『ごちゃまぜ10』
「だから、子供は嫌いなのよ」
プリプリと分かり易いぐらいに表情を変えて怒る一人の少女。
その少女が足早に歩くのは、学校の廊下であった。
後数分もすればチャイムも鳴り、今日も一日が始まると言う時間帯。
ギリギリに登校して来る者や、既に登校してきており時間までを雑談して過ごす者。
朝練を終えて暫し寛ぐものなど様々な生徒の姿が教室や廊下で見られる中を進む件の少女の隣に、少女を宥める同じ年頃の少女の姿が。
「まあまあ、明日菜、そんなに怒らんと。
中々可愛い子やったやんか」
「可愛い? 何処がよ! 絶対にあの餓鬼か何かしたのよ。あんな姿を人前で……。
あー、思い出しても腹が立つわ」
怒りが収まらないと言った様子で更に足早になると、ツインテールにした髪に結ばれた鈴がチリンチリンと音を立てる。
その隣をこちらは軽く駆け足状態になりながら付いていく黒髪の少女はく祥を見せたまま今度は黙ったまま。
怒っていてもいつまでも引き摺らないだろうと判断しての事である。
その沈黙を利用してか、この場にもう一人の声が響く。
『災難だったな』
『全くよ。咄嗟に恭也が変わってくれれば良かったのに』
その声に応えるのは明日菜一人で、隣の少女、木乃香は苦笑から普段の温和な笑顔に変わった表情で付いて来る。
それもそのはずで、この声は明日菜にしか聞こえていない。正確には明日菜の頭の中でのみ聞き取れる声なのだ。
同時に明日菜の方も声に出す必要はなく、会話する感覚で呼びかけるだけで相手に聞こえるらしい。
当然ながら最初にこの声が聞こえた時は焦り、驚いたものだ。
それこそ何か病気かと思うほどに。だが、そんな事を言っても可笑しな子扱いされるだけなので誰にも言っていないが。
それに話してみると悪い奴ではないようであった。
どうやら信じられないことに元々は普通の人だったらしく、気が付けば明日菜の頭の中にいたらしい。
どうやら事故何かでなくなった後に、明日菜の身体に憑依したらしいのだがよく分からないらしい。
勿論、明日菜にだって分かるはずもないが、恭也と名乗った当の本人は不思議な事には慣れていると言っていた。
更に驚く事に、どうも異世界が存在するかもしれないとまで言ったのである。
まあ、身体は自分の意のままに動かせるし、基本、こちらが話しかけなければ黙っていてくれるのでそこまで困らない。
それがこの声に気付いて数ヶ月で明日菜がこの状況を受け入れた理由である。
自分の一番古い記憶、まだ感情が上手く表現できなかった頃からの付き合いなのだ。
長さで言えば担任にして保護者代わりでもある高畑と同じぐらいの長さの上、こちらは四六時中一緒なのだ。
とは言え、思春期を迎えた頃はそれなりに葛藤が生じたのは仕方ない事だが。
どうやら、その辺りは恭也の方で意識を遮断してくれているらしく、その気遣いに心から感謝したのは最近の事だ。
ともあれ、今のところ脳内の同居人(?)とも上手くやれているし、寧ろ感謝している部分もある。
『今日は数学の小テストだったな』
『嘘、恭也、赤点にならない程度で助けてお願い』
『またか。何度も言うがお前の為にならないんだぞ』
『今度から、今度からは本当にちゃんとするから!』
『はぁー、仕方ないな。だが、前々から言っているように高校になれば俺も役立たずになるからな』
『分かってるわよ』
言うまでもなく、感謝している部分と言うのはこういう部分だったりする。
他にも一時的に明日菜の体の支配権を恭也へと移す事が可能で、偶に木乃香が居ない時などに簡単な料理を頼んだりする。
特にシュークリームやケーキは実家が喫茶店だったとかで木乃香よりも上手く作るのだ。
当の本人は甘いものが苦手らしいが、その際は味覚を共有しない事でこれまた問題なく生活できている。
まあ、偶に身体を鍛えたいと言うので貸したりすると翌日の筋肉痛が辛かったりするが、
そのお蔭で体力や脚力を楽して鍛えられたと思えば、やはり悪い事ばかりでもない、と言うのが明日菜の感想であった。
これは、一つの身体を二つの精神が共有するという可笑しな少女の物語……?
「子供相手に何をやってるのよ!」
子供であるネギの首筋に噛み付こうとする影を蹴飛ばす明日菜の前で、街灯による影の姿が浮かび上がる。
「エヴァンジェリンさん?」
そこに居たのは黒いマントを身に付けたクラスメイトの姿であった。
驚く明日菜とは逆に、冷静な声が脳裏に届く。
『ふむ、やはり人ではなかったか』
『知っていたの?』
『何となく気配でな。しかし、無理矢理は兎も角、生きていく上で必要な行為だとしたら多少の譲歩は必要かもな』
『吸われて害はないの?』
『どうだろうな。俺が知る限りでは問題ないはずなんだが。
正直、この世界の吸血鬼がどういうものか分からんからな。本人が目の前に居るんだ聞いてみるのが早いだろう』
そんな事を恭也と話している間にも、エヴァンジェリンは何かを叫び、ネギは明日菜の登場に驚いている。
が、その会話の中で必要な血がネギの物で量としては下手すれば致死量に達する事が出てくる。
『どうしたら良いと思う』
『難しい所だな。向こうには向こうの言い分もある。それだけを持って断罪はできまい。
とは言え、親の業を子がというのもな。結局の所、明日菜はどうしたいんだ?』
こういう時、恭也は何も教えてくれないのはよく知っている。
助言はくれても、あくまでも選択するべきは自分だと。だから明日菜は涙目になるネギを見て、
『仕方ないから、今夜だけはこの餓鬼を助けてあげるわ』
『そうか、優しい事だな』
答えは分かっていた言わんばかりの恭也の声に若干頬を赤くしつつも、誤魔化すようにエヴァンジェリンを指差す。
その前に、これまたクラスメイトの茶々丸が立ち塞がるのを見ながら、明日菜は静かにタイミングを計る。
『恭也、お願いしても良い』
『ふむ、仕方ないな。運動能力なら兎も角、戦闘行為となると明日菜は素人だしな。
変わっても良いが、筋肉痛ぐらいは覚悟しておけよ』
『仕方ないわね。それじゃあ、お願い』
そんなやり取りを終えるなり、明日菜の意識が遠のき、気付けば何もない空間で目の前の光景を映画のように眺めていた。
何もない空間と言うのはあくまでも体感で、視界は共通しておりただ他の感覚がないのだ。
が、これも既に慣れたもので明日菜はすぐに他の感覚を繋げていく。
どうやっているのかと聞かれても説明できないが、何となくできるのだから仕方ない。
が、今回は足手まといになるので身体は完全に恭也に預け、視覚や聴覚、嗅覚のみを繋げる。
痛覚に関しては恭也が頑として譲らず、正直、恐怖もあってその言葉に甘えておく。
「ふん、急に黙り込んでどうした、神楽坂明日菜。今頃、怖気づいたか?」
嘲るように放たれた言葉を受け流し、明日菜、もとい恭也は相手との距離を計る。
手元に武器はなし。聞いていた話からするにエヴァンジェリンには障壁のようなものがあるらしいが、何故か明日菜には通じない。
更にその前には茶々丸が立ち塞がる。なら、まずは茶々丸からか。
そう結論付けると足元に転がる石を蹴り飛ばす。
当然、その程度の攻撃など避けるまでもないだろうが、突然の行動に僅かとは言え動きが止まる。
同時に駆け出していた恭也はエヴァンジェリンの反撃が茶々丸を巻き込む距離まで接近し、蹴りを放つ。
右腕でガードされるも、その衝撃は内側へと伝わる。
が、相手も普通の人でなく、痛覚を遮断したのか元よりないのか、右腕の衝撃にバランスを崩すもすぐさま反撃してくる。
その攻撃を捌き、更に距離を詰める。
既に互いの肩が後少しで触れるほどまでの距離に接し、そこから腰を捻る拳を繰り出す。
衝撃で後ろへと飛ぶ茶々丸との距離が離れないように追随し、決して茶々丸から離れない。
こちらの意図に気付いたのか、エヴァンジェリンが茶々丸に離れるように言うのだが、
「無理です、マスター。先ほどから距離を開けようとしているのですが……」
近距離から繰り出される茶々丸の攻撃は大した威力がなく、恭也は身体の固い部分で受け止めるかあっさりと避ける。
逆にその隙に反撃を繰り返し、固いはずの茶々丸のボディーへとダメージを蓄積していく。
「くっ、外側に比べ、内部のダメージが大きすぎます。マスター、ここは撤退を」
茶々丸の言葉にエヴァンジェリンは悔しげに顔を歪めつつ、その身を翻して空に舞う。
「神楽坂明日菜、正直、見誤っていたよ。ここは素直に引き下がろう。
だが、決して諦めた訳ではないからな! 小僧、精々その女に感謝するんだな。
アーハッハッハ!」
何処の悪人だと突っ込みたくなる台詞を残して消えていくエヴァンジェリンを見送り、恭也はまだ目の前にいる茶々丸へと視線を移す。
『明日菜、向こうは逃げたがこの子はどうする』
『やっぱり捕まえた方が良いのかな』
明日菜の問い掛けに数秒考え、そこでネギが魔法を放つ。
拘束用の物だったのかもしれないが、近くに居た明日菜まで巻き込まれる可能性もあったので恭也はその場から飛び退く。
同時に茶々丸も飛び退くと、ネギの方を一瞥し、こちらへと頭を下げて足から炎を吹き上げて宙へと浮かび上がる。
「神楽坂さん、ネギ先生、今晩はこれにて失礼させて頂きます」
もう一度宙で頭を下げると、そのままエヴァンジェリンの飛び去った方へと去って行く。
恭也の感覚はエヴァンジェリンが実際はまだ完全に去っておらず、茶々丸を救う為に機を窺っている事を察していたので、
ネギの攻撃事態には特に文句は言わない。と言いたい所だが、この身体は明日菜の物なのだ。
故にネギへと何故、撃ったのかときつく注意するのだった。
因みに、翌日、明日菜の筋肉痛は思ったよりも酷くはなく、恭也曰く、大分鍛えられてきているらしいとの事であった。
その事は別に良いのだが、問題は昨夜以降、妙に懐いてくるようになったネギの対応の方にこそ、実は困っている明日菜だった。
ネギとら 〜二人で一人〜
§§
遠くの方から男女の声が聞こえてくる。
が、すぐにそれは遠くではなく、割と近くで話しているのであろうと気付く事が出来た。
未だにぼんやりとする頭の片隅で、ついさっきまで眠っていたのだと理解する。
故にこそ、話している声も何処か遠くからの声に聞こえたのだろう。
眠気を覚えつつも、恭也は体を起こそうとして思うように動かない事に気付く。
が、それを不思議と思うこともなかった。
元より昔のように自由に動けぬこの身である。それでも今日は調子が良いと感じられる。
果たして、枕元に居るのは一体誰なのか。心配したなのはが様子でも見に来たのかと思いつつ目を開ける。
可笑しな夢を見たものだ。
目の前の光景に思わず、再び目を閉じて先程まで見ていた夢を思い返す。
人はそれを現実逃避と呼ぶのだが、それを指摘するものもおらず、恭也は思う存分に夢の内容を反芻する。
落ちこぼれのドジな死神志望の見習い天使に出会い、自らの死因や転生だのと話された挙句、
平穏な世界はつまらないとのたまってくれたなぁ、としみじみ感じ入る。
最終的に恭也の意見は聞かれず、それどころか事故みたいな感じで強制的に意識が途切れたんだった。
夢の出来事だったはずなのに、やけにはっきりと覚えているもんだと感心しつつ、改めて目を開ける。
見慣れない天井、いや、部屋。
自分から少し離れた所で幸せそうな顔で話し合っている一組の男女。
そして、視界にちらほらと映る明らかに小さな手は、どうも自分の思うように動くみたいで。
「あら、起きたのかしら」
「ははは、元気に手を動かしているよ」
こちらに気付いた二人が楽しげに笑いながら覗き込んでくる。
やはり見た事のない顔をしており、恭也はぼんやりと見上げる。
「んー、まだ眠たいのかな?」
言って女性に抱きかかえられ、軽く背中を叩かれる。
恥ずかしさよりもある種の確信が恭也の中に膨れ上がる。
こうも軽々と抱え上げられるほどには恭也も衰えてはおらず、
となれば、自身が小さくなっていると認めなければならない。
何てこった、死して尚、不可思議な目にあうとは。
己の悲劇を嘆きつつ、恭也は再び目を閉じる。
と、脳裏に夢で会ったあの天使の姿が浮かび上がる。
「もうやっと見つけたよ。あなたの所為でまた神様に怒られるし、本当についてないよ」
「……自業自得という言葉を辞書で調べてみてはどうでしょうか?
そのページに付箋を貼っていつでもすぐに見れるようにする事をお勧めしますよ」
「そんな事を言っても良いのかな? あんまり酷い事を言うと説明してあげないわよ」
「どうぞご自由に。それで俺も困るかもしれないが、そっちはもっと困った事になるんだろう。
寧ろ、もう聞く気もないぐらいだ」
最早、敬語もいらないだろうと恭也は憮然と言い返すと耳を押さえるふりまでしてみせる。
これには天使の方が慌てて、恭也の足にしがみ付いて来る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お願いだから聞いてください。
うぅぅ、お願いします、お願いします!」
「わ、分かったから足を離してくれ」
恭也の言葉に天使は何事もなかったかのように立ち上がると笑顔を振りまき、
「さて、それじゃあ説明しますね」
そんな様子に恭也は悟られないようにこっそりと溜め息を吐く。
天使はそれに全く気付かずに嬉々として説明を始めていた。
「まずこの世界ですが喜んでください。選択次第では貴方の望んだように平穏に生活できる……はずです」
「今、最後に何か小さく呟いた気がするが?」
「小さな事は気にしないでください」
「小さくないと思うんだが?」
「もう堅いですね。正真正銘、生まれ変わったんですから少しぐらい性格も変りましょうよ」
「記憶がある以上、すぐには無理だろう。まあ、良い。それで?」
「はい、お気付きかと思いますが、このまま普通に行けば剣戟が響き、魔法が飛び交う世界へとウェルカムです」
「何で嬉しそうなんだ!」
思わず大声で突っ込んでしまうが、天使はやはり気にした様子も見せずに嬉しそうに続ける。
「私としてはこちらを推奨しますが、嫌なら全力で回避してください」
「平穏な生活の為に全力って……」
既に疲れきった顔で呟くも、天使はやはりに気にも留めない。
「さてさて、恭也さんに授けた能力ですが……」
言ってまた端末らしき物を何処からか取り出して操作し、
「あれ? あれれ? 可笑しいな〜。私、こんなの付けてないんだけれど。
やっぱり転んだ時に色々と変っちゃったのかな」
何となく嫌な予感を感じつつ、恭也が覚悟を決めて尋ねれば、
「えっと、怒りませんか?」
上目遣いに涙目という顔で弱々しく聞いてくる天使。
普段なら怒らないと答えるであろうが、今回はもう最初から色々あった事に加え相手が相手である。
ましてや、こっそりと隠したつもりなのだろうが、背中へと回した手に目薬がちらりと見えている。
よって、恭也は珍しく笑顔を浮かべ、
「それは聞いてから考えます。因みに答えるのを拒否するのなら、以降の説明は一切聞かないからそのつもりで」
「えー! なにそれ! 酷い、鬼! 鬼畜!」
涙目が一転し、恭也に食って掛かって来る天使の頭をむんずと掴み、恭也はこれの扱いは美由希並み、
もしくはそれよりも酷くても良いと自らの中で定義し、それに従って力を込める。
「っ! いた、痛い、痛い! は、話しなさい、天使にこんな事をするなんて、この悪魔!」
「……天使にも脳があるのだろうか。あったとして、人と同じなのか興味深いな。
試しに脳へと直接ダメージを与えてみるか」
「うわーん、ごめんなさい、言い過ぎました、調子に乗ってました!
お願いだからやめて〜! 私は貴方の弟子兼妹さんとは違って繊細なんです!」
謝りつつも何気に美由希に失礼な事を口にする天使に呆れつつ、恭也は頭を離してやる。
「次は躊躇なくいくんで」
「イエッサー!」
恭也の言葉に敬礼までして返してくる天使に自身の想像していた何かを汚された思いを抱きつつ、改めて尋ねる。
「えっとですねー、うん、こういういのは勢いが大事! よし、言うぞ!
ずばり、間違えて女の子に転生させちゃいました」
「そうか、そんな事……って、おい」
「許して♪」
両手を軽く合わせて首を傾げながら可愛らしく舌まで出してみせる天使。
確かに可愛いと言えなくもないかもしれないが、恭也の返答はたった一つ。
無言でその額にデコピンを放つ事だった。
ごろごろと額を押さえながら転がる天使を見下ろし、恭也はこいつを役職に付けない方が良いんではないかと考え、
同時にああ、だから未だに見習いの身分なんだと幾分かの安堵も抱く。
まあ、何故か自分の担当がコレになったのは不幸過ぎて笑えない話ではあるが。
「えっとうん、大丈夫!
記憶は消せないけれど、男としての意識は多少は消せるから着替えや入浴で恥じる事はなくなるよ」
「それはそれでどうなんだ」
「で、肝心の能力についてだけれど……」
恭也の突込みを聞き流し天使は続ける。
「気と呼ばれる霊力のような物を使えるようになっているから頑張って訓練してね」
「……それは生前と同じでは?」
多少なりとも気というものを扱っていた恭也の言葉にしかし天使はちっちっちと指を降る。
どうでも良いが何となく腹が立つなと思いつつ、恭也は大人しく説明を聞く。
「単純に以前よりも扱える量が違うって事だよ。これで身体能力をアップする事もできるんだから。
貴方が生前に扱っていた気配を探ったり消したりというレベルを超えているのよ」
「はぁ、よく分からんが、まあ鍛錬次第で色々できるで良いのか」
「うんうん、それで良いよ、全部説明するのは面倒だし、適当に扱える人を探して教えてもらえば良いし」
うん、全部聞き終えたらとりあえずこいつにはデコピンの一つもしておこう。
そう心に固く誓い、顔には出さずに大人しく頷いておく。
「さて、以上でお終い」
「……はい?」
「他に色々と付ける前に転生しちゃったしね。
でも、それだと可哀相だから幾つかオプションを付けてあげましょう。感謝しなさいよ。
で、どれが良い?」
別に能力が欲しくて疑問を口にしたのではなかったのだが、天使は続け様にそんな事を言ってくる。
まあ、弥が上にももう一度人生を送る事になったのだから、もらえる物はもらっておくかと何があるのか尋ねる。
「うんとね、切れ味の良い剣とか。もう本当に凄いよ。
切れない物はなしで、鞘にさえ納まらない所か誤って落としでもしたら大変よ。地球の裏側まで行くから」
「誤って落として人の魂を刈り取る事になるかもしれないしな」
「ぐっ、い、意外と根に持つタイプ?」
「いやいや、ただ天使に殺されるなんて貴重な経験を思い返していただけだ」
恭也の言葉に天使は若干引き攣った笑みを浮かべつつ、さっさと終わらせるべく再開させる。
「えっと、これはどうかな? 魔法の杖。ただし、魔法は自力で覚えてください」
「……できれば、平穏に過ごす事の出来る道具が欲しいんだが、青狸」
「だれが便利道具ポケットの保有者よ! この可憐な姿が見えないの!」
「おー、夢の中なのに綺麗な青空が広がっているな〜」
「うぅぅ、私天使なのにこんな扱い初めて……」
崩れ落ちる天使を横目に見遣りつつも、恭也はここで話しかけたら負けな気がして沈黙を貫く。
すると天使の方が耐え切れなくなり、何事もなかったかのように立ち上がるとポンポンとスカートの裾を払い、
「さて、冗談はこれぐらいにしておきましょうか」
「初めから頼む」
「そうね、それじゃあ、コレで良いでしょう。
縁側に必須なアイテム、湯飲みと猫のセット!」
「よし、それで」
「え!? あ、いや、えっと本当に?」
まさか冗談でしたと続けるつもりがこうなるとは思ってもいなかったのか、天使は若干慌てる。
が、恭也としては平穏に過ごすつもりなのだ。
貰える物は貰おうと思ったが、さっきの説明に出てきたような変な物をもらっても困る。
故に害のなさそうな物をさっさと選ぶ事にする。
「さあ、それを早くくれ」
「うー、良いわ、二言はないもの。
人、魔物、悪魔を問わずに全て吸い込む封印の湯飲みとちょっと強い力を持った外見は猫のセットね」
「ちょっと待て!」
「何よ、今からこっそりと封印された倉から引っ張り出すんだから静かにしてよ」
「って、封印されている物を渡す気か!」
駄目だ、早くこいつを誰か何とかしないと。
そんな思いを強く抱きながら、恭也は他に何かないのかと尋ねていく。
「うーん、あ、この人や物の死が見えるようになる眼鏡とかは?」
「物騒過ぎる、却下」
「えっと、衛星軌道から命令一つでレーザーを放出する……」
「却下」
「塵も残さずに消滅させる炎を召喚できるライター」
「却下、というか何故にライター?」
「悪魔召喚の本」
「却下って、天使がそんな物を持っていて良いのか?」
「使わないから問題ないのよ。と言うか、これは昔人間が作り上げたのを危険だから取り上げたのよ。
それよりも、これならどう? 全身に武器を内蔵した半永久に動く自動殺戮人形。
注意点として敵とみなした者には容赦なく攻撃するから初対面の人には気をつけてね」
「いらん」
「じゃあじゃあ、世界中の電子制御された物なら意のままに操れるモバイル」
「パス」
「……あー、もう! あれも駄目、これも駄目じゃないの!」
「と言うか、何故に物騒なものばかりなんだ!」
切れる天使に対して恭也が至極真っ当な事を返す。
その上でやや強い口調で、自分は平穏な生活を望んでいると強調するのだが、何故か天使は目を反らす。
「そういえば、平穏に過ごすには全力を尽くせとか言ってたな。何があるんだ?」
「ナ、ナニモナイヨ」
「素直に白状するのなら今の内だぞ」
「えーっと……」
恭也の再度の問い詰めに天使は目を忙しなくさ迷わせ、とうとう観念したように口を開く。
「あ、あはははー。このまま行けば十中八九、間違いなく物騒な世界に関わる事になっちゃったり?
寧ろ、そんな家系の子供として転生してたりして〜」
さて、と呟いて恭也はキョロキョロと周囲を見渡せば、天使は恐る恐るといった感じで恭也に尋ねる。
「何かお探しでしょうか?」
何気に丁寧な物言いになっていたのは、先程正直に話した際に喰らったデコピンの所為であろうか。
くらくらする頭を押さえて尋ねてくる天使に恭也は淡々と返す。
「何、穴を掘る道具がないかと探しているだけだ」
「穴、ですか?」
「ああ。とんでもない事ばかりしてくれる自称天使を埋めるぐらいの穴だ」
「自称じゃなくて本当の天使よ!」
「まだ元気が有り余っているみたいだな?」
「うぅぅ、反省してます」
正座して項垂れる天使を見て、本当に反省していると思ったのか恭也は話を切り替えるというか戻す。
「で、実際問題どれぐらい危ないんだ?」
「分かりません。でも、下手をすると成人前にさようならする可能性があるぐらい?
ってのは冗談だとしても、本当に分かりませんよ。幾ら天使でも未来まで見える訳じゃないんですから。
貴方がどう行動するかにも寄るし。私はただ、転生先を一般人じゃない家にしただけだし」
途中で恭也が拳骨を握ったのを見て慌てて真面目に言い直すも、結局の所は天使にしてみても分からないのだ。
故に準備だけはしておきましょうとさっきまでの調子を取り戻して端末を弄り出す。
切り替えが早いと言うか何と言うか。複雑な胸中を表情に表しつつ、恭也は少し真面目に考える。
「とりあえず、何処でも武器が持ち運べるようにしておきたい。
得物は言わなくても分かっていると思うが、生前と同じ物が欲しい。この世界でそれは手に入るか?」
「この世界も基本は前と同じなので手に入りますよ。でも、サービスでたくさん付けときましょう。
というか、品切れにならないようにしちゃいますよ、もう旦那♪」
「誰が旦那だ。で、持ち運びの方は?」
「そうですね。なら異次元の倉庫はどうですか?
ただし武器限定になっちゃいますが。この中に武器を入れておけば任意で取り出し出来るし。
飛針、鋼糸、小刀に関しては使った分補充がされるようにしちゃいます」
どうだとばかりに胸を張る天使を一瞥し、恭也は頷く。
まずは自分の安全を確保するのが第一となると、武器は欠かせない。
と、ここでふと気付く。
「さっさとやられたら面倒な人生二回目をしなくても」
「それは止めて! 天寿を全うされないと私が困るんだから。
寧ろ、その場合はまたやり直しになるだけだからね」
良い考えかと思ったんだがと呟き、仕方ないとばかりに恭也は肩を竦める。
「それじゃあ、伝えることも伝えたし、良い人生を送ってくださいね」
「ドジな天使に会わないように気を付けるとしよう」
「そんな天使が居る訳ないじゃないですか。居たら会ってみたいですよ」
「……鏡を見た事はあるか?」
「そんなのあるに決まっているじゃないですか。毎朝、出かける前には見てますよ。
天使と言っても私も女の子なんだから、って何か言いたそうですね?」
「いや、何でもない」
ぐっと恭也は言葉を飲み込み、もう疲れたと言わんばかりに肩を落とす。
それを気にする事もなく、天使はふーんとだけ呟くと、お役目ごめんとばかりに恭也の額にそっと触れ、
「それじゃあ、頑張ってくださいね」
そう言葉を掛けた。それに答える間もなく恭也の意識は再び遠ざかり、その世界には天使一人だけが残される。
「さーって、これでようやく私も戻れるわ。って、神様?
見ててくれましたか? 私、やり遂げましたよ! って、え、説明不足?
おまけに大きなミスって、性別ぐらい、いえ、何でもないです。
特典が少ないと言われても、本人がいらないって言ってましたし……。
いえ、違うんです! 決して封印を解こうなんて事はしてません。って、ごめんなさい嘘つきました!
正直に言うから許してください、って、え、もう罰が決定しているって?
え、はい? あの人のサポート? え、何でですか! そもそも天使が個人に付くなんて……。
だから、動物に変化させる? い、いや、それだけは許してください。お願いします。
決定事項って何ですか、決定事項って! ああ、いや、ごめんなさい。
これから五千年間、トイレ掃除だけなんて許してください! やります、やりますとも!
ええ、女は度胸です、もうずばりとやっちゃってください。華麗にサポートしてみせますとも!
ああ、でもせめて孔雀とかの優雅な動物にって、孔雀は雄が綺麗なんですか。い、いやだな、知ってましたよ。
じゃあ、フェニックスとかペガサスとか。嘘です、ごめんなさい、街中で幻獣なんてありえません、はい。
だから団子虫はやめてください。っていうか、そんな姿じゃサポートできませんって。
知恵を貸すだけって、団子虫なんて飼ってすらもらえないかもしれなんですよ!
いやー、ミジンコはもっと嫌ー! っていうか、絶対にサポートできませんよ! って、冗談ですか?
もうやだな、神様ってば、そんな顔してお茶目なんだから。
って、どうして怒っているんですか? あれれ?
黒くて素早くて飛ぶ虫になんかなったらサポート以前に住人に叩き潰される可能性ありますよね?
うわぁぁーん、ごめんなさい、本当に本当にごめんなさいぃぃぃ! それだけは許してください。
はい、何にされても文句は言いませんから! あ、でも聞く前にちょっとだけ心の準備を……。
って、聞いてます、神様!? え、何? もう相手するのも疲れたからさっさと行けって酷くないですか!?
って、せめて何にされるか教えてくださいよ! すぐに分かるじゃなくて、ちょっ、ちょっと待っ……あー!
わ、私に何にされるんですかー!」
独り言を叫びまくった後、天使の姿も消える。
後には静寂だけが支配する空間が残るも、ここもやがては消えて行く。
こうして、恭也の二度目の人生は色々と初っ端から躓いた感じで始まる上に、
元凶となった天使とも再会する事になるのであった。
高町恭也の転生黙示録2
§§
転生。言葉だけを取り上げれば、二度目の人生と言えなくもない。
ただし、そこに前世の記憶が丸々残っているかどうかは別としてだが。
更に性別まで変わってしまったり、そもそもの原因が天使に殺された事だったりすれば笑い話にもならない。
ましてや、赤ん坊として新たな生を受けるまでは良いとして、果たしてその時点で記憶は邪魔ではないのか?
そんな事をつらつらと、前世、高町恭也、転生先では高町恭子はおしめを変えられながら考えてみる。
如何せん、暇としか言えない状況。筋肉は殆どなくとも、立とうと思えば立てなくもない。
が、流石に二ヶ月も経たない赤子が普通に喋って歩き回る訳にもいかず、恭也、もとい恭子は只管寝転がる毎日。
見慣れてきた天井をぼんやりと眺めつつ、どの程度で歩けるようになれば良いのかと思案する。
そんな退屈な日々を過ごしていると、ふと開けられた窓から一匹の猫が入り込んでくる。
真っ白な毛並みはきちんと手入れされているのか、艶も見事に整っており、丸い目で恭子を見詰めてくる。
まだ子猫と呼べる大きさのその白猫は、真っ直ぐに恭子の下へと向かってくるとその隣に座り込み見下ろしてくる。
にゃーと可愛らしい一言を漏らした次の瞬間、恭子の脳裏に直接声が響いてくる。
「久しぶりになるのかしら?」
「その声はまさか、あの天使か?」
「正解よ。全くとんだとばっちりで神様にこんな姿にされちゃったのよ」
「何か仕出かしたとかではないのか?」
思わず呟いた言葉に天使は抗議の声を上げる。
呟くといっても実際に赤ん坊が喋る訳にもいかず、あくまでも脳内でのイメージではある。
が、それで充分に会話できるらしく猫も同じように口を動かしてはいない。
「別にあれから何かした訳じゃないわよ。
どうも貴方への対処が御気に召さなかったらしく、フォローするように言われたのよ」
「間に合ってます」
「そんな事言わないでよ! このままだと私ずっとトイレ掃除させられるかもしれないのよ!」
泣きついてくる天使にどうしたものかと頭を悩ませるも、流石に見捨てるまでは出来ないらしく、
「はぁ、とりあえずはペットとして飼えば良いんですね」
「って、ペット!? い、いや、何をするつもりなの!?
ましてや、今の貴方は女性だって言うのに!」
本気でこいつを見捨てようかと思った恭子に気付いたのか、天使は必死に謝ってくる。
もうどうにかしてくれという疲れた思いと共に溜め息を吐き出し、恭子は目を閉じる。
「ねぇ、お願いだから置いてください!」
懇願してくる天使に恭子は目を再び開け、疲れた口調で返す。
「分かった、分かった。で、何て呼べば良いんだ?」
「あ、そうね。これから長い付き合いになるんだから名前を教えておかないと不便よね。
でも、私の高貴なる名前を猫の姿で呼ばれるなんて」
「なら、猫用の名前をつけてやろう。……ふむ、白いからシロでどうだ」
「……因みに、もし私が黒猫だったらどうしたの?」
「その場合はヤマトだな」
「それって、絶対に宅配便から取ったわね! しかも、そっちの方がまだ捻ってあるし!?」
いつの間にか恭子は眠っており、二人は今夢の中で対峙していた。
その所為もあってか、天使は恭也の襟首を掴むという暴挙に出ることが出来ており、
寧ろ、その為に恭子を眠らせた可能性もあるのだが、既にこの天使に対する遠慮が殆どなくなっていた恭子は、
前世の恭也としての姿形をしている事からあっさりと手首を掴み、そのまま転がす。
「うきゅぅっ!」
あっさりと地面に転がされ、涙目で見上げてくる天使を静かに見下ろす。
「で、さっさと話を進めようか」
「そうね、くだらない事で時間を使ってられないものね」
何事もなかったかのように立ち上がり髪を掻き揚げると、天使は改めて名乗る。
「私の名前はナノハ……うぎゅっ! な、何で殴るのよ!」
「すまん、名前を聞いてついな。俺のイメージが壊れそうだったから、無意識に防衛本能が働いたんだろう」
「何気に失礼な事を言ってない?」
「そんな事はないぞ。で、何て名前だって?」
「だから、ナノ……その拳は何?」
再び名乗りかけた天使であったが、握られた恭也の拳に途中で止める。
どうやらまたしても無意識だったのか、恭也はゆっくりと拳を開くのだが、天使は警戒して距離を開ける。
「改めて、私はナノハエルハンナ。長いからナノハって呼んでもぷぎゅ!」
「ふむ、これが気による遠距離攻撃か」
「って、さり気なく気を使ってまで叩かないでよ! 何か気に障る事でも言った!?」
「すまん、すまん、ハンナ」
「って、望んでない略し方されてる!?」
「さて、そろそろ起きるか」
「おまけに無視されてるし!?」
ぎゃーぎゃーと喚く天使の言葉を聞き流し、恭也はどうやって夢から覚めるのかを探し始めるのであった。
そんなこんなで猫へと姿を変えられた天使も加わり、恭也の第二の人生が始まる。
「はぁ、やっぱり縁側にお茶、猫とくれば日向ぼっこが一番だな」
「にゃ〜(そうね〜)」
日本家屋と呼べる造りの家にある庭、そこでは小さな女の子が猫を膝に乗せお茶を片手に寛いでいる。
そんな少女を眺めるのは廊下の角から顔を覗かせた両親。
「益々、恭子が老成していく……」
「あなた、最近あの子が盆栽やゲートボールに興味を示しているみたいなんだけれど……」
「…………」
妻の台詞に夫は思わず縁側で幸せそうにしている我が娘を見詰め、次いで妻と目を合わせる。
「同年代の子供が周囲にいないのが原因だろうか。
なら、少しの間恭子を預けてみるか」
「そんな! あの子はまだ小さいんですよ」
「それは分かっているけれど、このままだと……」
「なら私も行きますからね」
「おいおい、なら私はどうなるんだ。仕事の関係上、一年は引越しなんて……」
夫婦がそんな事を話し合っているとも知らず、恭子はのんびりとお茶を啜るのであった。
高町恭也の転生黙示録3
§§
結界とは、二つの領域を分けて区切る事であり、大抵は清浄な領域と他の領域を区切るものである。
神社の鳥居や注連縄というのは、目に見える境界線を示すために用いられている。
が、時に中の者を守護する為のものとしても用いられたりもする。
少なくとも、退魔に関わる者にとっては結界と一言で言っても様々な意味合いを持つのである。
ああ、そう言えばどこぞの眼鏡を掛けた特技、何もない所で転ぶを習得した読書好きが言っていたか。
茶道においても結界がうんたらかんたらと。
話半分だった所為か、いまいちはっきりと思い出せないが。
そんな事をついつらつらと考えながら、恭也は大の字に寝転がりぼんやりと頭上を見遣る。
いや、この表現は正しくはないか。
正確には寝転がっているつもりで、頭上と思われる所を見ている、だろうか。
何せ、背中に地面の感覚はなく、水に浮いているかのように体全体がふわふわとしている。
おまけにあたり一面暗く、何も見えない。
真っ暗とまではいかないが、周囲に何もないのだから結局は意味を成さないだろう。
そんな真っ只中に居ながら、恭也は平然と自分が空だと決めた方へと視線を向けて考え込んでいる。
「ねぇ、そろそろ良いかしら?」
そんな恭也の顔を覗き込むように一人の女性の顔が思ったよりも間近から現れる。
慌てて距離を開けようにも思うように動けずに、仕方なしにやや視線を逸らして一つ頷く。
恭也が見ていた方向を空だと決めた最も大きな理由は、この女性が何もない空間に座るようにして傍に居たからだ。
故に女性の頭を頭上と決め、こうして寝転がったつもりで考え事というよりも心を落ち着かせていたのである。
「で、良かったら早速だけれど、ここから出るわよ」
「ええ。元の場所に戻れない以上、それしかないみたいですし」
今まで女性から説明された事柄をどうにか自分なりに整理して心の準備を終えた恭也は身体を起こす。
実際、何度も言うが上下の感覚もなく、先程までとあまり違いが感じられず、
自分が立っているのかどうかもあやふやなのだが。
「貴方も災難だったわね、としか言えないわ。
でも、その原因の一旦であるあの子にちゃんと責任を持って面倒をみてもらうからその辺は安心なさいな」
言いながら扇子をパチリパチリと開いたり閉じたりして妖艶な笑みを浮かべる。
その仕草や態度が恭也の本能レベルに刻まれた何かに訴えかけてくる。
あれは悪戯を思いついた桃子やティオレと同じ生き物だと。
とは言え、この変な空間から恭也が戻れる手段はその女性に頼る以外しかない以上、礼の言葉と共に頭を下げる。
幾分か機嫌をよくした様子で女性が腕を軽く降るとそこに人一人が簡単に通れるぐらいの穴が開く。
「それじゃあ、行きましょうか」
言って躊躇いなくその穴の中へと入っていく女性の後を、恭也は多少躊躇いつつも追う。
着いた先は見た事もない、けれども似たような物なら何度となく見ている場所。
「ここは、神社ですか?」
恐らくは間違いないだろと思わせる造りの建物。
その前には賽銭箱もあれば、少し離れた所には鳥居も見える。
先程まで考えていた物が現れ、思わず苦笑を浮かべる恭也の後ろから少し怒ったような声が聞こえてくる。
「紫! アンタ、今まで何処ほっつき歩いていたのよ。
ちょっと聞きたい事が……って、誰よ、それ?」
言って恭也をここに連れてきた女性、紫の元へとやって来るのは、
デザインは違うものの巫女だと思われる格好をした少女である。
「はいはい、霊夢の言いたい事は分かっているから、二、三日待って頂戴。
そういう訳だから、その間、この子の事を宜しくね」
言って立ち去ろうとする紫の髪を引っ張り、自分の方へと引き寄せる霊夢。
「どういう訳よ。大体、何で二、三日も待たないと」
「はい、スト〜ップ。そもそもの原因って程でもないけれど、一因は間違いなく霊夢、貴女自身なのよ」
言って紫が話し出した事の殆どは恭也にはよく分からない事であり、分かる部分で要約するなら、
異変と呼ばれる恭也が知る所の霊障のようなものが起こり、ドンパチが始まったと。
で、その際に何の不幸か結界が弛んでいた事や、恭也の本来住んでいる世界である外界との境界が少し開いた。
それだけならすぐに修復して後日、結界を張り直すで良かったのだが、運悪く開いた先でもドンパチが。
そのドンパチ、力の強い霊と那美、久遠の戦いの場の傍にいた恭也が見事に巻き込まれ、二つの世界の狭間へ。
それに気付いた紫が恭也を自分の中に入れてくれて事なきを得たのだが、結界が戻り帰れない事になってしまった。
恭也が分かったのはその程度である。
紫なら戻せるという霊夢の言葉に、何故か今はそれが無理だと返しており、
それも異変が絡んでいるからぐらいしか恭也には理解できない。
霊夢としても自分が少し怠けてて結界が弛んだ事と、その傍で大きな術を使った事が恭也に影響したと言われ、
無下に行く当てもない人間を放り出すのも忍びない。
そんな訳で、紫の提案を最終的に受け入れる形となったのであった。
霊夢が納得するなり姿を消した紫に変わり、霊夢は恭也へとこの世界の説明をしてくれた。
幻想郷と呼ばれる人と人外が暮らす、外界と隔たれたもう一つの世界の事を。
それらを思い返しながら、恭也は慌しい一日を終えようとしていた。
「霊夢、どうやら大結界事態に可笑しな影響が出ているみたいだわ」
「ほら、見なさいよ。決して私がさぼっていた所為じゃないでしょう」
「そんな事を言ってられる状況でもないわよ。
というよりも、貴女が怠けなれば、もっと早くに事態が発覚するか、ここまで広がらなかった可能性もあるわね」
「起きてしまった事を言っても始まらないわ! 今は犯人を見つける事が先決よ!」
――現実と幻想の境界が弛む時、一つの事件が幕を開ける。
「という訳で、恭也にも手伝ってもらうから、覚悟するように」
「居候の身の上だ、嫌だからと断る事も出来ないな」
「嬉しそうにスペルカードを準備しながら言っても、あまり説得力ないわよ」
「で、何かあてはあるのか? 無闇に探し回っていても時間を無駄に浪費するぞ」
「それは大丈夫よ。結界という事ならまずは竹林ね。で、駄目なら館、地底と順に」
「それはあてがあると言うのか?」
「良いから行くわよ!」
――それは同時に新たな出会いを生み出す。
「甘いわよ。私の新スペルで全て防いであげるわ。
霊符・恭也結界!」
「って、背中を押すな!」
「……霊夢、勝つ為には手段を選ばないとは言え、流石にそれは人としてどうなの?」
「言いつつ、あなたも容赦ない攻撃を!」
果たして、恭也は霊夢に協力して異変を解決できるのか。
それ以前に戦力としてちゃんと働く事が出来るのか。
そして、無事に戻れるのだろうか。
東方三角奇譚 〜外界の剣士〜
§§
高町家の庭にある道場。
今、そこでは恭也が正座して目を閉じ精神統一を行っていた。
そこへ足を踏み入れるのは、恭也の弟子の美由希である。
美由希は入るなり恭也の正面で同じように正座をし、こちらは目を閉じずにただ静かに佇む。
やがて、恭也がゆっくりと目を開き、
「どうかしたのか?」
「ううん、特に何も変化はないよ。
日本を支配したという声明が流れてからも、特に大きな変化はないし、この近所で何か起こった気配もないよ」
「そうか」
美由希の言葉に短く返し、恭也は美由希をここに呼んだ訳を切り出す。
「さて、鬼丸と名乗る者が世界征服を掲げ、その足掛かりとして日本を支配して結構経つが……」
「中々、説明的な台詞だね、って、痛っ!」
額を押さえて転がる美由希に大人しく座れと涼しい顔で告げ、恨めしい視線を流しながら恭也は続ける。
「今、鬼丸たちやその野望を砕かんとする者たちの間で、ある探し物が行われているらしい」
「え、そうなの?」
ニュースでも報道されていない事を平然と口にする恭也に美由希は驚いた顔を見せるのだが、
恭也はやはり表情一つ変えずにそうだとだけ返す。
が、その反応に美由希は過剰までに突っ込みを入れる。
「いやいや、その反応は可笑しくない!? どうして恭ちゃんがそんな事を知ってるのよ」
「色々と情報の伝手があるからだ。
まあ、殆どは父さんの残していった物をそのまま使わせてもらっているだけだがな」
それは今は良いと言い置き、恭也は自身の横に置いてあった木箱を二人の間にそっと置き直す。
「これは何?」
「先程言った者たちが探している物だ」
「へー、って、何でそれがここに!?」
思わず聞き流しそうになるも、事の重大さに気付いて美由希が声を荒げるのを片手で制する。
「大声を出すな。下手に知られたら、それこそ攻めて来るかもしれないんだぞ」
「そんな物騒な物を平然と出さないでよ。
しかも、よく見ればこの木箱、普通に果物屋とかで売っているちょっと高いメロンとかが入っているやつだし。
って、木箱の下に広げられているのも布とかじゃなくて、ただの新聞紙だし!」
「だから大声を上げるな、馬鹿者。文句があるなら父さんに言え。
こうやって仕舞ったのは父さんなのだからな。
因みに、この高級メロンは頂き物だったそうだ。更に付け加えるのなら、俺は一口も口にしていない。
まさか、自分一人で食べるとは思わなかったぞ、父さん」
「あ、その部分で文句を言うんだ」
美由希の言葉に恭也は咳払いを一つして誤魔化すように話を戻す。
「ともあれ、この中には龍神の玉というものが入っている」
言って蓋を開ければ、確かに掌に収まるぐらいの玉が一つ入っている。
「……重要な物のはずなのに、果物の入ってた箱の中で新聞紙やチラシを緩衝材代わりにされ、
ビニール袋の中に放り込まれていると、あまりありがたみが出ないね、恭ちゃん」
「まあ、この際見た目は置いておけ。大事なのは、これが龍神の玉と呼ばれるもので、鬼丸たちの目的らしい。
そもそも、この玉はかぐや姫の中にも出てきたらしいぞ」
「え、そうなの?」
「ああ。俺はまだ小さかったからよく覚えていられなかったが、確かそんな事を言ってたはずだ」
「と言うか、どうしてこんな物がここにあるの?」
当然の疑問を口にする美由希に対し、恭也は偶に父である士郎の事を語る際に見せる遠くを見るような目をし、
「昔、父さんに連れられて全国を渡り歩いていたのは知っているだろう。
その中に富士の樹海で遭難しかけた事があってな」
「へー、ってあまりにもあっさりと言うから聞き流す所だったよ!」
「まあ、色々あって可笑しな仕掛けのある洞窟を潜り抜けて、そこで一人の武者と出会ったんだ。
よく覚えてないが、確かかぐや姫が実在して、物語のものとはちょっと違ってたかな。
まあ、何だかんだとあったが、意気投合した父さんがこれを預かったらしい。
いずれ必要となった時に、しかるべき者に渡してくれってな」
「そうなんだ。でも、それがここにあるって事は、結構危険なんじゃ」
「そうだろうな。故にこれを持って暫く海鳴を離れようと思ってな。
お前には留守を頼むのと、もしこれを求めて訪ねてきた者がいれば、俺の居場所を教えてくれ」
「それは構わないけれど、私も一緒の方がよくない?」
「それだとここが手薄になってしまう。
そんな訳で頼むぞ」
恭也の言葉に美由希は重々しく頷く。
こうして翌日、恭也は海鳴を離れるのだが、恭也が言うような人物が現れるのは、
そこから三ヶ月以上も経ってからの事であった。
更に恭也があちこちを歩き回っていた所為で、恭也の元へと辿り着くのにも更なる日数を有するのであった。
TOR∀HA
§§
歴史にもしもは存在し得ない。
しかし、もしも過去に遡る事が出来たなら。
そんなくだらない事をつい考えたくなる程に恭也は混乱しており、更に付け加えるのなら現実逃避をしたかった。
時間を遡る。そんな物語のような話があるはずはないと何度も言い聞かせようとする。
が、目の前の人物から告げられた名前は恭也の知る限りにおいては過去の人である。
同姓同名の可能性もあるのだが、続けて告げられた地名もまた過去のもの。
さて、ここで問題なのは間違っているのはどちらかという事だ。
別に自分が正しいとは言わない。幾ら歴史の授業で習ったこととは言え、それらを実際に見た者などいないのだから。
言うならば、歴史とはある意味では作られた史実とも言えるだろう。
そんな事をつらつらと考える振りをして、とどのつまりは現実逃避である。
それを承知しながらも、恭也は未だに考え事に没頭してしまう。
が、それを見て心配そうに覗き込んでくる少女の存在をうっかり失念していた。
「あ、あのー、大丈夫ですか?」
少女は行き成り考え出した恭也の顔を下から覗き込み、心配そうな顔で恭也を見詰め返す。
「いえ、大丈夫です、すみません」
忘れていた事を思い出し、まずは謝罪を口にするのだが助けてもらった事に感謝こそすれと逆に少女の方が畏まる。
そんな愛らしい仕草を見せる少女を見詰めながら、恭也はもう一度だけ名前を聞く。
出来れば自分の聞き間違いである事を願って。
だが、少女の口から出た名前は恭也に現実を突きつけるだけであった。
少女は再び、先程と同じ名を口にする。
「私の名前は劉備です」
と。それを聞き再び考え込んでしまう恭也。
恭也の知る限りにおいては劉備は男性であったはずである。
が、目の前の少女は間違いなく女性である事は自己主張する胸が証明している。
やはり歴史が間違っていたのか。だとすれば、もしかしなくても歴史を変えてしまったのでは。
悶々と悩む恭也であったが、か弱そうな少女が柄の悪い男数人に絡まれていたのだ。
再び、その場に戻ったとしてもやはり同じ選択をしたに違いない。
それに異世界という言葉もあるではないか。
そう自己を理論で武装させると無理矢理納得する事にする。
せめて、関羽たちとの出会いを邪魔したのでありませんように、と若干完璧ではない武装の仕方ではあったが。
後に恭也はここは自分たちの世界の過去によく似た異世界だと結論付ける事になるのだが、それはもう少しだけ未来。
ともあれ、恭也は何とか落ち着き、劉備を名乗った少女へと自身も名乗りを返し、そこで真名なる物を知る。
桃香という真名を許された恭也が、その旅の理由を尋ねてみれば、この乱世を何とかしたいと旅に出たらしい。
行く宛てもない上に、何処か放っておけない雰囲気の桃香を前に恭也も同行を申し出る。
こうして二人の旅が始まる。
一方、恭也が桃香と出会った数日後、恭也の居る場所よりも数百里も離れた地にても一つの出会いがあった。
後に領主の青龍刀と呼ばれることとなる関羽とドジっ娘領主と呼ばれる事になる美由希との出会いである。
この出会いがどんな物語を紡ぐのか、今はまだ分からない。
恋姫ハート〜恭也と桃香〜
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