『とらコロ』
第九話 「鳩ぽっぽ?」
「うーん」
居間で腕を抱えて困ったような唸り声を上げるのは美由希であった。
そこへ帰宅した那美がやって来て、テーブルの前で唸る美由希へとからかうように話しかける。
「そんなに唸って、もしかして太ったとか?」
「ああ、私太らない体質みたいで、そういうんじゃないんだよ」
「……そう、そうですか。だったら、カツ丼百杯ぐらい食べてもらおうかな!」
「って、ええっ! 何でそんなに怒っているの!?」
今にも血涙を流さんばかりの形相で美由希へと詰め寄る那美に、美由希は本当に訳が分からないという顔をするのだった。
§§
「先程は取り乱してしまいまして……」
「いや、別に良いんだけれどね。もしかして、太った……とか?」
「そ、そんなにはっきりと……い、言わないで〜。
き、昨日のケーキ、昨日のケーキが……」
「余分に買って余ったからって二個も食べてたもんね」
「更にその前、一昨日の大福が美味しすぎるのが……」
「ああ、あれも四個ぐらい平らげてたね」
「更にその前日に寄った店のパフェ、更にその前の新発売のチョコレートに、その前日の善哉が。
またまたその前日に食べた肉まんがあまりにも肉汁が美味しくて……」
「あー、そこに加えて毎食あれだけしっかりと食べて運動しないものね。
と言うか、明らかに食べ過ぎだよ……」
「自業自得って言うんですか!?」
「いや、どう考えてもそうだよね。こういう場合に使う言葉だったと思うんだけれど……」
ガーンと効果音が今にも聞こえてきそうなぐらい肩を落とし、那美は畳の上に両手を着いて落ち込むのだった。
§§
「あー、それで美由希は何を唸っていたの?」
何とか気を取り直し、太った悩みじゃないのなら何よと八つ当たり気味というか、もう八つ当たりで尋ねれば、
美由希はテーブルの上に置かれた小さな箱を指差して、
「いや、これは何ていう虫なのかなって思って。
私、初めて見たんだけれど……」
「虫!? そ、そそそれはムカデとかげじげじとかの……」
「ああ、そっちの方じゃないよ。どちらかというと蝶とかかな?
どうも羽の所を傷めているみたいで、今恭也くんが薬を買いに行ってるよ」
「は、羽のある虫ですか」
「大丈夫だって、そんなに怖がらなくても。見た目も可愛いよ」
言われて那美は恐る恐る箱を覗き込み、
「毒はあるかもしれないけれど」
「って、そんなの全然大丈夫じゃないじゃないですか!」
素早い身のこなしであっという間にテーブルから離れるのだった。
§§
「冗談だって。ほら、大丈夫だから見てごらんよ」
「え、遠慮しておきます」
「もう本当に大丈夫だって。さっきのはちょっとした冗談だよ」
言って那美の手を引っ張るのだが、那美も頑としてテーブルに近付こうともしない。
互いに揉み合う内に、力の弱い那美が小さな悲鳴を上げて美由希の方へと引き摺られ、
そのまま押し倒すように乗りかかってしまう。
「あ、ごめん」
慌てて謝って退こうとしたのだが、そこへ丁度帰って来た恭也が居間にやって来る。
「…………えっと、お邪魔しました〜」
「きょ、恭也くん、違う、誤解だから!」
「そんな、こんな所でだなんて那美も大胆♪
でも、お姉さまとしてはこれも愛情だと思って受け止めてあげる」
「って、本当にそのネタ好きですね! と言うか、冗談も時と場所を考えてくださいよ!」
那美の叫び声だけが居間にむなしく響くのだった。
§§
何とか誤解も解け、恭也は買ってきた傷薬を取り出す。
どうやら帰り道で忍とも出会ったようで、ちゃっかりと忍も一緒に来ていたりする。
「あ、これが恭也が拾った虫なのね。本当に可愛いじゃない」
言って手を伸ばす忍に、美由希が真顔でその手を押さえ、
「気を付けるんだよ。可愛い姿をしていても猛毒を持っているから。
さっきの那美もその毒にやられて私を押し倒して……」
「そんな毒、聞いた事もないです!」
嘘を並べる美由希へと那美の鋭い突込みが入り、恭也は苦笑しながらも手当ての準備を整える。
§§
「寝ているみたいだけれど、早く手当てした方が良いよね」
恭也の言葉に美由希が頷き、
「そうね。確かに睡眠は体力の低下をある程度は防ぐし、回復もさせるけれどこのままだと怪我が酷くなるかも」
「へー、虫が寝ているってよく分かるわね。あ、そういえばさっきから大人しいし、動いていないのね」
二人の会話を聞いていた那美が納得したように頷く中、恭也はそっと虫へと手を伸ばす。
「って、何よそれ!」
箱から丁寧に取り出され、恭也の手のひらに乗った虫を見て那美が思わず叫ぶ。
「やっぱり那美も始めて見るのね。ひょっとして新種だったり」
那美には、そう言った美由希の頭に獣の耳が、お尻からは尻尾が生えているのが見えたが、
今はそれよりも先に虫についての突込みが先だと虫を指差し、もう一度同じ事を繰り返す。
「ああ、那美さんも知りませんか。まさか本当に新種なのかな」
「でもさ、そう簡単に新種なんて見つかるものなのかな。
まあ、恭也が見つけたというのならあり得ない話じゃないかもしれないけれどね」
平然と告げる恭也や忍の言葉に那美が更に何か言おうとしたのだが、この騒ぎで目を覚ましたのか、
件の虫がゆっくりと身体を起こし、伸びをする。
「ふわぁぁ〜、っ!」
「ああ、動いたら駄目ですよ。羽を傷めているみたいなんですから。
今、手当てしますから大人しくしててください」
言って虫、もとい人の形をした何へと傷の手当てを始める恭也。
特に驚かず、自然と自分を囲む三人を見て、虫の方が思わず声を上げる。
「どうして、皆さんは私の姿を驚かないんですか?」
「そうよ、その通りですよ! 絶対に虫じゃないですよ、これ!
まるで妖精じゃないですか! それ以前に、今喋った!?」
唯一驚く那美であったが、そんな那美を三人は勉強のし過ぎで疲れているんだな、という目で見遣るだけだった。
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「しかし、珍しい虫ですね」
「あ、あのー、わたしは虫ではありませんよ」
傷の手当てが終わり、改めて姿を見ながら漏らす恭也に虫が遠慮がちにそう発言をすれば、
美由希がああ、やっぱりという感じでポンと手を叩く。
「虫にしては毛があるなと思ってたんだよ。
だとしても、かなり変わった鳩だよね」
「は、鳩!? 虫もどうかと思うけれど、鳩はないでしょう!
よく見なさいよ美由希」
「そうよ、美由希。那美の言うとおりだわ」
忍の思わぬ援護で那美は激しく首を上下に振る。
「これは鳩じゃなくて、きっと雀よ。こんなに小さいんだから」
「それも違う! そもそも人語を理解し、使っている所を問題にして!
姿もよく見れば私たちと酷似しているじゃない」
「何を言ってるのよ、那美は。人がこんなに小さい訳ないじゃない」
「そうそう。おまけに羽なんてないって」
「だから、そうじゃなくて! と言うか、そんな理屈を言うのなら鳩や雀でもないでしょう!?」
叫ぶものの、那美の意見に二人は揃って肩を竦め、恭也の意見を求める。
「えっと……鳩かな? 鳩は偶に色が白いのとか見るから、それと同じでちょっと姿が変わったとか」
「ちょっとじゃないし!」
突っ込む那美の言葉はまたしてもスルーされ、今度は別の所から驚いた声が上がる。
「わ、私は鳩だったんですね」
その声の主は話題となっている虫(?)そのものから発せられ、
更にはその発言の後リ前屈みになり、腕を腰に当てて翼に見立てて後ろへと伸ばす。
「く、くるっくぅぅ〜。
こ、こんな感じで良いんでしょうか?」
「やっぱり鳩だった」
「違う、絶対に鳩じゃないって! と言うか、貴女も自分の事なんだから流されないで。
こんな人に似た鳩いないでしょう!」
「そんな事ないよ。まるで球形のような鷹もいるし」
忍の言葉に恭也は驚いたような顔で忍を見つめる。
「ええっ! そうなんですか!?」
「うん。しかも、人語を操り、人型にも変身が……」
「それはアニメの話でしょう!」
ぜーはーぜーはーと肩で息をしつつ、那美は本気で泣きたくなるのだった。
§§
「えっと私はリンディと言います」
改めて虫、もといリンディから自己紹介を受ける。
それに対し、那美はもう好きにしてくれとばかりにテーブルに突っ伏し、恭也たちは……。
「ええ!? こ、言葉を喋った!?」
「うお、何この鳩凄い! と言うか、鳩じゃないのかも」
「ええ、鳩じゃないとしたら何よ。って、よく見たら人の形しているわよ」
「まさか、御伽噺とかに出てくる妖精ですか」
今更ながらに驚く三人を見て、那美は本気で涙を流すのだった。
§§
ようやく落ち着いた所で改めてリンディの話を聞いてみるも、どうも記憶が曖昧になっているらしい。
「困りました……」
「それだったら、記憶が戻るまで家に居たらどうですか」
「良いんですか?」
恭也の提案にリンディは本当に良いのか確認するも、恭也はただ笑顔で頷く。
その好意に甘える事にするリンディ。こうして、高町家に新たな同居人が加わる事となる。
§§
その後、帰宅した桃子に許可を取る恭也。
掌に座ったリンディを桃子へと見せると……。
「うーん、了承。それにしても変わった鳩よね〜」
「あ、あの、私鳩じゃないみたいなんですけれど……」
これを見ていた那美がこっそりと涙を拭い、自分だけはしっかりしようと思ったとか何とか。
おわり
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