『海鳴のシャナ』
第弐之炎 海水浴
今日も今日とて、これでもかと言わんばかりに太陽が熱を放射し、
朝からこの上ないぐらいに夏だと実感させられるぐらいに気温を上昇させてくれる。
そんな暑い炎天下、恭也は一人砂浜に立てたパラソルが作り出す日陰に広げたシートに腰を下ろしていた。
上下共に黒色の、肌の露出している部分の方がはるかに少ない長袖のシャツとズボンという恰好で。
日陰に居ても、じりじりと火に焼かれるような錯覚を覚えそうなほどに晴れ渡った空と、
先程から香る潮の匂いを含んだ海との青で染められた境界線をぼんやりと見つめる。
「……暑いな」
年中、似たような恰好をしているからと言って、決して慣れる事の出来ない暑さに辟易しつつ、
恭也は待ち人が来るのをただ黙って待つ。
時折、海水浴に来たカップルや家族連れが怪訝な顔で恭也を見ていくが、それさえも既に慣れてしまった光景である。
そんな周囲に暑っ苦しさを振りまきながら待つ恭也の元に、ようやく待ち人の数人が姿を見せる。
「お兄ちゃん、お待たせ」
可愛らしいワンピースの水着を着たなのはの登場に、一瞬だけ暑いのを押さえ込み、小さな微笑を覗かせる。
「いや、そんなに待っていない。新しい水着か」
「うん、どうかな?」
「ああ、中々可愛いぞ。あ、泳ぐ前にはちゃんと体操をするんだぞ」
「うん、分かってるよ」
過保護ぶりを発揮する恭也に苦笑を見せつつ、ここまでなのはと一緒にやって来た晶とレンは恭也へと尋ねる。
「ところで、師匠は泳がれないんですか」
「ああ。流石にこう人が多いとな」
「まあ、それは仕方ないかと。日帰りで行くとなると、やっぱり近場になってしまいますから」
それぞれ青と緑の水着を着た二人の言葉に、恭也は分かっていると頷く。
分かってはいたが、なのはと約束した手前、それを破る事も出来ずに恭也はこうして炎天下の中、
全身を黒尽くしという恰好でやって来たのだから。
恭也と話をしながら苦笑する二人に、なのはが速く行こうと急かす声を掛け、
それに応じて二人はなのはと共に海に向かって走り出す。
その様子を微笑ましそうに眺める恭也に、呆れたような美由希の声が頭上から降ってくる。
「暑いって分かってるんだから、そんなに上から下まで黒で固めなくても良いのに」
「下は黒ではない。茶だ」
「あまり変わらないような気もするけど…」
「それに、色はあまり関係ないだろう」
「そんな事はないと思うけど…」
そう言いつつも確信のない声を出す美由希の水着も、黒だったりするのだからどうなんだろうか。
思いつつも口には出さず、不意に恭也は美由希の腕を掴むと引き寄せる。
突然の事に頬を若干染める美由希に構わず、恭也は美由希の腕を目の前に持ち上げ、確認するように何度か揉む。
「きょ、恭ちゃん、こんな所で…。そんな大胆な…」
ブツブツ呟く美由希の後ろから、目を吊り上げて忍がやって来る。
「恭也! 何をやってるのよ!
美由希ちゃんが嫌がっているでしょう」
「いえ、別に嫌では…」
美由希の言葉は聞こえなかった事として、忍は恭也に詰め寄る。
ようやく恭也は忍の存在に気付き、美由希の腕から手を離す。
そんな恭也に文句を言おうとする忍であったが、先に恭也は真剣な顔で美由希を見つめる。
「美由希」
「な、なに?」
「夏休みの間は少し鍛錬の内容を変更する」
「……はい?」
「必要以上に筋肉はいらないが、もう少しあった方が良いからな。
勿論、ただ筋肉をつけるだけでは駄目だ。ちゃんと柔軟性も必要だからな。
まあ、その辺りはフィリス先生に聞くなり、俺が調べよう」
恭也の言葉に呆然となる美由希と忍であったが、やはり当事者ではない忍の方が気を取り直すのは早かったのか、
恭也へとやや呆けた顔を向ける。
「えっと、もしかしてさっき腕を触っていたのって」
「ああ。美由希の筋肉の付き具合を確認していた」
「あ、あはあは、あははは…。
どうせ、そんな所だろうとは思ってたよ……。思ってたけれど、恭ちゃんのばかー!」
「師匠に馬鹿とは何だ、馬鹿とは」
憮然と走り去っていく美由希の背中に呟くも、既に美由希の姿ははるか向こうであった。
それを少し憐憫の混じった視線で見送った後、忍は流石に呆れたように肩を竦める。
「恭也、幾らなんでもあれじゃあ美由希ちゃんが可哀想よ。
折角、水着も新調してたみたいなのに」
その言葉に恭也は忍の水着姿を見て、昨夜、桃子に念を押された事を思い出す。
「忍、その水着よく似あっているな」
「え、そ、そう」
「ああ。那美さんもとても似合ってますよ」
いつの間にかやって来ていた那美にもそう声をかけると、嬉しそうに身を捩る二人。
その後ろからじっと見つめてくるもう一つの視線に、恭也はそちらにも声を掛ける。
「ノエルも似合ってるよ」
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げてくるノエル。
「とりあえず、海に入ってきたらどうだ。
俺はここに居るから」
そう告げる恭也に悪いと思いつつ、忍たちは揃って海へと駆けて行く。
だが、ノエルだけはその場に残って恭也の隣に腰を下ろす。
「ノエルは行かないのか」
「はい、私は後で。その前に、恭也様にお願いがあります」
ノエルからの珍しいお願いに恭也はそれがどんなものかと尋ねると、
ノエルは置いてあった荷物から一つの容器を取り出す。
「これを塗っていただけませんか」
「日焼け止めか何かか?」
「いえ、防水加工はされていますが、塩水の方は少々心許ないので、万が一のためのものです」
ノエルが人とは少し違う事を思い出し、恭也はそれを受け取る。
「本来は忍お嬢様にして頂くはずの作業なのですが、申し訳ありません」
「いや、気にするな。忍も遊ぶのに夢中になってるんだろう」
言って容器の蓋を外したところでふと気付く。
「……ノエル、これを俺の手でノエルの身体に塗るのか?」
「はい。満遍なくお願いします」
「あ、いや、やっぱり忍を呼んできた方が…」
恭也が最後まで言うよりも早く、ノエルはうつ伏せに寝転がり、恭也を横目で見上げる。
「早くして頂かないと、万が一が…」
その万が一が起こるかどうかは分からないが、もし起こってしまった場合、ただの日焼けでは済まないのである。
だから、恭也は諦めて大人しくまずは手にその容器に入った液体を垂らす。
恭也のそんな仕草を横目で見上げながら、ノエルは小さく笑みをばれないように零すと、
寝そべったまま背中に手を回し、ビキニタイプの水着の紐をするりと外す。
解放され、また体重によって押し潰されるようにむにゅという感じで僅かに形を変えたその膨らみを偶々見てしまい、
恭也は慌てて視線を逸らして、背中だけを見るように注視する。
タイミングを見計らっていたかのようなタイミングで水着の紐を解いたノエルが、
その顔にまた小さな笑みを浮かべていたのだが、恭也からは見る事は出来なかった。
一声掛けてから、恭也は恐る恐ると言った感じでノエルの背中に手を這わして塗りこんでいく。
背中から肩、肩から腕へ。少し顔が熱く感じるのは、決して気候の所為だけではないだろう。
腰も丹念に塗り、要請されて足にも塗っていく。
「これで終わりだな」
「では、次は前へ」
「っ! ま、前は自分で塗れるだろうから、自分でやってくれ」
「そうですね、確かに。では、まだ後ろで残っている部分をお願いします」
そう言って水着の下に手を掛けるノエルを真っ赤になった顔で恭也は慌てて止める。
聞かずに水着に手を掛けるノエル。
そこへと救いの神が舞い降りる。
「ノ〜エ〜ル〜、何をやっているのかしら?
あと、恭也も」
低い声音で尋ねてくる忍に見えないように、ノエルは少し眉を歪める。
一方の恭也は弁解するようにノエルから聞いた事を説明する。
元々は忍が忘れるのが悪いのだろうと。
だが、それを聞いた忍は頬をピクピクと痙攣させ、引き攣った笑みでノエルを見下ろす。
「可笑しいわね。確か、ノエルのボディは海水でも大丈夫なようにしたはずなのに」
「……そうでした。すっかり忘れておりました。何しろ、少し前の事ですし、夏休みに入ってから、
ずっと忍お嬢様のお手伝いやお世話で忙しかったものですから」
しれっとそんな事を言うノエルに、恭也は信用するも忍は鋭い眼差しで睨むように見つめる。
流石に居心地の悪いものを感じ、恭也は海へと顔を向けてなのはを見つけるとそちらへと向かうのだった。
間に昼食を挟み、今度は皆で海で遊んでいる美由希たちへと恭也は声を掛ける。
「少し周辺を散歩してくる」
そう言うと、適当に恭也は歩き出す。
暫く砂浜を歩いていたが、程なく木々に覆われた林へと入っていく。
山と言うほど急な斜面もなく、緩やかな斜面をあてもなく歩く恭也。
木々によって太陽の光もかなり軽減され、また木々の間を吹き抜ける風に若干暑さも和らぎ、知らず表情も和む。
暫くそうやって歩いていると、不意に人の気配を感じて足を止める。
どうやら更に奥、それも道を踏み外れた場所から感じられる存在は動くような気配すら見せない。
怪我でもしているのか、それにしては助けを求める声も聞こえない。
もしかしたら、声を上げる事の出来ない状態なのかも。
そこまで考え、恭也はそちらへと向かう。
ただの杞憂ならそれはそれで気付かれないうちに立ち去るつもりで。
果たして、そこには一人の少女が、木の根元に座り込んでただ何もない虚空を見つめていた。
その瞳には力もなく、ただ虚ろに。
恭也も人の事は言えないが、この炎天下に大きなマントで身を包み、大きな帽子を被っている。
そして、その横には三角形の杖頭の輪と、
それに付けられたこちらもまた三角形の遊環という少し変わった錫杖が立て掛けられている。
少女は恭也が近くに来ても、まるで気付いていないかのようにただじっと視線を変える事無く、
何もない虚空を見つめる。
その様子に恭也は少女が酷い目に遭ったのでは危惧し、驚かさないように声を掛ける。
「大丈夫ですか」
恭也の問い掛けに、しかし少女は無言のまま顔さえも動かさない。
困ったように少女を見つめ、とりあえずは移動させた方が良いだろうかと悩んでいると、
ようやく少女が顔を動かし、しかし虚ろなままの瞳で恭也の姿を捉える。
無言のまま見つめてくる少女に、恭也はゆっくりともう一度声を掛ける。
だが、少女から返って来た言葉は、それに対する答えなどではなく、
「私には…何もない……。空っぽ……」
見たところは外傷も暴行を受けたような痕は見当たらないものの、
恭也は少女の様子に尋常ならざるものを感じていた。
とは言え、ここで見捨てる事も出来ず、恭也はとりあえずは少女へともう一度話し掛ける。
意志の疎通が出来ているのかどうか分からないが、
少女の発した言葉に対して何か返せば反応があるかもしれないと。
回り出した歯車が、平穏に見えた表面に僅かだが現れ始める……。
つづく
<あとがき>
いや、もう申し訳ないぐらいの遅い更新。
だが、まあゆっくりと行こうじゃないか。
美姫 「この馬鹿!」
ぶべらっ!
う、うぅぅ、やっぱりこうなるのね。
美姫 「全く、プロットが出来ているんだから、さっさと書きなさいよね」
プロットが出来ていても、そうサクサク書けないんだよ!
美姫 「単にアンタが情けないだけじゃないの?」
グサッ! ク、クリティカルヒットだよ、それ…。
美姫 「馬鹿言ってんじゃないわよ」
うぅぅ。ともあれ、久しぶりにお届けです。
美姫 「次はもっと早くして欲しいけれどね」
……それでは次回で。
美姫 「せめて頑張りますぐらい言いなさいよ!」
ぶべらっ!
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