『ゼロの神殺しと救世主』
第4話
虚無の日――早い話が一日お休みの日――である今日、朝食を終えた恭也たちの姿は学院の門にあった。
学院長の用意してくれた馬車に乗り込み、ルビナスが手綱を手に馬で前を行くルイズの後に付いて行く。
御者を務めるルビナスの後ろ、幌のない荷台ではここ数日で文字を読めるようになった美由希が借りてきた本に集中している。
相変わらず何処に居ても本の虫となる美由希に知らず苦笑を漏らしつつ、
多少気になった恭也が美由希ではなく、その隣の未亜へと声を掛ける。
「それで美由希は何を読んでいるんだ?」
「わたしもちょっと分からないかな。
美由希ちゃん、既に何冊も読んでいるみたいだし、今も前に聞いたのと違うの読んでいるし。
多分、英雄譚の物語だと思うけれど」
未亜も多少は本を読んでいるみたいだが、美由希ほどではないらしくこちらも少し苦笑気味に返す。
「本当に本の事となると別人みたいよね。
それに集中力も半端じゃないし」
そう言いつつもリリィの手にも一冊の本があり、そちらへと視線を落としながらそう言ってくる。
誰も何も言わなかったが、何となく言いたい事を察したのか、リリィは誰も聞いていないのに言い訳のように続ける。
「私が読んでいるのはこの世界の魔法に関する本よ。学院長から借りたのよ。
万が一の事も考えて、こっちの魔法についても知っておいた方が良いでしょう」
言って再び本へと視線を戻す。恭也の隣ではクレアもこれまたこの世界の歴史に関して書かれた書物に集中している。
そんな三人を改めて見詰め、
「しかし、揺れる馬車の中でよく字を読めるでござるな」
と、妙な所に感心を見せるカエデ。
ベリオも同じ意見なのか頷き、更に感心したように美由希へと視線を転じる。
「クレア様も物凄い集中力ですが、美由希さんは本当に読書となると凄いですよね。
前々から不思議に思っていたんですが、日常では偶にそのドジと言いますか、えっと……、
時折、何もない所で転ばれたりする所が見受けられるのですが、どうして本を読みながら歩いている場合は転んだりしないのでしょう」
「美由希マスター程の達人ならば、それぐらい動作もないわ」
「代わりに電柱や看板といった障害物には前を見ていないのだから、当然の如くぶつかってはいるがな。
寧ろ、達人なら日常で転ぶ方が不思議だ」
イムニティが我が事のように胸を張って自慢するのだが、続く恭也の言葉に口を閉ざし不機嫌な顔で恭也を睨む。
余計な事を言うな、と敵意すら込めて向けられる視線に、その間にリコが割って入って睨み返す。
荷台の中央で無言のまま睨み合う二人。
妙な緊迫感が二人の間に漂い始めようとしたその時、たった今までリコが居た恭也の隣へとちゃっかり移動したロベリアが、
疲れたように身体を横にして恭也の足を枕にする。
「疲れたから少し眠る。着いたら起こしてくれ」
用件だけ告げるとさっさと目を閉じ、騒ぎ立てる周囲の声を無視するように身体を横に向ける。
困ったようにロベリアに退くように言おうとするも、既に寝入ったように目を開けようともしないロベリアを見て諦める。
「主様、拙者も、拙者も」
「いいえ、その権利は私にこそ」
「えっと、えっと、恭也さん、良かったらわたしの膝を使いますか」
「人が勉強している時にアンタは何しているのよ。
で、でも、まあ、そのままだと恭也も疲れるだろうし、少しぐらいなら足を枕として貸してあげても良いわよ」
カエデやリコが残る足に狙いを定めれば、未亜やリリィは逆に恭也に膝枕をしようと提案してくる。
何も口にはしないが、ベリオは困ったように恭也の膝を見詰め、その狙いはリコたちと変わらない。
喧嘩相手のいなくなったイムニティは肩を竦めたかと思うと、誰もこちらに注目していないのを何度も確認し、
静かに身体を横たわらせると、本に集中してこれらの騒ぎにまったく気付いていない美由希の足に頭を乗せる。
乗せる瞬間には流石に気付かれるかと思ったイムニティであったが、美由希は多少とは言え重みの加わった足に気付く事無く、
一度も本から目を離さない。それを見てほっと息を吐くと、喧騒をイムニティは満足げな表情を浮かべる。
そんなイムニティへと神が気紛れでも起こしたのか、足の重みに気付いたのか無意識に手を伸ばして美由希がイムニティの頭を撫でる。
偶に縁側で恭也の隣に座って本を読んでいる際、その膝に猫が乗ってくる事があるのだが、それ故の無意識の行いだろう。
何であれ、イムニティはその行為に珍しく頬を緩め、気持ち良さそうに目を閉じるのだった。
そんな和やかな主従を他所に、こちらでは未だに騒がしく言い争う声が飛び交う。
恭也の隣に座っているクレアにしてみれば、すぐ近くの騒動である。
流石にその騒々しさに次第に顔が歪んでいき、
「ええい、おぬし等何を騒いでおる。少しは静かに……って、何でそのような事になっておるのじゃ!?」
本から顔を上げて注意しようとしたのだが、すぐ隣の現状に疑問の方が先に来る。
恭也に膝枕されて眠っているロベリア。
恭也の前に座り、残る足に手を置き取り合うカエデとリコ、そしてベリオ。
逆に恭也の後ろに膝立ちとなってその頭に手を掛けて互いに自分の膝へと持って行こうと競うリリィと未亜。
クレアの感覚では少し本を読んでいる間に、結構余裕があったはずの荷台の中は、一箇所に集中して過密状態である。
しかもそこでそれぞれに騒いでいれば、確かに本を読む邪魔になるはずだ。
ならば、空いているスペースに行けば良いのだが、その過密状態となっている場所、つまりは恭也が絡んでいる以上はそうもいかない。
当然の如く本を閉じると、クレアは未だに争う者たちを尻目に隣に座っていたというアドバンテージを大いに活かす。
早い話、そのまま横になり恭也の空いていた足に頭を乗せたのだ。
一斉に悲鳴じみた声が上がるのもお構いなく、クレアは閉じていた本を再び開いて読書の戻る。
先程よりも素晴らしい環境での読書の嬉々とした様子さえ見せて。
勿論、こうなると残りの者たちも黙っていないのだが、講義しても絶対に聞く気などないのは分かりきっている。
となると、その足を狙っていた三人の標的は自然と二人で争っていたはずの頭部へと向かい……。
「お前ら、いい加減にしてくれ。この状態ではどうやっても横にはなれないからな」
それまでされるがままになっていた恭也がここに来て口を出してくる。
流石に五人がかりで頭を奪い合いなんてされては堪らない。
尤も今の状況も堪ったものではないのだが、そこは既に慣れというか。
自分で思って少し悲しくなる恭也であった。
ともあれ、恭也の言葉に表面上は大人しくなる未亜たちであったが、明らかに批難の視線が飛んでくる。
無言の圧力に何も言えず、恭也は誤魔化すように景色を見る振りをして前方へと視線を向け、更に顔を引き攣らせる。
それを見ていた未亜たちがその視線を追うと、そこには手綱を握ったまま顔だけを後ろに向け、満面の笑みを見せるルビナスがいた。
恭也たちがそちらを見ても、ルビナスは何も言わずに笑顔のままで全く動かない。
「ル、ルビナス、前を見ないと危なくないか」
「そう? 大丈夫でしょう。この子たち賢いみたいだし」
「そ、そうか。えっと、御者お疲れ様」
「ええ、本当に。誰もやってくれないから、私一人寂しく御者。
なのに、皆は本当に楽しそうね。しかも、ロベリアや殿下に関してはもう本当に、ねぇ。
このまま崖があったら、思わず手元が狂いそうなぐらい楽しくやってるわね」
笑顔なのに全く笑っていないルビナスに全員が引き攣る。
いや、本に集中しているクレアや寝ているロベリアは流石に気付いていないが。
リリィたちから何とかしてという助けを求める視線を感じるのだが、恭也としてもどうすれば良いのかなんて分からない。
結果として、こちらもやや引き摺りつつも笑顔を返すしかなく、無言のまま笑い合うという図式が生まれる。
このまま嫌な空気が続くのかと懸念し出す頃、不意にルビナスが表情を和らげて今までとは違う、本当の笑みを浮かべる。
「冗談よ。まあ、流石にちょっとイラっと来たのは本当だけれどね。
それよりも、街に着いたらちゃんと付き合ってよ」
元より買い物は皆で一緒に繰り出しているのだし、その程度なら問題ないと恭也は頷く。そう、頷いてしまった。
再三の確認にしっかりと約束したのを見て、ルビナスはご機嫌な様子で前を向く。
その事にようやくほっと胸を撫で下ろした恭也へと、前を向いたルビナスの声が聞こえてくる。
「まずは下着から見ないといけないわね。恭也くんが付き合ってくれるって事だから、ちゃんと選んでもらわないとね♪」
本当に楽しそうに言われた言葉に恭也が慌てて喰い付くも、再三に渡る確認の上にしっかりと約束したと言われて言い返せない。
ならばとリリィたちの方へと矛先を変え、
「未亜たちは俺が一緒に下着売り場に行くと困るだろう」
その言葉に若干顔を赤らめつつ、その通りだと頷く。
それらの声を味方に再度ルビナスへと上申しようとするよりも早く、ルビナスがやけに大きな独り言を漏らす。
「恭也に選んでもらうって事は、恭也がその下着が私に似合うって判断したって事だものね。
つまり、恭也の好みとも言えるわね。だとすれば、今後もそれを元に選べば、いざという時も外れはないものね。
一時の恥を忍んで恭也の好みを知るか、一時の恥のためにいざという時に恭也の好みじゃない下着で挑むか」
「そ、そうね。元々、今日は店の場所なんかも分からないから、皆の買いたい物を順番に回る予定だったものね」
「リリィの言うとおりですね。ある意味、予定通りの行動でルビナスさんも機嫌を直してくるのですから」
「主様、頑張ってくだされ」
「勿論、私たちのも選んでくださいねマスター」
「う、うぅ、恥ずかしいけれど、お願いします」
ルビナスが独り言を漏らした後、恭也の味方は誰もいなくなってしまった。
最早、恭也は呆然とするしかなく、そのまま力尽きたとばかりに後ろへと倒れる。
が、そこにはリリィと未亜の二人が居て、二人の胸に抱かれるような形となってしまう。
慌てて起き上がろうとするも遅く、二人にがっちりと両側から押さえ込まれる。
「そういえば、完全に横にはなれなくても、こうしてもたれる事はできるんですよね」
「全く仕方ないわね。まあ、街に着いたら付き合ってもらうんだから、これぐらいはしてあげるわよ。
感謝しなさいよね」
二人してそう口にするのだが、当然ながら残された三人は面白くない顔で見る。
「マスター、後ろに倒れる心配がないのですから、足を伸ばしてくつろいでください」
言いながら有無を言わさぬ力で恭也のあぐらを崩して足を伸ばさせる。
既に頭を乗せている二人の事などお構いなしなのだが、二人はそれぐらいではびくともしない。
いや、実際はクレアは本から視線を上げ、ロベリアも流石に目を覚ましたのだが退こうとしないのだ。
一方、リコの意図する事に気付いたカエデとベリオはリコを手伝い始める。
そうして伸ばされた両足に二人はそれぞれに位置取ると頭を乗せる。
カエデとベリオが左右の足に頭を置くのを見て、腿ならまだしもそこは固いだろうと言うのだが、二人は気にせず頭を乗せてくる。
リコは広げられた両足の間に入り込み、恭也の身体へとしな垂れ掛かる。
そこに気付かず羨ましそうな視線を向けてくるカエデとベリオに小さな笑みを向ける。
ともあれ、こうして恭也の包囲が完成したのである。
そして、当然ながらそこへ恨めしげな視線を向けてくる御者のルビナス。
「帰りは絶対に他の人に代わってもらうからね!」
だが、その宣言を聞いても誰が御者をするかで揉めるであろうとルビナス自身がよく分かっていた。
と、全員の視線がその場でこちらに一切関心を払っていなかった美由希へと向かい、思いが一致する。
こうして帰りの御者は美由希とイムニティになる。
このやり取りを知らない美由希は出来るか不安そうだったが、イムニティと一緒という事で引き受け、そして途中で後悔する事となる。
だが、それは帰り道でのお話。
おしまい
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