恭也が桃子に話を切り出した夜、一応の了解を得た恭也はほっと胸を撫で下ろしていた。
そんな恭也の思いに気付いているのか、いないのか、桃子は尋ねる。
「で、最初の目的地ぐらいは決まってるんでしょ」
「ああ。後はどう巡るかは分からないが、とりあえず最初の目的地だけはな」
「で、何処に行くのよ」
桃子の言葉に、恭也は暫し目を閉じ、ゆっくりとその場所を口にした。
「年中、桜が咲いている島だ」
『恭也の全国武者修行の旅』
〜 第一章 「桜舞う季節」 〜
第1話
時刻も遅い頃、フェリー乗り場に一人の少年が降り立つ。
その少年、恭也は今、昨夜自分が口にした地に辿り着いた所だった。
「ふー、やっと着いたか」
恭也は辺りをぐるりと見渡した後、寝泊りする為の場所を確保すべく歩き出す。
それから少しして、恭也は安く泊まれるホテルを見つけ、そこにチェックインすると、ベッドに倒れ込む。
「はー。探索は明日にして、とりあえず今日はゆっくり休むか」
眠気に誘われ、閉じかける瞳で天井を見上げながら、恭也は小さな呟きをそっと洩らす。
「父さん、初音島に来たぞ……。これで、やくそ………」
最後まで言い終える事なく、恭也の意識は夢の中へと旅立って行った。
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
ピピピピッ
(う〜、五月蝿いな……。一体、何の音だ)
寝惚け頭のまま、音の発生源を確かめる。
そして、おおよその位置を掴むと、布団から手だけを出し、音の発信源と思われる物体を触る。
カチッという軽い音と、手に伝わる何かを軽く押し込んだような感触の後、先程まで鳴り響いていた音が鳴り止む。
それを確認する事もなく、その人物は再度布団へと潜り込むと、再び眠りの世界へと旅立つのだった。
それから数分して、その部屋の扉が軽くノックされる。
そして、部屋の主から返事がないと分かると、その人物はそっと扉を開け、中へと入ってくる。
「兄さ〜ん、入りますよ〜」
断わる割には、物凄く小さな声で呟き、その少女は足音を忍ばせて兄さんと呼んだ少年の元へと向う。
「兄さん、起きてください。兄さん」
「んん……。もう少し寝かせてくれ音夢」
音夢と呼ばれた少女は、その顔に満面の笑みを浮かべ、少年の言葉に答える。
「何を言ってるんですか。もう起きないと遅刻しちゃいますよ。
どうしても起きないと言うのなら……」
何やら不穏な空気を感じ、少年が起きようとする瞬間、少年は自分の体に突如加わった衝撃に息を飲む。
「ぐはっ!」
「兄さん、目が覚めましたか?」
少年──純一の洩らした声を聞きながら、音夢は嬉しそうに微笑みながら問い掛ける。
それに対し、純一は突如体を起こすと、
「こ、この馬鹿っ!寝てる奴の上に、いきなり広辞苑を落とすんじゃない。一瞬、綺麗な花畑が見えたぞ」
喚く純一を見ながら、音夢は平然と笑みを浮かべたまま言い放つ。
「あら、朝から綺麗な風景が眺めて良かったじゃないですか。
それよりも、早く起きてきてくださいよ」
そう言うと、ベッドの傍から立ち退き、部屋の扉まで移動する。
そして、扉を開け、廊下へと出る直前、純一の方を振り返り、これまた綺麗な笑顔を浮かべる。
「兄さん、二度寝なんて考えないでくださいね」
それだけを言い残すと、部屋を出て行った。
その背中を見ながら、我が妹ながら恐ろしい奴と聞こえないように呟く。
今までのやり取りから察するに、聞かれていたならとんでもない事態になっているだろ。
「はー。仕方がない起きるとするか。ああ、かったりぃ」
ぶつくさ言いながらも、ベッドを抜け出すと制服に着替えリビングへと向うのだった。
あれから数分後、純一と音夢の二人は学園へと向う道を歩いていた。
しんしんと舞う桜の花びらを見上げながら、純一は天使の羽みたいだと思う。
「………俺って詩人だな」
7年前から枯れなくなた島の桜を見上げながら、純一は呟く。
しかし、その表情はどこかめんどくさそうではあったが。
そんな純一を見ながら、音夢は純一の背中を軽く叩く。
「ほら、兄さん。もっとしゃんとしてくださいね」
その折、首に付けた鈴が軽やかな音を立てる。
「へいへい。はー、かったりぃ」
溜め息を吐きながら、純一は空を見上げる。
それにつられるように、音夢を空を見上げ、
「桜、綺麗だね」
「そうだな。最も、その後の掃除がなければ尚良いんだがな」
「もう、兄さんはすぐにそんな事を言って。全く風流じゃないですね。
第一、兄さんが掃除する訳じゃないのに」
音夢の言葉に曖昧に答えながらも、純一はその枯れることのない不思議な桜の木をぼんやりと眺める。
そんな純一よりも数歩先に行くと、音夢は純一を振り返り楽しそうに笑う。
「でも、兄さんとこんな風に一緒に登校するのも久し振りですね」
「そうか?」
嬉しそうに言う音夢から視線を逸らしながら、純一は照れたように鼻の頭を掻く。
と、こちらを向きながら歩く音夢が、十字路に差し掛かった時、横手から人が飛び出してくる。
「音夢!後ろ!」
「えっ!あっ!」
純一の言葉に、慌てて後ろを振り向くが、すぐに止まる事ができずに横から来た人とぶつかってしまう。
更に運の悪い事に、音夢は頭から後ろへと倒れていった。
「音夢!」
純一が慌てて音夢に駆け寄ろうとするが、どんなに急いでも間に合う距離ではなかった。
音夢は次に来るであろう衝撃に備え、体を強張らせ目を閉じる事しか出来なかった。
しかし、幾ら待ってもその衝撃は訪れず、音夢はおそるおそる目を開ける。
と、そこにはこちらを心配そうに窺っている少年の姿があった。
〜 つづく 〜