『海鳴のシャナ』
第壱之炎 日々こともなし
「はぁぁっ!」
「だぁぁぁっ!」
太陽が頭上へと昇り、これからどんどん暑くなっていく事を感じさせるぐらいに陽光を降り注ぐ。
そんな昼間の高町家道場。
そこでは、普段のこの時間なら聞こえてくるはずのない二人の裂帛の声が響く。
平日の昼間、道場内を駆け回る二つの影。
体中から決して暑さのせいだけではない汗を滴らせながら、朝から打ち合っていた二人はようやく動きを止める。
共に刃を相手の喉元へと突きつけて止まった二人へと、第三者の声が届く。
「そこまで」
その声を合図に、二人はゆっくりと刃を戻して呼吸を落ち着かせようと肩で息を吐く。
「やっぱり強いね、恭也くん」
「いえ、薫さんこそ」
打ち合いを終えた二人をぼんやりと見ながら、美由希は自分だったらどうしていたのかを頭の中で思い描く。
そんな美由希を表情こそ変えないままで、微笑ましく見守る恭也を見て、薫は小さく笑う。
海鳴へとやって来て約一週間。
その間、恭也や美由希とほぼ毎日のように手合わせをしており、二人の技量に驚かされてきた。
しかし、それもさもありなん。
二人の鍛錬を見せてもらった際、薫は妙に納得したものだった。
ともあれ、ここ三日程は二人が夏休みに入ったという事もあり、
朝から夕方までずっと鍛錬を一緒にしている薫は、二人の成長にも驚きを見せていた。
勿論、自身の鍛錬にもなるので、大歓迎ではあるが。
「師匠、美由希ちゃん、薫さん、昼食の準備がそろそろ終わるんで」
言って道場へとやって来た晶はそれだけを告げるとすぐにキッチンへと取って返す。
夏休みに入ってまだ三日であるが、既に日常と化した風景となりつつあった。
いつものように、薫、美由希、恭也の順でシャワーを浴びた後、リビングで昼食が出来上がるのを待つ。
リビングでは、なのはや那美が夏休みの宿題をやっている所だった。
「あ、お疲れ薫ちゃん」
「ああ。那美、進み具合はどうね」
「うん、今のところ順調だよ」
姉妹仲良く会話する薫と那美を見ながら、恭也はソファーに腰を降ろす。
そこへ、美由希が麦茶を持って現れる。
「はい、恭ちゃん」
「ありがとう」
礼を言って受け取る恭也に笑みを見せる美由希。
そんな兄妹を今度はなのはが笑みを浮かべて見る。
「ところで、お兄ちゃんもお姉ちゃんも宿題は良いの?」
ふと思いついたことを口にしただけだったのだが、その言葉に二人は一瞬だけ動きを止める。
すぐに何事もなかったかのように動き出すが。
「ふー。風呂上りのこの一杯は格別美味く感じるな」
「恭ちゃん、まるでおじさんみたいだよ」
「失礼な」
「えっと、お兄ちゃん、お姉ちゃん?
ひょっとして、全くやってないとか?」
二人の会話に思わず聞き返したなのはの言葉に、またしても二人は動きを止める。
そんな二人を引き攣った笑みを浮かべて見遣りつつ、なのははそういえば、
二人とも鍛錬ばっかりで、それ以外の時間を見ていないな、と思い出していた。
そこへ、救いの神とも言うべき声が降る。
「お待たせしました〜。昼食できました〜」
晶の声にほっと胸を撫で下ろしながら、恭也と美由希はいそいそと席に着く。
薫たちも席に着きながら、
「晶ちゃん、うちらまで毎回ご馳走になって悪かね」
「いえいえ、気にしないでください。
俺もあいつも、好きでやってますし。お客さんは大歓迎ですよ」
さざなみ寮の管理人やオーナーと同じ事を言う晶に薫はもう一度だけ礼を言うと、自分も箸を取るのだった。
昼食後、寛いでいると玄関から明るい声が届いてくる。
「たっかまちく〜ん、あっそびましょ〜」
「……はぁ〜。あいつはもっと普通に来れないのか」
溜め息を零しつつ、恭也は玄関へと向かう。
「やっほー、恭也」
「あのな、忍」
元気に挨拶する忍とは対照的に、恭也は疲れたような顔を見せる。
だが、あははと笑う忍を見ていると、怒る気も失せたのか、恭也は忍を家へと上げる。
「あ、薫さんと那美も来てたんだ」
「こんにちは、忍さん」
「うちは恭也くんたちと鍛錬でね」
高町家へと来ている間に顔見知りとなった薫と忍も普通に会話する。
最初は、お互いに退魔士と夜の一族だと気付いて警戒していたが、共通の知り合いが居る事が分かるなり、
その警戒もすぐになくなった。
傍で見ていた恭也は、知らずほっと胸を撫で下ろしたりしたものだが。
ともあれ、忍はリビングの空いている場所へと腰を降ろす。
「それで、今日はどうしたんだ?」
冷たいお茶を忍に出してやりながら尋ねる恭也に、忍は一気にそれを飲み干してから口を開く。
「あ、そうだった。ねえ、恭也。海に行こうよ、海〜」
「一人で行け」
「うわっ! 幾らなんでもその言い方はないじゃない」
「そうか、それは悪かったな。まあ、美由希たちを誘ってやってくれ」
「えー、恭也は行かないの〜」
「流石に人が沢山居る所はな」
「大丈夫、大丈夫。上着を着たまま入れば良いのよ」
何としても恭也を連れ出そうと必死になる忍に、恭也はただ苦笑する。
那美や美由希も忍の言葉に納得し、恭也をじっと見詰める。
三人に見詰められて恭也は困ったように天井を見上げる。
助けを求めるように薫へと自然と顔を向けるが、薫はすまなさそうな顔を見せる。
後一押しと見て取った三人は、それとなくなのはへと話を降る。
「なのはちゃんも恭也と海に行きたいよね」
「行きたいですよね」
「今まで、恭ちゃんと海には行った事ないもんね〜」
「…うん! なのはもお兄ちゃんと海に行きたいです。駄目?」
こうして、恭也の海行きが決定したのは言うまでもない事だった。
その後、娘さんたちは新しい水着を買いに外へと飛び出していく。
それをぼんやりと見ていた恭也は、飲みかけのまま置いておいたお茶を飲み干すと、大きく息を吐く。
「本当に元気な奴らだな」
「くすくす。恭也くんも、なのはちゃんには適わないね」
「うっ。…薫さんにとっての十六夜さんみたいなものですかね」
さりげなく言い返す恭也に、薫は小さく笑う。
恭也も笑い返すと立ち上がって伸びをする。
「それじゃあ、俺たちはもう少しやりますか?」
「そうしようか。今度は互いに真剣で」
言って十六夜を持つ薫に、恭也も八景を手にして頷くと道場へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
日が傾くのが遅くなり、まだ外が明るいせいか、恭也と薫は時間の経過に気付かずに、
あれからずっと打ち合っていた。
激しく動き回るせいか、道場の外まで物音が聞こえる。
壁や天井など、大よそ考えられないような場所に、蹴った跡や刃物が刺さった跡、
刃物で斬った跡などができていた。
そして、それらを付けた二人は、今、道場の真中で大の字になって寝転がっていた。
激しく胸を上下させて呼吸を繰り返す。
ふと恭也は顔だけを横へと向ける。
そこには、同じように寝転がってこちらへと顔を向けてくる薫の顔が上下逆に映り込んでくる。
伸ばした手に薫の床に広がった髪が微かに触れてこそばゆいものを感じつつ、
恭也は充足した顔で礼を述べる。
同じような顔をした薫もまた、恭也へと礼を述べる。
「はぁー、はぁー。でも、少し時間を忘れましたね」
「ああ。うちもすっかり忘れていた。それだけ、集中していたって事ね」
止める者が居なかったせいなのか、疲れきるまで動きつづけた二人は、
それ以上身体を動かすのも億劫そうに、寝転がったまま会話を続ける。
「それにしても、その八景という小太刀は名刀ね」
「そうですか? まあ、父さんからずっと使っている小太刀ですからね。
でも、切れ味は伝承刀の龍鱗ほど鋭くはないですけれどね」
「でも、決して折れる事なく、反ることもない。
十六夜とこれだけ打ち合って、何ともないというのは凄い事だよ」
「それは確かですね。
結構、俺に付き合って無茶をさせてきましたけれど、こうしてまだ手の中に居てくれますからね」
すぐ横に置いた八景へと視線を向ける。
それから天井へと視線を向けると、二人は無言のままそのままで暫く呼吸を整えるのだった。
知らず、目を閉じて呼吸を繰り返すうちに、段々と呼吸が落ち着いてくる。
どれぐらいそうしていたか、そろそろ起き出そうとした時、大声が響き渡る。
「恭ちゃん、薫さん!」
慌てた声に続き、どたどたと近づく足音。
顔を顰めつつ身体を起こした二人の目に、こちらへと駆け寄る美由希の姿があり、
美由希は美由希で、急に起き上がった二人に驚いて足を止める。
が、勢いを殺しきれずにそのまま転ぶ。
これみよがしに盛大な溜め息を吐きつつ、恭也が呆れたような声を投げる。
「で、お前は何がしたかったんだ?」
「う、うぅ、酷いよ恭ちゃん。
帰ってきたら、二人がリビングに居ないから、また道場だろうと思って様子を見に来たんだよ。
そしたら、二人が倒れているし。おまけに、二人のすぐ傍に抜き身のままの刀が置いてあったから、
何かあったんじゃないかって思ったの!」
美由希の言葉に、恭也と薫は顔を見合わせ、次いで傍らに置いてあった自分の相棒を見る。
まあ、確かにその状況を見れば、ましてや真剣を使った鍛錬をするのを知っている美由希ならば、
お互いに寸止めできずにという、最悪の事態を考えても仕方がないかと納得する。
身体を起こしつつ謝る二人だったが、恭也はそれだけでは済まさなかった。
「慌てる気持ちも分かるが、血が出ていない事に気付け。
倒れて動けないのなら、それなりの怪我を負っているはずだろう。
まあ、血の匂いやそのものが見えなくても、骨折や気絶という可能性もあるがな。
だが、実際にそういう状況下になった場合、第三者の存在も疑わなければならないんだぞ。
なら、まずは落ち着いて周囲の確認も必要となってくる」
途中から説教めいたものに変わる恭也に薫は苦笑を見せるが、美由希は真剣にその話に耳を傾ける。
常日頃から、平穏な中においても警戒を怠らない、戦いを忘れないという二人の、御神流の考えに、
改めて薫は自分よりも下の二人に尊敬の念を抱くのだった。
◇ ◇ ◇
「ふぅー、暑いな」
「夏が暑いのは当たり前でしょう」
一人の少年と少女が並んで歩きながら、そんな会話を交わす。
少女にぴしゃりと言われた少年は苦笑しつつ、額の汗を拭う。
「そりゃ、そうだけどさ」
「そんな事より、どう何か感じた?」
まだブツブツと続けようとする少年へと、少女が打ち切るように尋ねる。
それに少年は肩を竦めて見せると、首を横へと振る。
「いいや、何も。ここまで何もないと、本当にこの街にいるのか疑わしくなるけれど」
『いや、外界宿(アウトロー)からの情報だ。間違いはないと思うぞ』
そこへ、姿の見えない第三者の声が届く。
だが、二人は慌てた様子もなく、そのまま話を続ける。
「アラストール、もうこの街を出たという事はないの?」
少年が姿の見えない第三者、アラストールへと声を掛ける。
それにはアラストールではなく、少女が答える。
「それはない。特定は出来ないけれど、何処かに居るのは間違いない。
現に、昨日も燐子が居たでしょう」
「あ、うん。そっか。だとすると、今回の紅世の徒は何かを企んでいる可能性もあるんだよな」
「そうよ。だから、悠二にこの街全体の存在の力を感じてもらうために歩いているんだから」
「そうだったね。ごめん、シャナ」
「別にいい。それより、何も感じないの?」
「うん。今の所は何も。普通の街だと思うよ」
悠二と呼ばれた少年の言葉に、シャナと呼ばれた少女は小さく頷く。
「そう。だったら、今日はここまでにしよう」
「それは助かるけれど、良いの?」
『まあ、問題なかろう。何かあれば、すぐに感じられるだろうしな』
「ほら、アラストールも言っているんだから、行こう」
言って悠二の手を取ると、シャナは走り出す。
シャナに引っ張られながら、悠二は半分答えを分かりつつ、何処へと尋ねる。
「勿論、あの店よ!」
ここに来た時に偶々入り、すっかりお気に入りになった店の名前を口にする。
それを聞きながら、悠二はやっぱりと小さく呟く。
「早くしないと、限定シュークリームがなくなる」
「限定? そんなのあったっけ?」
「今日からやるって、店長さんが言ってたの!」
言って更に引っ張る力を強くするシャナに、悠二は苦笑しつつも足を速めるのだった。
今はまだ、世界は表面上は平穏を保っている……。
つづく
<あとがき>
はぁ〜、久しぶりに更新〜。
美姫 「本当に久しぶりね」
あははは。
えっと、今回はとりあえず日常だな。
美姫 「まだまだ導入部分だものね」
これからどうなっていくのか!?
美姫 「それは次回以降でね♪」
ではでは。
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