『ゼロの神殺しと救世主』


プロローグ



夏の暑さもようやく終わりを見せ始めた九月も半ばを過ぎた休日。
珍しく出掛けていた恭也はその帰り道に不可思議なものを目にする。
それは何と言えば良いのだろうか。宙に浮く水面といったところであろうか。
横幅は広い所で1メートル半、高さは2メートルを超えている。
そのくせ、厚みは殆どなくその表面は揺らぐことも光を反射する事もない。
それ自身が僅かに光を放つだけで、その場にただ静止する物体。
恭也だけでなく、共に出掛けていた者たちも揃って訝しげにそれを見遣り、やり過ごすのが無難だと結論を出す。
そう結論を出して踵を返してこれでお仕舞いとなるはずであった。
美由希がこんな時にドジなどしなければ。
転びそうになった美由希は何とか踏ん張って前のめりにこけるのを堪えるも、
今度はその勢いを殺せずに後ろへと倒れてしまった。
更に運悪くすぐ後ろには恭也が居て、結果として恭也は美由希に押されるような形で、
やり過ごすと決めた物体にぶつかってしまう事となる。
触れた瞬間、強い引力に引かれるように恭也の体は水面に消え、
恭也が完全に消えるとその物体も役目を終えたとばかりに消え去る。
後には呆然とそれを見ているしかない美由希たちが取り残されるのみであった。



地面に腰から落ちる感触を味わい、恭也は自分が地面に尻餅を着いていると悟る。
一瞬だったが可笑しな感覚を味わった気もしたのだが、実際にはそうでもなかったらしい。
美由希にぶつかられ、そのまま転んだのだろうと判断する。
だが、すぐにそれが間違いであると気付く。
何故なら、恭也自身の居る場所が既に先程とは全く違っているからだ。
よく見れば地面もアスファルトで舗装されている訳でもなく、
周囲にはマントを纏った可笑しな格好の者たちが。
目の前にもこれまた同じような格好をした少女が杖らしきものを手に肩を震わせて恭也を見下ろしている。
理由もどういった事になっているのかも分からないが、状況だけははっきりと理解できた恭也は、
少し疲れた表情を浮かべ、肩を竦めて嘆息する。
つくづく自分の人生が激しく激動の中にあるのだと思い知らされた、といった所だろうか。
遂には続く激動の最初の事件となった、高校三年時の月村忍との出会いにまで遡ってしまうほどに。
恭也が過去を追憶している間に、この場で唯一の大人である人物と目の前にいた少女の口論も終わったようである。
渋々といった様子で恭也の目の前で屈み、少女は恭也と目線を合わせる。

「感謝しなさいよ。平民が貴族にこんな事をしてもらえるなんて、一生に一度だって本当ならないんだからね」

言って、少女は自らの名前を名乗ると恭也が事情を尋ねるよりも先に恭也へと口付けるのだった。



「ちょっと美由希! アンタ何してるのよ!」

「え、えっと……。わ、わざとじゃないんだよ」

「当たり前だ! もしわざとだと言うのなら、私がこの場でお前の首を刎ねている」

「ほらほら、リリィちゃんもロベリアもそれぐらいにしておきなさい。
 そんな事よりも今は恭也くんの居場所を探すのが先でしょう。
 詳しくは調べていなかったから分からないけれど、恐らくは魔法ね。それも転移系」

揉めている三人を落ち着かせ、銀髪の女性ルビナスは先程の現象を思い出しながら推測を口にする。
確認するように、そちらの系統ならエキスパートである二人の少女に視線を向ける。

「間違いないと思います。この世界にマスターの存在は感じられませんから」

「だとすると、罠かもしれないわね」

双子と思うほど瓜二つの少女が口々に言うも、最後の言葉には他の者たちも驚きの顔を見せる。
それらを見渡しながら、少女の片割れ、イムニティは小さく肩を竦める。

「あくまでも予想だけれどね。他の世界の人間が何らかの現象で救世主の事を知ったとしたら?
 そしてその力を利用しようと考えた。そうなると、人質を取るのは賢いやり方だもの」

「で、でも主様が拙者たちの中で最も腕が立つでござるよ」

「相手がそれを知らないのなら意味はないわ。
 実際、アヴァターで救世主として名を馳せたのは、美由希マスターとクレアを除いたここに居る者たちだもの。
 まさか、相手も人質に取った者が神を殺したなんて思わないでしょう」

「だとしたら、急いで恭也くんを助けにいかないと」

イムニティの言葉に眼鏡を掛けた少女、ベリオが慌てたように言うのを受け、他の者たちも一斉に頷く。
だが、美由希がそれらを落ち着かせるように押し留める。

「ちょっと待って。今のはあくまでも予想の一つにしか過ぎないんだから。
 そもそもあの状況で、あれに触れるのが恭ちゃんかどうかも分からないでしょう。
 下手をしたら救世主であるリリィたちを召喚する事にもなるんだよ。現に私たちは無視しようとしたじゃない」

「誰かさんのせいで結局は恭也が触れてしまったけれどな」

ロベリアの視線から顔を背けつつ、美由希はリコへと尋ねる。

「リコさんなら恭ちゃんの居場所を掴めるんじゃないの」

「ええ、今探索しています。近い世界に居てくれれば良いんですけれど……」

目を閉じ、恭也との繋がりを探すように集中するリコを邪魔せぬよう、美由希たちも静かに待つ。
が、それほど待つこともなく、リコは急に目を開ける。

「駄目! マスター、拒絶してください!」

目を開けたかと思えば、行き成り大声を出すリコ。
その事にも驚いたが、発せられた言葉に他の者たちも色めきたつ。

「リコ、一体何があったのじゃ!」

クレアが待てないとばかりにリコに尋ねる。
他の者たちも同じ思いでリコを見詰めるが、リコは説明をするよりも先にイムニティの手を取り、

「イムニティ、力を貸して」

「ちょっ、一体何なのよいきなり」

「いいから、早く!」

珍しく慌て、その上大声を出すリコにイムニティは渋々とだがリコの手を繋ぎ返す。
その様子を見ていたクレアたちも説明を求めるのは後にするべく、再び口を閉ざし、
美由希と未亜はイムニティへとリコに協力するように頼む。
二人の頼みを受け、イムニティは渋々だった顔を一転させ、寧ろ自分から協力するようにリコに力を流す。
そのお蔭か、リコが何故慌てたのか理解する。

「そういう事ね。全くとんでもない事をしようとする馬鹿ね。
 恭也に服従の魔法を刻もうとするなんて」

リコとは違い、ただ力を渡すだけだからこそ少しは余裕があるのか、
イムニティはじれったそうに待っている者たちへと状況を伝えてやる。
実際にはマスターの為に取った行動ではあるが。

「イムちゃん、それってどういう事?」

「簡単に言えば恭也を使い魔にしようとしているみたいですね。
 主に対して好意を抱くように魔法による制約を」

その言葉に知らず全員が反応をするも、今は大人しくリコが何かをしているのを見守る。
恭也をマスターとするリコが恭也の不利になるような事はしないと分かっているし、
何よりも命を預けあった仲間だからこそ、信じて待つ。
程なくして、リコが目を再び開ける。

「もう大丈夫です。後、マスターの居る世界が分かりました。
 今ならすぐに飛べますがどうしますか」

聞かれ、その場に反対する者など居るはずもなく、リコとイムニティを中心として魔法陣が描かれる。

「それではマスターの元へと行きます!」

リコの確認の言葉に全員が頷き返したのを受け、リコは世界を渡る魔法を発動させるのだった。



ルイズと名乗った少女の口付けから解放され、暫く呆然となっていた恭也であったが、突如手の甲に痛みを覚える。
小さく呻き声を漏らしつつも見詰める先で、手の甲に変な文字が浮かび上がってくる。
徐々に痛みや熱が治まり始めたその瞬間、恭也の頭にリコの叫ぶ声が聞こえる。

『駄目! マスター、拒絶してください!』

切羽詰まった声に恭也は一片も疑う事なく体の中に馴染もうとしている力に抵抗する。

「くぅぅ」

遠くで誰かが何か言っているようだが、今の恭也にはそんなものは関係ない。
ただ全力で持って抗う。抗い続けていると、ふとその負担が軽くなっていく。
それがリコによるものだと理屈ではなく感じ取り、恭也は更に抵抗するべく内側へと力を向ける。

「っ! 来いルイン!」

恭也が抗うのに合わせ、力を増した内側に潜む力に対抗すべく、恭也は己の相棒を呼ぶ。
その声に応え、恭也の両手に二本の刀が出現する。
周囲で驚きの声が上がるのも構わず、ルインを手にしたことによって増した力を内側に向け、
可笑しな力を消し飛ばす。

「はあぁぁぁ。助かったルイン」

≪いえ、この身も力も主のためのものですから≫

ルインの声は恭也にしか聞こえないので、傍目には怪しく映るかもしれない光景である。
だが呆然とこちらを見ている者たちは、今のやり取りにさえ気付いていないらしく、
特に一番近くにいたルイズはただ恭也を指差して口をパクパクと開閉するのみである。
そんなルイズに恭也は鋭い眼差しとルインの切っ先を向ける。

「さて、一体俺に何をしようとした」

「あ、アンタこそ何をしたのよ!」

「何と言われても、俺の体に可笑しな力が注ぎ込まれたからそれを吹き飛ばしただけだ」

「そ、そんな……」

「こちらの質問にまだ答えてもらっていないが。
 それとも俺はお前たちを敵と判断しても良いのだな」

恭也の言葉にあちこちから平民のくせにという言葉が飛び交うが、恭也は全く意に返さずルイズを見詰める。
見下ろされ僅かに身を震わせるも、すぐに気丈に杖を構えなおし、

「貴族に向かって何をしているのよ! さっさとその剣を退けなさい」

「この状況でまだそんな事を言えるとは。大したものだな。
 だが、状況を分かっていないのか?」

冷ややかな視線で見つめ返すと、途端に口篭るルイズ。
けれどもその目だけは決して折れる事なく真っ直ぐに恭也を睨み付ける。
その事に少しだけ感心しつつ、自分の背後にこっそりと回っていた唯一の大人へと振り向きもせずに声を掛ける。

「何をするつもりかは分からないが、攻撃の意思ありと判断するが良いのだな?」

「こちらにそのつもりはないよ。けれど、君が剣を突きつけている子は私の生徒でね。
 彼女に危害を加えると言うのなら、攻撃する事もやぶさかではない」

「元を辿れば、こちらを無視してそちらが全て最初にした事だと思うが?」

恭也にそう言われて少しは納得したのか、男は杖を下ろす。

「確かにその通りである。改めて名乗ろう。私の名はジャン・コルベール。
 とりあえず、事情を説明させてもらえないだろうか」

コルベールの言葉に恭也が剣を下ろすと、ルイズは立ち上がり恭也へと文句をぶつけてくる。
それを無視してコルベールを見れば、更にルイズが激昂して怒鳴ってくる。
流石に話が出来ないと悟ったのか、コルベールが名前を呼べばようやく大人しくなる。
こうしてコルベールによる説明がなされ、結果として恭也はまたしても異世界に来たのだと理解する。

「そういう訳で契約をしてくれないだろうか」

「悪いがそれは出来ません。
 そちらに悪意がないのは分かりましたが、先程の契約の魔法、あれには何かあるみたいですから」

「だが、契約してくれないと彼女は留年という事になってしまうんだよ」

困ったように説明するコルベールと、無言ながらも何かに耐えるようにしているルイズ。
確かに可哀相だとは思うが、あのリコが大慌てで止めたのだ。
だとすれば恭也は首を縦に振るわけにはいかない。
代わりの使い魔を召喚する事も出来ないとあり、困っていると、

「マスター! 無事ですか!」

「恭也、大丈夫なんでしょうね!」

恭也の周囲に次々と少女たちが姿を見せる。
あまりの事態にコルベールたちが呆然となっている中、ルイズは仲良く話をする恭也に食って掛かる。

「ちょっと、何を暢気に話しなんかしているのよ!
 こっちの話がまだでしょう! というか、何よこいつらは! 何で平民がこんなにたくさん」

「誰が平民よ! 私はリリィ・シアフィールド、アヴァターの女王の娘よ。
 それに、こちらの方は前王女のクレア・バン――」

「落ち着かぬか、リリィ。それは昔の話じゃろう。
 それにその話を持ち出すのなら、お主たちこそ世界を救った救世主ではないか。
 確かルイズと申したか。すまなかったの。救世主の力を悪用しようとした者かと勘違いしてしもうた」

「あ、いえ、その……。こ、ここここここちらこそ申し訳ございません」

リリィやクレアの言葉を聞き、またクレアと実際に接してその雰囲気からルイズは膝を着いて謝罪を口にする。
同時にその顔色は怒りで紅潮していたのとは打って変わり、今は真っ青になっていた。
平民だと思っていたが、実は王族だったのだ。
国の名は聞いた事はなかったが、クレアの纏う気品や雰囲気から王女という言葉が嘘ではないと悟る。
それは同時に他の者たちが与えられているという救世主という称号も本当ということになる。
恐らくは騎士の称号みたいなものなのだろうが、問題はそこではない。
平民だと思って召喚した恭也がここに居る者たちと知り合いなのは間違いなく、
また対等に話をしているという事は同じ称号を得ているという事である。
そんな人物を使い魔にしようとしたのだ。
下手をすると国家間の問題にも広がりかねないのである。
ルイズは顔を上げる事もできず、ただただ頭を下げ続けるしか出来なかった。
それはコルベールも同様で、しかし彼はそれ以前に教師としてこれ以上事態が広がらないように、
こちらの話が聞こえておらず、行き成り膝を着いたルイズを不思議そうに見ている生徒たちに戻るように指示をする。
生徒たちを全て追い払うと、コルベールもまた膝を着く。
一方の恭也は困ったようにルイズを見詰め、肩を竦めると、

「とりあえず、俺は救世主じゃないから安心しろ」

そう口にする。これで少しはルイズの罪悪感が和らげばと思って。
だが、その言葉を耳にした途端にルイズは般若のような顔を向けてくる。

「アンタ、騙したの!」

「失礼な。さっきリリィが言った事は本当だ。
 ただ俺が救世主じゃないってだけでな」

同じことだと更に文句を言おうとするも、それでも王族の知り合いであると思いなおして口を噤む。
そんなルイズの事など初めから気にもしていなかったイムニティは、ただ自分の主である未亜が、
恭也の救世主という言葉に居心地を悪そうにしているのを見て、皮肉を込めて言い返す。

「だったら、あなたは神を殺した男じゃない。ねぇ、恭也」

これもまた普段なら身内での冗談――恭也や美由希が未亜たちを救世主としてからかった際に、
イムニティが勝手に言っていた事を仕返しにと誰かが口にしたのが始めではあったが――に、
ルイズはその言葉の真偽を問うように思わず全員を見渡し、嘘ではないと悟ると改めて恐怖に後退る。

「あー、とりあえず、状況の整理をした方が良くないか。
 こっちは大よその状況が分かっているが、恐らくそちらは分かっていないだろう。
 まず肝心な所なんだが、異世界という概念はあるか?」

そうやって話し出した恭也の言葉を半信半疑に聞きながら、携帯電話などを見せられ、
最終的には信じざるを得ない事となる。
それでも、やはり進級の掛かっているルイズにとっては一大事な事なのである。
改めてお願いをするのだが、契約方法を知ったリリィたちが激しく反対し始め、
妥協案として卒業するまで使い魔の振りをするという事で話が着く。
こうして、恭也たちの新たな世界での生活が幕を開ける事となるのだった。



おしまい




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