『ごちゃまぜ7』






僅かな頭痛に顔を顰め、恭也はぼんやりとした意識をゆっくりと浮上させる。
目を開けてまず目に入ったのは天井の模様。
だが、よく知る自分の部屋のものとは少し違っており、まだぼんやりとする頭で何があったのかを考える。
しかし、記憶に思いだせるのはいつものように眠ったという事だけ。
いつもと変わった事といえば、今日から夏休みだという事だろうが、それはこの際関係ないだろう。
と、そこまで考え、自分が寝ているのがベッドの上だと気付き、ようやく周囲を見渡す。
天井の模様が少し違う理由もすぐに納得がいくというものだ。
何せ、恭也が眠っていた場所は恭也の部屋ですらなかったのだから。
そうなると、ようやく引いた頭痛も誰かに殴られたものかと疑いたくなる。
だが、それを否定するかのように頭痛の方は既に収まりつつある。
事態が全く飲み込めないでいるものの、恭也は部屋の外に誰かが立つ気配を感じ取る。
恭也が何をするでもなく、扉が開けられてメイド服に身を包んだ女性が入室してくる。
起きている恭也に気付き、小さく頭を下げてくるのに同じく頭を下げて返せば、

「もう目が覚められたのですね。お嬢様がお待ちになっておりますので、こちらへ」

恭也の返答を聞くでもなく、メイドは再び部屋を出て行く。
流石に訳が分からないという顔を見せる恭也を一顧だにせず、メイドは廊下で扉を開けたまま立ち尽くす。
つまりは黙って付いて来いという事なのだろうと理解し、恭也は大人しく従う事にする。
どうやら武装の方は全て取り上げられているらしく、完全な丸腰となっている事に気付く。
誘拐でもされたのかと思うが、それにしては武器は取られはしたものの手足は自由で、
前を歩くメイドも特に恭也の方を注意している様子もない。
とは言え、それはそう見えるだけで、事実、すぐにでも逃げ出そうとすればそれを察するだろう事は、
後ろを付いて行きながらも理解した。状況が分からない以上、大人しくしている方が良いかと判断し、
改めて恭也は周囲へと視線を向ける。
一言で言うのなら豪邸と称して良いだろう。
長い廊下には時折、高価そうな壷や置物が見られる。
だが、決して調和を崩す事無く自然と配置されたそれらから、この屋敷を管理する者が成金趣味ではないと思わせる。
そんな事を考えている間に目的の場所へと到着したのか、メイドは足を止めると部屋の中へと声を掛ける。
入室の許可を得て、メイドは部屋の主に再度断りの言葉を告げるとゆっくりと扉を開け、恭也に入室を促す。
促されるままに部屋へと入り、これまた豪邸に相応しい広い部屋に驚く。
が、それよりももっと驚いたのは、その部屋の主である。
学園でも有名なお嬢様にして、風紀委員長。
恭也をもってしても超が付くほどの堅物と言わしめる人物、龍凰院麟音(りゅうおういんりんね)の姿があった。

「やっと目を覚ましたか、高町恭也」

「ええ。それで、どうして龍凰院さんがここに? いえ、ここが龍凰院さんの家だというのは分かっていますが……」

「色々と聞きたいことがあるのは分かっている。
 けれど、その前にこちらの質問に答えてくれ」

言って麟音が尋ねてきた言葉に、恭也は思わず尋ね返してしまう。

「どういう事ですか」

「だから、今日は何日か分かるかと聞いているんだ」

「分かるも何も、昨日が終業式でしたから……」

「やはり、高町恭也の記憶でもそうなのか」

最後まで聞くまでもなく、恭也の言葉に麟音は少しだけ残念そうな顔を見せるも、
すぐに凛とした表情で恭也の前に新聞を差し出す。
それを受け取り、何となしに記事へと目を落とす恭也へ、重々しい雰囲気で語り掛ける。

「記事はあとにして、とりあえず日付を見てくれ」

言われて日付の欄へと目を移せば、そこには八という文字が飛び込んでくる。

「……えっと、確か夏休みは今日からだったと記憶しているんですが。
 何故、あと一週間しかないんでしょう」

何かの冗談ですかと新聞を返しつつ言う恭也に、麟音はその方が良かったと呟き、重々しい表情で口を開く。

「どうやら私と高町恭也、いや、それだけじゃなくあの日、
 あの別荘にいた者全員がこの夏の記憶を失っているらしい」

「……はい?」

よく分からなかったのか、信じられないのか、恭也は麟音が語った集団記憶喪失という言葉に思わず変な声を上げる。
だが、それが事実だと言わんばかりにそれまで黙って控えていたメイドが医師の診断書を見せてくる。
はっきり言って、そんな物を見せられたところでよく分からないのい変わりはないのだが、
続いて見せられた別荘跡の光景には言葉を無くす。
まさに跡と呼ぶに相応しい、瓦礫の山。個人所有の島とあって、周辺への被害がないのが幸いか。
ともかく、そこに建っていたはずの広大な屋敷は跡形もなくなっていた。

「ちょっと待ってください。記憶をなくした者がその別荘にいた者だとして、どうして俺まで」

「……それなんだが」

恭也の言葉に麟音は顔を赤くして、少し言い辛そうに何度か口を開き、閉じすると、ようやく話し出す。

「どうやら、高町恭也もあの別荘に居たらしい。
 と言うよりも、私が調べさせた所、どうやら泊まっていたらしい」

「泊ま……いや、しかし何故」

もしかして、修行にでも出て、と考えたが目の前にいる人物は超堅物。
しかも、学園内でのカップル交際さえ認めないという程の人物なのだ。
幾ら何でも自分を泊めるとは思えない。故に当然のように浮かんだ疑問であったのだが、
それを尋ねられた麟音は先程よりも更に顔を真っ赤に染め上げ、金魚のように口をパクパクと開閉させる。
まるで酸素を求めて喘ぐように、中々言葉が出てこないが、やっと叫ぶように理由を口にする。

「わ、私たちはこの夏休みの間に出会って、互いに恋に落ちたらしい!」

「…………はぁっ!?」

思わず、本当に思わず恭也の口から変な声が飛び出るのだが、それも仕方ないかもしれない。
何せ、目の前の人物は……。加えて自分と付き合うなどという物好きがいるなどと。
恭也の素っ頓狂な声を聞き、麟音は違う事を思ったのか、

「わ、私だって嫌に決まっているだろう! なのに、自分だけみたいな声を上げるな」

「いえ、そうじゃないですよ。寧ろ、龍凰院さんのような素敵な人が何故、俺なんかと思って……」

「す、素敵!?」

恭也の言葉に更に顔を朱に染め上げる麟音と、当然だとばかりに頷くメイド。
その二人の反応に構わず、先程告げられた事柄が事実かどうか尋ねれば、

「間違いない。これも調べさせたからな。それに何より……」

言って透明な、それこそ警察などが証拠品を入れるような袋を目の前に出される。

「これは?」

「本当は見せたくはないのだが、事態が事態だからな。決して他人に言うなよ!」

そう怒鳴りながら、麟音は恭也へとそれを手渡す。
受け取った恭也が困惑していると、そこへメイドが口を挟む。

「それはお嬢様が書かれていた日記を復元したものです。
 現場から何とかサルベージし、判読できるまで復元しました。
 他のページも現在、全力を挙げて復元している所です」

「そういう事だ。そして、その日記には確かに私と高町恭也が、そ、そのこ、こここここ、恋人だって……」

言っててまた顔を赤くしてそれ以上の言葉を飲み込む。
悪いと思いつつ、見るように渡されたそれを見れば、綺麗な文字で確かにその事が書かれている。
あまりにも女の子らしい文章に思わず赤面するも、自分以上に麟音の方が恥ずかしいだろうと、
顔には出さないように努力する。

「確かにそうみたいですね。ですが、俺を含め、龍凰院さんも覚えていないんですよね」

「ああ。だから、あと一週間以内に記憶を取り戻せ。
 そして、恋なんてしてなかったと証明しろ。さもなくば死刑にする!」

「…………なんでそうなるんだ?」

当然とばかりに告げられた言葉に頷きそうになるも、慌ててその内容に不満を口にする。
だが、麟音は駄々を捏ねる子供のように両手を振り回し、

「うるさい、うるさい、うるさい! この私がやれと言っているんだから、やれ!」

「そんな滅茶苦茶な……」

恭也は本気で女難の相が出ていないかと思いながら、呆れたように肩を竦めるのだった。



こうして、夏休みの記憶を取り戻すべく、二人の努力が始まる。

「とりあえず、復元できた日記に書かれていた事を再現すれば記憶が戻るのではないかと思うんだけれど」

「他に手はないですし、まずはそうしましょか。それで、まず最初は何をすれば?」

「うむ。ど、どうやらこの日、私たちはお互いに名前で呼び合うようになったみたいだな。
 あと、お前のその敬語も止めさせたとなっている。という訳で――」

「名前、ですね。いや、名前で呼べば良いんだな」

「ああ。…………きょ、きょきょきょ、お、お前から言え」

「ああ、分かった。麟……龍凰院麟音さん」

「何故、フルネームで呼ぶんだ! 名前だけだ」

「あ、ああ。…………麟音……さん」

「さ、さんを付けるな」

「くっ、お、思ったよりも難しいな」

「そうかもしれん。だが、記憶のためだ、頑張れ。お前の次は私の番なんだからな」

「ああ。ふぅぅ、よし、いくぞ!
 麟音……」

「〜〜っ!」

こんな感じで恭也と麟音の記憶を取り戻す一週間が始まる。
果たして、記憶は無事に戻るのか。そして、二人の関係は。

朴念仁・高町恭也と女帝・龍凰院麟音の恋



   §§



「目覚めなさい、私の可愛い……って、いないじゃないの!」

ベッドの傍に立ち、息子を起こそうと手を伸ばすも、
膨らんでいた布団は誰もいないと主張するかのようにペタンと潰れる。
つまり、誰もベッドでは寝ていないという事である。
息子を起こしに来て思わず叫んでしまった桃子は誤魔化すように咳払いを一つすると、
徐に屈みこむとベッドの下を覗く。
が、やはりそこには誰もいない。

「あら、てっきり万が一に備えて、とか言ってここで寝ているかと思ったんだけれど」

そう呟いた桃子の背後、つまりは部屋の扉が開いて探し人である息子、恭也が部屋に戻ってくる。

「…………」

ベッドの下を覗き込んでいた桃子はゆっくりと振り返り、無言のまま見下ろしてくる恭也に愛想笑いを見せる。

「あははは。お、おはよう恭也。えっと、どこに行ってたのかな?」

「いつもの鍛錬だ。それよりも人の部屋で何をしているんだ?」

「あ、あははは。そう鍛錬なの。って、あんたこんな日にまで鍛錬?」

「そうだ。で、最初の質問に答えていないが?」

「起こしに来たのよ。なのに、アンタが居ないからベッドの下で寝ているんじゃないかと」

「中々面白い発想だな」

呆れ混じりに呟くと、恭也は今日に限って起こしに来た桃子の意図を探ろうと桃子を見つめる。
そんな様子に桃子もまた呆れたような声で返す。

「まさかとは思うけれど、今日が何の日か忘れてないわよね」

「当たり前だ。今日は王様に会いに行き、冒険に出る許可をもらう日だろう」

「覚えているんだったら良いわ。
 全然緊張もしていないし、いつもと変わらないから、忘れているのかと思ったわ」

皮肉るような言葉に対しても恭也はただ無言のままであった。
そんな本当にいつもと変わらない様子に苦笑を零し、桃子は優しく恭也の髪を手櫛で梳く。

「早いものね。あの人、勇者と言われた士郎さんが行方不明になってからもう……。
 って、朝から湿っぽい話はなしね。今日は恭也が勇者として士郎さんの後を継いで旅立つ日だもんね。
 ほら、早く支度してお城に行きなさい」

「ああ」

桃子の言葉に短く返事をすると、恭也は支度を整えるのだった。



魔王バラモス。それを倒すために勇者士郎が旅立ち、そのまま生死不明となって数年。
その後を継ぐべく恭也もまた今日旅立たんとしていた。

「とは言え、まずはFOLXの酒場に行って仲間を集めるんだったな。
 しかし、魔王と本気で戦おうというのなら、何故全ての国が協力して軍隊を派遣しないのだろうな」

「恭ちゃん、それは言ってはいけないんだよ」

「おお、遊び人の美由希か」

「戦士だよ! 酷いよ、恭ちゃん。今日旅立つって言うから、こうして準備して待ってたのに。
 バラモスを倒す旅だなんて、普通の人や冒険者なら尻込みする中、
 こうして一緒に行ってあげようとしている可愛い妹に対して、お礼よりも先にそれなの?」

何気に恭也の隣を歩きつつ美由希は自分の荷物を見せる。

「可愛い妹云々は別として、お前に関しては初めから拒否権などないし、選択の余地など与えていない。
 問答無用で嫌がっても連れて行く」

「うぅぅ、酷い言い草。って、逆に考えればそれだけ私を傍に置いておきたいという……」

淡い期待を込めて恭也を見るも、鼻で笑って返された上に、

「良い修行になると思え。あと、いざとなった時の囮や盾として頑張れよ」

「う、うぅぅ、やっぱり……。どっかの湖に恭ちゃんを落として、優しい恭ちゃんと交換したいです」

「馬鹿な事を言ってないで、さっさと行くぞ」

ぼやく美由希を軽く小突き、恭也は酒場へと向かうのだった。



「あ、恭也〜、こっちこっち」

恭也が店に入るなり、既にテーブルに着いていた忍が声を掛けてくる。
店中の視線が飛んでくるが、入って来たのが恭也で声を掛けたのが忍だと分かるとすぐに視線は外れる。

「仲間を探しに来たんでしょう。でも、そんな面倒な事しなくても、この忍ちゃんが一緒に行ってあげるわよ」

「忍、危険な旅だと理解しているのか?」

「勿論、しているわよ。だから、一緒に行くんだもの。
 良いでしょう?」

おねだりする様にしなだれかかってくる忍であったが、その目は本気であり、恭也も仕方ないと了解する。

「ありがとう。それで、ちょっと悪いんだけれど途中でちょっととある町に寄って欲しいのよ。
 ちょっと前にさくらから連絡があってね、ノエルにトラブルがあったみたいなの。
 で、その町から動けなくなっちゃったらしくてね」

「それぐらいなら構わないが。とりあえず、その町と言うのは?」

「近くに行ったら教えるわ。さて、それじゃあ早速行きましょうか」

「はい!」

言って忍の声に答えたのは、恭也や美由希ではなく、

「……あー、なのは? まさかとは思うが……」

「うん、なのはも一緒に行きます」

「却下」

即座に一言の元に切って捨てる恭也。
態度や声から絶対に許さないと言うオーラさえ滲み出している。
そんな恭也の態度に隅の方で美由希がいじけるのも無視し、恭也は言い聞かせるようになのはに言う。
だが、なのはも負けじと睨み返し、

「もし一緒に連れて行ってくれないなら、もうお兄ちゃんとは口をきかないもん」

「あのな……。遊びじゃないんだ。本当に危険なんだぞ」

「……」

恭也が何を言ってもなのはは一言も返さず、それどころか顔さえもそむける始末。
困ったように忍へと助けを求めるのだが、

「諦めた方が良いんじゃない?
 このままだと、残していっても後から一人で付いてくるわよ。
 だったら、初めから連れて行った方がまだましでしょう」

その言葉を認めるように頷くなのはを見て、恭也は渋々と、本当に渋々となのはの同行を認める。

「そうそう、教会で那美も待っているわよ。やっぱり長い旅に回復役は必要でしょう」

「分かった。なら、早速だが向かうとしよう」

改めてなのはに危なくなったら逃げるように言い聞かせ、恭也は教会へと向かうのだった。



「でもさ恭ちゃん。前衛が私と恭ちゃんの二人って辛くない?」

「……何となるだろう。いざとなれば、お前を囮にして逃げれば……」

「って、あれ冗談じゃなかったの!?」

真顔の恭也に突っ込む美由希の言葉を否定も肯定もせず、恭也はただ黙々と足を動かす。
項垂れる美由希を那美が慰め、忍が安心させるように笑いながら口を挟む。

「大丈夫だって、美由希ちゃん。私もいざとなれば前に出るし、普段は後ろから援護攻撃するからさ」

言って弓らしきものを見せる。
ただし、普通の弓とはかなり形が変わっており、弓の側面にL字型の台が取り付けられ、
その一方は手で握れるように改造されている。
それを手で持つと、弓は横にされたような形となる。

「ふっふっふ。これはね、こうやって矢をセットして弦を引いた後、この取っ手にある引き金を引くと……」

忍が説明しながら引き金を引くと、弦が元に戻りセットされていた矢が射出される。

「この機工師忍ちゃんの発明品を見た? 凄いでしょう」

「は、はぁ。えっと頼りにしてます」

「任せなさい!」

美由希の言葉に胸を叩いて力強く返す忍。恭也は特に何も言わず、ただなのはに大丈夫かと声を掛けていた。
まだまだ平和な風景であった。



「えっと……メラ」

「嘘っ! なのはちゃん、一回見ただけでメラを使えるようになっちゃった!?」

「それは凄いことなのか、忍?」

「凄い事ですよ! と言うか、私なんて初級の回復魔法を覚えるだけでもとっても苦労したのに……」

「ああ、那美さん、落ち込まないでください!」

冒険途中で魔法を覚えるなのは。



「特別な鍵? ああ、これぐらいならマイツールで……こうして、こうして。
 はい、開いたわよ恭也」

「いやいや、それは人としてどうなんだ?」

「あ、あははは。でも、鍵を手に入れて同じ事をするんだから、敢えて触れないでおこうよ恭ちゃん」

様々な技術を用いて困難を乗り越えていくパーティー。



「よし、闘技場で美由希を戦わせて美由希に賭けよう」

「って、私とうとうモンスター扱い!?」

「頑張れ、美由希」

「って、本気なの!?」

危うくモンスターとして闘技場に売り飛ばされそうになったり。



「金の冠探しなんて面倒よね〜。一層の事、詳しい形を聞いて作った方が早くない?」

「材料の金を買う金なんてないぞ、忍」

「あー、やっぱり取り戻すのが一番楽なのか〜。
 もしくは、無視しちゃうとか。別に勇者として認められなくても良いよね?」

「と、とりあえず困っているみたいですし、そういう人を見捨てるのも心苦しいじゃないですか」

「那美は良い子だね〜」

面倒くさいという理由で困っている人を無視しようとしたり。



「このバカオサルがっ! 何度同じ所で落ちとんねん!」

「だから、悪かったって言っただろうが! 大体、お前がノロノロと歩いているのが悪いんだろうが!」

「なんやと! うちは罠を回避するために慎重に歩いているだけや!」

「慎重過ぎるんだよ、おめぇは! 罠があるんなら罠ごとぶち破れば良いだろうが!」

「この力ばかが!」

「どうやら、喧嘩に白熱するあまり、俺たちに気付いていないようだな」

懐かしい顔ぶれとの再会があったり。



「その昔、勇者士郎様が村を訪れて、困っているわしらを助けてくれたんじゃ」

「そんな事があったんですか」

「しかし、士郎様の息子さんか。うん、よく似ておる。
 とは言え、金銭感覚はしっかりとしているようじゃがな。
 よく路銀が尽きたと言ってはわしらの所に来ておったよ、士郎様は。勿論、わしらは大歓迎じゃったがな」

「父さん、あなたは何をやっているんですか!」

意外な所で過去の父の軌跡に触れたり。



数々の困難を乗り越え、恭也たち一行はバラモスの待つ城を目指す!
ドラハV



   §§



目も眩むような光に包み込まれ、気が付けば何故か空に居た。
比喩でもなんでもなく、正真正銘空である。
何故なら、今まさに重力に従って真っ直ぐに地面に向かって落下中だからである。
いついかなる時も冷静に状況を把握すること。
これは剣を握ってから散々に言われ続けてきた事である。
だが、いくら冷静に分析しようとも自分は今、空に居て落下しているという事実以外に良いようはない。
つまり、あと数分の命という奴である。
こんな時にまで忠実に冷静に判断してしまう自分に嫌気を覚えつつ……、

「って、冷静に分析なんて出来る訳ないじゃない! そもそも分析する以前にもう事実だよ、恭ちゃん!」

状況を把握した所で師へと文句の言葉を投げる。
死んだら枕元に絶対に立ってやるという決意と共に。
だが、その決意もすぐに消え去る。

「ああ、嘘、ごめん恭ちゃん。お願いだから、霊力は、霊力はや〜め〜て〜。
 と言うか、何で恭ちゃんが霊力を使えるの!」

あまりの事態からか、変な想像をしたままどうやら脳内での物語は進んでいるらしい。
そんな美由希へと掛けられる遠慮がちな声。

「えっと……、よろしいでしょうか」

眼鏡をかけたおっとりとした雰囲気の少女の声に、美由希は我に返ると今までの行動を誤魔化すように笑う。

「はい、何でしょうか」

改めて見れば、美由希と同様に落下しているのは美由希を含めて四人。
美由希の方だけでなく、向こうもこちらの顔を知っているかのような反応。
それもそのはずで、三人とは先程偶然にも顔を合わせた仲である。
いや、仲という程でもない。偶然、今日東京タワーへと訪れた四校の生徒たちで、偶々目が合ったという程度。
同時に変な声がして、気が付けばこうしてお空の旅という訳である。

「貴女も声を聞いたんですね」

「声? ええ、確かに聞きましたけれど……」

「ちょっと、今はそれ所じゃないでしょう!
 このままだと私たち数分後にはこの世にさよならよ!」

声を掛けてきた少女と話をしていると、美由希の丁度正面にいたロングヘアーの少女が叫ぶ。
その意見には美由希もまた同感ではあるのだが、

「とは言われましても、現状では何も出来ないですし」

「だからって――ぷわっ!」

喋っている間に大きな雲に突っ込み、少女の言葉が途切れる。
そして、雲を突き抜けるなり、今まで黙っていた残る一人が大きな叫び声をあげる。

「ああー! あれ、あれ見てよ!」

美由希同様、腰まである髪をみつあみにした少女の指差す先を見て、
言葉を無くす者、同じく叫ぶ者と反応は様々だが、一様に信じられないという顔を見せる。

「島が浮いている?」

あり得ない光景に呆然とする四人であったが、美由希はすぐさま下に視線を落とす。
広がる地表にはビル群は一切見当たらない。
仮に日本ではないとしても、この高度から見渡す限りにも見当たらない。
半分、冗談だよねという意味を込めて口を開けば、

「……もしかして、異世界とか言ったりして」

「つまり、私たちは不思議の国のアリスのアリスって訳?」

返ってきた答えも冗談を期待するような声であった。

「確かにその意見もあれを見る限りでは納得する所もありますが、それよりも現状をどうするかという問題の方が」

言われるまでもなく、その事は重々承知なのだが飛べるはずもなく、つまりはお手上げである。
最早これまでかと思われたその時、四人に向かって光が飛来し、
それに包まれた四人はまるで見えない力に吸い寄せられるように、その光が発せられた思しき場所へ。
そこで四人を待っていた一人の少年にも見える人物から、信じられない言葉を聞く事となる。



「拝啓、恭ちゃん。今、私は全く知らない土地で頑張ってます」

「美由希、現実逃避していないで手伝いなさいよね!」

「うぅぅ、お化けは、お化けは嫌〜」

「美由希ちゃん、どうやらお化けじゃないみたいだよ」

「そのようですね。これも魔法なのでしょうか?」

「さあ、早くこの森を抜けよう!」

「現金すぎるわよ、美由希」

海鳴を遠く離れた異世界セフィーロ。
そこで神官ザガートにより囚われの身となったエメロード姫を助ける旅が始まる。



「うぅぅ、皆魔法を使えるのに私だけまだ使えない」

「その内使えるようになるわよ。それよりも、さっさと行くわよ」

「海ちゃんが冷たいよ、光ちゃん〜」

「あははは、よしよし。私、末っ子だから妹ができたみたいで嬉しいな」

「がーん、私の方が年上なのに」

「そうは見えないというより、光の妹に見られるようじゃお終いよ。
 尤も、体つきだけを見れば、間違いなく姉って感じでしょうけれど」

「海ちゃん、セクハラ発言だよ、それ」

「美由希さん、ちゃんと前を見ないとぶつかり――、遅かったですね」

「風ちゃん、次からはもう少し早く教えて……」

異世界でもあまり変わらない待遇(?)の美由希に希望はあるのか。



「地の盾! ……って、魔法が使えた! やったよ、皆。
 ふっふっふ、これで元の世界に戻れば恭ちゃんから一本取れ……、って、攻撃魔法じゃなから無理かも!
 いや、上手く使えば。って、盾をどう使えば良いんだろう。いや、魔法を見て驚いた隙に?
 うぅぅ、でも神速を使われたら……。そう考えると、光ちゃんたちと同じ魔法を使えても一本は無理かも……」

「って、美由希、ちゃんと目の前の戦いに集中しなさいよね!」

「美由希ちゃん、前、前見て!」

「美由希さんの発言に対して、どうも人外にも感じられるお兄様の事を色々と聞きたくはありますが、
 今は海さんの言うように戦いに専念してください!」

「ああ、ごめん。ついイメージトレーニングをしてしま――って、目の前に来てる!?」

着実に力を身に付け、魔法を覚えつつ目的地を目指す一行。
果たして、四人が向かう先に待つものとは。

魔法騎士レイアース・ハート



   §§



「ここならあの連中も追っては来ないだろう。来たとしても、すぐには見つからないはずだ」

「ごめんね、お兄ちゃん」

「なのはの所為じゃないんだから、気にするな」

そう言って恭也はなのはの頭を撫で、なのははなのはで嬉しそうな顔をするのだが、
その雰囲気を壊すかのように、二人のお腹が盛大な音を立てて鳴り響く。
二人して顔を見合わせ、次いで自分の腹を見下ろすと声を揃えて呟く。

「「お腹が空いた……」」



なのはが魔王となってから逃亡の日々。
既にあれから何年経ったか。
よく分からない異世界で、恭也となのはの二人はこうしてまだ無事に生き抜き、
そして、今は極東の国はJAPANへとやって来ていた。
恭也の腰に下げた日本刀から女性の声が響く。

「恭也、なのは、始めにも言いましたがこのJAPANは今、各国の大名が争う群雄割拠の時。
 魔人たちもそう簡単に私たちを見つける事はできないでしょう。
 ですが、この地には――」

「確か妖怪が居るんだったな」

「ええ、その通りです。今更言う事ではないかもしれませんが、用心に越した事はありませんよ」

魔人を倒すための武器、聖刀日光。
この日光が居ればこそ、慣れぬ異世界でも何とかやってこれたのだと思っている二人は日光の言葉に頷く。

「それにしても、腹が……」

「わたしも」

二人してまたお腹を鳴らし、山道を進んでいく。
幾つかの山を越え、ようやく開けた平原へと辿り着くと役に立たなかった地図を取り出す。

「お兄ちゃん、あれ!」

現在地を確認しようと取り出した地図をすぐさま仕舞い込み、恭也はなのはが指差す先を見る。

「戦、か」

「そうみたい。でも、あの女の人一人しかいないよ」

「みたいだな。とは言え、山賊が相手と言う訳でもないみたいだし、
 迂闊に肩入れすればそれだけで相手側からは仲間だと思われるし、下手をすれば助けた側からも敵視される」

「うん、そうだよね……」

恭也の言葉に納得しつつも、なのはは顔を曇らせる。
その表情を見て恭也は小さく嘆息すると、既に恭也が下すであろう決断を予想していた日光が語りかける。

「恭也、一撃入れたらすぐにあの人を抱えて逃げましょう。
 上手くすれば顔を見られる事もないでしょうし、もしかしたらご飯ぐらいは頂けるかもしれませんよ」

恭也の決断を後押しするように発言してくる日光に胸中で礼を言い、
恭也はなのはを肩に担ぐと戦場へと走り出すのだった。

「毘沙門天の加護ぞある!」

声高らかに叫ぶと、女性は刀を抜き放ち大軍へと突っ込んでいく。
まるで舞でもしているかのように足運びは美しく、一撃を繰り出すたびに速度をあげていく。
鋭く早く、そして重い太刀筋に恭也は感嘆の声を漏らす。

(美由希以上、それどころか日光を手に入れる前の俺よりも強い)

それでも多勢に無勢だろうと女性の下へと向かう足を止める事無く進むのだが、

「……ひょっとして助けはいらないんじゃないか」

思わずそう零してしまうほどに女性の戦いぶりは凄いものであった。
近付くにつれ、向こうの方でも恭也たちに気付いたのか、時折矢が飛んでくるが、それを日光で打ち落とす。
女性も恭也の接近に気が付いたのか、新手の敵かと構えるのだが、敵ではないと宣言して近付いてきた者を斬る。
その言葉を信じたのか、それとも別の理由からか女性は再び大群へと向かって突っ込んでいく。

「……さて、どうしたものか。強引にでも連れ戻すか」

元々恭也たちの予定では女性を連れてこの場から離脱するつもりだったのだ。
だと言うのに、女性は更に本陣へと向かって行く。
思わず途方に暮れる恭也であったが、ここは戦場。
流れ矢とも言うべきものが肩に乗ったなのはへと飛ぶ。
それを打ち払い、仕方ないと女性の後を追って本陣へと攻め入るのだった。
それから数分後、撤退していく敵陣を見送りながら、恭也は日光を鞘に納める。

「どうやら本当に手助けはいらなかったみたいだな」

「いや、そんな事はない。ありがとう。私の名は上杉謙信と言う」

その名に驚きの声を上げそうになるも飲み込む。
何も元の世界の武将の名前だからと言う理由だからではない。
既にJAPANに来てから大体の情報は集めているのだ。
今更その程度では驚かない。二人が驚いた理由はその名前などではなく、その名を持つものの立場を知っているから。
故に驚く二人であったが、とりあえずはそれを隠して二人も名乗る。
改めて謙信と向き合い、恭也は何処にあれ程の力があるのか不思議そうに見詰める。
一方の謙信は恭也の顔をじっと見たまま、まるで動くという行動を忘れたかのように瞬きさえもせずに見詰める。
次いで顔を真っ赤にして、俯くともじもじと落ち着きを無くす。
本人も理由が分かっていないのか、不思議そうに自分の身に起こった現象に悩み出す。
恭也の方も急に俯いた謙信を心配して声を掛けるも、曖昧な返事しか返ってこない。
そんな状況を破るかのごとく、腹の音が三人分響く。

「「「お腹空いた……」」」

期せず、三人の声が重なり誰からともなく笑い出す。
この後、軍を引き連れて遅れてやってきた軍師を名乗る直江愛に謙信が説明をし、改めて礼を言われる恭也となのは。
そこでも三人の腹が鳴り、せめてものお礼にと待望のご飯にありつける事となるのだった。
これが軍神と呼ばれる上杉謙信と、魔人から逃亡を続ける恭也、なのはとの出会いであった。
そして、それは同時に恭也となのはがこのJAPANにおいて巻き込まれる事となる事件の幕開けでもあった。

戦国リトルプリンセスなのは 「時は乱世、群雄割拠」



   §§



それは昔、昔のお話。
御伽噺として語られる事もなく、誰からの記憶からも忘れ去られるほどの遠い昔話。
けれども、確かに実在した物語――



その力は天を裂き、地を割り、光さえも闇に飲み込む。
ただその者が現れるだけで、空気までもが震える。
美しくも恐ろしい力を持った存在、それが魔王。

≪どうじゃ、少しは我の偉大さが分かったか≫

「とりあえず、お前がまだこの世界の常識を理解していないという事はよく分かった」

≪ぐぬぬ、家来の癖に生意気な≫

「勝手に家来にするな」

頭の中で響く異世界の自称魔王レミアから、元の世界での話を聞いた、
いや、無理矢理聞かせられた恭也はげんなりした表情を隠そうともせず、疲れの滲む声を出す。
いきなり頭の中というか、勝手に融合してくれた魔王レミアに言いたい事はそれこそ色々とあるが、
何よりもまずこの世界の常識を学べと言いたい。
このレミア、魔王と名乗るだけあってか、すぐに世界征服だの、残虐しろだのと恭也の頭でがなりたてる。
正直、鬱陶しいことこの上ない存在である。
だが、身体の主導権が恭也にある故に、すぐさま実行するような事がないのは救いだろうか。
頭で響く声もどうやらある程度は調整できるらしき、恭也の意志で端に追いやる事も出来た。
尤も、それをすると後で散々喚かれたりして余計に鬱陶しいのだが。

≪ぬぬ、やはり我が手足となる配下が必要じゃな。恭也、とりあえずは竜族を狩るぞ≫

「はぁ、何度も言わせるなレミア。ここはお前の居た世界と違――」

口を開きかけた恭也であるが、部屋に近付いてくる足音に口を噤み、続く言葉は脳内で伝える。
恭也の言葉に現状を思い出したのか、レミアからは落胆したような声が返ってくる。

≪全くもって不可思議な世界じゃな……≫

その呟きに答える事無く、恭也は部屋の前で立ち止まった気配へと声を掛ける。

「何か用か、美由希」

「あ、うん。ちょっと走ってくるけれど、恭ちゃんはどうするかなと思って」

「そうだな……」

少し考え込む恭也の脳裏に、またしてもレミアの嘲笑が響く。
それに若干顔を顰める恭也だが、それにも構わずレミアはひとしきり笑うと嘲るような口調で言い捨てる。

≪今更、お主が鍛錬のために走った所で何がどうなる。
 既にその身は人ならざるものと変じておるのじゃぞ? その程度の鍛錬など意味あるまい。
 そうじゃ、強くなりたいのなら実戦が一番じゃ。我自らが力の使い方を教えてやろうではないか。
 と言うわけで、近くの城へと攻め込め≫

≪だから何度も言わせるなよ、レミア。
 俺は世界を征服しようなんて考えていないし、お前の世界と色々と違うんだ≫

≪そうであったな。じゃが、城はなくとも国に喧嘩は売れるじゃろう。
 いきなり一国を相手にするのがあれなら、そうじゃな最初は力に慣れるためにも、
 お主の言っておった騎士団みたいな国を守る部隊に喧嘩を売ろう。少々不満だが、それで我慢してやろう≫

最早、こいつには何を言っても無駄だと悟り、恭也は無言で立ち上がると部屋の扉を開く。
恭也の返事を待っていた美由希は突然開いた扉に少しだけ驚きつつ、
恭也も一緒に行くという返事に頷くと先に外で待っていると残して去って行く。
その背中を見送り、恭也は一旦自室へと戻るとトレーニングウェアに着替える。
その間も頭の中では、無視するな、とか、下僕のくせにといういつもの言葉が響くのだが、それらも無視する。

≪分かった。なら、お主の妹を我が配下にしてやろう。
 これならお主も文句あるまい。まあ、戦力としては少々物足りないが、なにそこは鍛え方次第じゃ。
 場合によっては我の秘術で人の身を捨てさせれば良いしな。これでどうじゃ?≫

≪最初に言ったはずだぞ。俺の家族や友人に手を出すなと≫

≪だから、我が配下にしてやると言っておるではないか。
 何が不満なんじゃ≫

≪とりあえず、お前はもっとこの世界の常識を知れ≫

≪貴様、我に命令するか! 下僕のくせに生意気な!≫

≪あー、はいはい。魔王様、この下僕めは忙しい故に少しお静かにお願います≫

言うなりレミアの意識を片隅に追いやる。
なにやら文句を並び立てているようではあったが、既に端に追いやったために殆ど聞こえない。
ようやく恭也はすっきりした顔をして部屋を出るのだった。



その日の夜、頭の中で反響する声に眠りを邪魔され顔を顰める。
最初は気のせいかと思っていたのだが、意識しだすと途端に現実めいた肉声を持って頭の中で暴れ回る。
流石に我慢できなくなり身体を起こす美由希。

「うぅ、一体なに?」

≪おお、やっと身体が動かせたわ。なら、早く魔王さまを探しに行かないと≫

「……うん、今日は疲れているからね。きっと幻聴だよ」

言って夢だと再び布団へともぐりこもうとするのだが、そこに戸惑ったような、驚いたような声が響く。

≪な、違うわよ。私は起きようとしたのに……。
 って、どうして思うように動かないのよ!≫

「……あ、あのー、お、お化けとかじゃないよね」

頭の中で響く声はすれど姿も気配も見えない相手に美由希は半分涙目になりながらも訪ねる。
同時に枕元にあった携帯電話を手に取り、那美のアドレスを呼び出す。
一瞬、夜中に迷惑かなと思い、指は最後のボタンを押さずに止まる。

≪もしかして、貴女、意識があるの? ちょっとどういう事よ、これ。
 まさか、復活を予兆して予め何らかの魔術でも施していたというの!?≫

「う、うぅぅ、やっぱり声がするよ。お、お化けは嫌……」

最早悩んでいる暇などなく、美由希の指は躊躇う事無く那美へと。
そこへ部屋をノックする音がする。
心臓が飛び出るぐらいに驚き、文字通りベッドの上で飛び跳ねる美由希。
だが、続いて部屋の外から聞こえた恭也の声に安堵し、同時に部屋に入ってきてくれるように頼み込む。
先程の驚きで少し腰が抜けて、力がろくに入らないのだ。
呆れられるか怒られるか、そんな考えよりもやはりお化けに対する恐怖の方が大きかった。
一方の恭也も美由希のいつにない声音にすぐさま部屋に入る。
見れば、美由希は怖い夢でも見たかのように目の端に涙を浮かべて縋るように恭也を見てくる。
まるで小さい頃を彷彿させる様子に思わず苦笑を浮かぶも、美由希の傍に近付く。
恭也が傍に来るなり、美由希は恭也の腕を掴み、

「きょ、恭ちゃん、おば、お化けが。わ、私の傍にいるの。
 今日は恭ちゃんの部屋で寝て良い? と言うか、お願いだからそうさせて!
 あ、あと一緒に寝てくれるともっと嬉しいんだけれど。うぅぅ、また声が聞こえてくる」

最後の方は涙声にまでなりながら一気に言ってくる美由希を見詰めながら、
恭也はここに来る事となった原因であるレミアへと質問を投げる。

≪で、どうなんだ。人の睡眠を邪魔してまで俺にここに来るように言ったのはお前だぞ≫

≪少し待て。…………ふむ、やはりな。こやつの中には間違いなく我の腹心、シルフィアが存在しておる。
 しかし、どうやらシルフィアの奴も我と同じ状況のようじゃな≫

レミアの言葉に溜め息を吐くも、それは美由希が自分に対してだと受け取る。
いつもならそこで引き下がるか、落ち込んだようにぼやくのだが、今回はいつもとは違っていた。

「うぅぅ、信じてない。本当に声が聞こえるの〜。
 今日だけ、今日だけだからお願い〜」

本気で怖がっている美由希を眺めつつ、恭也はとりあえず落ち着かせようとするのだが、
美由希は中々落ち着かず、仕方なく恭也は部屋へと連れて行く。
その間も声が聞こえるのか、美由希は後ろを振り返ったり、周囲を忙しなく見渡す。
見かねた恭也が美由希の中にいるシルフィアへと話しかける。

「シルフィアだったか? 少し黙っていてくれ。話が全く進まない」

自分の名を呼んだ恭也に驚くシルフィアであったが、何かを感じ取ったのか急に静かになる。
その事に不思議そうな顔をする美由希を連れ、自室へと戻るとそこで恭也はゆっくりと話し始めるのだった。



「えっと、つまり私の中にその何とかっていう人が……」

≪何とかじゃなくてシルフィアよ。それと、人じゃなくて魔族≫

「うぅぅ、何か可笑しな気分……」

「その内慣れる」

経験者は語る、である。
美由希は恭也の順応能力の高さに呆れつつ、シルフィアがせがむので魔王との会話の橋渡しをする。

「本当に魔王が恭ちゃんの中に居るのかって聞いているけれど」

「いるぞ。と言うか、少々面倒だな。何故、俺たちの貴重な睡眠時間を削ってまで、
 世界征服などと馬鹿げた事を言う奴らとの通訳めいた事をせねばならないのか」

喚くレミアに顔を顰め、美由希の方でも何か言われているのか若干顔を顰めている。

「ああ、もう本当に煩いな。恭ちゃん、那美さんに頼んでお払いとかしてもらえないかな」

「無理なんじゃないか。レミアが言うには融合しているみたいだからな。
 二つの液体が混ざっているようなもので、元には戻せないと言っているぞ」

美由希の問い掛けに返しつつ、恭也はいい加減やり取りに疲れ始めてきていた。
もう後は勝手にやってくれという心境で、美由希の方も同じらしくげんなりした顔をしている。

≪おお、そうじゃ。ちょっと待て≫

何かを思い出したのか、ぶつぶつとなにやら呟くレミア。
全て言い終えて、これでどうだと宣言するも特に変わった様子はない。

≪ぬぬ、ええい、お主我の言った通りに言え。それと、自身の中にある魔力を感じて……≫

レミアに言われた通りにするのに不安はあったが、現状を解決する手段と言われて試してみる。

≪ええい、違うわ! 何度言えば分かる。そこで魔力を編み上げて……!≫

「その魔力が分からないと言っているんだ!」

そんなこんなで三十分ほどが経過し、ようやくレミアの満足のいく結果へと落ち着く。

≪くっ、このような初歩的な、それも我の眷属と念話するだけという本来なら手順も何もいらない魔術ごときで……≫

「知るか。何度も言うが俺には魔術なんて言われても――」

≪魔王さま!≫

恭也の言葉を遮るように、新たな声が恭也の脳裏に響く。
対し、美由希の方にも魔王の言葉が伝わったのか驚いたような顔を見せる。
困惑する二人をよそに、魔王とその腹心であった魔族との再会が繰り広げられる。

≪目覚めてすぐに会えるなんて思ってませんでした。この喜びを何と言えば……≫

≪ああ、本当に懐かしいの。しかし、互いに自由にならぬ身とは口惜しいな≫

「……現状解決の手段と言っていたな。
 確かに通訳する必要はなくなったが、お前ら二人の声が聞こえる時点で迷惑なんだが」

「うん。何とかならないの?」

≪もう、折角の魔王さまとの再会なんだから邪魔しないでよ。貴女、そこの男に抱き付きなさい。
 本当なら魔王さまじゃないのに抱き付くなんて嫌なんだけれど我慢してあげるわ。
 一応、魔王さまの身体でもあるのだしね≫

「ふぇぇっ! い、いや、抱き付くって、そんな事を言われても……」

顔を赤くして困惑した顔を恭也へと向ける美由希。
対する恭也も困惑した顔を見せるも、美由希より幾分早く立ち直ると、

「残念ながら、身体は俺たちのものなんでな。そんな提案は却下だ」

≪良いじゃない、少しぐらい。本当に融通が利かないわね。
 ああ、こんな男の中に居るだなんて、魔王さまおいたわしや≫

≪やはり、お主は我の苦労を分かってくれるか。全くこやつと来たら……≫

「煩いぞ」

いい加減二人のやり取りにも飽きたのか、恭也はレミアを追いやる要領でシルフィアを追いやる。
すると、今まで聞こえていたはずのシルフィアの声が聞こえなくなった。

「ほう、これは便利だな」

≪お、お主あれほど魔術に梃子摺ったくせに遮断だけは何故、こうも手馴れておる!≫

「いや、俺も出来るとは思わなかった。単に邪魔だからこう糸電話の糸を切るようなイメージだったんだが」

≪……益々、お主の事が分からんわ。まあ、良い。今の我は機嫌が良い故にな。
 くっくっく、今までは散々恭也に邪魔されてきたが、それも今日までよ!
 明日からは好きにはさせぬぞ。我が腹心が復活した今、我を止めても意味など成さぬわ!≫

「美由希、始めに話したようにこいつらの目的は世界征服らしいからな。
 こいつらから言われた事をそう鵜呑みにするなよ」

「う、うん、それは分かったけれど……」

頭の中で何か言われているのか、煩そうに眉を顰める美由希。
それを見ながら、恭也は睡眠を邪魔してくれたレミアへと少しだけ仕返しをする。

「そうそう、レミア。今日までと言った以上は、今日一日は大人しくしておけよ。
 とっくに日付は変わって今日になっているんだからな。
 少なくとも今から20時間以上は静かにしていると分かれば、これほどの安心もない」

≪貴様はすぐにそうやって屁理屈を、って、人の話を聞け! おい、こら、きょ――≫

レミアをからかうだけからかって後は無視を決め込む。
その間に美由希の方もシルフィアと何やら話していたらしい。

≪そんな訳で、不本意だけれど魔王さまのお世話をする役を貴女に任せるわ。
 これもまた不本意だけれど、お世話する対象は厳密には魔王さまではないみたいだけれど……≫

だったら何もしなければ良いのにと反論しようとするのだが、

≪ああ、以前の魔王さまとは似ても似つかないお姿。まあ、少しはましなのが救いと言えば救いだけれど。
 それにしても、私の方も身体付が変わってしまっているし……。
 嘆いていても仕方ないわね。美由希だったわね。
 貴女、今日は魔王さまも慣れない身体で魔術を行使してお疲れでしょうから、床に着く様に進言しなさい。
 私も疲れたから、魔王さまが床に着いたら、魔王さまに寄り添って共に床に――≫

≪えっ! そ、それってつまり恭ちゃんと一緒に……って事?
 あ、でもでも、仕方ないよね、うん。私じゃなくて魔王とその配下としてだものね≫

驚きのあまりか、それとも恭也に聞かせられない話だからか、
いきなり口にださずにシルフィアとの会話を成功させる美由希。
その事に魔術師としての適正が美由希の方が高いのかと思い込むシルフィアであったが、
そんな事はお構いなしに美由希は恭也へと寝るように進言していたりする。

「そ、それと恭ちゃん。初日で何があるか分からないから、一緒に寝ても良い?」

そう尋ねて来る美由希に恭也は少しだけ考え、仕方ないと布団を譲ってやる。

「いや、でも、それだと恭ちゃんはどこで寝るの」

「一日ぐらいなら布団なしでも問題ないから気にするな」

「気にするよ。えっと、ほら私は端の方だけ借りるから……」

などとレミアやシルフィアそっちのけで恭也と交渉する美由希だった。



高町恭也の魔王物語2



   §§



「せんせー、晶ちゃんとレンちゃんがまた喧嘩してる」

「ああ、はいはい」

そう言って先生の足元に駆け寄って来たのは、那美であった。
それに笑顔で返し、ここ私立高町幼稚園の先生である所の槙原耕介である。
耕介は二人の傍に近付き、

「この亀、亀、鈍亀ー!」

「煩いわ、このおサル!」

ポカポカと腕を振り回して殴りあう二人の間に割って入るなり、それぞれの手で二人の襟首を掴む。

「ほら、二人共喧嘩しないで」

「だけど、先生この亀が」

「先生、このおサルが先に」

同時に耕介へと自分は悪くないと訴える二人を落ち着かせ、

「二人が喧嘩したら、他の子たちも不安になっちゃうだろう。
 だから、ほら仲直り」

半ば強制的に仲直りの握手をさせる。
流石に先生に注意され、他の園児たちの手前もあってか二人は言われるままに握手をするも、
その顔は互いを見ておらず、あさっての方向へと背けられている。
それに苦笑をしつつ、もう一度ちゃんと仲直りさせる。
それで一安心したのも束の間、耕介の元にまた一人の園児がやって来る。

「せんせ、あの……」

「どうしたんだい、望ちゃん」

内気な少女を怖がらせないように屈みこみ、優しく訪ねてやれば、望は泣きそうになりながらも教室の隅を指差す。

「あ、あの、に、仁村さんが……」

望の指す先を見れば、真雪がポケットをごそごそと弄り、そこから白い箱を取り出す。
更に、その箱をトントンと慣れた手つきで軽く叩き、箱から棒状の何かを取り出して口に咥える。

「って、真雪ちゃん、何をしているの!」

未成年が、と叫んで真雪の手からソレを取り上げる。

「んおー、何するんだよ耕介」

「先生と呼びなさい。それに、何をするもないだろう。
 こんな小さな頃からタバコなんて……」

「違うよ。それはタバコに見えるけれどチョコだよ」

言われて取り上げた物を見れば、確かにタバコのように見えるが白い包装紙を剥がせば、
それはステック状のチョコレートだった。

「ま、紛らわしい物を……」

「と言うわけで、返して」

「ああ……って、勝手にお菓子を持って来るのも駄目でしょうが」

思わず返しそうになるも箱ごと取り上げる。
文句を言う真雪を宥めていると、今度は泣き声が聞こえてくる。

「うわーん、あーん」

「あーあ、真一郎が小鳥を泣かした〜!」

「ああ、ごめん小鳥。って、唯子もだろう!」

「えぇ、唯子悪くないもん」

「そんな訳ないだろう!」

「う、うえぇぇ……」

泣いている小鳥をそっちのけで喧嘩を始める二人。
それを見て更に火がついたように泣く小鳥。
耕介は慌てて三人の下に向かい、原因を聞きながら泣く小鳥を必死であやす。
その間にも耕介の足元に七瀬がやって来る。

「先生、端島くんがまた女の子のスカートを捲ってます」

「いやー、やめてー」

「えへへへ、ななかちゃん今日は白だ〜」

「えーん、やめてよー」

報告に来た七瀬に礼を言って頭を一撫ですると、耕介はまだぐずる小鳥を抱いたまま、
もう一方の腕でななかを抱き上げ、端島大輔を叱る。
反省したように謝る大輔に素直に謝るのは偉いと褒めてやり、ななかを下ろしてやると二人で仲良く遊ぶように言う。
そして何とかあやした小鳥を真一郎と唯子の元へと連れて行き、三人にも仲直りさせる。
そこへ今度は小さいながらも物騒な爆発音と煙が立ち込める。

「せんせー、また忍ちゃんが」

さくらが煙の上る辺りから耕介の下へと走って何が起こったのか言ってくる。
聞くなり耕介は煙の傍に行き、近くにいた忍をまずは安全な場所へと連れ出す。
その上で危険がないのか確認し、何も問題ないようだと胸を撫で下ろす。

「はぁ、忍ちゃん今度は何をしたんだい」

「ちょっとした実験よ。ちょっと二つの薬品を混ぜたらどうなるかを」

「お願いだからここでそんな危ない事はしないで」

「大丈夫よ、だって私はちぇんちゃいだもの」

「忍ちゃん、天才って言いたいんだろうけれど言えてないよ」

「む〜」

「はいはい、拗ねないの。とりあえず、もう禁止だからね」

「分かった」

約束をして忍を解放すると、耕介は後片付けを手早くする。
ようやく片付いて一つ息を吐いた所で園内を汚れた足で数匹の猫が走り抜けていく。
その後を元気の塊といった感じの少女、美緒が一緒に走っていく。
裸足のまま外を走り回り、そのまま室内へと飛び込んだ所為で拭いたばかりの床が美緒と猫の足跡で汚れていく。

「ああ、勝手に猫を入れたら駄目だって言っただろう美緒ちゃん。
 それと、足、足を拭いて! ああ、もう」

美緒たちの後を雑巾片手に床を拭きつつ追いかける。
ようやく捕まえた美緒にもう一度言い聞かせ、猫たちを外にやると美緒の足を拭いてから室内に入れる。
思わず零れそうになった溜め息を飲み込みながら、汚れた床を拭く耕介の耳にガラスの割れる音がする。
すぐにその音の元へと向かえば、割れたガラスの傍で大人しそうな少女が目に涙をためて耕介を見てくる。

「ご、ごめ……」

「ああ、大丈夫だから。それよりも、美由希ちゃんは怪我はない」

「うん」

「どうしてガラスが割れたのかな?」

危ないから美由希たちを割れたガラスの傍から遠ざけ、破片を集めながら美由希に尋ねるのだが、
耕介はすぐに原因らしきものを割れたガラスの中から見つける。
木で出来た細長い棒のような物で、恐らくはこれがぶつかったのだろう。

「これ美由希ちゃんのかな?」

「う、うん。ごめんなさい」

「あはは、それを投げて割れたのかな。
 今回はガラスで他に人も居なかったから良かったけれど、それが人に当たってたら危ないよ。
 だから、投げて遊ぶのならボールにしようね」

言ってガラスを片付けてボールを美由希に渡してやる。
それを受け取りながら、美由希は少しだけ不満そうな顔を見せる。

「遊びじゃないもん、たんれんだもん」

「そうか、そうか。でも、危ないからここではしないようにね」

「うん」

美由希の言葉を肯定し、その上で釘を刺しておく。
耕介の言葉に納得したのか、美由希は素直に頷くとボールを手に走り去っていく。
その背中を微笑ましく見守る耕介であったが、再び園児の悲鳴じみた声が聞こえてくる。

「せんせー、おしっこ」

「ああ、はいはい。すぐに連れて行くから、もう少し我慢してね勇吾くん」

やって来た勇吾を抱えてトイレに連れて行く。
それが済んだ耕介の下へとまた一人やって来る。

「先生、お歌、お歌」

「ああ、お歌の時間はまだだよ。今は外で遊ぼうねゆうひちゃん」

「うち歌いたい〜。先生のいけず〜」

「えっと、ああ分かったから落ち着いて」

ゆうひに玩具のマイクを渡すと、それで満足したのかゆうひは一人で歌いだす。
その後も続く園児たちの声に走り回り、流石に少し疲れたかなといった所で昼寝の時間となる。
ここでも中々寝付かない園児などもいたが、ようやく全員が大人しく眠りだす。
それを見届けて耕介は部屋を出て一休みとばかりに腰を下ろす。
この時間にするべき事は色々とあるのだが、少しだけ休憩とばかりに。
そんな耕介の手元に湯飲みがそっと差し出される。

「お疲れ様です、耕介先生」

「ああ、ありがとう恭也くん」

自分も手に湯飲みを持ち、耕介の隣に座る恭也。
礼を言う耕介にいえ、と短く返し美味しそうにお茶を啜る。

「ふぅ。今日も大変でしたね」

「いや、そんな事はないよ。子供はやっぱり元気なのが一番だからね。
 それに子供は好きだから」

「そうですか。でも、だからこそ皆も耕介先生を慕っているんでしょうね」

「そうだと嬉しいな」

恭也の言葉に本当に嬉しそうな笑顔を見せ、お茶を一口啜ると不意に真面目な顔を見せる。

「ところで恭也くん」

「はい、何でしょか」

「今はお昼寝の時間なんだけれど? どうして君は起きているのかな」

あまりにも自然な態度や雰囲気だったためにそのまま流してしまいそうになった事など微塵も出さず、
耕介は目の前で湯飲みを傾ける少年、恭也を見詰める。

「いえ、この時間にあまり寝る習慣がないもので。
 それに昼寝をすると夜に寝れませんから。ああ、僕の事は気にせずお仕事を続けてもらって構いませんので。
 僕はここで大人しくお茶を片手に日向ぼっこでもしてますから」

「いや、そう言われても……」

子供かと疑いたくなるような態度でお茶を啜る恭也を何とも言えない表情で見遣り、
耕介はさっきまでとは違う意味で溜め息を吐くのだった。



   §§



「さようなら……」

その言葉に何と返したのかはっきりと思い出せない。
ふらつく頭を振り、改めて自分の置かれた状況を見てみる。
見慣れた、けれども懐かしいと感じる自分の部屋。
そこまで周囲を見渡し、武は自分が記憶を持っている事に驚く。

「何で覚えているんだ……」

呆然となるもすぐに行動を開始する。
この時間になっても純夏がやって来ない事を考えると、もしかしてという思いが強く浮き上がる。
逸る気持ちを押さえ、制服に着替えると部屋を飛び出す。
外を飛び出した武は幼馴染である純夏の家を見て、そこに倒れこむ人型兵器を見上げる。

「戦術機……。という事は、やっぱり三回目なのか」

信じられないという思いで呟かれた言葉であったが、すぐに武は拳を握り締める。
原因は分からないが、自分は再びループしたのではないかと。
だとするなら、今度こそ誰も犠牲を出す事無く。
その決意を胸に秘め、武は現状を把握すべく元の世界では毎日通っていた学校、
恐らくこの世界では極東の基地へと向かうのだった。

前回、前々回の記憶と経験を活かし、武は夕呼の助けとなるべく動き出す。

「あまり早くに未来を知ると、それこそどうなるか分かりませんから」

「ふーん、それも前回で私が言っていたのかしら」



未来の経験を活かす武であったが、そこにイレギュラーが。

「父様〜」

霞と話をしている武の下へと一人の少女が駆け寄って来る。
長い髪を背中に流した意志の強さを秘めた瞳を持つ4、5歳の少女。

「はい!?」

驚く武の足にしがみ付き、少女は武を見上げる。

「母様の言った通り、帰ってきてくれたのですね」

「えっと……」

訳が分からないといった顔をする武に少女もまたきょとんとした顔を見せる。

「父様、どうしたのですか」

「あー、って、待て待て霞。誤解だ」

武からすすっと離れていく霞を呼び止め、武は少女と目線を合わす。

「とうやってここまで来たのかは知らないけれど、君は誰の子かな?」

途端に少女は涙を目の端に為、懐から一枚の写真を取り出す。
それは207B分隊の皆と一緒に写っている写真であった。

「父様じゃないの」

「確かにここに写っているのは俺だけれど……」

そこまで言って武はふと違和感に気付く。
それが何か少し考え、すぐにその違和感の正体に気付く。
現在、武は既に任官しており、三回目の今回は207の皆とは教導官として会っているのだ。
だが、写真の中で武の服装は訓練兵のもの。
つまり、この写真は最初にこの世界に来た時のものか、二回目のものという事になる。
だが、二回目でこんな写真を撮った記憶はない。

「つまり最初の時か。いや、だとしてもどうして俺の子供が」

そこまで呟いた時、武の脳裏に一人の女性が浮かび上がる。
暗闇に包まれた戦術機の中で抱き合う武と冥夜。

「おいおい……」

恐る恐るといった感じで武は写真の冥夜を指差し、

「もしかして、お母さんは」

「うん、母様」

「あ、あははは……。ゆ、夕呼先生!」

少女と霞の手を取り、武は混乱気味に夕呼の研究室へと飛び込むのだった。



「あのね、00ユニット以外にも私はやらないといけない事があるのよ」

「それはそうなんですけれど……」

混乱しつつも現状を説明すると、夕呼の唇がにやりと笑みの形を作る。
相談したのは失敗かもと思いつつ、このような事態に答えを出せるような人物もまた、
目の前の人物意外に浮かばない。

「すぐには結論は出せないわね。まあ、その辺りはこれから考えてあげるわ。
 それにしても……」

楽しそうに笑いながら、夕呼は武に解剖させてくれと頼んでくる。
当然それを断ると、少女、悠冥(ゆめ)に大人しくこのフロアから出ない事を約束させて武は訓練兵の鍛錬へと向かう。
まりもにより既に訓練が始まっているのを見ながら、武もまりもの隣に立つ。

「皆の調子はどうですか」

「白銀少尉、お疲れ様です」

「いや、ですから敬礼は良いですって」

律儀に敬礼してくるまりもに苦笑しつつ武は冥夜たちの様子を眺める。
全員を見ているつもりなのだが、やはりあんな事の後では冥夜の方へと注意が向いてしまう。
やがて、走り終えた冥夜たちが武たちの前へと戻ってくる。
武に敬礼をして横に並ぶのだが、分隊長の千鶴が言い辛そうにしつつも武に発言を求める。
普段は敬語などもなしと言い聞かせているが、やはりまりもの前で訓練中でもあるのでその口調は上官に対するもの。

「白銀少尉、その……隣に居る女の子は」

「はぁっ!?」

千鶴の言葉に驚いて横を見れば、いつの間に来ていたのか武のズボンの裾を握り締めて立つ悠冥。
武が何か言う前に悠冥は冥夜の元に掛けて行く。
まずいと止めるよりも先に冥夜は悠冥の前でしゃがみ込む。

「ここは訓練する場所で……」

「母様!」

冥夜の言葉を遮り、冥夜に抱き付く悠冥。
その言葉に言われた冥夜も含めて全員が声を上げる中、武は一人ややこしい事になったと天を仰ぐ。

「母……って、冥夜、あなた」

「そんな訳なかろう。そなたも誰と間違えているのかは知らないが……」

「母様の言ったように父様は格好良い人でした」

悠冥の言葉に傷付けないように母親ではないと言おうと言葉を選ぶ冥夜。
その間にも悠冥は母親から聞いたと言って千鶴たちの名前を当てていく。
武が流石に自分が父親だと知られるのは避けた方が良いと考えて悠冥の名前を呼ぶのだが、
自分の名前を初めて父親に呼ばれた悠冥は嬉しそうに駆け寄り、

「父様!」

足元に抱き付く悠冥を見下ろし、武はただただ天を仰ぐ。
遅れる事数瞬、千鶴たちの叫び声が響くのだった。



説明を求めるように囲まれた武と冥夜。
だが、冥夜の方も身に覚えなどなく、自分と間違える可能性のある人物に思い至り、まさかという思いに武を見る。
何を考えているのか分かった武は一つ息を吐くと、

「信じられないかもしれないが、この子は未来から来たんだ。
 ほら、香月博士の研究に巻き込まれたみたいで」

我ながら良い言い訳だと納得する。
とりあえず夕呼の所為にしておけば、とんでもない事でも納得できるだろうと。
案の定、付き合いの長いまりもは納得してしまう。

「これ以上は機密が関わるから秘密だ。まあ、未来の事だから気にしなくても良いだろう」

「……つまり、将来白銀少尉と御剣は」

ぽつりと呟かれた慧の言葉に、一度は収まった空気が再び緊張を見せる。
唯一、冥夜だけは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
そんな冥夜の様子を見て、武は可愛いと思ってしまう。

(純夏、違うんだこれは)

必死に心の中で言い訳をする武であったとさ。



マブラヴ 〜CROSS LOOP〜



   §§



それは一本の電話から始まった。
進学や進級などが無事に決まり、春休みも半ばを過ぎた日の昼下がりに高町家へと届いた連絡。
それは誰もが予想をしていない内容であった。



「恭ちゃんが行方不明?」

実の母親であり、現在は香港に居る美沙斗からの連絡。
それを聞いての美由希の第一声はよく事態を飲み込めておらず、ただ言われた事をそのまま口にしたようなもの。
だが、自らが口にしたその言葉の意味を理解するなり、その声に険しさが含まれだす。
ともすれば叫び出しそうな美由希を電話の前で察したのか、美由希が混乱するまえに鋭く静かな声で娘の名を呼ぶ。

「落ち着いて美由希。今、詳しく説明をするから」

「う、うん」

逸る気持ちを落ち着け、美由希は美沙斗からの説明に静かに耳を傾けるのだった。



美沙斗の元を訪れて練習に参加していた恭也。
だが、彼は練習で組んでいたチームのメンバー諸共音信不通となり、そのまま姿を眩ましてしまう。
一方で、恭也たちの行方を捜す美沙斗たちの元に一つの連絡が届く。

「恭也君によく似た人物を日本で見たという情報が入っています」

同僚の弓華からもたらされた情報に、美沙斗は一縷の望みを掛けて日本へと飛ぶ。
現地で美由希と合流し、二人は恭也の後を追って行く。



日本政府に届けられた一通の犯行声明文。
内容は規定期日までに政府を解体し、統治権を自分たちのリーダーに委ねるように要求するという無茶苦茶なもの。
要求を呑まなければ実力行使もじさないというもので、事実、その証拠として自衛隊の基地の一部が爆破される。
当然ながら政府はこの事を公にはせず、可及的速やかに解決するように各省庁へと通達する。

「そんな訳で、悪いけれど僕は今、力になれないんだ、すまないね」

「いや、構わない。しかし……」

リスティから本来なら機密とも言うべき事を聞かされ、美沙斗は考え込む。
美沙斗が何を考えているのか分かったのか、リスティはこちらも苦虫を潰したような顔をする。

「ああ、あまりにもタイミングがね……。
 恭也らしき人物が見られた場所と、今回爆破された基地とでは目と鼻の先だ。
 しかも、時期まで重なっている」

「偶然である事を願うばかりだね」

「だね。けれど、神様ってのはかなり残酷だからね。もしも、という事も考えておかないと――」

「そんな事あるはずないじゃないですか!」

二人の会話に割って入ってくる美由希。
いつになく激昂した様子に二人は落ち着かせようとするが、それでも最悪の事態を考えるように言い置く。
納得はしないながらも、美由希は何とか口を噤むと祈るような目をして空を見上げる。
何処に居るのかは分からない恭也へと祈りが届くように。



「この顔の傷を刻み込んだ男の息子、か」

男はその言葉が指す額から左目を通り左頬にまで伸びている細長い傷を指先でなぞり、
どこか楽しげな口調でポツリと漏らす。

「古く、今では殆ど廃れた武器を執拗なまでに振い続けるサムライボーイ。
 彼はこの状況でどう動くかな。実に楽しみだよ。
 こんなにワクワクするのは、シロウタカマチと遣り合って以来、久しくなかったことだ」

男が見詰める先に移るのは、望遠で撮られたと思しき恭也の写真であった。
その写真を男は本当に楽しそうに、そして獲物を狙う猛禽類のような目で射抜く。



「実行犯の一人として恭也の名前が挙がった。
 けれど、公表は確認が取れるまで待ってもらえたよ。
 彼や彼の親父さんの実績を知る者が警察上層部に少なくなかったお蔭でね。
 とは言え、それでも限度はある。
 とりあえず、警察は恭也に事情を聞くために重要参考人として恭也を探しているよ」

「ありがとうございます、リスティさん。でも、これって情報漏洩にならないんですか」

「その辺りは気にしなくても良いさ。僕にも色々と権限が与えられているからね。
 恭也が本当に奴らの仲間なのかどうかは兎も角、話を聞くために身柄をなんとしてでも確保しないといけない。
 となれば、君らにこの情報を教えるのは決して悪い事ばかりではないからね」

「なるほどね。確かに恭也が大人しくするのなら良いが、実力行使となれば私たちの方が適任だろうしね。
 それで、他の人間は恭也の協力者を当たっているという所かな」

「協力者?」

「ああ、美沙斗の言うとおりだよ。美由希、協力者というのは、そのまんまだ。
 幾らなんでも恭也の目撃情報が少な過ぎると思わないかい?
 寝所にせよ、食料調達にせよ、そして移動手段にせよね。もう少し目撃情報があっても可笑しくない」

そんなものなのかなと首を傾げる美由希に苦笑を零しつつ、美沙斗は美由希の背中を軽く押す。

「そっちはリスティたちに任せておけば良い。
 私たちは私たちの方法で恭也の後を追うよ」

「うん」

美沙斗に促され、美由希は足を動かす。
そんな二人に軽く手を振り、リスティもまた二人に背を向けて歩き出す。



「準備は整った。さあ、いよいよ日本を舞台にした喜劇の幕開けだ。
 精々、楽しませてくれ!」



新春劇場版 とらいあんぐるハ〜ト3



   §§



本来なら交わるはずのない物が、例え僅かとは言え交じり合ってしまった事が事の発端だったのかもしれない。
世界は異物を受け入れる事ができず、結果として二つの異なる世界は互いの妥協点を見つけ出す。
異物を異物として認識せず、あたかも初めから存在していたかのように昇華する事で崩壊する事を食い止める。
だが、近い文明を持つ世界同士なら問題はなかったそれも、全く異なる文明を、
文化を持っていた世界同士であったが為、それは更なる悲劇を呼ぶ事となる。
寧ろ、人の愚かさとも言うべきかもしれないが。
二つの世界の融合により、可笑しな力を突如として手に入れる者。
二つの世界の知識が合わさり、更なる進化を遂げる技術力。
どちらも平和をもたらす為に振るわれれば問題はなかったであろうソレは、
力を持つものと持たないものを生み出し、また互いの世界を制する為の力として振るわれることとなる。
科学の発達した世界、魔法が発達した世界。
この二つの世界の融合がもたらしたものは決して小さなものではなかった……。



「今まで異世界より漂流してきた生物を研究してきた成果と、
 異世界との僅かな融合により力を得た者を研究してきた成果」

「その二つの研究結果、ここに新たな人類の誕生を!」

「被験者No.1834582、被験者固体名……」

自分を取り囲む数人の白衣を着た男たちへと焦点の合わない瞳を向ける。
だが、それは男たちを見ているようで見ておらず、また男たちの話の内容すらよく理解していないようである。
どこか酩酊した様子を見せる青年の事など意にも返さず、男たちは手に器具を持つ。
医療器具らしき物、工具のような物、何に使うのか分からないような器具まで、
男たちは様々な器具を手に取り、取り囲んだ青年へとそれらを伸ばしていく。



「……ここは? 俺は……誰だ?」

気が付くと古びた建物の一室だった。
何があったのか思い出そうとするも、靄が掛かったように記憶が思い出せない。
だが、周囲を歩き回っている内に男は徐々に記憶を取り戻していく。

「そうか、過ぎた力を制御しきれず、この周辺もろとも消し飛んだか」

自身の身体にメスを入れられ、弄られた記憶を思い返して恭也は顔を顰める。
あれからどうなったのか、どれぐらいの時間が過ぎたのかも分からず恭也はとりあえず歩き出す。
目的地などもなく、ただ思う方へと。

人の手により造りだされた魔神――高町恭也

既に恭也が生きていた時代は先史文明と呼ばれ、その世界も既に滅びているらしいと知る。
それでも、もしかしたら家族や友人が自分と同じように生きているかもしれないという可能性に掛け、
恭也は世界を旅する事にするのだった。



とらいあんぐるハ〜トZERO



   §§



「きゃぁぁー!」

絹を引き裂くような悲鳴が上がる。
急ぎその場へと駆けつけた恭也が見たものは、無残にも転がった死体。

「ま、まだ生きているよ恭ちゃん……」

最後の力を振り絞って突っ込みを入れると地面に倒れ伏す美由希。
慌てて駆け寄ろうとする恭也たちを止める鋭い声が届く。

「現場を荒らさないでください」

恭也たちを掻き分け、倒れている美由希の元に屈みこむと鋭い眼差しで周囲を見渡す一人の少女。

「それで、第一発見者は那美さんですね」

美由希や現場の現状を見渡した後、少女――なのはは悲鳴を上げた那美へと向き直り、その時の様子を聞きだす。



「……恐らくこれが凶器」

美由希の傍に転がる一つの鍋を掴み上げ、なのははそう断言する。

「ふむ、その可能性は高いな。しかし、見事にへこんでしまっているな。
 まあ、へこんだのは横側だし、穴が開いた訳でもないからまだ使えそうだから良しとするか。
 美由希の石頭に感謝だな」

「うぅぅ、恭ちゃん妹の心配をしてよ」

強く打たれた頭をさすりつつ呟く美由希の言葉を無視し、恭也はなのはから受け取った鍋をテーブルに置く。

「念のため、病院には行った方が良いかもな。
 美由希の頭が心配だ。頭は大丈夫か」

「絶対わざと言ってるでしょう恭ちゃん」

「まさか。それで、何があったんだ?」

「えっと……、それがよく覚えてないんだよ。
 キッチンに来たまでは覚えているんだけれど、その後気が付いたら恭ちゃんが可愛い妹に暴言を吐いてて……」

「どうやら本格的に頭に問題があるみたいだな。
 急いでフィリス先生に見てもらおう。レン、悪いが付き添ってやってくれ」

「ちょっと、だからその言い方は……」

「まあ、冗談はさておき、記憶がなくなる程に強打されたのなら本当に病院に行っておけ」

「うぅぅ、分かったよ。ごめんね、レン」

「良いって、気にせんと。それじゃあ、お師匠、美由希ちゃんの事はうちに任せてください」

恭也にそう言うとレンは美由希を連れてリビングを出て行く。
それを見送り、恭也は美由希が倒れるときに回りも巻き込んだのか、
おたまやまな板などが散らばるキッチンを見渡す。

「幸い、包丁などが出ていなくて良かったな。
 とは言え、結構散らかっているから片付けないとな」

「ああ、待って。まだ写真を撮り終えてないから。
 犯人は必ずず暴いて見せます、お父さんの名に掛けて!」」

現場の写真をデジカメで撮るなのはに苦笑しつつ、恭也は晶に後片付けを手伝ってくれるように頼むのだった。



「なのは、どうして兄は折角の休日に手を引かれて外に連れ出されているんだ?」

「勿論、昨日起きた事件を調査するためだよ。
 もし犯人に狙われたらどうするの」

「いや、それは別に構わないんだが、何故外に出る必要が?
 事件は家の中だろう」

「聞き込みです」

「ほう。聞き込みに来たのに、何故、公園でタイヤキ片手にお茶などしているんだろうな」

「ちょっと休憩」

「はぁ、別に良いんだが……」

盆栽の手入れをしたかったと小さく呟き、恭也は自身もタイヤキに噛り付く。



「ああ、そうそう後一つだけ良いですか?」

去り際になのはは人差し指を立て、今まで事情を聞いていた那美へともう一度近付く。

「ええ、良いですけれどなにかな?」

「那美さんがお姉ちゃんを発見した時……」



恭也を助手として犯人探しを始めるなのは。
だが、犯人の魔の手が…………。

「とまあ、普通なら犯人が襲撃したりとかもあるかもしれへんねんけど……」

「師匠がずっと付いているから、その点は安心だな。
 寧ろ、襲い掛かってきた方がその場で捕まえられて早いかもな」

犯人の魔の手がなのはに迫るような事態もなく、なのはは思うが侭に調査を進める。



「……そういう事ですか。全ての謎は全部解けました。
 お兄ちゃん、お手柄です」

「そうなのか? まあよく分からないが役に立ったのなら何よりだ」

「うん。お兄ちゃんの言葉のお蔭で犯人が誰か分かったよ。
 今からあの時家に居た人全員を集めて!
 犯人のやったことは、するっとまるっとリリカルにお見通しです」

関係者が集まったリビングで、なのはの推理が始まる。
誰もが息を呑んでなのはの言葉に耳を傾ける。
果たして、犯人は誰なのか。

「美由希お姉ちゃんを殺した犯人は…………あなたです!」

「えっと、なのは? お姉ちゃん、死んでいないんだけれど?」

遂になのはの口から犯人と事件の真相が語られる。

魔法探偵なのは



   §§



スカートの裾を気にしつつ、校舎へと続く道を殊更ゆっくりと歩く一人の少女。
開校は明治にまで遡るというN県で最も古い歴史を持ち、お嬢様が通う事で有名な青美女学院での朝のひとコマ。
ただし、その歩く少女は校内でも有名な少女の一人であるというだけ。

「若光の君」

「舞姫さま」

朝の挨拶を掛けてくる生徒たちにぎこちないながらも何とかそつなく返し、
若光の君という別名でも呼ばれる淡谷舞姫は、やや早足とも取れる速度で校舎ではなく中庭へと向かう。
周囲に人がいなくなったのを確認し、舞姫はようやく一息入れるのだが、そこへ音もなく背後に立つ一人の少女。

「雪国さま」

「ふぇあっ!」

気配も感じさせず、いきなり背後から、それも気を抜いた瞬間に声を掛けられて舞姫、
いや、雪国と呼ばれた少女は胸を押さえながら後ろを振り返り、そこに知った顔を見つけて再び安堵の息を零す。

「な、何だ久我原さんか。驚かさないでよ」

「私ですみませんでした。後、驚かせてしまったようで」

「ああ、そういう意味じゃなくて……」

「冗談です」

表情一つ変える事無くそう言い放つ久我原さゆねに雪国は何とも言えない顔を見せるも、
すぐに気を取り直してさゆねに尋ねる。

「それよりも、何かあったの?」

「いえ、特に何という訳ではないのですが。
 舞姫さまと学校を入れ替わり早数日。そろそろお慣れになられた様子」

「うん、まあ流石に少しはね。
 とは言え、やっぱり体育とかはまだ慣れないというか、慣れたら終わりのような……」

「私が申し上げたいのは、慣れた頃が一番危ないという事です。
 くれぐれも気を付けて下さい。もし、あなたが舞姫さまではなく双子の弟の雪国さまだとばれたら……」

「分かっているよ。僕だけじゃなくて舞ちゃんもただではすまないもんね」

「分かっていらっしゃるのであれば、私からはこれ以上は何も言いません。それではこれで」

そう告げるなり姿を消すさゆねにももう慣れたもので、雪国はただ肩を竦めて空を仰ぎ見る。
舞姫の忍だと自ら言っていたさゆりは、そう宣言したように舞姫第一であるらしい。
そんな事を思いつつ、最早慣れつつあるスカートの裾を掴み、雪国は溜め息を一つ零すのだった。



空舟を騒がす一つの事件があった。
『S・ザ・リッパー』ともあだ名されるソレは、通り魔事件である。
その通り魔事件に一人の少女が遭遇した。
幸いにして一緒に歩いていた婚約者である男性が撃退したお蔭で無事だったと言われているが……。

「……」

恭也は客間へと案内されるまでの屋敷、庭も含めての大きさに多少の驚きを見せつつ、
やはり仕事でこれまでにも似たような屋敷を何件か見た事もあってか、すぐに気を取り戻すと客間へと入る。
程なくして、この屋敷の主人とその娘が部屋にやって来て、今回の仕事の話となる。

「最近、巷を騒がせている通り魔事件。それに娘が出くわした」

主人の言葉に娘はその時の恐怖を思い出したのか、
僅かに身震いするも恭也の視線に気付いてすぐに背筋を伸ばして、何でもないように装う。
その事に触れず、恭也は話の続きを促せば、幸いにして誰かが助けに入って無事だったとの事。
その際、一緒に居た婚約者は真っ先に逃げ出し、その事を思い出したのか娘は激怒しだす。

「まあ、あのような殿方ではあたくしには不釣合いでしたから、丁度良いと言えば良かったですわ。
 それを期に婚約解消できましたし」

そう告げる少女の言葉に曖昧に返し、恭也は仕事の内容を尋ねる。

「暗闇で顔もしっかりとは見てはいなかったのだが、向こうがそれを分かっているとも限らないだろう。
 あれから似顔絵が公表されたりしていない事から、顔を見られていないと判断してくれれば良いが……」

「そうでなかった場合、娘さんがまた狙われる可能性もあるという事ですね」

「その通りだ」

恭也の言葉に鷹揚に頷き返し、男は改めて恭也に娘の護衛を依頼してくる。
詳細を話し合う二人を、主に恭也を見遣る娘の目には不安と不審の混じった色があった。
恭也の外見から元婚約者の事例もあり、その不安を父親へと伝える。

「心配するのも分かるが、彼はその世界では有名な人物らしい。
 信用できる人からの紹介だからな」

父親の言葉に半信半疑ならも納得し、恭也は逆に照れた様子で大げさな言葉を否定する。
ともあれ、こうして恭也はご令嬢の護衛と言う仕事に就く事となったのである。
守るべき令嬢は、名を蝶間林典子といった。



「あれ、校門の前に居る人ってもしかして……」

「淡谷さんか? 久しぶりだな。淡谷先生は元気か?」

「うん、おばあちゃんもいつも通りだよ」

「……もしかして、雪国の方か?」

――懐かしき再会を果たすも、一人は女装中でもう一人は仕事中



「ユキグニから聞いたけれど、本当に恭也さんこっちに来てたんだ」

「まあな。大よその事は雪国から聞いたけれど、本当に無茶な事を……」

「あ、この事はおばあちゃんには」

「分かっている。と言うか、今回は護衛の仕事で来ているからな。
 果たして会う事があるかどうか」

――もう一つの再会は、男装中と仕事中



「蜜が何故か通り魔事件に関して聞いてくるのです、恭也さん」

「友達が被害にあったからと聞いてますが、確かに危険ですね」

恭也は少し考え、雪国から注意するようにしてもらおうかと考える。
そんな感じで依頼主に迫る影もないまま日々が平穏に流れる中、

「今度の文化祭は青美女学院との合同コンパを開催する!」

先生や生徒会のやる気のなさに切れた舞姫によるとんでもない企画が持ち上がる。
そんな折、再び通り魔事件が起こる。
だが、そんな事とは関係なく、雪国たちは文化祭の企画に忙しくなり、それに伴い、典子もまた忙しさを増していく。
そして、遂に文化祭の幕が開かれる。

「流石にこんな日中から出ないとは思うが……」

人で溢れかえる校内で、できる限り企画の邪魔をしないように付かず離れずで護衛をする恭也。
果たして、どんな結末が待っているのか。

SH@PPLE HEART



   §§



永全不動八門。
古より存在する武術を伝える家系である。
まだ剣術と言う形態が生まれるよりも昔、守る為に戦う事を起源として長き歴史の狭間に技を磨き上げた一族たち。
その内、暗殺術、一刀、ニ刀、無手、退魔、権謀術数、護術、隠密をそれぞれお極めんと別れし同門たち。
しからば、その護るものとは何だったのか。
それこそが、八門へと分かれた後もその根底として残されしもの。
即ち、永き時を経ても変わる事無く不動の者を護る者たち――それこそが永全不動八門。



永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術。
時間の流れと共に既に衰退し、消滅した八門の中で唯一残った最後の流派。
だが、御神もまた滅びたとされており、生き残りが居る事を知る者はごく少数だけであった。
その少数の一人として、また永全不動の起こりからすれば当然その事を知る者から秘密裏に連絡が来たのが数日前。
恭也は今、一つの屋敷を訪れていた。
その屋敷の主人を前にし、恭也は一枚の写真を渡される。
そこには一人の青年が写っており、暫くそれを眺めた後、恭也は写真を再びテーブルに戻すと目の前の主人を見る。

「この方がどうかしましたか?」

「越小路博嗣。娘の元婚約者だ。先日、色々あって婚約は解消となったのだが……」

そう言うと主人はその経緯について軽く話して聞かせる。
早い話、娘の如耶に好きな人ができ、その人物と博嗣は剣道で勝負して負けた。
その腹いせに集団で如耶と一緒の所を報復に現れるも如耶により撃退されたのだと。

「つまり、今度は標的がその如耶お嬢様の想い人である早坂からお嬢様そのものに行く可能性があると」

「ああ。まさか、我が不動家の者に対してそのような事をするとは思わなくもないが、万が一という事もある。
 暫くの間で良いので頼めんか」

そう言われて恭也は首を縦に振るのだった。



数日後、お嬢様が通う事で有名な聖フランチェスカ学園に恭也と美由希の姿があった。

「はぁ〜、最近まではお嬢様だけが通う学園と聞いていたけれど、本当にこんな学園があるんだね」

「確かにな。しかし、本当に広い学園だな」

「うぅ、迷子になりそう」

二人して学園内にある公園を見渡し、何とも言えない表情をする。
そこへ待ち人たる如耶と章仁の二人がやって来る。

「お久しぶりです、如耶さん」

「久しぶりでござるな、恭也殿と美由希殿もお変わりないようで」

挨拶を交わした後、初対面となる章仁へと簡単に自己紹介を済ませると、本題へと入る。

「既に聞いているかもしれませんが……」

「それがしの護衛と聞いてはいるが、正直そこまで必要なのかと思わんでもない。
 少々、過保護過ぎるのではないでござろうか」

「まあ、万が一という事もありますから。
 とりあえず、俺は三年、美由希は二年として編入しますので、授業などの間は俺が。
 寮では主に美由希が護衛を担当します。早坂さんに関しては丁度、その逆となります」

章仁もそこまでするのかと思ったものの、万が一が起こって如耶が傷付くかもしれないと考えると、
この護衛をされる件を素直に引き受ける事にする。

「でも、なにも俺までしなくても大丈夫じゃ……」

「駄目ですよ。早坂さんは如耶さんの大事な人なんですから。
 狙われる可能性もなくはないんですから」

そう言って美由希に注意され、了解した所で後ろから不意に抱き付かれる。

「章仁様〜」

「璃々香ちゃん?」

驚く如耶と章仁とは違い、気配で気付いていた二人は特に驚く様子を見せなかったが、
彼女が誰か尋ねようとして、それが如耶の親戚の真宮璃々香だと気付く。
恭也たちは彼女とは会った事はないが、事前に資料として貰っていた中にあった。
とは言え、そのまま触れずに居るのも可笑しいので紹介をお願いするのだった。



こうして恭也と美由希の護衛の日々が始まるのだが、事態は二人が思っている以上に可笑しな方向へと進んでいく。



「ここは誰、私はどこ? 恭ちゃん、助けて〜。可愛い妹が困ってますよ〜」

見渡す限り何もない荒野で目覚めた美由希はとりあえず叫んで見るが、虚しく声が響くのみ。
幾ら待っても突っ込みも、誰かの返事も返っては来ない。
仕方なく適当に歩き始める美由希であったが、これが間違いだと気付くのにはもう少しの時間を必要とする。
日も暮れ始め、辺りが紅染まる中、美由希は森の中を一人さ迷い続ける。

「う、うぅぅ、お腹も空いてきたし、このまま遭難したらどうしよう。
 どうして、森なんかに入ろうなんて思ったんだよ、私のバカ……」

ぼやくも後の祭りである。音を立てるお腹を押さえ、美由希は一人森の中を歩いて行く。

「このきのこ食べれるかな? …………し、素人が下手に手を出すのはやっぱりまずいよね」

偶々見つけたきのこを前に悩むも、食べるのを諦めて再び歩き出す美由希。
と、その前方の茂みがガサゴソと音を立てて揺れ、そこから一匹の犬が飛び出してくる。

「びっくりした。熊かと思った。でも、犬が居ると言う事は近くに人がいるかも」

近付いてきた犬を抱き上げ、僅かな期待を胸に犬のやって来た先を歩けば、
暫くすると恐らくはその犬の名前であろう、それを呼ぶ声が聞こえてくる。

「セキト、どこ」

叫ぶと言うよりも、本当に近くに居るのを呼んでいるような声であったが、美由希はその声の元へと向かうのだった。



「え〜と、呂布ってあの呂布だよね。
 あ、あははは、ここは三国志? タイムスリップなんて本当にあるんだ……。
 じゃなくて、女の子!? え、ちょ、どうなっているの。と言うか、家に帰してー!」

「落ち着く、美由希。これでも食べる」

「あ、ありがとう。って、もしかして私、ペット扱い!?」

呂布と名乗る少女に拾われた美由希。
当然ながら行く宛てなどもなく、呂布の世話になるのだった。



「……夢ならどれぐらい良かったか」

「残念ながら現実じゃよ。さて、高町といったか。
 それでは、朝方に話したようにお主の尋問といこうかの。策殿」

「ええ。それじゃあ、早速だけれど、どうしてあんな所に居たのかしら?」

「あんな所と言われましても、気が付けばここに居たんですが?
 そもそも俺は何処に居たんですか」

質問に質問で返す形となったが、それには周瑜と名乗る女性が答えてくれた。
ただし、出てきた言葉の殆どが分からないものではあったが。
こうして、恭也もまた自分の居る場所が異世界だと悟る。
それも、自分たちの世界の三国志とよく似た、ただし登場人物が女性となっている世界だと。



「……可能性として考えるのなら俺以外にもこの世界に来ている可能性があるな。
 とりあえず、美由希と合流できれば良いのだが。後は、如耶さんと早坂との合流が先だな」

自分のすべき事を考えるも、見知らぬ世界でそれを成すのは簡単な事ではなく、
恭也は孫策の提案を受け入れ、暫くは客将としてその元に滞在する。



「章仁殿、一体何があったのでござるか」

「いや、俺にもさっぱり。と言うか、璃々香ちゃん、そんなに引っ付かないで」

「そんな、私こんなにも心細くて不安なのに。ほら、感じてみてください。
 鼓動がこんなにも早く……」

「璃々香殿、何をなさっている!?」

「お姉さま、何も見ての通り、私の不安で揺れる鼓動を章仁様に感じて頂こうと、手を胸に」

「ええい、止めぬかこのような時に!」

三人纏めて同じ場所に居た事に安堵しつつも、章仁はこの騒動に少しだけ、本当に少しだけ疲れた顔を見せる。
二人が言い争っている間に、章仁は落ち着きを取り戻したのか改めて周囲を見渡し、立ち並ぶ家々を見遣る。

「ちょっと変わった建物だな。ここは何処かの町なのか?」

困惑する章仁たちの前に、槍などで武装した兵士たちがやって来る。
どうやら如耶と璃々香の喧嘩を聞きつけてやってきたらしいのだが、そんな事を章仁たちが知るよしもなく、
突然囲まれて武器を突きつけられて戸惑う。
それでも二人を庇うように背中へと隠し、章仁は兵士たちを睨みつける。

「ほら、急にそんな風に武器を突きつけたら怖がるでしょう。
 ただの痴話喧嘩のようだし、武器を下ろしなさい」

兵士たちの後ろから女性の声が聞こえ、それに応えるように兵士たちが得物を下ろす。
そうして、三人の前に一人の女性が姿を見せる。

「驚かしてごめんなさいね。私の名前は黄忠。
 まずあなたたちの言い分を聞かせてもらえるかしら」

三人の前に現れた女性。
黄忠と話している間に、三人もまた自分の置かれた立場を理解し始めるのだった。



「章仁様、この世界でなら妾が居てもそう可笑しくはないようです。
 ですから、是非!」

「うわわっ! ちょっと待って。この世界ではそうかもしれなくても、俺はこの世界の住人じゃなくて……」

「郷に入ては郷にしたがえですわ」

「ええい、おぬし等やめぬか! 今はそれよりも恭也殿たちと合流する事を――」

「それは勿論考えます。とは言え、私たちだけではそうそう街の外に出て探すというのは無理。
 なら、私たちは待つしかないではありませんか。
 その間に、こうして章仁様との仲を縮めようとしているのです。邪魔はしないでください」

「だからといって、何もしなくてどうする」

「でしたら、お姉さま一人で考えてくださいな。
 章仁様は私一人で満足させてみせますから」

「ちょっ、だからやめ……」

「章仁殿!」

黄忠に拾われた三人はとりあえずは平穏な日々を過ごせていた。



「……えっと君たちは」

目覚めた一刀の前に立つ三人の少女たち。
その中の一人が一刀を天の御遣いと言い出す。

こうして、新たな物語が幕を開ける。



真・乙女無双



   §§



「…………」

目の前に広がるのは、人の造りし建築物の一つも見えないただただどこまでも広がる平原と遠くに見える裾野。
先程まで居た場所と比較してみても、あり得ない光景に、いや、事態に恭也たちは呆然とするしかなかった。
数秒程そうして呆けていただろうか、やがて一斉に我に返ったように動き出した一同は、
まず最初に一人の女性、月村忍へと視線を向ける。
その目は悪戯を咎めるような視線から、今抱いている疑問を解決してくれるように願う視線と色々である。

「忍、怒らないから素直に白状しろ」

その中から全員を代表するように恭也がそう台詞を吐き出せば、忍はきょとんとした顔を見せた後、
すぐに言葉の意味を理解したのか、怒ったように頬を膨らませる。

「恭也ってば、これが私の所為だって言うのね! と言うか、皆もそこで頷かない!
 幾ら私でも一瞬で移動させるなんて無理に決まっているでしょう!
 普通に考えれば、フィアッセさんの能力が一番最初にくるでしょう!」

「わ、私にはそこまで大きな力はないよ」

「それにフィアッセの羽は出ていないからな。
 だとすれば、こんな事を出来るのはお前だけだと思ったんだが……」

「そもそも悪戯をするのは忍さんというイメージがありますから」

那美の言葉に鋭い視線を向ければ、那美は失言に気付いて美由希の後ろへと隠れてしまう。

「まあ、流石に忍の仕業というのは冗談だとして、ここは何処だ?」

改めて周囲を見渡し、当然の疑問を口にする。
その間、携帯電話を取り出していたレンが液晶画面を見て声を上げる。

「お師匠、ここ携帯電話が通じませんけど」

「あ、本当だ。お兄ちゃん、ここ何処なんだろう」

「くぅ〜ん」

不安そうに近付いてくるなのはと久遠を撫でてやり、恭也は首を捻る。

「見渡す限り、本当に何も見えないな」

「山が見えるぐらいだもんね。本当にここ何処なんだろうね、恭ちゃん

これからどうするのかと相談するも、この場に居ても仕方ないというぐらいしか出てこない。
かと言って、どちらに向かうのが良いのかも分からない状況下にあって、忍はそれまで黙っていた従者へと話し掛ける。

「ノエル、どう? 衛星とデータリンクできた?」

「いえ、それがお嬢さま、先程から試しているのですが……」

「うーん、やっぱりハッキングは難しいか」

「いえ、そもそも衛星どころか中継点すら存在していないようです」

忍から零れ出た言葉に深く突っ込まず、恭也はノエルへと更なる説明を求める。
しかし、ノエル自身もよく分からないとしか答えられなかった。

「はぁ、仕方ないか。こうなったら恭也がどっちに行くか決めてよ。
 皆もそれで良いわよね」

忍の言葉に恭也以外からは反論はなく、仕方なく恭也は適当な方向を指差す。

「なら、こっちの方に行こう」

「師匠、ちなみにどうしてこっちに?」

「特に理由はないな。敢えて言うのなら勘、か」

ともあれ、こうして一行はようやく動き始めるのだった。



「本当に助かったよ。行く宛てもなく、途方に暮れていた所だったから」

「いえ、困った時はお互い様ですから」

「それよりも、何であんな所を何の荷物も持たずに歩いていたのよ。
 それこそ自殺行為みたいなもんよ。偶々ボクたちが傍を通りかかったから良かったものの」

「それが私たちにも良く分かってないんだよ。
 今、恭也と忍が街を回って調べてくるって言ってたけれど」

ここに来るまでに見た風景と実際に通った街の様子を見て、誰もが驚きに言葉をなくしたものだ。
そんな中、恭也と忍は先に我に返り、今は情報を求めて街へと繰り出している。
夜に恭也に貸し与えられた部屋に一度集まる事になっているが、何か分かると良いのだが。
少女二人と話をしながら、フィアッセは二人の安否を気にするのだった。



「ずばり、ここは異世界ね」

夜、忍から齎された言葉を聞いても誰も特に驚きを露わにしない。
流石に大よその予想は出来ていたようである。
それを忍も理解しているのだが、それを確信するに至った街の様子や文化レベルなどを話す。

「そして、もう一つ言えば、皆も気付いているとは思うけれど、ここは三国志に限りなく近い世界と考えられるわ。
 何せ、私たちが出会った二人からして有名な人物だものね。
 けれど、そのお蔭で異世界だと分かったんだけれどね。私たちの知る歴史上の人物は男性。
 けれどもここで出会ったのは女性だった。つまり、三国志と非常に酷似した世界って事ね」

忍の言葉に誰もが納得したのを見て、ようやく恭也が口を開く。

「それを理解した上で俺たちはこれからどうするか、という話になるんだが」

「恭也と少し話し合ったんだけれど、この世界の歴史が私たちの知る歴史と似たような流れを辿るとすると……」

「あ、聞いた話から推測すると、今は黄布の乱が終息に向かっている頃だよね。
 だとすると、この後……」

本から得た知識で美由希はすぐにこの後に起こるであろう出来事を理解し、恭也を見遣る。

「そういう事だ。とは言え、俺たちの知る歴史通りに進むかは分からないがな。
 実際、あの二人がそんな事をするとも思えないし」

「でも、周辺の状況から考えると大きな争いが来るのは間違いないよね」

美由希の言葉に恭也は頷くと、改めてこれからどうするかと問いただす。

「とは言え師匠、俺らには他に行くあてなんてないですよ」

「それにこれだけ恩を受けて何もせんというのも……」

「月さんたち、歴史通りだとどうなっちゃうの?」

そんな感じで話し合った結果、恭也たちはこのままここで世話になるという事になるのだった。



「洛陽に行くのか?」

「はい。要請された以上、このまま放っておく訳にもいきませんから」

「心配しなくても何があっても月だけはボクが護るわ!」

「そうか。月がそう決めたのなら、俺たちは従うだけだ。
 ただし、何かあれば真っ先に逃げるんだぞ。詠、もしもの時は月となのはを頼む」

「アンタなんかに言われなくても分かっているわよ。
 そもそも始めに月はボクが護るってちゃんと言ったでしょう!
 まあ、なのはの事はちゃんと任されてあげるわよ」

「恭也さんも無理はしないでくださいね。
 それに今回は人助けするだけだから、そんなに心配いらないと思うけれど……」

違う世界である自分たちの世界の出来事と照らし合わせ、これから起こる事を知っている恭也は素直には頷けない。
そもそも、知っている人物と目の前の少女二人が全く結びつかない時点で、今回の件は杞憂かとも思うのだが。
それでも嫌な予感だけは拭えないでいた。

「まあ、それなら良いんだがな。俺はただ菫卓軍の将軍として出来る事をするだけだ。
 さて、それじゃあ忍たちにもこの事を話してくる」

そう言い置くと恭也は立ち上がり出て行く。
これからの事を相談するため、忍たちの下へと。



「ふっふっふ。菫卓軍きっての軍師、この忍ちゃんに任せなさい。
 さあ、なのはちゃん、フィアッセさん、一緒に策を考えましょう」

「忍が絡むと、途端に策と言うよりも悪巧みと感じられるのは何でだろうか」

「あ、あははは。まあ、私たちは前線で戦うしか出来ないけれどね」

「面倒くさい事は抜きにして、突撃して敵を蹴散らせば良いだけじゃないんですかね、師匠」

「これやから直情馬鹿おサルは。
 真っ正直に正面からぶつかったら、おサルは頑丈から問題ないとしても付いて行く兵士がただですまんやろう」

「んだと、てめぇ」

「ああ、晶ちゃん落ち着いて! でもでも、レンちゃんの言うとおりだよ」

騒がしい面々を見ながら、恭也は改めて守るという誓いを胸に抱くのだった。



真・とらいあんぐる無双



   §§



「アレフ、起きなさいアレフ」

窓から差し込む光に目を細め、母親に起こされた少年はゆっくりと目を開ける。
寝起きは悪くないのか、すぐさま身体を起こす少年へと母親は更に続けて言葉を投げ掛けていた。

「お前も今日で十六歳になるのね」

母親の言葉通り、アレフはこの日十六歳となり、同時にそれは勇者と崇められる父親オルテガの後を継ぎ、
アレフもまた旅に出る事を意味する日でもあった。
アレフは身支度を済ませると城へと赴き、王との謁見を済ませると共に旅立つ仲間を求めるべくルイーダの酒場へ。
だが、その途中、城を出てすぐの所でアレフを待っていた一人の少女がいた。

「アレフ、遅い」

「ごめん……って、何かサラと約束していた?」

「うん。魔王バラモス退治の旅の約束」

「…………えぇ!? 付いて来る気なの!?」

城門近くで待ち伏せていた幼馴染の魔法使いを危険だからと説得するのだが、

「大体、買い物も一人でろくにした事ないくせに、アレフ一人で旅になんて出れるはずないでしょ。
 本当は面倒くさくて嫌なんだけれど、の垂れ死んだら目覚めが悪いから、仕方なく付いて行ってあげるわよ。
 可愛い幼馴染に感謝するのよ!」

そう言われて、結局は押し切られてしまうのであった。

「で、早速北にある……」

「あ、待ってよサラ。その前に仲間を集めるためにルイーダの酒場に行くんだ」

「仲間? 一人で行くんじゃなかったの?」

「違うよ。だから、サラは心配しなくても」

「煩いわね。一度言った事を今更取り消せる訳ないでしょう!
 それだったら、もっと早く言いなさいよ。ああ、本当に面倒くさいわ〜。
 でも約束しちゃったから仕方ないわね、うん」

アレフに何か言わせる暇も与えず、サラはアレフの腕を掴むと引き摺るようにして酒場へと向かって行く。
そこで新たな仲間と出会う事となる。



結局、バラモスという名を聞いて仲間として加わったのは二人だけであった。
それでもこれで充分だと満足そうな顔を見せるアレフに対し、サラはどこか不機嫌な顔をしたまま告げる。

「それじゃあ、改めて北にある村に行きましょうか」

サラの言葉に頷いて返すのは戦士のマチルダだった。
背中に自分の身長と変わらない大剣を背負い、残るもう一人の仲間、僧侶のクレアを見遣れば、
クレアは一人空を見上げて首を傾げていた。

「北……ですか?」

「おおい、どうして空を見上げるんだ?」

「ですから、北」

言って再び空を見上げたクレアに、疲れたような顔を隠そうともせずマチルダはとある方角を指差す。

「北はあっちだ。決して、真上じゃない」

「まあ、そうだったんですか。昔、旅人の方に北は上だと教えられたもので、てっきり」

「どんな旅人だ、それは」

思わず幸先に不安を感じつつ、マチルダはアレフへと視線を投げる。
早く行こうと無言で促しているのだが、それに気付かずアレフはクレアの話を面白そうに聞いている。

「アレフ、いつまでも話してないでさっさと行くわよ!」

二人の間に割り込み、強引にアレフを引き摺って行く。
引き摺られながら、

「待って、サラ。自分で歩くから引き摺らないでよ!」

「って、勇者殿、サラ、二人だけで行こうとするな」

「アレフ様、サラさん、置いていかないでください」

慌てて二人の後を追うマチルダとクレア。
少々不安な旅立ちであったが、これが後に世界を魔王より救うパーティーの旅立ちの日である。



「うわー、ねぇねぇサラ、あれって、なに?」

「キョロキョロしないの! 田舎者かと思われるでしょう!」

――ちょっと世間知らずな勇者アレフ

「私、他の街に来たのは初めてなんです。
 あら、これは見たこともない食べ物ですね」

「って、勝手に食べるな! お金を払わないと駄目だろうクレア!」

「お金?」

――箱入り僧侶クレア

「アレフのバカ! もう知らないわよ。勝手にしなさい!」

「お、怒らないでよサラ〜」

――すぐに怒る幼馴染の魔法使いサラ

「くっくっく。まだよ、まだまだ。
 怖くないからさっさと掛かってきなさい、魔物ちゃんたち。お姉さんが可愛がってあげるわ」

「……マ、マチルダさん? ゆ、勇者様、マチルダさんが混乱してます!」

――戦闘になると性格が変わる戦士マチルダ

後の歴史に詳しく記される事のなかったとっても可笑しな勇者たちの冒険は果たしてどんな物語を紡ぐのか。



「大変です、勇者様。この地図、何も書かれていません!」

「クレア、裏表が逆だよ。ほら」

「わぁ、流石勇者様です。所で、地図ってどうやって使うんですか?」

「さあ、僕もよく分からないかな。でも多分、僕たちが居る場所がここだから……」

「アレフ、そこは海だから。地図ぐらいはちゃんと読みなさいよね!
 今、私たちが居るのは……って、私たちは三日前からこの森で迷子よ!
 詳しい場所なんて分からないっての!」

「…………うん、私がしっかりしないとな」

「マチルダ、今、自分だけがまともだって考えなかった?
 あなたも充分、変なんだって自覚した方が良いわよ。寧ろ、私が一番まともだと思うわ」

「勇者様、見てください、見たこともないきのこが」

「ああ、本当だ。ねぇサラ、これって食べられるのかな?」

「「……」」

「と、とりあえず二人で頑張ろうサラ」

「ええ、そうね」

果たして、無事に目的を達成できるのか。

ドラゴンクエストV 〜ちょっと愉快な勇者ご一行〜



   §§



それは久しぶりの休日のことだった。
街へと出掛けた彼女たちはそこで一つの出会いをする。

「スバル、その子が言っていた子ね」

少し先で起こった事故。
そして、レリックの入った箱を引き摺っていた小さな子。
それらの疑問を取り合えず置き、なのははその子を病院へと連れて行くのだった。



「目が覚めた? 名前は分かるかな?」

「……不破恭也」

これが後に戦いの鍵となる一人の少年と、幾多の事件を解決してきた管理局きってのエースとの出会いであった。



「うーん、お兄ちゃんと同じ名前に似た顔立ち。何か分かった事はある、フェイトちゃん」

「残念だけれど、特に何も分かっていないというのが現状かな。
 つまり、身内も判明していないって事」

「そっか。それじゃあ、私があの子を保護しようかな」

「それは構わないと思うけれど、恭也くんは何て言っているの?」

「言うも何もまだ何も話してないって。今、フェイトちゃんに話したのが最初なんだから」

「そうだったね」

二人して病院へと向かう途中、そんな話を繰り返す。
ともあれ、こうして迷子の少年恭也はなのはとフェイトの二人を保護者とする事となるのであった。



「不破恭也、五歳です。ご面倒をお掛けしますが、宜しくお願いします」

異世界からの迷子人、不破恭也

「え、えっと、こちらこそ宜しくお願いします。
 あの、出来ればお母さんとかママと呼んでくれると嬉しいんだけれど」

恭也を引き取った管理局のエース・オブ・エース、高町なのは

「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします恭也。
 それにしても、恭也はしっかりしているね」

同じく恭也の保護者となった執務官、フェイト・T・ハラオウン



これはそんな親子が繰り広げるちょっとドタバタした日常のお話である。

魔法少女リリカルなのはIf 〜それはちょっとしたエピソード〜



「……はぁ、レリックを埋め込まれて大きくなった恭也を見たでしょう、フェイトちゃん」

「見たけれど……。なのは、何を考えているの?」

「ほら、私たちの世界に源氏物語ってあったじゃない」

「……もしかして」

「そ、そんな目で見ないでフェイトちゃん!
 だって管理局のそれも教導隊なんて勤めていると出会いがないんだよ」

「出会いなら私よりもあると思うけれど」

「あ、あははは、ほらそれは生徒さんたちだし」

「生徒に手を出す方が、子供に手を出すよりはましなんじゃ……」

将来、こんな会話がされるとか、されないとか。



   §§



「タケルちゃん……」

そう呟かれた小さな声、否、声にすらならないただの思考。
全てを見詰め続けてきた悲しみを込められた声は、しかし誰の耳にも届かない。
薄暗い部屋の中、シリンダーの中に納まった脳髄ではそれも仕方のない事。
本来なら彼女の思考に変化があった事を感知できる少女は、今この場おらず、やがてその思考も徐々に薄れていく。
だが、彼女の武を求める思いはそれこそ世界を超えるほどに強いもので、恩師の死と言う現実を前に、
この世界から逃げ出したはずの武を意識してか、無意識でか、とにかくトレースしていた。
残念ながら、元の世界へと流れ落ちた因子により、武は全てを忘れて平穏な日常へと戻る事はできず、
親しい者たちから忘れられ、恩師や幼馴染に起こった悲劇に絶望し、自ら命を絶つその瞬間までを全て視ていた。
その結末に絶望を抱き、再び思考が閉ざされ、唯一つの想いだけを繰り返す。
それが再び武をループさせる事になるなど、当の脳髄の持ち主にも分かるはずもなく。
ただ、武が絶望しないで済むようにという願いのみを抱き、再び会える事をただ思うのであった。



「……」

確かに自分は死んだはず。
そんな思考を成す時点で、自分がまだ生きているのだと実感し、武は気だるげに身体を起こす。
もしくは、ここが天国、いや、地獄なのかもしれない。
そんな取り留めない事を思いつつ周囲を見渡せば、そこは地獄と言うには相応しくないほど、
とても慣れ親しんだ自分の部屋であった。
一体何が起こっているのか。そんな混乱する頭で考えるも、あれを到底夢と思う事は出来ず、
武はのろのろとした動きで私服に着替えると外へと出て言葉を無くす。
荒廃した街に、隣家へと倒れ伏す巨大な人型ロボット――戦術機。
考えたくはない思いが武の脳裏を駆け巡る。

「は、ははは……死ぬ事すら許されないのかよ」

あまりの出来事に武の声はただ笑う事しか出来ず、乾いた声でそう吐き捨てる。
思わずこの世そのものを恨みそうになるが、せめてもの救いは時間が戻っている事で、
元の世界の時間も戻っているだろうという何の根拠も確認もできない推測のみである。
どちらにせよ、またあの日に戻ったのだとしたら。
そこまで考えて武は頭を振ると廃墟の中を歩く出す。
その行き先は横浜基地とは正反対であった。



「……ここは?」

見渡す限りの闇。そこで意識を取り戻した恭也はこれが夢だと理解する。
そんな恭也の前方に小さな光が灯り、徐々にそれが闇を振り払うように大きくなっていく。
思わず目を閉じた恭也であったが、眩しさを感じる事もなくゆっくりと目を開く。
すると、目の前に一人の少女の姿が。
寝癖なのか、頭からぴょろんと飛び出た一房の髪が特徴的な大きなリボンをした少女。
恭也の記憶にはない少女の出現に、夢だと判断したはずの思考が揺らぐ。
当惑する恭也に構わず、目の前の少女は屈託ない笑顔を見せて恭也へと話しかけてくる。

「突然ですけれど、並行世界って信じますか?」

「……」

少女の問い掛けに少し考え込み、恭也は何も語る事無く背を向けると改めて周囲を見渡す。

「ちょっと、ねぇ聞いてよ。お願いだから無視しないで〜。
 わぁ〜、失敗した〜。まさかタケルちゃんと同じような性格の人だったなんて!」

背を向けた恭也の肘辺りを引っ張り、注意を引くも無視され、とうとう喚き出す少女。
間違いなく褒められていないと理解しつつ、恭也は自分の態度が原因だとも理解していたので、
仕方なく少女へと向き直り、

「すみませんでした。
 ちょっと突然の事態に軽く混乱してしまって、ここが何処なのか確認しようとしただけです」

「じゃあ、無視した訳じゃないんですね」

「え、ええ」

「そっか。あー、良かった。
 そうだよね、タケルちゃんみたいな性格の人がそうそう居るわけないよね、うん」

言っている事の意味は多少は分かるが、とりあえず恭也は目の前の少女は人に騙され易いタイプだなと判断する。
とは言え、恭也の言葉に本当に安心している女性、それも初対面のはずの人を前に意地悪をする気もなく、
とりあえずは今、自分が置かれている状況について説明を求める。
それに対し、少女はもったいぶるでもなく、明るい口調のままで説明を始める。

「まずここが何処かという事だけれど、私にも分からない」

「……えっと」

「で、次にここにあなたを呼んだのは私」

「どうやって」

「実はお願いしたい事があったの。何であなたなのかというと……」

「ちょっと待ってくれ」

こちらが口を挟む間もなく立て続けて語られる内容に混乱しつつもストップをかける。
キョトンとした顔を見せるも、少女は恭也の言葉に口を閉ざす。
ようやくまともな会話が出来ると、恭也はもう一度質問をぶつける。

「どうやって俺を呼んだんですか」

「うーんとね、こう、こんな感じで?」

腕を降って釣り竿を引っ張り上げるようなアクションを見せるも、当然ながら納得できるはずもなく、
だが、当の少女は嘘を吐いている様子は欠片もない。

「よく分からないんだけれど、タケルちゃんを助けてくれる人を探して、
 その中で一番呼びやすいのがあなただったの」

まだ納得いく説明ではないが、その辺りの説明を求めるのは諦め、大人しく少女の話を聞くことにする。
すると、少女はこれまでの態度とは打って変わり、静かな、物悲しい表情でぽつりぽつりと話し出す。
BETAという地球外生命体に襲われている世界の存在。
その世界へと呼び出し、何度もループさている異世界の幼馴染の少年の話を。

「でも、今回のループは今までと違っていてタケルちゃんも頑張ってたんだよ。
 だけど……」

言い辛そうに淡々と起こった出来事を話していく。
教官が目の前で殺され、元の世界へと帰ったこと。
そこで起こった事件に事故。そして、自らの命を絶ったことを。

「でも、タケルちゃんはまたあの日に戻る事になると思うの。
 だから……」

「つまり、俺にその白銀武という人物を手助けしろと」

恭也の言葉に頷く少女であったが、恭也としてはそんな事が出来るとはとても思えなかった。
とは言え、ここまで話を聞いて捨てておくと言う決断も取り辛く。

「分かりました。引き受けましょう」

「本当!?」

「ええ」

「本当の本当に?」

「そうですって」

「あ、ありがとう!」

恭也の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべる少女。もし断られれば、他の者を探そうとしていたらしい。
とは言え、そう時間もないとの事だったが。

「とりあえず、私も大した力がある訳じゃないみたいなんで、さっさとやっちゃおう」

「いや、その前に一言家族に言っておかないと」

「それなら大丈夫。全てが終わったら、元の世界の同じ時間に戻れるから。
 という訳で、もう良いよね。私の方もそろそろ時間的に余裕もないみたいだし」

「分かりました。と、その前にあっちの世界で俺はどういう立場になるんですか?」

「さあ? とりあえず香月博士に会いに行けば良いと思うけれど。
 とりあえず、戸籍とかもないし……」

「……いや、そんな投げっぱなしな! あなたは忍か!」

思わず恭也をもってしても、初対面の少女にきつい言葉を投げてしまう。
が、その少女は申し訳なさそうな顔をするのみ。

「ごめんなさい。でも、私はここでの事は多分、覚えていないと思う。
 向こうの私は脳髄だけの状態だし。それに戸籍やそんなのは弄れないから。
 でも大丈夫だよ、香月博士ならきっと何とかしてくれるはずだから」

そう言うと、少女は信用されるためのものを幾つか教えてくれる。

「それじゃあ、もう時間だから……。タケルちゃんをお願いします」

最後はとても真摯な顔で真剣に頼み込んでくる少女を見て、恭也は仕方ないと腹を括る。

「それだけ、その白銀という者の事が好きなんだな」

「っ、あう、あぁっ、う、うん……。って、何言わせるのよ!」

思わず出たパンチの予想以上の早さにそれを喰らい、恭也は思った以上に重いパンチに少なからず驚く。
が、それに対して文句を言う前に自分の身体が光始める。

「なるほど、原理は分からないがこれで移動するのか」

怪奇現象を前に平然と返す恭也に、少女の方が逆に驚いたような顔を見せるもすぐに真剣な顔で恭也を見送る。
最後にもう一度武の事をお願いし、恭也の姿はここから消えて行く。
まさにその瞬間、

「あっ!」

「ちょっと待て、何だその何か間違えたというようなこ――」

恭也の突っ込みも間に合わず、恭也の姿は綺麗に消え去る。
さっきまで恭也の立っていた場所を気まずそうに見ていた少女であったが、
本人も言っていたように時間が来たのか、その姿が徐々に消えて行く。

「……多分、大丈夫だよね。しっかりとした人みたいだったし、うん。
 タケルちゃん、さっきの人がもし遅れるような事があっても責めてあげないでね。
 でもでも、私の所為でもないんだからね、本当だからね」

大人しく消えていくかと思いきや、誰もいないはずなのに必死に言い訳をする少女。
その言い訳は終いには武の過去の暴挙へと及び、いつの間にか一人で怒っている。
そんな状態のまま、少女の姿は完全に消えていった。



鬱蒼と木々が生い茂る森林の中。
このご時世、これだけの自然が残る場所は非常に珍しいが、周囲には街もなければ人の気配もまるでない。
そんな森林の奥深くに身を隠すように暮らしている一人の男がいた。
名を白銀武といい、彼は柊町からここまで逃げてきていた。
どうせ死んでもループするのだろうと自虐的に考え、せめて横浜から離れようとただ足を動かした。
その結果、こうして人気のない森林を見つけ、そこで木の実などを採ってこれまで生き延びていた。
が、既にその目には生きる意志などなく、単に日々を過ごしているという感じであった。
実際、腹が減ると起きて食事をし、また寝る。それを繰り返すばかりの日々を過ごしていた。
そんなある日、腹が鳴って目を覚ました武は適当なものを採ろうと寝床としている洞から出て森の奥へと入って行く。
流石に長い事暮らしていれば、多少入り組んだ特に目印らしきもののない森でも迷う事はなく、武の足に迷いはない。
まあ、生にそれほど執着していない武には、ここに来てすぐの頃から元々そんなものはなかったが。
僅かに覗く空を見上げ、今が夜であることを確認するもそれに大した意味はなく、
ただいつもよりも少し騒がしく感じるだけであった。
そんな武の前に一つの影が飛び出して来て、向こうは前もろくに見ないで走っていたのか、
そのまま武とぶつかり、二人して転んでしまう。
殆ど無意識の行動として、ぶつかってきた影を庇うように武は自分を下にして転ぶ。

「申し訳ございません。急いでいたもので……」

そう言ってこちらを見下ろしてくる顔を前にして、武は実に久しぶりとなる感情をその目に、顔に顕わにする。

「めいや……?」

思わず零れ出た言葉に、武に覆いかぶさっている女性は驚いた顔を見せる。
それを見て、武はしまったという顔をするも、すぐに取り繕い女性の下から這い出る。

「大丈夫ですか。ちょっと知り合いと間違えまして」

目の前に居る人物が冥夜ではないと分かり、
武は無難にやり過ごすためにそう口にすると女性に手を貸して立ち上がらせる。
対する女性は武の手を取り、こちらも既に表情を立て直して礼を口にする。
何か尋ねたそうにしている少女に気付くも、武はそれに気付かない振りをしてこの場を立ち去ろうとする。

「お待ちになってください」

だが女性にそう呼び止められ、武は渋々ながらも足を止める。

「そなたはここで何を」

てっきり冥夜の事を聞いてくるのかと内心で身構えていた武であったが、
正直、今のこの世界では顔を会わせてさえいないので聞かれても困るため、この質問に胸を撫で下ろす。

「単にお腹が空いたから食べ物を取りに来たんですよ」

目の前に居る女性、この国の将軍、煌武院悠陽を前に武は思わず普通に返してしまい、
その反応が新鮮だったのか、悠陽はただ可笑しそうに笑うだけであった。
ともあれ、事態がよく分からず武は無難にこの場を離れる事を決め、挨拶もそこそこに立ち去ろうとする。
そんな武を悠陽は呼び止め、

「申し訳ありませんが、ここから出口まで案内してくださいませんか。
 連れの者とはぐれてしまい、道が分からないのです」

面倒な事になったと思いつつ、武はそれを隠して出来る限り丁寧な言葉遣いを心掛ける。

「出口と言われましても、どこを指しているのかが分からないので案内はできません。
 お……私もこの周辺に住んでいるとは言え、この森全てを知っている訳じゃないんですよ」

「そうでしたか。それなら、そなたの住んでいる所までで構いません」

その場に置き去ろうとする武の意図に気付かず、悠陽は武の住んでいる街まで連れて行けと頼んでくる。
仕方ないと武は諦め半分に自身の住んでいる所まで案内する。

「ここがそうなんです。すみませんね、街とかじゃないんですよ。
 初めに言えば良かったんですけれど、多分信じてもらえないと思ったのでこうして連れてきました」

武の言葉に驚く悠陽であったが、今度はこのような場所で暮らしているという事を謝り出す。
それを遮り、とりあえず武は気になっていた事を尋ねる。

「ところで、今日は何月何日でしょうか。なにぶん、世間と離れているので、全く分からないんですよ」

「今日は十二月五日です」

冗談めかした武の言葉に小さな笑みを浮かべ、応えた悠陽の言葉に武はクーデターを思い出す。

(つまり、今まさに帝都から抜け出してきたという事か)

だとすれば、あまり長い事この場に留まらせる訳にもいかないと判断するも、悠陽に言った言葉に嘘はなく、
どちらに行けば良いのかなんて武には分からない。
道案内を出来ずに困っている武に気付いたのか、逆に悠陽が気を使って話しかけてくるという事態にまでなり、
かと言って、大した理由もなく、その話を遮る事も出来ずに時間が過ぎてしまう。
やがて、悠陽は意を決したように冥夜の事について触れてきた。

「先程そなたが口にしていた冥夜というのは、誰かの名前なのですか」

「ええ、まあ。といっても向こうは俺の事を知らないと思いますけれど」

悠陽から話し易いように話しても良いと言われた武は、本当に話し易いようにくだけた喋り方をしている。
その事にまた新鮮さを抱きつつも、悠陽は武の応えに僅かに眉を顰める。
先程の呼び方から、そんな程度ではないと思ったのだが。
今更ながらに不審そうに武を見るも、悪人には見えず、寧ろ何もかも諦めたような朽ちた印象のある目に気付く。
その目を前にして、悠陽は知らず武に近付くとその頭を抱き締め、まるで赤子をあやすかのように穏やかな声を出す。

「何か辛い事があったようですね。私で良ければ話してみませんか。
 ここまでの案内のお礼に聞くぐらいなら出来ますよ」

久しぶりの温もりからか、もしくは冥夜とよく似たその人となりからか、武は実に久しぶりとある涙を零し、
誰にも話すつもりのなかった事を、気付けば話していた。
BETAの居ない世界から最初にこの世界にやって来た事から、現在に至るまでの全てを。
それを黙って聞いていた悠陽の目から涙が零れ、慰めるように武の背中を抱いて優しく擦ってやる。

「常人には経験できないような辛い事があったのですね。そなたの悲しみを理解できるとは言えません。
 ですが、そなたはいつまでここに居るつもりですか。
 今の話を聞く限りでは、そなたにしか出来ない事があるのではないですか」

優しくも厳しい眼差しを向ける悠陽。
その視線を受け止めるように見返すも、武は目を逸らす。
だが、悠陽は武の顔を両手で挟み、それを許さない。

「多くの衛士が仲間を失う辛さを経験しているものです。
 私が偉そうな事を言えるものではない事は重々承知ですが、敢えて言わせて貰うのなら、
 そなたはその者たちの死を無駄にしています」

悠陽の言葉に何の反論もできず、武はただ黙ってその言葉を聞く事しか出来ない。
だが、徐々にその言葉に瞳に力が戻り始める。
それを見て取り、悠陽はようやく武を離すと優しい笑みを投げる。

「迷いはなくなりましたか」

「多分。
 幾ら、今ここでまりもちゃんが生きているからといって、やはりあれがなかった事になった訳じゃないです。
 そこまで割り切れません。でも、少なくとも今、ここに居るあいつらの為にも俺はいつまでもここに居られません。
 そう思えるようになりました。殿下には感謝の言葉もありません」

「良いのですよ、白銀。私もそなたの力になれたのなら喜ばしい事です。
 では、これからのそなたの事について考えましょう。時間が惜しい故、移動しながらにしましょう」

立ち上がる悠陽の後を慌てて追いかけつつ、武は首を捻る。

「これからの事って何ですか? それに何処に行けば良いのか分からないんですよね」

「ええ、その通りです。ですが、同じ場所に居るよりも少しは歩いた方が良いでしょう。
 その内、鎧衣が探し出してくれるでしょう」

悠陽の隣に並び、歩き出す武を一度見ると、悠陽はそのまま前を見て続ける。

「これからの事とは、文字通りですよ。
 このままそなたが現れてはたちまち不審人物として捕まってしまいます。
 ましてや、この世界のそなたは死んだ事になっていると申したではありませんか」

「えっと、途中で殿下と別れて横浜基地へ行こうと思うんですが」

「いえ、もっと早い手段があります。そなたをたった今から、私直属の隠密という事にします」

「ああ、そうすればこのクーデターの終結と同時に……って、殿下の直属!?」

「はい。そうすれば、データベース上の死亡しているのもその方が都合が良いからと言えるでしょう」

「いや、ですけれど、殿下に迷惑が」

「このぐらい大した事ではありません。それよりも、計画の方を宜しく頼みます」

悠陽の言葉に驚くも、武はその行為に甘える事にする。
最初にループしてから今まで何もしてこなかった所為で時間が殆どない状況なのだ。

「鎧衣の方には将軍のみが知る隠密の者が合流したと説明します。
 後は全てこちらで手はずを整えましょう」

「何から何まですみません」

悠陽の厚意をありがたく受け取り、武は先程までとは打って変わり、力強く足を踏み出すのだった。
この時点でまだ武は知らない事だが、既に歴史は彼の知るものとは少し変わっていたのである。
彼を何よりも第一に思う、一人の少女によって。



「…………ここは?」

可笑しな夢を見たと思うところだが、やけに鮮明に思い出せる先程のやり取り。
それと今の自分の姿。
寝巻きではなく動きやすい服装に完全装備している状況を見て、冷静にあれが現実であったと判断する。
恭也は改めて周囲を見渡し、今まさに陽が登り始めている事に気付く。

「明け方か。しかし、最後のあの驚いた声は何だったんだ。
 とてつもなく嫌な予感しかしないんだが……」

最後の少女の様子を思い出し、嫌な汗を背中に感じる。
それを打ち払い、まず恭也はここからどうするかを決める事にする。
とりあえずは横浜基地を目指さなければならないのだが。

「ここは何処だ? 確か基地の近くで目覚めると言っていたと思ったのだが……」

見渡すもそれらしき物は何も見えない。
益々嫌な予感が現実になりつつあるのを感じながら、恭也は適当に歩き出す。
それから数分後、その予感が現実となるのを知る事となるとはこの時は思いもしない事もなかった。

「どこだ、ここは。まさかとは思うが、時間まで間違えていないだろうな」

ここまで来ればもう嫌な予想が次から次に溢れてくる。
とりあえず、恭也は現状を把握すべくやはり何もない周囲を見渡した後、またしても適当に歩くしかなかった。
恭也は無事に横浜基地へと辿り着けるのか。

「というか、どこに向かっているんだろうな、これは」

果たして、人類の運命は。

muv-heart IF



   §§



「……んん。もう、朝か」

目覚めの良い恭也にしては珍しく、すぐに起きだせずにいた。
それもそのはずで、昨夜は鍛錬から帰り、美由希の後にシャワーを浴びたのが一時過ぎ。
その後、今日提出しなければならない課題を思い出し、寝たのはほんの二、三時間前なのだ。
これが鍛錬などであった場合はまた違うのだろうが、学業を遅くまでしていたというのが悪かったのかもしれない。
などと、大よそ学生の言葉とは思えないような事を思いつつ目を開ける。
まだまだ日中は暖かな日もあるが、やはり秋も深まり朝夕はそれなりに冷える。
その空気の冷たさで目をはっきりさせようと布団を跳ね除け、胸一杯に息を吸い込む。
と、その鼻腔に普段の恭也の部屋からは決して匂わない、甘さの混じった香が漂う。
訝しげにもう一度鼻をひくつかせてみるが、どうやら間違いではないようだった。
同時に、布団を跳ね除けたにしては温かい。
今更ながら、恭也は右腕に柔らかな感触があるのに気付き、顔を横へと向ける。

「#$%A$Y!」

恭也は声に鳴らない声を上げそうになり、それを押さえ込む。
いや、実際には驚きのあまり声などは出ていなかったのだから、取り越し苦労というものだったのだが。
ともあれ、恭也は隣を見て目をぱちくりさせる。
そんな恭也の動きに気付いたのか、恭也の隣りがもぞもぞと動く。

「ん、もう朝か。しかし、そなたは早いのだな」

「…………」

恭也は無言で横を、正確には隣り、それも同じ布団で眠る女性をじっと見詰め続ける。
恭也の右腕に抱きついて眠っていた女性は、じっと見詰められて頬を紅くする。

「そんなに見詰めるでない。流石に、照れる」

見詰められて恥らいながら女性は寝巻きとして着ていた和服の襟元を正すため手を差し入れて整える。
そんな仕草の一つ一つに気品が漂い、思わずその美しさに見惚れつつも、恭也は現状が全く理解できていない。
女性が襟元を正す際、右腕に触れていた柔らかな感触もムニュムニュト動き、
それが余計に拍車を掛け、恭也の頭の中は真っ白になる。
そんな思考の片隅で、恭也は前にも似たような事があったような気がした。
あの時もこんな感じで目が覚め、隣に見たこともないはずの目の前の女性が眠っており……。
そう思って改めて目の前の女性を見れば、以前に会った事があるような気もしてくる。
だが、実際にそんな過去などあったはずはなく、目の前の女性とも初対面のはずである。
これが既視感かと一人納得する間も女性を見詰めていたらしく、女性の顔は先程よりも赤く熟していた。
それに気付き、改めて今の状況を思い出して恭也は身体を起こす。
こちらも若干顔を赤くして、とりあえずは説明を求めようと口を開くのだが、
それを邪魔するかのように第三者の声が割って入ってくる。
だが、それは恭也が危惧する美由希のものではなく、恭也のすぐ隣、共に眠っていたらしい女性との間からであった。

「ん〜、まだ眠い……」

言葉の通り、半分閉ざされた眼を手で擦り、見た目4、5歳の少女がもぞもぞと身体を蠢かす。
どうやら布団に潜っていたらしく、恭也が起き上がって掛け布団が捲くれ上がったために、
ようやく発見できたといった感じである。
その少女を見下ろし、恭也はこの少女も女性の連れかとそちらを見れば、女性の方も驚いたような顔をしていた。

「……あー、とりあえず現状の説明を願いたいのだが」

「ああ、私としてもこの子が何なのか聞きたいから丁度良い」

何故か挑むような目付きで睨んでくる女性に若干たじろぎつつ、恭也は今更ながらと自己紹介しようとする。
しかしそれは必要なく、恭也が口を開くよりも先に女性の方が話し始めていた。

「恭也、共に過ごせる事を嬉しく思うぞ。
 昨夜は隣にそなたを感じられてこれ以上の幸福はない。
 恭也の母君に少し無理を言った甲斐があったというものだ」

「…………」

女性の言葉に恭也の脳裏には嬉々としてあっさりと家へと上げた母親の姿が思い浮かぶ。
思わず頭を押さえそうになるのを堪え、恭也は女性へと初歩的な質問をぶつける。
それはすなわち、

「所で貴女は誰ですか?」

「うん? 私の名は御剣冥夜。そなたとは絶対運命という固い絆で結ばれている」

質問に答えているとも言い難い答えに恭也は何とも言えない顔をするも、何か引っ掛かるのか考える素振りを見せる。
と、その視線が壁に立てかけられた刀へと向かう。
瞬間、恭也は目の前の冥夜と名乗った女性の顔を凝視するように見詰め、
照れる冥夜に構わずそれこそ穴が開かんばかりに見詰め続け、やがてその口からゆっくりと言葉が零れ落ちる。

「まさか、冥夜……?」

「覚えているのか!?」

恭也の言葉に冥夜は先程までの落ち着いた雰囲気とは打って変わり、切羽詰ったような様子で問い詰めてくる。
対する恭也は近付いてきた顔から視線を逸らさず、逆に急に思い出すかのように脳裏に浮かぶ映像を口にする。

「昔、父さんと寄った街の一つで公園に居た女の子。
 砂場で一緒に遊んだりしたあの冥夜だよな」

「そうだ、その通りだ。他には……いや、気にしないでくれ」

何か言いかけた冥夜であったが、急に口を閉ざす。
だが、その不審さに気付かず、正確にはそれどころではなく、恭也は次々と思い出してくる記憶を知らず口にする。

「そうだ。それでまた再会する約束をしたんだったな。
 思えば懐かしいな。そういえばあの時、再会したら……ま、まあ、久しぶりだな」

急に顔を赤らめて言葉を濁す恭也を見て、冥夜は恭也へと更に詰め寄り先程よりも切羽詰まったように続きを促す。
だが、恭也は恥ずかしくてそれを口にするのが躊躇われ、冥夜の手から逃れようとする。
それを逃がさないとばかりに恭也の襟元を掴み、触れんばかりの距離まで顔を近づけて真剣な面持ちで言葉を待つ。
仕方なく、恭也は諦めたように恥ずかしそうに続きを口にする。結婚の約束をしたことを。
それを聞いた瞬間、冥夜の目から涙がハラハラと零れ落ち、恭也は慌てて手で涙を拭う。

「すまなかった。小さな頃の約束とは言え、冥……御剣さんに嫌な思いをさせたみたいで」

冥夜が無理矢理聞き出した事であったはずなのだが、恭也は謝罪を口にする。
だが、恭也の考えとは逆に冥夜は恭也へと抱きつき、その胸の中で更に泣き始める。
泣き続ける冥夜をどうしたものかと困った感じで手を宙にさ迷わせていた恭也であったが、
おずおずと背中へと手を回し、慰めるようにそっと優しく撫でてやる。
その恭也の耳に泣きながら話す冥夜の声が聞こえてくる。

「め、冥夜で良い。わ、私はそなたが約束を覚えていてくれた事が嬉しいんだ。
 あ、謝るでない。そなたとの約束がどれほど私の支えになった事か……」

泣きながらそう語るとまた声を押し殺すように泣き出す。
冥夜の言葉に多少の安堵を覚えるものの、状況的に改善されたとは言い難いこの事態に恭也はどうする事も出来ず、
ただ冥夜が泣き止むのを待つ事にするのだった。

「……すまなかった」

「いや、気にするな」

ようやく泣き止んだ冥夜を前にして、恭也はまだ残る問題である少女を見る。
どうやら、冥夜が泣いている間に目を覚ましたらしく、こちらをじっと見詰めている。
それに気付き、冥夜はばつが悪そうな顔をしつつ、完全に忘れていた少女の存在を思い出して恭也へと問い掛けるのだが、

「とおさま〜!」

そう言って恭也へと飛びついた少女の言葉に二人とも声を無くす。

「……っ! きょ、恭也、そ、そなたこ、ここ子供が……」

「いや、ちょっと待て! し、知らない!」

慌て混乱する二人を他所に、少女は恭也の袖をぎゅっと握り締め、泣き笑いの表情を見せる。

「とおさま、やっと会えた。かあさまが言った通り、会いに来てくれたの?」

少女は明らかに勘違いではなく恭也を父親として見ている様で、それが二人にもよく分かった。
とは言え、恭也の方は身に覚えはなく、冥夜の方はそんな恭也へと鋭い視線を向ける。
その視線にたじろぎつつも、恭也は無実を証明するべく少女へと話しかける。

「えっと名前は何て言うのかな?」

「小夜、高町小夜」

はっきりとそう告げた少女の言葉に冥夜の視線が更にきつくなる。

「恭也、あまり言いたくはないが嘘は良くないぞ。
 例えそなたの過去がどのようなものでも私の想いは変わらぬ。
 勿論、既にそういう女人が居ると言うのなら、諦めも……」

まるでこの世の終わりとでも言わんばかりに落ち込んだ表情で語る冥夜へと小夜が近付き、心配そうに見上げる。

「かあさま、どうしたの?」

その言葉に今度は冥夜が動きを止め、恭也が何か問いたそうな顔になる。

「ち、違う。私はそなた以外などと。そもそも、私はまだそういった事は、って何を言わせる!」

真っ赤になってポカポカと叩いてくる冥夜の腕を掴み、とりあえずは落ち着かせる。
その過程で冥夜がここに来た理由や、恭也が幼い頃の約束を覚えていなかった場合の事を知る事となるが、
そこから分かったのは、それが事実なら冥夜の子供ではないだろうという事ぐらい。
かと言って、恭也にも覚えなどないのだ。
共に困惑するのを他所に、小夜と名乗った少女は嬉しそうに恭也と冥夜の手を握り締めてくる。

「小夜、もう少し詳しい事を話してくれるかな?
 どうして俺が父さんなのかな?」

「かあさまから写真を見せてもらったの。
 とおさまとおかあさま、それと美由希さんたちと一緒に写っている写真」

「……美由希まで知っているのか」

「うん。他にも白銀さんや鑑さん、榊さんっていう人たちも写ってた」

「そこまで。えっと、それじゃあ、どうして俺が会いに来たって?」

「かあさまが言っての。とおさまはわたしたち皆を守るために戦っているからすぐには会えないって。
 でも、いつか会いに来てくれるからって」

小夜の言葉に頷きつつ、恭也は冥夜を見る。
冥夜の方はやはり身に覚えなどなく、ただ首を横に振るのみである。

「だが、可笑しな話だ。俺と冥夜は初めて会った訳ではないとはいえ、再会したのは今日。
 当然、武たちとは会った事などないだろう」

「ああ。恭也の友人だろうと推測はできるが」

「それなのに、俺たちの今の年ぐらいの写真、しかも武たちまで一緒に写っているなど」

困り果てる二人へと遠慮がちの声が部屋の隅から掛かる。

「恐れながら冥夜様、恭也様」

「月詠か」

「はっ。恭也様にはお初にお目に掛かります。私、月詠真那と申します。
 冥夜様に仕える侍従でございます。以後、お見知りおきを」

そう断ると真那は小夜に一言断り、髪の毛を抜き取る。
同じように恭也と冥夜の髪を取ると、

「私はこれからDNA鑑定をしてまいります。
 手筈の方は既に連絡をしておりますので、すぐに結果が出ると思います。
 では、これにて失礼させて頂きます」

言うなり真那の姿が掻き消える。
それを呆然と見送った恭也であったが、結局は現状の打開策は何もなく、放置されたのと変わらないと気付く。
困ったように顔を見合わせる二人に気付かず、小夜は本人曰くやっと会えたとおさまの存在に嬉しそうである。
そんな様子を見て、冥夜の頬も綻ぶ。
知らず小夜をあやすように髪を撫でてやれば、目を細めて冥夜に抱き付く。

「何とも可愛いな」

「そうだな」

恭也もつられるように頬を緩めるのだが、ようやく時間を気にする余裕が生まれてくる。
時計を見れば、既に鍛錬の時間はとうに過ぎており、恭也ははてと首を傾げる。
ここまで遅くなれば、美由希辺りが部屋にまで来ても可笑しくはないのだがと。
だが、来ないものは仕方ない。
現状、流石に鍛錬に出て行けるような状況ではなく、恭也はこれ幸いと今日は鍛錬休みとしてしまう。
その分、放課後をと鍛錬メニューの変更を考えながら。
一方、件の美由希はと言うと……。

「んぐー! ふんふんぐぅー!」

猿轡に加え、手足を何重にもロープで縛られた状態で部屋のベッドの上に転がっていたりする。
一体誰の仕業なのか、それはやった本人だけだろう尤も話を聞けば、冥夜にも分かるかもしれないが。
ともあれ、そんな訳で美由希は流石に起きてくるのが遅いと思った晶が部屋を訪れるまで誰にも気付かれる事もなく、
ベッドの上で縛られたまま転がされているのだった。



朝食の準備を始めているレンへと二人分多めに頼み、恭也はもう一度部屋へと戻る。
その途中、晶と出会い美由希はと聞かれたのでまだ起きていないと答えると、
晶が様子を見てくると言って美由希の部屋へと向かう。
それを見送り、手間が省けたと自室へと引き上げる。
一応、ノックをすれば着替えを終えた冥夜からの返答が返って来る。

「小夜の着替えは……あるわけないか」

「ああ。とりあえずはこの格好のままでいてもらうしかないな。
 月詠がいればすぐにでも用意させれたのだが」

二人がそんな会話をしていると、小夜は珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡している。

「どうした、小夜」

「ここは何処? 見たことないものがいっぱい」

恐らくは元々居た場所とは違うのだろうと分かり、恭也は小夜が尋ねてくるものを説明してやる。
いつの間にか手を繋いできているのだが、流石にそれを振りほどくような事はせずにリビングへと向かう。
そこで新聞を読んでいた桃子が顔を上げて挨拶をしてくる。
やっぱり冥夜とは昨日に顔を会わせていたのか、その顔は悪戯が成功したような顔をしており、
恭也の反応を楽しそうに窺っている。そんな桃子へと呆れたように肩を竦める恭也の隣で、小夜がまた興味を示す。

「とおさま、あれは何ですか?」

「ああ、あれは……」

「……とおさま?」

「かあさま、あれは?」

「あれか、あれは……恭也、あれは何だ?」

「……かあさま?」

三人のやり取りに桃子が呆然を通り越し、信じられないものを見る目で恭也と冥夜を見詰め、
次いで二人の間にいる小夜を見遣る。

「きょ、恭也、アンタ奥手かと思っていたのに、やる事はやってるのね。
 まあ、幾ら枯れていると言っても冥夜さんほどの美人さんが寝所に忍び込んでいれば仕方ないわね。
 でも、子供は幾らなんでも早すぎじゃない?
 勿論、桃子さんとしては嬉しいだけれど、向こうのご両親に何て言えば……。
 って、その前に一晩で出来るものなの!? と言うか、その子いくつよ!?
 え、え、そりゃあ、非常識な出来事があるのも知っているし、
 うちの子たちも少々変わっているのは分かっていたけれど、幾らなんでも一晩で子供って!?」

軽く混乱している桃子を落ち着かせるべく恭也が説明しようとする前に、晶がリビングへとやって来る。
桃子が騒いでいたのでこちらへと顔を出し、同じく困惑していたレンが条件反射のように文句を言う。

「おサル、朝から騒がしいな! そんなに元気が有り余ってるんなら、そこら辺の木にでも登っとれ!」

「うるせぇ、カメ! って、それ所じゃないんだよ」

いつものように言い返してこず、慌てる晶の様子からレンもただ事ではないと察したのか、改めて晶へと向き合う。

「師匠! 美由希ちゃんが部屋の中で縛られていたんです」

「恭ちゃん、侵入者がって知らない人が居る!」

「落ち着いて、美由希ちゃん。侵入者が居るんだから、知らない人が居るのは不思議じゃないって。
 きっと師匠が捕まえてくれたんですよ」

「その割には何か仲良さそうなんだけれど」

「それよりも恭也、どうやって一晩で子供なんてどうやって」

「子供? 子供ってなに!? って、今のかーさんの台詞だと、恭ちゃんの子供って事なの!?」

「落ち着いて美由希ちゃん。うちもよく分からんのですが、何やお師匠とそちらの人との間の子供みたいで」

「って、あの人は侵入者じゃないのか? だとしたら、侵入者がまだ居るって事か?
 師匠、なのちゃんがいませんよ」

「おサルの言う事が正しいのなら、なのはちゃんの安全を確認せな。
 この阿呆! まっさきになのはちゃんの部屋を見てこんかい!」

「うるせぇ、俺だって慌ててたんだよ!」

「侵入者って何、晶ちゃん。美由希が拘束されてたって、なのはは!?」

「かーさん、恭ちゃんの子供って、って、なのは! 私なのはの部屋を見てくるから、かーさんはここにいて」

「えっと、おはよう。朝から何騒いでいるの?」

出て行こうとした美由希の正面から、なのはが困惑したように挨拶をしてくる。
なのはの無事を確かめ、抱き付く美由希に更に困惑した顔を向けるが、当の美由希は良かったと繰り返すだけ。

「えっと、晶ちゃん何があったの?」

「いや、何者かが侵入して美由希ちゃんを拘束していたんだ」

「え、でもそれならお兄ちゃんが気付くんじゃ?
 それにお姉ちゃんに気付かれずに拘束できる人って……」

「恭ちゃんの仕業なの!? 緊縛プレイ!? そんなマニアックな!」

「あ、師匠の悪戯だったんですか」

「いや、それはないんじゃないかな。ほら、恭也は昨日は子供をほら……」

「子供? あ、誰か来てるの? お客さん?」

「いや、それがお師匠の子供らしくて」

「えっ! お兄ちゃんの子供? え、結婚、の前に相手がいないのに?」

「恭ちゃん、とうとう人間を止めて性別まで飛び越えたんだね」

「そんな訳ないでしょう。ほら、そこに居る冥夜さんが母親で……」

「わぁ、綺麗な人」

「せやけど、一晩で子供って。しかも見た所、結構大きいですよ?」

最早収集が着かない混沌としたリビングを暫く黙って見ていた恭也――無論、
それぞれに対する報復なども考え済み――であったが、大きく手を鳴らす。

「とりあえず、説明をさせろ」

少し怒気を含んだ恭也の言葉に一斉に静かになる一同を見渡し、恭也は起きてからの事を説明する。

「で、だ。美由希が拘束された事については俺も知らなかった。
 とは言え、現在家に誰かが居るという気配もないが……」

美由希に気付かれず、いや、恭也さえ侵入者に気付かなかった事を考え、深刻な表情を見せる。
だが、その疑問を解くように冥夜がそれは真那の仕業だろうと告げると、その場に何とも言えない空気が流れる。
気を取り直し、寧ろ、被害者が美由希のみ、それもどこも怪我をしていないという状況から、
恭也はそれをなかった事としてレンに朝食をせがむ。
その言葉に一同も席へと着く中、美由希は一人涙を流すのだが、それを気遣ってくれる者もいなかった。



「冥夜様、恭也様。DNA鑑定の結果が出ました。
 DNA鑑定の結果、間違いなくお二人の子供でございます」

中々に衝撃的な転入の挨拶を終え、無事に午前の授業も終えて早々、
教室内までやって来た真那が更なる衝撃的な発言をする。
傍で聞き耳を立てていた武や忍などは物凄く事情を聞きたそうな顔を見せているのだが、
当の二人は告げられた真実に困惑顔を隠せないでいた。

「それでは、あの小夜が未来から来たとでも言うのか月詠」

「それは……」

「いや、すまない。そなたに言っても仕様のない事であったな。許せ」

「いえ、気になさらず。ただ、そう考える他ないのも事実です。
 所で、恭也様の方はあまり驚かれていませんね」

「ええ、まあ。何と言いますか、こういった非現実的な事には色々と縁がありまして、
 そのお蔭か耐性のようなものが出来たみたいですね」

言って苦笑を見せる恭也であるが、偶々それを聞いていた夕呼が次の授業で量子理論を展開し、
訳が分からずに困惑する恭也へと、時間は愚か異世界さえも超えられると話し出す。
話半分に聞いていた恭也であったが、冥夜の方は全部とは言わないまでも少しは理解したらしく感心していた。
何よりも、小夜が未来から来たにせよ、恭也と自分の娘なのだ。
これが冥夜にとっては一番大事なことであり、それに満足そうに頷くのであった。

muv-heart ALTERED FABLE



   §§



この春、あいつらが帰ってくる?

「朝だってば、浩平。いい加減起きてよ」

「うぅぅ、起きる、起きるからあと五時間だけ頼むよ、長森」

「駄目に決まってるでしょう。って、何で裸で寝てるの」

布団を剥いだ瑞佳はパンツ一枚という格好の浩平に驚くよりも先に呆れる。
毎度毎度、こちらを驚かせようと無駄な努力をする浩平との付き合いも長く、瑞佳は慣れた様子で着替えを用意する。
乏しい反応に不平を零しつつ、浩平は差し出された服へと着替え、そこでぱたりと手を止める。

「なぁ、長森。今日って日曜日だったよな」

「そうだよ」

「……よし、寝る」

「わぁ、駄目だってば。今日は七瀬さんたちと約束があったでしょう」

「約束……? お、おおう、そういえばあったな」

「まさかとは思うけれど、忘れてた?」

「そんな訳ないじゃないか」

はっはっはとわざとらしく笑い声を上げる浩平に呆れた顔を見せる瑞佳へと、浩平は何故か偉そうに胸を張る。

「次にお前はこう言う。浩平にはしっかりしたお嫁さん見つけてもらわないと心配だよ。
 気の強い子がいいんじゃないかな、と」

浩平がそう言った途端、瑞佳は悲しげな顔を見せる。

「そんな事言わないよ。それとも、浩平はやっぱりそういう子がいいの」

「って、いつもの冗談だろう。そんな顔をするなっての」

「だって……」

「うっ、お、俺が悪かったから、ほら早くしないと時間がないんだろう。
 それに俺が戻ってくれたのはなが……瑞佳のお蔭なんだ。分かっているだろう」

珍しく必死になって瑞佳へと言葉を掛け続ける浩平に、瑞佳は耐え切れなくなったように笑い出す。
ここに至り、ようやくからかわれていたと分かった浩平が憮然とするも瑞佳は、

「いつもの仕返しだよ」

そう笑顔でのたまうのであった。



「名雪、いい加減に目を覚ませ!」

「うにゅ〜、もうお腹がいっぱいで食べれないよ〜。
 でもイチゴサンデーは別腹だから大丈夫なんだよ」

「いいから起きろ!」

「うにゅ〜。……あ、ゆ〜いち〜。おはよ〜」

「ああ、おはよう。目は覚めたな? 覚めたらとっとと着替えろ。
 香里たちと約束の時間までそんなにないんだから早くしろよ」

「着替える……」

「って、まだ俺が居るんだから脱ぐな! って、まだ寝ぼけているだろう、お前」

目の前でパジャマを脱ぎ出す名雪の腕を掴み、祐一はそれ以上脱ぎ出すのを止める。

「うぅ、祐一、意地悪だよ。これじゃあ、着替えられない」

「だから、着替えるのは俺が出てからにしろって。分かったか?」

「分かった〜」

言いながらも祐一が手を離すなり脱ぎ出す名雪の腕を慌ててまた掴む。
と、流石にここで目が覚めたのかパチクリと瞬きを数回繰り返し、自身の乱れた衣服へと視線を落とし、
再び視線が目の前で腕を押さえ込んでいる祐一へと向かうなり顔を赤くさせる。

「ゆ、ゆゆゆゆ祐一。ななな、何してるの」

「また分かりやすい反応をするな。誤解だというか、お前が自分で脱いだ……」

「うぅぅ、こんな朝からだなんて祐一、エッチだよ。で、でも、どうしてもって言うんなら」

「うっ、って違う! 確かにその提案は魅力的なんだが」

思わず名雪の言葉に心惹かれつつも首を激しく振って煩悩を追い払い、さっさと着替えさせようとしたその時、
少しだけ開いていた部屋の扉から家主にして名雪の母親である秋子が顔を出す。

「どうしたんですか、二人とも。騒がしいみたいですけれど」

そう口にして顔を出した秋子は部屋の二人を見ると、柔らかな笑みを一つ浮かべる。

「了承」

そのまま何も聞かずに扉を閉めて出て行く。
その秋子に向かって、祐一は誤解だと叫びながら今しがた閉められた扉を勢い良く開けるのだった。



「よし、今日の鍛錬はここまで!」

「あ、ありがとうございました!」

乱れた呼吸を整えつつ、美由希は恭也へと一礼するとその場に腰を落とす。
肩を上下させる美由希へとタオルとペットボトルを投げて渡してやると、自身もタオルで汗を拭う。

「大分、動きがよくなってきたな」

「本当!?」

「ああ。やっぱり去年の実戦経験がとても大きいな」

珍しく褒められて美由希は嬉しそうにしつつ、恭也の言葉からとある人物を連想して少しだけ考え込む。

「美沙斗さんなら大丈夫だ。この間、連絡があったんだろう」

「うん。今は香港警防隊に居るって」

安堵と嬉しさを僅かに含ませた顔で美由希は一度掛かってきた美沙斗の電話を思い出す。
そんな美由希を黙って見詰めながら、恭也は美沙斗を止めた時の美由希を思い出す。
本人は分かっていなかったようだが、あの時放たれた斬撃。あれは間違いなく奥義の極。
一瞬とはいえ、美由希はあの領域へと踏み込んだのだ。
尤もあれっきりでそれ以降は一度も放ててはいないが。
しみじみとその時の事を思い出し、恭也は弟子を誇らしげに見遣る。
まあ、それを口に出したりしないのは恭也らしいが。



それはいつも通りに始まった一日だった。
今日もまたいつものように過ぎていく日々になるはずの。
だが、異変は音もなく忍び寄り、気付いた時には既に世界中がその異変に巻き込まれていた。
ある場所では、突如として見覚えのない生物があちこちで姿を見せ人を襲い始める。
またある場所では、突然見たこともない街が出現する。
しかし、不思議な事に突如現れた街はそれまであった建物を押しのけて現れたのではなく、
まるで初めからそこに空きがあったかのように、元あった建物と建物の間に姿を見せていた。
当然の如く、街には人が住んでおり、その人たちも突然の出来事に驚いているようであった。
それだけに収まらず、異変はまだ続く。突如として世界へと向けて宣戦布告してきた魔王を名乗るもの。
そして、魔王から告げられたのは、二つの世界が融合したという事実であった。
だが、絶望ばかりでもなかった。
二つの世界が融合した際、どのような力が作用したのかは分からないが、可笑しな力に目覚める人々も出たのだ。
国連は直ちに魔王討伐軍を編成し、その可笑しな力に関しても研究を進めた。
兵器対魔法。圧倒的な火力を持つ人類に並みのモンスターでは歯が立たず、
このまま押し切れるかと思ったのも束の間、魔王に対してはその兵器さえも通じないという事実が浮かび上がる。
国連はこの事実を公表する事無く隠し、狂った世界により生まれた可笑しな力の研究に更なる力を注ぐ。
それこそが、二つの融合した世界の抑止力として生まれたものではないかと考えたのだ。
だが、その力は同時に国家間の軍事バランスをも崩しかねないものでもあり、
人類は魔王という共通の敵を前にしつつも、自国の益を捨て去る事は出来なかった。
こうして、国連による研究機関とは別に、各国独自の研究機関が生まれる事となるのであった。
僅か数年で、世界は混沌とした様相を見せる。



「恭ちゃん、魔王を倒しに行くの?」

「いや、それは誰かがやってくれるだろう。俺は俺の周りの人たちを守れればそれで良い」

「恭ちゃんらしいけれど、本当にそれで良いのかな」

「さあな。だが、元々あった国だけでなく新たに出現した国もあり、
 尤も向こうからすればこちらが出現したという事らしいが、兎も角、国が増えて余計に足並みを揃え難い状況だ。
 そんな中で俺たちが勝手に動く事もできまい」

「だよね。それに軍が動いても駄目なのに、私たちだけでどうにかできる訳ないか」

突然の事態に力を得つつも現状を維持するもの。



「おお、耕介見てみろよ。このアヴァターって能力は便利だな。
 自分と全く同じ能力を持つ分身を複数作り出せるとは。くっくっく、これで締め切りも怖くない」

「真雪さんが三人……」

「うーん、同じ能力って事は全員がさぼったりしてね」

「リスティ、それはどういう意味だ?」

「あ、あははは。耕介、後は頼む」

「って、頼むって何だリスティ!?」

手に入れた力を完全に趣味というか、自身のために使うもの。



「よし、七瀬。魔王を倒したら乙女だぞ」

「おっけー! 今すぐ倒してくるわ!
 って、行く訳ないでしょうが! 大体、どんな理屈よそれ!
 第一、魔王を倒した乙女って何なのよ!」

「何だよ、お前なら鼻歌混じりで魔王なんてダウンだろう」

「アンタね、私を何だと思ってるのよ!」

「うぎゃぁっ! お、お前、力を使って突っ込むなよ、危ない奴だな。長森もそう思うだろう」

「えっと……浩平が悪いよ」

「お、俺の味方がいないだと!?」

「そう言いながら、力を使って人のお下げを引っ張るな!」

「ぐえっ」

「ああ、浩平大丈夫!? えっと回復、回復」

得た力をただ日々の悪戯に使うもの。



「って、起きろよ名雪。眠りながら結界を張るってどんだけ器用なんだ。
 というか能力の無駄遣いだ!」

「すぅ〜、すぅ〜、んにゅ〜、祐一、スリッパは食べれないよ」

「って、どんな夢を見ているんだ! どんな状況で俺はそんなものを口にしている!?
 と言うか、さっさと起きろ!」

「んにゅ〜、駄目だよ祐一〜。靴下は別腹って、そもそも食べ物じゃないよ〜」

「だから、何をしているんだ夢の中の俺!?」

全く変わらない日々を過ごすもの。



様々な者たちが様々な思惑を持ち、世界は今日も存在し続ける。
だが、そんな事などお構いなく、魔王の侵攻は着々と進むのであった。

魔王と能力者



   §§



ホテルの一角、そこで繰り広げられた死闘。
それは人知れず幕を閉じようとしていた。
親子の再会という副産物を付けて。
だが、そんな甘い事は許さないとばかりに隠れていた者により爆弾が投げ込まれ、
それを見た瞬間に動き出せたのは恭也だけであった。
全力を出し切った美由希は疲れきり、すぐには動けない状態。
美沙斗はその美由希にやられ、こちらもすぐに動けない状態であった。
恭也は神速を用いて爆弾の入った小包を手に抱え、廊下は愚か付近の部屋にも誰もいない事を確認すると、
爆弾の入った包みを滑らせ部屋に戻ろうとする。
だが、ここで彼の膝が悲鳴を上げる。
恭也もまた先ほどまで激しい戦闘をしていたのだ。
その反動か、元々壊れかけの膝が限界を超えて崩れ落ちる。
近付く床を目の前にして、恭也は残る力で美由希たちの居る部屋の扉を閉める。
せめて美由希たちだけでもと。
視界いっぱいに映るのは廊下の床。その耳に微かに届いたのは扉の閉まる音。
だが、それらもすぐに爆発により掻き消されるのだった。



美由希から連絡をもらったリスティが駆けつけた現場は床と言わず壁、天井と吹き飛ばされ酷い有様であった。
だが、それほど大きな爆発ではなかったのか、フロア全てが駄目になったという程ではない。
爆発の中心から十数メートル。そこだけが特に酷い有様である。
最悪な事に、その範囲に美由希たちの居た部屋が含まれていた。
幸い、部屋の中にまで被害は及ばず美由希たちは無事であったが、その部屋の前の廊下は本当に酷い有様である。
現場を検証しながら、リスティは遺体すら出てこないだろうなとやり切れない顔で見渡す。
大よその状況は既に聞いている。それが事実だとするならば、廊下に居たはずの恭也は……。
苦々しい顔をしつつも仕事をこなしていくリスティの元へ一人の刑事が近付き、何かを見せる。

「これが丁度、今立たれているその場所にあったんですが」

「へぇ、よく無事だったね」

「ええ、本当に不思議です。鑑識もしきりに首を傾げていましたよ」

言って男の手から一振りの刀を受け取り、未だに呆然としている美由希の元へと向かう。
その隣に立ち美由希を慰めるように肩を抱く美沙斗に軽く頭を下げ、手にした刀を見せる。

「これは恭也ので間違いないかい?」

「っ……」

恭也の愛刀、八景を目にして美由希は声も出せずにただ数回頷く。
泣き喚くのを堪えようとしているのは一目瞭然で、その目からは堪えきれずに涙が零れ落ちている。
それを見ない振りをして、リスティは近くに居た者を呼ぶと何か話し出す。
問答を数回繰り返し、やっと話が着いたのかリスティは男に礼を言うともう一度美由希の前に立つ。
そんな一連の動きを眺める一つの視線。

「……うーん、やはり俺は死んでしまったのだろうか」

現場を天井付近で見下ろしてそう呟いたのは恭也であった。
だが、可笑しな事に爆発に巻き込まれたはずの彼にはそんな様子はなく、
それどころか服さえ綺麗なものである。
更に上げるならば、今彼が着ている服は先程まで来ていた礼服ではなく、普段良く来ていた私服であり、
爆発以前にあったはずの傷も全く見受けられなかった。
そんな彼は天井付近をフワフワと浮きながら、眼下の光景を眺める。

「美由希、本当にしょうがない奴だな。泣き虫な所は直ってなかったのか」

苦笑めいた表情で美由希の前に立つも、当然のように向こうはこちらに気付かない。
困った顔で隣の美沙斗を見ても、やはりその瞳に恭也の姿は映っていないようであった。

「未練はないつもりだったんだが、やはりそうでもなかったという事か」

あの瞬間、美由希が無事ならと思った恭也であったが、
こうして成仏できずに居るところを見るとやはり未練があったのだろう。
そう自己分析して、恭也は見えないし触れないと分かっていても美由希の頭に手を置く。

「やはり無理か」

寂しげに呟くも、無事な美由希の姿に満足そうな顔になる。

「美由希が無事だと確認できたし、これでいよいよ成仏か」

そう思うも一向にそれらしい事は起こらない。

「……成仏するには何か必要なのだろうか。
 那美さんに聞いた方が良いだろうか」

そう思いつつも、自分から成仏するにはどうすればと聞きに行くのもまぬけな光景だと思う。
だが、現世に留まって悪霊と化すのはそれこそ本意ではない。
当然ながら、美由希ともう会えないのは残念だが仕方ないと恭也は決意する。

「聞こえていないだろうが、それじゃあな、美由希。元気にやれよ」

当然ながら聞こえるはずのない恭也の声。
けれど、美由希は顔を上げて左右を見渡す。

「聞こえたのか?」

その反応に思わず声を掛けるも、美由希はまた俯いてしまう。
やはり聞こえていなかったのか、もしくは一瞬だけ声が届いたのか。
それは分からないが恭也は美由希から離れる。
と、そこへまるで入れ替わるようにリスティがやって来て八景を美由希に差し出す。
本来なら持ち帰って検証が行われ、その上で返されるソレを。
受け取るかどうか迷った美由希であったが、美沙斗にそっと促されて八景を手にする。
その瞬間、美由希の目の前に恭也の姿が現れる。

「恭ちゃん!?」

「……見えるのか?」

立ち去ろうとした所でいきなり名前を呼ばれ、驚く恭也。
美由希の方も驚いたようで、恭也の言葉に頷く。
どうやら声も聞こえているらしく、恭也は美由希の名を呼ぶ。
それだけで美由希の目からは涙が溢れ出し、嬉しさのあまり恭也へと抱き付く。
はずだったのだが、美由希の身体は恭也をすり抜けてその後ろにいたリスティにぶつかってしまう。

「ひ、酷いよ恭ちゃん。死んだと思ったら生きていて、喜びのあまりに飛びついた恋人の抱擁を躱すなんて」

「いや、俺も流石にそこまで極悪じゃないぞ。美沙斗さん、今の見てましたよね」

娘の恋人発言に驚きつつも、それ以上に先程の光景に驚いて声を出せない美沙斗。
それでも何とか娘に事実を伝える。

「今、美由希が恭也の身体をすり抜けて……」

恭也の後ろにいた形となるリスティからもその光景はよく見えており、リスティも肯定するように頷いている。

「まさか、幽霊?」

苦手な幽霊に怯えるような、でもそれが恭也故に嬉しさの方が勝っているような。
そんな複雑な顔を見せる美由希。
一方、こういう事に多少なりとも慣れているリスティはすぐに立ち直ると携帯電話を手にする。
こういった事は専門家に尋ねるのが一番早いと。
そうして呼び出した那美を連れて場所を移した一行。
その席で那美から飛び出た言葉は、恭也たちを驚かせる事となる。

「恭也さんはどういう原理が働いたのかは分かりませんけれど、その八景という刀と一体化してます。
 つまり霊剣になってしまってます。勿論、まだ確証できた訳ではないですけれど、多分、間違いないかと。
 今、薫ちゃん、あ、私の姉で同じく退魔士をしているんですけれど、そちらに連絡しますから」

言って部屋の隅で電話を掛ける那美。
その背中を呆然と見ていた恭也であったが、やけに落ち着いているリスティに気付く。

「ああ、ボクもこういった類の事には慣れているからね。
 そもそも霊剣にしても既に二人知っているから今更それぐらいでは驚かないよ。
 さっき那美が話した薫というのは当主で、代々伝わる霊刀を持っていてそれを見ているしね」

それにしても、とリスティは改めて恭也を見て、複雑な表情を見せる。

「無事……じゃなかったから良かったとは言えないか」

「ええ。ですが、こうして意思を持ってまた美由希と話せるのは純粋に良かったと思います」

「そうかい」

恭也の隣でこちらも複雑そうな顔をしている美由希を見ながら、リスティはただ短くそう言う事しかできない。
その内、那美が電話を終えて戻ってくる。

「薫ちゃんが明日にもこっちに来てくれるとの事です。
 詳しい事はその時調べてもらえると思います」

「ありがとうございます」

「いえ、私も美由希さんや恭也さんの力に慣れれば」

「さしあたり、さっきの光景を目撃した者は少なかったし、口止めもしたから大丈夫だよ。
 その小太刀も恭也が生存しているという事にして持って帰ってもらって構わない」

そこまで言うとリスティは美沙斗へと視線を向ける。
その意味を分かっているのか、美沙斗は小さく笑う。

「私はすぐにでも消えるよ。娘と甥に目を覚まされたからね。
 そちらの職務も分かっているけれど捕まる訳にはいかないんだ。
 今度は真っ当な方法であいつらを潰すためにもね」

「まあ、ボクの立場からすればこのまま見逃す訳にはいかないんだろうけれどね。
 今回の事で恭也たちには大きな借りを作ったからね。今から一分間だけボクは疲れたから眠る事にするよ。
 その間に何があってもボクには分からない事だからね」

「感謝する」

言って美沙斗は立ち上がると恭也と美由希へと向き直る。
今回の件での謝罪と再会の約束。恭也に対して申し訳なさそうな顔をしながらも、
約束の時間はもうすぐなので、また連絡するとだけ告げて扉へと向かう。
その背中へと眠っているリスティから声が掛けられる。

「これは寝言だけれど、香港の陣内啓吾という男を頼ってみると良い」

美沙斗はそれに返答を返さず、部屋を出て行くのだった。
そして翌日、薫により恭也が霊刀だという判断がくだされる。
こうして、恭也の第二の人生、いや霊生が幕を開け、霊刀を持つお化け嫌いの御神の剣士が誕生する。

霊刀恭也と剣士美由希



   §§



――それは一本の電話から始まった。

「そういう訳で、あの子達にこれ以上辛い思いはして欲しくなくてね」

「まあ、大体の話は分かったよ。しかし、まさかあの事件の真相がそんなとんでもない話だったなんてね」

「まあ、そう簡単に信じられるような話じゃないのは分かっているさ。
 だからこそ、リスティちゃんに頼むんだから」

「OK。じゃあ、手筈はさっき話した通りで良いね」

「こちらとしては構わないよ。リスティちゃんがそれだけ信頼しているんだ。こっちも信じるさ」

――ギガロマニアックス

この言葉を知る者は極僅かであり、また一年程前に世間を騒がせた『ニュージェネレーションの狂気』と呼ばれる、
渋谷での事件と関係があった事を知る者も同様である。
だが、偶然にもそれを知ってしまった者がいたとしたら?

――力を狙う謎の影

「渋谷で行われた実験。そのレポートの一部です。
 流石にあれだけの被害があってはデータも完全には残っていませんでした」

「……自分たちで実証しない事にはどうしようもない、か。
 幸いな事にギガロマニアックスの情報は手元にある。何としても手に入れろ」

――最も強い力を持つ少年は記憶と力をなくして平穏な日常の中にいた。

「タク、おはよっ。一緒に学校行こっ」

「お……おはよ」

「おにぃ、って、また居るし! 何してるの」

「何ってタクと一緒に学校に行く所だよ」

「むー、おにぃはナナと行くから」

「拓巳しゃん、二人は忙しそうなのら。こずぴぃと一緒に……」

「折原さん、抜け駆けは駄目ですよ」

「言いつつ、楠は西條を何処に連れて行くつもりだ? そもそもお前は学校が違うだろう」

「それを言うのなら蒼井さんも違いますよね」

「……と、と当事者の僕を無視して勝手に何をしてるんだよ。
 って、この隙に逃げれば良いんじゃないか」

「そうね。拓巳、行きましょう」

「…………あ、あああの、手、手を」

「岸本さん! 本当に油断ならないわね」

――そのままであれば交わる事のなかったものが、今交わろうとしている

「ねぇ、恭ちゃん、その話本当なの」

「信じ難いかもしれないが、事実らしい。
 正直、俺もリスティさんから聞いた時は驚いたがな。
 その事件の真偽は兎も角、その七人を誰かが狙っているのは事実だ」

「うん。でも、どうやって護衛をするの。第一、そんな力があるのなら……」

「そう言えば、そこの説明がまだだったか。
 詳しい事は分からないが、その七人の中で最も力の強い西條拓巳という青年は記憶と力を封じられているらしい。
 彼の妹共々にな。その二人を日常に留める為に残る五人が彼を守っているらしい」

「なら、余計に私たちは必要ないような……」

「それを向こうも承知しているはずだ。それでも尚、攫おうとしている。
 それに守護している五人だってターゲットとなっている事を忘れるな」

――力を取り戻させるため、失った記憶を戻そうとする影と、それを阻もうとする守護者たちがぶつかる

「何で! どうしてそんな事をするの!? もうそっとしておいてよ!
 これ以上、タクを傷付けないで!」

「あははは、無駄だ。ここで我らを追い払ったとしても、一度出来た綻びはそう簡単には直らない。
 我らは何度でも現れるぞ!」

渋谷で再び繰り広げられる戦い。
果たして、その先に待つものは――。

とらいあんぐる;HEAD ひ〜とあっぷ



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「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
 五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし使い魔を召喚せよ!」

春の日差しも麗らかな午後。
ここトリステイン王国にある魔法学院では恒例の使い魔を呼ぶ儀式が行われていた。
最後となった生徒、ルイズは緊張しきった表情と固くなった体をぎこちなく動かしつつも無事に呪文を唱え終える。
固唾を飲んで、どこか楽しげな様子も潜ませた少年少女たちがルイズを遠目に窺う中、
ルイズの呪文に応えるように小さな爆発が起こり、ざわめく周囲を無視するように、
ルイズの目の前に一つの影が現れる。

「わ、私の使い魔は!?」

「……ケホケホ。一体、何なのよ。って、チビルイズ?」

「エ、エレオノール姉さま!?」

「全く、何があったのか分からないけれどまた貴女の仕業なの。
 一体、今度は何をやらかしてくれたのかしら」

魔法を唱えれば失敗続きで、付いた二つ名がゼロ。
それでも少女の強気な性格は誰もが知る所である。
そのルイズが呼び出した女性を前に怯えているのである。
普通ならここでルイズをからかうような言葉を投げる者もいただろうが、ルイズのその様子と、
何よりも呼ばれて出てきた女性を目にして誰もが口を閉ざす。いや、閉ざさるを得なかった。
そんな中、このままではどうにもならないと判断したのか、この場の責任者である教師、
コルベールが二人の間に入っていく。

「ミス・ヴァリエール。彼女は貴女の知り合いの方ですか」

コルベールを見ると、女性はスカートの裾を両手で摘み軽く持ち上げると優雅な仕草で軽く頭を下げる。

「名乗るのが遅くなってしまい申し訳ございません。私はそこにいるルイズの姉で、
 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールと申します。
 お見受けしたところ、学院の教師の方のようですわね。いつも愚昧がお世話になっております」

「あ、いや、これはご丁寧にどうも。私は――」

などとやけに格式ばった自己紹介が行われる間も、ルイズはエレオノールから離れようとする。
だが、この場から逃げ去る事は授業中であるという意識からできず、仕方なくコルベールの背に隠れようとする。
そんなルイズを目敏く見つけ、エレオノールはルイズの耳を掴む。

「痛い、痛いですってばお姉さま?」

「で、また貴女は何をしでかしたのかしら」

「べ、別に何もして……うっ、ほ、本当だもん。
 私はただ使い魔を呼ぶ儀式をしてただけだもん」

ルイズの反論はしかし、エレオノールの一睨みで消え去り、それでも何もしていないと証明するように叫ぶ。
それを肯定するようにコルベールもルイズの言葉に頷き、言い難そうに続ける。

「恐らくですが、彼女の召喚によって呼び出されたのが……」

それ以上は続けられず、コルベールは無言で機嫌を伺うようにエレオノールを見遣る。

「……本当に貴女は昔っから駄目ね、チビルイズ。
 よりにもよって、この私を使い魔として召喚するなんてねぇ」

「あ、ああああああ、ミスター・コルベール。お願いですからやり直しさせてください!」

目の端に涙さえ浮かべて懇願するルイズであったが、コルベールは申し訳なさそうにしながらも首を横に振る。
それは出来ないと。その事はエレオノールも分かっているのか、苦々しい顔をしつつも口を挟まない。
が、殺気さえ篭ったような視線をルイズへと放つ。
当然ながらその視線をルイズは誰よりも感じ取っており、いやいやをする赤子のようにただ首を何度も振る。

「そうだわ、私が逆にチビルイズを使い魔にすれば良いのよ。
 そうすれば、貴女はもう一度呼び直せるでしょう」

「わ、私がエレオノール姉さまの使い魔に!?」

「ええ、それは良い考えだわ。そうなれば、たっぷりと教育し直してあげれるものね」

「い、いいいい、いやー! そ、それだけは嫌です」

「へぇ、それはつまりこの私を貴女の使い魔にするという事かしら」

「そ、そそそそそんなつもりでは……」

「なら、貴女が私の使い魔になりなさい」

「う、うぅぅ……。だ、誰か助けてー!」

ルイズの必死の叫び声だけが、よく晴れ渡った空へと響く。



ルイズが色々呼んじゃいました 〜私の使い魔は誰でしょう?〜



「――我の運命に従いし使い魔を召喚せよ!」

ルイズの声に応えて本来なら起こらないはずの爆発が起こる。
爆発により巻き上がった煙の中、ルイズの呪文に応えた一つの影。
煙が腫れてその姿がはっきりと見えた時、周囲で見物をしていた少年たちから感嘆の声が上がる。
いや、よく見れば少女たちからも少なからず似たような吐息が零れていた。
それは教師であるコルベールも同様で、思わず目の前の人物に見惚れてしまっていた。
が、その中にあって呼び出した張本人であるルイズはそれらとは違い、戸惑いや驚きで目の前の人物を見ていた。

「ちぃ姉さま?」

「あら、ルイズ。どうしたの、こんな所で?
 あら? ここは私がさっき居た場所じゃないみたいね。
 つまり、私の方がルイズの所に来たという事なのかしら」

やけにおっとりとした口調で喋る女性は、そんな事は良いかと腕を広げてルイズを抱き締める。

「本当に久しぶりね、ルイズ。元気にしていた? 風邪はひいてない? 怪我とかは?」

「ちぃ姉さま、私は元気です。風邪も怪我の心配もありません」

甘えるように女性へと抱き付くルイズに誰もが言葉を無くす中、教師としての役割を思い出したのか、
コルベールはルイズの知り合いらしい女性へと名乗りを上げる。
それに応え、女性はおっとりとした笑みを浮かべて優雅に頭を下げる。

「ご丁寧にありがとうございます。いつもルイズがお世話になっております。私、ルイズの姉で、
 カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌと申します」

こうして実の姉を使い魔として呼んでしまったルイズであったが、当然ながらやり直しを要求する。
コルベールとしてもそれを聞き届けてやりたい所ではあるが、神聖な儀式だけに首を横に振らざるを得ない。

「そんな。ちぃ姉さまは身体が弱いのに」

「良いのよ、ルイズ」

「ちぃ姉さま」

麗しい姉妹愛を確かめ合っている二人に無粋だと知りつつもコルベールは早く契約をするように促す。
結果、カトレアがルイズの使い魔となるのだが、当然ながらルイズがカトレアに対して命令などするはずもなく、
逆にかいがいしく使い魔の世話をする主人という図式が出来上がるのだが、誰もそれに野次を飛ばす事はなく、
寧ろ男子生徒などは率先して手伝うようになったとか、ならないとか。



「――我の運命に従いし使い魔を召喚せよ!」

ルイズの声に応えて本来なら起こらないはずの爆発が起こる。
そこから現れた人物を見て、失敗したらどうからかおうかと考えていた生徒たちも、
そうでない者たちも恐怖という感情を表情に貼り付けて一斉に後退る。煙が腫れた中から出てきたのは一人の少女。
寧ろその容姿は整っており、恐怖を抱かせる所かどこかおっとりした印象さえ受ける程である。
だが、ただ一点、少女の耳は普通の人とは違っており尖っていた。
エルフ、そう呼ばれて恐れられる種族の証。
それを見たからこそ、遠巻きにしていた誰もが声も上げれず、ただ事態の成り行きを見守る。
それは呼び出したルイズとて同じで、
寧ろ一番近い位置にいる彼女は気丈に背中を見せる事無く杖を構えているものの、その身体は震えていた。
コルベールさえも息を呑んでしまう状況下で、呼び出された少女は戸惑ったように辺りを見渡し、

「あ、あの……」

「う、動かないで! それ以上動いたら魔法を使うわよ」

先住の魔法を使うエルフ相手に脅し文句となるのかさえ分からない事を、それでもルイズは気丈に吐き出す。
睨むように見詰める先で、呼び出された少女が逆に涙目になり屈み込んでしまう。

「う、うぅぅ」

嗚咽を堪えきれずに泣き出した少女を前に、ルイズは戸惑いを隠せないでいた。
そんなルイズの耳に少女の小さな声が聞こえてくる。
何もしていないのにハーフエルフというだけで敵意を向けられる事に対する怒りではなく悲しみであった。
子供のように泣く少女を前に、ルイズはいつしか自分の方が悪い事をしてしまったような気になり、
謝りながら少女に近付き、自分が呼び出した事を説明する。

「えっと、貴女の名前は」

「わ、私はティファニア。テファと呼んでください」

「そう。分かったわ、テファ。とりあえず、そんな訳だから貴女には私の使い魔になってもらいたいんだけれど」

「それはお友達という事ですか?」

「いや、友達じゃなくて」

「違うんですか」

しゅんとなるティファニアを前に、ルイズは慌てたように自分の言葉を撤回する。
途端、喜びを現すのだが、村の子供の世話をしないといけないと言い出す。
そんなやり取りをしていると、いつの間にかコルベールが近くまでやって来る。
穏やかに話しているのを見てとりあえずの危険はないと察知したのだろう。
近付いたコルベールは儀式は神聖なもので覆せない事を説明し、子供たちは後で学院長に相談すると約束する。
その上でルイズと契約するように頼むのだった。
こうして、ティファニアは友達を手にいれ、ルイズはハーフエルフの使い魔を手にする。
これが後に更なる混乱を招く事になるなど、この時点では分かるはずもなかった。



「――我の運命に従いし使い魔を召喚せよ!」

ルイズの声に応えて本来なら起こらないはずの爆発が起こる。
舞い上がる砂塵。騒然となる周囲。
それらには目もくれず、ルイズはただ自らが呼んだ使い魔を早く見ようと目を凝らす。
やがて視界が晴れると、その向こうに一匹の獣の姿が。

「……子狐?」

「くぅ〜ん」

可愛らしく鳴く子狐に思わず頬を緩めてしまうが、ルイズは頭を思いっきり振る。
自分が望んだのはもっと強い魔獣の類であって、決して癒しをくれる愛玩動物ではない。
が、認めたくなくても目の前に居る子狐こそが自分が呼び出した使い魔に違いはない。
コルベールに促され、ルイズは子狐と契約をする。
皆が空を飛んで帰るのを地から見送り、ルイズは知らず溜め息を零す。
だが、ちゃんと魔法が使えたんだという事実を思い出し、子狐の可愛らしさに心を和ませて、
これはこれで良いかと思い直すと子狐を抱き上げる。

「そうね、まずはあなたの名前ね」

子狐はルイズの言葉に首を傾げ、続けてその腕から飛び降りる。
地面に足を着くと同時、小さな音が鳴ると、そこには子狐の姿ではなく、巫女服に身を包んだ一人の少女がいた。

「……えっと」

「くおんのなまえはくおん。あなたは?」

「わ、私はルイズよ。まさかと思うけれど、貴女さっきの狐」

「うん。くおんはきつね。るいず、くおんはやくかえらないとなみがしんぱいする」

「帰るって……。だ、駄目よ、貴女は私の使い魔になったんだから」

ルイズの言葉に久遠はしゅんと頭部から生えている獣耳までうなだらせ、目に見えて元気をなくす。

「あ、ごめん。でも、こればっかりはどうしようもないの」

「なみ、しんぱいする。れんらくしたい」

「そうね、それぐらいなら構わないわ」

この後、部屋に戻ったルイズは片言ながらもしっかりとした久遠の言葉から、
久遠が那美という女性を主に持つ使い魔だと勘違いして大慌てしたり、
久遠が異世界の住人だと分かって混乱したりととても忙しい一日を過ごすのであった。



「――我の運命に従いし使い魔を召喚せよ!」

ルイズの声に応えて本来なら起こらないはずの爆発が起こる。
目を凝らして煙の向こうを見据えるルイズの前にトレーが差し出され、頭上から落ち着いた声が落ちてくる。

「お待たせしました、ケーキセットとシュークリーム、それとコーラーです」

「……そんなもの頼んでないわよ」

「だろうな。俺も貴女に出したつもりはなかった。
 で、これはどういう状況なのか教えてもらえると非常に助かるのだが」

やや憮然とした表情でトレーを手にし、黒地に緑色で店のロゴが入ったエプロンを付けた恭也は言い放つ。
対するルイズは目の前の給仕が自分の呼び出した使い魔だと認めたくなくて、
恭也の質問を無視してコルベールへとやり直しを要求していた。
その様子を見て埒が明かないと感じ取ったのか、とりあえず近くにいる少女へと状況の提示を申し出る。

「非常に申し訳ないが、現状の説明をお願いしたい」

「……使い魔」

「使い魔? それは何ですか」

「あら、あなた使い魔を知らないの。私の連れているこういった子よ」

青髪の少女の隣から赤髪の女性が恭也の質問にそう答え、
女性の足元では子供ぐらいの大きさのトカゲが尻尾を振っている。

「……それが今の状況に何の関係があるので……良かったら食べますか?」

じっとトレーの上を見ている青髪の少女タバサの視線に気付き、本来注文したお客さんも居ないからと尋ねてみる。
その言葉にタバサはじっと恭也を見詰めた後、小さく頷く。
すると、タバサの隣に居た赤髪の女性キュルケも自分もと手を伸ばしてくる。

「あら、凄く美味しい」

一口齧った途端、そう感想を口にするキュルケとは逆にタバサは無言のまま、
けれどもどこか嬉しそうにケーキを食べていく。
それを見てケーキにも興味を持ったのか、キュルケが半分ずつ分けようと提案し、
タバサと二人で半分ずつ口にする。
次にコーラーへと手を伸ばしたタバサはそれを口に含み、驚いたように恭也を見る。

「どうかしましたか?」

「これはなに?」

「コーラーですけれど」

タバサの反応から興味を抱いたキュルケも口にし、同じように始めて飲んだという反応を見せる。
だが、逆に今度は恭也の方が不思議そうな顔で二人を見るが、先に中断されていた説明を求める。
そんな恭也の後ろからキュルケと仲良くしていると思ったのか、ルイズが走り寄り、
数メートル先でジャンプすると、恭也の背中目掛けて蹴りを放つ。
それを受け止め、抗議する恭也へと逆に何故かルイズが怒った声を上げる。

「あなたは私の使い魔なんだからね! ツェルプストーの人間なんかと仲良くしたら駄目でしょうが」

「あら、なんかとは言ってくれるじゃないゼロのルイズが。
 そもそも、彼はまだ貴方と契約していないんだから、貴方の使い魔じゃないでしょう」

「こ、これからするのよ! 私だってこんな平民としたくなんてないけれど、やり直しは駄目だって……」

当事者の恭也を無視して言い争う二人。
完全に恭也の事を忘れてしまったかのような二人に気付かれないようにタバサが恭也の袖を引っ張る。

「どうかしましたか?」

「聞きたいことがある」

「聞きたいこと?」

「そう。貴方がさっきくれた飲み物は私も知らないものだった。
 けれど、貴方の反応を見ると貴方の周りではあれは当たり前のものなのだろうと推測する。だから、聞きたい。
 貴方の居た国、ここからずっと東、ロバ・アル・カリイエには人の心に作用するような薬はある?」

「ロバ・アル・カリイエというのは分かりませんが、心に作用とは穏やかじゃないですね」

恭也の物言いから何か探ろうと見詰めるも、恭也は目を逸らす事無く見詰め返す。
互いに無表情、無口のまま見詰め合う。何を感じ取ったのか、それとも取れなかったからなのか、
タバサはルイズへと提案する。

「彼を私の使用人にするから、もう一度召喚の儀式をすれば良い」

タバサの言葉にルイズは複雑そうな顔をするも、結局はその提案に惹かれたのかあっさりと了承する。
が、タバサの言葉にキュルケが意外というような感じで驚きの表情を見せ、
コルベールはそれはなりませんぞ、と反対を口にする。
またしても恭也本人の意思を無視して進めていく三人を眺め、恭也は空を仰ぎ盛大な溜め息を一つ零すのだった。



   §§



「さよなら、ガキくさい救世主さん」

その言葉を聞きながら、白銀武の意識は薄れていき……気が付けば、こうして自室のベッドで眠っていた訳なのだが。

「……可笑しい」

感じる違和感に武は首を巡らせて部屋の中を見渡す。
そこは間違いなく自分の部屋。
夕呼、香月博士に見せられた廃墟となった方の部屋ではなく、元の世界の自分の部屋である。
あれから何年、いや、新たに目を覚ましたのもこの部屋であった事を考えると約三ヶ月ぶりとなる部屋。
それは間違いないと言い切れる。だが、実際には武は違和感を覚えていた。
それが何かすぐに思い出せないのは、元の世界を離れてからは何年か経ってしまっているからだろうか。
ぼんやりと天井を見上げ、そんな事を考えながらも感じた違和感の正体を探るべく思考を働かせる。
可笑しいといえば直前の記憶が鮮明なのも可笑しいのかもしれない。
だが、そのような事ではなく忘れているような何かが、物凄い違和感が感じられるのだ。
特異点たる武の存在は原因たる純夏の死によって解放されたはずである。
それなのに漠然と感じる不安。繰り返すがずっと感じ続ける違和感。
それが掴めず武はベッドの上で寝返りを打ち横を向く。
途端、鮮明に突如として蘇る記憶の中、ようやくこの日起こった大きな出来事を思い出す。

「冥夜がいない?」

その事態に思わず口を付いて言葉が出てくる。
口にして、はっきりとそれを実感し、武はまさかという思いでベッドから飛び起きる。
着替えるのももどかしく、制服を手に掴むとそのまま部屋を飛び出し、そこで足を取られて転んでしまう。
だが、痛みなど気にしてられないとばかりに走り出し、また躓いて文字通り階段を転げ落ち、
痛む身体を無視して外へと飛び出せば、そこは久方ぶりとなる元の世界の平和な光景などではなく、
廃墟と化した街並みであった。
慌てた所為なのか、肩からずれ落ちそうな上着に脱げ掛けたズボン。
手に掴んだ制服という可笑しな格好のまま、武は呆然と隣家に突っ込み倒れている人型兵器、戦術機を見上げる。
それはまるで、再び地獄へと誘うようにも見え、思わず武は身震いをする。
同時に、今度こそという思いも湧き上がる。
だが、その前に確認しなければいけない事がある。
本当にまたあの日に戻ったのか。だとするのならば、何故なのか。
どちらにせよ、武が頼れる人物はやはり一人しか浮かばない。
香月夕呼。彼女に会うため、まずは横浜基地へと向かう事にする。
手に持ったままの制服に苦笑を零し、早速着替えようとしてパジャマが脱げそうであるとようやく気付く。
自分の慌てぶりに改めて苦笑を滲ませつつパジャマを脱ぎ、制服へと着替えるのだが、ここでまた問題が起こる。
それは……。

「どうして、こんなにダボダボなんだ?」

ズボンの裾は少し折ったぐらいでは足りないぐらい余っており、袖もまた同様。
何故か分からないが、今回用意されてあった制服は武の身体よりも大きなものだったのか。

「ははは、まさかな。いやいや、そんなバカな話なんてある訳ないよな、うん」

武は無理矢理自分を納得させるように敢えて口に出しつつ、恐る恐る自室へと戻る。
幸い、まだ廃墟に戻っていないらしく元の世界の様相のままの自室から鏡を見つけ出して覗き込めば、
そこには自分の姿がちゃんと写っている。ただし、年の頃は十ぐらいの少年時代の自分の顔が。

「あ、あはははは。待て待て。可笑しな毒薬を飲まされた記憶も、変なキノコを食った記憶もないな、うん。
 よし、きっと見間違いだ。見慣れた部屋を多少低い位置から見ているようなのもきっと気のせいだ。よし!」

目を閉じ、言い聞かせるように呟くとゆっくりと目を開けて鏡を再び目にする。
が、やはり何度見てもそこに写っているのは幼い自分の姿である。

「な、な…………なんじゃこりゃ!」

思わず天井を仰ぎ叫んでしまう武。

「まさか、これが代償とか言うのか! もしや、純香の呪い!? はっ、まさか純夏の奴が何かに目覚めたとか。
 うおぉぉ、ドリルミルキィパンチ以外にもこんな特技を身に付けたのか。
 というか、落ち着け俺! 程よい感じで只今絶賛混乱中!」

ひとしきり騒ぎ、ようやく落ち着いたのか武は肩でぜーぜーと息をしながら額の汗を拭う。

「オッケー、ボス。俺はもう落ち着いた。って、ボスって誰だよ!」

まだ多少混乱気味だが、どうにか心を落ち着かせて考える。
そして、出した答えは……。

「うん、これも夕呼先生に聞こう」

実に武らしいと言えばらしい結論を出すと、制服の裾と袖を何度も折り、
どうにか手足の自由を確保すると、今度こそ横浜基地へと向かうのであった。



「ふーん、どう見ても十歳ぐらいにしか見えないけれどね。
 もしそれを解明できれば、女性にとっては嬉しい若返りの発見ね」

「いや、そんな暢気な事を言ってないで原因とか分かりませんか?」

「まあ、予想で良ければつくけど?」

「本当に!?」

「アンタがまたループしたのは、心のどこかでそれを強く願っていたからでしょうね。
 そして、それに気付いた鑑の最後の力によって。強引だけれど、そう考えざるを得ないわね。
 勿論、実証はできないけれど。
 で、その大きさになったのは単純に鑑が力尽きる前で、アンタを構成する力が足りなかったからじゃない?
 記憶のない状態にでもすれば別だったのかもしれないけれど、それだと意味がないでしょう。
 つまり、記憶の流出を避ける方に力を割いたって所じゃないかしら」

「そんな事あり得るんですか?」

「さあ? 私自身、かなり強引な理屈だと思ってるしね。実際のところなんて本人にしか分からないわよ。
 勿論、その一連の出来事が鑑の仕業だとしての話だけれどね。
 私にとってはそう問題ないわ。アンタの話が本当なら、新しい理論の回収に関しても問題はないでしょう」

これからしっかりと働いてもらうわよ、とその目が語っている。
それは武としても望む所なので問題はないのだが、やはり自分の身体に違和感を感じるのだけはどうしようもない。

「あ、年齢は流石に元のままで良いわよね。と言うか、そうでないと可笑しいもの」

「まあ、戸籍がある以上はそうですね。第一、見た目の年齢なんか名乗ったら流石に衛士は無理でしょう」

「あら、分かってるじゃない。幾ら年齢が引き下げられていると言ってもね」

可笑しそうに言いながら、夕呼の目は面白いものを手に入れたとばかりに輝いていた。
敢えてそれに気付かない振りをして、武は今後の予定を夕呼と打ち合わせるのだった。



「新しい教官、ですか。教官、お言葉ですが、その……」

「ああ、お前たちの言いたい事は分かる。が、安心しろ。
 白銀大尉はお前たちと同じ年だ」

訓練兵である207B分隊へと教官として姿を見せた武を待っていたのは、当然と言えば当然な反応だった。



「わぁ、可愛い」

「むぐっ」

武が自己紹介するなりそう言って抱き付くのは涼宮遙である。
普段のほわほわした感じすらただよう様子からは想像も出来ないほど素早い動きに武も反応する間もなかった。
二つの膨らみに潰され息苦しくなりつつも、武はそれが何か分かって顔を赤く染める。
とは言え、強く引き離して怪我でもしたらと思うとそれも出来ず、困ったように助けを求める。

「お、お姉ちゃん」

「涼宮!」

武の視線に気付いた訳ではないが、姉の恥ずかしい行為を妹として止めようとした茜と、
武の階級を知っているみちるが慌てて声を上げる。
こうして初っ端に思わぬアクシデントがあったものの、武は嘗ての仲間にして尊敬する先達との顔見せを果たす。
当然ながら、武の年齢を知らされた時の反応は既に予想できていたのか、どこか達観したような顔をしていたが。



「白銀武」

「なぁに?」

この時、武の記憶にはちゃんとこれから近衛に詰問される事を覚えてはいた。
ただし、連日の訓練兵やA-01の訓練に加え、昨夜は夕呼からの呼び出しもあり、少し眠たかったのだ。
更に言えば、武にとってもあまり面白い出来事でもないのだ、これは。
故に返答が少々気の抜けた、舌足らずな感じになったとしても責められる事ではないだろう。
だが、その効果は思いも寄らない影響を与えたのだが、それは与えられた当人以外は預かり知らないことである。

「うっ……か、かわい……こほん」

少々頬を染め、慌てた様子で姿勢を正すと誤魔化すように咳払いを一つする。
そうして再び眦を上げると、月詠真那は武へと話しかける。
やや強い口調で問い詰める真那に続けとばかり、戎たち三人も口早に責め立てる。
が、一方の武は既に聞いたことのある同じ話を、それも眠気の襲って来ている瞬間にされ、
こっそりとばれないように欠伸を噛み殺す。
ようやく口撃が終わった頃、何を言うべきか思案しながら取り合えず身長差の出来てしまった真那を見上げる。
何を言うか言いよどむ武であったが、真那にはそれが違うものに見えてしまった。
欠伸をしたために出来た涙、見上げてくる瞳、怯えるように言いよどむ少年。
結果、真那はそれ以上は何も言えず逆にたじろぐ。

「くっ、こ、この話はまた今度ゆっくりとするとしよう。
 今日の所はこれで引き上げる。行くぞ!」

口早にそう伝えると、こちらも困惑する戎たちへと声を掛けてさっさと歩み去る。
その背中を見送り、残された武は一人首を傾げるのだった。



一方、帝都から少し離れた何もない、まさに文字通り荒野のような場所に佇む黒尽くめの男が一人。
その手に握られていたのは一冊の大学ノート。
男――恭也は周囲を見渡し、次いで空を仰ぐと盛大な溜め息を一つ零す。

「……授業のノートを借りる代わりに実験に付き合う約束を確かにした。
 だがな、忍。幾らなんでもこんな何もない所に転移させるような物をいきなり人で試すな!」

恭也の叫び声は当然ながら誰にも届かない。
彼はまだ知らない。ここが別の場所どころか、別の世界であるという事を。
この世界には海鳴という地名すら存在しないという事を。
彼はこれからどうなってしまうのか。



マブラヴ 〜小さな武の奮闘記 並びに異邦人恭也の壮絶なる迷子録〜



   §§



独立 天神学園。
その名を聞いて、知らない者ならば――そもそも知らない者がいるかも怪しいが――、
ただの学校機関かと思うかもしれない。だが、その認識は大きな間違いである。
そこは日本唯一の『日本国憲法適用外超法規的領域』の学園、すなわち独立国家なのである。
この学び舎は、全ての授業が武術や戦術戦略に関する内容であり、テストではなく闘いの勝者が単位を得、
またその単位がお金としても使え、全ての物事が強さに比例するという校則が特色である。
つまり、強い者はすぐに卒業も出来るという、まさに弱肉強食の学園。
それが独立天神学園なのだ。

「はぁ〜、そんな学園で見事卒業せずに留年した恭也は今年こそ卒業できるのでしょうか」

「……そう言う忍も留年組みだろうが」

三年のとあるクラス、その一番後ろの席で溜め息混じりに返すのは忍の言うように留年した恭也。
これまた留年した忍は意味ありげな笑みで返し、恭也に寄り添うようにして傍に立つ少女へと視線を転じる。

「うぅぅ、ごめんね恭ちゃん。私の所為で」

「気にするな」

「何だかんだと言いつつ、美由希ちゃんにも甘いわよね、恭也は」

「そんな事はない」

忍のからかいを含んだ言葉に憮然として返す恭也であるが、当の忍はただ笑みを浮かべたまま続ける。

「あるわよ。今年の年末に美沙斗さんが一時帰国するんでしょう。
 それに合わせて美由希ちゃんの皆伝を行うからって、わざわざこの学園に残るんだもの」

「弟子を鍛える為であって、当然の事だろう」

「はいはい。まあ、美由希ちゃんもそんな恭也のためにかなり無理して、二年を飛ばして一気に三年だものね」

呆れるように呟く忍へと、恭也は憮然としたままに言い返す。

「そういうお前はどうして留年したんだ」

「いやー、ここって単位がお金になるじゃない。だから、もう一年ぐらい居ても困らないしね。
 と言うのは半分は冗談で、勿論、恭也と一緒にいるためよ」

「忍さん、恭ちゃんに抱きつかないでください!」

ふざけて抱き付く忍を慌てて引き離す美由希。恭也は既に慣れているのか、何も言わない。
若干、頬を染めている所を見る限り、慣れている訳ではないようだが。

「良いじゃない。ちゃんと正妻として美由希ちゃんの顔は立てるから、愛人として抱きつくぐらい」

「せ、せせせ正妻って、そんな、でも……」

忍の言葉にトリップしたのか、だらしなく頬を緩め、忍を引き離す事を忘れる美由希。
そんな様子ににやりと笑みを浮かべ、もう一度抱きつこうとする忍であったが、それを今度は恭也が止める。

「勝手な事を言うんじゃない。そもそも、誰が正妻で、誰が愛人だ。
 人に聞かれたらどうする」

「いやー、今更だと思うけれど」

忍の言うように、既に今更な事ではある。
何せ、去年から忍が口にしていたのだから。
ただでさえ、美由希は去年は最強の一年とまで噂されていたぐらいなのだ。
いやがうえにも注目されるものである。
それはさておき、恭也は忍の言葉に誰の所為だと怒鳴るのを堪え、代わりに違う事を口にする。

「大体、お前の留年の半分ぐらいは、年度末に無駄遣いして単位を0にしたからだろう」

「違うもん。あれは恭也が留年するって言うから、私も留年するために単位を使っただけよ」

などと他愛もない会話をする二人、もとい、美由希も入れて三人を結構な数の生徒が遠巻きに見ている。
元々、目立たないように必要な単位だけを取ってきた恭也と、去年以前は派手に暴れていた忍ではあるが、
去年は恭也に付き合って殆ど単位を取得していない。
それ故に、二人は留年した最弱コンビとして注目を集め、
そして、二年生をスキップできるぐらいの単位を一年で集めた美由希は元最強の一年生として。

「さて、久しぶりに全力で行こうか」

――知る人ぞ知る、元最強の一角に上げられた男 高町恭也

「付き合ってくれた恭ちゃんのためにも、こんな所で止まる訳にはいかないからね」

――昨年の最強者にして、今年も注目される戦闘者 高町美由希

「我が最強の剣、ノエルよ。やっておしまいなさい!」

――本人が最強なのではなく、万能且つ有能な武器を持つ 月村忍。

そんな三人の前に立ち塞がるのは、

「ふんふんふ〜ん♪ この程度であたしを捕まえられるなんて思ったら……、あ〜ん、恭助!」

――今年入学して早々一年最強の名を手にした少女 九条蜂恵

「だぁぁ、ハチ。さっさと下着を隠せ!」

――蜂恵と同様、一年最強コンビの一人と呼ばれる服部恭助

新たな新入生たちだけではなく、昨年の雪辱を晴らすべく、美由希を狙う二人。

「昨年は見事にやられましたが、今年はそうはいきません」

「あやめちゃん、良いじゃないか。コンビとしては、僕たちが最強と言われたんだから」

――昨年の最強コンビにして、早くも二年最強と名高い双子コンビ 天王寺あやめ・菖蒲

他にも戦術を得意とする少女など、様々な難敵が立ち塞がる。
目指すは単位取得、そして卒業! 無事に恭也たちは卒業できるか!?
これから一年、どのような波乱が巻き起こるのか。
それはまだ誰にも分からない。

triangle-bee-be-heart-beatit!



   §§



古より歌として伝わる伝説がある――

神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。
左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。

神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。
あらゆる歌を操りて、導きし我を運ぶは地海空。

神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。
あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。

そして最後にもう一人……。記すことさえはばかれる……。

四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……。

メイジたちの始祖であるブリミルが従えた使い魔に関する事柄である。
この歌からも分かるように、ブリミルには四匹の使い魔が居た。
ただし、それがどのような生物だったのかまでは記されておらず、ただその能力のみが伝わっているのみである。
それに関しても、一人に関しては記録からも消され、またこの歌も広く知られて伝わる事無く徐々に消えていき、
伝説は伝説としてのみ残るだけとなる。

だが、長い時を経て今、伝説は甦り、今日ここに最後の使い魔が召喚されようとしていた。



「だから相棒、やばいんだって」

「だから、何がやばいのかって何度も聞いているだろうデルフ」

ガリアとの交戦が目前と迫る中、サイトたちはトリスティン魔法学院へと一時帰ってきていた。
その理由は、虚無の担い手の中で唯一使い魔を持たないティファニアの護衛という名目の元、
何かと裏で企てをしているロマリアの教皇にして、
ルイズ同様に虚無の担い手であるヴィットーリオへと対抗する仲間を得ようと画策しての事である。
だが、昨日からサイトの愛剣にして知恵を持つ武器であるところのデルフが強行に反対しているのである。

「理由なんざとうに忘れてしまったが、とにかく最後の使い魔だけはやばいんだって。
 それだけは確かなんだよ」

理由を尋ねても忘れているのであれば、サイトは兎も角その主人であるルイズが納得するはずもなく、
口論を続ける二人の前で着々と召喚の儀式の準備が進んでいく。
それに気付いたデルフが更に止めようと喋り続けるが、その騒音に耐え切れなくなったルイズにより、
鞘へと押し込まれてしまう。尚も鍔をガタガタと鳴らせて抵抗を見せるが、
何故か持っていたロープでグルグル巻きにされてしまう。

「な、なあルイズ。幾らなんでもここまでしなくても良いんじゃないか。
 デルフも別に邪魔しようとしている訳じゃないんだし」

流石に何度も死線を共に潜り抜けてきた相棒の待遇に哀れみを感じたのか、サイトがそう口にするも、
返ってきたのは鋭い眼差しと、何を言っているんだと言わんばかりの態度であった。

「あのね、前にも話したかもしれないけれど、使い魔を呼ぶ儀式は神聖にしてとっても大切なものなのよ。
 それを口煩く邪魔しようとしているんだから、それぐらい当然でしょう」

そう言いつつ、ルイズは心の中では全く別の事を考えていたりした。
今まで出会った虚無の使い手たち。その使い魔はいずれも人であった。
だとするなら、テファが呼び出す使い魔も人である可能性は高い。
ましてやそれが異性であったなら、ひょっとすると二人は仲良くなるかもしれない。
そうすれば、サイトもテファに色目を使う事もなくなるだろう。
そんな思いがちょっぴりだけれどルイズの中にはあったりする。
何故そんな事を思うのかと聞かれれば、
巫女となったテファに自分の使い魔が粗相をしてはいけないからとかいう理由を口にするだろうが。
それは兎も角、純粋にテファを心配して使い魔を召喚しようとしているのも事実なのだ。
全ての準備が終わったのか、ルイズは召喚の為の呪文を確認するように呟いていたテファに声を掛ける。
幾分緊張気味ながらもルイズへと頷き返すと、テファはゆっくりと呪文を口にするのだった。
こうして、サイトの同郷にして海鳴市で平穏とは言えないながらも日常を過ごしていた高町恭也は、
今日、ここに異世界へと渡来を果たす事となったのである。
帰り道の分からない、片道切符の異世界旅行であった。



呼び出した直後は警戒していたデルフであったが、すぐに危険がないと判断したのか、今では喋り相手となっていた。
と言うよりも、デルフが一方的に喋っているのだが。
嫌な顔もせず、話を聞いてくれる恭也の存在は、自分では動けないデルフにとってとても良い相手となったのである。
一応、何だかんだと言いながらもデルフの言葉に少し警戒していたサイトやルイズも、
数日もすれば警戒心などまるでなかったかのように接していた。
それも恭也自信の人徳によるものもあろうが、サイトにとっては同郷というだけでもありがたい存在で、
ルイズにしてもサイトの浮気性を嗜めたり、愚痴を聞いてくれる恭也の存在はありがたいものであった。
テファは自分の使い魔と言う事もあるが、何よりもエルフという偏見を最初から持たなかった二人目の友達だ。
すぐに信頼するようになったのは言うまでもない。
だからか、すっかりデルフが発した初めの警告を忘れてしまっていた。

四人目は記す事すら躊躇われる。
その存在については語る事なかれ。ただ口を噤め。

それ故に未だに能力は不明のままであったが、警戒心だけは確実になくなっていたのである。
だからこそ、その事件が起こったとしても、誰も責める事はできない……。

恭也が召喚されて数日経ったある日のこと。
裏庭でサイトは非常に珍しいものを見かける。
恭也と学院の生徒であろう一人の少女である。
それだけなら特に珍しいとも言えない。
何故なら、恭也は守るという事に関しては驚くほど真剣な態度を見せ、
ルイズたちの話を聞いてからは、この学院の中では安全だと納得するまで常にテファの傍に居た程なのだ。
だから、隣にいる少女がテファでなかったとしても、ここ数日では珍しくもない。
また、恭也はその人柄からか、平民でありながらも兄のように慕われて、
相談を受けているなんていう場面は何度も目にした。
だから、サイトが珍しいと思ったのはそれらとは全く別の事であった。
ところで、話が変わるがサイトから見た恭也についてイメージだが。
一言で言えば堅物。生真面目が服を着ているといった感じであった。
ギーシュと共に説教された際にそれは骨身に染みて理解していた。
閑話休題。
サイトは目の前の光景を見間違いかと思い目を擦り、もう一度目を凝らしてみる。
だが、やはり見間違いでも目が悪くなった訳でもないようである。

「……ま、まあ、恭也もこっちの世界に馴染んだみたいだし、
 使い魔だからって絶対に主と結ばれるって訳じゃないもんな」

テファには可哀相だけれどと思いつつ、サイトもそれ以上野暮な事は止めようとその場から背を向ける。
恭也が少女の手を取って口説いている場面を締め出して。
しかし、これはほんの始まりにしか過ぎないと知るのは、更に数日後の事であった。



「サイト、アンタ何をやったのよ」

「いや、部屋に戻ってくるなりいきなりそんな事を言われても分からないですけれど?」

サイトの言うように、いきなり部屋に戻ってくるなりルイズから言われたのがこれである。
これで全てを察しろと言うのは無理がある。
ルイズも流石にそれに気付いたのか、わざとらしく咳払いをするとゆっくりと話し出す。
それによれば、ルイズは朝中庭で少女を口説いている恭也を見たらしい。
流石にこれには驚いたが他人の恋愛に口出しするべきではないと思いそのまま声を掛けずに教室へと向かったらしい。
問題はその後、昼休みにもまたその場面を目にした事である。
それも朝とは違う少女を相手に。
それを偶々一緒に見ていたキュルケによると、他にも数人に対して同じような事をしているのを知っているとのこと。
当然ながらテファを悲しませるであろう行為に怒りを覚えるルイズであったが、
冷静に恭也の性格を指摘したキュルケの言葉にルイズはひとまず掴みかかるのを堪え、
何か原因があるのではと考えたらしい。

「それで、どうして真っ直ぐに俺の所に来るんだよ、お前は!」

「だ、だって……」

流石に本気で怒っているらしいサイトの剣幕に思わず言葉が萎んでいく中、ルイズは懸命に言い訳を考える。
そして、思いついたのは自分では妙案と思えるものであった。

「そ、そうよ! モンモランシーに惚れ薬を作らせて飲ませたのかと思ったのよ」

「やっぱり原因は俺なのかよ。
 そこまで考えたのなら、何で間違って飲んだとか、モンモンが飲ませたって思わないんだよ。
 そもそも、恭也は色んな女の子に声を掛けているんだろう。惚れ薬ってそんな効用のものまであるのか?」

この際、惚れ薬はご禁制の品だというのは横に置いて尋ねるサイト。
その反論の前にルイズは何も言えず、自分は知らないとだけ口にする。
ならば、専門家というか、それに詳しい人物に聞けば良いとばかりにモンモランシーの元へと向かうのだが、
その途中でまた別の少女の手を取っている恭也を見つける。
どうやら落としたハンカチを拾ってあげたらしく、それを少女に手渡しそのまま手を握る。
突然手を握られた少女は最初は小さく抵抗していたのだが、すぐに大人しくなり、
それどころか頬を染めて熱に浮かされたように恭也を見詰める。

「おいおい、幾らなんでもおかしいだろう」

その様子を見てそう口にするも、内心では羨ましいと思ってしまったのはルイズには内緒だ。
ルイズも恭也が逆に惚れ薬を使ったのではないかという場面に眉を顰め、これだから男なんて信用できないのよ、
と呟き出す。終いにはこちらに飛び火しかねないその様子にサイトは慌てて自分は違うと懸命に訴える。
そんな事をしている間に少女は名残惜しそうにその場を立ち去り、恭也もまた立ち去って行く。
それを見た二人は口論に発展しかけていたのが嘘のように顔を見合わせ、無言で頷くと恭也の後を追う。
出遅れたかもしれないと思ったが、思いの外早く追いつく事が出来た。
と言うのも、目の前でまた一人の少女が手を握られて頬を染めていたのだ。
訝しげに顔を付き合わせるルイズとサイトの二人。
その頭上から鞘から刀身を僅かに覗かせたデルフの大声が響く。

「思い出した!」

突然の大声に驚く二人に構わず、デルフは恭也の胸元を見るように告げる。
言われて二人がそこを見れば、僅かに光を放っている。

「あれってまさか……」

「ルーン?」

テファとの契約によって刻まれた使い魔としてのルーン。
それが光り輝いていたのである。

「ああ、その通りだよ相棒、貴族の娘っ子。あれこそが四つ目の使い魔、ミョズルキュバスの能力だ」

神の半身はミョズルキュバス。寛容にして博愛たる神の愛。
あらゆる技を遣いて、導きし我の伴侶を探す。

デルフが語った内容に二人は口を閉ざす事さえ忘れ、可哀相な子を見るような目でデルフを見る。

「サイト、少し休みをあげなさい」

「そうだな。幾ら剣だからって、ここ最近は戦ってばかりだったもんな。
 次ぐらいは他の武器を使うよ」

「おいおい、信用してないだろう二人とも。と言うか、そんな目で見ないで!
 って、そうじゃなくて本当に思い出したんだよ! 敵味方問わず、女性を惹きつける能力。
 寧ろ、それが原因で争いが起こった時もあるんだ。ブリミルが嘆いていたのをはっきりと思い出した。
 能力の発動は相棒が武器を握るのに対し、女性に触れた場合だ。
 相棒があらゆる武器を使いこなすように、ミョズルキュバスはその女性に尤も適した言葉や態度を自然と使う。
 それに加え、軽い魅了(チャーム)の魔法まで全身から出しやがる」

「な、何でそんな使い魔が居るのよ!」

「そんな事を剣である俺に聞かれても分かる訳ないだろう、娘っ子」

「確かに、伝説として残せないよな……。女たらしの使い魔なんて」

「だろう、相棒。ましてや、傾国の美女なんてレベルじゃないしな。
 下手をすれば国家間での戦争にだって発展しかねない。昔は国と言うよりも部族間でだったがな。
 特にその部族を指揮する立場の人物が女性だった日には目もあてられない。
 生み出した本人が一番嘆いていたのは皮肉な話だがな」

何とも言えない空気が流れる中、恭也はまた新たな獲物に目を付けた様で足取りも軽く近づいていく。

「って、呆然としている場合じゃないでしょう! 何としても止めないと!
 何とか止める方法はないの」

「あー、確か暫く女性に触れなければ自然と能力も納まるはずだぜ」

それを聞くなりルイズはサイトの背中を押し、恭也を捕縛するように命じる。
命令を実行するべくデルフを手にガンダールヴの力を発揮するサイトの背中を見ながら、
ルイズは新たに判明した問題に頭を抱える。既に学院の生徒の何人が犠牲になったのか分からない。
分からないが全員が貴族の上、デルフの話を信じるならば誰も恭也を諦めようとしない可能性が高い。
これから起こるかもしれない事を思うと、ルイズは本当に泣きたくなるのだった。

使い魔として異世界に召喚された高町恭也。
彼の行動派、過去のように禍を呼んでしまうのだろうか。



とらいあんぐるハ〜ト3 X ゼロの使い魔
誑しの使い魔復活



   §§



その昔、天界を騒がす一人の仙人が居た。
あまりの横暴振りを見かね、釈迦如来はその仙人――斉天大聖の前へと姿を現した……はずだったのだが。

「ふ〜、落ち着きますね、太上老君さま」

「そうじゃな。草木に囲まれて飲むお茶の何と上手い事か。のぉ、恭也」

釈迦如来の目の前では老人が二人、否、片方は確かに老人の姿をしているが、
残る一人はまだ若い二十歳そこそこの青年である。
だが、醸し出す雰囲気はまさに老成した空気である。
共に仙人であるのだから、見た目と実年齢に違いがあっても問題はないのだが。
そもそもの問題として……。

「え〜っと、斉天大聖が西王母の桃を食べたり、暴れまわっていると聞いたんですけれど……」

「おお、これは釈迦如来殿。それとも桃子殿とお呼びした方が宜しいかな」

「それはどっちでも良いんですけれど……」

件の罰を与えるべき斉天大聖は暴れておらず、寧ろ暢気にお茶を啜っていた。
困惑顔の桃子の前で、恭也は幸せそうにお茶をもう一口含む。

「あ〜、とりあえず折角来た事だし、ここは一つ悪さをして私に懲らしめられない?」

「……何故、そのような無駄な体力を。そもそも、どうして懲らしめられるために悪さをしないといけないんですか」

「だって〜」

その後も何とか悪さをさせようと唆すのですが、どうやら斉天大聖は真面目らしく首を縦に振りません。
終いには釈迦如来は涙目で恭也の手を取ると、お願いとまで口にします。
流石にそれには逆らえなかったのか、恭也は仕方ないとばかりにお茶菓子を包んでいた紙をその場に捨てます。

「これで良いですか」

「えっと、確かにポイ捨ては悪い事なんだけれど……。
 もうちょっと凄い悪さをしてみない?」

「そもそもお釈迦様が悪さをするように言うのはどうかと」

「だって〜。うぅ、もう良いわよ、ポイ捨ても立派な悪さだものね。
 という訳で……」

嬉々として手を上げると桃子はその両手を一気に引き下ろす。
するとそれに呼応するように大きな岩が恭也の頭上から落ちてきて、そのまま人間界まで恭也を落とす。

「しばらくそこで反省しなさい。あなたが心から改心したとき、おのずと道は開かれるでしょう」

「いやいや、しろと言ったのはそっちだし、そもそもポイ捨ても確かに悪いが、それでここまでするか?
 と言うか、充分反省しているのに抜け出せないぞ、これ!」

恭也の抗議はどこへやら、桃子は聞く耳持たずに一人天界へと帰っていきます。
その後姿を疲れたように見送る恭也であった。



されからどのぐらいの年月が過ぎたのだろうか。
何十年、いや、何百年のような気もする程長い年月が過ぎたある日、恭也の目の前に一人の僧が現れる。
彼女こそ天竺へと向かう三蔵フィアッセその人であった。

「そのような所で何をしているの?」

「それが俺にもさっぱりで。本当に俺は何百年もこんな所で何をしているんだろうな」

「うーん、理由は分からないけれど貴方は悪い人には見えないし、このお札を剥がせばそこから抜けれるかな」

言ってお札を剥がされると、恭也は簡単に岩を吹き飛ばして久しぶりに自由と慣れたのである。
お礼を述べ、何故このような山奥に来たのかを尋ねた恭也は、お礼にフィアッセを天竺まで護衛する事に決める。
こうして、二人の旅が始まった。



「……ちょ、猪八戒美由希と申します」

「えっと……。村の人に悪さしていると聞いたんだけれど」

「そ、そんな事してません!」

「だよね」

「寧ろ、人見知りが幸いして、人前で変に力み失敗しているといった感じか」

「み、見てたの!? わ、わざとじゃないんです!
 ちょっと何もない所で転びそうになって、近くの壁に手を伸ばして身体を支えようとしたんだけれど、
 力加減を間違えて壁を壊したり、転んだ弾みで持っていた武器を飛ばしてしまい、
 それが近くにいた人の顔のすぐ横に突き刺さったりしただけで」

「……あ、あははは。どうしよう、恭也」

「はぁ、本当に悪さをしていないとはいえ、このままここに居たらいずれ村人が襲い掛かってくるかもな。
 だとすれば、猪八戒はすまないが我々に退治されて心を入れ替えた事にして、旅に同行させるのが良いかと」

「だよね。そういう訳だから、美由希も一緒に行こう」

「良いの?」

「勿論だよ♪」




「うぅぅ、河童なのに泳ぎが苦手なんて恥ずかしくて、深夜にこっそり練習してただけなんですぅ」

「つまり、練習している沙悟浄を見て村人が勝手に驚いたんだね」

「そうなんです。あ、練習しているのを見られて、あまりにも動転していたんで水中に潜ったんですけれど……。
 間違って橋の足に頭をぶつけて、橋を壊しちゃったのも関係あるんでしょうか!?」

「間違いなく関係あるよ。だって、村の人たち橋を壊されて困っているんだし。
 そもそも、私たちもフィアッセが天竺に行くのに橋が壊れて、
 妖怪がいるから修復もできないっていうからここに来たんだし」

「そ、そんなぁ〜。本当にわざとじゃないんです。ちょっと昔からそそっかしい所があって……」

「そそかっしいで橋を壊されてもな。と言うか、何処かで似たような事があったな、美由希」

「うぅぅ、人事だと思えないよ、恭ちゃん」

「はぁ、言いたい事は分かるが……。どうする、フィアッセ」

「う〜ん、悪い子じゃないみたいだし、美由希の時みたいに一緒に連れて行こう♪」

「だそうだ、沙悟浄」

「ありがとうございます〜。あ、私の事は那美と呼んでください。これから宜しくお願いします」

次々と頼もしい仲間を増やしつつ、天竺への旅は続いていく。
そんな中、三蔵を狙う妖怪も姿を見せ始め……。



「ノエル、やってしまいなさい!」

「了解です、忍お嬢様。恭也様」

「何だ? って、身体が……」

「ああ、恭ちゃんが銀角の持っている瓢箪の中に吸い込まれた!?」

「ふふふ、極上のお酒が出来そうね。よくやったわ、ノエル。
 それじゃあ、引き上げるわよ!」

「って、狙いはフィアッセさんじゃないんですか!?」

「……ああ、そういえば徳の高い僧が狙いなんだった。すっかり忘れてたわ」

「って、そんな大事な事を忘れないでください! と言うか、那美さん、余計な事を言っちゃいましたよ!」

「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

思わぬ強敵の出現にピンチに陥ったり……。



「ふっふっふ。よくぞ、ここまで来たな三蔵一行よ! だが、お前たちの旅もここまでだ!
 この牛魔王さま自ら――」

「だぁ、ごちゃごちゃ煩いで、この阿呆猿! 折角の奇襲のチャンスを自ら潰すアホが何処におるねん!」

「誰が猿だ、このドン亀! そもそも奇襲なんて卑怯な手は嫌いなんだよ!
 第一夫人なんだから、大人しく夫に従ってろ羅刹女!」

「妻やからって大人しく言う事をきかんなあかんなんて事はない。
 寧ろ、愚夫を支えたらんとな!」

「てめぇ、誰が愚夫だ」

「言わんと分からんか?」

「…………って、何でおめぇと夫婦なんだよ!」

「それはうちの台詞や!」

「やるか!」

「望むところや!」

「…………えーっと、とりあえず今の内に行こうか」

様々な難敵(?)の猛攻を躱しながら、三蔵たちの旅は続いていく。
果たして、無事に天竺へと辿り着けるのか。



心遊記



   §§



「我が召喚に応えよ!」

声高らかにそう締めくくられた呪文。
それに応じるように小さな爆発が起こり、周囲に煙が立ち上る。
全く前が見えない状況下、召喚の主たる少女――ルイズは咳き込みながらも前方を見詰める。
周囲ではちょっとした騒動が巻き起こっていたが、これもまたいつもの事と傍観する者たち。
その中にあり、この場の責任者にして教師たるコルベールは生徒の安否を気遣い目を凝らす。
薄れ行く煙の中、浮かび上がる一つの影。
それはまるで杯のような形をしており、いや、煙が晴れるにつれて明らかになったその姿はまさしく杯である。
両端に取っ手のついた婉曲した、両手で持ったとしても覆いきれないぐらいの大きさの。

「見ろよ、ゼロのルイズが召喚した物を」

「おいおい、幾ら召喚が上手くいかなかったからって、買ってきた杯なんて出すなよ」

「いやいや、直前まであんな物は持っていなかったぞ。つまり、ゼロのルイズは無機物を召喚したんだ」

嘲笑や嘲りが飛び交う中、ルイズは呆然とした目で目の前の杯を見詰め、
やがて我に返ったのか、やり直しを要求するべくコルベールへと振り返る。
コルベールはルイズの言いたい事を察したが、間違いなく目の前の杯はルイズが呼び出した物である。
だとするのなら、気の毒だが杯と契約をしなければならない。
過去、無機物の使い魔を呼び出したなどという前例は聞いた事はなく、
また件の少女が並みならぬ努力をしているのも知っており、どうにかしてやりたいよいう気持ちはある。
だが、この召喚の儀式は神聖なるもの。個人的な感情からやり直しを認める訳にもいかない。
コルベールは告げるのは酷だと分かりながらも、悲壮な面持ちで首を横へと振る。
それだけで言わんとしている事を悟り、ルイズは悔しげに杯を見詰める。
と、その杯に変化が現れる。神々しい光を放ったかと思えば、禍々しい闇を噴き出したのだ。
相反する気配を発する杯に、からかっていた生徒たちも黙り込む。
が、その中でコルベールだけは何かを感じ取ったのか、ルイズを安全な場所へと連れ出すべく動き出す。
だが、それよりも早く……。
杯は光に包まれたかと思うと、その姿を消した。
後には呆然としたルイズたちだけが残される。

「い、一体なんなのよー!」

ルイズの叫びに答えを出せる者など誰もおらず、コルベールでさえも目の前の現象に説明を付ける事などできない。
だが、今は儀式の途中である。コルベールはどうしたものかと頭を悩ませる。
ルイズが呼び出したらしい杯は既に消え去った。
なら、どうすれば良いのか。新たに召喚させるべきなのか。それとも杯を探させるべきなのか。
悩むコルベールの前で、またしても事態は勝手に進む。
突然、ルイズが左手に痛みを感じて蹲ったのだ。

「うぅぅ、い、痛い、熱い。な、なんなのよ、さっきから」

顔を顰め、左手首を押さえるルイズにコルベールは慌てて駆け寄る。
が、痛みを訴える箇所に触れてみるも、骨に異常はないように思える。
困惑するコルベールとルイズの見ている前で、ルイズの左手の甲に赤い模様が浮き上がる。

「な、何、これ」

「まさか、使い魔のルーンですか。しかし、こんな形は見た事は……」

コルベールの言葉にまたしても回りから嘲笑が起き上がる中、ルイズは今にも消えてしまいたい気持ちになる。
ドラゴンやユニコーンなどの幻獣とまでは言わない。猫であろうが犬であろうがこの際構わない。
だが、ようやく召喚できたと思ったら、それは生き物ですらない無機物。
挙句、それは目の前で消え去り、終いには使い魔のルーンが自身に刻まれるという事実。
あまりの情けなさに泣きそうになるが、それをどうにか堪え、
目の前でこちらを気遣うコルベールに何とか笑みを返す。
半場やけくそ気味に立ち上がり、進学の掛かった今回の儀式の成否を問おうと口を開いたその先、
ルイズの目の前に直径2メートル強の魔法陣が突如浮かび上がる。
それは勉強熱心で色々な書物を読み漁ったルイズの記憶にさえないもので、
見ればコルベールも興味深そうに見詰めている。
先ほどまで騒いでいた生徒たちも、目の前で立て続けに起こる不可思議な現象にただ黙って立ち尽くしている。
先ほどと打って変わって静まり返る中、目の前の魔法陣が一瞬だけ強烈な光を放ち、
それが消えると、そこには一人の男が立っていた。
年の頃はルイズよりも二、三歳ほど上の全身真っ黒な服を着た青年。
立て続けに起こる事態に混乱気味のルイズへと真っ直ぐに向かい合うと、
静かな、けれども力強い口調で語り掛けてくる。

「貴女が俺のマスターですね。これから宜しくお願いします、マスター」

恭しく跪く青年を前に、一足先に我に返ったコルベールが事情を尋ねる。

「ミス・ヴァリエールをマスターと呼ぶという事は、君が使い魔という事で良いんでしょうか」

「はい。マスターの手の甲にある令呪、それとマスターと魔力的ラインで繋がっていますから、間違いないです」

「令呪……? そうよ、これは何なの!? どうして使い魔のあなたじゃなくて私にルーンが刻まれるのよ」

「ルーン? それは令呪です。令呪がマスターに刻まれるのは当然の事」

「だから、令呪ってのは何よ。よく考えたら、コントラクト・サーヴァントをしていないのに」

「ミス・ヴァリエール、取り合えず落ち着きたまえ。
 どうも話が食い違っている部分もあるようだし、お互いに情報を交換しよう。
 皆さんは先に戻っていてください」

コルベールの言葉に生徒たちが去って行くのを見送り、この場に残った三人は少し落ち着いて話を始める。

「そうですね、まずは貴方の名前から教えてもらえますか」

「……それはできません。マスター以外に名前を教える事は非常に危険ですから」

「ですが、それだと何とお呼びすれば良いのか分かりませんが」

「アサシンと」

「アサシン……暗殺者、とは穏やかじゃありませんね」

やや鋭い眼差しになると、コルベールはルイズを庇おうと動こうとして、それよりも早くアサシンが動く。
ルイズを人質に取られるかと思ったコルベールであったが、
思わず構えた杖の先ではアサシンがルイズを庇うように立っている。

「マスター、この男は何者ですか」

「何者って先生よ。それより、名前は何なのよ」

「ですから、今は言えません。それに、この男が信用できたとしてもマスターでないという保証も……」

「良いから言いなさい」

アサシンの言葉を遮るように命じるルイズへと僅かに驚いた顔を見せるアサシン。

「……もしかして、何も知らないのですか」

「だから、何をよ」

ルイズの言葉にアサシンは小さな嘆息を零すと、コルベールを改めて見遣り、
警戒するように話は場所を変えてと進言するも、痺れを切らしたルイズに頭を叩かれる。
渋々と納得したアサシンは、とりあえず話しの出だしとして尋ねてみる。

「聖杯戦争、この言葉に聞き覚えはありませんか」

それに対する二人の返答は共にノーであった。
その返答にアサシンは空を見上げ、

「さて、召喚時に与えられた知識に寄れば、ここは異世界とも呼ぶべき所みたいだな……。
 妹たちよ、とうとう兄は異世界に来てしまったようだ。
 それも英霊になってというおまけまでついて。しかも、呼ばれて来てみれば、何も知らないマスター。
 生前、あれだけ苦労したのに、英霊になってまで苦労の連続か。
 それとも、とことん女運がないのだろうか。俺の苦労の半分は悪友の発明と証する実験だったからな」

やおら遠くを見るアサシンに、何故か哀愁を感じてルイズたちも声を掛けるのを躊躇われる。
とは言え、このままでは話は進まないし、何よりも無知と証されてご立腹のルイズである。
遠慮するのも数秒程度で、すぐさまアサシンへとやや乱暴な口調で詰め寄る。
が、アサシンは特に気を悪くするでもなく、聖杯戦争について語り出す。
聖杯を巡る七人のマスターとサーヴァントの戦い。
聖杯を手にした者は何でも願いが叶うこと。
過去、数回行われている聖杯戦争はこことは違う世界での事。
そして、自分が元々居た世界における魔法と魔術に関して。
最後に、ルイズの甲に刻まれた令呪について。
全てを話し終える頃には、既に日は落ちて辺りを薄闇が包み込んでいた。

「な、何でも願いが叶うの。た、例えば魔法が使えるようにとかも」

「恐らくは。ですが、その為には先ほども言ったように他のマスターたちを倒さなければなりませんが。
 それに、この感じだとまだ数人、マスターが決まっていないようですね」

「ふふふ、これで私もメイジに。でも、魔法はやっぱり自力で使えるようになりたいかも。
 だとしたら……、む、むむむむむ胸を大きくしたりとか……。
 別にあんなのは邪魔だし、それにこれから成長するでしょうけれど、ま、まあ、ちょっとした好奇心よ、うん。
 あ、でも、何でも叶うのなら、ちぃ姉さまを健康な身体にも出来るのかしら。
 だとしたら……」

アサシンの言葉を聞いていないのか、ルイズは聖杯に叶えてもらう願い事に関してあれやこれやと考えていた。
が、そんなルイズたちを現実に戻すようにコルベールがいつもよりも険しい顔を見せる。

「ミス・ヴァリエール、私は聖杯戦争に参加するのに反対です」

「どうしてですか!」

「よく考えてください。他のマスターやサーヴァントと争う事になるんですよ。
 つまり、相手の命を奪うという事です。貴方が直接手を下さなかったとしても、それを命じた事になるんですよ。
 そうまでして、願いを叶える必要がありますか」

コルベールの言葉にルイズは俯き言葉を無くす。
だが、カトレアを治せるかもしれないという考えにアサシンに救いを求めるような顔を見せる。

「……マスターは人だが、サーヴァントは俺同様に英霊だ。即ち、人殺しとはまた違うとも言える。
 それに何より、向こうが黙って見過ごしてくれるかどうか」

アサシンの言葉にコルベールはその可能性を失念していた事に気付くも、最初から放棄を宣言すればと反論する。
だが、アサシンは首を横に振ると、相手がそんな甘い奴ばかりとは限らないと告げる。
結果として、三人の間で妥協案が出される。
こちらからは手を出さない事。ただし、防衛の為にはこれの限りではない事。
異世界から来た事や聖杯戦争の事は決して口外しない事。これは学院長が相手でもだ。
アサシン曰く、学院長がマスターという可能性がない訳ではないためらしい。
それらを決め、コルベールは渋々ながら納得した所で、完全に忘れているであろうルイズへと使い魔との契約、
コントラクト・サーヴァントをする事を告げる。
すっかり忘れていたルイズは改めてコントラクト・サーヴァントをし、聖杯戦争とは別の、
ハルケギニアでの使い魔契約を結ぶのだった。

「これでこっちの流儀でも貴方は私の使い魔となった訳ね。
 まあ、薬草などの知識は兎も角、さっきの説明を聞く限り、私を守るという事に関しては問題なさそうね」

ルイズの言葉に頷き返すと、アサシンは改めてルイズの前に膝を着き、姫に忠誠を誓う騎士のように頭を垂れる。

「我が剣はマスターの敵を切り裂き、この身はマスターの盾となりて、必ずやマスターに勝利を」

「ええ、期待しているわ」

その光景を眺めながら、コルベールは本当に約束を守るのだろうかと少し不安に駆られるのだが、
既にサイは投げられてしまったのだと諦めにも似た様子でただ黙って見守るのだった。



「えっと、マスターじゃなくてテファと呼んでくれると嬉しいかな」

「えっと、それじゃあ、テファ、これから宜しくね」

「ええ」

(良い人みたいで良かった。でも、恭ちゃん……。私とうとう、異世界に来ちゃいましたよ。
 おまけにエルフなんていう本でしか見たことない人がマスターだなんて。本当に人生って分からないよね。
 って、英霊でも人生で良いのかな……)

――各地でもサーヴァントが召喚されてマスターが誕生する

「我が剣の全てはマスターのために。
 マスターに害成すと言うのならば、聖杯戦争に関係なくただ斬る!」

――聖杯戦争とは関係のない事件に巻き込まれるルイズとアサシン

「ねぇ、アサシン。貴方の本当の名前は何なの。どうして教えてくれないの?
 偶に夢で見るあの光景は貴方の過去なんでしょう!」

「……恭也、高町恭也。それが俺の名です。ですが、口外はしないように気をつけてください。
 それと、夢で見た光景はもう過去の事です。だから、どうか泣かないで、優しいマイマスター」

――戦争に借り出されるルイズであったが、それとは別に遂に始まる聖杯戦争。

    果たして、聖杯は誰の手に――

ゼロと聖杯



   §§

「我が召喚に応えよ!」

声高らかにそう締めくくられた呪文。
それに応じるように小さな爆発が起こり、周囲に煙が立ち上る。
全く前が見えない状況下、召喚の主たる少女――ルイズは咳き込みながらも前方を見詰める。
周囲ではちょっとした騒動が巻き起こっていたが、これもまたいつもの事と傍観する者たち。
その中にあり、この場の責任者にして教師たるコルベールは生徒の安否を気遣い目を凝らす。
薄れ行く煙の中、浮かび上がる一つの影。
それはまるで杯のような形をしており、いや、煙が晴れるにつれて明らかになったその姿はまさしく杯である。
両端に取っ手のついた婉曲した、両手で持ったとしても覆いきれないぐらいの大きさの。

「見ろよ、ゼロのルイズが召喚した物を」

「おいおい、幾ら召喚が上手くいかなかったからって、買ってきた杯なんて出すなよ」

「いやいや、直前まであんな物は持っていなかったぞ。つまり、ゼロのルイズは無機物を召喚したんだ」

嘲笑や嘲りが飛び交う中、ルイズは呆然とした目で目の前の杯を見詰め、
やがて我に返ったのか、やり直しを要求するべくコルベールへと振り返る。
コルベールはルイズの言いたい事を察したが、間違いなく目の前の杯はルイズが呼び出した物である。
だとするのなら、気の毒だが杯と契約をしなければならない。
過去、無機物の使い魔を呼び出したなどという前例は聞いた事はなく、
また件の少女が並みならぬ努力をしているのも知っており、どうにかしてやりたいよいう気持ちはある。
だが、この召喚の儀式は神聖なるもの。個人的な感情からやり直しを認める訳にもいかない。
コルベールは告げるのは酷だと分かりながらも、悲壮な面持ちで首を横へと振る。
それだけで言わんとしている事を悟り、ルイズは悔しげに杯を見詰める。
と、その杯に変化が現れる。神々しい光を放ったかと思えば、禍々しい闇を噴き出したのだ。
相反する気配を発する杯に、からかっていた生徒たちも黙り込む。
が、その中でコルベールだけは何かを感じ取ったのか、ルイズを安全な場所へと連れ出すべく動き出す。
だが、それよりも早く……。



杯の限界量以上にワインを注ぎ込まれたかのように、杯から闇が溢れ出して地面へと落ちる。
だが、不思議な事にまるで黒い液体を思わせるようなその質感にも関わらず、
地面に落ちた闇の水は染みを広げるでもなく、また地面に吸収される事も無くただ地面に広がる。
それはまるで闇の絨毯を広げたかのように、ただどこまで黒い、真っ黒な影をただ杯を中心に落とす。
だが、それはただの影ではなく、蠢きながらその面積を広げていく。
見るからに良い印象を与えないソレに、しかしルイズの強張った身体は動かず、ただそれを見詰め続ける。
救出するべく動き出していたコルベールは、闇から突如として生えた同色の触手のようなものに阻まれる。
懸命にルイズの名を呼んで離れるように告げ、ようやくその声に我に返るが、
既にルイズの足元にまで広がった闇は獲物を逃がさないとばかりに一気に膨らみ、
まるで蛇のようにルイズの足を這い登り、あっという間にルイズの身体に纏わりつく。
その光景に誰もが恐怖を抱いてただ見詰めるしかできない。
初めは闇を追い払おうと懸命に足掻いていたルイズの動きが徐々に大人しくなっていき、
誰もが不吉な想像をする中、ルイズは闇の中にあって笑みを浮かべる。
それは見るものを思わずとろけさせるような妖艶なものであり、
この少女が浮かべるには少々似つかわしくないはずなのに、闇を纏ったルイズには妙に合っているように見える。
ルイズは己が唇を指先でなぞり、これまたこの少女らしくない艶のある声を上げる。
恍惚とした瞳で自分を見つめる生徒たちを撫で回し、ルイズに見られた生徒たちは男女を問わず、
言いようの無い悦楽を感じてしまう。それは教師であり、助けようとしていたコルベールとて例外ではなく、
知らず唾を飲み込み、目の前の少女を凝視していた。
そんな中、ルイズは愛しそうに自らに纏わりつく闇を撫でると、歌うように呪文を唱える。
それは使い魔の契約をする呪文、コントラクト・サーヴァントである。
だが、今ルイズが唱えているのがそれだと理解できる者はおらず、
本来なら止めるかもしれない唯一の教師でさえ気付かない状況の内に、ルイズは契約を終えてしまう。
すると、まるでそれを待っていたかのように杯が消え、後にはただ闇だけが残される。
ルイズが名残惜しそうに闇を一撫ぜすると、それまでただ影のように広がっていた闇が一箇所へと集まり、
ルイズに絡み付いていた闇もまた吸い寄せられるようにルイズから離れていく。
やがて、ルイズの隣に闇で出来たクラゲにも似た丸い頭部に複数の触手をふらふらと揺らせて宙に浮かぶ生物がいた。
その生物の中央辺りに光り輝く使い魔の証ルーンが、闇の中にあって余計に目立っている。

「良い子ね。後で名前を上げるわ」

ルイズの言葉を喜ぶようにゆらゆらと身体を左右に揺らす闇。
その表面を優しくなぞると、未だに事態が把握できていないのか、呆然としているコルベールへと声を掛ける。

「先生、コントラクト・サーヴァントは終わりましたけれど」

その声はいつものルイズのもので、その顔をまた先ほどのような妖艶なものではなく、
いつもの明るいものに戻っていた。
コルベールは先ほどの光景を幻覚だとでも思ったのか、頭を振って未だ朦朧とする意識を何とか振り払う。

「そ、そのようですね。しかし、ルーンもそうですが、そのような生物は見た事がありません。
 もしかして、その生物は幻を見せたりできるのでしょうか」

「さあ、そこまではまだ分かりませんけれど。どうして、そう思われたのですか?」

そう聞き返してくるルイズに対し、コルベールは己が見たかもしれない幻覚を口にする事もできず、
この場は適当に誤魔化す。
後日、この場にいた生徒たちから話を聞いて、コルベールは改めて口にしなくて良かったと思う事となる。
何故なら、その場に居た生徒の誰一人として、そんなものは見ていなかったからだ。
皆、口を揃えてルイズがあの生物を呼び出して、コントラクト・サーヴァントを得て使い魔としたと証言した。
だが、コルベールは己が見たものをもっと信じるべきだったかもしれない。
何故なら、コルベールの記憶が正しいとするのなら、それは生徒たちの記憶から、
この時の記憶だけがなくなっているという事を意味するのだから。
もう少し聞き方を変えていれば、誰もが数分程、記憶に空白が出来ていると気付く事が出来たかもしれなかったのに。
だが、既にそれは遅く、最早誰もその事に気づく事はなかった。



「ふ、ふふふ、あーはっはっは。これよ、この力よ!
 この魔力量、この威力。もう誰にもゼロだなんて言わせないわ」

身体に闇を纏ったルイズは一人、誰もいない森の中で笑い声を上げる。
その姿を見るものは誰もおらず、ただ天に輝く二つの月だけがそんなルイズを見下ろしている。
左頬に黒く、まるで何かの模様のように波打つ紋章を刻み、ルイズは今しがた自らが起こした惨状を見遣る。
周囲の木々がなぎ倒されている惨状を。
だが、よく見ればその切り口は様々で、まるで刃物で切ったかのように一直線のものもあれば、
凍らせて折られたのか、傷口が凍っているもの、まるで力任せに殴られて倒れたかのように、
根元からへし折れているものと様々だ。それらの中心に立ち、ルイズは足元に広がる闇を満足そうに見下ろす。
ふと、そんなルイズの隣にまた闇の生物が現れて寄り添う。

「あら、アンリ。お帰りなさい。食事はどうだった?」

アンリと名づけられた闇は声を発するでもなく、ただルイズの隣でたゆたう。
だが、ルイズには声が聞こえるのか、楽しそうな笑みを見せてアンリを優しく撫でてやる。

「そう、美味しかったの、それは良かったわね」

アンリを優しく撫でながら、ルイズは空を見上げる。
何の感情も浮かばない瞳にただ二つの月だけを映し、実に楽しそうな声を上げる。

「私……じゃなかったわ。聖杯を手に入れようと、何人かがサーヴァントを呼び出したみたいね。
 道化だとも分からず、聖杯に群がる蟲がもうすぐで揃うのね。
 精々足掻いて私を楽しませてね。ふふふ、本当に楽しみだわ。
 主賓として、最高のお持て成しをしてあげるわ。世界中を巻き込む、今までにない聖杯を巡る舞台を。
 ふふふ、きっと楽しい聖杯戦争になるわよ」

妖艶な笑みを貼り付け、ルイズはただただ楽しそうに笑い、アンリの触手を二本手に取ると、
優雅なステップを踏み出す。誰もいない森の中、月明かりを浴びてルイズはただただワルツを踊る。

(まずは最近、密かに勢力を増しているレコン・キスタを利用しようかしら。
 アンリエッタ王女も使えそうよね……。ふふふ、本当に楽しみだわ)

これからの計画を練り、妖艶で狂った笑みを貼り付けたまま、アンリと二人楽しそうに。

ゼロと聖杯 〜ダークVer.〜



   §§



彼女はどこにでも居る、ごくごく普通の女の子。
密かに想いを寄せる男性も居るし、家庭に特にこれといった不満も無い。
趣味の読書と園芸に関しては、兄が少し注意とからかいの言葉を掛けてくるぐらい。
しかし、彼女は普通とは少し違う所があったのです。
それは、普段しているみつあみを解くと……。

「はぁー、危ない所だったね。今度からはちゃんと確認してから渡らないと駄目だよ」

そう言って、今しがた車に轢かれそうになった猫を解放してやると、
まるで言葉を理解しているかのように一声鳴き、猫は去っていく。
そこへ血相を変えた少女が近付いてくるなり、その身体を心配そうに見遣る。

「み、美由希さん、大丈夫ですか」

「ええ、大丈夫ですよ。猫も無事だったし良かったです」

「はぁぁ、本当にびっくりしました。まだ心臓がドキドキしてます」

猫を助けた美由希と、その美由希を心配した那美は何事もなく済んだ事を喜ぶように笑みを交わす。
が、そこへふいに影が落ち、気付いた那美が何か言うよりも先に拳骨が落ちる。

「たっ」

大して力は篭っていなかったのか、美由希は蹲る事無く後ろを振り返り、予想通りに人物をそこに見つける。

「ちょっと恭ちゃん。いきなり妹の頭に拳骨を落とすなんてどういうつもり。
 それとも、恭ちゃんの中では今、街で妹を見かけたら拳骨を落とすっていうのがマイブームなの?」

一気に捲くし立てて迫ってくる美由希の顔面を片手で押さえて引き離しつつ、恭也は渋面を作り言い返す。

「そんなマイブームなどないし、もし仮にそんなブームがやって来たとしても、妹ではなくバカ弟子に、だろうな」

「ぶー、なのはにばかり……」

わざとらしく拗ねて見せる美由希を無視して那美に挨拶をし、その事にまた文句を言ってくる美由希の口を塞ぐと、

「猫を助けるために神速を使うとはな。あれほど、神速の使用はまだ禁止だと言っているというのに」

「で、でも、神速じゃないと間に合わなかったし……。
 大体、恭ちゃんもあの場に居れば同じ事をしたくせに」

「人前でそうほいほいと使うか」

そう言いつつもその顔は怒ってなどおらず、寧ろ、

「あの、恭也さん。こういう事を言うのはあれなんですが、怒るのならもう少しそれらしい顔をした方が……」

「かなり怒った顔をしていると思うんですが?」

確かに顔を見ればしかめっ面なのだが、よくよく見れば何処か嬉しそうにも見える。
叱られている美由希もそれが分かっているのか、顔をにやけさせて恭也を見詰め返している。
居心地の悪さを感じつつ、それを誤魔化すように美由希の髪を乱雑に掻き回す。

「ちょっ、恭ちゃん、やめてよ。髪が乱れる」

「師匠の言いつけを破った罰だ」

「うぅぅ、だからそんな顔じゃ説得力がないって……。
 うぅぅ、や〜め〜て〜」

「何を言っている。珍しく褒めてやっているんだ、喜べ」

「褒めてない、絶対に褒めてない。って言うか、さっきと言ってる事が違うし」

嫌がりながらもその顔は嬉しそうにしており、傍から見ればじゃれているようにも見える。
そんな光景を微笑ましそうに見ていた那美であったが、ふと思い出したかのようにポケットからリボンを取り出す。

「美由希さん、リボン落ちましたよ」

「ありがとう那美さん」

那美からリボンを受け取ると、ようやく解放された髪を手で直してみつあみを編んでいく。
何年と続けてきただけあり、その手際はよく、あっという間にみつあみを編み上げるとリボンで括り、
ポケットに仕舞いこんでいた眼鏡を掛ける。

「それで恭ちゃんはこんな所でどうしたの?」

「別に散歩のついでに本屋へと寄った帰りだ。そっちは那美さんとのデート帰りか」

「うん。翠屋に行く途中だったんだけれど。そうだ、恭ちゃんも一緒に行く?」

邪魔じゃないかと尋ねる恭也であったが、美由希本人だけでなく、連れである那美からも是非と言われ、
恭也は美由希たちと共に翠屋へと向かう。
その一歩を踏み出した途端、

「あうっ」

何もない所で美由希が転びそうになり、恭也が腕を掴んでそれを防ぐ。

「あ、あははは、ありがとう恭ちゃん」

呆れた視線を感じつつ、引き攣った笑みで礼を言う美由希に対し、わざとらしく大仰な溜め息を吐いてみせる。

「どうしてお前はそう……」

「あ、あははは……」

「本当に不思議ですよね。さっきは物凄く早く動いても何ともなかったのに」

言いつつ、那美はさっきと今の美由希の違いを思わず探し、

「もしかして、髪を解いたら運動能力が上がるとか」

冗談っぽくそう口にし、美由希と二人で笑う。
だが、恭也は一人、真剣に考え込むのだった。

数日後、那美の言葉を実証するべく、恭也は髪を解いた状態とみつあみ状態の美由希を共に罠に掛けるのだが、
それはまた別の話。更にその結果、まさか那美の言葉が立証される事になるなど、誰も思いもしないのであった。

髪を解けば運動能力が上がる少女、高町美由希。彼女の物語は始まったばかりである(?)

ストみつ



   §§



授業終了の、そして昼休み開始のチャイムが鳴り、委員長が号令を掛ける。

「起立、気を付け」

号令に合わせて席を立つ生徒たちの中、二人ばかり窓枠に足を掛ける者がいた。
礼の言葉と同時二人は身を外側へと投げ出して飛び降りる。

「飛んだ!?」

隣の席の女子生徒が叫ぶのを聞き、少女と仲の良い三人の少女たちがやって来る。
四人が揃って下を見下ろせば、二人の男子生徒は無事に着地して走って行く。
安堵の吐息を零す最初の少女とは違い、頭の両脇を団子にした少女は出遅れたと叫び、
身に着けていた白衣を脱いで広げると、パラシュート代わりにして窓から飛び降りる。

「アイキャンフライ!」

「えぇー! ま、真宵さん!?」

「落ち着きなさいよ、姫。真宵の事だから大丈夫だって」

飛び降りた真宵を心配そうに見詰める姫へと忍が笑いながら言えば、その隣で皆よりも頭一つ分は小さい少女も頷く。

「そうそう。怪我した所で誰も損しないわ」

「って、そういう問題なんですか!?」

「とは言え、忍ちゃんも真宵や恭也、伊御くんに負ける訳にはいかないのよ。
 幻のイチゴロールケーキと高級カツサンドは忍ちゃんが頂くわ」

言うや、何処からか取り出した見るからに怪しいロケットエンジンを背中に背負おうと窓から身を乗り出す。

「という訳で、ちょっくら行ってくるわ」

「あ、危ないですよ、忍さん。つみきさんも止めてください」

言われたつみきは一つ無言で頷くと忍に一歩近付き、

「牛乳をお願い」

「了解♪」

「えぇぇ!」

止める所か買ってくるものを頼む。
注文を受けた忍は親指を一つ立てて応えると、そのまま宙へと身を投げ出す。

「つみきの胸のためにも必ず手に入れてくるわ!」

叫び飛び降りた忍目掛け、怒ったつみきが机の上に忘れられていた真宵の財布を投げる。
運悪く、財布は忍の背負ったロケットエンジンに当たり、小さな火花を散らせたかと思うと、
次の瞬間には黒煙を上げて爆発する。

「何するのよ! って、真宵、どいて!?」

「にょわっ! 空中で退けとはご無体な!」

「ああー、ぶつかる!」

「こ、これが胸……いや、ナイチ……ナインの祟りか!」

「おお、ボインの対極にある事がよく分かる新語ね。って、つみき、椅子と机は洒落に、洒落にならないから!」

「って、地面、地面が近付くっ!」

盛大な音が上がる下を見下ろし、姫は青い顔で震える。

「あわわわ、つ、つみきさん」

「なに?」

「な、なんでもありません」

注意しようとした姫であったが、あまりにも鋭い視線に沈黙するのだった。



これは、高町恭也、月村忍、音無伊御、御庭つみき、春野姫、片瀬真宵、そして戌井榊を加えた七人による、
騒々しい日々の物語である。



「それにしても、あれじゃね」

「何よ」

「いや、伊御さんもだけれど、恭也さんも大概鈍いなと」

「でもでも、お二人ともとってもいい人ですよ」

「姫、それは分かってるって。
 尤も、伊御くんはいい人過ぎて誰にでも優しいから、つみきは心配でしょうがないでしょうけれど」

放課後、四人で喋っている中、つみきをからかう雰囲気を忍と真宵が醸し出す。
それに気付かない姫はのほほんとした笑みを浮かべたまま同意するするように頷く。

「そりゃあ、つみきさんとしては面白くないよね」

「「つみき(さん)、じぇ〜ら〜しぃ〜」」

「ふんっ」

からかう二人に食べていたポッキーを投げれば、見事にそれは額に突き刺さる。

「わぁっ! つ、つみきさぁぁん!」

慌てた姫の声だけが教室に響き渡る中、教室の扉が開いて伊御と恭也が入ってくる。

「流血沙汰?」

「一体、何があったのか聞きたいが、原因は御庭なのだろうなという検討だけは付いてしまうな」

教室の惨状を目の当たりにしても、落ち着いて話す二人。
その背後から手が伸びてきて、二人の首に周り少年が顔を出す。

「ふっふっふ、まだまだ甘いな二人とも。
 確かに原因は御庭かもしれないが、その根本的な理由はきっと伊御が関係し――がはっ!」

最後まで言い切る事も出来ず、榊は再び投げられたポッキーに額を打たれてもんどり返る。

「うちの教室はいつからこんなバイオレンスに」

「だが、原因はお前にあるみたいな事を榊が言いかけていたぞ、伊御」

恭也の言葉に考えるも、当然ながら思い当たる節などなく首を捻るしかできない伊御へ、
悪魔の尻尾を生やした二人が近付く。言わずと知れた忍と真宵だ。

「それは、つみきさんが伊御――ふぎゃぁっ!」

「って、つみき、ま、待った、待った! さ、流石に鼻はやめて!」

暴れる三人を呆れたように見遣りつつ、いつもの事とゴミ箱を元の位置に戻す。

「恭也くん、伊御くんゴミ捨てご苦労様です。良かったらお二人も食べます?」

言ってポッキーを手にしたまま、二人にあーんとする姫。
あまりにも自然とする姫に苦笑しつつも気を付ける様に注意する恭也と伊御の間から、
いつの間にか復活した榊が顔を出し、にやけた笑みを見せる。

「姫、そんな事をすると御庭が焼きもちをやくぞ、なぁ、御庭」

忍と真宵に制裁を加えて一息着いたつみきであったが、榊の言葉に顔を赤くして反論する。

「しょ、しょんなことはにゃわわよ!」

思いっきり噛むつみきを見て、心を癒される伊御たちであった。



とらあっちはーとこっち



   §§



「さて、こうして今、俺たちは森の中にいるんだが。美由――グレーテルはどう思う?」

「恭ちゃ――ヘンゼル兄さん、きっと私たちは駆け落ちしたんだよ。って、痛い!」

「初っ端から話の内容を変えるな。このバカ弟子。
 母に捨てられた訳だが、パンくずを……、はて、見当たらないがどうしたんだ?」

「あ、あははは。寝る前に渡されたパンはそういう事だったんだ。
 てっきり夜食にくれたんだと」

「……まさかとは思うが、普通に食べたとか言わないだろうな」

「お、美味しかったよ」

言った途端、ヘンゼルの拳がグレーテルへと落とされる。

「うぅぅ、母親以上に兄の暴力に悩んでます」

「自業自得だ、馬鹿者め。ふむ、北がこっちだから……家はこっちだな」

「ああ、置いていかないで! と言うか、迷いもせずに帰っても良いの!?」

「誰が好き好んで森で迷いたいんだ?」

「確かに正論だけれど……。ほら、少しは可愛い妹と森での二人暮らしを考えてみたり」

「森の中は獣たちの声で賑やかだな。で、何か言ったか? よく聞こえなかったんだが」

「うぅぅ、別に何も言ってません」

「まあ、捨てられたのに帰るというのもあれだな。
 幸い、この森は木の実や動物なども大勢いるみたいだし、数ヶ月ぐらいなら暮らせるか」

「恭ちゃ……お兄ちゃんと二人暮し。
 って、ついつい良いかなって思っちゃったけれど、それだと漂流記ものだよ!」

「ぶつくさ言ってないで、寝床を探すぞ」

「うぅぅ、頼もしすぎるお兄ちゃんを持って喜べば良いのか、泣けば良いのか」

言いつつ、ヘンゼルの後を追うグレーテルであった。
そうして二人が森の奥へと進んで半日ほど過ぎた頃だろうか、

「しかし、随分と歩いた気がするな」

「だよね。そろそろ出口なり、森から抜けるなりしても良いような気もするけれど」

そう呟く二人の脳裏に、

『一晩中、顔色も変えずに歩かないでよ。いい加減、疲れたとか言わないと次の展開もできないじゃない!』

何処からともなくそんな声が聞こえたような気もしたが、きっと気のせいだろう。
そう結論つけて二人は変わらぬ足取りで更に進んでいく。
すると、根負けしたのか、てこ入れが入ったのか、暫く進んだ二人の前方に明かりが見えてくる。
人家かと思って近付いてみれば、それは壁から扉、屋根に至るまでお菓子で出来た家であった。

「ああ、女の子なら一度は夢見るお菓子の家だよ」

「ふむ、耐震性に問題ありそうだな。そもそも、屋根がチョコレートでは雨は凌げたとしても晴れた日は……」

「いやー、こんな時に現実的な意見はやめて〜」

「そもそもグレーテルよ。お前はこれを食べるつもりなのか?
 衛生的に考えてみても……」

「お願いだから真顔でそんな事を言わないで」

シクシクと口に出してまで泣くグレーテルにヘンゼルは肩を竦めて取り合えず家の中へと入ってみる。
中は床だけでなく、テーブルや椅子までもが砂糖や飴といったお菓子で出来ており、甘い香りが漂っている。
ヘンゼルは顔を顰め、

「いるだけで胸焼けをおこしそうだ」

「見て見て、恭ちゃん。ほら、ダイ――痛い、何するのよ!」

「そういうネタは止めておけ。あと、ヘンゼルだ」

「うぅぅ、ちっとも優しくない兄です。それはさておき、食べても大丈夫かな」

「食べるつもりだったんだろう」

「なんだけれど、やっぱりほら、柱とか壁として使われているんでしょう」

「まあ、食べた途端にバランスを崩して崩壊という事もあるかもな」

「色んな意味で食べるのが怖いね」

「なら、これを食べるか」

「途中で姿が見えないと思ったら、そんなの捕ってたの?」

「川があったからな。水もばっちりだ」

「た、竹筒。そんな物まで持っていたんだ……」

「文句の多い奴だな。いらないのか」

「食べる、食べます」

家の中で外から拾ってきた枝で火を起こし、魚を焼き始める兄妹。
その際に摘んできた木の実などを葉っぱで作った皿の上に置き、

「お兄ちゃん、お菓子の家でよかったね」

「そうだな。こうも簡単に床に枝が刺さるのはお菓子だからな」

「とは言え、流石に直に座るのはあれだものね」

「まあ、それは即席とは言え葉っぱで作った座布団で我慢だな」

「だね。雨露が凌げるだけましだものね」

何ともたくましい兄妹はお菓子の家を口にする事無く食料を調達して腹を満たしてしまう。

「って、食べてくれないと勝手に食べたわね、って怒って登場できないじゃないの!」

「しの……じゃなくて、魔女だよ、お兄ちゃん」

「魔女というよりもマッド……こほん、魔女だな」

「もう、間違えたら駄目だよ。マッドは白衣、魔女はほら、このように黒いローブで全く正反対なんだから」

「だが、どちらも迷惑という意味では同じでは」

「そこは強く否定できないけれど、魔女は場合によってはいい人の場合もあるよ」

「確かに、目の前のマッドと魔女を一緒にしたら魔女に悪いな」

「いや、だから目の前の人は魔女だって」

「ああ、そうだったな。迷惑を掛ける方の魔女だった」

「そうそう、悪い魔女に分類される方だよ」

「うぅぅぅ、も、もう許して。忍ちゃんのHPはとっくの昔にゼロよ!
 って、そうじゃなくて、もっと驚くなり、何なりあるでしょう!」

怒る魔女に対して兄妹は顔を見合わせ、

「わぁー、ほんもののまじょだ」

「びっくりだね、おにいちゃん。わたし、こわいよ」

「……シクシク。魔女に生まれてはや数百年。こんな屈辱は初めてよ!」

「と言うか、そろそろ帰らないとなのはが心配だ」

「あ、そうだね。多分、晶やレンが居るから大丈夫だと思うけれど、なのはまで母さんに捨てられたら大変だ」

「という訳で、結果は同じだから途中経過をすっ飛ばしても問題なかろう」

「大いにあるわよ! 私の出番をはしょらないでよ!」

「気にするな。大した問題じゃない」

「なのはの方が大事だもんね」

「そういう事だ。決して、こことは違うパラレルワールドでの防犯システムの仕返しだとかは思ってない」

「って、意味分からない事を言いつつ、刀を持って近付かないで!
 こっちの妹の方まで刀抜いているし!? 何なのよ、この兄妹は!?
 い、いやぁぁぁーー!!」

誰も居ない森に魔女の声が響き、以降、この森で魔女を見た者は誰もいないとか。
こうして、二人の兄妹は無事に自力で森を抜け出し、末っ子の元へと無事に帰り付いたのでしたとさ。
めでたし、めでたし。



   §§



洋風の、まさにお屋敷と呼ぶに相応しい佇まいを見せる一件のお屋敷。
広大な庭を持ち、それに準じるように家屋も広く、故に電話などが鳴ったとしても気付かなくても不思議はない。
勿論、実際にそのような事があるはずもなく、静かな家に鳴った電話は三回と呼び出し音を鳴らす事もなく、
屋敷に仕える給仕の一人が取り上げる。
電話の相手が簡単な用件と名前を告げると、暫くお待ち下さいという言葉の後に保留にし、子機を手に部屋へと向かう。
ノック音に返答が返り、ゆっくりと扉を開けた先、一人の長い髪の女性が振り返る。

「わざわざ、ありがとう」

「いえ、お気になさらないでくださいお嬢様」

はっきりとした笑顔とまではいかない微笑を浮かべて礼を言う女性。
別に機嫌が悪い訳ではなく、寧ろ感謝の気持ちの篭った声に給仕は頭を下げて子機を渡すと部屋を後にする。
給仕が出て行ったのを確認し、女性は受話器の保留を解除する。

「リスティさん、お久しぶりです」

何かを期待するような声音に、電話の向こうでリスティは言い辛そうな雰囲気を作るも、おずおずと口を開く。

「あー、非常に期待させておいて悪いんだが、例の件に関する事じゃないんだ」

本当に申し訳なさそうな声色に、内容によって沈んだ気分を悟られないように心持ち声音を上げて返す。

「そうですか、それは残念ですけれど仕方ありませんね。
 それで、今日はどういったご用件でしょうか?」

「言い難いんだけれど、悪いニュースに分類される事だよ。
 それにしても、随分と言葉使いが様になってきたじゃないか、美影」

「そりゃあ、リリアンに通い始めて半年近くですもの。
 毎日、こういった言葉を使い、ましてや周りも使っていればね」

言いながら美影は首を振り、

「とは言え、やっぱりこっちの方が話しやすいですけれどね。
 それで悪いニュースというのは? わざわざ連絡するぐらいですから、まさかまた祥子に何か?」

「いや、そっちの件は完全に問題ないんだよ。
 問題なのは……」

言い辛そうに言いよどむも、すぐに続きを口にする。

「僕の方も昨日にその連絡を受けて、確認していた所なんだけれど……。
 実は、ちょっと美影の存在が噂されているみたいなんだ。小太刀のニ刀を使う女剣士の噂がね。
 その噂から美沙斗じゃないかと初めは思われていたみたいなんだが、時期的に美沙斗ではないと判明され、
 悪い事に美沙斗の件もあって、御神の生き残りが他にも居るんじゃないかという噂になっている」

リスティの話を聞いて美影は顔を顰める。
彼女が修める御神流は暗殺や護衛を請け負う一族で、
銃器の発達した現在においてなお、刀剣を使う一族として裏の世界でも名を知られている。
またその職業柄か恨みを持つ者も個人、組織を問わずに存在し、そんな組織の一つにより滅ぼされた。
そのはずであった。だが、実際には完全に滅んでおらず、今も尚御神はその数を三人と減らしつつも生き残っている。
その一人が今、電話を受けている高町美影、本名、高町恭也である。
だが、それを知られれば自身だけではなく、周囲にも害が及ぶ可能性があるため、その存在を完全に隠していた。

「小笠原のお嬢さんを狙った組織、ファースが自分たちが撤退させられる事となった理由を独自に調べていたらしい。
 で、その結果として名前や容姿までは掴めないながらも、自分たちの撤退にはニ刀の女剣士の存在があると」

「この仕事をしていればいずれはばれる事だったと思います。
 ですから、リスティさんが気にするような事ではありませんよ。
 それよりも、現状として何か問題が起こりそうなんでしょうか」

「それに関しては何とも言えないというのが現状だ。
 噂はあくまでも噂という段階に留まっているし、詳細は漏れていないからね。
 それでも君の耳には入れておくべき事だと考えて、こうして忠告めいた連絡をしたっていう訳さ」

「お心遣いありがとうございます。一応、こちらでもいつも以上に気を張っておきます」

「ああ、頼むよ。それと君の家族の事は気にしなくても良いから。
 それに関してはこちらが責任を持って気を使っておくから」

リスティの言葉にもう一度礼を口にし、軽い世間話をして電話を切る。
子機をテーブルの上に置き、美影は少し考え込む。
が、リスティが言ったように刀ニ刀という情報だけでそう簡単に特定は出来ないだろうし、
自分の身体を見下ろして変わってしまった事を思い出す。

「多分、大丈夫だろう」

言い聞かせるように口にした所で、部屋がノックされて祥子の声が聞こえる。
美影は心配させないように気を付けつつ、お嬢様を迎え入れる為に扉の傍へと近付くのだった。

この時はまだ、あんな事が起こるなどと予想できるはずもなく、
それを責めるのは酷というものであろう。



「見つけた、御神の生き残り。女という事は恐らくは御神当主御神静馬の娘……」

美影に気付かれる事無く、美影を監視する謎の人物。



「お兄ちゃん、女の人になっちゃったの!?
 えっと、お兄ちゃん、じゃなくてこの場合はお姉ちゃんで良いのかな。と、とにかく、おかーさん、大変だよ!」

慌てふためく妹の様子に、当然の反応だなと人事のように思う美影であった。



「あ、あははは、皆、落ち着いて話し合おうよ。僕らには話し合いが大切だと思うんだ。
 ほら、僕も悪気があった訳じゃないんだし……」

「わざとで恭ちゃんを女の人にされたんなら、それこそ問答無用ですよリスティさん」

「美由希さんの言うとおりです。それよりも、何でこんな事になっているんですか!?」

「ノエル、至急さくらに連絡を取って。来れないなんて言ったら、首に縄を付けてでも連れて来て」

「了解しました、忍お嬢様」

海鳴でちょっとした騒動が巻き起こったり……。



「ねぇ、美影〜、こうして善意で協力しているんだから、少しぐらい私に付き合ってくれても良いと思わない?」

「シスターマリィ! 美影から離れてください」

「嫌よ。それに、今の私はシスターじゃないもの。それと、マリィじゃなくてアニィよ」

「ちょっ、どさくさに紛れて服の中に手を入れないでっ!」

「ふふ、可愛い反応ね、美影」

頼もしい助っ人(?)も登場。

果たして、美影はこの事件を無事に乗り越えられるのか。



とらいあんぐるがみてる2



   §§



「ま、待ちなさい!」

怯えが多少滲みつつも、毅然とした口調で少々似合わない剣を手に構えた一人の少女が、
見るからに山賊や盗賊といった感じの男たちの前に立ち塞がる。
よく見れば、本当に追い剥ぎの類のようで、男たちは手に手に武器を持ち、
何の武器も持たない者たちにそれらを突きつけて金品を要求していた。
そんな男たちの前に気丈にも立ち塞がり、震える足を懸命に堪えている少女。
おっとりとした日向の似合いそうな顔立ちに、普段は穏やかな瞳を義憤に釣り上がらせ、精一杯に睨み付けている。
高町恭也が最初に目にした光景がそれであった。
当然、光に包まれたかと思えば、気が付けば目の前の状況。
知らず少女の姿に魅入っていた自分に気付いて頭を軽く振り、次いで自身の装備を確認する。
幸い、小太刀を初めとした装備を身に付けた状態であったらしく、確認を終えると恭也は少女の隣に並ぶ。



少女の存在に最初は胡散臭そうにしていた追い剥ぎたちも、少女の姿を見るとその顔にいやらしい笑みを浮かべる。
その笑みを前に少女は萎み掛ける勇気を振り絞り、もう一度追い剥ぎたちにやめるように宣言する。
だが、相手にもされない所か、逆に獲物と見なされて二人ばかりが近付いてくる。
剣を全く扱えない訳ではないが、腕に自信が持てる程でもない。
誰よりも己の力量を弁えている少女は歯痒さを感じながらも気丈に剣先を男たちに向ける。
そんな時だ。不意に隣に誰かが立ったのは。
思わず追い剥ぎの仲間で接近されたのかと焦った少女であったが、
その者は優しげな瞳で少女を見詰め、安心させるように落ち着いた静かな声で助力を申し出てきた。
たった一人増えただけ。
そんな状況にも関わらず、少女は何故かその男を信頼するように余裕を取り戻す。
が、追い剥ぎからすれば一人増えた程度という認識しかなく、武器を持っているのが少女とは言え、
あまりにも迂闊に警戒もせずに近付く。

「あの人たちの救出を」

そう言い置いて恭也は近付いてきた男へと素早く駆け寄り、向こうがまだ油断している隙をついて懐に潜り込む。
まだ何が起こっているのか把握していない男へと容赦ない一撃を繰り出し、
ようやく痛みを感じて前のめりになった男の後頭部へと肘を落として意識を奪う。
呆然とそれを眺めている二人目へと駆け寄り、同様に意識を奪うと残った者たちもようやく事態を把握し始める。
口々に恐喝するような事を口にしながら得物を手に恭也へと向かってくる。
それらを確実に仕留めながら、恭也が少女へと視線を向ければ、やはりというか、全員が恭也に殺到した訳ではなく、
人質となると判断したのか、追い剥ぎたちの数人は脅していた人たちの元にいる。
そこへ件の少女が一人で掛け付けたものの、下手に手を出せずにいた。
今は少女を捉えようと一人が幅も反りも大きな剣を手に迫っている。
その攻撃を手にした細い剣で防ぎ、受け流しているのだがいずれは捕まるのも時間の問題だろう。
それ以前に追い剥ぎたちが本当に人質として傍にいる者を使えば、少女は唯一の武器さえ捨ててしまいかねない。
自分がピンチな状況にありながら他人を気遣う。
戦いの中においては甘さとも捉えられかねないそんな少女の思考を恭也は既に感じ取っており、
けれど、そういうのは決して嫌いではない。
故に恭也が今すべき事ははっきりとしており、恭也は躊躇いもなく背中に隠していた小太刀を抜き放つ。
まさか相手が武器を隠し持っているとは思っていなかったのか、男たちに動揺が見えるが、
それこそ恭也にとっては関係のない事で、その隙を遠慮なく利用させてもらう。
自分と少女の間を塞いでいた邪魔な者たちだけを叩き伏せ、
こちらに気付いた男たちが人質を取ろうとするよりも先に懐へと手を伸ばし、服の内側に隠してあった飛針を取り出す。
片手で纏めて放たれた飛針は、全て外れる事無く男たちの武器を持つ手に突き刺さるか、
目などの急所を狙って放たれていた。
目などを狙われた者は、必死に庇うように己の持つ得物を振り回して打ち落とす。
だが、それで充分である。恭也は少女と対峙していた男にも飛針を投げており、少女は恭也の方を見て、
その意図を正確に読み取ると、人質となっている人たちに走ってと声を掛けて自分も走り出す。
別段、縛られたり拘束されていた訳ではないので、人質たちは少女に続くように走り出す。

「さて、これで人質の心配もなくなったな。
 遠慮なくやらせてもらおう」

それらを見届け、その隙を狙うように背後から振り下ろされた槍を振り返りもせずに小太刀で受け止めると、
静かにそう宣言する。それから数分後、追い剥ぎたちは残らず地面に転がっていた。
重症の者で手足の骨が折れていたりするが、それでも命に別状はないだろうと一目で分かる。
何度も礼を言ってくる人質だった者たちに手を振って見送ると、少女は改めて恭也と向き合う。

「危ない所をありがとうございます。私一人だとどうなっていたか。
 本当に私ってば何も出来ないですよね」

しゅんと項垂れるように俯く少女に、恭也は困惑しつつも元気付けるように声を掛ける。

「いえ、最初に立ち塞がったのは貴女ですよ。それを見たからこそ、俺も協力しようと思ったんです。
 さっきの人たちも貴女に感謝していたじゃないですか。決して何も出来ていないという事はないと思いますよ」

「でも、助けてもらわなければ、きっと私もあの人たちも……」

流石に恭也もそれ以上は何も言えずに黙り込んでしまうと、少女は気を使うように顔を上げて笑みを浮かべる。

「あはは、ごめんなさい。初対面の人に変な事を言ってしまって。そういえば自己紹介がまだでしたね」

そう言って、少女は自らの名前を口にする。

「……はい? もう一度、お願いできますか?」

思わず聞き返してしまう恭也であったが、決して聞こえなかった訳ではない。
現に、もう一度同じ名を聞きながら、恭也は別の事を考えていたのだから。
劉備と名乗る少女を前に、またしても厄介な事に巻き込まれたんだろうな、という事を。



「貴女様こそが占いによりお告げされた天の御遣い様に相違ありません!」

「は、はにゃにゃ。そ、そんな事を突然言われましても。なのはは気が付いたらここに居て……」



「月の〜、砂漠を〜……、って、見渡す限り荒野と山、山、山。
 うぅぅ、一体何がどうなっているの。恭ちゃん、フィアッセ、なのは〜、どこ〜!」



「ふふふ、姉さんたちに加えてフィアッセさんの歌声も加わったお蔭で……」

「人和〜、まだ〜。もうお腹ペコペコなんだけれど」

「先に行って食べてようか」

「天和、地和、それは駄目だよ。人和は私たちの財産を計算してくれているんだよ。
 もう少しだけ待とうね」

「は〜い」

「うぅぅ、フィアッセがそう言うのなら……」



「あらあら、駄目よ華琳ちゃん」

「何が駄目なのかしら、桃子?」

「こういうおいたは駄目だって言ったでしょう。
 華琳ちゃんたちの在り方に文句を言うつもりとかはないわよ。当人たちが納得しているんだもの。
 でもね、私には士郎さんという大事な人が居たの。そして、今もあの人だけ。
 だから、こういうおいたは他の子にしてあげなさいな」

「はぁ、分かったわ。それにしても本当に変わっているわね、あなた。
 この私をちゃん付けした上に、そこまではっきりと言うなんて」

「そうかしら? まあ、拾ってもらった恩は感じているけれど、それとこれとは別でしょう。
 それに息子が貴女に何処か似ているのよね。だからかしらね?」

「とてもそれだけの理由とは思えないわ。
 それが母親だからなのか、それともあなた自身が持っているものなのか。
 まあ、どちらにせよ構わないわ。あなたの作るお菓子には私も満足だもの。
 ちゃんとあなたの子供たちも探させているわ」

「ありがとうね、華琳ちゃん」



「お猫さま、ご飯を持ちしました」

「むー、いい加減、そのお猫さまというのを止めるのだ。
 あたしの名前は美緒だと教えただろう」

「そ、そんな恐れ多いです。お猫さまをお名前でお呼びするなんて。
 ああ〜、それにしても私は何と果報者なのでしょうか。
 まさか、お猫さまが人のお姿をお取りになってくださった上に、好きな時に尻尾や耳を触っても良いだなんて」

「にゃははは、明命だけ特別なのだ。だから、次は饅頭を頼む」

「分かりました! 次のおやつには必ず!」

「いやー、みゆきちの家に遊びに行って、気が付けば訳の分からない所に放り出され、
 どうしよかと思っていたんだけれど、これはこれで中々悪くないのだ。
 三食昼寝におやつ付き。もう少しゆっくりしていても良いかも……。
 あ、それで頼んでいた事なんだけれど」

「あ、はい! お猫さま、み、みみみ美緒さま……はぁぁ、名前をお呼びしてしまいました」

「良いから早く教えて欲しいのだ」

「はい! お友達と仰られた方々の特徴をお聞きして、
 それとなく街中で探してはいるんですけれど、まだ見つかっておりません。申し訳ございません!
 美緒さまのお願いとは言え、私用で勝手に軍を動かす訳にはいかないのです。
 ですが、必ずこの明命が見つけてさしあげますのでご安心を!」

「うむ、頼りにしているのだ」

「ありがとうございます! と、所で今日の分のふかふかもふもふは……」

「仕方ないのだ。好きなだけ触ると良いのだ。ただし、痛くしないように」

「ありがとうございます!!」



各地へと散った高町家+α
果たして、無事に再会できる日がくるのだろうか。

とらいあんぐる無双



   §§



「…………」

そこに広がるのはただただ無音。
いや、幾ら閑静な住宅街の中にあったとしても、本当の無音などはあり得ない。
現に遠くからは微かに様々な物音がしている。
だが、今この場はまさしく無音と呼ぶべき空気に支配されており、声を発する者はおろか、動こうとする者さえいない。
いつもは笑顔のイメージさえあるなのはを筆頭に、レンと晶は肘がぶつかり合っているのに喧嘩はおろか、
文句さえ口にしようとはせず、美由希に到っては呼吸さえも止めているのでは、と思えるほど微動だにしない。
今、高町家にいる四人の視線はただ一点、そこにのみ注がれている。
跪き、両手を地面に着けて項垂れる恭也という珍しい、いや、もしかしたら初めて見るものに。
緊迫した空気が自ずと流れる中、事情が分からずレンが視線だけをどうにか動かして晶へと向けるも、
晶も理由は知らないと視線だけで返す。どちらが理由を尋ねるかとうい感じで静かな攻防が始まる中、
なのはがどうにかこうにか声を絞り出す。

「お、お兄ちゃん」

なのはの呼びかけに反応する事もなく、恭也はただ垂れた頭のその先だけを見詰める。
無残になったその姿を――辺りに少なからず破片をばら撒き、見事に砕け散っている盆栽を。

「…………わ、わざとじゃないんですよ、恭ちゃん」

どうにか搾り出されたと言った感じの美由希の言葉に、誰もが理由を悟る。
つまり、美由希が盆栽を割ったのだろうと。
だとしても、恭也のこの落ち込み方は、と思わずにはいられないのだが。
そう思い事情を知るであろう美由希へと三人の視線が向かうのだが、美由希は懸命に言い訳を述べるのに忙しく、
そんな視線になど気付く余裕もないようである。

「ほ、ほら、久しぶりに花壇の世話でもしようかな〜、と思った訳ですよ。
 そしたら、カラスがやって来てですね、近くにあった箒で追い払ったまでは良かったんですけれど、
 何故かその後集団で舞い戻ってきまして。結果として、恭ちゃんの盆栽が全滅しました」

最後の全滅と言う言葉になのはたちの視線がようやく恭也から離れて庭を見る。
見て、思わず顔を塞ぎたくなるような惨状に誰もが言葉を無くす。
全ての盆栽が地面に落ちたのだろう、見事に割れている。
驚くなのはたちを余所に美由希は尚も一人続ける。

「……ご、ごめんなさい、嘘を吐いてしまいました。烏が原因で3分の1壊しました。
 その後、現状に気付いて誤魔化そうと割れたのを隠し、割れていない物を並べ直そうとして手を滑らして、
 更に3分の1程割っちゃいました。それを恭ちゃんに見つかり、驚いて足を滑らして残りも……」

話を聞くうちに事態を把握していき、同時に誰もが呆れから溜め息を吐く。

「で、でも、初めて買って大事に育てていた盆栽だけは死守しようと頑張ったんだよ!
 お手玉したけれど、ほら、あそこの盆栽がある所からそこまでは何とか割れずにいたんだよ。
 でも、その、そこに石があったから……。……ね、ねぇ、恭ちゃん?
 な、何か言ってくれると嬉しいかな〜、あ、あはははは」

乾いた笑いを上げる美由希の声に応える様に、ゆらりと恭也は力なく立ち上がり、

「……美由希」

「……は、はい」

「この下郎が。それが許しを請う態度か」

「はい?」

「王の物を壊した臣下が取る態度か、と問うておる」

「え、えっと……」

恭也の変わった物言いに美由希が助けを求めるように晶たちを見るも、こちらもただ不思議そうに見返してくるだけ。
恭也の方を改めて見れば、薄っすらと恭也の頬に黒い刺青のような模様が付いている。

「え、えっと、恭ちゃん?」

「貴様如きにちゃんと付けて呼ばれる覚えはない」

「あ、あのー……」

「ま、まさか、あれは」

「知っているのか、レン」

「多分やけれど、古い文献で読んだ事がある。
 その昔、とある立派な王が居たんや。その王は民からも臣下からも慕われておった。
 けれど、その王にはアホ毛があってな。それを抜くと、途端に態度が変わったそうや」

「まさか、それが今の師匠?」

「でも、お兄ちゃんにそんな毛は」

「多分やけれど、毛じゃなくて盆栽が、あの一番大事にしていた盆栽がそうなんかもしれへんな」

そんな馬鹿なという表情で恭也を見るも、恭也はニヒルな笑みを浮かべると縁側に腰を下ろし、
ぞんざい態度で腕を組み、美由希を見上げると、

「さて、詫びる者の頭が我よりも上にあるのはどういう事だ?」

「う、うぅぅ、こんなの恭ちゃんじゃない――ふみぃ!」

美由希の文句はいつの間にか横に移動した恭也の拳骨遮られる。

「耳が遠いようなら引っ張って伸ばしてやろうか?
 大きくなれば、少しはよく聞こえるようになるかもな」

「うぅぅ、ごめんなさい」

再び腰を下ろした恭也へと頭を下げる美由希であったが、今度は腕を引かれて恭也の膝の上に座る形となる。

「え、えっと、今度は何でしょうか」

恐々と何か非があった尋ねる美由希に対し、恭也は唇の端を僅かに上げると、

「くっくっく、謝るだけでは足りん。
 足りない分は貴様自身に償ってもらわねばな」

言って美由希の両腕を後ろに回して片手で封じると、残る手を美由希の身体に伸ばす。

「ちょっ、や、やめ、こんな所で!?」

頬を赤らめる美由希に構わず、恭也はそのまま手を伸ばして頬から顎、喉へと滑らせたかと思うと、
脇腹へと持っていき、そこをくすぐり出す。

「あ、ああはっははははは、や、やめ、くる、苦しいぃ。
 っていうか、本当に止めて! お、おねが……、た、たすけ、あひゃはっははひゃひゃひゃはっ!
 い、息がで、でき、ひゃははひゅーひゅー、お、おねが、あっはははあ……、ゆ、ゆる。
 あははははは、し、死ぬ、ほ、本当にご、ごめっ」

暴れまわる美由希を押さえ込み、延々とくすぐり地獄を味わせる。
それを見ていた晶たちは言葉少なく、

「え、えげつないな、お師匠」

「昔、くすぐりって拷問の一つとして本当にあったって聞いた事があったけれど……」

「それよりも、どうやったらお兄ちゃんは元に戻るの?」

三者三様の事を口にするのだった。



これは、ダークサイドに落ちてしまった恭也を救おうと立ち上がった乙女たちの物語。
果たして、恭也を元に戻す事はできるのか。






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