えている場面を見れば、少なからず恭也を思っている女性としては面白くもないだろう。
ましてや、美由希がそれを許容しているとあれば尚更である。
だが、実際はやはりまだあの時の恐怖から、恭也や美由希が離れるのが怖いらしく、二人に甘えており、
それが分かっているからこそ、また相手がなのはだからこそ、二人とも何も言わないのであった。
だが、目の前の少女がなのはだと知らないフェリスは笑顔を浮かべたまま、ややぎこちなく病室に入ってくる。

「それで、私はその子の何を診ればいいのかしら?」

笑顔の裏から感じる怒りの波動。
それをきっちりと理解した美由希とは違い、恭也はまずはなのはの身体に異常がないかと心配しており、
勿論、美由希とて心配しているのだが、それ以上に恭也は案じており、フィリスの怒りには気付かない。

「フェリス先生にしか頼めない事なんです」

恭也の真剣な顔と言葉に、フィリスは少し溜飲を下げつつ、そっと少女を見る。
長く綺麗な栗色の髪をツインテールにし、その顔立ちもとても整っている。
だが、冷たい印象はなく美人だがとても愛らしい。可愛いと言う言葉の似合う少女である。
と、その顔を見て、誰かに似ているなと思う。
そんな疑問に答えるように、恭也が口を開く。

「なのはなんです」

「はい?」

流石に名医と呼ばれるフィリスとは言え、恭也の言葉に対する第一声はそんなものであった。
思わず何を言ってるんですかという顔で見返したフィリスであったが、恭也と美由希、
そしてなのはの話を聞き、少し前から考え込んでいる。
どうやら、長考に入っているらしく、その視線は一点を見詰めるも、それを見てはいない。
やがて、ゆっくりと頭を振ると、

「すみません、やはり原因が分かりません。
 普通に考えると、そのマントの人が何をしたという事になるんでしょうけれど……」

「そうですか。いえ、気にしないで下さい。
 どちらかと言えば、状況が状況なので俺たちをよく知っている先生の方が良いかと思って、
 担当医として指名させてもらったんです。遅くなりましたが、引き受けてくださって助かりました」

「いえ、そんなに改めなくても。
 そうですね、そんなに感謝してくれるのなら、もっと定期的に膝の診察に来てくれると嬉しいんですが?」

「……善処します。
 それよりも、なのはの身体に異常がないのか検査してもらいましたが……」

誤魔化すように話を変えるが、さっきから聞きたかった事でもあるので恭也の中では問題ない。
逆に変えられたフィリスは少しだけ眉間に皺を寄せるも、すぐに元に戻して説明する。

「ええ、それは問題ありませんでしたよ。
 多分、15、6歳ぐらいだと思いますが、至って健康です」

「そうですか。それは良かった」

「一応、今日一日は様子見も兼ねて入院してください。
 検査の結果だけを見るなら問題ないですが、事例がないだけに何とも言えないので……」

フィリスの言葉に頷くと、恭也は桃子たちに結果を教えるために席を立つ。
なのはが検査している間に病院に居ると連絡を入れたままだったので、今ごろ落ち着かずに居るだろうから。
が、病室を出ようとした恭也の服をなのはが不安そうに掴む。
それを見て、美由希が代わりに立ち上がる。

「私が言ってくるよ」

「ああ、頼む。まあ、この状況は実際に見てもらった方が早いだろうから……」

「そうだね。とりあえずは、すこぶる健康だって伝えておくよ」

この後、フィリスの計らいと患者の精神的な問題という理由から、
恭也と美由希もなのはと同じ病室で一日を明かすのだった。



翌日、やはり驚く家族たちだったが、これまた適応力も早く、すぐに普通に接する。
恭也以外は仕事と学校へとそのまま向かい、恭也はそのまま残り退院の手続きをする。
こうして、昼過ぎには高町家へと戻ってきたなのはに、
その日の夕方、入院したと聞いた忍や那美たちが見舞いにやって来る。
当然のように驚く二人に対し、久遠はすぐになのはと分かったのか何でもないように近付く。

「なのは、おおきくなった? くおんといっしょ」

「あははは。大きくなっちゃったね。くーちゃんも大きくなれるもんね〜」

「うん」

そんな二人のやり取りを眺めながら、こちらもまたすぐに適応力を発揮してすぐに馴染む二人。
後ろに控えていたノエルもいつものように接する。
久遠と庭で遊ぶ二人を眺めながら、忍と那美は恭也から昨日の出来事を聞く。

「……だとすると、そのマントの奴は魔法使いかも」

ふと漏らした忍の言葉に、恭也が続きを促す。

「実は、魔法使いって居るのよね。実際に、色んな活動をしてるわ。
 表向きは国連のボランティア団体とかになっていたりもするけれどね。
 魔法ってのは知られてはいけない事となっているから、表には出てこないのよ」

「だとすれば、なのはちゃんをああしたのは魔法なんですか?」

「どうだろう。そんな魔法があるのかどうかは分からないし……。
 まあ、知り合いに一人詳しい人が居るけれど、今は連絡取れないし。
 那美は何か感じなかった? 魔法も霊力も似たようなものじゃないの?」

「特に何も感じませんでした。すみません、お役に立てなくて……」

謝る那美を慰めながら、恭也は幾分忍に詰め寄る。

「なら、魔法使いに見せれば元に戻れるのか」

「ごめん、そこまでは分からない。さっきも言ったけれど、私はそっち方面そんなに強くないのよ。
 それに幻覚なら兎も角、人を成長させるなんて魔法、恐らくは時間に関する魔法だと思うけれど、
 かなりの使い手だと思うわ。だとすれば、ちょっとやそっとの魔法使いじゃ解除できるか。
 伝説のサウザンド・マスターなら話は別かもしれないけれど」

「そのサウザンド・マスターという人に頼めば、いや、伝説となるぐらいだから大昔の人だな」

「ううん、サウザンド・マスターは最近の魔法使いよ。
 ……ただ、十年程前に亡くなったと言われてるけど。ごめん、期待持たせるような言い方だったわ」

「いや、気にするな」

忍の言葉に顔を上げた恭也であったが、続く言葉にまた俯かせる。
暫く無言が辺りを包むが、不意にノエルが言葉を挟む。

「忍お嬢様、確かサウザンド・マスターには息子さんがおられたかと思いますが」

「そう言えばいたような……。前にエリザが何かそんな事を言ってたような。
 確か、小さいのにかなり優秀で魔法学院を主席で卒業して、今は日本の何処かで修行しているんだったわね」

少し前、連絡が取れなくなる前にと月村邸にやって来たエリザに聞いた話を思い返す忍。
その言葉を聞き、恭也は忍に期待する目を向ける。
その期待に応えようと、忍は必死に記憶を掘り起こす。

「そうだわ! 麻帆良よ、麻帆良学園! そこで教師をしているんだったわ」

「なら、そこに言って頼めば」

「確実に治せるかどうかは分からないけれど、少なくとも原因とかは分かるかもね。
 でも、さっきも言ったけれど魔法使いは自分がそうだという事を隠すわ。
 世界にそんな力があると知られて、不必要に怖がらせないためにね。
 だから、それを破ったものには大きなペナルティが与えられるの」

「もし、正直に頼みに行っても知らないと言われるかもしれないんだな」

「ええ」

「……だが、それでもそれしか手掛かりがないのなら、俺は行こうと思う。
 一度で駄目なら何度でもお願いするさ」

「はぁ、本当になのはちゃんの事になると。
 仕方ないわね。だったら、人気のいない所で見張りなさい。
 人が居ない所では魔法を使うかもしれないでしょう。その現場を目撃してしまえば、言い逃れはできないわ。
 それに、ちょっとやり方は良くないけれど、黙っている代わりに診てもらえるかもよ」

「確かにあまり良いとは言えない方法だが、なのはのためだ。
 この際、その程度の事は気にしないさ。しかし、そうなると長期戦か」

「そうなるわね」

恭也と忍が頭をつき合わせて考えるその二人の合間に、なのはが顔を出す。
さっきまでの二人のやり取りを聞いており、

「だったら、私も行く! 元々は私の事だもん。
 お兄ちゃんだけに任せておくのは悪いし、一人よりも二人の方が良いでしょう」

「なのははそんな事気にせず、ここで待っていたら良いんだぞ。
 それに、いつになるか分からないんだから、学校はどうす……その姿では無理だったな」

「うん。だから、麻帆良学園に転校すれば良いんだよ」

「その手があったわね」

なのはの言葉に忍が指を鳴らす。

「教師として麻帆良学園に居るんだもの。
 そこに生徒として潜り込むのは良いアイデアだわ。
 序に、恭也も生徒として潜り込めば良いのよ」

「因みに、そのサウザンド・マスターの息子さんは何年を担当しているんだ?」

「中等部の三年だったわね」

「俺が生徒としては無理だろう」

「まあ、どっちにしろ学年は関係なく無理だけれどね。
 だって、女子部だし」

笑って言う忍の頭に、静かに恭也が拳を置く。

「さて、俺はこの手をこの後どうすれば良いと思う?」

「え、えっと……」

「……今回は勘弁しておく。色々と情報をくれたからな」

恭也の言葉に安堵の吐息を零しつつ、忍は良い事を思いついたと告げる。

「恭也となのはちゃんの二人を怪しまれないで麻帆良に転校させてあげるわ。
 恭也だって、なのはちゃん一人を放り出すのは心配でしょう」

「まあな。なのははまだ小学生だからな」

「でしょう。という訳で、後は私に任せなさい。
 ノエル、急いで帰るわよ。後、さくらにも連絡しないと。
 恭也、大船に乗ったつもりでいなさい」

そう口にすると、忍はさっさと帰り始める。
その背中を見送りながら、恭也は今はただ忍に任せるしかないと流れに身を任せることにした。



数日後、麻帆良学園3−Aへと一人の少女が転校してくる。
高町なのはと名乗る少女の隣には、彼女をお嬢様と呼び控える不破恭也を名乗る執事の姿があった……。

魔法少女なのはま!



   §§



恭也となのはが麻帆良へと転入して来たのが先週のこと。
未だにネギが魔法使いだと言う証拠は掴めていない二人。
休憩時間では流石に教師であるネギも職員室などに戻っており、場所が場所だけに恭也たちも潜り込めない。
まあ、潜り込めたとしても他に先生たちもいるので魔法を使う場面もないだろうが。
恭也はなのはの傍に立ち、すっかり溶け込んでクラスメイトと話しているなのはを見下ろす。

(まあ、焦っても仕方ないしな)

当の本人がまだ明るいのが救いであると恭也は考え、ふとクラスメイトたちの視線を感じる。

「どうかしましたか?」

「いや、なんつーかさ、執事を連れて学校に来る生徒なんて初めてだからさ。
 やっぱりまだ珍しくてね」

言ってカメラを構えるのは、なのはのクラスメイトの一人、朝倉和美である。

「このクラスは色々と変わった人が多いけれど、なのはちゃんも変わってるね。
 委員長でも執事は流石に始終、傍に居ないし。一体、どこのお嬢様なんだか」

「やっぱり変かな?」

「うーん、まあなのはちゃんはこれが普通の環境だったんだろうから、変とは思わないかもしれないけれどね。
 にしても、よくうちの学園が認めたよね。一応、女子部なんだけれどね。
 相当のお金持ちって事だよね。でも、高町なんて名前の財閥とかは知らないし……。
 やっぱり偽名?」

そう尋ねてくる和美に恭也は無言のままでなのはに対応を任せ、なのはの方はただにっこりと笑い、

「さあ、どうでしょう?」

肯定も否定もせずにただそう告げる。
これ以上の追求は無理と諦めた和美の耳は、隣で話をしているクラスメイトの話を耳聡く聞きつける。

「何々? 噂の吸血鬼の話? もしかして、目撃者が出たとか?」

「吸血鬼?」

その単語に思わず声を出してしまう恭也。

「はいです。あくまでも噂なんですけれど……」

呑んでいたパックジュースのストローから口を離し、そう言いおくと、その噂話を綾瀬夕映は話し出す。
おどろおどろしい雰囲気を全身から醸し出し、いかにもな口調で語る。
それを表情を変えずに恭也は聞き、なのはは少しだけ怖がりながらも興味深そうに聴き入るのだった。



それから数日後、学園中が停電になるとの話を聞き、恭也となのははそれに備えて買い出しに出ていた。

「しかし、常にネギ先生に張り付いている訳にはいかないとは言え……」

「ご、ごめんね、お兄ちゃん」

「気にするな。仕方ないだろう。本来ならなのはは小学生なんだから。
 中学の勉強が全然出来なくても気にするような事じゃない」

「でも、その所為で放課後に居残りさせられちゃって……」

なのはの言う通り、ここ数日は毎日放課後に居残り勉強をさせられていたなのは。
そもそも、小学校で習うべき基礎部分を履修していないのだから仕方ないのだが、
全く勉強についていけないなのははここ数日、居残りをさせられていた。
当然、執事として無理を通してこの学園に来ている恭也が傍を離れる訳にもいかず、
結果として、ネギに張り付くことも出来ずに日数だけが過ぎていったのである。
自分の所為だとしょんぼりと俯くなのはの頭に手を乗せ、恭也は優しく微笑む。

「気にしないでください、お嬢様」

「もう、誰もいないんだからそんな口調はしないでください」

怒ったように頬を膨らませるなのは。その頬を軽く手で押して遊びながら、恭也は真面目な顔で言う。

「ですけれど、いつ、何処で誰が見ているとも限りませんから」

我が兄がそう簡単に周囲に人が居るのに気付かないとは思わないが、確かに言う通りでもある。
だから、なのはも口調を改める。

「なら、命令します恭也。これからは、私と丁寧語で話すのは禁止です」

「それはそれで可笑しな事にならないか?」

「気を付ければ大丈夫だし、そんなに気にすることもないと思うけれど……」

「まあ、考えておこう」

言いながら再びなのはの頭に手を置き、軽く撫でる。
その仕種に頬を緩ませつつ、なのはは恭也の手を取ると帰路へと着くのだった。



その夜、予め言われていた時間に停電が起こり、恭也は用意しておいたランプに火を灯す。
柔らかな炎の光に照らされる部屋の中、なのはは珍しそうにそのランプの炎を見詰める。
流石に女子寮にまで例外は適用されず、恭也となのはは寮ではなく学園の広い敷地の中に、
一軒の小さな家を借りていた。
手配したのはこれも忍で、どういう経由かは分からないがありがたく使わせてもらっている。

「今、何か感じなかったお兄ちゃん?」

不意になのはがそんな事を呟き、特に何も感じなかった恭也であったが、その感覚を家の周辺に伸ばす。
だが、周囲には誰の気配も感じられない。そう伝えるも、なのはは難しい顔をする。

「うーん、何かこうざわざわとするような……」

「そんなに気になるのなら、少し見てみるか」

言って立ち上がった恭也に続き、なのはもまた立ち上がる。
ここに居るように言うも、

「だってお兄ちゃんは何も感じなかったんでしょう?
 だったら、私が一緒の方が良いじゃない」

「……分かった。けれど、危険だと判断したらすぐに家の中に戻るんだぞ」

「はーい」

お兄ちゃんの傍の方が安全だと思う言葉は飲み込み、なのはは素直に返事する。
その上で恭也の手を握り、停電で真っ暗になっている外へ。

「それで、どっちの方から感じたんだ?」

「あっち」

言って指差したのは寮のある方角で、恭也もなのはの指した方角を見る。
その時、何とはなしに空へと目が行き、そこに一つ、いや、二つの影を見つける。

「……人? あれはネギ先生と、確か同じクラスの……」

「お兄ちゃん、あれが見えるの!?
 わたしには何となく人の形にしか見えないんだけれど……」

「まあな。と、今はそれどころじゃない。
 何があったのかは知らないが、チャンスだぞなのは!」

「……あ、そうか! 空を飛んでいる所を目撃すれば」

「そういう事だ」

言って走り出そうとした恭也であるが、すぐになのはのことに気付いて、
しかし、何か言うよりも先になのはが口を開く。

「わたしも行くよ。そもそも、わたしの問題だし、実際のわたしが居た方が良いでしょう」

「……分かった。なら、急ぐから……」

言ってなのはを抱き上げると恭也はネギたちの消えた方へと走り出す。
俗に言うお姫様抱っこに頬を染めながらも、なのはは落ちないようにおずおずと恭也の首に腕を回す。

(もう少しこのままでも良かったかな)

治してもらえると言う余裕が出来たからか、なのはは思わずそんな事を思ってしまう。
そんななのはの胸中など露知らず、恭也はひたすら全速で駆けるのだった。



   §§



「恭也の旦那、こうなったら仮契約しかないっすよ!」

数多くの魔物に囲まれ、一時的にネギの魔法で作った竜巻の中で、オコジョのカモがいきなり口を開く。
その言葉を聞き流し、恭也は風の壁の向こうに居るであろう魔物たちの数を思い出す。

「刃が通じるだけましだが、流石にあの数は辛いな」

自分一人がただ逃げ延びるというのなら、方法もなくはない。
だが、自分たちは逃げるのではなく救出へと向かわなければならないのだ。
ましてや、恭也の傍に守るべき大事な家族がいるのである。
当然の事ながら、そんな案はない。
と、同じように考え込んでいたなのはが不意に顔を上げる。

「お兄ちゃん、私と仮契約しよう。
 そうすれば、力が手に入るんでしょう」

「その通りだぜ、お嬢ちゃん。ほらほら、恭也の旦那、お嬢ちゃんの許可は出ましたぜ」

「しかし……」

それでも躊躇う恭也。
そんな簡単に力が手に入るという事にも若干の抵抗はあるが、それよりも何より、
それを行う事によって、なのはまでもが裏の世界に足を踏み入れざるを得ない状況になるのではという懸念が強い。
恭也のそんな葛藤を読み取り、なのはは小さく笑う。

「お兄ちゃんが守ってくれるんだよね」

「それは当然だが……」

「大丈夫、私もエヴァさんに修行してもらっているし、自分の身ぐらいは。
 それに、今度は私がお兄ちゃんを助けてあげる事だって」

更に紡がれるなのはの言葉に、恭也は更に苦悩する。
が、時間が本当にないのは間違いなく、こうしている間にも風の防壁は弱まりを見せる。

「お兄ちゃん! 他に案があるんですか!?
 ないのなら、難しい事は後で考えよう。
 今は今出来る事をしないとね」

なのはに一喝され、恭也も覚悟を決める。
なのはの正面に立つ恭也。カモがすかさず仮契約の為の魔法を唱え、二人の足元に魔法陣が浮かび上がる。
恭也はなのはの肩に手を置き、そっと顔を近付け……。

「えへへ、私の初めてはお兄ちゃんだね」

何故か嬉しそうにそう呟くのを聞きながら、恭也はそっとなのはに口付ける。
瞬間、カモがパクティオーと唱え、恭也の身体が光る。

「……これが力か」

自身の身体に注がれるよく分からない力。
だが、間違いなく身体能力が何倍にも跳ね上がっているのを感じられる。
何度か拳を閉じたり開いたりしながら、その感触を確かめるように小太刀を手にする。

「おっと、恭也の旦那。こいつを忘れてますぜ」

言って恭也に一枚のカード――契約の証を差し出す。
自分の姿が描かれたカードを懐に仕舞い、恭也は弱まりつつある風の防壁を眺める。

「桜咲さん、神楽坂さん宜しいですか」

「はい、私の方がいつでも」

「任せてよ!」

恭也の言葉に頼もしい言葉を返す刹那と明日菜。
その声を聞き、今度はネギへと顔を向ける。

「なら、ネギ先生。ここは俺たちに任せて、近衛さんを」

「はい、お願いします!」

風の防壁が消えるなり、ネギは大きな魔法を一つ放ち、それに怯んだ隙に杖に跨りカモと一緒に夜空へと。
後に残されたのは、西洋魔術の情緒のなさを嘆く魔物たちと、それに臨もうとする恭也たち。
互いに暫し無言で対峙し、先に向こうからこちらへと攻めてくる。

「私と明日菜さんでこちらを片付けます。
 不破さんはなのはさんとそっちを」

刹那の言葉に頷き返し、恭也は刹那、明日菜とは逆側から向かってくる魔物を切り伏せる。
先程とは違い、たった一撃で軽く切り伏せれた事に驚きつつ、恭也はなのはに近付くモノたちから斬っていく。
その後ろで恭也に守られながら、なのはは呪文を唱える。
完全な魔法使いタイプのなのはは、砲台としての役割を。
そして、恭也はそんななのはを守る盾の役割を。
なのはに近付く事も出来ず、魔物は恭也に切り伏せられ、完成したなのはの魔法に纏めて吹き飛ばされる。
膨大な魔力をただ砲撃魔法として放つなのは。
何よりも守る事を得意とする恭也。魔法使いと従者として、二人の相性は相当良いのかもしれない。



   §§



夏休みに入り、七月も終わろうかというその日。
ふと真夜中に目が覚めたなのはは、何となしに窓へと目を向ける。
窓の外には一匹の黒猫が、目を覚ましたなのはを見て小さな鳴き声を上げる。
何かに誘われるかのように、なのはは窓に手をかけ、そっと押し開く。
これが後の人生を大きく変えることになろうとは、神ならざるなのはに知るよしもなく。



鍛錬後のシャワーを終え、恭也はコーヒーを片手に新聞を広げる。
いつものように一面記事に目を通し、

「ぶっ!」

その内容に思わず口に含んでいたコーヒーを隣の美由希へと噴き出す。

「ちょっ! 恭ちゃん、何でわざわざ横を向くのよ!」

布巾で顔を拭きつつ文句を言う美由希であったが、肝心の恭也はその言葉を聞いていないのか、
焦ったように口を開く。

「……テ、テレ」

そんな珍しい恭也に桃子たちも何があったのかと驚きつつ、恭也の言いたい事を察して確認する。

「テレビをつければ良いの?」

頷く恭也の言葉にレンがテレビを付け、美由希は可笑しくなったであろう原因と思われる新聞を手にする。
美由希が見れば、そこには大きな文字が一面を飾っている。
同じく、テレビをつけてそちらを見ていたレンたちも、臨時ニュースとして飛び込んできた同じ内容を目にする。

『今日、史上最年少の総理が誕生しました。第九十八代内閣総理大臣、高町なのは』

「えぇぇーー!!」

朝から高町家の住人による驚きの大合唱がリビングに響いた瞬間である。



驚きつつもテレビを注目する高町家の面々。
そこにはなのはの姿はない。先ほど晶が確認しに行ってみると、部屋にもなのはの姿はなかった。
何処に居るのかは程なくして分かる。
皆が見詰めるテレビ中、よく見慣れたツインテールの少女が記者たちの前に姿を現したのだ。
やや緊張気味の表情ながらも、しっかりとした足取りで記者たちの前に立つ。
炊かれるフラッシュの嵐の中、記者の一人がなのはへと政策について尋ねる。
見た目、いや、実際に小学生であるなのはに難しい事を尋ねる記者。
周りからは僅かながらも同情の目が向けられるも、ある意味仕方ないと誰も庇うものはいない。
相手が何歳であれ、総理となった以上ははっきりとしなければいけない事である。
記者たちが沈黙してなのはの言葉を待つ。
やがて、ゆっくりとなのはは口を開き、

「まずは少子化対策をしたいと思います」

「したいと仰いますが、具体的にどのように?」

またしても飛ぶ質問になのはは慌てる事なく、むしろよく聞いてくれたとばかりの笑顔ではっきりと告げる。

「今まで結婚出来ないとされていた血縁の等親を変更します。
 異母、または異父兄弟間での結婚の許可です」

そうはっきりと口にする。それを聞いた瞬間、再び高町家で大合唱が起こるのだった。



「お兄ちゃん♪ 総理になったから誰かに狙われるかもしれないの。
 だから、なのは専用の護衛になって」

帰ってきて早々にそう言って甘えてくるなのは。
それに対し、恭也はなのはの言い分も尤もだと頷く。
年齢などから考えても、力尽くでと考える輩が居ても可笑しくはない。
大事な妹を守るのは当然と、恭也はすぐさまそのお願いを引き受ける。
恭也に見えないように、なのはが僅かに微笑んだ事を見た者は誰もいなかった。



「しかし、何で急に総理大臣に」

「それはね……」

言ってなのはが背負っていたリュックの口を明けると、一匹の黒猫が飛び出して来る。
ネコは華麗に着地を決めると、頭を垂れて流暢な日本語を操り出す。

「メフィストと呼んでくれて構わない」

「……高町恭也です」

突然喋り出した猫に僅かに驚くも、すぐに名乗り返して頭を下げる恭也。
それを興味深げに見遣り、ひげをピクピクと動かすメフィスト。

「ふむ、なのはと良い、恭也と良い、猫が喋ってもそんなに大騒ぎしないとは。
 流石はなのはの兄、いや、この場合は恭也の妹というべきなのかな」

変化する狐を知っている二人にとって、この程度はまだそんなに大騒ぎする程ではないのかもしれない。
だが、明らかに世間の常識と照らし合わせると珍しい反応ではある。
暫し思案していたメフィストであったが、すぐに気を取り直したように口を開き、改めて自身の紹介をする。

「簡単に言えば、悪魔だな」

「……悪魔ですか」

「うん。魂と引き換えに何でも願いを叶えてくれるって」

「まさか、なのは」

今朝のニュースとその話の内容を聞き、恭也はなのはを見る。
心配そうな顔をする恭也とは対照的に、なのはは落ち着いた笑みを見せ、

「信用できないから力を見せてって言ったの。
 そしたら、夏休みの間だけという期間限定で何か叶えてみせるって。
 言うなら、お試し期間かな。だから、この契約には魂の取引はないの」

ちゃっかりしていると言うか、悪魔相手に交渉する妹に両親の血を垣間見た瞬間である。
だが、ようやく恭也はなのはが総理になるなどという無茶が叶った理由が分かり納得する。
逆にメフィストは、自分から言い出しておいてなんだけれどと、少し呆れたような口調で続ける。

「悪魔だ何だって、そう簡単に信じるんだ……」

「幽霊がいるのなら、悪魔が居ても可笑しくはないんじゃないのか?
 それに、現になのはは総理になっているみたいだしな」

言って持ってきていた新聞の記事に再び目を落とす。
その新聞は、悪戯かと疑った恭也が駅前まで行ってわざわざ売店で購入してきたものである。
新聞にテレビも朝からその事で持ちきりで、最早疑う余地などありもしなかった。

「まあ、夏休みの間だけみたいだしな。それぐらいなら、俺も付き合おう」

「ありがとう、お兄ちゃん♪」

笑顔で抱き付くなのはの頭を撫でる恭也には見えないよう、なのはは小さく舌を出す。

(夏休みの間に既成事実さえ作っちゃえば、こっちのものだもんね♪
 でも、無理矢理じゃなくてちゃんと好きになってもらえるように頑張らないと。
 その為にも、なのはの傍に出来るだけ居てもらわないといけないし、護衛というのは良い口実だよね♪)

そんな黒い考えと決意を秘めているなど、恭也には全く分かるはずもなかった。
だが、一瞬だけ恭也は背筋に悪寒を感じ、これからの夏休みの日々が、
平穏と言う言葉からはかけ離れて行くんだろうな、と何とはなしに感じ取っていた。



総理大臣なのは プロローグ 「史上最年少総理誕生!」



   §§



「世界の全てをその手に出来ると言われたら、君ならどうする?」

何の脈絡もなく突然そう切り出したのは、プラチナブロンドを肩口で切りそろえた一人の男性。
身に纏うのは闇と同化しているのかと見間違えるぐらいに黒一色の装い。
白い肌が殊更強調されるも、暗い部屋の中ではそれすらも闇へと消えそうである。
調度品の殆ど見当たらない部屋に立ち、男性は先ほど投げ掛けた問いに関する答えを静かに待つ。
対峙するのは一人の少女。
彼女は訝しげに男を見詰めるも、男はそれ以上は何も語らず、ただじっと少女を見詰める。
少女の答えを待っているのは明らかで、少女は先ほどの質問をもう一度思い返し、
ゆっくりとその問い掛けに関する答えを口にする――

「私は、――――」

少女の小さな音量で語られた答えに男性は小さく笑みを張り付かせると、確認するように静かに口を開く。

「それが君の答えなんだね。なら、始めようか、─―」

男性が少女の名を呼ぶと、少女は一つ頷き返して男性へと近付く。
それを腰を降り、恭しく頭を垂れて迎え入れる男性。
二言三言のやり取りを交わし、部屋は再び静寂と暗闇に包まれる。



「あ、恭ちゃん、あれ何かな、あれ。ああ、あっちのあれも」

それなりに人の流れのある街灯で妙にはしゃいだ声が上がる。
その声に呼ばれた恭也は、多少呆れつつも自分を呼んだ少女、美由希の隣に立ち並び、彼女の指す先を見遣る。

「ふぅ、落ち着け美由希。あれは日本でも売っている普通のホットドッグだろう。
 全く、観光しに来たんじゃないんだぞ」

「そんな事言ったって。
 ずっと剣を握るって訳じゃないんだし、こうして空いた時間に観光するぐらい良いじゃない。
 折角、海外にまで来たのに」

嬉しそうにはしゃぐ美由希へと再び呆れたような視線を投げつつ、口調もやはり投げやりに、

「行く前は散々、受験生の夏を修行で奪うなんて鬼だ、悪魔だと言ってたくせに」

「うっ、だってあれは……。
 それに結局はこうして連れて来られているんだから、少しぐらい楽しんだって良いじゃない」

「ああ、分かった、分かった。とりあえず、俺から離れるなよ」

「そんなに心配しなくても……」

「迷子になること三回。怪しい物を買わされそうになること二回。
 キョロキョロと余所見をして人にぶつかる事……」

「わぁー、わー。も、もう済んだ事じゃない」

行き成り曝露する恭也の口を塞ぐも、日本語であったために周囲には理解できる通行人はいないようである。
その事に胸を撫で下ろしつつ、自分の行動の方こそが衆目を集めていると気付いて赤くなる。
そんな美由希に呆れた顔を見せつつ、恭也は浮かれる美由希に釘を刺すように言う。

「分かっていると思うけれど、別にヨーロッパくんだりまで観光しに来たんじゃないんだぞ」

「分かってるよ。昔の父さんの知り合いの人たちとの手合わせでしょう」

「そうだ。ちゃんと分かっているのなら良い」

「あ、でも、皆の分のお土産はちゃんと買っていかないとね」

「そうだな。そう言えば、忍の奴は確かドイツに行くとか言ってたからな。
 ドイツ以外の土産の方が良いだろうな。と言うか、最終日に買え、最終日に」

「だって、ヨーロッパ中を訪れるんでしょう。
 だったら、それぞれの国でお土産を買いたいじゃない」

「で、それを持ったまま移動するのか?」

「送ればよいじゃない」

あっさりと言う美由希に、何度目かになる呆れの混じった吐息を零す。

「小遣いが持てば良いがな」

「はうっ」

胸を押さえて痛がる振りをして見せる美由希に、恭也は軽く小突くと促して歩き出す。

「馬鹿なことをやってないで、さっさと昼食を取るぞ」

「はーい」

途中で立ち止まって待ってくれている恭也の隣に並び、その手を取る。

「恭ちゃん、あそこにしよう、あそこに」

「分かったから、そんなに慌てるな」

一つの店に引っ張っていく美由希に苦笑を漏らしながら、恭也は引っ張られるままに付いて行くのだった。



「一体何を考えている!?」

「別に何も。そう、全ては流れのままに」

廃墟となった遺跡で恭也と男は対峙する。
恭也の感情を受け流し、男は飄々とした様子でただ両腕を広げる。

「私はただ与える者。それ以上でも、それ以下でもありません」

「与えるだと……。なら、今起きている現象は彼女が望んだと言うのか」

「そうですよ。私はただの傍観者。どのような事態になろうとも、決して舞台に上がる事のない観客です。
 演じるのはあなた方です。さあ、様々な事を知ったあなたは、これからどう演じてくれるのでしょう。
 非常に楽しみですね。それでは、私はこれにて失礼をば」

手を胸の前で折り曲げ、恭しく頭を下げる男の背中に着ているものと同じく黒い翼が姿を見せる。

「HGSか?」

「いいえ、違いますよ。おっと、これ以上の質問に答えるつもりはありません。
 知りたければ、ご自身の力で辿り着いてください。それでは、さようならです。
 此度の演目、如何なる終幕を迎えるのか、じっくりと眺めさせてもらいますよ」

夜空に飛び立ちながら、男はそう高らかに言い残して消えていく。
相手が飛んでは恭也も追いかけて行く事もできず、ただその姿が消えていくのを見詰めるしかなかった。


とらいあんぐるハート年始スペシャル 遠き地よりきたる願い星



   §§



春には綺麗な花を咲かせて、そこを通るものを楽しませた桜並木も、冬の今とあっては葉すら付いていない。
そんな桜並木の真ん中で、一人の少女がこれから通うことになる学院へと想いを馳せる。
これからどんな出会いが待っているんだろう。仲の良い友達が出来るかな。
そんな期待を胸に秘め、少女は見上げていた枝から目を離し――、
とそんな綺麗な想いとは遠く、その瞳は疲れを滲ませ、顔は正にげんなりといった様である。

「はぁぁ、何で俺が……」

「修史さん、口調、口調」

「あ、すみません、不破さん」

「いえ。あー、その制服、似合ってますよ」

修史と呼ばれた少女へと、恭也は気を使うようにそう口にするが、それを聞いた修史はがっくりと肩を落とす。

「男なのに、そんな事を言われても嬉しくないです……。
 どうして、恭也さんは男のままなのに、俺だけ女装なんだぁぁ!」

思わず叫ぶ修史であったが、それも無理はないだろうなと恭也は数日前のやり取りを思い返す。



新しい任務が課長から修史へと告げられる。
場所は護り屋としての裏の顔を持つアイギス、その特殊要人護衛課での事であった。
任務の言葉に思わず身構えそうになったのは、前回の件があるからか。
ともあれ、修史は改めてその任務を聞く事にする。
しかし、課長はその出鼻を挫くように、まずは紹介したい人物がいると言って一人の青年を招きいれたのだ。
その青年こそが、今回一緒の任務に付く事になった、個人で護衛の仕事をしているという恭也であった。
不破恭也と名乗った青年に挨拶をしつつ、修史は課長に視線だけでどういう事かを尋ねる。

「彼はその筋ではかなり有名な凄腕のボディガードだよ。
 実際、我が社が何度もスカウトしようと声を掛け続けているぐらいのね」

「それで、その恭也さんと一緒に護衛という事ですか」

「そうだ。今回はかなり複雑な事情になっているんだ」

部外者が居るからか、いつになく真面目な表情と口調で課長は一枚の書類を修史へと差し出す。
受け取りそれに目を走らせる。
まずは護衛対象の写真を見る。
シックな黒い制服に身を包んだ綺麗な女性。
思わず修史が見惚れてしまうのも無理はないだろう。
だが、詠み進めていくうちにその顔に驚愕の表情が見え始める。

「本名、鏑木……って、あの鏑木ですか。って、嫡男って事は男!?
 え、でも、通っているのは……、え、課長、またからかっているんですか!
 しかも、今度は部外者の人まで巻き込んで」

「え〜、その言い草は酷いんじゃない? 至って真面目なのに」

疑わしげに見てくる修史に、課長は肩を竦めると恭也に説明をしてくれるように頼む。

「護衛対象は鏑木瑞穂。あの鏑木財閥の嫡男で間違いない。
 ただし、彼は祖父の残した遺言によって、三年生としての一年間を女装して、
 聖應女学院へと通わなければならなくなったんだ。学院での名は宮小路瑞穂だ。
 詳しくは下の方に書いてあると思うが、先日聖應の敷地内で誘拐未遂が起こった。
 その時に狙われたのは厳島グループの一人娘だったが、それを瑞穂が助けている」

「つまり、また次があると?」

「可能性はある。どうもそれなりに大きな組織がバックにいるようでな。
 邪魔をした瑞穂と、前回失敗した厳島のお嬢さんを再び狙おうとしているらしい」

「逆恨みも甚だしいですね」

「全くだ。だからこそ、俺たちのような者が居る。
 理不尽な力を振りかざし、闇から表へと出てくる奴らを、再び闇へと戻すためにな」

決して強い口調ではなく、当たり前のように口にした言葉。
しかし、その言葉に何かを感じたのか、修史は強く頷いて恭也を見る。
ほんの僅かだが、恭也という人物の片鱗に触れたような気がし、負けないように自分を奮い立たせる。
そんな修史に恭也は、修史が持っているのはと違う書類を渡す。

「こっちが厳島貴子さんに関する書類だ」

受け取ると、こちらにも写真と簡単なプロフィールが乗っており、それに目を通す。

「今回の任務で気を付けなければならないのは、勿論護衛の事を気付かれない事もそうだが、
 何よりも瑞穂が男だとばれない事だ。
 故に始めは俺の方に依頼が来たんだが、流石に男の俺が女子校に潜入もできないだろう。
 そこでアイギスにも依頼する事にしたらしい」

「それもそうですね。っ!
 ちょ、ちょっと……ま、まさか課長?」

恐る恐る課長へと顔を上げる修史の身体が後ろから不意に掴まれる。

「は、激しくデジャブを感じる状況ですが……」

「ふふふ、ISCO再びだよ」

「い、いやだーーー!」

叫ぶも虚しく、修史は再び山田妙子へとその姿を変えられるのであった。



そんな回想をしていると、ようやく修史――妙子も落ち着いたのか深呼吸を一つして恭也へと振り返る。

「それじゃあ、学園長に挨拶に行きましょう」

「そうだな」

二人は並んで学園へと続く道を歩きながら、小声で会話を続ける。

「そう言えば、恭也さんは瑞穂さんと知り合いなんですよね」

「ああ。まだ瑞穂が小さい頃から何度か会っている。
 故に楓さん、瑞穂の母親代わりみたいな人だが、その人から連絡が来たんだ。
 だが、女子校では入り込むのに教師や用務員、教育実習生しか方法がなくてな。
 つまり、妙子さんには主に寮や学園の外での護衛をお願いしたい」

「それは構いませんけれど、そう言えば恭也さんはどういう立場で?」

「とりあえずは校医の手伝いという形だ。その方がある程度は自由に動けるからな」

「了解。それじゃあ、私は出来る限り瑞穂さんの傍に居るように心がけます」

「ああ、頼む」

そこで会話を終わらせ、二人は重厚な扉、学園長室と書かれたその扉をノックするのであった。



こうして、新たな護衛へと付く恭也と修史。
恭也は懐かしい再会を、修史は新たな出会いを経験する事になる。

お姉さまに恋する乙女と守護の剣楯



   §§



※ここからダークな展開になります。
 要注意です。

1.そんなの嫌じゃー
2.気にしない、気にしない(そのまま下へスクロール)
3.途中から見る







香港警防隊で休暇をもらった恭也と美沙斗。
しかし、恭也はまだ仕事が残っており、休暇は明日からなので一足先に美沙斗だけが海鳴へ戻るのだった。
これが後の命運を分ける事になるなど、この時には知るよしもなく。

翌日、帰国した恭也であったが、自宅へと向かう道すがら周囲の様子に異変を感じる。
気のせいかと思いつつ帰宅した恭也を待っていたのは、立ち入り禁止のテープが張られた高町家。
いや、そこに家と呼べるものはなく、ただ残骸と成り果てた黒い何かしかなかった。
頭の中が真っ白になり、呆然とする恭也の耳に警察官らの話し声が自然と入ってくる。
いや、正確には立ち入り禁止とされた向こう側にいる警察官の声が聞こえる訳ではなく、
恭也の目が自然とその口の動きを読んでいた。

「ガス爆発らしいが……」

「それにしても、ここまで吹き飛ぶものなのか。
 しかも、周りには殆ど被害も出ていないし」

「上からの通達ではそうらしいがな。まあ、俺らは現場で出来る事をするしかないだろう」

「そうだな。しかし、同じ街でこう何件も同じ事件が同じ日に発生するなんてな。
 ガス管が老朽しているんじゃないのか」

「それも含めて調べるんだよ」

その言葉を読み取った瞬間、恭也は特に考えることもなく走り出していた。
商店街の中を走り、その途中で翠屋の周囲も高町家と同じように立ち入り禁止のテープと警察官の姿を目にし、
それでも足を止めずに桜台の長い坂を上りきる。
そこから少し走り、普段ならこれぐらい大した距離でもないのにやけに煩い鼓動を耳の奥に聞きながら、
恭也は嫌な予感が外れてくれと祈るように顔を上げ、再び絶望を抱く。
かつて、さざなみ寮と呼ばれる騒がしくも楽しい女子寮があった場所は、
やはり高町家や翠屋と同じようになっていた。
足元から力が抜け、思わず地面に膝を着く恭也。だが、それでも立ち上がり、恭也は神社へと向かう。
そこに行けば、少しドジだけれども優しい巫女が笑顔で出迎えてくれるかもしれないという儚い希望を抱き。
だが、現実に待っていたのは、そこでもまた紺色の制服を着て何やら作業をしている警察官の姿であった。
正月には大勢の人で賑わっていた境内は見るも無残な姿を晒していた。
警察官に気づかれないよう、力ない足取りでその場を立ち去る恭也の感覚に、懐かしい気配が感じられる。
こんな状況でありながら、いや、むしろこの様な状況だからこそか、
無意識にいつも以上に周囲を警戒していたらしい、その更なる実戦で鍛えられた感覚が掴んだ気配。
そこに一縷の希望を見出し、恭也は生い茂る木々を掻き分けて奥に踏み入る。
気が焦り、先に先にと進むうちに何処かで引っ掛けたのか、幾つかの小さな傷も出来ていたが、
そんなものを気にも留めず進む。ようやく、恭也は木々に囲まれた中、小さく開けた場所へと辿り着く。
本当に小さな場所で、人一人分ほどのスペースしか開けてはいない。
だが、そこに居た人物を見て恭也は神に感謝したい気持ちにもなる。
僅かに頬を緩めつつ、恭也はその人物へと近づく。

「なのは、久遠、無事だったのか。一体、何が起こったんだ?
 他の皆はどこに逃げたんだ?」

恭也が近づいても、二人は何も言わない。
なのはは目を閉じたまま、子供姿の久遠は怯えたように身体を震わせ、なのはを抱き締める手に力を入れる。

「もしかして、なのはは寝ているのか?
 こんな状況でも寝ていられるなんて、ある意味大したものだな。
 久遠、そんなに怯えないでくれ。俺だよ、恭也だ」

なのはの顔に血の気がない事を見ながらも、恭也はその最悪の事態を認めたくはないとばかりに二人に近づく。
だが、その足取りはやけにゆっくりしたもので、ほんの数歩分の距離がなかなか縮まらない。
そんな中、ゆくりと涙に濡れた頬を拭いもせず、久遠が振り返り、
目の前に居るのが本当に恭也だと知ると力が抜けたように倒れ込む。
今までゆっくりと近づいていた恭也であったが、それを見て急ぎ駆けつけて背中から抱きとめる。
抱き起こした久遠の身体は、黒く炭化しており、流れたであろう血液でさえも凝固している。
だが、その上から新しい血が流れ、黒い身体を紅く染める。
その久遠の肩越しに見えたなのはの身体は、もっと悲惨で下半身は見当たらず、顔以外は完全に炭化していた。
恭也はそれを見て狂いそうになるも、腕の中にいる久遠が苦しげな声で、
それでも必死に謝る言葉を聞いて気を取り直す。

「なのは、まもれなかった」

泣きはらした目は腫れ上がり真っ赤に充血している。それでも、尽きる事なく流れる涙が頬を伝う。
それでも、久遠は何かを伝えようと苦しげに言葉を途切れ途切れながらも伝える。
昨日の夜、なのはの所に泊まっていた久遠は嫌な予感がして飛び起きたらしい。
直後聞こえた爆発音に、久遠は大人へと変化してなのはに覆い被さった。
そこで記憶が途切れ、次に気づいたときは体中の痛みと腕の中に庇ったなのはの顔だけが目に映る。
重いものに圧迫されていると気づき、久遠はなのはを抱いたまま上だと思う方へと力を振り絞って抜け出し、
そこで惨状を目の当たりにした。つまり、高町家がなくなっており、誰の気配も感じられないという惨状を。
怖くなった久遠だが、腕の中にいるなのはの事を思い出し、そちらに目を落とし、

「……なのは? ねぇ、なのはおきて」

もうなのはが起きる事はないと理解していながら、それでも久遠はなのはに呼びかける。
が、それも長くは続かなかった。
遠くから人の気配とサイレンの音が聞こえ、久遠は自身も致命傷と言えるほど傷付いた体で、
なのはの身体を抱き上げ、この場所まで逃げてきたのだ。
そこまで語ると、久遠は疲れたように目を細める。

「くおんも。すこしねむる」

「待て、まだもう少し起きてるんだ久遠」

誰の目にも助からないと分かる久遠の身体を前にしても、恭也は助けようとする。
だが、そんな恭也の左手を弱々しく握り、久遠は小さく笑う。

「恭也が無事でよかった」

そう言って何の屈託もない笑顔を残すと、久遠は静かに目を閉じる。
そして、その目が再び開かれる事はなかった。
どのぐらいそうしていたのか、恭也は屈んでいた足が痺れ、
腰が痛みを訴えても久遠の身体となのはの身体を抱き締めていた。
ポツリポツリと振り出した雨に、ようやく恭也は次なる動きを見せる。
頭上を覆う程に生い茂る木々のお蔭で、殆ど雨が落ちてこない茂みの中、
恭也は一本の大きな木の根元に二人を横たわらせる。
その木の根元に手を着けると、穴を掘り出す。
硬い地面の感触に怯むことなく、爪を立てて掘って行く。
血が滲もうが、爪が剥がれようが黙々と。だが、手ではやはり限度があり、ようやく恭也はそれに気づく。

「待っていろ」

恭也はそう言うと二人をその場に残して立ち去る。
次に恭也が戻ってきた時には、その手にはスコップが握られており、それで再び穴掘りを再開する。

「本当ならちゃんとした墓を、父さんと同じ所に入れてやりたいんだが、暫くはここで我慢してくれ」

警察に知らせるという考えは恭也にはなかった。
久遠は特に死亡解剖にまわされると色々と問題もあるだろうし、
そもそもなのはの身体をこれ以上傷つけられるのが嫌だったから。
既に原因は判明している。あの惨状に、狙われた場所。つまりは、自分たち御神の生き残りを狙った爆弾テロ。
ならば、警察に頼ったところで既に何の情報も得られないだろう。
それは十数年前の御神宗家の結婚式の事件で分かっている。
もしかすると、警察の上層部にさえ相手の手が伸びている可能性もある。
だとすれば、ここからは自分がすべき事だと。
復讐に走った、あの時の美沙斗の気持ちが皮肉なことによく分かってしまった恭也は自嘲めいた笑みを見せる。
美沙斗のように復讐に走り、無関係な人を殺すわけにはいかない。そんな事は誰も望まないと分かっているから。
だから、自分は今居る香港警防隊の力で復讐を誓う。
復讐自体、誰も望まないかもしれないと分かっていながら。

「……いつか必ず戻ってきて、ちゃんとしてやるからな」

かなり深い子供二人が入れるほどの穴を掘り終え、恭也は久遠を、次いでなのはを埋める。
その際、炭化したなのはの腕が何かを守るように胸の前で組まれているのに気づき、慎重に腕を広げる。
中から出てきたのは、身体全体で庇ったから、あの爆発の中にあったのにも関わらず、
全くの無傷で残っていた一振りの小太刀。いや、小太刀サイズの練習刀であった。
香港警防隊に入る事を決めた恭也に、なのはが珍しくねだってきたものであった。
当初は渋った恭也であったが、絶対に振らないことを条件にあげたものであった。
恭也が小さい頃から使ってきた練習刀は、刃こそないものの玩具と言うには危なすぎるものである。
何故、こんなものを欲しがるのが不思議がる恭也に、なのはは照れながら、

「お兄ちゃんがずっと小さい頃からやってきたものでしょう。
 だからこれだと、すぐにお兄ちゃんを思い出せるし、傍に居て守ってくれるような気がするの」

そう言ってはにかむなのはの頭を照れ隠しに乱暴に撫でた懐かしい思い出を思い返しながら、恭也は小さく呟く。

「……結局、俺はお前を守ってやれなかった」

悔恨の念を多分に含みつつ、恭也はその練習刀をなのはの腕に再び握らせ一緒に埋める事にする。
最後に久遠となのはの頭を撫で、なのはのリボンを一本だけ外してポケットに仕舞うと、二人に土を被せて行く。
二人を完全に埋葬すると、恭也は現状を把握すべく再び街へと繰り出し、新聞を何部か買う。
公園の雨宿りが出来るベンチでそれらを広げ、恭也は目を見開く。
他にも郊外の屋敷、海鳴病院などでも同様の爆発があったと書かれた記事を穴が開くほど見つめ、
恭也は震える指で知り合いに高校時代からの悪友へと電話を掛ける。
だが、電話は一向に繋がらず、ありきたりなアナウンスを流すだけの電話を切る。

「俺に関わった全てを壊すつもりかっ!」

腹立ち紛れに新聞を力任せに近くのゴミ箱に放り投げ、けれども頭の中では冷静にどう動くかを弾き出す。
まずは郵送で送った自分の武器を取り戻さなければならない。
時計で時間を確認し、そろそろ届く時間帯だと知ると、
恭也は雨の中、傘もささずに高町家のあった場所へと向かう。
今、警察官にその荷物を見られるのも困る。ちゃんと手続きをしたものだが、現状が現状だ。
万が一という事も考えなければならない。
中には知っている人も居るかもしれないが、今、押収される訳にはいかない。
再び高町家へと戻ってきた恭也は、こちらに気づいた警察官が声を掛けるよりも早く、配達車を見つける。
近辺が封鎖されて困った顔を見せる運転手に近づき、

「高町恭也ですが、俺宛ての荷物ですよね」

恭也の言葉に運転手は助かったとばかりに車を降り、恭也宛ての荷物を手渡す。
伝票にサインをもらって去っていく車を見送る恭也に、近くに居た警察官が声を掛ける。
先ほどの会話から、恭也があの家の住人だと知り、生き残った者から証言を取ろうとする。
だが、そんな警察官の質問を制するように、恭也は淡々と静かな口調で告げる。

「残念ですが、俺は何も知りません。今日、帰ってきたばかりなんです」

その静かな口調に薄ら寒いものを感じつつも、帰宅していきなりこの惨状では仕方ないかと判断し、
とりあえずは恭也に一緒に来てくれるように頼む。
だが、恭也はその警察官に背中を向けると、

「すみませんが、そんな時間はないんです」

その冷たい眼差しに気圧され、警察官が呆然と立ち尽くす間に恭也はそのまま雨の中へと消えていった。



数日後、恭也が警防隊に戻ってみると、そこも海鳴と同じような惨状になっていた。
ここだけではない、他にも街頭のテレビから流れるニュースでは、
イギリスの大通りで政治家を狙ったものやCSSまでもが爆発した事が報じられていた。
組織としての力も仲間も失った恭也は、それでも諦めることなく一人で動き始める。
その心には既に何の感情もなく、ただ目的を達成する強固な意志のみを宿して。



それから数年後、龍に関わる者は大小を問わずに狩られ始める。
黒一色に身を包み、ただ左腕のみ白いリボンを巻いた剣士が恐れられるようになる。
更に二十数年ほどの歳月が流れ、龍はその存在を地上から完全に無くす。それに関わる者全て残らず。
こうして、全てをやり終えた恭也は、再び海鳴のなのはと久遠が眠る場所へと戻ってきていた。
その姿は昔と全く代わらず、ただその瞳は何も移していないかのように虚ろなままに。
二人の前に立ち、恭也は左腕の袖を捲る。
そこにはまるで闇が染み出してきたかのような真っ黒な色で、
左腕全体に纏わり着くように不思議な文様が描かれていた。

「久遠、お前のお蔭で俺は年を取る事もなく、剣士として衰退せずに目的を達成できた」

数年間一人で戦い続けてきた恭也は、ふと自分が年を取っていないのではと感じたのだ。
年齢からくる衰退が起こらないばかりか、昔よりも遥かに頑丈になった身体、傷の治る速さ。
どれも左腕の紋様が出来てから、つまりはあの海鳴を襲った事件以降からであった。
だからこそ、恭也は神咲家へと秘密裏に接触し、己の左腕を見せたのだ。
結果、恭也の左腕には久遠の祟りが憑り付いていた。
祓おうと申し出た退魔士の言葉を断り、恭也は今でもこうして祟りを身に宿している。
これは別に恭也に害を成すものではないと分かっていたが、
何人もの退魔士に妖魔と間違われそうになった事もあった。
それでも、こうして何とか生き延びて遂に目的を達成できた。
だが、全てを終えて残ったのは何もなく、ただ虚しい気持ちが、いや、それさえも恭也の中には湧かない。
昔以上に感情の出なくなった顔に、感情そのものを殆ど感じる事無く平坦と化した心。
そして、ただ血に染まりつづけたその両手のみが残っただけ。
それでも悔いはなく、恭也は一人静かになのはと久遠に手を合わせる。
この先、自分に寿命があるのかどうかも怪しいが、
とりあえずは、なのはと久遠を士郎と一緒の場所へと移す事に決め、二人を埋めた土を掘り返す。
既に骨と化し、その骨さえも殆どが分解されているが、それでも周辺の土と一緒に持ってきた壺へと移し終える。
後に残されたのは、鞘に収まった練習刀一本。
これも一緒に埋めるかと手に取り、恭也は小さな違和感を覚える。
それが何なのか分からないままに鞘から引き抜き、

「全く錆びていない?」

土の中に数十年に渡り埋まっていたにしては、やけに綺麗な状態だと気付く。
まるで新品のように汚れ一つ見せない練習刀の刀身を見詰め、そこになのはの気配を感じる。
気でも狂ったかと思ったが、霊刀という例もあると呼びかける。
だが、答えは返ってこない。僅かに覗いた希望を再び絶望で閉ざし、恭也はその練習刀を腰に吊るす。
やはり、僅かだが感じられるのはなのはの気配。
祟りに憑かれた所為でか、多少の霊感を得た恭也はその練習刀からなのはの魂のようなものを感じる。
霊刀のようになのはの意志がある訳ではなく、ただそこに気配を感じる程度。
長い間大事にされた物に魂や精霊が宿って付喪神となるという話を思い出し、恭也はそう信じることにした。
真偽は分からないが、大事そうにその練習刀を撫でる。

「菜乃葉」

名もない練習刀にそう呼び掛けると、まるでそれに応えるように練習刀のなのはの気配が一瞬だけ強く感じられた。
気のせいかもしれないが、この時よりこの練習刀は菜乃葉と名付けられたのである。
その後、夜になるのを待って恭也は二人を入れた壺を士郎の眠る土地に埋める。
誰も訪れる者のなくなった墓はかなり汚れており、恭也はただ黙って綺麗にしていく。

「……俺だけが残ってしまった」

全てを終えて手を合わせるなり、恭也はポツリと漏らす。
その声を聞く者もなく、また答える者もない中、それっきり口を閉ざす。
じっと黙ったまま手を合わせていた恭也は、やがてゆっくりと立ち上がる。
最早、行く先もする事もない。どうするのかという考えさえも浮かばず、足の向くままに歩き出す。
そんな恭也の前に、奇妙な物が。
それは……。

1.一冊の本だった
2.全身を写す姿見にも似た何かだった







1.一冊の本が。

だが、特に興味を示すでもなく歩みを止めずに進む恭也。
その足が本を蹴った瞬間、恭也の目の前が白く弾ける。
龍の生き残りによる報復かとも思ったが、既に主犯や主だった者たちは始末したからと大人しく目を閉じる。
これで家族の元に行けるのならと思いつつ、同じ場所に行くには血で汚れすぎたかと自嘲を浮かべる。
こうして、恭也はその意識を手放した。



目が覚めた恭也はまだ自分が生きている事に我ながらしぶといなと呟き、その身を起こす。
だが、周囲の状況が意識を手放す前と違うと気付き、拉致されたのかと用心する。
自分の身体を確認し、何処も怪我をしてないこと、装備を一切奪われていない事に疑問を抱きながら、
近付いてくる気配に構える。恭也の前に現れたのは数人の女と一人の男。
恭也を前に訳の分からない事を喚いたかと思えば、女の一人が男と喧嘩を始める。
それをただ黙って見詰めていた恭也へと、この中で一番年上と見える女が話し掛けてくるのだった。



「アヴァター?」

学園長と名乗る女の前に連れてこられ、恭也は大よその事情を悟る。
世界の危機や、それを救う力が恭也にあるなど説明を受けるも、恭也は特に思う事もない。

「それで?」

まだ説明を続けようとする女――ミュリエルの言葉を遮り、恭也は短く問い掛ける。
何を問われたのか分からないといった様子のミュリエルに、恭也は言葉が足りなかったかと付け足す。

「それで、それがどうかしたのか」

「どうかって。ちゃんと私の話を聞いてましたか?」

「聞いてたな。世界が滅ぶというんだろう。それがどうした。
 俺以外にも世界を救うという大層な力を持った奴らが居るのだろう。だったら、そいつらが何とかすれば良い。
 俺には関係ない」

本当にどうでも良さそうに、
いや、今までの会話の間もずっと感情を出さずに淡々とした恭也の様子にミュリエルも言葉を無くす。
その言葉の真偽を確かめるように恭也の目を覗き込み、その何も写していないかのような、
全てを飲み込むかのような平坦な瞳に再び言葉を無くしてしまう。
この男は危険だと感じたミュリエルは、手元に置いて監視するためにも学園に留まらせようと言葉を投げる。

「本を見たかもしれないという事でしたが、何の説明も受けていないとの事ですね。
 だとすれば、貴方もイレギュラーだという可能性が大きいです。
 そうだとするならば、元の世界にすぐには戻れませんが」

「別にどうでも良い。帰った所で、誰かが待っている訳でもないしな」

「なら、この世界でどうやって生きていくつもりですか。
 先ほども言いましたが、破滅がもうすぐ来るんですよ。それがなくても、見知らぬ土地、いえ世界のはず」

「どうにでもなるだろう。もう良いか」

飽き飽きした感じでそう告げる恭也に、ミュリエルは尚も続ける。

「救世主になれば、何でも願いが叶いますがそれでも出て行きますか」

ある意味、とっておきの条件である。
ただし、救世主になれるかどうかは分からないという部分もあるが。
それにミュリエル自身は救世主を誕生させる気もない。
そこを隠してそう尋ねるミュリエルに、恭也は初めて反応を見せる。

「何でも?」

「ええ。富、名声、何でも貴方の望むものが」

物欲を見せた恭也に、さっきの瞳を覗いた雰囲気は気のせいだったかと思い直しつつ、ミュリエルはそう言い切る。

「魔法と言うのは何でも出来るのか。時を戻したり、大きな怪我や古傷を治したり」

だが、恭也から返ってきたのは質問であり、ミュリエルは急な事に戸惑いつつも答える。

「魔法とは言え、何でもかんでも出来る訳ではありません。
 時間を操るのは無理ですし、怪我は治せますが、古傷は難しいですね。
 勿論、死者を生き返らせたりも出来ません。万能ではないんです」

「そうか」

それきっり口を噤む恭也に、先ほどの答えをもう一度聞く。
返ってきた答えは、感情も何もなく。

「やはり興味ないな」

ただの短い言葉であった
何にも興味を示さない恭也に、ミュリエルも引き止める手立てを無くして押し黙るしかなかった。



闘技場での試験を終えたリリィは、負かした恭也に勝ち誇るような言葉を投げる。
実際には恭也は殆ど動かず、それがリリィを余計に苛立たせていたのだが、それこそ恭也には関係ない。
無理矢理この学園に入れられた恭也にとって、学園での生活ほど無意味なものはないのだから。
何を言っても無反応な恭也に更に腹を立てるリリィであったが、恭也のポケットから何か落ちたのに気付き、
それを恭也が拾い上げようとするよりも先に拾い上げる。

「なによ、これ。汚いリボンね。新しいのを買ったら?
 と言うより、何で男のアンタがリボンなんか持ってるのよ」

「リリィ!」

恭也が落としたボロボロになったリボンを拾ったまでは良かったが、
そのあまりの汚れ具合にリリィは馬鹿にしたような言葉を投げ、気持ち悪そうにリボンを恭也へと投げつける。
それは男の恭也がリボンを持っていたという事から出た行動だったのかもしれない。
リリィへとベリオが注意するような声を上げるが、既に遅く、それを見た瞬間に恭也が動く。
その場にいた他の救世主候補たちも恭也の動きに反応する事さえできず、ただリリィが吹き飛ばされるのを見る。
それは吹き飛ばされた当の本人でさえ同様で、何が起こったのか分からずに呆然と恭也を見上げる。
胸を押さえ、折れているかもしれない痛みに顔を顰める。
文句を言おうとしたリリィはしかし、目の前に立つ恭也を前にして言葉を発する事が出来なくなった。
身体が勝手に震え、恭也から離れようとする。
だが、恐怖に縛られた身体は動かず、ただ恐怖に身を縮めるしか出来ない。
恭也はそこから一歩も動いていないにも関わらず、その喉元に刃を突きつけられているような錯覚さえ覚え、
リリィは息苦しそうに喘ぐ。そんなリリィをまるで興味がないとばかりに一瞥すると、
リボンを拾い上げ、大事そうにポケットへと仕舞い込む。

「次はない」

淡々と何の感情もない声に恐怖を抱き、動けないリリィに背を向けて恭也は立ち去るのだった。



Dark Savior







2.全身を写す姿見にも似た何かだった

鏡にしては目の前に立つ己の姿を反射するでもない。
しかし、その表面は傷も窪みもなく、まさに鏡のようである。
目の前に立ち塞がる恭也自身の身長と大して変わらないソレを目にしても、恭也は興味を抱かず、
ただ邪魔な物、障害物としか認識しない。
故に目も暮れる事なくその横を通り過ぎ……ようとした所で、何の偶然か、
恭也のポケットからなのはのリボンがはらりと落ちる。
咄嗟に伸ばした手は、件の鏡らしきものの中へと潜り込む。
引き抜こうとするも、何かに掴まれている訳でもないのに抜く事が出来ない。
厚さも数センチもないに関わらず、潜った腕はその向こう側には見えない。
疑問を抱くも、それよりも恭也には見えない先にしっかりと握り締めた物の方が大事で、
抜けないのならと全身をその中へと飛び込ませる。
不意に襲う浮遊感にも慌てる事無く、ただ手の中にしっかりとリボンがある事のみを確かめ、
そのことに安堵する。今、自分を襲う浮遊感も何も関係ない。
もし、このまま何処かに落ちるのなら落ちたで構わない。
そんな事を思いつつ、恭也は素直に意識を手放すのだった。



「ですが、彼は平民です!」

そんな声が聞こえてきて、恭也は意識を覚醒させる。
自らのしぶとさに苦笑を漏らしつつ周囲を見渡せば、
何の祭りだと言いたくなるような、揃って同じマントを羽織った集団が目に入る。
その中に一人、一番の年長者であろう人物に一人の少女が何やら抗議の声をあげている。
先ほど聞こえてきた声は彼女のものであろうと考えつつ、恭也はここが何処なのか改めて意識を向ける。
見たこともない景色。芝生のように綺麗に切りそろえられた青草が広がり、向こうには大きな壁が見える。
そこまで確認した所で、先ほどの少女が目の前に立つ。
少女は不満そうな顔のまま何事かを呟き、恭也へと顔を近づけてくる。
反射的に身体を起こしてその場から飛び退く恭也に、少女は怒ったように、いや実際に怒り出す。

「何で避けるのよ! 平民のくせに生意気よ」

「何をされるのかも分からず、されるがままになんてなれるか」

状況が飲み込めないものの、目の前の少女が敵ではないとも言えないのだ。
死んでも構わないとは思っていても、むざむざ殺されるつもりはない。
ましてや、組織の残党とかが相手なら尚更である。龍は完全に滅ぼしたはずだが、万が一という事もある。
今まで以上に周囲を警戒し、恭也はとりあえずは目の前の少女を見据える。
急にきつくなった視線に思わず後退りそうになりつつも堪え、少女は恭也を睨み返す。
暫し無言で睨み合う二人であったが、その間にあの年配の男が割って入ってくる。

「とりあえず、事情を説明させてもらえないかな」

そう言って男はコルベールと名乗り、恭也へと話し始める。
ここがトリステイン魔法学院である事、恭也が目の前の少女、ルイズにより使い魔召喚の儀式で呼び出されたこと。
さっきのは危害を加えるものではなく、主従の儀式だと。

「分かった? 分かったら大人しく顔を出しなさい。
 貴族にこんな事をされるんだから、感謝しなさいよ」

言って恭也へと顔を近づけるも、ルイズの顔は恭也の掌によって遮られる。

「魔法や貴族なんてのは正直、知らん。
 どうやら、また可笑しな事に巻き込まれてしまったみたいだが、この際、それだってどうでも良い。
 だが、何故俺がお前の使い魔なんかにならないといけない。悪いが他をあたってくれ」

悪いと思っていない口調でそう告げると、恭也はルイズに背を向ける。
状況が全く分からないが、話を聞く限りに考えられる事は二つ。
一つは自分が知らない事がまだ世界にはたくさんあり、
偶々あの鏡のような物でこの地に強制的に連れて来られてしまった。
そしてもう一つはあまり信じたくはないのだが、美由希との話の中や偶に読んでいた本の中に幾つかあったのを思い出す。
つまり、異世界。どちらにせよ、帰る手段を探さなければならないし、ないのならないで構わない。
待つ人も、守るべきものも、とうの昔に無くした身である。
もしの垂れ死ぬ事が可能なら、それもまた一興と。
だが、そんな恭也の前に回りこんでルイズは手を腰に当てて偉そうに胸を張る。

「私だって嫌なのよ!」

「だったら、やらなければ良いだろう」

「しょうがないじゃない! アンタが召喚されたんだから!
 やり直しは駄目なんだもの! だから、大人しく私の使い魔になりなさいよね!」

「随分な言いようだな。来たくて来た訳ではないというのに。
 お前の都合など知らん」

少し億劫そうに、いや、実際にかなり億劫に恭也はそう告げる。
長いこと人と会話していない恭也にとって、人とのスキンシップは半ば忘れかけていたものである。
元々復讐のみを誓い、それらを求めずに何十年も一人で過ごしてきたのだ。
逆に煩わしいとさえ感じる部分もある。
それが声にも出たのか、面倒くさそうに告げた恭也にルイズは更に顔を真っ赤にさせる。
周囲を囲む同年代の少年や少女たちから上がる嘲笑もそれに輪を掛ける形となり、
ルイズは手に持っていた棒を頭上に掲げ、何事か――恐らくは呪文であろう――を呟く。
慌てた様子でコルベールが静止の声を上げるが、ルイズは聞こえていないのか呪文を唱えるのを止めない。
言う事を聞かなければ力尽くという態度に若干腹を立てつつ、
恭也はルイズの呪文を待ってやる義務もなく、攻撃しようとする以上は敵だと判断を下して動き出す。
あっという間に距離を詰めると、ルイズを蹴り飛ばす。
軽く数メートル地面を滑り、ルイズは激しく咳き込むと怒りに燃える目で恭也を睨み付ける。

「あ、あんたねー。へ、平民のくせに貴族を足蹴にするなんて教育が必要ね」

「何を言っている。お前は俺を攻撃しようとしたのだろう。
 なら、反撃される事はちゃんと考えていたはずだ。
 まさか、自分は攻撃するけれど、攻撃されないなんて考えてはいまい」

「〜〜っ! 平民のくせに偉そうに!
 まずはその口から治してあげないといけないみたいね」

言って杖を再び構えるルイズであったが、今度は何か口にするよりも早く頬をパーで叩かれる。
遅れてやってきた痛みと熱に、ようやく叩かれたのだと理解したときには杖は手から弾き飛ばされ、
そのまま杖を握っていた手を後ろに捻り上げられて地面へと押し倒されていた。
更に背中に恭也の膝が乗せられ、完全に動きを封じられる。

「さて、どうする?」

「は、離しなさいよ、この馬鹿!」

「この状況でまだそんな事を言えるとは、中々大したものだな」

呆れ九割、感心一割といった感じで呟く恭也であったが、その瞳は別段興味を抱いたという事はなく、
ただ敵だと判断した者を取り押さえたというものでしかなかった。

「あ、アンタなんか杖があれば……」

「その杖は今、どこにある? ない物を強請っても仕方ないぞ。
 それに、最初に対峙した時は、その杖とやらを持っていたのではないのか?
 で、どうなった? まだ現状が分かっていないようだが、お前をどうするのかは俺次第だと忘れない方が良いぞ」

「あ、アンタ、まさか、このまま私をて、ててて手篭めにするんじゃないでしょうね!」

顔を赤くして叫ぶルイズを見下ろしながら、恭也は無表情で告げる。

「そうしたら大人しくなるのなら、手段は選ばないな。
 特に興味がある訳ではないが」

本当に興味なく、どうでも良くてただの手段の一つだという口調で告げる恭也にルイズは更に怒りを募らせる。
だが、先ほどのように叫んだりはせず、大人しく口を噤む。
と、流石に見かねたのかコルベールが注意するように恭也に進言してくるが、恭也はそれを一瞥するだけ。

「先に仕掛けてきたのはこいつだ。俺はただ自分の身を守っただけでな。
 それで何が問題でもあるのか」

「確かにその事に関してはミス・ヴァリエールに非があるでしょう。
 ですが、やり過ぎでは」

「どんな攻撃をされるかもしれないのに、これがやり過ぎだと?
 武器を取り上げ、攻撃できないように拘束しただけだが」

「……そうですね。その点に関しては論じても意味ないでしょう。
 とりあえず、彼女を解放してもらえますか」

コルベールの言葉に恭也は少し考えた後、ルイズから離れる。
だが、その杖だけは返さずに自らの手に握る。
文句を言いかけるルイズを抑え、コルベールは再び恭也へと話し掛ける。
つまりは始めと同じ内容で、ルイズの使い魔になってくれというものであったが。

「断る」

「こっちだてお断りよ!」

「ミス・ヴァリエール。それでは貴女は試験に失敗という事になって留年する事になりますよ」

「うっ、で、ですが!」

「そういう事情もあるので、何とかお願いできませんか」

「それはそっちの事情だ。そんなものは知らない。
 それにさっき聞いた使い魔というものに関する説明では、主人が絶対なんだろう。
 それこそ御免こうむる。俺が本当に守るべきものは既にない」

最後は小さな呟きで、誰の耳にも届かなかったが、
断りの言葉だけははっきりと耳に聞こえルイズはまたしても恭也を睨む。
その視線を気にも止めず、恭也は今度こそ立ち去ろうとする。
それを止めたのはまたしてもコルベールであった。

「魔法学院や貴族というのを知らなかったという事は、恐らくは東方の地出身では?
 だとすれば、帰る方法はありませんよ。東方へはエルフの森があって」

「別に帰らずとも適当に放浪するだけだ」

「でしたら、こうしませんか。とりあえず、あなたとミス・ヴァリエールは仮契約という事で。
 勿論、そのような魔法はありませんから、あくまでも形としてはです。
 その間、あなたには寝所も食事も用意しましょう。
 ただあなたにはその間、ミス・ヴァリエールの傍に居てもらいます。
 その上で、彼女の人となりをしっかりと見極めてもらい、契約しても良いと思ったら契約するというのは」

「そんな!」

使い魔の方が主人を決めると取れるコルベールの提案にルイズから非難の声が上がりかけるが、
恭也が本当に出て行ってしまっては留年になると言葉を飲み込むのであった。



「……で、俺はどこで寝れば良いんだ。見たところ、ベッドは一つしかないみたいだが」

「そこよ」

言ってルイズが指したのは、申し訳程度に詰まれた藁であった。

「はぁ、まあ別に構わないがな。寧ろ、まだ上等な方だ」

そう呟きつつ恭也は藁の上に寝転がる。
その目の前に服が放り投げられる。
投げた本人へと視線を転じれば、着替えをしているルイズの姿があった。

「それ洗濯しておいてよ」

「何故、俺がしないといけない?」

「アンタ、使い魔でしょう」

「まだなった覚えはないし、仮になったとしても洗濯をする気はない。
 それとも使い魔と召し使いは同じなのか。どちらにせよ、今の俺には関係ないことだがな」

言って拾った服をルイズに投げ返す。
それを受け取りながら、ルイズは怒りの篭もった眼差しを恭也に向ける。
だが、それを軽く受け流して恭也はさっさと背中を向けると目を閉じる。
その態度が更にルイズの怒りに火を注いでいるのだが、それこそ恭也にはどうでも良い事であった。



darkness servant







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